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2023-04-13 22:59

Season -No.211 朝活「続・THE TYRANNY of STRUCTURELESSNESS」をダラダラ読む回

はい.第211回は前回に引き続き


THE TYRANNY of STRUCTURELESSNESS

https://www.jofreeman.com/joreen/tyranny.htm


を読みました💁

やはり難しい…w しかし,女性解放運動を題材にしているとはいえ本当にどこの組織にも当てはまる知見だなぁとつくづく感じます.


ではでは(=゚ω゚)ノ

  • TYRANNY
  • STRUCTURES
  • group
  • value-free
  • laissez faire
  • ELITISM
  • Elitist
  • the women's liberation movement
  • organization
  • THE "STAR" SYSTEM
  • political activities
  • political groups
  • POLITICAL IMPOTENCE

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00:04
はい、4月7日金曜日ですね。
時刻は朝9時10分になりました。
東京はですね、昨日も、まあ一昨日もかな?だけど、
すごい風が強くてですね。
今朝も朝からバンバンに、あのー、
強風が出ておりますし、天気予報でも
強風注意報が出ております。
そんな感じですね。
はい、おはようございます。
ではでは、本日も朝活を始めていきたいと思います。
本日はですね、昨日に引き続きまして、
えー、タイトルにあります
THE TYRANNY OF STRUCTURELESSNESS
ですね。
タイトル的に、あのー、
強い言葉を使われているタイトルですけど、
構造がないという世界の暴動といいますか、
っていうようなお話をちょっと
読んでいこうと思います。
で、昨日もですね、だーっと読んでたんですけど、
昨日、すごい中短版のところで
区切ってしまったんで、まあ今日はその続きから
やっていきたいと思いますが、
昨日の内容をちょっと思い出さなきゃいけない。
僕もどこまで読んだかっていうのを
今調べてるんですけど、
思い出せないので、
えーっとですね、
結局は自分の昨日読んだ区切りのところから
ではなく、
今見ている中での
多分ここじゃないかみたいな
予想のところから読んでいこうかなと
はい、思います。
えーっとちょっと文章量が多いかつ
今回の内容全然技術的な内容じゃないので、
まあ本当に耳の音もというか、
風雲くらいの感じで
聞いていただければと思いますけど、
昨日はですね、とにかくタイトルにあります
その構造がないとか構造レス
みたいな
組織についてどうだこうだっていうのに
かかって、なんかまあよしよしと言いますか、
まあどっちかというとデメリット的なものを結構
語られていることが多いかなというところです。
はい。
女性の民間運動みたいなところの
組織を題材にした
お話をされているんですけどね。
はい。
女性と男性の違いとかもあったりしますし、
その右翼派左翼派みたいな話もあったりしますし、
物事のスタートをするときは、
そんなガッツリ構造を先に作る、
ヒエラルキーとかを作らない方が
物事が進みやすいねって言いますけど、
進んでいったり組織が増えていったり、
人数が増えてきたところで、
構造がないっていうところの
デメリットだったり、そうなると物事が進まないよね
みたいな話を
女性の民衆運動のところを題材にして、
いろんな視点で語られていましたっていうところですね。
はい。
で、えっとですね、
今日はその続きからやっていきたいんですけど、
多分昨日はここで終わったと思うので、
続きからいきたいと思います。
全然繋がってなかったら
大変に申し訳ないですけども、
ご了承いただければ幸いです。
じゃあ進んでいきましょう。
運動ですね。いろんな活動、運動グループにありますけど、
そのグループっていうのは
その中で誰が権力を行使するかについて
具体的な決定をしていただいたので、
全国で様々な基準が用いられる。
ほとんどの基準っていうのは、
伝統的な女性の特徴に沿ったものになってしまいます。
例えば、
結婚することがインフォーマルな
エリートに参加するための条件になることが
普通でした。
伝統的に女性が教えられてきたように、
既婚女性は
03:01
主に互いに関わり合い、
独身女性を親しい友人として持つには
あまりにも驚異的だとみなします。
それはそうかもしれないですね。
既婚女性と未婚女性って
なんとなくの
ご本人たちにそういう壁を
感じている可能性が
多いにあるかもしれないですね。
そういう絶対的な差が出てきてしまいます。
