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2022-06-19 19:10

063. 世界を変えた恋〜ジェムソンとマルコーニ〈STEAM NEWS第83号振り返り〉

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【140字まとめ】アイルランドのジェムソン蒸留所の娘アニー・ジェムソンは旅行先のイタリアでジュゼッペ・マルコーニと恋に落ちます.二人の息子グリエルモはやがて成功を夢見て,母アニーとともにロンドンへ渡ります.グリエルモはこのロンドンで無線通信の実用化に成功し,ノーベル賞を受賞します.

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いちです。おはようございます。今日はですね、風通しの良い屋外に来ていますので、周りにあんまり人もいないのでマスクを外してお話をさせていただいています。
マスク外しているもう一つの理由がね、こちらなんです。見えますかね、あの琥珀色の液体。
これアイルランド最大の上流商、ジェムソンの看板商品、ジェムソンスタンダードというね、こちらのボトルになります。
こちらね、350mlで通常の半分のサイズなんですが、さすがね、アイルランド最大の上流商ということで、日本にもたくさん出回っています。
お値段もそんなに高くなくてね、それでアイルランド代表するウィスキーのお味でとてもね、スムーズで、こんな屋外で潮風をあてに飲むには、とてもその潮風の香りを壊さない良い感じのウィスキーです。
少しね、青りんごの香りと言われてるんですけども、確かに爽やかな青りんごっぽい香りがします。いただきます。
今日、なぜこんなジェムソン飲みながらお話をさせていただこうと思っているかというと、スティームニュースの第83号から、このジェムソンにまつわるお話をさせていただこうと思ってるんですよ。
ジェムソン、お話は19世紀にさかのぼるんですが、アイルランドの、今は残ってないそうなんですが、ジェムソン上流商のあった、かつてあったダフニー城というお城にアニージェムソンというお姫様が、お姫様、お嬢様、お城にいたからお姫様でいいですよね、お姫様がいらっしゃって、
そのアニージェムソンが、おそらくなんですが、姉妹、お姉さんか妹なのかちょっとわかんないんですけども、シスターがトスカーナにいらっしゃったらしくて、よくイタリアを訪れていたそうなんです。
イタリアで恋に落ちた、映画みたいですよね。アニージェムソンが恋に落ちたのは、イタリアのボローニャという町の地主のジュゼッペ・マルコーニという人物でした。
ジュゼッペの方は妻婚だったようなんですが、兄と恋をして二人は結婚します。結婚して子供が何人かできるんですが、次男がグリエル・マルコーニという、後にノーベル賞を取る大エンジニアなんですね。
アニーとアニージェムソン、結婚して背が変わってアニー・マルコーニになるんですが、このアニーとグリエル・マのお話を少ししていきたいなと思っています。ニュースレターの方には思い入れもあって長く書いてしまったんですが、よかったら聞いてもらえればなと思います。
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19世紀の初めにイギリス人ファラデーという物理学者がいました。ファラデー彼は苦労人なんですが、ファラデーの話もすごく面白いのでいつか書きたいと思っているんですけども、ファラデーが当時発見されたばかりの電気を使ってある実験をします。
ファラデー片っぽコイルをぐるぐる巻いたものを2個並べたんですね。片っぽカチカチと電気を流すと反対側のコイルにもパチパチと火花が散って電気が流れたことが分かったということで、電線で繋がってないのに電気が伝わったということをファラデーが大発見するんです。ファラデーに完敗です。
ファラデーはこれはすごいと思って公開実験をするんですが、大英帝国の財務大臣にそれは何の役に立つのかと言われて、ファラデーは生まれたばっかりの赤ちゃんに何の役に立つかとあなたは聞くんですかと風刺をするんですが、その時はファラデーは報われなかったんです。
後にファラデーの弟子でイギリスの郵政省の技術系ナンバーワンになった人に引き付かれています。フリース卿だったかな。名前がちょっとあやふやになってきたのでまたニュースレーターで見ておいてください。
ファラデーの弟子の後の郵政省ナンバー2がそれを覚えてたわけですね。これ結構胸厚展開なんですが、ただファラデーが発見した不思議な現象、電線がないのにどうも電気が伝わってるらしいというので、世界中の科学者たちはその現象を解明しようとして実験して理論を考えてという中で、
同じイギリス大英帝国の中でもスコットランドのジェームス・クラーク・マクスウェルという方が、今でも結構スコットランドでありイングランドでありウェールズであり北エルランドでありって独立心の強い人たちですから、イギリスと一緒にするなって思いはあるかもしれないですが、
スコットランドのジェームス・クラーク・マクスウェルがマクスウェル方程式という素晴らしい美しい式を発見して、見事に当時知られていた電磁気学というものの現象、今振り返れば電磁気学と呼ばれる電磁現象を方程式にまとめるんですね。
