1. ケイシャのしゃべり場
  2. #18 学生時代から刺激し合い高..
2021-10-15 17:53

#18 学生時代から刺激し合い高め合う二人/D.白川 東一&D.上原 桂

【内容】創業メンバーにKOO-KIのなりたちを聞いてみた/ディレクターズカンパニーからスタート/自分で何でもやりたがりの集団/キャパオーバー時代の到来/クリエイティブスタジオへ/フリーからIターン就職/大学の同級生/社会人、離れていてもお互いの作品はチェック/福岡から世界へ

【ゲスト】白川 東一/代表取締役副社長 兼 ディレクター            
     上原 桂/ディレクター

【出演】 山内 香里/アシスタントディレクター
     泥谷 清美/広報

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※件名は「ケイシャのしゃべり場」にしていただけると助かります。

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ケイシャのしゃべり場
はい、始まりました。ケイシャのしゃべり場。
この番組は、映像制作会社KOO-KIのメンバーが日々感じているおもろいを語り合い発信するトーク番組です。
私、KOO-KIアシスタントディレクターの山内と
KOO-KI広報のヒージャーが、毎回いろんなメンバーとともに緩く雑談していきます。
本日のゲストは、KOO-KIのディレクター2名をお呼びしました。
KOO-KIの副社長と兼ディレクターしています。
白川です。
上原です。
よろしくお願いします。
今日お呼びしたお二人は、ディレクターのお二人なんですけれども、
白川さんは、創業メンバーに近いメンバーという感じですよね。
できてから半年で入っているので、創業メンバーかなという感じです。
で、ずっとKOO-KIで第一線でディレクターとして活躍されていたという経歴ですね。
で、主にCMですとか、ちょっとファミリー向けの映像が得意とされていて、
子ども向けのアプリケーションなんかも開発されていたりとか。
ミスターシェイプですね。
10周年、今年の10周年です。
135万ダウンロード。
詳しいね。
入れときました。
ありがとうございます。
っていう経歴の持ち主ですね。
上原さんの方が、2014年とか。
2012年ですね。
2012年にKOO-KIにディレクターとして参加して、今に至るという感じで、
ミュージックビデオですとか、テレビCMですとか、そういった演出を多く。
オリンピックショーにPR映像とかね。
とか、プロジェクションマッピングとかも色々してて、
結構音楽に強い、音楽の演出に強いディレクターっていう印象を私は。
私も持ってました。
ありがとうございます。
そんなお二人をお呼びして、ちょっと今回はお話ししていこうかなと思うんですけども。
今回はせっかく創業初期から参加されている白川さんをゲストにお迎えしたということで、
うちの会社の成り立ちというか、組織のスタイルというか、
そういうものについてちょっと伺っていこうかなと思うんですけども。
そうですね。
もともとディレクター、ほぼほぼディレクターで始まった会社なので、
ディレクターズカンパニーっていう風に言っていた時期もあったと。
結構みんな、自分で何でもやりたがる人たちの集まり。
映像をもちろん作るけれども、その映像を作るための企画を考えるのも大好きだし、
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それを人に説明したりとか、説明した後にさらに作る時に、
自分で手を動かすのも大好きだし、最後まで責任を持ってやりたいよねっていう風な形で、
みんな結構集まっているメンバーでもあったので、ずっとそういうスタイルでやってきていて。
で、ずっとやってどれくらいかな。10年、15年ぐらい経った時かな。
もう、とてもじゃないけど、自分の業務範囲が回らないっていうぐらい広くなってきていて。
で、さすがに自分たちのやっていることを、もっとちゃんと人に物を作って伝えるためには、
自分たちだけで完結するっていうやり方っていうのはちょっと限界かなっていう風に。
他の人の手も借りよう。
うん。若い時はね、何でも自分でやりたいっていう風な気持ちがあったけど。
営業から。
もう自分で仕事を取りに行って、取れた時の達成感。
で、それを自分の責任で作る責任感。
できた時のお客さんが喜んでくれたり、何か残念なことがあったり、
その頃はもうプロデューサー権ってことなの?
だからその、型書きっていうものを特に持って立ち回ったりは、そんなに意識してなかった。
自分たちは物を作る人間だし。
名刺にディレクターって入ってなかったんですか?
昔はね、型書きとか一切入れてなかった。
あ、そうですか。
だから、その、型書きっていうものを特に持って立ち回ったりは、そんなに意識してなかった。
で、その、型書きっていうものを特に持って立ち回ったりは、そんなに意識してなかった。
で、その、型書きっていうものを特に持って立ち回ったりは、そんなに意識してなかった。
で、唯一、代表取締役とかは入れてなかった。
いや、入れてなかったな。
誰も型書きを入れずにずっとやってて、さすがに誰ですかっていう。
どんな立場の。
何者ですかっていうふうな局面がすごい多くなってきて。
何者ですかっていう。
