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この間の第12回、「やっぱり推し」という言葉に反響というか、いろんな感想とかも頂いたりとかしていて。
推しっていう言葉についてっていう話がメインだったんだけど、対象のものと自分の距離感の話みたいなことをずっと考えてるんだけど。
自分でもあのエピソードを聞きながら思ったのは、過剰に自分がすごく消費することっていうことに対してすごく危機感というか、消費することっていうことをすごく嫌がってる感覚が自分の中にあるなっていうふうに思っていて。
それはなんでなんかなって思うと、結構消費するっていうことをあんまりどうなんかとかさ、そういう消費することっていうのがちょっとどうなんかしらって言われたようなショックっていうのが、自分の中のルーツみたいな感じであったなっていうことを思い出していて。
うん。具体的には、もう先に言っちゃうと、アニメとかの評論で、いろんな社会評論とかもされてる人ですけども、あずまひろきっていう哲学者がいるんですけども、ご存知ですかね。
そうですね。まあ知ってますね、はい。
テレビも出てた時期もあるし、オタク評論といえばみたいな感じの人ではあると思うんですけど。で、僕の世代、特にすごく流行ってたから、あずまひろきの言論が。一番流行ったもんが、「動物化するポストモダン」っていう本なんですけれども。哲学の話とか社会批評の話なんで、ちょっと難しい話なんだけども。
で、僕の解釈をわかりやすく言うので、ちょっと解釈違うっていうところもあるかもしれないんだけど、今の社会全体っていうのはポストモダン化していってると。で、昔は、なんか大きい歴史的な出来事があって、生きている人間、社会的な人間っていうのがシェアしてたと。
で、それに向かってみんな同じような物語を消費していくっていう態度があったけども、それが現代とか、これは特に90年代ぐらいからの話っていうことを語ってるんだけど、っていうのは、そういったみんなが共有する大きい歴史的な出来事がなくなってしまったと。
で、その飛間浩樹の前に直接的な影響を受けている大塚英二っていう人が、「物語を消費していってるんだ、みんな。」みたいな話をしてるのね。物語消費論って言って。それはそれぞれ、例えば対象の何か買うものとか、そういった消費行動についての話なんだけど、そのものにあるストーリーとかを想像して、そこを買ってるっていう話のことを言ってて。
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うーん。
うーん。なんか例えば作家の思想とか、この小説に関われているストーリーっていうのを消費して支持してるみたいな感覚。まあちょっとこれニュアンスが難しいんだけど。っていうのを飛間浩樹がさらに発展させて、もうストーリーでもないと今は。
うん。
それぞれの特性。例えばメイド服であるとか、まあ当時で言うとね、猫耳とか、そういったキャラクターにつけられているデータベースを消費してると。
うーん。なるほどね。まあなんかそれはなんとなく感じてたところはあるな。どんどんこう、ストーリーとかよりもキャラクターものとして、いろんなアニメとかそういうものが流行るようになってきたなっていう感覚は確かに僕も当時ありましたけどね。
そういう属性を自分で、そういったデータベース、その膨大にあるデータベースみたいなところから提示された記号を消費してると。だから真ん中のストーリーみたいなところじゃなくて、そういうデータベースを消費してってるんだよっていう状態になってて、今は。
で、だから人間っていうのは今まで欲望っていうものを持つもので、動物っていうのは欲求しか持たないもんだ、みたいな話が。これをフランスの思想家みたいな方が言ってて。で、言ったらそういう構造がなくなって、欲求だけになってると、人間は。そういうデータベース消費みたいな。だから提示されたものを好きなようにすぐ求めてしまう、欲求だけで消費する。
だからこれはもう動物だよねって言って、それを動物化って呼ぶみたいな理論が、動物化するポストモダンでは書いてあるわけ。
そうだね。記号化っていうのもあるし、まあ確かに本能的に食らいついてる部分もあるんやけど、もうちょっと俯瞰して楽しんでる人もおるような気はするけどね。
消費する態度っていうのはそれぞれあれど、それはもちろん、そう言い出したらそうなの。僕が言ってる理論も一つの解釈を一つで言ったらそうなんだけど、言いたいのは、僕がすごく消費することっていうものに対してショックだったっていうのは、
そこで言ったら属性みたいなものを、お前らは本能的に欲求しか持たない動物として食べてるだけやっていうふうな解釈で読んだわけよね。まあそういう印象を受けると思うの、読んだらね。
それがね、やっぱりちょっと強烈に18とか19ぐらいの時に読んでるのかな。だからすごいショックだったんだよね。まあなんか、俺らは豚なんや、みたいなさ、感覚?
