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2025-01-15 10:55

#0121 自主トレ期に思い出す2000年代前半頃の選手意識と坂選手とのトス打撃


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サマリー

自主トレ期間中の選手たちの意識や過去の合同自主トレの形態について語られています。特に坂選手のトレーニングスタイルやその影響を受けた選手たちの成長について考察され、時代の変化とともに選手の自主性が重要視されるようになったことが紹介されています。

自主トレの現状と過去
フル野球は今、黙々と自主トレをしている期間であり、2月1日に向けて、そろそろかなり実践的な調整というか、急ピッチで進めていくような形になっているのではないかなというふうに、一般的には思います。
選手としては今でこそ自主トレというのが、コーチ、監督、あるいは首脳陣の目の届かないところで行うという、教えてはいけないという取り決めになっていますので、
一人で黙々とやる人もいますし、場合によっては、先輩とかですね、球団の枠を越えて、アマチュア時代の繋がりとかね、そういったものも含めた形でのネットワークで合同で自主トレをしたりとかですね、
まあそういう、派閥と言ったらおかしいですけども、そういうね、やり取りというかね、なされた後に調整をしているというところなんですけれども、
以前はね、合同自主トレと言って、まあ今、新人がね、各球団ではそういう形で一箇所に集まって自主トレをするという形になってますけれども、
あれがまあ基本的に外国人選手とか大ベテランを除いては、まあほとんど全員がこの時期、本拠地のところにはもう集まって、みんなでまとまって自主トレをするという時期がずっとあったわけです。
まあいわゆる強制自主トレというね、ちょっと恨み的な言い方をするとね、そんな言い方は誰もしてなかったんですけども、合同自主トレと言っていながら共同じゃなかったんだよというね、当時の選手だったOBの方達っていうのはね、振り返ってよく苦笑いしながらおっしゃっていました。
ただそれが必ずしもね、いいのか悪いのかっていうのがあったりとかして、やっぱり若い選手がですね、どうしていいかわからなくなっちゃう。この時期どうしたらいいんだろうというね。
あるいはその何でしょう、ついついね、遊んじゃうって言ったらおかしいけどサボっちゃうというか、あまりきちっとした調整を自分の意思だけではね、やりきれない場合というのがあったりとかしてですね、自主トレこれ選手会プロ野球の選手会が頑張ってその自主トレの期間というのをですね、確保したわけですね。
その強制自主トレにするのではなくて、選手たちが自分たちのね、裁量でやっていく。それはなぜかというと、選手のその統一契約書の中に契約期間が指定されてまして、プロ野球選手というのはキャンプインの行われるその2月1日がその年度、まあ契約で年度毎年やってるわけですね。
だから契約公開というのをやってるわけですけども、2月1日、契約期間としては2月1日から11月30日までかな、ですね。
10ヶ月間の契約なんですね、正式には。12月と1月というのは契約外、期間外ということになっておりまして、まあ球団からのそういう拘束を受ける筋合いはないよと、そういう期間だったわけですね。
坂選手のトレーニングと成長
その期間にもかかわらず、強制的に召集がかかって実取りをしてたので、それはおかしいんじゃないかということで、完全に自由並みになったということだったわけです。
で、これがですね、実は解禁、そういうのがなしになってね、自由にやっていいという風になった当初とかはですね、結構皆さん戸惑ったんですよね。
どうしていいかわからない、トレーニングの知識がないし、一人でやるにしたって走るぐらいしかやりようがないとかね、まあそういう時代だったわけですよね。
で、僕のちょっと思い出に残っているのは、プロ野球の楽天球団が誕生した時に組織改変というんですかね。
まあその選手会等のいろいろな兼ね合いがあって、球団再編というね、球会再編という事件が起こったんですけども、あれ2005年ですかね、だったかなと思うんですけども、この時にですね、楽天に、金鉄から楽天かな。
金鉄から指名を受けて、その翌年に楽天になった球団がね、その後ね、阪神に活躍した坂勝彦選手というですね、上層学院の出身で、上層学院時代3番ショート、3年生の時は守って、チームが全国制覇をした時の選手だったわけですけども。