あと、途中でエリートって
言葉が出てきたんですけど、
そのエリートについての言及も結構あって
割と面白かったなと思いますけど、
エリートっていうのは、
エリート集団って言葉がある通りなんですけど、
グループとか集団に対して当てはめられるものであって、
個人にエリートっていうものは
本来は紐づかないよっていうことではそうです。
紐づかないというか、
当てることはできない。
あくまでグループに対してみんなが
持っている価値観とかそういう思い込み
がエリートというのが生まれるみたいな話をしていたと思います。
僕の会社が間違っていたらすみません。
すみません、戻りますけども。
とりあえず独身女性を親しい
友人として持つには結構驚異的だというふうに
基本女性はみなしますと。
多くの都市ではこの基準は
さらに洗練され、
新作欲の男性と結婚した女性だけが
含まれるようになりましたと。
そうなんや。というような新作欲の男性は
メーリングリストだとか
印刷所、人脈、情報など
運動に必要な資源にアクセスできることが
多くてですね。
女性は必要なものを独自に得るのでなく
男性を通じて得ることに
慣れていたからでありますと。
であれば確かにそれは
基本女性の方が情報の非対称性とか
その辺を持ってきて
有利になったのかもしれないですね。
運動が時代を経るにつれて
結婚が
効果的な参加のための普遍的な基準では
なくなってきましたけども
全てのインフォーマルなエリートっていうのは
ある物質的または個人的特徴を
持つ女性だけが参加できる基準というのを
設けていると。
それらはしばしば以下のようなものがあります。
例えばその中流階級の出身であること
その労働者階級との関係という
ビジレークはありますけどとか
結婚していることであったりとか
結婚してはいないが誰かと暮らしているなどだとか
レズビアンであるがそのフリをしていることとか
20歳から30歳である
みたいな年齢の条件だったり
大学教育を受けた子
少なくともある程度の大学出身であることとか
流行的であるとか
などなどですね。
ある種の政治的主張を持つあるいは
求親派である子供がいるあるいは
少なくとも子供が好きである子供がいない
良い人であるなど特定の女性的性格を持つなど
ここからずっと
そういう具体例がバーッと続きますね。
などなどように
ほとんどの場合その関わりを持たない方が良い
逸脱者としてタグ付けされる特徴も
あるんですよね。
例えば
年齢が高かったりフルタイムで働いているとか
良い人でない人とか
独身を公言している人などなど
も一応あります。
そういうのが逸脱者としてタグ付けされる可能性も
もちろんありますね。
ある種開き直りという考え方もありますし
自分自身としては
そういうスタイルを貫くというだけの話では
あったりするんですけど
この集団では逸脱者というふうに
ラベル付けタグ付けをされてしまう
06:01
という傾向もあると。
その他の基準も含まれることはありますけど
いずれも共通するテーマがあります。
運動のインフォーマルな
エリートに参加する、つまり権力を
行使するために必要な特性というのは
経歴、性格、
時間の配分に関するものになります。
そこには能力、フェミニズム
への献身、才能、運動への
潜在的な貢献というのは
含まれません。
前者は
通常、友人を決める際に用いる基準です。
後者はどんな運動や
組織でも政治的に効果的で
あろうとするならば
参加基準は
グループによって異なるかもしれませんが
その基準を満たせば
インフォーマルなエリートの一員になれる手段は
ほとんど同じであります。
唯一の大きな違いというのは
ある集団に最初から参加しているか、それとも
始まってから参加するかによるものです。
最初から参加している場合は
できるだけ多くの個人的な友人も
参加させることが重要です。
もし誰も自分のことをよく知らないのであれば
意図的に一部の人と友好関係を
築き、インフォーマルな構造を
作るために重要なインフォーマルな
交流パターンを確立しなければなりません。
結局は
大きいカテゴライズのグループの中でも
自分のコミュニティじゃないですけど
小さな輪を作っておくことが重要だと
言っているんですね。
結局それって派閥に繋がる気がしますけどね。
一旦
インフォーマルなパターンが形成されると
それを維持するために行動し
維持するための最も成功した戦術の一つというのは
適合する新しい人々を
絶えず募集することがあります。
エリートに加わるのは社交クラブの
制約書とほぼ同じであります。
このクラブがこのプロセスに
積極的に関与するほど政治的な
意識が高くない場合は
プライベートクラブに入会するのとほぼ同じように
部会社が始めることができます。
スポンサーを
見つける、つまりそのクラブで
尊敬されているようなエリートのメンバーを選び
その人との友情を積極的に育むのです。
やがてその人があなたを
インナーサークルに引き込んでくれる可能性が高いと。
言い方は悪いですけど、要は
人間関係なのかな?
