1. 神田大介の経験
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2023-12-01 10:29

もりソフトめん

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食べることはね、昔から好きでしたよね。
幼稚園の時はね、お弁当でしたよ。
うちの母親もね、毎朝作ってくれてたんですよね。
ちなみに中学校も弁当だったんでね、高校もだわ。
それは本当にありがたかったですね。感謝ですね。
でね、当時のね、幼稚園生のね、お弁当っていうのはね、
これも流行りがあるわけですよ。キャラ弁とかはなかったですね。
だけどね、食べたかったなって思ったのが、
テレビコマーシャルでやってるやつ。あれ食べたかったですね。
石の弁当、ミートボール食べたかったですね。
ミートボール入ってるやついたな。
あのね、うちの母もね、肉団子はね、よく作ってくれましたよ。
美味しいんですよ。ただね、石のミートボールじゃねえんだな。
こんなこと言ったらなんですけど、石のミートボールは既製品だから、
今自分で食べたらね、あるのかな今でも。
それはもちろん母の手作りのほうがいいやって思うと思いますよ。
実際美味しかったと思いますけどね。
ただほら、幼稚園児はね、やっぱりそこはね、既製品食べたいんですよ。
持ってきてるから羨ましかったなあ。
今思えばどっちが羨ましいのかっていう話ではあるんでしょうけどね。
あとね、あれが羨ましかった。レーズンバター羨ましかったわ。
知ってます?バターにレーズン入ってるやつ。
なんかちょっとこじゃれた感じのね、食料品店。
なんだ?こじゃれた食料品店。
あんじゃないですか。スーパーでいうとキノクニアみたいなのがね。
キノクニア行かないから本当に売ってるかわかんないですけど。
に売ってた。ちょっと高いんですよ。
まずバターは高いからね。マーガリンと比べて高いから。
私たちはマーガリン全盛期ですからね。
その後、右を曲折、左を方変、マーガリンもありますけれども。
バターはやっぱり牛の乳から取るもんですけど、これ高い。
そこにまたレーズンが入ってる。これは大騒ぎですよね。
サンドイッチを持ってきてるっていう時点で、やっぱりちょっとこいつやるなって感じがあるのに、
そこにレーズンバターのサンドイッチが入ってたもんならね。
これはもうたまらない。
あーもう金持ち。上流階級感。まるだしね。
うちはサンドイッチが入っていてもね。いやいや美味しかったですよ。
ただ卵潰してマヨネーズ入ってるやつあれ美味いですね。
とかツナとかね。だったですかね。普通にね。
サンドイッチは私好きで自分でも学生時代とかも作ってたし。
大学生の頃にね。食品を動かすために弁当を私作ったんですよ。
弁当って本当にしょぼくさいもんでね。本当に当時の母親から見たら嘆くんじゃないかって思うよね。
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例えば米をタッパーに突っ込んで焼いた焼き酒をそのままぶち込むとかね。
そういった手合いのもんですよ。
サンドイッチはね。私トマトとマヨネーズのサンドイッチの取り合わせが何より大好きで。
今でも好きですけどね。家族は一切好きじゃないんで誰も好きな人いないんで一人で食べてますけど。
あとね。これもCMだわ。CMの影響がでかいですね。
あれ誰がやってたかな。CMの俳優さん渋井で男性の俳優さんがやってたんですけど。
電話が鳴ってるんですよ。当時の電話って携帯電話じゃないですから黒電話ですよね。
受話器、壁から電話線出ててそこに電話機が直接つながってて。
つまり電話してる間動けないんですけれども、長電話中に腹減っちゃったと。
お腹空いちゃったもんだからそこら辺にあったサンドイッチのパンにベランダからちぎってきた大葉を乗せてね。
そこの上にあれなんだろう。ジャコかな。シラスのジャコじゃないかな。
マヨネーズだけ乗っけて食べるって多分キューピーかどっかのCMだと思いますけど。
これが妙にうまそうでね。学生の時分にそれと同じもの作っちゃってましたよね。
ジャコ結構高いんだよね。ジャコは安く売ってれば使ってたけど、あと大葉も買うと高いんですよね。
だから大葉を薄切りのきゅうりに変えてジャコをツナ缶に変えたりしてね。
もはや何も原型を通じて見てないみたいなのもありましたけど。
サンドイッチは作ってましたが、幼稚園児は当然作れませんので、そういう人様のものって羨ましい。
だけど僕は食べたいっていうふうに言うようなこともできなくてね。
これ言ってなかったですね。僕は幼稚園児の頃めちゃくちゃ引っ込みじゃんだったんですよ。
小一とかもそうなのかな。小学校入ってからも基本そうですね。