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そういう感覚、そういうことを言われて、確かにっていう感覚もじゃあ当時あったってことなの?
まあ若かったし、そんな言ったらまだまだ消費するにありイコールお金をたくさん使うみたいな感覚もあると思っていて、ずぶずぶにオタクでもなかったから、半分喰らって半分みたいな感じかな。
だったけどすごいショックだったよ。読んだ時は。っていう、まあちょっとその辺の話を詳しく今日はしていこうかなと思っております。
はい。
この番組、心のつなじは、様々な文化や日常の気づきをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。私、シャークくんです。
はい、そして私が寺田です。よろしくお願いします。
ということで、本日も始まります。心のつなじ。
いやだから、ほんま見た瞬間俺、ランディ・サフェージみたいになってますね。
あんまおらんけどね。派手さ引き出しにランディ・サフェージにしてますね。
ランディ・サフェージみたいな。やっぱ天竜とランディ・サフェージの試合もいるよ。
心のつなじ。シャーク。
僕の話、さっきオープニングの終わりにしたのと一緒ですけども、自分の思春期みたいなんて、今って結構アニメが好きっていうこととか、オタクっていうことがすごくこの十何年でスタンダード化したっていうことがあると思っていて、
その辺の話を改めて整理してしないといけないかなとは思ってて、自分の感覚を変えりみるっていう点でもね。
今みんな配信とかで見てると思うので、リアルタイムで深夜アニメとかを見るっていうのが、少なく昔よりはなってきてるのかなどうなのかなみたいな感じはあるんだけど、
ゼロ年代の後半っていうのが僕が中学生から高校生ぐらいなんですけれども、2010年に大学に入ってるので本当にジャスト、ゼロ年代後半が僕の思春期って感じなんだけど。
で、このスタンダードに新アニメがなった感覚ってやっぱり鈴宮遥の憂鬱以降っていうのがあるかなと思っていて。
大きいですね、あれはやっぱり。
が2006年か、第一期が。で、これはギリ間に合ってて、2期のエンドレスエイトの2009年はもうリアルタイムで見てたっていう感じだったんだけど、
言ったら萌えブームみたいなのがあったんですよね。秋葉原ブームみたいなのが電車男以降っていうので。
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オタクっていうものがもう一般的に言葉として浸透してみんな認識してたよね、あの頃はね。
そうそうそう。で、同時に萌えっていう言葉がすごい流行った。
今だいぶ言わなくなったと思うんですけど、アニメーションの可愛らしいキャラクターっていうのを萌え系とか言ったりね、してたよね。
あー懐かしいですね、それは。
萌え系のやつとかそういうこと言ってて、ちょっとそこには差別的なニュアンスも含んでたと僕は思ってるんですけども、萌え系のオタクとか言ったりね。
そういうのを愛好してる人らをちょっと距離置いて言ってる感じはあるな、あれは。
うん、あったよね。で、そこが大きく変わったのは僕は2009年のK-ONから変わったと思っているんですけれども。
僕も全く思ってそう思いますね。
これは僕の個人史で言うと、春日でオタクっていうことを公言するみたいな子が現れだしたのよ。
だからちょうど高校入ったときぐらいに詳しそうなやつが携帯にその春日の第一話とかを入れてて、見たりしたみたいな覚えがあるので、
そういう子が出てきだしたって感じの感覚があったんだけど、僕たちの世代からすると。
ただ、春日の時点では、いわゆるクラスの大半の子がそんなに今ほどアニメっていうものに、まだまだオタクっていうちょっと分別的なニュアンスを持って接してるっていう感覚があって、
ちょっとこう、密かな楽しみものだったのね、そこは。
当時僕がバンドやってたんだけど、ニコニコ動画とかが出てきて、ちょっとアニソンとかをギターとかベースで弾いたみたいな、いわゆる弾いてみたみたいな文化が登場しだすんだけど、
僕がやってた周りの、いわゆるヤンキー層的な人っていうのは、多少知ってはいたかもしれへんけども、その辺のアニメ文化みたいなのが完璧にブッチしてた。
えー、ダサいみたいな感じで思ってたし言ってたっていう覚えがあるのね。
ただそれが、軽音の登場によって、お前らそんな萌え系とかみたいな感じで、すごい差別的なニュアンスを含んだ発言をした同級生が、
