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はい、始まりました。ケイシャのしゃべり場。この番組は映像制作会社KOO-KIのメンバーが日々感じているおもろいを語り合い発信するトーク番組です。
私、KOO-KIアシスタントディレクターの山内です。
KOO-KI広報のヒージャーです。そしてゲストは前回に引き続き。
あいぐちです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、KOO-KIのビッグボスえぐちさんの回、第2回目ということで。
今回はですね、えぐちさんの映画監督としてのえぐちさんにフォーカスを当てて、いろいろと聞いていきたいなと思っております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。私、CMではもちろんそうなんですけど、えぐちさんが撮る人間がめっちゃ好きなんですよね。
撮り方っていうか、完全な人間あんまり出てこない。
みんなちょっと情けないところとか、そういうところが愛嬌っていうか、愛着になっている感じがしてて。
ちょっと語弊ありますけど、KOO-KIの人もね、本当にさまざまな人が。
そういえば。
問題ある人しかいませんよね。
確かにいるんで、味わい深いなって感じるんですよね。人間って味わい深いなみたいな。
そういうのを撮れてるっていうことは、えぐちさんやっぱ人間が好きなんだろうなーみたいなって思いながら見てるんですけど。
どうですかって思うんですけど。
そう言われると嬉しいですよ。
普段何考えてやってるかっていうと、そもそも人間が好きかどうかは置いといて、本当はあんま好きじゃないかもしれないですよ。
人見知りだし、怖いなって思うこともよくあるんだけど。
面白くない人って世の中にいないなとは思う。どんな人でも。
すごい無口で喋らない人とかでも、少しほじくってみると面白かったりするわけじゃないですか。
その意味で、面白くない人はいないから。
だとするんであれば、登場人物はみんなそういう意味で面白くしたいなとは思う。
オーディションの仕方とかも他と違うと思うし。
見てないか知らないですけど、いろんな監督と仕事してきた人たちからすると、そもそもあんま監督自分でオーディションするって人いないんだって。
そうなんですか?プロデューサーとかがするんですか?
プロデューサーとか女監督ですよね。女監督がやって、映像、ビデオ撮って見せてみたいな。
俺それはもう絶対嫌で。
かなり早くでも自分で見るから、オーディションはまず大変。
しかもすごい人数連れてきてくんないと嫌なんでね。選択肢として。
その中で選びます。選び方も多分ちょっと変わってんだと思うんだけど。
そうやって選んだ俳優さんたちにさ、そもそもオーディションってすごく偉そうな行為で、恥ずかしくて嫌だなって思うわけよ。
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人が人を選ぶっていうのはさ。
すごいそんな下品な行為をしてしまってるがゆえに、それで出てもらうことになった俳優さんに対して最高の敬意を払いたいなって思うと、
やっぱりその俳優さんがちゃんとその中で生きててもらいたいなって思うわけですよ。
ってなった時に、どうやったらこう生きるのかなと。
テクニック的にはいろいろあるんですけどね。
そういうふうに生きてるなって見えるための技術はいろいろあるんだけど、そういう気持ちでやってる。
やり方が他の監督と違うっておっしゃってましたけど、具体的にどういった会話が繰り広げられるんですか?質疑応答というか。
オーディションで?
実際その脚本を読みながら芝居してもらうのはもらうんだけれども、簡単に一言で言うと脚本の段階ってさ、やっぱりあくまでも文字だから、
その人がどんな感じの人なのかっていうところからが演出じゃないですか。演出であり演技なわけなんで。
オーディションの中でもうね、キャラクター作り上げてしまうよ。
ただ、例えばオーディションにひじやと山内が残ったとするじゃないですか。あるAという女性を演じてくださいってやるとするじゃないですか。
そうするとひじやが演じるAと山内が演じるAはおのずと変わってくるんですよ。
絶対。それも今までの人生とか何が好きかとかが違うから、同じ脚本文字だけの情報を読んでも絶対違うの。
だったらひじやのAを突き詰めていくとこうなるなみたいなことをやってみよう。
オーディションの中で?
