1. 人生を変える出会い
  2. 第151回「メンターについて」
2019-11-26

第151回「メンターについて」

「メンターとの関係性」についてリスナーさんから相談を頂きました。善きメンターの条件、メンターの在るべき姿についてお話します。

新企画「瞑想の基本と実践」音声プログラムがリリースされました。不安や恐れ、苦しみのさなかにある方、安らかな毎日を送りたい方に向けて北川八郎が音声でしっかりナビゲートします。http://bit.ly/2T38kkj

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北川八郎 人生を変える出会い
いつも番組を聞いていただき、ありがとうございます。
このポッドキャスト、人生を変える出会いでは、番組の継続のためにサポーター制度を始めました。
北川先生、一言お願いします。
どうか、これからも人々のために尽くせるその場を与えてくださいますように、よろしくお願いいたします。
北川八郎 人生を変える出会い サポーター制度
詳しくは、北川八郎ホームページ、もしくは、j.mp//kitapod.j.mp//kitapod.までチェックしてみていただけたら幸いです。
それでは、今週の番組をお聞きください。
こんにちは、早川洋平です。
北川八郎 人生を変える出会い、今日も北川先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ、先週に引き続いて今回もご質問、リスナーの方からいただいています。
メンターとの関係性について。
こんにちは、初めて質問します。
私には親子ほど年の離れたメンターのような方がいらっしゃるのですが、継続して良好な関係が作れずに落ち込んでいます。
いろんな比喩を用いて生きる上で大切なことを教えてくださるのですが、私にはその比喩が難しくて、他人のことを批判しながら、実は私の行動を咎める。
など、理解できず怒らせてしまいます。
どうやったらメンターが言いたい本音の部分にピンときて素直に教えを受け取れるのでしょうか。
ポッドキャストのネーム、けいこさんからです。
そうですね。
メンター、どういう関係のメンターなのか、これだけでは分からないのですが、もしもメンターがとても大切だったら出会うということは、
やっぱりこの人生だからこそ出会えたメンターという方。
出会えたならば、その人の教えをしっかり見守っていくのが大切だと思うのですけれども、ここではちょっと感じるのは、メンターはこんな人がいいのではないかなというところをちょっと言いたいと思うんですね。
怒る人とか叱る人とか咎める人はあまりメンターではないのではないか。
メンターというのは大抵何か。
すごい透明感を持てたり、生きる方向性をきれいに見せてくれたり、この人生で出会わなければならなかった事件や事柄の裏の意味といいますか、メッセージをきちんと教えてくれる人であって、怒ったりとか、非を言う場合も、とても分かりやすいような言葉で伝えるのが、
03:15
本当のメンターではないかなと思いますね。
そして、まさに先生がおっしゃっているように、怒るというか叱る時にもいつもお話しされているように、やっぱりその先の本人への愛情というか未来のためにということはあるかもしれないですね。
あなたの本当の罪を取ってくれるような言葉を具体的に、優しくて思いやりの言葉で勇気をくれるような、その人と出会えると本当に勇気をいつももらうし、踏んに落ちるし、ユシちゃん立ち上がろうという、
人間性のエネルギーをもらえる人がメンターなんですね。
そういう人ともう一つは、メンターは絶対相手を支配しないというのが、僕、大事だと思うんですね。
自分を支配してくる、怒るということは自分の言うことを聞かないから怒るんだと思うんですけれども、
そんなふうに自分の行動を支配させてくる人は、本当のメンターではないのではないか。
そういう人は、自分の行動を支配させてくれる人が、本当のメンターではないのではないかと思いますね。
だから、批判するということはありえないね。
そのことをこうすると苦しむだろう。
だから、こちらの方に行きなさいとか、もしくは、その出来事にはこういう裏のメッセージがあるんだよ。