高校3年生の文化祭で、腕に麦いのちみたいなの書いて文化祭に出てたっていう記憶があるのよ。
これは軽音に出てくるキャラクターね。
あ、そうそう。そこまで浸透した。
あの、この2,3年で大きく風向きが変わったっていう感覚が僕にはあって、
まあ流行りはすごかった。だから、同時に春日の2期っていうのも来てたし、
まあでも、タイトルとしては軽音ぐらいだったかな、僕の周りとしては。
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あと、バケモノガタリも2009年ですけど。
そう、バケモノガタリは、またもうちょっと萌えっていうよりは、
ちょっと言い方あれかもしれないですけど、中二病的な方に受けが良かった印象もありますね。
そうだね。
シャフトのああいう演出もあるし、ちょっと霊障系の主人公でもありますから。
でもなんか言ったら、ギャル芸やんか、物語シリーズって。
病んだ女の子を男の子が救済していくって話やんか、基本的にはね。
そうですね。
だから、バケモノガタリは1人のルートの話なんだけども、
まあ魅力的な女の子がいっぱい出てきてっていうシリーズなんだけど、
なんか言ったら、そこで今の推しじゃないけど、
どの子が一番好きかっていうのを選んで、
それを宣言するみたいなのが、良しとされてるみたいなのがあったんですよね、当時。
まあそうですね、それは春日の時代から、
まあそういう可愛いいろんなパターンの女の子がいて、
誰が一番好きみたいな会話にはなりがちでしたね。
だから僕が知ってた子は、ムギちゃん、いのちみたいな。
で、この時使われてたネットスラングとして、
何々は俺の嫁っていう言い方が、
うわーもう言うだけで恥ずかしいんですけども。
あったなー。
あったんですよ。
何々は俺の嫁っていう言い方があったんですけど、
推しのキャラクターを決めて、そういうことを宣言するみたいなところだって。
当時、アニメイトとかに行ったらそういうキャラクター個別のグッズがね、
ちゃんと出てたから、そういうPRもしやすかったんですよね。
その辺ぐらいから出だしたかなっていう感じで。
ある種、例えば80年代の時のアイドルカルチャーが、
そういう割とヤンキー文化、親衛隊の人らとか大体ヤンキーだったみたいな話みたいなんてあるんだけど、
ほんとそういうノリに近くて。
それは後に、もうほんと翌年とかに来るAKB48の総選挙みたいな形で、
もっとわかりやすく出てくるっていう感じはあると思うんだけど、
アイデンティティ的に何かを応援する、これが好きだと宣言するっていうのを、
アニメーションとかで言うと、オタクは好きなキャラを持つべきだとされてた時代みたいな感じだったなっていうふうに思ってて。
これ今もあるかもしれないんだけど。
ああ、そうね。全然あると思いますね。
そうそうそう。で、なんかその、燃えっていう言葉が使われすぎたから、
そういう燃えるみたいなのをブヒルっていう言葉に言い換えて言ったりとかもした時期でもあったなと思ってて。
ありましたね。
今も多分あると思うんだけど、ブヒルから、なんか尊いとかいろいろあるけどね、進化はしてると思うんだけど。
ただ、一個人の自分としては、言ったらその燃えみたいな要素が結構ね、わかりきってないところがあったのね。
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なんかそういう好きなキャラを持って押していくみたいな態度が、まであんまりよくわかってなかったみたいな感じのあれだったんだけど。
そういう距離感で、でも面白いなアニメーションは、キャラクターも可愛いなーみたいな感じで、すごいアニメーションに親しんでたっていう時代だったんですけどね、一個人としては。
はいはい。
で、同時に、そこで僕がアニメーションとか好きなものに対してどういう風な態度に向かっていくかっていうと、オープニングに戻ったようなアニメ評論とかアニメ批評。
それは好きな文学とか映画とかも全部そうなんだけども、批評っていう態度を知って、そこに誰か言ったら批評家、思想家とかの人の考え方っていうのを知るっていうことで、自分は批評するんだっていう距離感で作品と付き合っていくようになるんですね、高校生から大学生ぐらいにかけて。
で、これははっきり言って2チャンネルの影響が僕はすごく強かったと思っていて、自分のこういう方向に行ったっていうのは。
だからそういう2チャンネル的なツッコミっていうものにすごく慣れして死んでいて、これはこうじゃないだろうとか、まあその時よく流行ってたのっていわゆるテレビとかのメディアが何か取り上げてる時に、いやこれ間違ってるだろうみたいなものとかがすごい盛り上がってたのね。
