2023-06-18 21:32

【##24】「元小学校教員→所沢市議会議員」かんべ 鉄郎さん(前編)

第12回目のキッカケインタビューは、元小学校教員から今年の市議会議員選挙で当選されて所沢市議会議員になられたかんべ鉄郎さんです。地元の宮崎から上京、塾講師のアルバイトや小学校教員を経験。その後、非常勤講師と立場を変えて教育系のベンチャー企業の経験も経て、昨年引っ越しをした所沢市で市議会議員選挙に様々な人のご縁もあり挑戦。見事5位で当選されて「すべての子どもに」と明確な子育て世帯へのメッセージを掲げてチャレンジ中。民間から行政へ活躍の場を移されたかんべさんのエピソード、ぜひ聴いてください。


【キッカケストーリー】

1986年生まれ、宮崎県出身。塾講師のアルバイトや小学校教員などを経験。その後、非常勤講師とベンチャー企業の執行役員も経験しながらライフステージの変化もあり所沢市に2022年4月に引っ越す。2児の父として4歳・0歳の子育てもしながら、2022年秋に政治初挑戦として所沢市議会議員選挙にチャレンジして見事当選。教育に関わってきた経験を活かして「すべての子どもに」というメッセージを掲げて所沢を子どもの街にするべく政治家としてキャリアをスタート。


■本日のパーソナリティ

こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)


