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ゆいなわさんの聞く人ラジオ
みなさんこんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオの時間です。今回は、美容師・金子達也さんにお話を伺いました。
千葉県立山市で美容院を務んでいる金子さん。
僕が若い頃からお世話になっている方なんですが、今回改めてきちんとお話を伺いました。
髪を切ることを通して、とてもスケールの大きいお話が展開されていきます。
好きなことを毎日やっている。
仕事もすごく興味があるし、仕事以外のことも興味がある。
またそうなってきた。
以前は仕事の方が自分の中に詰め込みすぎたので、その反動かな。
すごく仕事が自分にとってはきついものになってしまった。
やっぱり仕事というものは受け身的なところがまずあって、徐々に人間って仕事というか、たまたま私の場合はお客様が増えて来られたので、
それに乗っ取って、その分だけ仕事をしなきゃいけないという役割を自分に課せた。
自分からやったってこと?
断ってはいけないと思った。
誰を断るか、誰を受け入れるかということは、この選択は僕の中ではできなかった。今もそれはないと思う。
受け入れるものはすべて受けなきゃいけないという本能的なものでずっとやっていた。
そうしたら完璧にキャッパーオーバーした。
その時からちょっとした本とかを色々読み始めて、高ジャンルで。
ランダムにだよ。目についたものだけだけどね。
自分のその時の認識的なものを迷ったからやらなきゃいけないというところを、やっぱり血につけるわけじゃないんだけど、
なのために生きるとまではいかないよ。そんな大きい問題じゃないんだけど。
自分の精神的なものを押し付けるために、色んなものを読んだりした時があったな。
そういう読んだことによって、ちょっと落ち着く部分があったりとかですか?
今まで理解しようとした。読んだもんだから所詮。体感ではない。
でもそれでもやっぱり僕は美容嫌いになったことはない。きついなと思ったことは散々ある。それは仕事で言うな。
内容的なものは、美容って非常に難しいなと思った時もあったけど、今は難しいと思うことはない。ただ深い。
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深い?
めっちゃ深い。
今もじゃあやりながら気づきとか?
いや、これはもうその連続だよ。
連続なんですね。
さっき来たお店様も、みんないらっしゃるサイクルは違うから、みんな壊れ方もあるんだけど、その中から気づきはある。
それをまた思った、気づいたものに誘導していく作業を毎回やってる。その繰り返し。
出会いをしてるって意識的なものがたまたまそこから繋がるだけで、基本的にはそこの気づきから物事を割り出しながら。
割り出してる。感じてる。思考は使ってない。
感じてるんですね。
思考はあんまり役に立たない。考えるから。どうしようって意識になると。ここには答えがないから難しいってなる。
深いは違う。意識の話だ。
それはやっぱり、経験を積み重ねて今そう思ってる?
いや、もともとあった。
もともとそうなんですね。
もともとあったものがやってきながら、そういう認識がより目覚めたというか、生まれたというか、気づいた。
そうなんですね。
ない人間にはできない。
ちなみに最初、この美容師っていうお仕事をなりたいと思ってやったんですよね?
いや、単なる偶然だな。本当に偶然としか言いようがない。
そうなんですか?
漠然としたものの中で決まったっていう、本当に特別なきっかけ的なものはない。
たまたまちょっとした資料から、本当にたまたまなんだ。
それが今に繋がっている。
ただ一つだけその時の自分の中で覚えてるのは、僕はサラリーマン向かないなと思った。
やっぱり自分の考えが一つところがある。非常に。
自分なんかまだ全然未熟だって分かってながらも、自分で認識できないことというか、自分が理解できないこと、しっくりこないことかな。
それは僕は受け入れられない。
建前的にはOKだよ。本質的には入ってたくない。
そういうところは学生時代には感じていた。漠然とだよ。
やっぱりそういう人間なんだな、今改めると思う。
これもだって理屈は僕には通用してない。
建前的にはある。でもこんなのどうでもいい。
常識なんかはっきり言って意味がない。
人間が決めてるその、なんて言ったらいいんだろうね。
建前的なものというか、いろんな治療的なもの、マスタミロとか、人間のあり方的なものを対面的に作ろうというだけで、中身はないと思う。
