日本の政治と部族主義
ちょっと政治の話をしようかなと思うんですけれども、もともと私はですね、日本の政治っていうのは民主主義という部族主義だと思ってるんですね。
どういうことかっていうことなんですけどね。部族、要はですね、各地方に集団がありますよね。これを私は今部族っていうふうに仮に呼んでるんですけれども、
おおむね部族ってそんなようなものだと思うんですね。同一性を保有する集団ですね。地域にあると。
もともと日本って本当にそういう地域社会がたくさんあるっていう社会で、江戸時代というか正確に言う戦国時代ですか。
日本という1個の国としての概念って非常に乏しかったんじゃないかっていうことも言われてますよね。
織田信長っていう人が初めて天下統一っていう概念を考案したと。つまり日本という国を一つ作ると。
それが豊臣秀吉によってなされて、徳川家康が300年続けたことによって、この日本という存在というのがはっきりしたと。
それまでにも鎌倉幕府だなんだってありましたけれども、あれはあくまでもそういう王権と言いますか、一つの権力集団であって、
全国津々浦々まで統治の体制を完全に敷いていたかっていうと、必ずしもそうでもなかったんじゃないかっていう話ですよね。
江戸時代もしかし国っていうのは、例えば私の出身地の愛知県だと、尾張と三河とかっていうふうに分かれているわけですし、
おおむね藩のもとにあったわけですよね。というようなのは、それは国だったわけで、今でも全国とは言いますけれども、
それが部族っていうのを分ける一つの指標。もっと細かいんですよね。
いまだに集落っていう言葉がありますけれども、あれも昔は部落っていう言い方もしましたよね。
ただ部落差別問題が起きて、部落って言葉は使わなくなりましたが、集落、一つの村よりもさらに村を構成する集団ですよね。
どうですかね。ざっくりとしたイメージで言うと、10個ぐらい世帯ですよね。
世帯の人数っていうのも時代によっても違うし、場所によっても違うと思いますけれども、
だいたいその一クラス、小学校とか中学校とか高校とかの一クラスって3,40人じゃないですか。
あれぐらいのイメージですよね。町内会みたいなもの。町内会って言ったって、今の住所表示とは違って、皆さんの周りもありませんでしたかね。
私はありましたけど。40人、もうちょっと多いかな。
いずれにしても、そういうような小規模な集団、決して町とか村とかまではいかない集団ですよね。
その集団がより集まって町とか村とかになるわけですね。
さらにそれがより集まると都道府県とかになっていくわけなんですけれども、合併をする前、平成の大合併ってありましたけど、
その前の合併、昭和の合併とかの頃のさらに前、本当に明治時代とかにあった村のレベルで区分けをすると、
それはいくつかの小集団によって形作られていると、数百人だったりっていうのが普通にあったわけですよね。
当時人口少ないですからね。そういう集団っていうのの中で代表が出るわけですよね。
例えば10個の集落があったとしましょうよ。10軒のお家があると。
その中で1軒のお家の、だからその当時の話、明治時代の話ですから、
下府町制ですからね、長男になる人っていうのが世帯主ですよね。家長、家の長と書いて家長ですね。
10軒ぐらいの家の家長がその10軒の長になるっていうね。
今でいうと町内会長とかに近いのかな。そんな感じ。
で、その人たちが何十人か集まったら村になるわけですよね。
で、その村の代表っていうのは尊義とかになるわけですけども、
これもその集落の規模によりますけれども、尊義っていうのはさっきの10世帯の長みたいな人がなっていくわけですよね。
だからそれだと人数が多すぎるから順番にそれが変わっていくわけですよ。
今回は集落A、今回は集落Bみたいな感じで順繰りに回っていく。
順回しなんですよね。
江戸時代と地域社会の影響
で、これって地方の議会には本当によくある話で、みんな議長とかになっていくんですよね。
当選が4期とかに重なっていくと順番に1年ずつ議長を交代したりする。あるいは副議長とかもそうなんですけれども。
で、議員もそうなんですよ。議員になるっていうこと自体も順番で回ってくるんですよね。
もちろん一生議員になれない人とかも別にいるんですけれども。