■本日のインタビューゲスト

かんべ 鉄郎さん

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かんべ鉄郎公式HP


この番組「40(FORTY)」は,、30〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


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00:10
40、30代、40代の生き方、働き方を応援する番組です。
パーソナリティの子供未来株式会社の千葉です。
今日は、きっかけインタビューの12人目かな、となる方に来ていただいておりまして、
初めてですね、いわゆる行政関係者というとちょっと硬いですけども、
先日、市議会議員選に出て、リブと当選されました所沢の議員の寛美さんに来ていただいておりますので、寛美さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いやー、おめでとうございます、改めて。
ありがとうございます。
すごいですね、僕、寛美さんと出会ったのも去年でしたっけ、去年でしたっけ。
うん、それぐらいですね。
初めて、一緒のコミュニティであるところで話をして、一応何度かお話してもらったりとか、
それこそ下北の多分オフィスにも一度。
いました。
すごく覚えていて、当時から、今日これから細かく伺っていくんですけども、
その子育てに関する思いだったりとか、教員時代の働いてた経験とかで聞いてたんですけども、
悪い悪いというふうにね、市議会議員選に出て見事に当選されてるのがすごいなと思って、今多分いろいろ知識かなと思うんですけれども、
当時の方では、その辺が何でチャレンジしようと思ったのかとか、実際どうだったのか、
あとはこれからどういうことをするのかということをインタビューさせていただければと思ってよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
それではごめんなさい、僕今ちょっとしゃべっちゃったんですけど、深掘りは分解していくんですけど、
簡単にプロフィールというか、自己紹介だけよろしいですか。
日本維新の会所沢市議会議員の寛兵衛哲郎と申します。
出身は宮崎県でして、老人も無効でしたので、2年老人したので、
大体20歳ぐらいまで宮崎にいて、東京に大学上京とともに進学したというのが経緯があります。
その時には政治家とか特にも興味がなく、ただほとんど仕送りをもらえないというような約束を得たので、
時給がいい場合じゃないかなと思ったら塾講師に巡り合って、塾講師を始めるという形ですね。
ありがとうございます。
超前半ですけど。
ありがとうございます。
塾講師をやって、その後教員になられたわけですね。
そうですね。そのきっかけはそれこそ、リクルートに就職活動で入ろうと思ったんですけど、
リーマンショックの後とかで採用数がグッと減っている時代で、
かつ人の成長をより支援したいなっていう思いに駆られて、
03:02
その当時お付き合いしてた彼女とどうすればそれってできるかねっていう話をした時に、
あなたは子どもも好きなんだし、保護者も好きなんだから、学校の先生向いてるじゃんって親と言ったのが一言で、
私はその一言が雷が落ちたような衝撃を受けて、
お、そうじゃんと思ってキャリアチェンジをした感じなんですね。
私自身、それまでは学校の教員になるとこれっぽっちも思ってなかったので、
こういう選択があるんだと思って、教員の大学に編入するという形を取ったんですね。
はいはいはい。
そうだったんですね、それなんか前聞いたかもしれないですけど、すごいですね、一言によって感じで変わっていくの。
なんかこう、理屈とかじゃなくて、
あら、もうとある一言で、きっかけとあるきっかけの一言で、人生とかって変わっていくんだなと思って。
そうですよね、本当に。
ありがとうございます。
いやいや。
いろいろ聞きかかっちゃうんですけど、ぜひ深掘りしければなと思っております。
かぶさん、今年齢36?
そうですね、今年7になります。
37歳の年齢ですね、ありがとうございます。
まさにコーティー聞いてもらっている人は、30代40代、ど真ん中の世代かなと思っているんですけど、
そしたら先ほどの宮崎地元で会議をして、上京してきたというところなんですけど、
それで言うと、上京してきた理由というと、ちょっとまた抽象度高いんですけども、
どんなことを聞いたんですか?
母が関東の出身の人間で、自分の父親も出身は宮崎だけど、それこそバーチーさんと一緒の大学なので、
こっちの大学に出るのが当然みたいな流れがあり、その中で和世代に来たかったんですけど、
