1. 【HSS型HSP】天才HSPの音楽ノート
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2023-02-03 21:05

色覚にも多様性!視覚バリアフリーと色弱HSPが気づいた世界!#27

今回は、HSS型HSPのキラテンが自身の色弱についてのエピソードをご紹介。


小学校の時の「あなたは変だ」と指摘された経験や、色覚検査で「色覚異常」と診断された感情などをご紹介しながら、身長や髪の色と同じ「気質の一つ」であるという解釈がHSPと似てるな、と感じた点を話しています。


キラテンの色弱の捉え方


HSPと似ている

・治すものじゃない

・持って生まれたもの、特徴

・世間では誤解されている(いた、過去の話?)

・HSPもその段階にきている

・病気ではなく「気質」という考え方が定着すれば世界が平和


色弱エピソード

・にわとりの鶏冠を茶色に塗った

・赤色の絵の具を貸して、と言われて茶色を渡して泣かれた

・髪の毛を緑色に塗った→個性として認められ嬉しかった

・中学では開き直ってキャラクターにした

・チョークの赤がわからん!目をアテにしない決意

・自決を考えた同級生、自分がポジティブシンキングなので親に感謝

・でも同級生の繊細さにも触れられて気づきが増えた

・あるテレビで赤と緑をまぜた芸術に触れる

・特性を活かすとはこういう事なんだと知る

・視力全部をあてにしない生き方、眼鏡かけない、見えて無くてよい

・令和になって、目を節約するという考え方で評価

・目だけを信用しないという流儀が褒められた

・HSPも同じ、自分の流儀にかえていけばきって生きやすい


「こんなんで良いんだ」


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【HSS型HSP】こんなんで、いんなラジオ。お相手はきらてんです。
今回はですね、色弱という症状、きらてんが色弱なんでね、色が弱いとか相手の色弱です。
色弱という観点、これが後々考えると、なんかHSPなんだって自分が気づいた時とよく似てる項目があったなと、振り返りと思ったので、その気づきをシェアさせてもらえたらなと思います。
ですから、HSPという季節に少しお悩みの方とか、あるいは私も色弱なのというふうに、もし何か辛い経験をそれでしちゃったという方がいたら、ぜひ心の支えというかね、こんなやつもおるんだという安心材料に書いていただければと思いますので、お付き合いください。
ではですね、私、色が弱いと書いての色弱と判別ができにくい色というのがあるんですね。色弱にもいろんな種類があるそうなんですけど、私の場合は赤と緑が非常に弱くてですね、赤と緑に対して自信がないというところのものです。
それこそ本当に生まれつきそうなんで、自覚がなく、どういう経緯から自分が色弱なんだと気づいていったのかなというのを思い出しながらお伝えしていくとですね。
小学校のときに絵の具の道具をもらってみんなで絵を描くとかあったじゃないですか。今はね、ちょっとわからないですけど、僕らの時代はあったんですね。
絵の具っていうのは初めて絵の具道具をもらって、この青色とか赤色とかっていう絵の具がたくさんある。その中に鶏の絵を描くっていうのが当時あったんですよ、授業で。
低学年のときですね。小学校の中にそういう飼育係、生き物係みたいな係があって、その方々がね、鶏の餌をあげてるっていう風なのがあったんで、それを見に行きながら自分でも絵を描いて絵の具で色を塗るという授業だったんですけど、
僕だけクラスの中で鶏の戸坂を茶色で塗ってたんですって。僕はそれが赤やと思い込んでましたし、赤とか茶色とかわからず、戸坂の色がこの色に見えたからっていうので、その絵の具を使って、チョイスして塗ってたんですよ。
じゃあ横の女の子が、先生茶色になってますみたいにね、戸坂が茶色ですっていう風に、僕の絵ですよ。その子の絵じゃないのに、僕の絵が茶色であるっていうことをわざわざ申告をするんですね。
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指摘されて初めて気づくわけです、僕。先生が見て、何で茶色で塗ってんのって言われたときに、いや茶色とか赤とかがそもそもわからんと、この色に見えたんやけどダメなんですかって言ったら、戸坂は赤色で塗るものなのよみたいに悟されて、その辺ぐらいからどんどん僕は自分に自信がなくなっていった一つのきっかけでもあったなと思ったんですよ。
っていうのが思い出すとですけどね、最初の色弱かもっていうのがそのシーンだったかなと思います。
