1. 心の砂地#
  2. 「ちょうど10年ぐらい前のこと..
2023-09-12 46:20

「ちょうど10年ぐらい前のこと feat.小太り(上京ボーイズ)」

今回はポッドキャスト番組『上京ボーイズ』の小太りさんをゲストに迎えました。91年生まれ、同い年のシャーク鮫くんと小太りさん。

奇しくも2017年の10月に上京、奇しくも2020年のはじめにポッドキャスト番組を配信開始、と様々な共通点がある二人で、「ちょうど10年ぐらい前のこと」、つまりは2010年代の自分たちや社会、見えてみたものについて、いま、語っています。


○「上京ボーイズ」

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《#kokosuna掲示板》

「三十日間の新聞」

https://note.com/lnt91/n/nc592a8854262

『心の砂地#』も参加しました!


「てらださんがつけているイヤーカフ」

https://www.hario-lwf.com/21108/

(2023年9月8日収録)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 番組Twitter:https://twitter.com/kokosuna 感想など、ツイートしていただける場合のハッシュタグは#kokosuna でお願いします! ここすなリンク集→ https://lit.link/kokosuna 番組感想、お便りは kokoronosuna@gmail.com  ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠もしくはこちらのフォームまで!⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 2023 artwork:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠セキヤ@sekiyanabemotsu⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

2023 spring op theme:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@k5_y4⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

https://x.com/kobutoriniki/status/1700509222080024790 (鮫編集後記)

00:01
この番組、心の砂地は、様々な文化や日常の気づきをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、しゃーくんです。 今回はですね、寺田さんがパパ活のためお休みをいただいております。
ということでですね、ゲストに来ていただいております。
ポッドキャスト番組、上京ボーイズのこぶとりさんです。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。上京ボーイズという番組をやっております。こぶとりです。 皆さんよろしくお願いしまーす。
お願いします。
えっと、こぶとりさん。なんか知らんけど、こぶさんって呼んでるんですけど、僕は。 全然、こぶさんで。
上京ボーイズ2人でやられてて、こぶとりさんと尾道ミントネスさんと一緒にやられてるんですけど。
そうですね、2人で。尾道ミントネス。 これね、あの
心の砂地のリスナーさん、どれだけ上京ボーイズ知ってるよって方いらっしゃるかわからないですけど、僕の相方のね、尾道ミントさんが、尾道ミントネスっていうちょっとこう、ちょっと
かわいく出してるっていう感じなんですよね。 うーん、ちょい癖なんだな、あれ。尾道ミントネス。
それをまあ尺さんが今、モノマネされてるということで。 そうそう、怒られるまで多分やるんですけど、ミントさんがこぶさんって言ってるんですよ。
こぶとりさんじゃなくてね。はいはいはい。 あの、こぶとりで出会った人はこぶさんって呼んでるの?そんなことない?
こぶさんがこぶちゃんですね、基本。 あー、こぶちゃんの場合もあるね。
なるほどね、こぶとりと名付けたらそうなんのか。 そうですね。これあの、本当にペンネームなので、たまに本名ですかって聞かれるんですけど。
いや、おかしい奴と喋ってる。 いや、本当に。何回か聞かれてるんですけど、これあのペンネームなので、皆さん安心してこぶとりと呼んでください。
はい、別にディスとかそういうわけでもないからね、こぶとりとみんな呼んでますから。 まあこぶさんと今日はやっていきたいんですけども。
一応僕とこぶさんが同い年なんですね、91年生まれ。 そうなんすよね、91年で2人とも上京してるということで。
うん、そうね。こぶさんは高知でしたっけ、出身は。 僕はそうですね、高知出身、生まれも育ちも高知って感じですね。
僕は京都で大阪出てみたいな感じなんで、まあ西日本から東京になんだろう、しかも大学から東京に出てないっていうのもまたこれ一つちょっと違うっていうのがやっぱあってね。
そうなんすよね、そこを多分おいおい喋ると思うんですけど、社会人になって僕東京に出てるので、ちょっとね友達がいないとかそういう
特殊な環境下でいたっていうのがありますね。 そうね、なんかその辺もいろいろ同じようなところを見つつ、タイミングは全然違うし、
03:06
全然違うコミュニティで育ってみたいな感じなんで、せっかくなんでちょっと同い年で同じぐらいにポッドキャスト番組を始めていて、これ見てないか。
状況ブースも同じぐらいに始めてるもんね、コロナのちょっと前っていう。 そうですね、2020年の2月に初回配信してて、
男2人で、しかも関西というか西の方出身で、カルチャーとかね生活の話してるっていうことで、兄弟番組みたいな感じなんですね。
こんな感じでちゃんと話すに3年かかるんやって驚きあるけどね、こういうふうにいろいろ共通点喋ってたらね。
これはですね、僕たちがあまりこう、ポッドキャスターの方と繋がったりとかないんですけど、
シャークさんがこう、持ち前の社交性で唯一ぐらい仲良くしてくださってて、 こういう場に出していただいた感じなんで、
今日はね、頑張って喋っていきたいですね。 いや僕も嬉しいんで、ちょっとねせっかくなんで、
こぶさんのね、これから出会う人とか、ポッドキャスターリスナーたちに向けてね、取扱説明書というかね、
ああこういう感じで来た人なんだみたいなことが知れたらいいなと思いつつ、
あともう1個の目標としては、今回はその10年代、 ざっくりですね、2011年、2016年、2019年とね3つの山に分けまして、
それぞれ私たちが、まあ主にこぶさんの話聞きたいなと思ってるんですけど、 どんなことをしてたのか、どういうふうに社会を見てたのか、どういうふうに生きてたのか、
みたいなことをちょっと改めてね、なかなかもう振り返ることもないんで、 ちょうど10年前ぐらいのことって。
だからそういうことを、まあ僕たちだとちょうど20代を過ごした期間というかね、 感じになってくるので、その辺を改めて早めに振り返っといてね、
良い30代、良い2020年代を過ごしていこうじゃないかという目論みで、 今日話していこうかなと思っております。
じゃあまずですね、いきなりなんですけども、2011年、 私たち、91年生まれなので20歳。
20歳ね。 はい、だったんですけども、まあおっきいね、やっぱ2011年って言うとやっぱどうしても ちょっとショッキングなお話から始まっちゃうんですけども、
東日本大震災の年というのがやっぱイメージはあるかなというふうに思っていて、 例えば震災の時のことって覚えてる?