オーディションの中で。ひじやがやるA、もっともっとこれを面白くしようと思ったらどうなるっていうのをやってみよう。
それと山内でそれをやると全然別のAができるわけよ。そのテンションの低さでやってみてとか、そのテンションの高さでやってみてとか。
それで最終的にどっちのAがいいかなって思って。
生きてる俳優が演じるってことは、そもそも脚本上に設定があるこの役だけれども、やっぱりそれが重なったところにしか答えないわけですよ。
例えば原作があるファブルとかでも漫画に描かれてる登場人物、これまんまになるわけはない。生きてる俳優が演じるわけだから。
その時にその俳優さんとその元々のキャラクターのこれが共通点だとか、あるいはこれが掛け算で掛け合わさった時に、どうそれが進化したら面白くなるのかなっていうことを作ってるね。
そこでキャラクター作っていくから、必ずしも脚本を読んだ時と出来上がりの印象で変わってくるよね。
そう言われるのは嬉しい。例えばプロデューサーとかから、これ本で読んだ時よりもこの人物めちゃくちゃ面白くなりましたねって言われると、もうやったぜって思うわけよ。
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でもそれが俳優にとっても嬉しいじゃない。この人じゃなきゃ、あなたじゃなきゃこのキャラできなかったっすよみたいなのができるわけで。
でも視聴者目線の話になりますけど、私映画見る時、割とそういう視点で楽しんでますね。
この監督が撮って、何歳のこの人が今これを演じててみたいな、っていうので出来上がっててめっちゃ奇跡みたいな映画やなみたいな。
この映画がちょうど時代ともマッチしてるし、俳優さんとかの年齢ともマッチしてるし、よくそれたなーみたいな。これを形にしてくれてありがとうとかめっちゃ思いますし。
さらに言うとだって映画なんてですよ。企画から公開までってさ、1年とか2年とかのタイムラグがあるわけだから、
例えば今言ったいろんなタイミングが全部あってボンって出した時に、世の中のタイミングと合うって奇跡的よ。1年後2年後の話だから。
俳優さんとか、それぞれの人生にもいろいろあるじゃないですか。
そうだね。中にはね、撮った後になくなったりするパターンだってあるしね。
その後にもちもち思ってみたら、あの人ちょうどああいう作品でああいうセリフ言ってたなーみたいな。どんな気持ちで言ってたんだみたいなって思う時とか結構あるですね。
実写の場合、別にこれはもう映画に限らずだと思うんだよね。CMでも何でもそうだと思うんだけど、
なんていう監督が言ってたかは忘れちゃったんだけど、撮影っていうのはね、その場にいる俳優たちがその役を演じているというドキュメンタリーを撮っているんだ。
といった人がいて、まさにそういうとこはあるよね。
難しいのが、脚本っていう楽譜があるじゃないですか。あるいは絵コンテ企画っていう楽譜があるんだけど、
そのあくまでも楽譜であって、それを例えばいろんな楽器の演奏者が集まってそれを形にしていくときに、
じゃあ譜面通りきっちり弾ける人が魅力的かっていうと、決してそんなことはないわけよ。
そこにやっぱり弾く人の感覚のアレンジが入ることで、ノリというかグルーヴが生まれて、
それが周りの奏者たちにもその影響が出て、それでトータルですごいエネルギーとか、
爆風みたいなものになっていくわけ。監督もそういう意味では指揮者単なる。
棒を振ってるだけみたいな。もっと強く歌ってみたいな。
じゃあちょっと話変わりますけど、映画っていろいろあると思うんですよ。
江口さんも朝ドラ的なめんぴりから、ファブルみたいなものすごい配給が大きい映画から、
ほぼほぼ自主制作というか、自分で企画を持ち込んで育ててきたガチ星っていうインディーズっぽい映画から、
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結構いろんな映画を撮ってると思うんですけど、いろんなジャンルの映画があるんで一概には言えないかと思うんですけど、
映画って自分たちで作ろうって思って撮り始めるのか、
例えばこういうテーマを描きたいみたいなのがスタートになってるのか、
それともマーケティング的にこの作品を映像化すれば収益見込めるし、
金になるだろうみたいな感じなのか、どういう感じで作られていくんですか、映画って。