地域の中でなんとなくこの人がリーダーだなみたいな人がいて、その人たちのリーダーがさらにいてっていう積み上げで政治っていうのがなされていくと。
それをやってるのが自民党なわけですよね。
だからイデオロギーとかどうとかいうよりも、やっぱりその集落を束ねると利害がだいたい衝突しますよね。
Aという集落が欲しているものというかBという集落にはないということがあるわけですよ。
例えば水とか作物も土地がそっちが良いとか悪いとか、あとあっちには日当たりが良いけどこっちは悪いとかそんな感じ。
その利害を調節するために議会みたいなものがあってより集まりですよね。
その中から何か物事が進んでいくと。
だいたい多数決裁になってくるからここは民主主義なわけですけれども、そうしないとあとは喧嘩でやりやすくないですからね。
だけど多数派工作っていうような形の中に喧嘩みたいなのが入ってくることもあるというかね。
部族のやり方っていうのは力関係ってやっぱりありますので。
暴力だけじゃないですね。金とかも含めてその力っていうのが強いものというのがその中で権勢を握っていくっていうのはどこでもあることで。
これがだから村の単位から町とか市みたいな単位になっていってさらに都道府県になっていって国っていうのになっていくっていうこういう政治の姿っていうのは現在でも地方だとすごい普通なんですよね。
都市部だけですよね。どの都道府県でも県庁所在地っていうのは比較的都市化してるんで東京とかとそこまで変わらない。
変わらないけどもないんだけど中間ぐらいかな。だけど本当にそうでもない地域なんかに行くとまさにそういう政治って未だに行われていて。
だから今なり手がいないんですよね。
村議とか町議とかってもうなる人がいない。なぜならそこに人がいないからなんですよ。世帯がもうすっごい少なくなっちゃってるから引き受け手がいなくて定員割れしたりしてるんですよね。
なんで定員割れするかって言えばやっぱり政治をやるために集団としてあるわけじゃなくてその集落の代表だからですよね。
集落の代表は集落がなくなればいなくなるじゃないですか。政治のやりたいというやる気で人を集めているのであればそのやる気に応じて人が集まってくるはずですから。
だって別にどんな村だって1000人しかいない村とかないわけですよね。3000人とかいるでしょ。
3000人いて政治にやる気のある人を手挙げてって言ったときにじゃあ10人集まらないとかっていうのはありえないですよね。
ありえないって言い方もあるけどただあんまりちょっと考えにくいと思いませんか。そうじゃないんですよね。
その集落代表システムみたいなのも崩壊しちゃってるからなり手がいないわけですよ。
インターネットと政治の変化
とはいえ根強くそういうものはあってあたがやらないなら私がみたいなジュングリーみたいなのもあって菅谷の年笠の方が銀やられているなんていう村町あるわけですけれども。
いずれにしもそうやって成り立っていると。
これが日本の政治でだからこそその積み上げによって自民党の総裁が決まっていきそして首相が決まっていくっていうことだったと思うんですが。
明らかにやっぱりもうその傾きが変わってきたなと思ってましてそれが今回のその2024年の自民党総裁選でははっきり出たなというふうに思ってるんですね。
どういうことかというとやっぱり高市さないさんの大躍進ですね。
この話はあの私が仕事でやってるポッドキャストの方で喋っているのでまあ重複分は避けようと思いますけれどもすごい簡単に言うとですね。
当初大松候補と思われていた人が選挙期間中に躍進し決戦まで残りですねもうちょっとのところで自民党総裁つまりですね日本国の首相になりそうだとこまで行ったと。
どう考えてもその原動力はインターネットであろうというふうに考えられるっていうことなんですよね。
あとインターネットっていうのはあくまでツールとしての手段としての装置ということなのでというよりはそのインターネットが全国の隅々まで普及したことによってとりわけ都市部においてそういう部族主義的な政治っていうのがもういよいよ形を変えていくんだろうなというふうに思ったってことなんですよね。
っていうのはちょっともう少し詳しく次回以降ね話したいと思います。