2回チャレンジしてダメだったので、たまたまご縁をいただいた武蔵大学に入ったというのが経緯ですね。
なるほどですね。
東京に来ることは、ご家庭というか、なんとなくもう頭の中にはあって。
小さい頃からあって、それこそ箱根駅で見ながら、中央大学の市を見ながら、和世代の現地を見ながら、
自分はこっちの大学に行くんだ、勉強はする人間だったので、こっちの大学に行くんだというのがなんとなく思ってましたね。
東京出身なので、あんまり状況という感じがないんですけども。
なるほど。
ごめん、あんまり聞かないですけど。
学生時代の官兵衛さんを今自分で振り返ると、どんな学生だったのか。
どんな学生?
それって高校生ですか?
大学生。
大学生に聞いてみようかな。状況を知ってきて。
06:04
松井さんと同じコミュニティに、インアウトラボに共通の友人が2人ほどいて、
中3の西村君ってこと、まめっていう女の子がいて。
まめはずっと学生1年生からずっと見てるので、15、6年来の中なんですけど、
他人的に見れば相当なはちゃめちゃな人間だと思われてるんじゃないですか。
そうなんだ。
思いがけない行動をとるし、意外性があるというか。
自分自身も、結局自分が楽しいことをしたいよねっていうのはずっと思ってて。
それこそサークル選び、大学のサークル選びとかも、
1つ楽しいことで没頭できることをしたいよねっていう選択肢で選んだ。
それがサークルもそうだったし、たまたまの塾講師もそうだったっていう形で。
なるほどですね。
自分自身の自己認識とか、まめさん共通の知事もいるんですけども、
ある種自分のことを客観視、メタ認知して、
はちゃめちゃな行動って言えば、僕も人のこと全然言えないですけど、
いろいろじゃないですか。
アクティブに行動するタイプっていう感じですかね。
そういうことですね。フットワーク軽いと10人が10人言うと思います。
僕もがめさんから最初に会った時に、めっちゃフットワーク軽いし、
下木さんもピューと飛んできてくれたなっていう印象になりますね。
その今じゃ変わってないっていう。
そうですね。それ今も変わってないですね。
ありがとうございます。
塾講師のバイトをしている。
僕も印象に当時から残ってるんですけど、
これは何でやろうと思ったっていうのと、
実際やってみて、面白いエピソードとかあったら教えてもらってもいいですか。
そうですね。さっきもちょろっと話したんですけど、
きっかけは塾講師って受給いいよねっていう。
たまたま浪人時代、高校生にちょろっと得意な教科を教えてたことがあって、
古文を。そしたら、
てっくんの教え方すごいわかりやすいみたいな。
高校先生よりわかりやすいみたいなことを言ってくれて、
本当か?みたいな。その2つが引っかかっていて。
その中でやっていてすごく楽しくて、
本当に俗に言うモンスターペアレンスとか、
変な子供とか、
みんな変ですけど、
子供とかすごくよくしてもらって、
本当にノンストレスで、
先生同士とすごく仲良くさせてもらって、
大学入ってから編入までだいたい7年ぐらいあるんですけど、
そこの期間がすごく濃密で、
なんだろうな、面白いエピソード。
09:01
後で話すと思うんですけど、
選挙戦でもたまたまご縁があって手伝ってくれて、
ファミ先生のこのお一番は、
やっぱり僕も私も、
それこそお母さんも手伝わなきゃいけない。
こんなにお世話になったから手伝わなきゃいけないっていうのが、
すごく嬉しい出来事ですね。
繋がれてるっていうのが、
自分の、さっき一番最初に話した、
人の成長をより支援したいって言ってることを、
具体的に体感できているのが、
すごく幸せな出来事ですね。
この辺めちゃくちゃ価値観、
イヤードラゴンも含めてありますけど、
すごい似てるなっていうのが、
人の繋がりって、
線じゃなくて線で繋がっていくなっていうのが、
あるなっていう時に、
時間が経過して、
教え子の方が後半で聞きたい選挙に出る時に、
応援に来てくれるっていうのが、
またいいエピソードだなと思いますし、
教え子の今の話だと、
お父さんとお母さんというか、
ご家庭で、
家族で応援に来てくれたってことですか?
そうそうそうそう。
めちゃくちゃ嬉しいですね、それは。
政党関係なしで、
維新とか分かんないけど、
てっちゃんのためなら応援したいって言って、
東京の大田区から応援っていう人とか、
福岡からわざわざ飛行機とって、
元同僚とか。
それすごいな。
ありがたいですね。
今から聞いていく、
いろんな積み上げがそこにつながって、
いろいろ伺っていきたいなと思うんですけれども、
塾講師7年って、
あらためてすごいなって。
僕めちゃくちゃ秋っぽい生活なんで、
半年ごとに新しいことやるぐらいのスパンで、
いろんなことやっちゃってた。
7年っていうのはすごいですね。
やっぱり今触れたように、