で、そこら辺は始めた時との組織の規模であったりとか、自分たちの達成すべきポイントみたいなところがやっぱり徐々に変わってくる中で必要かなと。
で、当然、プロデューサーと呼ばれる人も一緒になって、物を作っていくっていう体制が必要なんじゃないのっていうふうに。
マウチーが入ってきた時とかは、会社の大きな方針としては、ちゃんとプロデューサーがいて、ディレクターもいて、もちろんクリエイティブのスタッフであったりとか、そういうメンバー構成だったと思うので。
ここ10年ぐらいはもちろん、ディレクターズカンパニーというよりかは、もうクリエイティブスタジオというか、そういうふうな形でやっている。
最初に自分たちの手を動かしていくっていうのが大事だったんですよね。
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自分たちの作業単価を上げていこうみたいなふうにすればよかったっていうわけでもなくっていう感じなんですか?
作業単価を上げて、
自分たちの価値を上げて、
みたいなことをやったりとか。
そういうのが大事だったと思うんですね。
そういうわけで、
風には なんか風にすればよかったっていうわけでもなくって言う感じですか作業を淡化
ないなぁやろうそうそうそうそうその自分たちの価値をそうそうあげああ みたいな
まあ単価が上がるって言ってもそのもちろん限界はあるし なんかそれよりもっと作りたいっていう気持ちの方が強かったからもっとたくさん作りたいために
たくさんあんなこともやりたいこんなこともやりたい でたくさんやりたいってなった時にまあ
単価では到底そこはバランスが取れない 自分一人の体でちょっと足りなくなったっていう自分一人では足りないしまあどっかで長い
ことやってると自分より上手い人っていう人が周りにはいるんだっていうことに気づいて そういう人たちと一緒にあった方がより良いものができるっていう風なのに気づき
始めたっていうのはあるん ディレクターズカンパニーからそのクリエイティブスタジオになったっていう時に組織を大きくして
いきたいよねっていうなんか一つ野望みたいなのもなんかあったりしたのかなぁとかも 思ったんですけど
あったよねー 3年2年3年前にもね
で隠しようぜっていう まあ大前提として僕は副社長をやってますけどその
みんなプレイングマネージャーというか 作りながらも経営もやるっていう風にやってて
経営のプロじゃないっていうふうな自覚はすごくあって だから複数の人たちと経営を一緒にやっていくっていうふうなこともあるし
やりながら試行錯誤してやってきたっていうこれまでの経営もあるので まああのスケールどこまで大きくするとかどういう組織にするっていうのはもう
常に答えがない中で 今この時点でこの5年後10年はこういうふうに考えてやっていく
もちろんそのかっこたるものをずっと持ち続けてやっていければもちろんいいんだ けれども作りたいものも常に変わってくるし
新しい人が入ってきたそこでまた化学反応が起こって違う展望が見えてきたりとか 逆に出ていたことによってそこはクローズしたりとかっていうこともあって
まあその時その時を精一杯考えて できるだけみんなとも一緒に考えながら
やっていけるといいよねっていうふうには 思ってますけどね
なので大きくしようっていう風にしてたのは一回トライはした 結果自分たちのスタイルとはちょっと違うかなっていうのは今感じてるっていうふうなことを
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そうやってまた来年また人増やそうとなるかもしれない
そこは生き物だから こうあるべきだっていうのをはめる話じゃないから
そういう経緯もありつつ上原さんは上原さんで何かこう 惹かれるものがあって空気にジョインしたとは思うんですけど
どういうところに惹かれてみたいな感じなんですか
きっかけ東北の震災 その時東京でやってたから
フリーランスでね
まあもともと大阪出身で大阪も戻るのも考え
地方でやるとどこがいいかなっていうのは空気は立ち上げてから知ってるんで
30いくつやろうねあの時ね半ばぐらいかな
まあまあこの都市で引っ越して知らん土地に行くって面白いよね
あって行ってみるかと
それはなんか白川さんのスカウトみたいなのもあったんですか
いやいや俺から電話して
行っていいって言って
えそうなんですか
もともとお二人はお知り合いで
まあ同級生大学の同級生
そうそうなんで最初に空気立ち上げたのはそのうちの江口寛と
あと一緒に立ち上げたのが竹木雄一人
あ二人ともご存知だったんですか
でその竹木雄さんが俺らが大学の時に助手をしてたのよ
映像コースのね
表示の助手っていう任務をしてたのよ
その助手の任期が4年で終わるらしい
俺らの入った年にちょうど助手始めたんで
卒業するタイミングでその人も助手が終わると
どうしますのこれから
そしたら福岡で会社立ち上げる
それが空気やって
なんでその成り立ちから知ってはいるんで
で作ってるもん見ててああおもろいな
知ってたんでちょっと地方でやるなら
地方って言い方も悪いけども
東京から離れてやるっていうのは
ちょっとそういう場所に行くの面白いかな
うまくいくかどうか知らんけども
そういうのをチャレンジしてみてもいいかな
というところで順略をした
ずっと空気のやってることはチェックしてたってことですか