じゃあそもそもサラリーマン的な選択はなくて。
建て社会的なものとか組織的な中で、僕は多分活動する人間ではないなと漠然と思っていた。
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でもそれはやっぱり正しかったと思う。
社会を否定してるわけではない。
自分はどうなんだろうな、どう思うんだろうな、どう理解するかな、どうすんのかなって自分はやっぱり捉えたかったと思う。
これは多分僕の中にある。生まれの中に多分あるものだ。
自分で理解する、感じながら、感じながらやっぱり何か捉えておこうとか、歩んでいこうとしたのかなとしか言えないんだけどな。
そしたら勉強を当然するわけじゃないですか、この美容師になるための勉強、学校に行くというか。
でも勉強はさほどでもないな。
学問的なものとか、そんな難しないではないので、普通にアンケルクはできれば簡単に点数は取れるよとしてるんだけど、そういう世界だよ、国家試験はね。
じゃあそれを取って、実際その…
ただ入った時にみんなそれぞれのスタイルがあるじゃないですか。
やってながら美容師さんとしての先鋒を見てる中で、そういう中でいろんなものを感じ取ったことがあるかな。
みんなそれぞれの価値観というか思い、考えでやってるんだろうなって。
それもなんか感じたし。
俺はどうなんだろうなと思ったけど、僕はそこは意外とあんまり探究せずに、僕は僕なりのやり方で全然いいなと思ってた。
全然漠然としてる。
だから何を学びたいかと思って、それに向かって非常に努力したわけでもない。
あんまり僕、努力ってあんまり興味がない。
目的がないとやらない。
だから将来のために頑張ろうなんて意識は僕には全くない。
だからその時にあったものに対して現象が起こって、何かを感じ、そこで何かをするかっていう判断しか僕の中にはないから、
先のことを考えてっていう人がいるけど、よくわからん。
なんでわかるのか、正直に聞きたい。
だから違うことが起こったらどうすると思う?
その時じゃないとわからない。
人間とはそうやって揉み切って、こうやったらいいなと思えばあるかもしれないけど、これはそんなことではない。
だから基本的には歩みながら、それに対してどう自分で感じ、どう対するかっていう連続で、
僕は多分、僕の人生はそれに成り立ってる。
先のことを思うことについては、僕この中では非常に無意味だと思う。
違ったらどうする?って。
結構瞬間的というか、今というか。
僕は感覚で生きてると思う。
でも感覚って言ったらそういうことになると思う。
思考をしないで、それだけの状況で最善は何だろうっていう。
多分そんなすごくシンプルな発想だと思う。
だから努力とかが好きじゃない。
周りが多分金岡さん努力してるねって言っても、僕は努力してやってない。
っていう感じじゃないってことですね。
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意識にやってる。
周りの方からそう見えるのかもしれないけど。
美容師は長い時間結構こう過ごされるから、そうやって思ってると。
でもそこにいる人間はそれが普通だよ。
それを多分疑問に持った人間はそこにはいられないだろうね。
だからその時の流れの中にちゃんと充能できてるのか流せるのか、これは微妙だな。
でもその中のことでいろんなものに追われてる中で何かをしなきゃいけないっていつも追われてるから、
その中で何かを生み出したら僕はなきゃいけないって事実だな。
それだけだよ。
だからその時に向き合ってたものが今につながってるだけで。
だからそうだな。
だからよく言うじゃん、プロとは何ですかみたいな。
そんなもんないよ。
その定義がおかしい。
プロって何だって聞きたくないよ。
意味がない。
何で決めたがる?
プロもアマチュア何?って。
その違いは?
やめろ。
それを話すレベルではない。
プロもアマチュアはいらない。
今関心があってやってる。
たまたまこの仕事をしてる。
だけ。
何を理屈をつけたいかって感覚はそんなもんじゃない。
全てのものは意味だよ。
意味は持っちゃダメだって。
自分の感覚的なもので、
やっぱり自分が心地良いものに対して向き合っていきたいなって思う。
心地悪いものはあまり関わらないんですよ。
心地良いもの。
好き嫌いはない。
そういう問題ではない。
好き嫌いっていう概念では捉えられない。
心地良いっていう言葉から発せる波動と好き嫌いは違う。
そうか。
全く別物だ。
神尾さん自身は?