お前がどう取るのかは、お前次第だけれども、その出来事には二つの意味があって、
未来の良き方向にはこの方、これをこうすると良き方向に向かうだろう。
でも、もし、お前がそこで良心的ではなくて、愛情がなくて、後ろ向きの態度を示すならば、
またそのことは悪しき結果に向いてくるだろう、とかいうような、根底には、
なんていうかね、全ての人生の根底には、良き解決をするという、大事な、基本的な、
法則をきちんと教えてくれる方が良いと思いますね。
なんか、あらゆる問題は解決する時は待ってるっていうことを教えてくれるっていうかね、
悪くなることはない。
それは、あなたがその問題を放棄した時っていうかね、
または、悪しき方向に解釈して、なんか人をそこに憎しみとか、傷つけることとか、
悪くなることとか、批判することとか、突き放すこととかの方向に行ってしまうと、
愛情のない方向に行ってしまうと、それはまた、また同じトラブルがあって、
同じ学びを何回も繰り返さないといけないっていうことを、学ばせるためにあるんだ、みたいな。
06:05
ちょっと難しい方。
いやいやいや、いや、でも、先生がおっしゃったこともそうですけど、
何だろう、メンターっていう言葉が、いつの頃からか、なんかこう、ビジネスとか、
動機発症ですごい言葉だけが独り歩きして、なんかこう、メンターとはこういうものだとか、
見つけなきゃとか、なんかもう、逆に今の話を聞くと、本当に、ある意味、ちょっと誤解をそじれずに言えばいいですけど、
メンターと言うべき人、今の先生がある程度、こういう人がっていう、そういう意味でおっしゃったじゃないですか、
逆にこういうことを言っちゃう人はっていう、でもそこを冷静に見ずに、なんかやっぱりみんな、僕もそうだったんですけど、
やっぱり何かにすがりたいとか、
やっぱり頼りたいって、特に最初ありますから、なんか見つけたら、本当にこの人、メンターかどうかわからないというか、
なんか、とにかく盲目的に言っちゃう、その僕ら側の、何だろうな、反省すべき点とか気をつけなきゃいけないっていう点も、今の話でいくと、まぁ、裏表ですよね。
そうですね。
そして、特にあの、動機の純粋性みたいなものをこう、いつも持ってごらんって教えてくれて、じゃあその動機の純粋性の、
どうしても、動機の純粋性、みたいなものをこう、いつも持ってごらんって教えてくれて、じゃあその動機の純粋性、
教えてくれて、じゃあその動機の純粋性というものは何ですかって聞いたら、何をしたかって問題なくて、なぜそうしたのかっていうかね、その心の動きとか汚れとかいうのをメンターが、それはなぜそうしたのか、あなたの子が純粋だったか純粋じゃなかったとかいう、それをいつもなぜそうしたのか、
何をしたのかよりも、なぜそうしたのかを教えてくれる方の方がいいのではないかな。
僕もいろんな方とお世話にならせていただいて、でもその時にやっぱりうまくいかなかった時、いわゆるメンターという、世間から言われているような人たちとうまくいかなかった時って、考えると先生おっしゃったように、メンターと呼ばれる方そのもののそういう性質も例えば支配しようとするとかあるかもしれないですけど、反省点、自戒も込めて言うと何でしょう。
僕自身がいわゆる純粋性がなくなってた時は、つまりこの人を死と仰いだら自分は絶対こうなんか人生もっとうまくいかなきゃみたいな、なってる時は俺濁ってたなみたいな、だから両方ありますよね。
先生ご自身じゃなかなか言いにくいでしょうけど、やっぱり先生もメンターとね、そういう意味では仰ぐ人もたくさんいると思いますけど、先生自身はいい意味ですけど、なんか自分が俺がメンターだみたいなメンター全としたとこ全くないですよね。
そんな人は人間じゃない。
でもそういう人こそ、だからこれリスナーの方には多分分かると思うんですけど、やっぱり逆説的ですけど、メンターとすべき人なんだろうなとは思いますね。
選ぶらないというか。
まだこの肉体がある限り、もう里でやってくるんや。いろんな断食したり、神の教えみたいなのもらうにやっぱ、本当にこうなんか美しい言葉とかに。
09:06