そうね
同級生の活躍でもありますしね
白子は何やってんのかなじゃないけど
ちゃんとやっぱ空気って会社は
ちゃんと業界が注目されるものは
作り続けてる会社だったんで
やっぱ新しいもの出たら何々って見たくなるし
見てははーん言うしすごいすごい言うしっていう
そういうのがあるんで
そういうのはずっと見てはいるしチェックするし
目にも入ってくるし
あれをやっぱり福岡でずっとやってて
俺とかもKのことはすごい気になるわけですよ
時代とか特に
テレビつけたら
まあミュージックチャンネルね
当時MTBとかも含めて
Kが作った上原Kディレクターっていう名前の
ミュージックビデオとかがんがん流れるわけですよ
テレビを見てると
音楽専門チャンネルは
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ディレクターの名前が入ってますのに
それを見てもうね俺とかもめんさんとかはすごいショックで
ショックですかね
やっぱりすげー活躍してるなあ
そうなんだ
俺らもめっちゃ頑張らんといかんなあ
お互いそう思ってたんですね
よくねもめんさんと俺二人で徹夜して
昔のケゴの事務所があったんですけど
ケゴの事務所の屋上で朝日を見ながら
俺らも頑張らんといかん
そんな話をよくしていた
そうなんですか
そのエピソードよく聞く
よくおめんさんからも聞くし
こういうの結構焼き付いてるんよ
毎回屋上のエピソード
笑顔系の話は
よく屋上に行ってたんよ
いいシチュエーションですね
熱い話ですね
刺激与え合ってたんですね
でもやっぱりそういう
けいが10年前くらいに
空気どうっていう風に言ってくれた時は
すごいびっくりしたし嬉しかった
学生の時から
ちょっと一緒に物を作ったりもしたんよ
映像とかですか
映像
自主制作ですか
自主制作
そういう再会もまた面白いなと思って
今となってはっていう感じですけど
コロナになって
リモートワークが始まって
東京じゃなくても
東京の仕事できるじゃんみたいな
さっき震災で
雰囲気あるね
上原さんが地方でもできるなって思ったみたいな
そういう意味ではある意味
なんかちょっと時代を先取りした
仕事の獲得スタイルだなと思ってるんですけど
実際うちの会社も東京とか大阪からの
直で受ける案件とかがやっぱり多いし
結構なんか先取りした形になっているんだなっていうの
なんか最近すごく感じますね
そういう会社なかったんですか
昔は福岡に基盤を置いてとか地方に基盤を置いて
東京の仕事をする
まあなんか数としては少なかったかもしれない
その映像を作るっていう意味では
江口さんとかさっきのケイが話があった
滝京さんとか空気作る時の
やっぱ大きな思いとしては
地元が福岡ってのもあるけれども
同じものを東京で作るのと
福岡で作るのとやっぱ価値が違うっていう
福岡で作ったからこそ
見え方が違うっていうのをちゃんとブランディングしていきたい
そうするとお目立ち方も変わってくるし
福岡からその世界に向けて映像も作っていけたら
よりかっこいいよね
そういう思いで福岡っていうのは
すごく大事にしてきている
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このSNSとかでなんかの空気好きですっていう方って
福岡から全国へ世界へ行ってる空気さん
なんかいいよねみたいな
そういう雰囲気の方多いですよね
頑張ってくれみたいなね
博多の人ってそして地元が好きっていうアピールを
すごく他の県の人にする特性があるな
そういう傾向があるなってなんとなく思ってて
私大学が地元ではなくて他の県だったんですけど
それでもやっぱり同じ博多出身の同居の子とかは
いややっぱり福岡はね
博多はいいよみたいな感じだったんで
俺もけんも2人とも全然関係ない
そうなんですよね
ネイティブじゃない 福岡ネイティブじゃないから
2人とも大阪出身ですからね
関西からの福岡なんで2人とも
それもなんかそんな2人が福岡に来て
福岡の地で発信しているっていうのがまた面白いかもしれない
なるほどですね
なんかちょっと改めてちょっと自分の会社の
そういうなんか成り立ちというか
なんか話とかスタイルにちょっと聞けて面白かったです
じゃあ第1回目はちょっとこんな感じで
ちょっと閉めたいと思います
ちょっと次は第2回目次回はですね
そんな感じでちょっと空気はずっと成り立ってきたんですけども
今今の話で言うと
白川さんは今ディレクター兼
うちの会社は管理職みたいなのが明確にはないんですよね
マネジメントというか
まあなんかみんなディレクターもやれば
経営もやるし人も見るみたいな感じなんですけど
そんな人数も少ない会社なので
白川さんは今リクルートとか働く環境
こういうこういう何か会社の内装というか
内装業者
内装というか働きやすい環境をこういう風にしたら作れるんじゃないか
みたいなことを中心に白川さん中心に考えてもらってたりとか
上原さん上原さんで
制作の手を動かして作る人を見るリーダーみたいな感じで
ポジションちょっと置かれてたりとかするんで
ちょっと次回はそういう風な話を聞いていきたいなと思ってます
はいというわけで第1回目はこの辺ではいまた次回もよろしくお願いします
ありがとうございました
ありがとうございました
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