震災の時のことは鮮明に覚えてて、 当時その東日本と西日本で勘違いが全然違かったと思うんですけど、
これは本当そうなんだよね。 いやめちゃくちゃやっぱ違うなと思ってて、
西日本の人たちは、まあ人によるとは思うんですけど、 報道ベースなんですよね。
うん、本当にそう。 で、僕は友達と実家で宅飲みっていうあんまりやらないイベントをしてて、
06:03
何やってんだよ。 生まれ育ったリビングで友達と酒飲んでたんですよ。
両親もそばで見ててみたいな。 で、テレビつけたらすごい津波の映像とか、
やばいことになってるっていうのを、なんかこう酔った状態で見て、 でも未だに鮮明に覚えてますね、その映像とかが。
そうねー。僕もやっぱりその時は、 同じように僕も大阪の大学生で、
でも似たような感じだな。なんか先輩とライブに行った帰りとかだったんですよ。
おー、はいはいはい。 ライブ終わったんだったかな?
行く途中だったのかちょっとどっちか覚えてないんだけど、 車のカーナビで見たんですよ。
カーナビについてる車で。 家みたいな。っていうのはすごい鮮明に覚えてて、
東京っていう街が含まれてるのもあるし、東日本に。 なんかすごく、もちろん僕もすごいショックを受けたし、
あの時以来で、なんか社会のいろんなものが変わったっていうか、 っていう感覚もしてるんだけど、
ちょうど僕たちが20歳で大人になっていくのとクロスしてるから、 そこが明確に震災っていうもの以前以後なんかっていうのはちょっと判断しにくいんだけど、
世界変わったなっていう感じもありつつ、 やっぱでもどうしても西日本にいた自分としては、
例えば計画停電とか、そういうのってすごく、 本当にこれはあんまり良くないなと思うんだけど、
遠くのことの感覚があった。 それわかる。極端に言ったらもう海外のニュースとか、
ファンタジーじゃないけど、 なんか本当に起きてるんやけど、身の回りの人で被害食らってる人もいなくて、
東京とかに来て、この震災の話をしたら、 揺れてるとか、
電気止まってるっていうので、すごい刻み込まれてるなって感じする。 電車が止まってて歩いて帰ってみたいな感じで話される方が多いよね。
やっぱこっちで体験してる人っていうのは。 もちろん首都の東京が
入ってるっていうのもあって、すごく報道とかもあったし、 すごく実感ベースで
震災ってものが社会に引かれたなっていう感覚があったんだけど、 この後もさ、例えばその震災からの立ち直りであり、震災の時に起きたことっていうのを
元にした作品であったりとか、 それに対してのアクションであったりとか、当時だったらバンドとかもさ、結構いろんな人が
アクションしたりとかあったけど、どこかで そこに実感を持ててない自分っていうのがずっとあり続けたっていうのが僕の
2011年から14年ぐらいまでの、なんかずっと心の中にあった感覚みたいなのあって。
09:04
いやこれはね、すごいよくわかるよね。 やっぱその
なんていうか、学校でめちゃくちゃ意識が高くて、 ボランティア活動をしまくってるとかっていう友達は
東北にボランティアに行って、 帰ってきてその話をこうしてくれたりとかあったけど、
なんか自分たちにとっては好きなバンドのツアーが東北がめっちゃ多くなったなとか、 なんかそれぐらいのリアリティーしかなくて。
でなんか、なんていうかな、東京の一極集中がなくなるとか、そういう予想もあったけど。
まあそんなことはなかったしね。 いやそう、何言うかんやん、めっちゃ東京人おんなって感じだし、いまだに。
そこは全然東京というかね、東京を含め東京周辺のものに、 日本というものが集まっていくっていう感覚は正直、
まあ住んでいる自分としても、やっぱりそこは変わらなかったなぁと思うし。
あとはまあ明確に、それこそちょっと震災から離れるんだけど、 僕もコブさんも音楽が好きで、コブさんも結構大学の時ぐらいから
ロックバンドのライブ行ったりとか、そういうのはあったって。 そうなんですよ、ちょっとこのシャークさんとテラダさんってね、めちゃくちゃ音楽やってきた人の
ラジオで語るのあれなんですけど、僕は結構あの ライブに参加するのが好きな音楽好きっていうか、ライブキッズなんですよね。