いやもうね、それ山内もわかってると思うけど、全部あるよね。
全部あり得るし、どれが正しいとかどれの方が偉いとかっていうのは全くないじゃないですか。
単にガチ星の時は、俺もうあれはもうとにかくやりたくて活躍したくてしょうがなかったっていうエネルギーで、
いろんなところにも空気にも迷惑もかけたし、それでも活躍したかった。
結果でもやっぱりガチ星のおかげで、やっぱりそれを見てファブルの話も来たし。
ネットフリックスもそうですね。
ガチ星なんだ。
ちゃんとそういう意味ではさっきも言ったように、いくつか妥協せずに残せればステップになっていくんだなっていうのは思うんだけども、
でも今は空気っていうのはやっぱりそこはプロの集団だから、やっぱりちゃんと金になるものをやりたいなと思ってる。
金になりつつちゃんと面白くするっていうのが一番難易度が高いなって思う。
で、そこには作品性がなければやっぱりそれはそれで成立しないし、自分でもやっててつまんないし、
作品性だけではやっぱりお金にはならないし、それを両立させるってもう究極難しいがゆえに、
まあ今トライしてる、まあする意味があるなと思ってるんですけどね。
視聴者の目はどうですか?これもいろんな視聴者いると思うんですけど、メジャーな映画しか見ない人とか、
インリューズとかもいるみたいな、本当にいろんな人がいるんで、これもまた一概には言えないと思うんですけど、
見てる人自体のこととかって何か考えたりとかってするんですか?作品作ってて。
よくいろんなところで言ってるけど、俺めちゃくちゃエゴサーチするんですよ。
一日一回は必ず。特に一番最近作ってるものとか必ず。
カラメーターですね。
なんだろうね、視聴者が求めてるものを出してくれよ感はすごいね、今ね。
すごいなって思う。特にやっぱパブルとか原作があるやつが、原作ファンのその感覚ってものすごい。
なんで漫画通りにやってくんねんだ感がすごいよね。
確かにそれもあるけれども、さっきも言ったように生の生きた俳優が演じるから、
まんまにはならないし、まんましたところで漫画読んでおけばいいわけだから。
それよりもやっぱり原作と違ってめっちゃ怒られたとしても、やっぱりどっかで超えていきたいなって思うわけ。
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求められたものをまんま出すんじゃなくて、求められた以上のものを出したい。
そこにやっぱ驚きがあるなって思うから、そうしたいなって思うけど。
あとはもう、Twitterが原因で自殺した人がいるのも分からないなって思うけど、
みんな悪口がうまいね。悪口。こんな風に言ったらこいつ絶対傷つくだろうみたいな。
この辺のクリエイティブ力が、マイナスクリエイティブ力が今みんなすごいことになってるから、
だからエゴサーチして自分を鍛えてると思って。
もちろんものすごい褒めてくれる人もいるんで、それはもう救われますけど。
確かにファブルぐらい観客のパイが多いとすごそうだな、ほんとに。
でも逆に引き越しな感じで気になることとかないんですか?
受けなかったらどうしようじゃないけど。
それはもういつでもビビりながらやってますよ。
受けなかったらどうしようもそうだし、じゃあこういうのにしとこみたいな。
それが一番ヤバいやつだと思うんですけど、ヤバいというか良くない。
それがもし俺できてたら、もうちょっと器用に生きれたらと思う。
これもう極端なのよ。ちょっともう何か抜くと、
その時の俺のクオリティの下がり方が半端なくて、
いいところで抜くみたいなことができない。
それができたらもうちょっと楽だね。
でもそれも大切じゃん、実は。
良い加減っていう、良い加減じゃなくて良い加減っていうのはあるのはあるよね。
でもしょうがない、もう今更。
今更はオンオフなんですね、そのスイッチが。
もう全くそうなのよ。
レンジがないんですね、01で。
ひじやさんからないですか?もう私が聞きたいことばっかり聞いてるんだよ。
1回目2回目と。
やっぱさすがね、アシスタントディレクターだからこそ。
でもアシスタントディレクターとか言わない方がいいよ。
アシスタントってね、自分から言うことじゃないんじゃないかなって気がするんだけど。
人から言われるものってことですか?
