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あけましておめでとうございます。 antipop.fm 第8話です。
新年といえば、抱負などを述べてですね、 気持ち新たになる季節ですよね。
僕も毎年、ざっくりではありますけれども、 抱負をブログに書いたりしています。
内容はまあ、ダイエットするとか、 本をもっと読もうとか、
まあ、そういう当たり前かつ、 毎年同じようなことばっかりなんですけれども、
そんな中で、これもまた、 毎年言っている気がするんですが、
英語の勉強をしようとか、 はたまた他の言語、
例えばですね、ドイツ語、フランス語、 イタリア語、中国語の文法書を読むぐらいはしたい、
というようなことを書きました。
そんなわけで、うちには、 独物いい文法の教科書が取りそろえてあってですね、
いつでも勉強そのものは始められるという 状態になっているので、
あとはまあ、やるだけですよね、 とか言って、10年以上経っておるわけです。
もちろん、それぞれに少しぐらい 読んだりはしたんですけれども、
とは言ってもですね、英語については、 ソフトウェアエンジニアをやっているんですけれども、
その関係上、読む必要はよくあるので、 その範囲内では必要ですけれども、
言葉と言えば必要なんですけれども、 会話をするという意味では、
もちろん、できるに越したことはないにしても、 少なくとも現状はほとんど不要なんですよね。
ましてや、その他の言語については、 必要になる気配すらないわけですよ。
それなのになぜ勉強したいと思い続けているのかといえば、
日本語以外の言語を自由に使えるように なったときにですね、
自分の考え方というのがどういう感じになるのか というのにずっと興味があるわけです。
僕はですね、ナボコフという作家が 好きなんですけれども、
彼はロシアの出身で、 ロシア革命によって亡命をして、
ドイツを経てアメリカに渡って、 かの有名なですね、ロリータという作品で、
世界的な名声を得たという人なんですけれども、
ロシア語で作品を書いたのはもちろんのこと、 ロリータもそうであるように、
むしろ英語で書いた小説によって名が売れた人です。
ナボコフの場合は、ロシア出身といってもですね、 貴族の子供なんで、
子供の頃から英語やフランス語をがっつり習っていて、
小さい頃はですね、むしろロシア語の方ができないのはまずいと、
親が感じてわざわざ勉強をさせたというぐらいの人です。
ナボコフというのは、それだけ英語ができても、 ロシア語で表現できても、
英語では表現できずにもどかしさを感じる、 というようなことをよく書いたりしていました。
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そうなるとですね、そういうのってどういう感じなんだろうと、 純粋に興味が湧いてくるわけですね。
僕のような英語も録音できない人間にとっては、
ナボコフのような交渉の悩みというのは、 無縁なんですけれども、
興味あるようなという感じですね。
そういうハイレベルな話じゃなくても、 単純にある文章や会話というのが、
複数の言語によって語られるという事態そのものに、 僕は関心があるわけです。
ルー・オシバさんのいわゆるルー語と言われるような、 ああいう喋り方というよりは、
もうちょっと文章的な要素が長い複数言語の 根性による表現という事なんですけれども、
あるいはですね、会話をしている両者がそれぞれに、 別の言語を使っている状況というのも興味があるところです。
例えばその前者については、 僕が面白みを感じる最近の一番いい例というのが、
菊地成吉さんが菊地凜子さんをプロデュースした 凜秒というアーティストのアルバム、
体現例に収録された3Bという曲で聴くことができます。
これはですね、バイリンガルの女の子3人が 日本語と英語をごちゃ混ぜの会話をするという場面が
曲の途中に入っています。
同じアルバムのモーニングという曲では、 菊地成吉さんによる同様のパフォーマンスもあったりして、
そちらとしてはいわば絶妙な微妙ぶりで、 なかなかむずむずする感じで、
それはそれでいい感じなんですよね。
ところでですね、先日観光されたオン・ユージュという作家の、
台湾生まれ日本育ちってエッセイ集を読んだんですけれども、 それをまた複数言語の使用というのがテーマになっている本です。
著者は台湾人の両親の下で台湾に生まれたものの小学校に入るあたりで、
父親の仕事の関係で日本に移住して、 それからはずっと日本で暮らしているという人です。
台湾にいた頃は自由に話せた台湾語混じりの中国語が、 日本に来てからは両親は日本語それほどできなかったので、
家では中国語が話されていたものの、 やっぱりどんどん話せなくなっていく。
そんな中で天気があって、高校・大学と中国語を学んでいくわけですけれども、 やっぱり日本語の方が上手なわけですね。
それに中国語を話していたのは幼少の頃なので聞き取りはできるんだけれども、 話したり読み書きしたりという意味では結構大変だったようです。
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そういうわけなので、学校では基本的な日本語を学ぶ一方で、 家に帰れば母親が台湾語混じりの中国語に、 ルー語よりも適当な感じで日本語を混ぜて話してくると。
子供の子の著者は、それが恥ずかしくて怒りを爆発させたりもした、 というようなことが書いてあるんですけれども、
この本でも何度も語られるように、長じてからは、大人になってからは、 母親のそういう話し方を受け入れられるようになり、
