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2020-12-30 07:27

023. 家族4人で3個のお餅を分けるには?

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古代エジプト人ならば,家族4人で3個のお餅をどのように分けたでしょうか?きっと彼ら彼女らなら,お餅を4等分して3切れずつ取ることでしょう.

毎週金曜日朝7時にアート,リベラルアーツと科学技術に関するニュースレター『STEAM NEWS』を発行しています.YouTube,ポッドキャストでまとめもお送りしています.

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いちです。こんにちは。僕のニュースレターにはご登録いただけましたでしょうか。
ニュースレター、前回配信した内容なんですが、数を数えるという行為が最先端の芸術の表現の一つであるメディア・アートにどのようにつながっていったのかというお話について、
2020年、残念ながら新型コロナウイルス感染症で亡くなってしまった数学者、ジョン・コンウェイの業績を通して、短いながらお話をさせていただいたんですね。
今日、このポッドキャスト、YouTubeでも数についてお話をしていければと思っています。
古代エジプト人たちがどのぐらい大きな数を数えられたのかということに関しては、正直よくわからないんですけれども、
ただ1年が365日であること、60進数、12進数を使いこなしていたことなどから、かなり数学の得意な人たちだったのではないかというふうに感じます。
また、世界最古の大数、方程式の問題が、紀元前1600年のパピルスから見つかっているということからも、非常に数学というのが発展した地域ではあったのではないかというふうに思います。
今日はそこの大数の問題には踏み込まないんですが、もう少し簡単な問題、なおかつ身近な問題として、割り算の問題を考えてみたいと思います。
これは実は文献を調べたわけではなくて、文献があるのかどうかもわからないんですが、今度エジプト考古学者に聞いてみようと思っているんですけれども、
僕の直感では、きっと彼らはこういう問題を解いていただろうという内容なんですね。
お餅が3つあって、今4人集まっているとしましょう。
どうします?お餅3つで家族が4人。
1人食べないというのはかわいそうだからなしね。
古代エジプト人たち、そういうことがないように必ず12個で1セットにしていたんですが、たまたまお餅が3つしか残っていなくて家族が4人いたと。
どうしたのか?おそらく、これは僕の思いつきなんですけれども、たぶん彼らはこうしただろうと思うのは、
お餅を全部4等分したんじゃないかなと。
3つのお餅をそれぞれ4つに割った。
4つに割ったお餅を3かけずつ。
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お餅が3つあるでしょ。
お餅を4つに割って、そのうちの3かけずつを取っていくと、4人みんなが3かけ取るんですよ。
そうなりますよね。
3つのお餅を4つに分割しているから、12かけできて、それを3人で均等に割るから、3かけずつあってますね。
こんなふうにして、お餅を割って平等に配るという技術がきっとあったに違いないというふうに僕は思っています。
おそらくそこら辺が起源になって、大数学というものが起源前に生まれたのではないかなというお話でした。
これはちょっと本当に学術的な裏支えがないので、話半分に聞いてもらえればと思うんですが、そういうお話でした。
お餅出会をちょっと思い出したんですけれども、僕は江戸時代の人で尊敬している芸術家がいまして、
太田植参人という方なんですけれども、太田南保さんという方なんですけれども、
画号がよく変わるので、お呼びする名前も時々変わるんですけれども、ある日彼がですね、歌会か何かに呼ばれたんですね。
みんなどんよりしていて、何でかなと思ったら、お餅が49個余ってしまったと。
江戸時代ですから、非常に人々は縁起を担いだわけですね。
お餅が49個。49というのは江戸時代四十九といって、始まり終わり苦しむという非常に縁起の悪い数だったんですね。
お餅ですからおそらくお正月の話でしょう。
お正月から四十九というのはもう実に縁起が悪いといって、歌人たちが、歌の歌手さんたちがですね、非常にしょんぼりしていた。
そこに同じく歌人の太田植参人先生がですね、やってこられて、何を沈んでいるんですかと。
お餅が49個あるというのは、めでたいじゃないかと。
七福神に七つずつお餅を配れば、七七四十九でめでたいじゃないかと。
一度がファッと明るくなったという話が残っているんですね。
これは文献があります。
Wikipediaとかには載ってないんですけれども、明治時代に出版された、植参人とんち文言集だったと思うんですけれども、タイトルはそんな感じの本だったと思うんですけれども。
おそらく国会図書館とか大きな図書館にはあると思います。そこに載っています。
僕はこの話が大好きで、それで植参人先生のファンになったんですけれども。
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お菓子というのは、お餅が49個残ったというだけで、一度をしょげ返っていたりとかですね。
それから七七四十九というユーモアでみんな救われて、パッと笑顔が広がったりとか。
平和な時代であるとともに、芸術家あるあるというか、日本の佳人ですね、文化人ぽい側面もあるなと思って、僕はその話が好きで。
やっぱり困った時にユーモアで解決するという植参人先生の発想が、僕は面白いなと思って彼のことが好きです。
彼は調べていくと、そういう芸術家のみならず、長崎武行も務めているという、非常にソロ版もできるし、役人もできるというマルチタレントな人ですね。
平賀玄内とかもお友達だったみたいなんですけれども。
そんなお話もまたいずれ、植参人先生のお話もいずれしてみたいなと思った回でした。
ではまた次回、次のポッドキャストをYouTubeでお会いしましょう。
では市でした。
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