そういう切り込むというかさ、ちょっと批判的に物事を見て指摘していくみたいなのはやっぱり氾濫してたね、あの頃は。
うん、そうそうそう。で、まあ象徴的なのは2012年に牧田スポーツさんが1億層ツッコミ時代っていう本を出すんですけど、これはすごくその時の空気みたいなのをキャプチャーしてるもんだなと思って。
そういう本が出るぐらい、すごいツッコミ的なものがすごい燃え上がってた時期ではあると思っていて。ツッコミに慣れ親しむっていう態度っていうのって、学校教育っていうものがそういったところから飛び出してもないので、高校生の自分っていうのは。
賢い人がこれに対しては答えっていうのを持っていて、それを知ればいいって、どんなもんでも思ってるっていうところがあると思ってて、若い頃っていうのは。だから、これよくわからんなーとかなんやったんやっていうところに対して、賢い人が答えを教えてくれるから、その答えっていうのを探して批評っていうものにたどり着いてたって感じなのね、僕からすると。
で、当時はまだそういった今のようなYouTuberであるとかが、そういった今の考察ブームの時代だと思うんですけども、ハンター×ハンター読んでわかんねーなーと思って、ハンター×ハンター謎とかで調べると、そういったことを解説ね、その人なりの解釈を持って解説してくれる動画とかがヒットする。で、それを見れば、ああそういうことだったんだって思うみたいなことあると思っていて。でも当時はまだそこまでなかったんですよ。
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そういうふうにアクセスすると、やっぱ何かしろ本になってるもんとか、そういったちゃんとした批評じゃないとアクセスすることができへんかったんですよ。
うーん、なるほどね。ネットにまだそこまでなかったから、本で読むしかなかった。
そうそう、多少なりともブログとかは、まだ今もGoogleが今みたいな出たいもんなんも出ませんみたいなさ、SEO対策がされきる前だったから、個人のブログとかでなんかヒットしたりとか、まあそういうのあったりはしたけどね。
ただ、何かちゃんとしたソースっていうので言うと、やっぱそういった批評本っていうのに当たるっていう感じがあって。
その時僕は、いろんな人の批評本とか考え方っていうのをそれぞれのジャンルで読んで、「あ、これはこの人の言うこと聞けばいいや。」とか、「このジャンルではこの人の言うことが面白いな。」とかいうことを学んでいくっていうので。
まあ、そん中で大塚栄二であり、あずまひろきっていうのは、社会批評っていう点でポップカルチャーとかを取り上げてる本を出してるので、その辺で、「あ、なるほどな。」みたいな。
で、そこで動物化するポストモダンも高校の図書室とかで出会ってるんだよね。
うーん、なるほどね。
それぞれいろんなジャンルで、「あ、この人がこういうことを言って、ひとつの言ったら未聞みたいな、持って批評するみたいな態度みたいな。」にすごい端的してたっていう。
まあ今もそうなんだけどね、っていう感じだったんだけど。
なんかだから、そういう中で、みんな言ったら超オタクなんすよ。
うん、そうですね、確かに。
それぞれの。みんな超オタクなんだけど、言ったらその超大好きみたいなことは書いてないわけ、その本に。
音楽超大好きとか、テレビ超大好きみたいなことはわざわざ書かへんわけ。
でも、こういった切り口で、こういった距離感を持って、「こういうふうに見たよ。」っていうことを書く。
まあそれが仕事だからね、本になってることをやっていて。
また初めに戻ると、あずまひろひが初めに、「動物化って言ったように、わーって、いわゆるファンカルチャー的にすごく消費するっていう態度は、なんかすごいカッコ悪いように見えたし、ダメなことだ。」って、たぶんこの辺で僕は思ってるのよ。
作品とかいろんなものを見て、読んで、すごく消費してるんだけども、そこの言ったら態度としてね、ファンカルチャー的にキャッキャ言うんじゃなくて、ちゃんと距離を持って、「切るとこはビシッと切れよ。」みたいなことを自分の中で刻んでたというところがあって、
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そこでなんとかオタクである自分っていうののアイデンティティみたいなのを保ってたみたいなところがあるなと思ってて。