人からアシスタントって言われることほど腹立つことないじゃないですか。
そういう意味では、人から言われるでも違うなって思うし、
俺の個人的な思いは、例えばディレクターになりたいんだったらもうディレクターって言っちゃえばいいじゃんみたいな。
結果まだディレクターとしてはまだまだでアシスタント業をやっていたとしてもいいと思うんですよ。
うちの会社だけじゃなくてね、映像業界全部そうなんだけど、
チームの一番偉い同僚がいて、アシスタントがチーフだ、セカンドだ、サードだっていうのがいて、
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みたいなその構造があって、セカンドの仕事の領域がここからここまでみたいなのが決まっちゃってるじゃないですか。
それはやっぱ効率化のためにそうやって一旦は決められてるだけの話であって、
そんなものは個人的には全然領域を飛び越えちゃっていった方がどんどん自分の仕事の幅は広がるし、
それに対して厄仮見を言う人はむしろその人も多分自分が単に追い抜かれるんじゃないかなっていう恐怖心だけだと思うから。
厄仮見っていうのはアシスタントディレクターからやっていくんだよ、キャリアを積んでいくんだよって言ってるっていうこと。
だから本当はもうディレクターなんですよって言っちゃえばいいじゃんとは思うけど。
確かにこの案件に関してはディレクターが江口さんで、私はそのアシスタントとして入りますよっていう案件単位での役割みたいなのは、
あった方が先ほど言われたように分かりやすいですよね。
そこからは山内がやってくれるんだなみたいなっていう。
だから空気としてはアシスタントって限定するっていうのは確かに幅を制限しちゃってる感じがしてちょっともったいないかもしれないですね。
そうなんよね。逆な話もあって、助監督っているじゃないですか。
これちょっと複雑なんですけど、監督の下が助監督ではないんですよ。
違うんですか?
少なくとも俺の中では。別職業。
そうなんですか。
演出部っていう部なんですよね、助監督たちってのは。
演出部の一番トップが助監督のチーフ助監督って呼ばれる、助監督の一番上の人なんだけど。
で、チーフ助監督ってだいたい一般的にはもちろん現場いろいろ仕切ったりもするんだけど、
どっちかっていうと現場の仕切りはその次のセカンド助監督にやらせて、
チーフは一歩引いたところで俯瞰的見ながら全体のスケジュール、そして日々のスケジュールを作るのがチーフ助監督っていう風に、
一般的にはなってるわけよ。
俺はよくやる助監督の猪越さんって人いるんだけど、スケジュール書くのが苦手なんですよ。
そうなんですか?
スケジュール書くのが嫌で。
だけど、カメラ前に来た時の仕切りは素晴らしいわけ。
そうなんですか。
一言で言うと、その人は太陽だから、現場が明るくなるわけよ。
俺はそこが好きで彼にお願いするんだけど、チーフだからスケジュール書かなきゃいけない。
だんだんその太陽が曇ってくるわけよ。苦手なもんね。
それじゃ意味ないから、本来はセカンドがカメラ前なんだけど、セカンドでスケジュール引くの得意な人入れたらいいじゃんってよく言ってるんだけど、いやー決まりだからさーって言って。
あんまりそういうことに縛られるのって損と思わないな。
そう思いますね。
分かりやすいようにという意味で名前つけてますっていうのは、それはそれでいいけど、やることは全然飛び越えていっちゃえば、その方がお互い楽しいしいいものができるんじゃないかと思うけどね。
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確かに。映像を作る能力はないけど、スケジュールがめっちゃ得意みたいな人が。
どころか、芸術的なスケジュールを組み立てる人がいるわけよ。
そうなんですか。
スケジューラーなんですけど。
スケジューラーってそうなんですか。
だからチーフが苦手な場合はスケジューラーを呼んだりするんですけど、本当に芸術的、楽譜を作ってるような感じで。
美しい。
数学的な美しい。
ネトリックスの時に、谷さんっていう伝説的なスケジューラーの、俺よりも全然先輩の人が、猪子さんがスケジュール組めないんで、猪子さんの窮地の中で谷さん呼ぼうって言って。
その人ね、パソコンじゃなくて独自の道具を持ってて、細長い棒をどんどん組み合わせていくパズルみたいな。
それ専用の道具ってことですか、スケジュールを立てる。
どうもアメリカのハリウッドでは、昔それを使ってたらしいんですよ。
パカッと開いたら、棒が並んでて、そこに細かくいっぱい書いてあるわけ、棒に。
縦に上にあったり下にあったり、他の棒を持ってきたりして、スケジュール組んでて。
で、できたってなったらそれを。
それをそのままコピー機にバチャンってやって、それコピーして配るわけ、みんなに。
それでも撮影入る前にやられるんですか。
入る前から、入ってからもいろいろね、転機とかで変更がある。
そのたびにその棒をこう入れる。
そうなんだ、そんなことができるんだ。