実際楽しかったというか、
いろんなことがあったとすると、
自分には合ってるっていう感覚が強かったですか?
教えることが楽しいし、
それこそ成長を支援してるという実感も伴えてるし、
本当に楽しいですね。
教え事を書いたりとか。
楽しいですね。
結構早いですね。
アクションなんですけど、
なぜか塾講師は続けられたんですよね。
すごいですね。
ある人はこの後に教師になるっていうストーリーもあるかなと思うんですけど、
そこにも教えるっていう部分で言うと、
きっと歴史感覚もあるかなと思うんですけど。
なんか面白いですね。
ずっと小さい頃からそういうふうに、
何か教える仕事をしたいっていう感じではない。
今思うと、
伺っているんですけども、
そうした機会で上京してみて、
例えば仕送りっていうものがなく、
12:00
自分で稼がなきゃいけないっていう環境があって、
じゃあ自給がいいバイトっていうところから起きてたみたいなこともあると思うので、
きっかけってやっぱりいろんなところに転がってるんで、
そこで言ったらなと思いますし。
先ほど聞いてましたけども、
その後、教師になったっていうのも、
そうなんだっていうのがあると思うんですけども、
40で言うと、
働き方とかを参考にしたい人もいるかなと思うんですけども、
就職活動というか、
民間の会社を受けようと思ったりとか、
何か並行して考えてたんですか、その時は。
塾甲師時代、
大学1年生ぐらいからずっとやってたんで、
そこから就活っていう、
本来大学就活っていうのがあるんですけども、
結局さっきも話したように、
良い人の成長を支援したいってことで、
就活は辞めて、教員っていう道にとりあえず行ったわけなんですけど、
だから一般的な就職活動とは私はちょっと違うかもしれないなと。
また、教員の採用事情というと、
本当に今苦しい世の中なので、
教員不足、教員不足って言われている世の中なので、
本当に一つにの、
一人一人の子供を見て、
成長を少しでも実感できる教員っていうのはありがたいので、
本当にいろんな立場の方が教員に入ってほしいなというのが
心底を持っているんですけど。
なるほどですね。本当にそうですよね。
これは全然フランクにされちゃうんですけど、
いろんな先生がいる中で、
僕のお世話になった先生といえば、
お部屋がないというか、
個人的なNイコル1の感じなんですけど、
やっぱり社会に出たことがなくて、
ずっと教室にいる先生よりも、
いろんな経験をしている先生の方が響くなというのが、
僕みたいなアグレッシブなタイプにはそうだったなと思うんですけど、
そういうことをやっている。
例えば、亀井さんみたいに十個したくさんやったりとか、
逆には教員の経験もありながら、
この後、ベンチャーというか、
企業で働いた経験というのもどんどん出てくると思うんですけど、
いろんなことをされている方が、
今回、いわゆる政治家って言っていいかなと思うんですけど、
今回、Nイコル1になったというのは、
すごく応援したいというのが、
僕もそう思いますし、
多くの方もそう思うかなと思うので、
経験というのはすごい大事だなというふうに思っています。
本当に先生というところで見ると、
教員時代あった話は、
小島さんが話していたのと本当に似ていて、
ある時、月曜日に同僚と話していて、
土曜日、日曜日、
大学の友達と飲んでいたんだよねって話をしていて、
その人の出身校は東京学芸大学で、
日本学芸大学という先生になる学校。
私はその時に気づいたのは、
この人って23歳から退職の65歳まで、
ずっと教員とコミュニティにずっといるんだ。
恐ろしいと思ったんです。
平日も祝日も。
その話をたまたま他のメディアでお話した際に、
15:04
もともとの知人で、教育史以上の女の子だったので、
日本の教育ほとんど知らないと。
その上で言ったのが、
かんべきもわからないけど、
学校の先生って7歳。
小学1年生から退職まで65歳という学校という枠組みしかいない人たちだよね。
かんべきも小学校という職場での話はしたけども、
学校という大きな枠組みでずっと囲われている人たちだよねって言われて、
すごくハッとしたのを覚えてて。
だからこそ本当にいろんな人が教育現場に入ってほしいなって思って、
私も今知恵会議員でやりたいことの一つとしては、
そういうのをすごく考えています。
なるほどね。
いいですね。そこをぜひ後で深掘りさせてほしいなと。
前回というかね、一番初めにかんべきさんと喋った時のそのエピソードとかすごく、
いろんな経験されている。
子供の未来株式会社でこういうストーリーをいろいろ聞かせてもらってるんですけど、
いろんなダイバーシーな人が集まるから見えることってやっぱりすごくあるなと思うんです。
もちろん一方でずっと業種をやってるというかね、