で、もともとミスチルとかクルリーとか好きだったんですけど、 大学の時に結構メロコア好きな先輩とか友達に誘われて、
最初はサンボマスターのライブだったんですけど行ったのが。 そこから徐々にいろんなゴリゴリのメロコアのバンド、
ダストボックスとかシャンクとか。はいはい、当時ね、オーバーアームスローとか。 いやすごい、これ僕オーバーアームスローマジで好きなバンドで、これを人様のラジオで言う日が来るとは思わなかったな。
僕はノーザンナインティーンとか好きだったね。 ノーザンナインティーンも、今リスナーさん皆さん頷いてると思うんですけど。
あったあった、その辺のメロコアがやっぱブームだったの。やっぱ、系音楽部にいたから。 そういうので、ライブにすごい行くようになって、よりこうハードな音楽とかを聞いたり、ライブに行き始めるっていうのが、ちょうど僕も大学2年とか、20歳ぐらいからですね、行き始めたのかな。
しかし、メロコアのバンドってすごく地方でもめちゃめちゃ回るし、本当にいろんなところでライブをするし、特に西日本はメロコアのシーンがもともと強いっていうかね、そっちの人も多かったりとか。そういう系もあるのかなーとか思ってて。特に四国とかはやっぱメロコア好きな人多かったなっていう印象があるんですけど。
やっぱそうなんや。 うん。やっぱり大阪に、あの辺の人だとやっぱ都会に出ると大阪に出てくることが多くて。そういう人たちと大学で一緒になったんだけど、四国勢はやっぱりメロコアとかが好きだった印象がある。 へー、そうなんですね。
12:11
そうそうそう。まあなんかやっぱり地の、それぞれあるライブハウスが強かったりとか、その辺の色もあると思うんだけどね。で、まあまあまあ、そんなんで。あと同時にさ、あのフェスが、サマソニー、ロッキンとか富士とかしかなかったのが、地方のフェスっていうのが増えたりとか。
そうですね。なんかこう、大学生の一番のエンタメはフェスか海外旅行だったかなと思うぐらい、やっぱこうみんな行きたがってたし、周りの音楽好きとかは。僕たちで言うと、えっと香川でモンスターバッシュっていうフェスだったんですけど。
そろそろメロコアばっかりのね。そうそうそう。マキシマム・ザ・ホルモン、10フィートモンみたいな。で、それにこうみんな刑に乗って下道で時間かけていくみたいな、そういうのをよくやってましたね。
いやでもその感じすごい、天然大前半感というか。わかるわかる。他で、本当に、まあそういうのもありつつ、同時になんか東京、僕は逆にそういうフェスっぽい広がり、まあ言ったらパンク、メロコアみたいなのも、まあ横でありつつ見つつ。まあそんなライブに行ったりとかは、誘われて何回か見たかなぐらいなんだけどその辺も。2011年とかってAKBとかがすごい時期でもあったんだけど。
すっごかったっすね。みんななんか、誰推しとか、ワークショッカー行ったみたいな話してましたね。
そうそうそう、それこそまあパフュームぐらいからちょっとアイドル的なもん、ありになってきたんだよね。この時、メロコア好きで、パフュームも好き、モモクロも好きなんて、ちょっとまだありえなかった。多分前半の段階だったら。
たぶん僕的にはモモクロの紅白、2012年の松野紅白とか、その次の年に第一期ビスとか電波組がガーンと聞き出したりみたいな、が多分2013、2014あたりなんだけど、この辺でロックバンドとか行ってた人が急にアイドルにガラッと転ぶっていう現象がボコボコ転り出すんだよね。
確かに、DJイベントとか行ったら、電波組とか結構かかってた、ロックのやつで。 日本のロック系のDJの人が、富士ファブとかの後に全然、そういうアイドル系の曲ガーンってかけるみたいなのが、全然あるし、違和感なくそれでも盛り上がるみたいな。
そういうのもあって、僕はそのハロプロがその辺で好きになって、こっそり。 初めはAKBが好きだったんだけど、AKBのうんぬんかんぬんで嫌になって、ちょっとメジャーなもので好きだなっていうところにモーニング娘。がコンと入ってくるみたいな感じだったかな。
あー、言ってましたよね。道重さんの結構姿勢とか、言ってることに引かれるみたいな。 そうそうそう。が、2012、3ぐらいかな?