ワンパクのヨカワ君に、お前が本を読んだのは嘘だとかって言われちゃうわけで。
幼稚園は特にそうでしたね。今もほんと覚えてます。
幼稚園の年長組の時のゆり組の先生はタド坂井先生という女性の先生。
性格好の小さいって幼稚園児に言われたかないでしょうけど、周りの人と比べて可愛らしい感じの人でしたけど、
タド坂井先生に、カナ君、もうちょっと先生とお話ししてねっていうふうに言われて、
本当引っ込みじゃんだったんですよ。カーテンの後ろでもじもじしてる感じ。
ちょっと考えられないですね、今からはね。何がどうなっちゃったのかっていうね。
でもそうだったんです。だから全然お弁当のおかず交換しようみたいな、
そんな快活な女子とかそういうのやるじゃないですか。全然できなかったもんね。
自分でこっそりとね、親の作ってくれた弁当をただ食べてましたね。
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それが幼稚園の頃だよな。小学校は給食でした。
世田谷区立の三原寺屋小学校ってとこ行ってたんですけど、そこは給食にめちゃくちゃ力を入れてる学校で、
普通は給食って、区立だったら区立、私立だったら私立で、
給食センターみたいなのがあって、そこから配達するっていうのが多いですよね。
あるいはどっかの業者が作ってるとか、給食業者がね。
世田谷区はね、三原寺屋小学校は給食モデル校みたいになってて、学校に給食の調理室があるんですよ。
給食のおばさんって呼んでましたけど、給食の調理員の人たちが三原寺屋小学校に通って登校してきて、そこでご飯作ってた。
ランチルームってのがあって、クラス全員そこに行って、教室じゃない机、丸机だったと思いますけど、中華料理屋みたいなのね。
あそこで食べるっていう、そういう時間があったりとかね。
メニューも結構独自性に飛んでて、ジャンボ餃子なんつって、でっかいね、餃子。
大きさどれくらいなんだろうな。子供の目にはすごく大きく見えましたけどね。
大人の手のひらよりは大きいと思いますけどね。
1個食べたらお腹いっぱいになるような感じの揚げ餃子が出たりとか、ありましたね。
私ね、食いしん坊なんで、基本的に給食もペロリと平らげるタイプ、何も残さない。
これもあれですね、生きりたちの象徴として、給食を誰より早く食べ、なおかつおかわりもたくさんするっていうところに、
やっぱりこのデブの勲章みたいなのを感じてましたんで、それは負けないぞと、そういう気持ちでしたよね。
誰よりたくさん食べてやる、早く食べてやる、だから太るんですけどね。
給食はみんなおおむね大好きで、一番好きだったのは覚えてます。
鶏のもも肉が出るんですよね、たまにね。あれも三原寺小学校ならではなのかな?骨つきのやつが出るんですよ。
だけど嫌いなものもあって、それはソフト麺でしたね。
結構その話をすると意外と言われることがあるんですよね。ソフト麺が好きな人って多いんですよ。
ただどうだろう、僕の時代のソフト麺と今のソフト麺、今のソフト麺、あるいは僕の10年後、5年後のソフト麺と違うんじゃないかなと思うんですけどね。
とにかく薬品臭くて、ソフト麺自体はその小学校で調理はしませんよね。
製麺工場から運ばれてくるわけですけれども、全部ビニールで止められていて、なんか薬品の臭いというか味がするんだよな。
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パックから開けて、森ソフト麺という名前になっていて、要するに森そばの森ですよね。
醤油の甘いつゆにぶち込んで食べるんですけれどもね、柔らかいし薬品の臭いするし嫌いだったな、あれだけは。
食べられませんでしたね。私、無理やり食べるということもできるタイプなんですよ、嫌いなものでも。
でも森ソフト麺は全部は全然食べられなかったな。
当時は給食を残すということに関して大変不寛容なようだったんで、食べるまで帰るんじゃないんだよな。
休み時間になれないみたいなのがありましたよね。泣いてましたもんね、私、森ソフト麺の時はね。
どうしてたんだろう、最後まで食べたのかな、無理やり突っ込んでた可能性ありますね。
それか、1年生の時は先生が優しい先生、奈良先生というおばあちゃんの先生でね、だったんで見逃してくれてた可能性ありますね。
2年生はね、何度も言ってますけど、私、小学2年生っていろんなことが起きてまして、また別の回で喋りたいと思いますけど、あんまりそれどころじゃなかった可能性ありますね。
給食を残すとか残さないとかね。ソフト麺は苦手だったなぁ。
はい、今日はこんなところで。
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