で、面白いのが、もうそういう、もうほんと先輩たちはパソコンをあんまり使うのがお得意ではないので、
コピー機でバチャンってこうコピーして配るじゃないですか。
そうしたらみんな見にくい見にくいって言うんで、今度はそれをパソコンで清書する係が現れて。
すごい。いいですね。
素敵じゃない、それって。
でもちょっと逆張りすると、私これ苦手なんでやりたくないんですよっていうのを言うのも違うだろうって言われそうな気がするんですけど。
だけど井野さんには井野さんの最大の魅力があって、それは井野さんが元気な状態で現場にやってきて、
現場を仕切ればとにかく光り輝いてるから、現場がとにかく雰囲気が良くなるんですよ。
それってめちゃくちゃ大切で、それは他の人にはできない。
まあできる人もいるかもしれないけど。
そう考えると一番幸せなのはやっぱり自分の得意なところにハマる人たちの集団であるっていうのが一番幸せだなって思うよね。
確かに。
だって得意なことだったら苦労しなくても、嫌だなって思わずに頑張れるわけじゃないですか。
やっぱり楽しいなってなるわけじゃない。
そうやってできるものはきっと素晴らしいものなわけ、その部分部分が。
それの集合体だとさ、いいよなって思うよね。
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人数が少ないとどうしても掛け持ちしなきゃいけなくなっちゃうんだけど、
そこの組み合わせ方をやっぱりちゃんと得意な人がやった方がむしろ効率もいいし、お互いストレスもないしみたいな、
そういう横断的なスタッフィングっていうのが小さい会社でもできるといいなと思うけどね。
確かに最近あれですよ、デザイン業界とかでも越境デザイナーみたいなワードが結構ホットワードな感じですよ。
普段はインターフェースみたいなデザインとかやってるけど、建築もやってみるみたいな。
なんかちょっと自分の領域からちょっとずらして、ちょっとスライドさせて別のところのこともやってみるみたいな。
そうやってくると自分のベースの知識が意外なところで役に立ったりみたいなところがあるから、みんなどんどん越境していこうよみたいなムーブがあるんですよね。
素晴らしいことですよね。だからね。
俺のことで言うと、やっぱりカラメーターやることで、これも全然違うじゃないですか。
本来の仕事とは違うんだけど、どっちも仕事なのに単純に気分が変わって気分転換にもなるし、
仕事とは関わる人が全然違うから、こういう職業ってこういうことなんだみたいな。
新しい発見があるわけですね。
めちゃくちゃあるね。
このポッドキャスト自体もおかしいですか?
映像業界、映像会社が音声配信しておかしいですか?
いやもうおかしくないんですよ。
その単位でも、私これもできるし、これやったほうが現場とか、この案件はよく回るだろうなって思うところがあれば、
どんどん介入したほうが効率もいいし、全体としてよく回っていくんじゃないっていう。
そういうのが嫌で、いやもう決められた範囲がいいんでっていう人もいるとは思う。
まあいますね。
だからそれはそれでいいじゃんと思うけど。
確かに。
百姓って百の姓じゃないですか。
百姓って農家のことかなって思うじゃん。
そうじゃなくて、昔は百姓さんって全部やってたらしいんだよね。
田んぼに行って稲を作るだけもやる、牛も飼う、冬はわらじを編む、着物を縫う。
百やる職業だから百姓って言ってたらしい。
超絶影響を与えるね。
じゃあ空気も。
映像百姓になりますから。
映像百姓。
私いいですか。
えぐつさんは作品が完成するところがゴールじゃなくて、
ヒットするまでを考えているみたいな話を伺ったんですけど、
携わった人々が次にまたいい仕事ができるように、
ヒットまで考えてるっていう。
結局さ、生まれた映像にとって最高の幸せはたくさん見てもらうことしかないからね。
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たくさん見てもらうっていうのは、つまりさっき言ったように、
すごいっすねみたいなものだったりじゃないと、みんなやっぱり見ないから。
本当さっきも言ったように、どこでも戦いだらけというか戦いしかないんだけど、
どんなにそれでブチ切れあったとしても、
結果やっぱり面白いものができたら、みんなハッピーなんですよ。
これがもう確固たる真実。間違いないと思う。
なので多少いろんな犠牲があったとしても、
もうそこだけは俺が守るのが俺の仕事だなと思っている。
それと全部うまく丸く収まるんだもんだって。いろんなことが。
絶対に面白いものしか作らない。
そうそう、そこから来てるんだけど。
えぐちさんと過去に話してて結構印象に残ってるのが、
えぐちさん自身も自分が見てきた映像とかにすごく影響とか感銘とかを受けてきたっていう自負があるから、
それを自分も映像を作って見てる人に影響を与えたいじゃないけど、
それって恩返しになると思うみたいな話をしていらっしゃいました。
恩返し?