僕が根本によるのは、映画は面白いけど、映画語りも同じくらい面白いよね。アニメは面白いけど、アニメ語りってアニメ見るより面白いよね、みたいなことが僕の態度としてはめちゃめちゃあるのね。
作った人はすごい、もちろん。作った人はめっちゃすごいけど、受け取ってる人も同じくらいすごいよっていうことは思ってて、僕は。
だから、そこがいろんな解釈とかいろんな話があればあるほどいいなとは思ってるんだけど、
自分が消費するっていう感覚が気持ち悪いというか、押すっていう言葉を使うのに抵抗があるくらい、何かを消費するっていうことに抵抗感があるっていうのは、そういうことがルーツにあるっていうかね。
距離感を持って何かを接する。立地で好きなものに対しても立地した立場で、これがいいのか悪いのかっていうことを受け止めなければならない、みたいな態度っていうのが、僕が読んでたものとか、僕が好んだ人たちは共通してそういう態度だったと思っていて。
それは、これは時代的にそういったことがかっこいいという価値観もあったと思うんだよ。
うんうん、そうね。
っていうところがあるから、嫌なーとは思っているんだよね。
いや、なんか僕もどっちかっていうと、多分そこまでこのキャラクターが大好きでっていう熱量、一本で何か作品を見続けたりとかってできるような感じではないですね。
やっぱりちょっと距離感があって、見てしまうっていうのはあるんですよ。だからまあ多分シャークさんと同じような感じではあるとは思う一方で、なんかやっぱりこの一個のキャラクターがめちゃめちゃ好きでっていう熱量で楽しんでる人ら羨ましくもあるんですよ。やっぱりそこに僕はいけないんで。
あー、そうだな。
そこに本当に夢中になれる人って、なんかめっちゃ羨ましいんですよね、僕は。そこにはまだ僕はたどり着いたことないので、だからあんまりそういう人らをバカにしたくもないというか。
うーん、そうなの。
ただ、まあそういう夢中になることによって、例えば推しの回でも言ったけど、何か加害的なものが生まれてしまったりとか、加害的な構造に加担してしまうってことは当然あるとは思うんですけど、なんかそこがね、どうコントロールしていくべきなのかっていうのは、夢中に楽しんでる人らからしたら、その批評とかって多分不要なもの、なんかうるさいものに移ってしまうんかなって思うこともあるんですよ。
うーん。
例えば、僕の知り合いであったりしたのは、そんなに評判が良くないアニメでも自分は好きっていうものをさ、なんか友達とかで話した時に、いやでもこの出来が悪いとかさ、言われたりとか、ネットのまあいかにこれが出来が悪いかっていうのを書いてる記事みたいなのを読んじゃった時に、普通に傷つくっていうのがあったりするらしくて。
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はいはいはい。
好きだった作品も好きじゃなくなっちゃうみたいなことって、まあよく聞く話なんですよね。だから、なんかどこまで批評、批評ってめっちゃ良いものではある一方で、なんかこう夢中になってる人らの熱を冷まさせてしまうものでもあるんかっていう感覚もあるんですよね。
まあ、同時にやっぱこう、熱量とかそういった好きっていう気持ちっていうのは、言ったら加害とか増大はみ出た時は、まあそれは良くないよねっていうことに落ち着くけど、好きとかそういった熱量ってあればあるほど基本的には良いとされてるっていう価値観が多分あるよね。
うーん、まあまあそうかもしれないですね。ポジティブなエネルギーってイメージがあるからね。
そうそうそうそう。まあなんかそれはもうどうなんかなとも、僕は同時にやっぱ思ってるとこがあって、まあ根底はさっき話したような、そういうことだと思うんだけど、こう僕が思うのも。
そうだなあ。
なんでもこの、そう、熱量があることが本当に良いことなんかとも思ってしまってるみたいなのも多分あって、なんで僕がこんなにすごいドライなんか分からへんなんけど好きなものっていうことに対して。
うーん、あとなんかもしかしたら僕らの世代って結構まあそういう推し的なものにたくさんお金を消費して半ば破滅的になっている人らもたくさん見てきた気がするんですよね。
なんかそこまでいったら、まあ人を傷つけるっていうこともあるし、自分自身をもはや傷つけてないみたいなさ、ちょっと崩壊してないかみたいな、そういうものを見ちゃってるから、この辺りは距離感を持っといた方が安全なんじゃないかっていう思いもあるんですよね。