どんな組織なのかな?
と感じますね。
これらの手続きには
全て時間がかかります。
そのため、フルタイムで働いたり
同じような大きな仕事を書いたりすると
全ての会議に出席し
意思決定において発言するために
必要な個人的な関係を築くのに
十分な時間が残されていないため
参加することは通常不可能であります。
だからこそ正式な意思決定の仕組みは
働き過ぎの人にとって
助けとなるのです。
意思決定のプロセスが確立されることで
誰もがある程度は意思決定に参加することが
できるようになります。
以上、小集団における
エリート形成の過程を
批判的な観点から解剖してきましたけど
こうしたインフォーマルな構造が
必然的に悪いものであるという考えで
作ったものではありません。
全ての集団は、集団のメンバーの相互作用
パターンの結果として
インフォーマルな構造を作り出したと。
これは歴史が繰り返して結構でしょうね。
全然変わってないと思いますね。
このようなインフォーマルな構造は
非常に有用なことを行うことができる。
09:01
しかし、完全に支配されるのは
アンストラクチャードな
集団だけであります。
インフォーマルなエリートが
無構造の神話と結びついたとき
権力の行使に制限を加えるとする
試みはできません。気まぐれになってしまいます。
このことは、私たちが
認識すべき2つの潜在的な
否定的結果をもたらします。
第一に、意思決定の非公式な構造
が社交クラブのようなものになることです。
つまり、人々が他人の
言うことを聞くのは、その人が好きだからであって
その人が重要なことを言うからではない
というものです。つまり
何を言うかではなくて、誰が言うか
というところにフォーカスが置かれるのが
その前者の社交クラブのようなもの
という一面です。
運動が重要なことをしない限り
これはあまり問題にはなりません。
しかし、もし運動の発展が
前段階において阻止されないのであれば
この傾向を変えなければなりません。
では続いて第二ですね。
第二は、その非公式な構造には
集団全体に対して
責任を負う義務がないということです。
どっちかというと、こっちのほうが僕は問題だと思います。
彼らの権力は
与えられたものではなく、取り上げることももちろんできません。
彼らの影響力は
彼らがグループのために何をしたか
に基づいているわけではなく
グループから直接影響を受けることも
できません。このことは
必ずしもインフォーマルな構造を
無責任なものにしているわけではないです。
自分の影響力を維持することに関心がある人は
通常責任を持とうとします。
しかし
集団はそのような責任を強制することもできず
それはエリートの監視に
左右されると。
結局自分たちの中でコントローラブルに
行うことはできない。
一部のエリートの集団に結局左右されると。
自分自身のその影響力を維持するような
関心がある人はいたとしても
それは自分自身で
責任を自分自身に持ちますけど
構造とかグループに対して
直接影響を受けることもできないので
ここがやっぱり一つの課題だと。
では続いて
ザ・スターシステム
星のシステムといいます。
ストラクチャーレスという考え方が
スターシステムというものを
実は生み出しましたよと。
私たちは政治集団が意思決定を行い
その意思決定を国民一般に
明確に伝える人を選ぶことを期待する社会
というふうに生きています。
これは多分全世界同じようなことですよね。
政治家がいて国民がいる
という構想は変わらないので。
マスコミとか一般大衆は
個々の女性が
女性としてどう感じているかを真剣に聞く
方法を実は知りません。
大衆の意見を確立するために開発された技術
というのは投票権だったり
国民投票とか
世論調査とかアンケート
適切な会議でのグループのスポークスマンの選出
みたいな大きく分けるとこの3つしかないと
言っています。
女性解放運動というのは一般大衆と
コミュニケーションを取るために
スポークスマンを強いていないと。
なるほど。
運動全体としてもその中の多数のグループの
多くも