自分的なものだと思う。
心地良いは科学的な言葉で言ってる。
そうですよね。
心地良いなーって感覚だからな。
体が開いてくる感じ。
開いてる感じだな。
気持ち良い温度の温泉使ってる感じだな。
ああいう状態に近くありたいなって思ってる。
で、より思えるようになってきた。
ああそうですか。
一生懸命やってること自体が自分をくびしびれたことがたくさんあった。
でもこれはもっとやっぱり違うわけじゃない。
なんかもうこの捉え方は良くないなと思って。
やっぱり良い悪いではなくて、
心地良い環境の中に自分を自ら置きたいと思う。
自分を置きたい。
その環境の中に自分を置きたい。
環境って何なんだろうな。
その時の瞬間なのかな。
今聞いてるとそういう感じしますね。
心地良さに対してすごくちゃんと敏感でいられるようにしてる。
それが五感だと思うんだよね。
感性ってさ、そこかな。
そうすると人間ってすごくリラックス状態で、
発想力も必然的に良くなるし、
思考する時って苦しいんだよね。
詰まってるものとか、そういう時も過去あったね。
この時間何これを壊さなきゃいけない。
そうするとそういう計算が高くなってくるか、
どうしても段取りを考えてくるよね。
12:00
そうするとやっぱり違うんだよね。
頭で混同してるからね。
そうか。違うって感じるんですよね。
ぎこちない。
違和感みたいなものがあるから。
うりくり持ってるから。
感覚の心が解放できてる状態に近い時に
仮に切ってるのと、すごく心地良い。
すごく心地悪くない。心地いい。
変な違和感がない。
そうじゃないというか、違和感があるのか。
その違いか。違和感があるのかないのか。
そういうことですね。
うりくりこの時間枠に当て込む。
これはビジネスだ。
ビジネス。
ビジネスってお金的なものから発想力があるんだよな。
この時間でこの段階でこうやるとどうなるか。
これも計算としては必要なんだよね。
でもそれは一つのやっぱりあり方であって、
でも基本的にはそれを抽出したところに
そういう感性ってあるよ。
そういう感覚で切ってる仕事は
お客様が良い目で賛同してくれるというか、
お客様も共有できる喜びが生まれるんだよ。
そういう中でのお互いの何と言うのかな、
何だろうな、価値観というか、
喜びとは言ったらお客様たちの価値観ですね。
ちょっとあるな、なかなかいいもんだ。
今そういう環境、もともとあったんだと思う、イメージは。
ただだいぶ近づいてきた感じがする。
でもまだまだだよ。
これは多分ずっとやってると思う。
人をかわして色々成長してる感じがして、
それ自体がなんか面白い。
その中で自分が喜びとは言わないけど、
楽しんでる自分がいることが
自分だから自分で嬉しい。
自分で嬉しい。
やっぱり僕も切ってもらったりしてる中で、
切るということをしてもらってるんですけど、
お話ししたりとか、この空間にいてっていうことが、
それを総合して良いものを感じるっていうのはあるのは、
今のお話にも繋がるのかなと思うんですけど。
ありがとう。
もともとなかったものじゃなくて、
実際あったと思う。
ただそれが自分の中でよりリアルになってきてる。
しか今は言えない。
だからよりこういう風にありたい。
よりありたい。
そうすればもっともしかしたらそれが膨らむかもしれない。
頑張ろうとかっていう概念はない。
意味がない。
何のために頑張るかってものが、
僕の中では多分みんなも分からないと思う。
たぶんシャリムに合ってるって言葉は、
基本的にもがいてるイメージがある。
もがいてるものはごめん、何も生まないよ。
苦しみだけだ。
でもやっぱり人間っていうのは、
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色濃すぎるものの状態とちょっと違うとは思うけど、
感覚的にすごく満たされてる状況っていうか、
不安がない状態というか、不自然じゃない状態は非常に心地良いもので、
その中で日々役割として髪の毛を切れっていうことは、
すごくありがたいことだと思う。
仕事っていう概念がどんどん少なくなってきて、
今は役割なんだ。
そうなんですね。
相当面白いんだ。
お金との足り合い的なものも薄れるんだ。
そうなんですね。
でもそこでちゃんとそういうお客様たちが、
それに賛同してくれると、
そこでたまたまそういう流れが生まれるから、
たまたま食べていけるんだ。
面白い。
それはその感覚に至ったんですよね。
今は足を半分突っ込んだかな。
足を半分突っ込んだ?
まだまだだよ。
そうなんですね。
何年になるんですか?
40年かな。
40年?
うん。
でも散々もがいてると思うよ、その前に。
感覚的には僕はやっぱり、
髪もそうじゃん。
切り方もほら、
センディングバサミオンリーで使って、
縦切り切る切り方は、
僕は誰にも教わってないし。
それは自分で?
そうだね。
ドライカットっていう技法は、
もともと習ったことは習ってるんだけど、
勝手に今の切ってるやつはやっぱり自己流だね。
多分美容師みんなそう思うよ。
そうなんですか?