その次に印象的だったのが、多分もうちょっと中学年ぐらいになったのかな、3年4年生ぐらいのときに、赤色の絵の具がないからちょっと貸してってお友達に言われて、いいよいいよ俺の余ってるしってポンって渡したら茶色の絵の具を渡しちゃったんですね。
僕はそれが赤に見えたし、いいよいいよこれ使いーってポンと渡したら茶色だったと。
赤貸してって言ったのに茶色の絵の具が返ってきたことに対してすごく傷ついたんですって、女の子。
そういう傷つけられたみたいなことを終わりの回ってあったんですね、僕らの学校で。
授業が全部終わってから終わりの回で、今日何々君にこういうこと言ったら茶色の絵の具渡されて、もうダメですみたいにボロボロないって。
僕は本当に吊るし上げられた感というか、公開処刑みたいな気分だったんですよ。
わざとやってたら責められてもなんてことないんですけど、うわーと思って。
けどそれがうまく言えなかったんでしょうね、当時。覚えてないですけど。
僕にとっては悪いではないし、これは赤いと思ったんですよとか多分言ってないと思います。
雰囲気に飲まれたというか、自分が悪いんだろうとしか思ってなかったと思います、当時の僕は。
だから僕がそもそも色を判断するっていうことをしたら、世界は平和じゃなくなるんだ、ぐらい重く考えたんですよ。
色聞かれても、そもそも色がわかりませんっていうことから入らないと、自分の判断でこれは何色っていう権利が僕にはないと。
というふうな決めつけをまずしちゃったんですね。
そういう過去がありつつ、4年生の時ですね。
4年生の時に、人に絵の具を貸すとかっていうのは怖くてできなくなってたんですけど、自分で自分の絵の色を塗るのはいいだろうと思って、
結構好き勝手に作品に色を塗ってたんですよ。
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縦笛ってあったんですね、僕ら小学校の時に。
縦笛を吹く男の子みたいなのを題材にして絵を描くっていう。
図工の時間。美術じゃなくて図工だったと思います、小学校の時って。
図工の時間みたいな時に、僕その子の髪の毛を緑にしたんですよ。
笛吹いてる男の子の髪の毛ね。
実際は黒いんですけど、僕の作品には緑を入れて。
それも全く無意識です。
緑色の感じと服の黄色の感じとかが、僕は心地よかったからそう塗っちゃったと。
っていう時にまた、なんだこれまた緑やーとか言われて隣の子に。
やってもた!って思ったんです、そこで。
しまった!って思ったら、
その時の他人の先生はたまたま美術に理解のある人だったんで。
緑で塗ってんのもオシャレじゃないか、的なコメントで終わったんですよ。
緑なんかで塗っちゃダメよって言われなかったから。
そうかと。
教育っていう意味では、正しい色を塗りなさいっていうのは確かに教育なのかもしれないけど、
自由度を認めるっていうのは、この含みとしてまだあるんだなっていうのを少し気づいたような。
ことだったんで、あんまりこのネガティブにならずに済んだのは、ちょっとその緑を許してもらったことがあったからかもしれません。
中学になったらですね、もう開き直って。
自分は色弱なんだってことを先に公表しておいて。
黒板にね、チョークで描いてたじゃないですか、当時って。
白いチョークで描く。
テストに出るよーみたいな時は赤のチョークに変えるでしょ。
赤がもう僕分からなかったんですよ。
黒板といえども、なんか緑っぽいじゃないですか、背景が。
その上にこの白とか赤とか使い分けられたところで、もう分からんってなったんで、ノートも取らなかったんですよ。
どこまでが赤とかが分からんから、後でちょっとノート見せてーみたいになったぐらい、もう開き直って。
キャラクターにしてたんですね、自分が色弱なんだと。
キャラクターにしてしまってたから、今は多分ないと思うんですけど、当時僕が小学校中学の時って、
健康診断っていう身長測ったり体重測ったりするのを一斉にしてたんですよ、クラスとかね、クラス単位で。
その健康診断の時の時間の一つに色弱テストっていうのがあったんです。
迷路みたいなやつ。
色で迷路行ったりとか、違う色で数字が書いてあるからこの数字は何番ですかみたいな。
あれが今は差別的な要素でもなくなったって聞いたことはあるんですけど、当時は僕らバリバリあった時代だったんで、
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だいたいクラスに一人は色弱がいるという計算。
僕はいつもそのクラスの中の一人だったんで、僕だけ迷路がゴールまで行けなかったりするんですよ。
みんなからおちょくられるんです。
何分からないんだこれがって言われた時に僕が難しいよこれみたいにちょっとちゃけられてたんですよ、まだキャラクターにしてたから。
その色弱の健康診断で引っかかった人だけが、5時間目の授業中にもう一回色弱の人だけに向けた再検査みたいなのがあったんですね。