そのファラデーの発見の他にもフランスのビオサバールが見つけた法則であるとか、アンペールが見つけた法則であるとか、全部まとめた一組の美しい式を見つけます。
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ジェームス・クラーク・マクスウェルという方が見つけます。
そのマクスウェルの方程式を見てみると、今でいう電波を含む電磁波というものの存在を予言していたわけです。
この予言された電磁波はどこかにあるはずだと思ってみんな探したわけです。
フラデーが見つけたのは隣り合うコイル同士の間を空中を伝わって電気が伝わったということなんですが、
このマクスウェルの予言は隣り合うコイル同士じゃなくて何千メートル何万メートルと伝わるはずだということなんですね。
これ実は光と同じもので、今の携帯電話であったりとか、それこそ電波天文学であるとか、それから星の光なんかもマクスウェルの方程式で説明がつくんですが、それだけ偉大な発見だったわけですね。
そのマクスウェルが言った電磁波、特に電波というもの、光と電波というのが当時は別なんじゃないか一緒なんじゃないかって論争があったんですが、
光は見ることができるでも電波は見ることができない、人間の目が見ることができないなら見ることができないでもあるんじゃないかというのを世界中の物理学者が探します。
ドイツのヘルツという方がついに見つけるんですが、その秘訣はヘルツの発明したアンテナです。ヘルツ先生に乾杯で。
ヘルツ先生が発明されたのはダイポールアンテナという、現在でも使われているアンテナの一種なんですが、
ダイポールアンテナを発明して電波というものをキャッチすることができた。
ただヘルツ先生はマクスール先生が正しいということはわかったけど、それ以上じゃないよなって、もういいやってやめちゃったって言って研究をやめちゃうんです。
名前は残ってます。電波のことを前語ではレイリオウェーブですが、別名のハーツイアンウェーブでヘルツ波と言います。
ヘルツ波の噂はヨーロッパ中駆け巡ってもちろんアメリカにも駆け巡って、いろんな科学者たち夢中になったんですね。
ここでアニー・ジェムソンの息子グリエル・マルコーニーが登場します。
グリエル・マルコーニーは青年ですよね、10代後半ぐらいかな、15、6ぐらいなんでしょうね。
毎年アニーに連れられてトスカーナに訪れていたそうなんですが、トスカーナで家庭教師と巡り合います。
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アニーが連れてきた家庭教師、ヴィンセンツ・ローザという人と出会います。高校教師だったらしいんですけどもね、専門が。
ローザ先生が当時聞いたばっかりのヘルツ波についてグリエルも全て教えます。
ローザ先生もヘルツ波に夢中になって自分で実験装置も組み立てて、これをグリエルも助手にしていろいろ実験したんだと思うんですね。
グリエルも後に自分は全てローザ先生から学んだというふうに発言をしています。
彼がノーベル賞を受賞したときにはローザ先生は残念ながら亡くなっていたんですが、自分がノーベル賞を受賞できたのはローザ先生のおかげだということを彼は言っています。
18歳になってグリエルもボローニャに戻ってきて大学に進むんですね。ボローニャ大学という世界最高の総合大学と言われているボローニャ大学に進みます。
ボローニャ大学は僕も何度も訪問しているんですがとてもいい大学ですね。
彼はそこで正式に入学したかどうかわかんないんですけども、デイリーの許可をもらって一緒に実験もしています。
そこの物理学のプロフェッサーの下について一緒に電磁気学を学んで、ついに無線通信機というものを作り始めます。
グリエルもマルコーニーの発明かどうかは諸説あるんですが、少なくとも彼が実用化したものにダイポールアンテナを改良したモノポールアンテナというのがあるんですね。
アンテナを空中高く上げるというのが彼の発明の一つで、もう一つがアンテナの片方を地面にぶっ刺すんですね。地面に突き刺す。
これによってアンテナの受信感度がめちゃくちゃ良くなって電波が非常によく飛ぶようになったということで、彼は無線機を実用的な何キロか先まで飛ばすことのできる無線機を発明するんですが、
これがイタリアの郵政大臣が研究助成できないというか、グリエルもマルコーニーが手紙を書いたところ返事はもらえなかったというふうに書いてあったのでスルーされちゃったわけですね。
ひょっとしたら郵政大臣にその手紙を見なかったかもしれないので、意図的にスルーしたのか偶然スルーしたのかわからないんですが、
このグリエルもママに相談します。兄に相談します。でも兄はもうそんなことだったらロンドン行こうよということでロンドンに渡ります。
ロンドンとイングランドとそれから兄の実家のアイルランドと海挟んで反対側なので同じ英語をしゃべる。もちろん多少違いはあるにしても同じ英語圏ということで。
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グリエルも英語も流暢にしゃべれたそうなので苦労なことまでは苦労しなかったようですね。
ロンドンで資金集めをします。そこで先ほどのファラデーの弟子の郵政省ナンバー2の議官の方が後ろ盾になってくれてもちろんこのジェムソンも当時すでにアイルランド最大の上流省になっていました。
