1. コウブン和尚の寺子屋ラジオ
  2. #125 永平寺東京別院で感じた..
2024-11-01 12:19

#125 永平寺東京別院で感じた「本当の喜び」とは

「悦び」という漢字には、外からの刺激ではなく、自分の内側から湧き出る喜びという意味があります。

永平寺東京別院長谷寺での法脈会で出会った80代のおばあさまは、長年の夢を叶え、そして人との繋がりの中で生かされていることの喜びに気付かれました。

物を買って得られる喜びとは異なる、内なる喜びの大切さについて、副住職が語ります。

#お寺 #仏教 #生き方 #瞑想 #マインドフルネス #永平寺 #禅 #日々のこと #生きる #感謝
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5f5a393ff04555115dcb4f8e
00:05
おはようございます。コウブンです。
栃井県の片田川にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
今日は、昨日の続きのお話をしたいなと思っております。
昨日は、どういうお話をしたかといいますと、
東京にある永平寺大本山永平寺東京別院彫刻寺という、
やたら長い名前のお寺に行ってきました。
そして何をしてきたかというと、
宝脈絵という行事、分かりやすく言うとイベントですね。
特別なイベント、その3日間行うんですが、
その3日間の特別なイベントのお手伝いをしてきました。
というお話を昨日いたしました。
詳しくは、昨日の放送を聞いていただければと思うんですが、
今日は何をお話をするかといいますと、
その宝脈絵のお手伝いに行ってきて感じたこと。
具体的に言うと、喜びって、いろんな喜びがあるなということを感じたというお話です。
皆さん、その喜びという言葉を聞いて、どういう字を思い浮かべますか?
一般的には、スッと出てくるのはおそらく、
喜怒哀楽の喜という字。
土書いて、ちょんちょん書いて、口書いて、
あの喜ぶという字を思い浮かべるかなと思います。
一般的には、この字が普通の喜ぶだと思います。
この喜ぶというのは、どういう意味かというと、
楽しぶとか、めでたいとか、そういった意味ですよね。
よく調べてみますと、喜ぶって他にもいろんな字で書くんですよね。
どういう字かというと、一つはえつという字ですね。
豊川えつじさんのえつという字。
小里編に点を二つ書いて、兄と書く字ですね。
その喜ぶとか。
慶長の慶という字ですね。
お祝いの時の、あれも喜ぶと呼びますね。
他にももう一個あったんですけども、
ちょっとすいません、忘れてしまいました。
とにかくね、4つぐらいあるんですね。
03:03
喜ぶという漢字を調べますと。
その中で私が感じたものは、えつという喜びですね。
それを彫刻寺のお手伝いで感じたというわけですね。
豊川えつじさんのほうのえつの喜ぶというのは、どういう意味があるかと言いますと、
これはですね、自分の中から湧き上がる感情、
あとは心のしこりやわだかまりが取れた状態の喜びを指すということですね。
その時に使う漢字としては、このえつという字を使う。
つまり一般的な喜ぶが、喜怒哀楽の喜というのは外的要因から生まれる喜びに対して、
えつのほうの喜ぶは内的な要因から生まれる喜びというわけなんですよね。
その内的な要因で生まれる喜びというものをお手伝いの中で感じましたというところなんですね。
どういうことかと言いますと、まず私が行ってきたことというのは、
法脈絵という行事に参加した一般の方ですね。
だいたい20から30名くらいかな、30名弱くらいの人数の方が参加されました。
年齢は30代の方もおりましたし、おそらく80代くらいの方もおりました。
全体的に年齢は高めでしたね。
そういう方たちのお世話をしていたわけなんですけれども、
朝は4時30分に起床して、そして夜は8時くらいまでかな、
いろんな行事に参加するときにサポートをするわけですね。
具体的に言うと、天候をとったり、忘れ物のチェックをしたり、
あとはおトイレに行きたいときのサポートをしたり、道案内をしたり、
お話し相手になったり、お食事のお手伝いをしたり、お風呂の準備をしたり、
あとは寝るときの寝床の準備をしたりとかね。
ともかくずっとサポートするんですね。ほぼ月っ切りです。