うーん、まあ防衛本能みたいなもんね。なんかまた、まあそれももちろんあるけど、また全然別の感覚でもなんかあるような気もしてるんやけどなあ。だからそれが、今回話した僕はあずまひろきに動物って言われたっていう感覚なんかなっていうのが、今回ちょっと思ったことではあったんだけど。
うんうん、ただなんか何も考えずに消費してる感覚ダサいっていう感覚も当然僕はわかりますけどね。
うーん。
うん。
どっちかっていうと、そういうことは、そういう活発なオタク活動ってね、これ最後話が発展させるとちょっとヤンキーっぽいんだよね。
あー、確かにそうかもね。
うん。
そう、言ったらこう、何々命みたいなさ感覚みたいな、鉢巻き巻く感覚みたいなんて、すごくその学園祭とかで歌舞伎感覚にすごい近いっていうか。
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そうね、まあさっき言ってたその親衛隊がほとんどヤンキーやったみたいな話にちょっと近い。
学園祭でコスプレする可愛さとちょっと痛さみたいなのあるやんか。
うんうん。
天使なんかじゃないでも、学園祭で行われるのは、ヤンキーにこうコスプレしてやるみたいな学園祭になるんだけど。
ありましたね、うんうん。
そう、で、しのちゃんが周一猪って入れるやんか。
そうでしたね、確かにね。
うんっていうのがあるんだけど、なんかあの可愛さとあの痛さみたいなのを多分見てる感じがしてて。
あー。
ああいう行為に。
なるほどなー。
うん。これもっと言うと、なぜヤンキーっぽいのが嫌なんかっていうとこもあるんよね。
あー。
ヤンキーっぽいっていうか、それ何がヤンキーっぽいんですかね。
どういうこと?態度がってこと?
ヤンキーっぽいっていう感覚が僕あんま分かってないかもしれないですね。
オラオラしてる感じがあるっていうことですね。強引さみたいな。
強引さってことはオラつきだよね。
うーん、そうなんかな。難しいよね。なんかスマートに何かを押すことって難しいからね。
まあ単純に一人で部屋の中でその好きなキャラクターのさ、物とか飾ってるだけの人もいるけど、
それをなんかこうやっぱり自分の、まあ外に持って行く時に缶バッジとかいっぱい付けたりとかさ、
なんかキャラクターもののを付けるとまたなんか全然違うじゃないですか。
うーん。
外向きにアピールしてる感じ。自分の部屋より外に持って行ってるわけですから、より威嚇感は出るかもね。
そうね。まあバンティーを着て行くみたいなね、あのもんだもんね。
そうねー。
うん、確かに。なんかちょっと辿り着いたのは俺の中でちょっと、
俺とヤンキー的なもんとオラつくもんみたいなもんの距離感みたいのはあるかもしれん。
ちょっとこれはこれでまた考えたいなと思います。
はい。
というわけで心の砂地は引き続きお便りをお待ちしております。
全ての宛先はaokorosunaatmarkgmail.com心の砂atmarkgmail.comまでよろしくお願いします。
ツイッターはSpotify、Apple Podcastなど各配信サービスのエピソードの詳細に載っているGoogleフォームからお願いします。
Apple Podcastのレビュー評価も絶賛募集中です。ぜひともよろしくお願いします。
ツイッターでの投稿は、ハッシュタグKOKOSNAです。よろしくお願いします。
ツイートしていただく際にはエピソードのリンクも貼っていただけると嬉しいです。
また本編で出てきた固有名詞などはnoteにも募集がありますのでそちらもご覧ください。
そのURLも各配信サービスのエピソードの詳細にございます。
ということで今回も聞いていただきましてありがとうございました。
第20回とかの告知はしなくて大丈夫ですか?早い段階で。
そうですね。第20回僕の特集回なんですけど公開中のNopeという映画を撮っているジョーダン・ピール監督についての特集をしようと思っているので
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好きな方がいらっしゃればお便りとかくださっても嬉しいですし
今ね、NetflixとかAmazonプライムでも見れる作品、過去作、Get Outとかアスとかね
いろいろあると思うんで予習していただいてもとても嬉しいです。よろしくお願いします。
今だったら最優先としてはNopeを見に行ってくださいって感じですよね?
まあまあそうですね。公開中なんで今しか見れないので、ぜひね今のうちに見に行ってください。
ぜひIMAXレーザーで見てください。
それでは皆様ごきげんよう。