なんか神からもらうんやけど、でもね、大きな悟りを得たからといって、自分で分かるのは、もう人生でつまづくことはなくなるっていうことはもうありえないね。
何度も何度も悟ってもつまづくよね。
そして人の悲しみとかを自分が感じることができるようになったときに、また一覧上のメンターになっていくから。
あらゆる種類のつまづきと、あらゆる種類の苦しみを全部味わって、それを乗り越えることができる純粋性を身につけないといけないから、何回でもやってくるね、つまづくことが。
だからこそ、そこにメンターの資格があるような感じがする。悟りというのは一つ一つ分かるから、教えられる。
解けない問題の意味、裏の意味をちゃんと言える人になるためには、あんまり当たらない。
頭が悪くて全て超人的だと、なぜできないんだ、みたいな、俺ができるの、なぜ分からないんだとか高めてしまうけど、
自分がつらくてつらくて、やっと乗り越えたときに、心の悲しさ、痛みを分かっていると、人にそれを教えられるっていうかね、相手の悲しみを受け取ることができるから、それはそいつたちがメンターになってくれないのか。
ちなみにみんな聞きたいと思うんですけど、先生はメンターはいるんですか?
うん。聖なるメンター。個人的には、やっぱ着る人とか、ブッダとか、瞑想したときの男児、生きる人とか、生きてる人とか、たくさんの聖なる言葉を持った本とかね。
うん。別に現存で近くにいる人じゃなくていいわけですね。
そうですね。往々にしてそういう人たち、聖で行くなる人は欲を持っている人が多くて、格段な集計をしてる人が多い。
うん。
強敵だったり、拡大を狙ってたり、お金を持てたり、なんかベンツを乗ってたりしたら、もうがっかりしてしまうよね。
なんかもっと素朴で、もっと純粋で、もっとオーラが美しい人。
いわゆる十牛図で最後の方の人たちですよね。
そういう人がなかなかまだ今のところ出会ってないのは確かに。
なんかもっと素朴、もっと破れたものが着てても輝く人。
一切の地位を求めないような人は、なんかメンターのような人。
そういう人がいないから、どうしてもキリストやブッダや過去のアリストテレスや、そういう書物に頼ってしまう。
この方、そうすると、そうか、最後ご自身で今日の話なんですけど、決めることかもしれないですけど、
そのメンターとの今の関係性とか今後っていうのは、
12:02
ちょっと今日の話聞いたぐらい、
僕が忠告するとしたら、支配してこようとする意図が見えたときは、
その人はメンターではないのではないかな。
それから、損得をいつも教えてくれる人だったら、そうではないのではないかな。
人の喜びと人の悲しみを取ってあげることが第一と教えてくれる人だと、僕はメンターだと思うし、
まあ、対人、良き対人関係をいかにこう構築していくか、悪しき対人関係ではなくてね、
良き対人関係をいかに構築していくことが大事かっていうことを何回も何回も単純に教えてくれる人がメンターだと思うね。
この地球上で生きることを楽しみなさいっていうか、そのためには良き仲間と、良き家族と、良き師匠と、
自分の中から人を受け継ぐことが大事だと思う。
自分の中から人を受け継ぐということに辞めたいっていう心を生じるように教えてくれる人がメンターだと思うけれどね。
純粋性。
そうですね。
でも、みんな失敗するね。欲があるから。
はい。
さあ、この番組では皆様からのご質問、ご感想を募集しております。
また先週もお伝えしましたが、北川八郎2020年カレンダー旅立ちも申し込みを受け付けしています。
毎年のようにですね、先生の言葉、そして美しい写真とともに掲載されています。
満月新月が一目瞭然の月齢もついてですね、とてもインスピレーションあふれるカレンダーになっておりますので、
いずれも北川先生のホームページをチェックしてみていただければと思います。
今週もリスナーの皆様、そしてサポーターの皆様のご支援でこの番組をお届けすることができました。
来週も引き続きよろしくお願いいたします。
北川先生ありがとうございました。
ありがとうございました。またよろしくお願いします。

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