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とかで。 じゃあ大学、まあ卒業間近ぐらいの時。 そうね、3年4年ぐらい。 じゃああれですか、うつうつとしてたんですか、その時は。 うつうつとしてて、何がやりたいかわからんくなってる時に、ガンと入ってきちゃったみたいな。
なるほど。じゃあ、失恋した時に優しくしてくれた友達みたいな。 いや本当にそうそう、周りもそういう人多かったし、それぞれ、まあそれこそパンク系の人多かったんだよな、そっちに。ピュアな人が多いから。
急にガラッと。だし普通にね、当時は特にやっぱ初期ビスは、やっぱ普通にハードコアのパンクとか、ハードコアの格好をしてて、ビスの現場にいるみたいな人めっちゃ多かった。なんかああいうパンクのDI1感と、当時のああいう地下アイドル的な流れから出てきたアイドルみたいなのが合致してたみたいなのもあって。
なんかね、僕はちょっとそっちの感じはあんま乗れなくて、今もちょっとバック系のアイドルってどっちかっていうと苦手なんだけど、当時のイメージからちょっと引きずってて。苦手なんだけど、もうちょっとメジャーなもんとかで、とかAKB嫌だな坂道もんって感じの時に、やっぱハローがガンってきちゃったっていう感じだったかな。
なんかそこ結構意外な感じあって、それこそハロプロってメジャーアドで言ったらもう日本代表するというか、結構ロック文脈にもあんま近くなさそうなんですけど、何が良かったんですか?惹かれたというか。
たぶん音楽的にはこの時ぐらいから本当に僕はもっとパンクっぽいもの、ロックっぽいものが好きだったんだけど、だんだんちょっとこう、それこそ東京インディー、セロでありシャムキャッツであり昆虫キッズでありとか、そういう東京のおしゃれなインディーバンドとかが出てきたときに、なんかその人らがどっちかというとロック、イギリスっぽいロックっぽいものしか聞いてなかったんだけど、どっちかというとその東京のおしゃれな人たちがアメリカ志向だったんですよ。
で、ロックっていうかなんかフォーキーなものとか、あともっとこれがもうちょっと年が経ってくるとブラックミュージック傾向になるっていうか、なんかそれでブラックミュージック的なものが好きになって、ヒップホップも後に好きになるんだけど、一番いろんなアイドルの曲聴いた中でブラックミュージックテイストが濃くて、でもアイドル歌謡になってて独自の進化してるのがモーニング娘。だった、ハロープロジェクトの曲だったみたいなのがやっぱりすごいあって。
なんかやっぱりスンクの曲にやられたっていう方が先かもしれないね。
すごいですね。そこ、進化してるんですね、やっぱ。
うん、なんかそういう感じも当時の自分にはすごくヒットしてたね。うんうん、そんなこともありました。
これ、次2016年の話するんだけど、この辺ぐらいでもうちょっとこう、やっぱり震災以降っていうか、それこそミュージシャンとかも、
例えばアジカンのゴッチとか、ブラフマンのトシロさんとかも、震災以降の社会のあり方とか、すごくもっと社会的なアクションをしないとダメなんだみたいなことをMCとかで言うし、
18:07
なんかそういう方向にすごく寄っていったっていう印象がすごいあって、なんかそこに僕もすごく、例えばトシロさんとかゴッチがめっちゃ好きなわけではなかったんだけど、
やっぱ魂としてはロックバンドの人だと自分は思いたいというところもあったから、ロックバンドこうあるべしみたいな。
なんかそういう社会活動みたいな方向とか、そういうことにもっと関心を持っていこうみたいな。
考え方になったのもこれぐらいの時期かな、2011年からだいぶ離れてますけども、14年、15年ぐらいになるかなっていう感じだからね。
2014、15って言うと、大学卒業して就職してるぐらいかな。
ぐらいかな、そのちょい前ぐらいかな。大学生後半ぐらいからそういう意識があって、みたいな感覚があったかな。
し、なんか当時って、これこそ多分、こぶさんのキャリアとかにも繋がってくるかもしれないですけど、いわゆる意識高い系みたいな言葉が出だすぎりぐらいかなっていうか。
なんかその、何がかっこいいとかそういうんじゃなくて、こういうことが正しい、こういう考え方があって、その考え方で世間の見え方全部変わるよね、みたいな。
そういう社会との接点みたいなのも考えてたな、みたいな感じはあるかな。どうですか、その辺は。
この辺で当時、やっぱ就職後で仕事し始めたら、やっぱこう仕事の悩みとか、こういう改善したいなとか思ってるところに、ちょうどやっぱホリエモンとかがドンズバで来てて、
で、そういう自己啓発文脈に自分も含め巻き取られていくっていう人は結構多かったのかなと思いますね。
やっぱ多分俺らの時ってやっぱ就活だよね。就活をきっかけになんか変わっちゃったみたいな人もいっぱいおらへんかった?そんなことない?
いや、本当にそうで、花束の麦くんみたいな感じでこう。
ああいう子多かったよね。
そう、やっぱその、僕たちの同世代が花束の麦くんの変わりぶりをすごい言ってるのは、たぶん体験してるし見てるからだと思うんすけど、身の回りで。
やっぱ多くて、なんだろうな、やっぱシンプルに就職が難しかったと思うんですね。
そんな、なんていうかな、希望のところにガンガン行けるような時代でもないし、堅実な友達とかは公務員になるみたいな人も結構多くて、
で、民間受けまくって僕もすごい落ちてて、やっぱ絶望だったんですよね。
で、頑張って内定取って仕事し始めたらし始めたで、割とブラックっぽいところも多分多かっただろうし、僕の働いてるとこは結構ドブラックだったんで、
21:09
こんだけ辛い思いして内定取って働いてるのに、なんでこんな辛いんや、みたいな感じで、そこの、なんていうかな、歯車をうまく回すために自己啓発とか、
そういう意識高い油みたいな注いで、うまく回そうとしてたのかなって気がしますね、振り返れば。
そうね。なんか次のやつとして2016年っていうところで、なんかこの辺で多分一家落ち着くんだけど、
いわゆる今までずっとあった体育外全都市としてはブラックな、ブラック企業等々はもちろんあったけど、それが全然曲がり通ってたっていう。
曲がり通ってましたね。
で、2015年に高橋まつりさんがデンツーのね、亡くなったっていうのがあって、同い年じゃなかったかな?