もちろんね、食事の時間対応のときや、自分の食事のときは交代したりとか、
06:02
そういったことはやりましたけれども、ともかく1日中月っ切り。
それが3日間なので、体力的に結構疲れました。
いろんな役割はあるんですけれども、お手伝いするお坊さんたちの中で、
自分たちの参加者のサポートする係としては、いろんな行事がすべて終わって、
お疲れ様でしたというところで、私自身は達成感の喜びというものはありました。
それを感じたというわけじゃなくて、今日お話ししたいのは、
一般の参加者の方々の喜びというものを見ていて、
ああ、こういう喜びもあるんだなというのを改めて感じたというところですね。
その喜びというのは、えつのほうの喜びのことなんですけれども、どういうことかと言いますと、
その参加者の中におそらく80歳ぐらいのおばあちゃん、もしかしたら90歳近いかもしれません。
結構お年を召したおばあちゃんがいたんですけれども、
その方が無事に今回のイベントに参加できてというのが喜んでいたわけなんですけれども、
その方はどこかのお寺の住職さんの奥さんなんですよね。
なので、このイベントのことは昔からしていたと。
だけども、行きたいなという思いは心の中にあったんだけど、
なかなかいろんな事情で参加できなかったと。
今コロナが明けて、そして自分の年齢を考えると、
もうこれを逃したら次はないかもしれないと思って思い切って参加したんだとおっしゃっておりました。
そういった自分がずっと心の中に抱えていたもの、
こうしたいなと思っていたものをやっと達成した。
心の中回りが取れたという、そういった喜びというのを噛みしめておりました。
それと同時に、私たちが一生懸命サポートしたわけです。
そのおばあちゃんの膝が悪いということで、階段とか登ったりするときは手をつないだり、
忘れ物ないかね、よく確認したり、お話をいろんな話をしたりとか、
とにかくいろんなサポートをしたわけです。
そういったところで、私たちのやり取りの中で、改めておばあちゃんが言うには、
いろんな人の支えがあって、私は生きているんだなと改めて思いました。
そしてその修行の中で、いろいろと教わったこと、仏教というのも、
09:04
修行無常、処方無我という教えがあって、
私たちはいろんな御縁の中で生かされているんだということを身をもって体験した。
そういったことにきちんと触れられた仏教の教えというもの、
そういった大きなものの中に包まれて、
そういった安心感というのがあるんだというところで、
そういった内から感じる喜び、
自分が今まさに生きているということのありがたさということに対して感謝する喜び、
そういったものがあるんだというふうにおばあちゃんは言っておりました。
はい、私もそれを聞いて、
なんか別に、何て言うんでしょう、
すごく思い入れがあるというわけではありませんが、
やっぱりその言葉を聞いて感動しました。
最後に一緒にお写真とか、
私の残り少ない人生だけでも少しでも思い出にしたいし、
帰ったら住職に報告したいからと写真を一緒に撮って、
それで最後お別れしたわけですけれども、
自分は役割としてただおばあちゃんに接した部分はあるんですけれども、
そのおばあちゃんが私たちが行ったこと、
またそういった行事に触れたことで、
そういったいろんな喜びを感じてくれたんだなということに対して、
私も嬉しく思いました。
そんなことを感じながら過ごした3日間でした。
皆さんもこれを聞いている皆さんも、
普段何気ない喜びというものがあると思います。
何かを買って、例えば車を購入した、
そういう喜びもあると思います。
だけどもそうじゃなくて、
例えば家族が自分の買い日を心配して夜遅くまで待ってくれたとか、
寝ずに待ってくれたとか、
自分の親のために自分のお小遣いを貯めて、
何か喜ぶようなものを買ってくれたとか、
そういった本当に家から湧き出る喜びを出会った時には、
きっとその瞬間をどうぞ大事にして、
そしてそういったことが自分の人生でたくさん生まれるような、
出会えるような生き方を心掛けていただければなと思います。
はい、では今日のお話はここで終わりたいと思います。
12:00
本日のお話を聞いて、ご意見ご感想などあれば、
どうぞコメントへよろしくお願いいたします。
はい、では連常院副住職の幸文でした。
ではではまたね。
12:19

コメント

スクロール