美容師は習ってるけど、
やっぱり自分の中に置き換えてる感じがする。
自分のものにどんどんなってて。
僕の中で切り方は基本的にはね、
カッティングではない。
やっぱり削ってるイメージがある。
削ってる?
彫刻に近いと思う。
彫刻?
削ってるから。
線では切らない。
あれは建築だよ。
なるほど。彫刻なんですね。
髪の毛自体ってのは、
一歩一歩の方向性から来てから全部違うっていうと、
バツンって濡らして一線で切ると、
そこにやっぱり連帯感が生まれないっていうか、
切っていくイメージがある。
切断させていく。
もともと自然のものを削り取りながら、
全体的な調和的なものを。
だから下手すると僕たちは、
自然の調和を壊すこともあるんだよ。
なんでですか?
線で切って、無枠で切っていくと、
自然ってものじゃなくて、
なんて言ったらいいんだろう。
本来、自然界のものっていうのは、
線では証明できないっていうのが、
だから点で切ってるイメージなんだよ。
そういう桁しかできない。
線で切るってことは、
周りの髪の毛で歪な頭の形をしながら、
髪の毛の一本一本の特性が、
似通ってるけど、
基本的には一本一本微妙に違う。
それを断片的に切り取っていくっていうと、
必ずそこに違和感が出る。
それを極力違和感を出させないためには、
ドライのした状態で、
削っていくって切り方しかできないと思う。
濡らしてしまった状況で、
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いつもみんなは、
毛はドライの状態でいるよね。
乾かした状態でいらっしゃるよね。
そういう状態から当てはめていかないと、
削ってしまうと、
毛の特性はみんな見えなくなる。
濡れればペタッとするし、
見える形状も変わってしまうし。
だから最初にドライカットの店に行ったのは、
それで結構自分の中では、
でも、もともとそれに違和感は感じなかったんだ。
掃除会議の中でももともと自分もしてたから。
それで自分の中で、
これ全然アリだと思って、
そんなにやってるうちに変えた。
だから技法的なものも多いんだけど、
実際。
営業もしてる中で、さっきも。
だから仕事をしてるから、
どうしても仕事で割れてるのを凝らさなきゃいけない。
それを自分で作ってしまったんだけどね。
だからどうしてもその中で割れ合ってていけなかったから、
すごく苦しかった気があるよね。
仕事だから。
仕事っていうものは、
一般的な美容師さんを例に挙げると、
やっぱりこういうものなんだ、
って自分の中で認識があったから、
やっぱりそんだけのを凝らさなきゃ、
やっぱり社会的じゃないんだけど、
やっぱり自分の責任じゃないんだけど、
やっぱりそういうものを、
ちゃんと自分でも担ってるから、
そういう対処はざっとやらなきゃいけないんだなと思って。
というか、そういう発想の人はいなかったから。
僕は美容師ってあんまり見たことがない。
何人か昔そういう人から、
ああ、こういう感覚もあるんだなと思ったんだけど。
基本的にはみんな、
ビジネスの中でやってるような。
そうすると、やっぱり手は縛られてきてね。
だって出来上がる時間も全部決められちゃってる。
何時間で上げてくれ。
そこではもう発想が飛ばないじゃん。
そうか。
だってそこに組み込んでいくか、
割り当ての中で形を抑え込んでいくか、
作っていくかっていう作業だって。
ああ、そうか。
それが出来てる人間たちが、
やっぱりカリスマさんかもしれないけど。
違う。
髪の毛の特性を非常に感じようとしたら、
時間制約にとられてしまう。
その時は自分のコンリーションも全部あるから、
時間には言えない。
絶対ありえない。
髪の毛を肌で感じるというか、
よりリアルに感じると、
時間的なものとかと、
じっくり見ながら、
髪の毛を自分の中で感じ取りながら、
形的なものが出来ていく。
自分で設定はしない。
ああ、そうなんですね。
もうよその設定はするかもしれないけど、
基本的にはあまり意味がない。
切ってるうちに変わってっちゃう。
ああ、そうなんですね。
最初にやっぱりお客さんって、
なんとなくイメージはあるじゃないですか。
お客さんの要望もあるでしょうから。
要望は聞く。
じゃあこんな感じでっていうのを見とって。
でも切っていきながらやっぱりそれは、
微調整でいくらでも細かい変化はあるな。
うちに来てる人は流れの方だから、
それはちゃんと捉えてくる。
ああ、そうか。
俺の切り方自体を理解してくれる方が多いから、
それに対するトラブルはない。
だから出来る限りのことはして、