いや、近かった。
うん、確かそんなんだったと思って。
あそこで社会の何かが変わったな、みたいな感覚が多分あった。
すぐ会社が変わったというわけじゃないけど、分岐点にはなったなと思っていたりもした感覚があったな。
当時そのデンツーの過労自殺みたいな事件が出る多分数ヶ月前ぐらいまで僕デンツーと仕事してたんですよね。
で、その当時の空気感っていうのはもうマジで昭和体質っぽい。
本当に朝から晩まで働いて、夜は飲みに行って、次の日二日酔いできて、でも頑張るみたいな。
っていうのがまだギリギリ残ってた問題で、僕はそういう仕事を辞めて、同期とかに久しぶりに会って喋ると、もうやっぱそのあの事件まであったねっていう話をみんなしてますね。
そうねー。
だから俺ら世代って多分就職してすぐのめっちゃ昭和みたいな、意外といいとこ行った子の方がめっちゃ昭和みたいなやつを大企業で喰らって、2年ぐらいで辞めて、
それこそ情報詳細的なんとかメルマガブームブログブームみたいなんとかで、何してんのかなーみたいな感じで連れて行かれちゃったみたいな子もいたなーみたいな。
なんかその印象もあって。
完全にそうで、当時2016年ぐらいに、すごいちっちゃいブームなんですけど、ブログブームっていうのがあって、
これ何かっていうと、ブログで記事を書いて、個人でアフィリエイト収入とかを得て、それで食っていくみたいな、今でいうYouTuberみたいな感じなんですけど、
それが結構走りだったんですよ。2016年あたり。
で、そういう記事とか読むと、満員電車の中に乗ってるやつ、消耗してるし、どうせ仕事できないだろうみたいなこと書かれてるわけですよ。
24:06
それは僕が満員電車で呼んでて、めっちゃ俺やんけみたいな。
っていうので、仕事もすごい大変だったし、辞めて、何の後ろ盾もなかったんですけど、そのブログで食っていくみたいな。
急に会社辞めて、俺はバンドで売れるって言ってるような人と一緒だと思うんですけど。
っていうそういう無謀なチャレンジを、僕個人のキャリアとしては2016年の6月ぐらいに決断して、仕事を辞めて、コーチに1回戻るっていう感じですね。
ああ、そうね。1回コーチに戻ってるんだもんね。どこまで聞いていいのかなと思うけど、あの池田ハヤットのさ、まだ東京で消耗してるの?
ああ、マスターピースね。
で、こんぐらいの年だよね。
いやもう完全にそうで、池田ハヤットっていう方がいて、今もいるんですけど。
いるんですか?
いますよ!
これね、やっぱその当時のネットを毎日炎上させてたような、インターネット芸人の、ちょっと元祖みたいな人がいるんですよ。
池田ハヤランドね。
で、池田ハヤっていう相性でやってて、その人は都会なんて人がいっぱいだし、人生消耗していくだけだからって言って、
何の縁かわかんないですけど、コーチに住んで、で、そこでブログで稼ぎながら、会社にも属さない、人間関係でも悩まない、
悠々自力な生活を送ってますみたいなメッセージをすごい発信してたんですよ。
で、僕は結構もうそれにやられて。
ああ、池田ハヤランドに。
そう、池田ハヤランドに行って、池田ハヤランドっていうのは山奥の、よくわからない土地なんですけど、
そこで土耕したりしてましたね。
そこまで行ってたんや。
行ってましたね。で、やっぱそのブログでめっちゃ発信して、なんか池田ハヤさんに会いましたみたいな。
これからブログ頑張りますとかって、その旧ツイッターでツイートしたら、池田ハヤさんからこうリプライをもらったりとかっていうのをやってて、
で、やっぱその地元の友達とか見てるわけですよ、Facebookとかで。
うん、繋がってるからね。
人生変えるみたいな。
で、なんかその夜中電話がかかってきて、なんかお前大丈夫かと。
なんか頭おかしいなったんかみたいなこと言われたんですけど、やっぱなんかもう俺はこの道で行くって決めたんやっていうので、
なんかもう電話切って、もうそのことをブログに書いてすごいディスったりとか。
あいつはわかってないみたいな。俺は人生変えるんだ。
激盛んな、もう完全なあの頃の兄ちゃんいた?そういう兄ちゃんいたよ?
今で言う多分陰謀論者とかそういうのとメンタリティ一緒だと思います。
27:03
いやでも、そっ時にさ、本当にこの後ぐらいに結構エグい情報詳細とか出だすでしょ?その辺界隈で。
そこまでいかんくてよかったね。ある程度言ってる?それが。
情報詳細は僕買ったことなくて、でなんか情報詳細ってなんやっていう人もいると思うんですけど、
このファイルを買えば月100万稼げるファイルみたいなのが50万とかで売られてるわけですよ。
一撃50万ね、僕たちの好きな言葉で言い方で言うと。
一撃50万。
これコブさんと僕の会話で出てくる。
ああそうっすね、合言葉一撃50万。
で、それを買っても稼げないから、買うけど稼げなくてでもインターネットでは稼げてるっていう偽の発信をして同じようなカモを釣っていくみたいな。
そういう地獄の様相が繰り広げられてたんですけど、それはやっぱちょいちょい言いましたね、ブロガーの中でも。
実際にそこに金出して買って、もう本当は何も回ってないからどういうふうに生活してるのかわかれへんけどみたいな。
めっちゃいて、で僕自身は多分何かのボタンの掛け違いがあったら全然買ってたと思いますね。
それがまあ始めたのが2016年、25歳か。
そうですね、これくしくも25歳、その時ですね。
おっか、それでまあ高知には1年ぐらいいてみたいな、再高知時期みたいな感じか、2016年。
就職して転勤して東京行ってたんですけど、帰ってきて、で実家に住んでブログを書くみたいな生活をしてて。
まあやっぱ周りの人的には相当イカれちまったなって感じだったと思いますね。
自分としては結構その、まあ欠奇さがあんだね、やっと好きなようなみたいな感じで、自分自身は楽しかったんじゃない?どうなの?