色弱の中でも第2章第3章みたいなのが何になるかっていうのを再検査しなきゃいけないっていうので、
常に僕たち色弱チームは再検査のために公然と授業をサボれてたんですよ。
5時間目の最中にそれぞれの色弱くんが呼びに来るんですね、隣のクラスの子。
隣のクラスの子が検査やでーって言われたら、あーおっけおっけーって。
で、今度僕はまた隣のクラスの子に検査やでーって呼びに行くっていう。
あれが僕はすごく好きやったんですよ。
もう誰にも怒られずに授業をサボれるっていうこの優越感で、やったーって思って。
みんな授業してるのに僕らだけ廊下を歩けてるんですよ。
やったやったやったーって言って保健室にボンと集まって。
もう馴染みのメンバーじゃないですか。
すごくこうニコニコして喋ってたら、ある時ですね、その中の一人男の子。
絶対と言っていいぐらいの一番モテる男の子やったんですよ。
モテるし、スポーツもできるし、僕からしたら何の不満もない人生を歩んでるんですよ。
そういう人生だろうと勝手に決めつけてたその男の子が、色弱でもう自分は死のうと思ったんだみたいなエピソードを話してくれたんですね。
びっくりして、えー、俺こんなに公然とサボれるって喜んでるのにもかからず。
そっか、この子はそれが嫌で嫌でみんなと違うっていうことに対してすごく深く悩んでたんだと思ったんで。
僕は開き直ってポジティブシンキングになれたのは、これ親の影響で感謝しなきゃいけないなと思ったと同時に、
そういう同級生の繊細さっていうのに触れてすごくいっぱい気づきをもらえたんですよ。
なんかこう、イエーイみたいにするのもあかんなというふうなことをその友達に教えてもらいましたね。
で、それからですね、あるテレビ番組を見まして、色弱っていうのはやっぱり持って生まれたものだから、
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治すものとかでもないし異常なものでもない特徴の一つなので、
そういうのは差別になりますよみたいなことを特集しているテレビがあったんですよ。
つまり、僕らは現行診断で色弱って判断されたら、就職も限定されるんですね。
色弱の人はこの会社を受けられませんみたいになってた当時だったんで、
そういうことしたらダメよっていうふうなことの戦いをテレビでやってたっていう特集をたまたま見たんですけど、
そういうことなんだと。
むしろそれが色弱じゃないままそのテレビを見てたらもっと無関心だったと思うんですけど、
僕は一応色弱側のほうでそのテレビを見ることになって、
色弱側にもかかわらずそこまで大きく考えなくてもいいのにすら思ったんですね。
もうこんなのしゃーないしなと。
就職先がもし限定されるようになったら、その限定された就職先で俺だったら生活しそうやけど、
って思ったんですけど、やっぱりああいう声を集めて、
ちゃんと提言するっていう活動をしてくれてる人がいて、
次の時代に色弱っていうものが差別として考えられるようになったっていうのがあったから、
やっぱり皆さんすごい努力をしてるんだなと今でも思います。
そういうテレビを見たときにそのテレビの特集の中で、
緑と赤が苦手なんだっていう僕と同じ種類の色弱を持ってる人が、
あえて緑と赤がわからない僕が描く絵っていうのが、
違う感性があるからって評価されるんですっていうその画家の活動してる人たち。
行き切った感じのカッコよさというかね。
本来やったら葉っぱが緑で、右が赤色。
行ったらそういう赤と緑を使い分けるんだけれども、
僕たちが描くと違う絵になるんですよ。
緑と赤の使い方というか表現の仕方とかが違うことになったりするので、
その深みが出る、目線が違うというか見る角度が違うというか、
それを一つの芸術だって捉えるところにカッコよさがあったんですね。
僕は多分無意識にそういうヒントだけはいただいてたんだけど、
特性を生かすっていうのはこういうことなんだなというのをなんとなく、
確信にまでは変わってなかったんですけど、
ヒントだけもらったまま大人になりまして、
結局僕は赤と緑とか色弱とかっていうふうなことではなくて、
そもそも目、視力に頼らないっていうふうな決断をしたんですね。
高校のときぐらいかな。
僕は音楽が好きなんでライブハウスとかでライブ活動とかしてたんですけど、
ほとんど見えてないというか、自分で見た目のものは信用してなかったんですよ、自分自身が。
色だけじゃなくて、形も。
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僕が見たらこうだったみたいなことを人に報告したらまた吊るし上げられるから、
そもそも僕は見えてないというか、
心の平穏を保てるって思ってたんで、
ライブでも全然見えてないまま演奏してましたね。