差し上げたいと思うけど、
髪の毛は決めるもので、
私が決めるものではないから。
ああ、なるほど。
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髪の毛は決めるもの。
素材とかはそれでしょ。
その後ウェーブとか、
みんなクセクセって言うけど、
クセはウェーブ形状だけじゃなくて、
竹毛から波状毛から、
並びにいれば毛利の変え方、
角度も全部違うからね。
並びにいれば棒とかサンバでしょ。
その一本一本が10万本かかる中で、
その集合体を切ってるわけだから。
だからその特性をとにかく感じないと。
理解なんかできないように。
そうか。
じゃあ常に感じながら感じながらで変える。
理解は無理だ。
感じながらそのとこにだから。
何かを削っているイメージだよ。
たぶん彫刻とかも。
力でやったことはない。
木の芽を感じながらとか。
それと同じことだと思う。
芽にないものはできないし、
そのものがそれを僕に対して誘導してくれる。
ああ、なるほど。
人間はその能力がある。
だから職人はいる。
感じ取る能力があるから。
感じ取る能力。
感じ取る能力的なものを自分で体感しながら、
やっぱり方向性をまた各個人のフィルターを通して
導いていくんだと思う。
だから感じたいことにはどうもならない。
はい、そうですね。
感じるための余裕と時間と感じるための
やっぱり人間性を作らないといけない。
人間性だよ。
人間性。
身取りがある人間じゃなくて、
心が広い人間じゃなくて、
優しければやっぱり無理だ。
だからよりそれに近づく方が、
よりその情報が増えると思う。
じゃあ金子さんは普段そういう状態に自分をあるように。
その状態が心地いいってわかったから、
そういう状態にしようとした方が
僕作なんだって理解してる。
一時期はキャパを超えてしまうような感じがあったから。
うん、だから仕事から離れたかったもんね。
でもね、どっかでお客様っていうものが非常に大切で、
やっぱりその方たちは僕を応援してくれてるから、
僕はありがたいっていう仕事を本当にやって、
その中から僕は色んなことを学んできたから、
お客様ない場所にはできないんだ。
それも単純に自分の中で体感でわかってるんだよ。
ただ自分がそこの調整ができなかったから、
自分で勝手に苦しんだだけだから。
そっかそっか。
やらなきゃいけないんだけど、
物を感じるとか、そういう物を感じるためのやっぱり
間とか、空間とか、自分のコンディションとか、
色んなものが相まって進行していくので、
そこを自分の中で分かっていながら、
数を超えなきゃいけないっていうものもどうか言いながら、
それで必ずこうやってぶつかるわな。
だから夜中までやってたんだよ。
十字架駅に来たでしょ、朝十時から。
何とかしてなきゃいけないことと、
何とか感じなきゃいけないことを両面で両立させようと思ったけど、
それは無理だった。
足掻いてたんだよ、ずっと。
まだまだ両立はできてないよ。
あの時には、そういう在り方が自分で客観的に分かってきたから、
その時間を置いたりとか、
でもそうなんだよね、残念だけど、
僕新規のお客さん全く取ってないし、
何に変えてるかって私も一切聞いてないんだ。
今の仕事だけでも、就職だけでも、
それでも存分に、
24:00
仕事としては自分の中では役割があるので、
それだけでも結構いいお仕事ができるから、
だからそれよりもキャパが自分の中ではないんだよ。
より集中したい。
違うな。
集中したいんじゃないな。
その時間を自分の中で、
集中ではないな。
心地いい空間というか環境を自分の中で構築するために、
やっぱり余裕を持たないと、
それが焦りになるからね。
だからこの側のお客様だったら、
ちょうどいいかなってここで切ってるかな。
それをやっていく中で、
今そういう形に作り上げてきた。
で、今ここにいるっていう感じですよね。
だから途中から息子なんかも入ってきたし、
でも最初はそこがすごく自分の中で
違和感があったよな。
息子さんが。
今もたまに息子も、娘がたまにちょこっと来たりするけど、
息子も今授業時入ってますけどね。
息子と共に利用してたので。
でもやっぱり最初はすごく違和感があったんだよね。
今はでも、
なんかそれはそれでありだなって今本当に思ってる。
みんな違うし、みんなやり方も違うし。
もっとみんな気楽に切ればいいなと思う時あるけど、
余計なことは言わないし。
気楽に切ってないってことですか?
切ってない。
みんな切ってない。
どっかで窮屈な思いがしてる?
力入ってる?