いやーめっちゃ楽しかったっすよね。
なんかこのブロガーとして記事書いて稼ぐが楽しかったっていうよりは、なんかこう一つのコミュニティーがあったんですよ。
僕と同じように新卒数年で消耗して、高知の山奥とかに住んでブログで稼ごうとしてるっていう同世代が結構いたんですよ。
で、そういう人たちと一緒にすっごいボロい小民家借りて、一人もう月5万くらいあったら生活できるっていうようなので、なんかこうお互いの記事読んで褒め合ったりとか、頑張って稼ごうねみたいな感じで、
まあ結構青春という青春でしたね、僕にとっては。
そっかそっか、その時の青春的な感じはあったんやね。
30:02
これちょっと待って、相当やばい、なんか宗教を脱海した人の内部の話聞いてるみたいになってるな。
いやいや、でもね、そんな悪いことしてたわけじゃないからさ。
いや全然、そうですね、なんかネットでこう言ってたぐらいですね。
うん、まあ当時そういうアフィリエイト収入でね、多少そういうふうな、もしかしたらこれだけでいけんちゃうんかみたいな、で実際いけてる人もいたしね。
あーいましたいました、全然、月100万とか。まあでも本当に、めちゃくちゃ上位1%とかですね、そういう人って。
ほんまにね、なんかいたし。でもなんか僕は、そういう人も見てたけど、僕はもうなんか、この時ぐらいから他のバンドとかに入りつつ、まあどうしよっかなーみたいな、めっちゃ将来の不安はあったんだけど、
やっと社会のエンタメが僕たちの好きなものが出てきたみたいな感覚があって。
あー、はいはい。
そうそう、2016年に逃げ恥が10月期に始まってたりとか、あとまあフリースタイルラップブームっていうのもこの時ぐらいにあったり。
いやーこれは、今でも流行ってますからね、フリースタイル。
まあまあ今でも、でもこの時やっぱ初めてだったじゃん。まあ高校生ラップ選手権があって、フリースタイルダンジョンがあってみたいな。
はいはい。
僕らとしてはアメリカの音楽とかも、いいなーと思うものはありつつも、ほんまに流行ってるものに全然コミットできてなかったんだけど、
この辺ぐらいから、一番尖ったものが自分の欲しいものと合致するみたいな感覚が、ずーっと生きてきて、
社会で流行ってるものと自分が好きなものが一致しなかったのに、やっと一致しだしてきてて。
うーん。
で、同じように周りでも、まあ僕みたいに、来学留年したり卒業したけどフリーターしてたりみたいなやつばっかりだったんで周り。
みんなそれぞれやりたいこととか、まあ今はまたそれぞれの道に行ってるけど、っていうやつらばっかりで集まってて、
現状はマジでフリーターもしくはニートみたいなギリギリのやつらしかいなかったんだけど、
エンタメがあまりにも楽しすぎて、これ聞いたか?みたいな。
あー。
こないだのある見た?みたいなのがめっちゃ楽しくて、だから結構似た状況っていうか、そのエンタメ地獄沼にいただけで俺らは。
ははは。いろんな地獄にハマってた。各自然。
そうそうそう、エンタメ地獄沼にあっただけで、もうめっちゃフランク・オーシャンのシンプルやばい。
あー。
そういうんとか、あと映画とかもまあ、君の名はとかシン・ゴジラとかこの世界の片隅にとかこの都市ですけど、
なんかまあ、そういうちょっとメジャーで流行ったもんと全く関係ないっていうよりは、ああまあこういうもんがあるんだねみたいな。
面白いと思ったのかはまた別として、なんかそういうエンタメとやっと接点が僕らに出来だしてきたみたいな。
じゃあ僕らどうしようかってなったらすごくズンと来るもんあったんだけど。
いや何しようかなみたいな感じの不安は急にあったけど、でもこういうことがしたいとかこういうことを考えてるみたいな、夢を語ることみたいなのはすごくこの時期にあったし。
33:03
なんかでもね、ココスナで話してるような会話みたいなんとかを先輩とか友達とかとしだした原型みたいなのはここにあったかもしれんっていう。
じゃあこの2016年、僕たち25歳の時に、今の活動の原型が生まれたってこと?