映像に対する恩返しだね。
過去に見た衝撃的な映画や映像との出会いがあったおかげで、
今自分がこうやって熱中できる仕事っていうか、
もはや俺の中では一体だけどね。
これ撮っちゃうと俺ほんとただの晩酌好きなお父さんだから。
それと出会えたことが人生そのものだから、
恩返しという意味では映像に対して裏切らないっていうか。
自分も影響を与えたいって思うんですか?
影響を与えたい。
ちょっとそこまでのジャンプというよりは影響を与えたいっていうよりは、
とにかく映像に対して真摯な気持ちでいたいなと思った。
さっき言ってたちょっと少し手を抜けばみたいなのが、
俺の中では映像に対して不義理というか申し訳ない気持ちになるわけよ。
でもやっぱり疲れてくると、ここでもうやめようかなって思うわけ。
だから寝るんですね。
そうそう。そうなんだよ。
気が弱くなっちゃうから、寒いとかさ。
骨幹の中で撮影してると、やっぱ辛いわ。
ここでもういいかなって思っちゃう。
あとでめっちゃ後悔するわけよ。
だから防寒具はすごいこだわりがある。
そうなんですか。
えぐちさんに師匠っているんですか?
会ったことある人でも、会ったことないけど、
すごい影響を受けたっていう人でもいいんですけど。
もう見た作品でしかないよね、やっぱね。
人っていうよりはね。
それはでも世界中にすごいなって思う人はいるし。
実は昨日ね、もののけ姫を見たんです。
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見たことなくて実は。
いや久々の宮崎駿を見たけど、すごいね。
なんか爆風浴びたみたいな感覚になっちゃって。
やっぱエネルギーが詰まってるよね。
宮崎監督のね、すごいなって思った。
宮崎駿さんって哲学がすごいじゃないですか。
作品に込めてる。
もののけ姫とかも本当にそうですけど。
いい振りだね。
哲学ってめちゃくちゃ大切で、
やっぱりね、ものを作るときに哲学って、
本当にそれはもう血であり骨であるわけよ。
指針になるっすよね。
哲学って人によって違ってていいわけ、当然。
なんだけど、自分の哲学っていうものはしっかり持っておいた方がいいと思うね。
それを持ってる人ばっかりだと私は思ってますけどね、空気の人たちはみんな。
会社としての哲学が何かみたいなところが難しくて。
確かに、方人格。
方人格の哲学。
やっぱり持つべきで、結局外されたりでも戻したりとか色々あるけど、
俺はやっぱり面白いものしか作らないっていうのが、
一つの哲学かなっていう気がしてるんだけどね。
なんかあれが一番しっくりきますね。
私会社の絶対に面白いものしか作らないっていうコピーって、
みんなそれぞれ違う面白いがあるから面白くなるコピーだと思って。
そうだね、まさにおっしゃるってことですね。
あれはどうやって生まれたんですか?
なんかホームページ一番最初に作ろうかって時に、文章いるなって思って。
本当に創書期の頃。
会社できて1年か2年経ってホームページ作ったんだと思うんだけど、
唯一俺たちが自慢できることってそれしかねえなって思って。
でもなかなかできないですよね。
妥協しないっていうのが。
それができる会社って感じはするんですよね。
妥協も必要なんですけどね。
締め切りがありますからね。
100%っていうことってのは一生ないですよ。一生ない。
じゃあちょっと今回もお時間なんで、この辺で終わりたいと思います。
ありがとうございました。