様々な問題に対する自分たちの立場を
説明する手段を確立していない。
しかし大衆はスポークスマンを
探すように仕向けられていると。
意識的にスポークスマンを選ぶことは
12:01
なかったが運動は様々な
理由で世間の注目を集める
多くの女性を排出してきました。
彼女たちは特定のグループや確立された
意見を代表しているわけではありません。
しかし公式のスポークスパーソンも
報道機関があるテーマについて
運動の立場を知りたいときに問い合わせることも
できる。意思決定機関も存在はしないため
彼女はスポークスパーソンとして
認識されると。
そうするとこのスポークスパーソンの
価値観とか今どういう風に
その組織グループを捉えていますか
っていう個人の
認識に依存してしまう気がしますね。
まあまあ結果そうなんでしょうけど
例えてその人が
ちょっと誤ったとか他の人と
考え方とか価値観で物事を喋ると
今度はその
解放運動のグループの中の人から批判
くらいそうな気がしてて、これどうなんだろう
と気がしますけど、言われてみれば
確かに中はそうなのかもしれないですね。
ちゃんとそういう意思決定機関
というのが存在しないから
実はそういう風になっているのかもしれない
なっていうわけですね。もっと言うと
集団は形成されているけど個々の
集まりだけであって
ちゃんとチームとかにはなっていないのかもしれないですね。
わかんないですけど
ちょっと読んでいきましょうか。
このように彼女たちが望むと望まざる
とにも関わらず、また運動が好むと
好まざるとにも関わらず
公の場で注目される女性たちは
デフォルトでスポークスマンの役割を担っています。
これがスターのレッテルを
貼られた女性たちに対する
怒りの主な原因の一つになります。
女性たちはその運動に参加する女性たちによって
選ばれたわけではないので
運動の代弁者であるかのように
報道されると憤慨するのである。
しかし運動が自らのスポークスマンを
スポークスウーマンか
を選ばない限り
彼女たちの意思とは関係なく
マスコミや世間がその役割を担わせたことになる。
外が勝手に
あなたがスポークスパーソンですね
という役割を担わせてしまう。
もっと言うと、これレッテル張りですよ。
たまたま選んだその人が色々なことを語ってくれて
世間とか外とのアクセス
もしくは外とのやり取りをしてくれる
っていう、正直言うと都合が良かっただけだと思いますけどね。
続いていきましょう。
あとは、運動とスターのレッテルを張られた
女性たちの双方にとって
いくつかのネガティブな欠陥をたらします。
まず運動が彼女たちをスポークスマンの役割に
つかせたわけではないので
運動は彼女たちを排除することではできません。
報道機関が彼女たちを
そこに置いたのであって
報道機関だけが耳を傾けないという選択を
することもできます。
運動からの権利ある性面に対して
公式な代替手段がない限り
プレスっていうのはスポークスマンとして
スターに注目し続けるでしょう。
結局は白花屋が建ったその人は
自分ではコントロールできない。
でも外はどの人を
スポークスマンとかスポークスパーソンとして
選ぶかというのは
選択はできるので
これは本当につらい話だな。
運動が自分たちには代表者がいない方が
良いと考えている限り
運動というのは対象に対する
代表者の選定をコントロールできません。
第二、このような立場に置かれた女性たちは
しばしば自分たちが
姉妹たちから悪意を持って攻撃されている
ことに気づきます。
15:01
これは運動にとって何のせいかもなく
関係する個人にとっても痛ましいほど破壊的であります。
このような攻撃は
その女性が完全に運動から離れるか
しばしば辛く阻害されるか
あるいは姉妹に対する
責任を感じなくなるかの
どちらかの結果にしかならない。
彼女は曖昧に定義された
運動への忠誠心を維持するかもしれないが
その運動に参加している他の女性からの
圧力にはもはや敏感ではない。
マゾヒストでなければ
苦痛の原因である人々に対して
責任を感じることはできないし
彼女たちは通常そのような