みんな入ってると思うよ。
それが仕事だっていい奴もいるだろう。
自然体、自然体って言うじゃないか。
自然体って何なんだよって。
それはあると思います。
明確に言葉で言えないよ。
多分誰も言えないと思うよ。
感覚に近い。
非常にバランスいい空間の球体の中に
自分がポーンている感覚かもしれない。
強いて言えば。
それは非常に面白いですし、
共感できる部分があります。
そうじゃないと自然になれない感じ?
力がどこかに入って。
どこかに作用している感じじゃないんだよね。
みんなマックスか全く出してないかどっちかもしれない。
こうではないんだよね。
人間だからあるんだよ。
だから言ってるんだよ。
人間だからバランス的なものは多少いがみがあったりと。
当たり前な話。
でもその中で自分の中で回復ができればいいんだ。
休憩など求める必要性はない。
意味がない。
ありえないって。人間だもん。
でもそれを生み出していくというか、
少しずつでも回復できることはできると思う。
だから達成感はあるわけないし、
何もいらない。
ただそれに向かっているって感覚がいいんだよ。
達成感はあるわけないけど向かっている。
そっか。
達成はないんですかね?
達成することはない?
しなくていいと思う。
しなくていい?
ダメで。
できない?
ダメじゃない。できない。
達成はできない。
けど向かってはいるってことですね。
27:01
僕のベクトラはそっちに向かっているんだもん。
すっごい面白いですね、それ。
そうか。
でもそれはわかってるけどもうそういうもんだっていうことで。
その中で言い方は安心感があるんだよ。
僕はそこに向かっているんだ。
どこまでできるんだろうな。
しっかりやりたいな。
丁寧にやりたいな。
本当に丁寧って周りにも言うけどね。
丁寧ってのはその情報をちゃんとすぐさに見ないと
事物を表すじゃん。
丁寧にするってのは物事については配慮もちゃんとして
紙の生地で配慮もする。
お客さんに対しても配慮もする。
空間に対しても配慮もできなければいけないし。
その集大成だ。
それを丁寧って言葉で代用していくだけだよ。
丁寧って言ったら自分に対しても丁寧で
全てのものに対して
なんて言うんだろうな。
配慮しているっていうか。
そういうところが面白いよね。
配慮している。
非常にいいことだよ。
自分だけじゃない。
自分だけじゃない。
自分だけだとそれがなくなる。
自分ってものがその中にいて
自分ってものが存在しているってイメージかもしれない。
だからこの世の中は自分と自分以外のものがあって
それで構成されているってイメージがあって
それが心地いい。
みんな生かされているとか言うじゃん。
そういうことを言う資格は人間にはないと思う。
そこまで行っていない。
生かされているって本当に体験できている人間は違う。
何かあった時に
自分が生きているっていう瞬間に気づいただけだと思う。
生かされたって感覚が分かる人間いるわけない。
だったら生まれていない。きっと。
生まれているってことはそこまで深くて
そんなことではない。
究極はないんだよ。
必要ない。
なんで人間が究極を求めるんだって。
そこまでの生命体ではない気がする。
あるわけがない。
少なくとも俺はね。
だから勝手に目指すのは構わない。
そしたらトータスはできないって。
無理だよ。
周り見てたらそう思うもん。
いろんな形で見てたってごめん。
みんなのことはすぐさえ知らないよ。
無理だね。
悟りなんて言うけど悟りって何かと思うな。
いや、いかん。
僕はだから生きてるってことを
自分でその中で自分がセッションができるっていうか
生きてる時間を非常に自分の中で
ゆいぎりに過ごせるかっていうか
そのところ
なんて言ったらいいんだったらごめんね。
ちょっと話がある。
だから自分っていうものはこの地球環境の中で
地球ってものを自分を生かさせてくれるっていうか
そういう環境を与えてくれてますよね。
僕らもそこに生まれてるわけじゃないですか。
今存在してるわけで。
その環境の中で全てのものが成り立っているわけですよね。
それ自体がすごいよね。
30:00
そのだけですごいと思うんだ。
だからそれがもう理解できれば
別に深いことを理解する必要ですよね。
学ぶってことはやっぱり僕は感じるってことだと思うんだよね。
思考ではない。
思考って感慨的に自分の今のやってきた経験とか
そういうものからしか生まれないから
その先の到達点なんかないよ。
経験値の方が何倍も自分の中では
体感する方がよりリアルだもんな。
意識が広がるっていうか
よりグーって入ってくる。
だから体験するってことが一番だと思うよ。
非常に分かりやすい。
思考はごめん。
思考するんだったら外で遊んでるというか