ずっと同じ会社をやってるという人も好きだと思ったりするので、
そういう価値観が入り混じると嬉しいなと。
ありがとうございます。どんどん聞きたくなっちゃうんですけど、
そうしたら前半ちょっと次ぐらいまで伺えればと思うんですけど、
もうそこにしばらくやってたところから、
僕がやった時にはそれもやりながら、
多分ベンチャー企業というかね、
スカート会社で働いてたっていうのも記憶してるんですけども、
そこに行動が移ってきたきっかけみたいなものがあったらお伺いしたいのかもしれません。
教員って副業ができない仕事なんです。
教員って3種類の雇用形態があって、
1つ目が正規教員、教員採用試験を受かって先生をやる人。
2つ目が常勤講師といって、
分かりやすく言うと3級、1級の代わりに先生だったりとか、
要求の先生。この2つに関しては副業ができない。
一方で3つ目の非常勤教育講師っていうのは、
担任は持たない。
だけども、かつパートタイムみたいに時間が決まってるので、
逆に学校ではお金稼げないけども副業OKっていうのがこの3つ。
副業形態としてまずありますと。
教員やっていく中で、もちろん仕事としてのやりがい、生きがいは感じてたんですけど、
対先生との圧力っていうのはすごい私の中であって、
なかなか職員室に行くのが厳しくなったと。
メンタル的にも病んだっていうのが正直なところあって。
その中で教員としては続けたい子どもと親と関わりたいっていうのはずっと持ってて、
常勤、正規教員を辞めて常勤講師になってたんですけど、
18:03
ただ非常勤講師だったら会社の仕事もできるっていうのは分かったので、
非常勤の講師によって今やってる株式会社エディターの執行役員だったりとか、
自分の個人で授業やったりとか、お勉強しに行ったりとか、
そういったことがやってるっていう経緯ですね。
なるほどね、ありがとうございます。
確かに、言われてみたらそうだと思うんですけど、
教員ってそうですよね、副業はできないというか、結構忙しいというか、そういう印象が強かった。
正規、常勤、非常勤と分かれていて、非常勤だとあるってことですね。
そうなんですよ。
非常勤の先生って今増えてるんですか?
あまり学校というか学年とかによって全然違うと思うんですけど。
そうですね、非常勤、常勤が足りないっていうのは常にあって、
学級担任だった先生が病気になって休んじゃうってパターンになると、
その常勤の先生を当てがわないといけなくなるので、
そっちのニーズはあるんですけど、非常勤にそこまでニーズがなくて、
もっと非常勤の人たちの雇用をいい意味で増やしてあげれば、
常勤の先生イコール担任とか、
常勤の先生もいるんだけども、入れ替わりで、
子どもの精神安定上どうかっていうような意見もあるんですけど、
そこもうまくフォローしながらできないかなーなんて思っておりますね。
ありがとうございます。
この辺も全然僕はなかった。
一回この前、去年か去年いただきて、
中学生、それこそ学芸大附属かな、
友人の企業家が年に一回講師として行くみたいな。
僕もこの前、いつだっけな、数ヶ月前、3ヶ月前くらいかな、
企業家の一人として行かせてもらって、
中学2年生の前でやっぱり、
少し自分がこういうふうにやってて、
今こういう会社やってるんだって話をさせてもらった。
個人的にもすごい良い経験だった。
僕でいうと、子ども未来で結構未就学児と触れる機会とか、
子どもも今小学生になったので、小学生とか会うし、
上になってくると、高校生、大学生とかも結構今、
所属しているコミュニティにも至りはするんですけども、
中学生と会うっていうのがめちゃめちゃ新鮮だなって思ったんですけど、
やっぱり、僕個人もそういう勉強になったし、
僕だけじゃなくて7人の企業家でその授業、
あらわれ2年やったんですけども、
学生さんもすごい良かったって後で感想とかたくさん送ってくれたりしたので、
そんな取り組みとかも本当にいろんな意味で、
官民連携というか、産学連携ですかね。
はい、話を聞いてと思いました。
ありがとうございます。
ちょっといろいろと、ちょうど前半はこのくらいなんで、
ちょっと後半、ぜひ聞きたかった。
21:01
そうしたら、塾講師やって、教員やって、
ベンチャーとか志向役員とかも今、
拳にしてる話まで聞いたんですけども、
どういう経緯で、ぜひ立候補しようとしたのかみたいなことを、
深掘りしければなと思いますが、
ちょっと前半はここまでとさせていただきたいと思いますので、
皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。
では、後半。
ありがとうございます。
はい。
21:32

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