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はい、おはようございます。東京から淡路島に家族で移住して、ライターやブログ運営をしたり、コミックを直したりしているコバヤシです。
今日はゴールデンウィークの中で話すようなことじゃないと思うんですけど、憂鬱でなければ仕事じゃない、恥がなければ成長じゃないということで、
これはある書籍のタイトルを一部文字ってるとか、一つ引用しているようなところでございます。
今日その書籍の内容というか、言葉自体の、ちょっと僕の印象が少し変わった話と、最近思っている成長実感の話をしたいなというふうに思います。
今日タイトルの中に、憂鬱でなければ仕事じゃないという言葉が入っているかなと思うんですけど、これは講談社さんの方から出ている本ですね。
言動者の賢状徹さんと、サイバーエージェントの藤田さんですね。
本当に著名な経営者の方の仕事感というか、そういったものがまとめられている、結構厚い書籍の内容なのかなというふうに思います。
僕自身も、この言葉、憂鬱でなければ仕事じゃないという感覚。
今まで、この本まだ読んでないんですけど、仕事に対する感覚って、この丸3年ぐらいで、
少しずつ会社員を離れて、今丸3年経つんですけど、会社員の頃の感覚だったりとか、会社辞めて、子育てをしている中でのライフステージの変化による仕事感だったりとか、
その後に、今も子育てしてるんですけど、もうちょっと仕事に熱量を入れたいなというふうな感覚になるというのは、結構波があるというか、推移をしてきた3年間だったんですよね。
その中で、この憂鬱でなければ仕事じゃないという感覚は、正直最初、そこまではちょっと今キツイです、お腹いっぱいですみたいな感じで、
言葉を端的に捉えると、ちょっとしんどいなという、あまり受け入れ難いような言葉だったんですよね。ちょっとそこまで今働けないですみたいな。
会社員の時だったら別に良かったかもしれないけど、今子育てもしてるし、2歳4歳いて、そこまではみたいな感じだったんですね。
ただ、個人事業主をリーダーとして働いてきて、やっぱり仕事楽しいなって思えるようになってから、言葉の捉え方がすごくいいなというふうに捉えられるようになってきました。
県庁トールさんの言葉で、憂鬱でなければ仕事じゃない、憂鬱な言葉3つ以上ないと不安になってしまうという極論的な見解があるかなと思うんですけど、
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ちょっとこの後話す、恥がなければ成長じゃないみたいな、成長実感の話ってすごくリンクしていて、県庁さんは仕事している中で、憂鬱なことって何と捉えているかというと、
まさに成長だったり、今の自分のスキルだったりとか立場に対して、憂鬱なこと、楽じゃない仕事?楽じゃない仕事というか、憂鬱な仕事というか、
頂きが高い山みたいな、そういうものがちゃんと自分に今立ち向かっているのかなみたいな、そういうふわっと言うと、そういう感覚なのかなというふうに思うんですよね。
なので、そのシーンさえ汲み取れちゃえば、なんかすごく共感するなというふうに僕も思いました。ちょっと僕も文字面だけで判断していて、憂鬱という言葉そのものが憂鬱な気分になるような言葉だったように思うんですけど、
なんかやっぱり、今結構大きな仕事だったりとかやりがいのある仕事を前にして、楽しくはあるんですけど、憂鬱とまではいかないんですけども、楽な仕事ではないというふうに感じるところが結構あって、大変だしね。
試行錯誤したりとか、そういうのがあって、でもやっぱり自分のキャパを少しずつ超えている、ちょっと挑戦しているというか、憂鬱というものそのものの意味とはちょっと違うかもしれないんですけど、今の自分のキャパを少し超えて、ちょっと高みを目指しているような実感というのがこの憂鬱という感情に秘められているのかなというふうに、なんか最近はすごく思うようになって、
そういうふうに捉えられるようになってからは、この憂鬱でなければ仕事じゃないという言葉にすごくポジティブなマインド変換みたいなのが生まれました。すごくいい言葉だなというふうに思いました。一見ね、言葉地面を取るといやーってなっちゃうんだけど、真意さえつかめればなんてことはない、すごくいい言葉だなというふうに思ったんですよね。
もう一個は勝手に僕が考えたんですけど、恥がなければ成長じゃないということで、結構似たような話で、結構今成長実感がすごく湧くような瞬間がちょこちょこあって、書籍を読んだりとか実際実践を通してフィードバックをもらいながらスキルアップをしていくと、過去に作った成果物が恥ずかしくなる瞬間というのがすごく増えてきたんですよね。
例えばこういう、一番本当にわかりやすいのはこの音声配信なんですけど、最初の初期の頃の音声ってもう聞けたもんじゃないというか、恥ずかしくてもう絶対聞きたくないみたいな感覚だったりします。
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音声も話し方もたどたどしかったりとか、なんかリズムが悪かったりとか、そもそもなんかこう、キモいよね。なんかキモい喋り方してるなみたいな。
まあこれ多分2年後3年後ね、この放送自体を聞いた時にも多分同じような感情が湧くかなというふうに思うんですけど、「何言ってんの?」みたいなね、「どうしてそんなこと考えたんだ?」とかね、言ってる内容がそもそも恥ずかしいとかね、多分あったりすると思うんですけど、なんかそういうような感じ。
ただ、多分継続をしていけばね、話し方は多分上手くなってるでしょうし、何か資料の深い内容で話してるかもしれない。そうじゃないかもしれないけど、成長実感多分あると思うんですよね。ただ成長実感を感じていると同時に恥ずかしくなっているはずだと思います。
同じように文章を書いてる時にも、「いやこの文章下手くそやなー。」とかね、自分の文章を見て、「いやもうなんかちゃんとスイコした?」みたいな、そういう文章で原稿出しちゃってたりとか、あとこうやっぱりクリエイティブですよね、デザイン系とか資料デザインの仕事をしていると、「いやこのダサー。」みたいな、「この図解ダサー。」みたいな感じだったりとか、
「いやもっとやり終わったんじゃないですかね。」みたいな、そういうような成果物の資料デザインというものが、当時はね、ベストを尽くしていたはずだと思うんですけど、感覚の違いとかもあると思うんだけどね。
なんかこう、「いやなんかもうちょっとスタイリッシュにさ、なんかできたんじゃないの?」みたいな、そういうのをすごく、なんかね、最近感じてしまっていてめちゃくちゃ恥ずかしくなりました。
ただ、この話も同じように、たぶんね、たぶん2年後とか3年後、また資料制作、制作した成果物を見ると、「いやこれはなんかもっとあっただろう。」みたいな、なんかそういうふうにね、たぶん同じように思うと思うので、この辺りはね、まあそういうふうな実感が持てているということ自体そのものはね、すごくいいのかなというか、大切にすべき感情なのかなというふうには思いました。
なんかその成長があるからこそ、今出しているものに比べるとすごく恥ずかしいって話だと思うんで、まさになんていうの、恥ずかしくなければ仕事ではないというのは、憂鬱でなければ仕事じゃない的に通ずるですね、ポジティブな内容としてちょっと僕自身も言語化をしておきましたという話でございました。
なので、なんかこうずーっと成長実感がないままウダウダしているなという感覚がある方については、なんか憂鬱なことを無理やり入れたりとか、恥ずかしいことがないか探してみたりとかっていうのをやってみるといいんじゃないのかなというふうに思いましたという話でございました。
今日はそんな感じで、オールデイメイクも後半戦そろそろ入るんですかね、だと思うので、ガツガツ仕事をしていきたいなというふうに思います。また次回の収録でお会いしましょう。バイバーイ。