何かをやったほうが良いと思う。
頭しか使ってない。
誤解も使ってないじゃん。
遊ぶって言うじゃん。
ちょうど方も言ってたね。
大江健さんがとにかく遊ぶみたいなことを言ってたね。
あれは無意識に自分を回復しろって言ってる気がする。
特に子供ってそんなとこあるじゃないですか。
子供はとにかく遊んでる。
解放するって言うのは言葉的にはあれかもしれないけど
とにかく自分で
あれこれ思考的なものを働かせないねってことだと思う。
思考を使わないで
感謝のままに行動してみたらって言ってる。
あと懸念に何かやってると
やっぱり何かに気づいてくるよ。
理由人なことも見えてくるし。
その理由人は何なのかってことで
やっぱり社会性も見えてくるし、感じてくるし
自分の中のその理由人さんにも気づいてくるよね。
でも理由人さんはあっていいんだよ。
気づかせると思うんだよ。
自分がどうそれに対して対応していくか。
対応って言ったら100%じゃないんだよ。
それでもあるって理解したから
じゃあどうやっていくかなっていうところで
その中で僕たちは現在進行形でやってるわけだから
あれだよ。
理解するんじゃなくて
なんていうのかな
それも一つの理解になるのかな。
だからそういう自分自身が今いるってことは
そういう環境の中に身を置いてるってことがすごくいいよね。
なんかみんなそういう感覚的なものが弱まってきてる気がする。
そうですか。弱まってきてる。
感覚よりも知恵の方に行っちゃってるとかそういうことですかね。
今の社会とか地球環境も全部そうじゃないか。
未来がないじゃん。
今の世界には未来がないよ。
もっと感覚的に。
人間がだからなんとか開いてないからじゃないかな。
開いてないと今ってことに執着するから
未来像は多分出てこないと思う。
今っていう感覚だと思う。
未来っていうイメージがいながら
未来が続くっていうイメージでいいと思うよ。
ずっと時間が時空間をついてくっていう。
33:01
その中にいるっていうと
そんなに縛れなくなる気がするけど
そういう認識的なものが弱くなってるんじゃない。
今って自分が今いるうちとか
今この瞬間とか
みんなあるけど
そっちの方が強くなってきて
今っていう認識と
先々を見通す感覚的なものが
バランスが悪くて
向こうが遠くの方が非常に
未来的なものが弱くなっていて
それ分今ってものに執着するから
そこでいびつなものが生まれてきてる気がする。
未来像的なものがないと
人間は安堵しない。
人間が不安に思ったりすることって
なんだろうなと思う。
やっぱり
不安ってなんだろうな。
未来的なものに対する
認識が足りない気がする。
未来っていうかずっと永遠に
その中についていくって感覚の
安堵があるよ。
やっぱり先がないとみんな不安になるわ。
なんていうんだろう。
だから変な話しちゃうと
僕はあんまり死ってものを感じないんだよ。
あ、そうなんですか。
感じない。
死はあるっていうことはある?
生き体的なものが多分証明するってことはあるけど
多分その先はずっと
なんかある気がする。
魂はある気がするよ。
多分あるもん。
気がするじゃない。
僕の認識で
やっぱり自分の見栄えをなくしている中で
その林中に立ち会ったりもしてるから
それを見て
動物とかもたまたま立ち会った気があって
人って
魂ってあるなと言いますよね。
抜け落ちてる感じがしたもん。
抜け落ちてる感じ。
スーッていなくなるんだもん。
今まで生きてたものが
物質化するっていう瞬間に
見てるから。
何か抜けたんだなと思った。
何か抜けたんだ。
多分魂なんだろうな。
そこに感覚だけしかないよ。
それがどの今後とかはあんまり興味がない。
何となくちょっと感じるところがあるけど
それは分からん。
だから永遠っていう
自分の中の永遠というか
そういう中で今ってものを過ごせることが
非常に変な話になっちゃうけど
安堵感があるかな。
安堵感。
それがだからさっきも言ったけど
余裕を持ってくると
その空間が広くなってくるのかな。
それとも少しリンクしているのかな。
何か変な話になったね。ごめん。
いえいえ。とんでもないです。
それはやっぱり
長年の中で自分がそう感じるようになった。
若い頃ってそこまで。
いや、もともと感覚はあったけど
何も変わってない。
ただ実体験を踏まえながら
自分の中でそれを教訓として
経験として
思考的にも
自分でそうなんだな
36:01
ってことが気づいてきたって感じかもしれない。
もともと持ってるよ。
君に気づくことなんかないよ。
自分の中のものを
どう開放していくかってことが
僕はもうそれしかないと
思うから
身につけるっていうのは違う。
あるものに対して何かの刺激があって
それが開くだけだよ。