個人的な圧力に屈するには強すぎる。
このようにスター制度への反発は
事実上この運動が非難する
個人主義的な無責任を
助長することになってしまいます。
シスターをスターとして粛清することで
運動はその人に対するコントロールをしない
その人は自分が非難された
個人主義的な罪をすべて
自由に犯すようになってしまう。
矛盾と言ってもいいかもしれないけど
難しいところですね。
責任というか
そういう社会運動なので
誰かに責任を押し付けることはできないし
自分で意思決定をして
そこに参加している。
ただ、そうすると個々の集団だと
結局ネガティブになったり
スターみたいな人を外は求めてくるので
結果的に
望むと望まないと
って関わらずというけど
望んでない形態になってしまうので
当初望んでなかったり
したくなかったかもしれないけど
ちゃんと運動として動かすためには
構造レスっていうのはどうなんだろう
って話と、ちゃんと意思決定期間を
設けるのはすごく大事だし
スポークスパーソンも選んでしまうのは
いいかもしれないですね。
代表者をしかも1人に限定するのではなくて
複数名を選んでおいて
運動の外に
喋れる人っていうのを立てるっていうのは結構いいかもしれないですね。
これはまあ
運動の話になってますけど
英理組織とか僕らみたいな株式会社も
どうなんだろうって思ったりしましたね。
外に語る人っていうのはやっぱり重要だなと思いましたね。
その人がどれだけ
組織のことを理解しているかっていうのに
依存はしてしまいますけど
それは中の人がしっかりサポートしたり
役割分担をするのはすごく大事なんだなって
つくつく感じました。
ラストのセクションなんですけど
これまた結構長いんですが
ちょっといけるところまでいきましょう。
多分今日終わらない可能性が多いですけどね。
また明日中途半端にスタートするかもしれないですけど
ご了承ください。
次のセクションは政治的空白ですね。
ポリティカルインポテンスですね。
ではいきましょう。
非構造化グループっていうのは
女性に自分の人生について話してもらうのには
非常に効果的かもしれませんが
物事を成し遂げるには
あまりに適していませんと。
人々がただ話すことに飽きて
もっと何かしたいと思うようになったとき
グループの運営方法を変えない限り
グループは低迷してしまいます。
時にはグループの発展したインフォーマルな構造と
そのグループが満たすことができる
利用可能なニーズが一致し
アンストラクチャードグループが
機能しているように見えることがあります。
つまりそのグループは特定のプロジェクトに
取り組むのに最適な構造を
偶然にも正確に作り上げているのです。
このような
18:01
グループでの活動というのは
非常に頭が下がるような経験である反面
稀であり再現するのは
非常に難しいと。
このようなグループには必ずと言っていいほど
4つの条件があります。
どんな組織でもそういう
非公式なグループだけど
効果的なグループってやっぱりあるよな
つくづく思いますけどね。
そのグループの4つの条件
1つ目、まずタスク志向であります。
It is task-oriented
その機能は会議を開くとか
新聞を出すとか非常に狭く
非常に具体的であります。
グループを基本的に構成するのはタスクであります。
タスクは何をいつまで行うべきかを決定する。
タスクは人々が
自分の行動を判断し将来の活動計画を
立てるための指針を提供します。
続いて2つ目
It is relatively small and homogenous
比較的小規模で
近質である。
同質性というものが
言葉で使われてますけど
同質性は参加者が相互作用のための
共通言語を持っているということを
保証するために必要であります。
意識改革を目的としたグループであれば
バックグラウンドが大きく異なる人たちが
お互いの経験から学ぶことができ
豊かな時間を過ごすことができるかもしれませんが
タスク志向のグループにおいては
あまりに多様性がありすぎると
お互いに誤解し合う
ばかりになってしまいます。