むしろママの言語でママ語と呼んだりして、 複数言語の自由な使用というのを肯定するようになってきます。
文章は基本は日本語で書かれているんですけれども、 台湾の親戚たちとの会話の場面や、母親のしゃべるママ語などは、 中国語と台湾語が入り混じった形で表記されます。
最初に述べたような、複数言語使用の現場感みたいなのが得られるというのはもちろんなんですけれども、
単純に文章として表現力が高まって、文芸としての読む楽しみというのも、 複数言語による表現にはあるようなと単純に思うわけです。
最近の文芸における複数言語を巡る作品としては、 これはさっき読み終えたんですけれども、
ジュンパ・ラヒリという作家の、 別の言葉でというエッセイ集もまた面白いものでした。
というか、オン・ユージェさんの本を読んだことで、 このテーマ、複数言語の使用というテーマに対する熱意が自分の中で再燃して、 ラヒリさんの本を買って読んだということなんですけれども、
ジュンパ・ラヒリさんという作家は、 インド出身の両親の下でイギリスに生まれた後、 数年後にはアメリカに移住して、
家庭では両親の母語であるのはベンガル語で、 学校などの社会生活では英語を話すという育ちをしてきた。
ベンガル語は読み書きはできないけれども、 会話は普通に両親と話しているのでできるし、
英語では後にオーヘンリー賞とかピュリッザ賞などを受賞するような、 今は国際的に著名な作家なわけです。
そのラヒリさんは日本語を勉強することを 勧める両親を持ったオン・ユージェさんとは違って、
親からベンガル語を話すことを強いられていて、 長年アメリカに住んではいたものの、
また彼女自身がインド系ということもあって、 完全にはアメリカ社会に馴染みていたわけではなくて、
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アイデンティティが定まらない状況にあったようなんですね。
そんな中、旅行にたまたま行ったイタリアで、 イタリア語の響きに感銘を受けて、
コツコツとイタリア語を勉強し続けた。
20年近く勉強を続けた後、 イタリアネスがこうじてローマに移住しちゃうわけです。
この別の言葉でという本はイタリア語で書かれているんですね。
英語による消失で世界的な名声を得た作家が、 アメリカからローマへ住む場所を変えるのみならず、
言語まで変えてしまうということには、 周囲からはたくさんの反対があったようなんですけれども、
著者は言いに返すことはないんですよね。
むしろイタリア語で書く方が自由だとまで言うわけです。
自由とは言っても、もちろん作家として活躍するほどに 能力が高い英語で書けたようには、
イタリア語は当然運用できないわけですよ。
むしろ英語の能力が高ければ高いほど、 その差は開いていくでしょう。
しかしですね、ベンガル語と英語の間で アイデンティティが葛藤していたところに、
第三の項としてイタリア語が入ってきたことでですね、 自分をより自由な観点から表現できるように変化したというわけです。
本の中でそれがどんな変化であったかが、 オイディウスの変身物語に収められている
アポロとダフネの話によって語られます。
アポロに求愛されて追い回されていたダフネは、 もう逃げられないというところで観念してですね、
父親である川の神ペーネイオスに頼んでですね、 月経時に姿を変えてもらって南を逃れます。
もちろんですね、樹木に変えられてしまったので、 それまでの自由な暮らしとは打って変わって動けなくなってしまうわけなんですけれども、
著者はダフネの変身後の新たな性に自由を見出してですね、 それを自分のイタリア語における自由と重ね合わせて語っています。
つまりですね、アポロのようにしつこく追い回してくる英語から逃れて、 安全なイタリア語の中に逃げ込むということだと思います。
自由に読み書きできる英語とは違ってですね、 イタリア語の制約の下での静かな自由ということなんでしょう。
外国語で文章を書くのは内面を見つめる行為であると、 著者は書いているんですけれども、 それもまた同じようなことを意味しているのかなと思ったりします。
僕自身はですね、英語もろくにできないので、 こういうことを言うのもアレなんですけれども、
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似たようなことを感じることはいつもありますよね。
例えばですね、おととしい記念館、ツイッターやブログを ずっと英語だけで書くというのをしていたりとか、
去年はもうちょっとプライベートな内容を割と長めに英語でブログに書いたりしていたので、 自由にはならない言語なんですけれども、
そうであるからこそ、日本語で書くとですね、 むしろ自由すぎて自動的に書いてしまうような表現とか、
あるいはちょっと気恥ずかしい気持ちになるようなことというのはですね、 逆に自由に書けるというような気がしたりしています。
そういう意味ではですね、いきなり突然なんですけれども、 第2話で話した瞑想に近い効果があるのかなというふうに思ったりもしています。
つまりですね、いつもは気まぐれに任せてですね、 放っておいている自分の内面というのをよく見つめるということなのかなと思うわけですね。
そのことで、自分でも知らなかった自分自身の考えや気持ちというのに気づくこともできます。
何も国外に出なくてもですね、そういう意味では別の言葉で書くことで、 自分自身をですね、よく見つめ、より良い状態にですね、 変化させられるのではないかと思ったりしているところです。
そんなわけでですね、今年は和補文も書いたので、 ぜひとも何か一つ別の言葉を少しはものにしたいと思っているところです。