ないものはない。
でもみんな特性をそれぞれ持ってるから。
それは何かっていうのは僕が
今はやっぱりそういうものが
非常に
なんていうのかな
そうだな
そういうものが非常に
なんていうのかな
うまく機能しなくなってる気がする。
機能しなくなる感じ。
だって今大阪行くためには
こうした方がいいみたいな
ひとつのマイナリングみたいなのがあるからね。
ひとつもひとつも。
ある程度形だけど絶対ではない。
だからそれにとらわれているところがある。
でもこんだけやっぱり
人間社会というものが
こんだけこういう風に構築されていくと
そうなってくるんだろうな。
自然の中で生きていないからな。
その中で自分のしなきゃいけないからな。
当たり前だよ。
でもそれが
だから人間社会で生きているだけであって
宇宙空間で生きているという感覚がないじゃん。
地球空間でもないじゃん。
人間社会で生きているだけじゃん。
だからみんな精神的に病んでしまう。
精神疾患があったかもしれないけどごめんな。
人間環境とかそういうもので
呪文時代とかあったのかな。
わからん。
人自体が非常に自分というものに対して
一生懸命頑張っていらっしゃって
そこから出てくるやっぱり
歪みというか
そういういろんな
雑念的なものというか
満たされないそういう
そういうもので
お互いを攻撃しちゃってるような
なんかわかんない。
あんまりそっちは興味がないけど
自分をだから
今は仕事もそうだ。
だからたまたま
美容というものを選んだんだね。
ただそれの中の
美容を自分の中でどう導いてきたか
というのは
自分の中にもともとあった思いと
その延長線上で言えば
今自分がいるよ。
もともと興味があったとか
ない。
ないんだ。
僕は高校の時に
進学を行こうと思ったけど
僕はやっぱりその時も大学に行く
っていうあれがなくて
なんだろう
もともと絶対的にやりたいものもなかったし
やっぱり普通高校だったからな
と思ったんだけど
すぐ働きはなかったし
でもほら
なんだろう
やっぱりそういうものを
自分の中に当てはめながら
それを理解していくという能力が
あったような
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やっぱり自分の在り方ってものが必要だったね
だから得意なことは得意だったけど
そうじゃないものはダメだったな
それだったらやっぱり
高校生が上がっていくと内容が濃くなってきますから
その方向性的に
自分もついていけなかったのも事実だし
そこには興味がなかったのも事実だね
だから僕は向かないんだろうなと思った
だからそういう中で
向かないところでやるのは僕としては
非常によろしくない
じゃあなんで美容師になったかわからん
そういう
進路資料室にあった
資料でパーって見て
ここに行こうと思ったのが
たまたまそういう美容専門学校
ここに行こうと思ったんだよ
なんでわからん
他のところも
見調べてみるじゃん
ここでいいと思った
なんでわからん
その先ずっとやってるけど
業を辞めようと思ったことは一回もない
興味がない
それ以前の問題みたい
だからわからない
そういうご縁があったのかな
それしか言いようがない
でも業を辞めようと思ったことは一回もない
僕なりの中で
美容っていうものを
自分の中で歩んできてる気がする
美容学校にもなったものではないから
僕なりのやり方で
やってきて
それにお客様たちが
合わせてくれた
合わせた
そのだけだ
すげえ話だな
ほんとに
すげえ話を
頭なんかごめんね
整理したんでだーって言ってしまったけど
いえいえ
でもやっぱり
思考的なものっていうよりは
感覚的なものにのっとって
言い方を
髪の毛っていうものに向き合ったほうが
非常にそこから来る情報量が多くて
そこの中で
髪の毛とセッションで
その中から膨大な
情報量を感じながら
自分の手が動いてくることは
非常に心地がいい
だから乗ってるだけ
情報が入ってくるものを
なんかで
連鎖して
手が勝手に動いてくる
そういう考えではほとんど入ってない
っていうのが先に動いてる感じだ
演奏家が楽器を演奏する
みんなたぶんそんな感じだった
引き込まれてくるんだよ
演奏家はピアノ
アーティストは
ゼロから帰ってくる
僕らは素材があるもんね
その感じは
楽しいよ
自分がやってるって関係なくて
自然的に引き込まれてくる
美容師は仕事ではなく
役割とおっしゃる金子さん
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他にも心地よさ
達成感はないけど
向かっている
という言葉が印象的で
どんどんとお話に
引き込まれていきました
そしてお話は後編に続きます