ウィスキーというのは当時のイングランドのお酒としては大体3階層に分かれたそうです。これも聞きかじりでマッカーランさんという親友に教えてもらったんですが、
一番安いお酒はジンですね。これも兵隊さんであるとかそれから工場労働者なんかのお給料が安い人たちが飲むのがジン。そこそこ知的階級というんですかね。
お金を持って稼いでる人たちがウィスキーを飲んで、さらにもっと上の超贅沢な人たちがフランスから輸入したブランデーを飲んでいたと。ブランデーは当時おそらく輸入品として関税がかけられていたので非常に高価だったと思います。
当時のシャーロックホームズなんかも、シャーロックホームズはこの時代の小説、少し後の時代の小説ですが、ブランデーさえあれば全てが解決されるという、病気なったらブランデー、怪我したらブランデー、何があってもブランデーっていう、ブランデーが一番の薬みたいな描写があるんですが、そういう高級品というイメージだったんでしょうね。
このウィスキーというのが、お金を持っている人たちにとってはジェムソンというのが非常に知名度があったということもあるし、ジェムソンにお世話になっているということもあったんでしょう。
後のウィンストン・チャーチルというイギリスの首相になる方はジンが大好きだったんですが、ジンを生で飲んでいるというのは隠していて、自分はカクテルにしているとかね。
当時の冗談で、ドクターが、ドクターってお医者さんが風邪ひいたとき何飲みますかって言われて、紅茶にジンを垂らすんだって言って、たまに紅茶を抜くけどねって言ってジンが大好きでジン飲んでるっていうね、そういう冗談があるぐらい。
ジンも結構好かれてはいたんだけども、強いお酒っていうこともあって値段も安くて簡単に酔えるということであまり上品なお酒とは言われなかったわけですね。
そういう時代背景もあって、グリエルもマルコーニは資金調達に成功します。もう一つイングランドで特許が取れたことも大きくて、それでマルコーニは作った会社、マルコーニ社という会社がどんどん大きくなっていきます。
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ついに大西洋横断通信ということも成功します。もうマルコーニ完敗ですね。大西洋横断通信、かのタイタニック号にもマルコーニ社から派遣された通信士が乗っていました。
マルコーニ社の通信士、非常にエンジニアとしては尊敬に値する人物たちで2人乗っていたそうなんですが、沈没の瞬間まで救難信号を発信し続けたそうです。
船長が入ってきて、もう君たちよくやったと、もうすぐ逃げろって言ったにも関わらず、沈没の直前まで救難信号を発信し続けていて、ついに水が入ってきて、もうこれで通信機壊れる。
もうしょうがない、出ようと言って2人は別方向に出て行って、片方は海にどうも沈んでしまったそうです。
1人が偶然生き残って、マルコーニ、グリエルム・マルコーニ港に迎えに来ていて、2人で出会って、その路をねぎらったということがあったそうです。
これがマルコーニが無線機を開発したのが、もうちょうど19世紀も本当終わるという瞬間で、1897年とかですかね。
その時に日本人、3年遅れぐらいで日本人もマルコーニからライセンスを受けて、この無線機の開発に成功します。
成功するんですが、その後アンテナの研究も進んで、八木先生、宇田先生という2人の先生が八木宇田アンテナという、後のレーダー、電波レーダーの基本になるアンテナを発明するんですが、
どうも日本人は当時の政府なのか、周りの軍なのか、無線機を作ったのは海軍でしたからその軍だったのか、価値を見出せずにその特許をマルコーニ社に譲渡してしまうんです。
これが第二次世界大戦で連合軍が空中を飛んでくる戦闘機をバタバタ落とせた理由になってるんです。
残念なことというか、技術を見抜くというのは大変に難しいということでもあるかと思います。
というわけでマルコーニのお話。マルコーニ社はイギリス初の娯楽放送という、当時軍と無線機というのは密接な関係があったんですが、一般向けのラジオ放送もマルコーニ社が初めてイギリスでやって、後のBBCになっていたりもします。
というわけで今回はアニー・ジェムソンとマルコーニのお話をしました。
マルコーニはその後1800年代だったかな、アイルランド人女性と結婚をしています。後に離婚しちゃって、マルコーニも晩年はイタリアでファシスト党の活動投資をしたりとか、
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晩年はあまり美しくない、今振り返ってみれば美しくない終わり方をしているんですが、当時の時代背景であるとかイタリア人としてのアイデンティティとかを考えると、一概に現代の物の見方でどうこういうことはできないかもしれないですね。
そういうアニーとグリエルモの母、息子の関係に僕たちは乾杯をしたいと思います。
彼のおかげで今この無線文明というものを我々は築けているということ、後代もちろんありますけれども非常に大きな発見でした、非常に大きな進歩でした。
エジソンの電気の発明、送電の発明に匹敵する非常に大きな発明だったと思います。
というわけでもうちょっと残り少ないけど、マルコーニー、アニーに乾杯です。
ではではまた次回の動画でお会いしましょう。
イチでした。
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