原型はね、僕できたと思う。
この時に完全に、まあ僕もこんでくらいに就職しだして、そんな感じで、もんもんとしながら劇味に追われながらみたいなのが2017、18みたいな感じだったかな。
こぶさんはその辺で、もうその、みたいなところから。
おい、待て待て待て待て待て。
これ絶対言っちゃダメな例えしたね、この言葉。
まあちょっとね、みんなでシェアハウス暮らししてたとこから、コーチで僕すごい発信してたんで、なんかこうある時に、しっかり実力のあるマーケターみたいな人と話して、
なんか君このままヤマホックで稼げもしないブログ書いて年取ってっていいの?みたいに言われたんですよ。
確かに言われてみれば楽しいけど、月収7万ぐらいやなみたいな。
で、そこから本腰入れて、その記事書くっていうのを仕事にしつつ自分のブログもやるみたいな感じで、しっかりやり始めたのが2017年ぐらいかな。
ですね。で、個人で会議をとかもして、ブロガーというかライターとしてもやっていこうかなみたいな感じで、今のキャリアにつながる出発点ですね。
商業的なライティングをたまたまそういうマーケターの人とかに拾ってもらって、学びつつできるようになったみたいな感じだったよね。
そうですね。最初は何か見ず知らずの少年だったんですけど、結構暇なんですよね、みんなフリーランスって。
でまぁ多分ちょっと頑張ってたんで、面倒見てやるかみたいな感じで拾ってもらって、詰められながら。
俺はテレビ局辞めたのに何で詰められてるんやろ?他の他人にともやらない。
記事を書いてて、でちょっとずつ軌道に乗り始めた時に、教えてもらってた人がもう俺は県外、関東に行くみたいな感じでいなくなっちゃうんですよ。
で一人でやってたんですけど、さすがに無理だなって思ってた時に千葉県で同じようなブログ向けのサービスをやってる会社があって、そこが求人だしてて、
なんかこうちょっとシャークさんに似てるんですけども、停滞感もあるし、これは居場所変えて環境変えたらなんか伸びんじゃね?と思って、千葉のそのウェブベンチャーに就職してやってきたと。
多分俺2017の同じぐらいかも。後半とかに来たかも。 マジ?なんかマルチバーストかこれ。
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マルチバースト。 繋がってる? 今思ったら多分そうだな。 うん。 マジか。同じような。
まあしかもね、僕も激無で止んでみたいな感じ。 割と似てる変遷も。 いや本当にそう。
いやーそうですよ。2017の10月に来てる俺。 あー全く一緒だ。全く一緒だ。
僕覚えてて、その当時宇多丸さんがやってたDJイベントに、その来て2日目で行ったんすよ。
満喫してるな、東京。 そうそうそう。その時のフライヤーの写真見たら2017年の10月8日って書いてるんで。
完全に合ってるわ。 同じタイミングでシャークさんは東京、僕は千葉の方に屋上していくわけですね。
そうそうって感じでした。 じゃあちょっと最後の2019年、令和元年。私たちも28歳。
はいはい。 どんな感じでしたでしょうか。もうこんぐらいになるとそんなに、もうちょっと前のことやもんな。
4年前か。 うん。だからコロナ前何してたみたいな話になっちゃうよね。
僕はその17年に就職したベンチャーを、2年くらいで退社して、もう一回フリーでやってみるかみたいな。
それは、なんか千葉県でまだ証文してるの?みたいな感覚になったって。
あれだ、俺学んでない?人生同じことを繰り返してるやん。 いやいや、もう退職ってなるとね、いやどうだったかなって。
よぎりますけど、池谷さんが。その時はいろんななんかウェブライティングとか、あとはその関係性もいろんな人とできてきて、
もう一回こう自分一人でやってみようかなみたいな前向きな感じで退職して、
それが2019年の6月ぐらいなんですけど、そっから神奈川に引っ越しして、でも完全にもう自分だけでこうやってて、
今って感じで。 今に至るみたいな。じゃあそっからは仕事も変わってないし、キャリア的には一番続いてる感じだもんね、そっからだったらね。
いやーびっくりっすね。そうですね。まさかこんなに、もう営業メールしか書いたことなかった自分が文章で、こんな何年も食ってるとは思えない。
これからのことみたいなのは今日は話さないんだけども、やっぱでも20代ってなんだかんだ僕はきつかった覚えしかないんよね。
20代きつくなかった?そんなことない? 難しいな、それは何がきつかったって感じ?