っていうふうに視力に頼らないっていうふうに決めて、
眼鏡もかけてなかったです。
大人になってね、運転免許というのを取ったら、
そのときだけはどうしても自分の目が見えてなかったんですよ。
大人になってね、運転免許というのを取ったら、
そのときだけはどうしても眼鏡をかけなきゃいけないってなって嫌むなしですけど、
今でも車も転するときだけです、眼鏡は。
というふうに視力全般を当てにしないという生き方でいったんですね。
これは令和になって、目を節約するみたいなキーワードが飛び交うようになったら、
僕のそれまでの生き様が返って評価されるみたいなシーンがいくつか出てきましてね、
不思議なもんだなと思いますけど、そういう自分の流儀を一つ決めれば、
どっかのタイミングで何かむしろそれのほうがいいんじゃないかって言ってくれる人もいるんだなっていう手応えが感じられた一つでしたね。
あとは目だけを信用していないっていう生き様が、物の本質を捉えるときには必要だよみたいに、
歴史上の人物の末裔の人がいるんですよ、名前出せないですけど、
すごく序命な人にそういう評価をしていただいたりするので、
色弱だからその色弱を直そうみたいな努力よりも、色弱だからこそ気づけた部分、
それをボンと突出して出していったら、それが一つの評価対象になったっていうのは一番気持ちいい形だなと思ったんです。
というこの色弱のエピソード、これが今お話でも聞いていただいて何となく気づいていただいたと思うんですけど、
HSP、HSS型HSPっていうもの自体とすごい似てるところがあるなと思ったんです。
HSPっていうのも誤解がなくなり、ちゃんと直すもんじゃなくて、自分の気質なんだよということが一般用語として浸透すれば、
必ず認め合えられる、それが当たり前っていう風なところがもうすぐそこまで来てるんじゃないかなって思うんですよ。
HSP、HSS型HSPっていう方たちがそれぞれに自覚し合い、またそうじゃない人たちも、
HSPって気質なんだねっていう風なことを分かり合えたら、僕は大げさじゃなく世界は平和になるなと思ってます。
特にHSPの方っていうのは自分のためっていう原動力をほとんど発動しなくて、
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人のためにしっかり動いて動いてっていう風に、動かざるを得ないぐらいのパワーをお持ちなんで、
そういう人たちがその人に喜んでもらおうと思って行った行動、それが正当に評価されるというか、
フェアな形でありがとうっていう風な交換をし合えるっていう風な、これが今よりもっともっと誤解なく進めば、
本当に世界平和待ってるんじゃないかなと思いますんで、
僕の色弱っていうものがヒントになって、色弱もしっかりと着地ができてるようなイメージがあったから、
HSPも必ずそういう日が近々訪れると思います。
ですから私と同じようなHSS型HSPの人も、僕たち自身が気持ちよく生きるっていうことと合わせて、
何かこうしなきゃいけないみたいな決まりごとにとらわれずに、これ一つの特徴ですという中でできる社会貢献とか、
自分が気持ちよくなるための行動、そういったものを一緒に追求していきましょう。
ではですね、今日はHSS型HSPのキラテンが色弱であったが故に気づけたエピソードということをお届けしていきました。
またこんな風に皆さんも、それだったら私もこういうとこあるかもしれない、
みたいなことを気づいたら知らせてもらったら嬉しいです。
キラテンのホームページからですね、交流会のお知らせとか、個別で私と無料でつながるというふうなこともできますし、
私がね、HSS型HSPなんで、コミュニティとか所属するなんてあんまり得意じゃないんですよ。
ですからキラテンの場合は、ここに入って会員になってつながりましょうっていう風なんじゃなくて、
ラジオを聞いて、ちょっとキラテンシンパシーあるなと思った人がご挨拶程度にね、
いつもラジオを聞いてますっていうのをダイレクトにオンラインの画面越しに言っていただくとか、その程度のことですので、
何かしっかり会員になって、その会員に参加するのがもししんどくなってきたみたいなことがない形で、
皆さんといつでもつながれて、いつでも離れて、何の制約もないという中であったら僕は嬉しいですし、
私もそっちの方がいいという方はぜひまたね、キラテンのホームページで、
無料相談のところとかも覗いてみてください。
私のエピソードはこうなのよみたいなことも教えてもらえたらすごく嬉しいです。
では次回もお耳にかかることを楽しみにしております。
ここまでのお相手はキラテンでした。
こんなんでいいんだ。
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