阪神、一番皆さん記憶に残っているのは阪神時代ですかね、どこでも内野ならどこでも守れるというタイプの選手で、そうですね、一軍の二番手というかね、ユーティリティーに近い形で、バッティングも素晴らしく、長打力がなかったですけども、それでもね、そこそこ大きい当たりも打てたし、左右に打ち分けるようなタイプのバッターでですね、そこそこ活躍しましてですね。
引退後は独立リーグのね、BCリーグのイブラキ・アストロプラネッツの監督を務めたりとかも地元ですからね、してたんですけども、坂勝選手を取材したんですよね、ちょうど9回再編で落点になった時ですね。
落点になったというか、要するにオリックスのプロテクトから外れた形になったのかな、坂勝選手に関しては。落点に移るということになったわけですけども、その時やっぱり2年目とかくらいだったと思うんですけど、坂勝選手が。
2003年のドラクトで入って2004年に合併に伴って落点に移ってますがそうですね、2年目のオフに突然、その時落点は各自で自主トレやってくれみたいな、まだ球団ができたばかりでそこまでいろいろとどうすることもできないし、
あの当時はもちろん常になってましたから、自由にっていうことになってましたから、自主トレに関してはもう各自でやってくださいみたいな感じになってたらしくてですね。
前の雑誌、新人の要するに自主トレで、新人に関しては集まってやってたので、2年目でさあどうしようみたいな風になって、ものすごく困惑してたのを覚えてます坂選手が。どうしたらいいんだろうみたいな感じで。
自主トレの模様をちょっとその雰囲気写真みたいなのを撮りたいなということもあって、編集の当時栗山さんという編集部員と僕も一緒にという形で同行したわけですけども。
その時に練習の模様をじゃあ撮影させてくださいと。インタビューとは別の日にちょっと撮影させてもらったんですよね。
選手の意識の変化
そしたらですね、実家に帰られていたので土浦の方に行ったんですけども、近くのですね、なんかそこら辺の街のグランドみたいなところに案内してもらってですね。
ここでやるんですかって言ったら、いや大丈夫ですよここで空いてるんで誰がやってもみたいな感じで。
誰もいないんですけど平日の昼間だったっていうこともあったんですけどね。
で一人で軽くグランドの周りを走ってですね、ちょっとじゃあキャッチボールを相手しましょうかみたいな感じでキャッチボールの相手したりですね。
軽くトスバッティング、ペッパーとも言われますけども、こっちがピッチャー役になって軽く投げて、それを坂選手が打ち返して、それを繰り返すというね。
僕は取ってという形で、それをもうその撮影する練習風景の撮影という形でやったんです。
今日はね体をちょっと動かすだけでいいのでって形で、そのぐらいでやったらもう今日はもう明かりますんでみたいな感じで。
その時はね母校の上層学院のグランドを使っていつもはやってますみたいなことを確か言ってたんですよね。
ただ選手の接触ができませんので、授業をやっている例えば午前中とかにやったという形で一人でやってましたんでね。
結構ねあのどうしたらいいんだろうなぁと思いながらやってますみたいなね感じででも考えてやってますみたいな感じでした。
まあトスバッティングがですねすごくて、どんなボールを僕が投げてもね全部僕の取りやすい正面のほとんど動かないといい位置に帰ってくるんですよね。
だからやっぱりバットの角度というんですかね、そういうバットコントロールが素晴らしいなっていうのをあの時初めてプロってすげーっていう風にね実感した時でしたね。
ただですねそういう戸惑いの時期というのを経てですね、今はもうね皆さんご存知だと思いますけどもかなり良かったと思うんですよね。
トレーニングの知識とか実施トレのそのメニューのことなんて今までそれまでは選手がもう全部あの上の人に任せっきりで考えてなかったわけですよ自分で。
それがですねやっぱり今もう10年20年経ってきてですねもうそういうのを自分でしっかり考えて最初からねそういうのを考えられるようなリテラシーというかそういうのをね持って望んでいる選手ばかりになりましたのでこれ結果的に良かったんじゃないかなというふうに思っています。
はいということで今日は実施トレに関しての話をさせていただきました。
それではまた次回をお楽しみにしてください。
バイバイ。
10:55

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