20代っていうだけですごい焦らされてる感じがめっちゃあった。 し、それになんだかんだ僕はめちゃめちゃ踊らされてたと思う。
39:04
関係ないし自分の好きなことやるぞっていう気持ちなんだけど、 なんだかんだめちゃめちゃ社会とか他人の目っていうのをすごく
気にしてたんだなっていうのがめっちゃある。 そこが自分の考えとかこうしたいっていうことを確立するための準備期間って言ったら聞こえはいいけど、
30代本物になるまではしんどいことの方が多かったかな。 っていう感覚になっちゃう。20代いいこと一個もなかった。
言いそうぐらい。じゃあ今は割と整ってきたっていう感覚はある? 整ってないんやけど、整ってないんやけど、
20代よりは全然いい。 ああ、それは
なんだろうね、やっぱその結構仕事をてんてんとしたとか。 うん、それも全然あったと思う。
生活基盤とかっていうのが結構あるかもな。 そうそう、基盤がやっぱできてなかったしね。
やっぱ好きなことしようみたいなところのハードルってやっぱあるんだよね。 そこに行くまでの基盤作るためには体力がいるっていうのがさ、
学生時代とやっぱそこが大きく違うとこで。 2年3年働いたら作れて好きなようにってできる人が、僕の場合やっぱ10年かかったんだろうなっていう感覚かな。
だから10年遠回りしましたって感じです。 でも俺はそれ良かったと思ってる。
これはすごいシャークさんに同意で、 僕もストレートに生きてたキャリアではないので、
マジで回り道しかしてないなって思うんですよね、これ。 でもさ、なんか回り道してる人の方が俺おもろいねんな。
正直これは、回り道してる人にしか出会わんくなってくるっていうことの裏返しではない。
新卒で大企業入って、ちゃんと金属してますみたいな人に出会わないんですよね。 いや、出会わんくなっちゃうんだよな。
自分としてはやっぱあれを良かったとしちゃうとダメなんじゃないかと思って、 俺20代以降となかったって言いたくなっちゃうんだけど。
でもめっちゃ楽しかったことも本当事実だし、 自分の無力になってるところが、
やっぱその回り道中にあったことであり、悩んだことでありっていうことが すごい大きいなって思えるようにはなっていてね。
っていう感覚があるんですけども、僕は。 結局最短で走ろうとしても難しいし、
なんかどっかでポキって折れちゃうんやな。 いや、折れるし、えぐい話で折れる人も見るやん。 見る見る。
もうちょっとこの人に回り道の仕方を知ってたらちゃったんちゃうんかなって 結構僕は本気で思っちゃうっていうか。
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それやっぱめちゃくちゃあるな。 そこの回り道力というか、
やっぱそれこそ円溜めとかそういうものを食べてると誓われるじゃないけど、
まっすぐ会社でうまくいかなかったとしても、 何とか頑張ってる主人公がいるとか、
社会のはぐれ者みたいなライブハウスで割と楽しんでるおっさんがいるとか、
なんかそういうのの蓄積で、意外とそれでも生きていけるんじゃないかなっていうので、
今まで来れたかもしれないですね。 うーん、それはあるかもしれないな。
島なんかさ、本当にコスパコスパみたいなよりさ、 派手に時間無駄に使うみたいな。
これは無駄っていう言葉か、僕はポジティブな意味で捉えてるから言ってないけど、
派手に無駄に時間使うみたいな、そこがいいよねみたいな話をちょっとしたくて、こういう話をしたんだけど。
いやもうそうですね、僕はハンター×ハンターのジンっていうキャラクターがいるんですけど、
主人公ゴンのお父さん。 お父さんね。
ゲームの中にいると思ったら、おらんのかい?みたいな。
グリードアイランドね。 おらんねんな、ゲームの中。
行ったらおらんって言うんだよな。
いないんですよ、ふらっと出会うんですけど。
ジンが道草を楽しめっていうのを言うんですよ。
その過程にこそ楽しさがあるみたいな。
読んだ時は、は?みたいな感じだったんですけど、
今振り返ると結構わかるし、このシャークさんとこうやって話させてもらって、
改めて振り返ったら、マジで道草ばっかり。
だけど、そこで拾ったものが結構今の生活の原型になってるし、
良かったなと思いますね。
そうねー。
これはすごくジェンダー的な問題っていうか、
男性にどうですかみたいな話すると、
仕事の成果の話しかされへんみたいな問題。
それすごい思うんですよね。
みんななんか、昨日見た動画の話とかミーティングですればいいのになって思うんですよね。
僕は豊かさだと思ってるんだけど、そういうことが。
だしなんかそれってコミュニケーションじゃないやんか。
何をやった何をやったのかましあいって、それ会話してないなって。
あー確かに、そうだな。
もしかしたら本当にそういうふうに男同士の会話って、
それが会話だと思っちゃってる人って結構多分いて、
僕も多分そういう部分があって。
そういうのってあれだなぁと思って、
どんどんこういう無駄な会話をね、素敵だっていう発信をしていって、
そういう価値観が普通になったらいいなっていうのが、
僕のね、野望っすね。
いやめっちゃいいっすね。
ふんわり回り道とか、
僕自身もうまく会社にフィットできてなかった自分とか、
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いわゆる男性性で優位に立つみたいなのがすごく苦手だったんですけど、
やっぱそれゆえ、別の道を求めてたのかなっていうのは、
シャークさんの今の話を思ったんで、
同じようになんか辛いというかね、
なんかこう、マッチョにはなれないなみたいな人がいたら、
ぜひ聞いてほしいっすね。
なんかそういうヒントに、そういう人がなったらいいなとも思いますしね。
まあ今日はこんなところで、
いろいろながらお話しさせていただきました。
ありがとうございました。
状況ボーイズにも私がゲスト出演させていただいておりまして、
はい、シャークさんに来ていただいて、
サマーウォーズについて激論を交わしましたので、
サマーウォーズ激論とかね、いろいろやってます。
いろんな話してるんで、
それもぜひとも状況ボーイズの方で配信されるので聞いていただきたいですし、
今ね、コブさん目当てで聞いていただいてる人もいると思いますんで、
ここの人たちもぜひフォローと高評価をよろしくお願いいたします。
ぜひこれを機にね、いろんなラジオ聞いてみてください。
状況ボーイズのリスナーさんいらっしゃったら。
ありがとうございます。
はい。
ぜひぜひという感じでね。
それじゃあ今日はこんなところでありがとうございました。
ありがとうございました。
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