そのような多様な人々というのは
行動や言葉の解釈が
異なってきます。
お互いの行動に対する期待値も違えば
その結果を判断する基準ももちろん違います。
みんながみんなをよく知っていて
ニュアンスの違いを理解できるのであれば
これらは対応できるようになります。
しかし通常は混乱を招き
誰も思い寄らなかった対立を解決するのに
膨大な時間を費やすだけです。
では続いて
4つ目の条件ですけれども
3つ目の条件は
There is a high degree of communication
高度なコミュニケーションがあります。
情報を全員に伝え
意見を確認し、作業を分担し
関連する決定事項への参加を
保障しなければなりません。
これは少人数でも、しかも重要な局面では
実質的に一緒に生活している場合のみ
可能になります。
言うまでもなく、全員を巻き込むために
参加者の数は参加者の数が増えれば増えるほど
帰化給数的に増えてきます。
そのため、グループ参加は
必然的に5人程度に
制限されるか
一部の人が意思決定から除外されることになってしまいます。
成功するグループは
10や15の規模になることもありますけれども
それはタスクの特定の部分を実行する
いくつかの小さなサブグループで構成されていて
そのメンバーが互いに重なり合って
異なるサブグループを行っていることの
知識が容易に伝達される場合に限ります。
ここでも
トゥーピッザルールが
適用されます。
しかし
この記者の方は5人程度と言っています。
トゥーピッザは7、8人程度だったと思いますが
5人に絞ったほうがいいのか
7、8人でも
意思決定が遅くなったり
意思決定から除外されることになると
結果的に除外されている
もしくは関わっていない
人は生まれる可能性は多いのですが
そういう小さなサブグループを
21:01
作って、それらが重なり合うところで
10から15の規模になることもある。
ただ、そういう人たちは
サブグループ同士が
グラデーションがかかっていて
重なり合う部分があって
情報や知識が伝達されている
というのが条件にあるらしいですね。
なんだかんだ認識と
情報の相互というのがないというのが
組織の成功の秘訣なんだろうなと感じました。
ラスト、4つ目の条件ですね。
スキルの特化度が低いと
there is a low degree of
specialization
specializationか
失礼しました。
個人のスキルの特化度が低いことが
条件にあたると。
フルスタックではないけど
マルチスタックになる方が良いとは思うが
特化度が高すぎると
非交換になってしまうので
これは難しいんですね。
逆に言うと、そういう風にしているからこそ
誰も欠かすことのできない存在になりうる
というところですね。
慣らしてみんなで動かしていく
というふうにフォーカスをしているんですね。
今説明しているグループの
条件というのはそういう風に考えていると。
これも共有会とか
考えさせられるようなお話だなと感じましたね。
というところで
30分は遅けましたので、今日の朝からここで
区切ろうと思います。
一応区切りとしたら良いとは思いますが
明日はその続きからですね。
またもうちょっと政治的な
空白というところの
話を続けていって
明日でさすがに終わると思うので
お付き合いいただければ幸いです。
それでは金曜日ですね。
今日も一週間終わるということで
頑張っていきたいと思いますし
新卒の入社がして
初めての金曜日、ラストの金曜日というところで
いろんな会社さんもしかしたら
新卒歓迎会とか飲み会行ったりするかもしれないですけど
有意義な金曜日を
過ごしていただければと思います。
ではですね、おそらく
見えていないですけど
スーさんは参加されていると思いますので
今日もご参加ありがとうございます。
というところで、今日も一日頑張っていけたらと思います。
それでは終了します。お疲れ様でした。
22:59

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