じゃあ外から見える景色とだいぶ違いますね。
藤田 だいぶ違いますね。びっくりしました。地域に入ってちょっとびっくりしたことです。
そうかそうか。あのあたりじゃあしばらくお住まい。で、今でもその出町柳は結構関わりが。
藤田 出町柳じゃなくて出町ですけどね。
ごめんなさい。出町ですね。
藤田 出町は2011年、僕2005年から出町に住んでるんかな。2005年から出町に住んでて、それまでは地域活動とか全くしてなかったんですけど、
2011年に地域活動するぞと決めて、地域の集まりに参加することになってからもうずっと関わってるのは13年間、出町の地域には。
今引っ越してちょっと違うとこ行ったりとか、途中笠口行ったりとかしてたんですけど、その間も月1回行ったりとかしてて、繋がりは今もあります。今も活動してます。
そうなんですね。なんか出町っていうと結構その商店街のイメージも強かったり、なんか割とアニメの聖地に出たりとか。
藤田 ちょうどその頃、余剰阪神はたいけいさん、みんなマニアックすぎますからね、玉子マーケットとか、京谷さんの聖地みたいな感じの商店街があって、
その商店街で僕の行きつけの店が潰れたことがきっかけで、なんとか銭湯っていうので、商店街の人とも関わり始めて、それが今商店街の活性化とかの仕事に繋がってるんですけど、
まさか十何年間の下積みを踏まえて、今の仕事に繋がるとはっていう感じですけどね。
そうか、住んでるところから仕事としても関わりが生まれてきて。
藤田 生まれてきてって感じですね。
そうかそうか。なんか出町行って、その後また京都のだいぶ南の方の笠木町の地域おこし協力隊っていうのが、
3年間地域に住みながら、そこでいろいろな事業を起こしたりしていくような活動っていうのが、総務省かな、の制度であるんですけど、そこで笠木町で。
藤田 それが2017年から笠木町、京都の南の端、奈良都の県境ぐらいのところに行くようになったんですけど、
2017年っていうと、僕は2011年に街づくりのことをやり始めますと決めて、いろんな先生とかについて仕事をちょっとずつもらったりとかしていて、
このままだったらダメだなって都市コンサルタントに入ったんですね。
都市コンサルタントで4,5年活動してた頃に、ちょっとコンサルタントでは地域起きないかもしれない、それ誤解があるかもしれないですけど、
コンサルタントでやってると、僕のやりたかった地域づくりとか地域街づくりと呼ばれるジャンルには到達しないかもなっていう危機感とか焦りとかなんか不安感があって、
一回地域に住みながら街を作るってことはどういうことだろうっていうのをやりたかったっていう時期と、ちょうど笠木町で何人か知り合いがいたんですけど、
地域おこし協力隊を募集してが来てほしいっていう声もあって、いろんな要因が重なって行ってみるかということで行きましたね。
そうか、他の方もなんかこう一緒に感じてくれるような価値を作るみたいな感じですか?
なんだろうな、みんな何かアクションを起こしてる人っていうのは、たぶん正しいと思ってるんですよ。
自分の活動、考えが正しいと思ってるんですよ。それが良くも悪くもなんですよ。
でも自分が正しいっていう思いは自分の世界の中で決まったことだから、
それが幅を広げて地域っていう目線で見たときに正しいかどうかなんて判断できないんですよ、自分は。
僕が正しいと思ってても地域の人が正しくないって言ったら正しくないじゃないですか。
聞いてみな分からん。
聞いてみな分かんないじゃないですか。それをちゃんと自分の中でブラッシュアップできる人じゃないと、
まちづくりやっちゃいけないなと思っていて、僕も謙虚に生きないといけないと思ってるところは、
まあ笠口に住んでたからよく思うんですけど、なんか正しいと思ってるからって言って正しいとは限らないよっていうか、
少なくとも正しいと思ってる時点で間違ってるような気がするなと思って。
これでいいんだろうかっていう謙虚な不安さっていうのがすごい重要な気がしてて、
なんか、最近だったらジャンボタニシを田んぼに撒いた事件があったじゃないですか。
これ、ここら辺多分カットされるんでいいですよ。
あれも自分は正しいと思って自分は勇気でやろうと思ってるのは、思うのは正しいけど、
周りの人から見たら、それは今まで過去を紐解いたら間違ってるやんっていうことが、
ある程度合意形成されてる中でやるっていうのは正しくないでしょう。
あなたが正しいと思ってるだけでしょうっていうのが端的な例ですよね。
羽のちっちゃいバージョンがいっぱいあるっていう。
なんかまちづくりとかその地域に関わる身としては、なんかまあそういうのってちょっと失敗して経験してようやく分かるとかの領域なのかもしれないですけど。
僕も何回か干されてるんだね。何回かそれを経験しないと。
じゃあたくましく。
だいたいどこら辺行くと、これでここら辺で怒られるわっていうのをギリギリをついていくっていうのがすごい重要なポイントやな。
なるほど。やりたいことは自分の中でも煮詰めながら、地域とのそのなんかこう。
そうなんですよ。都市コンサルタントで働いてるから、そこら辺は多分明確に僕の中で普通の人よりも分かりやすいのかもしれない。
いろんなところで問題が起きてるのを知ってるから、事例を知ってるから、ここまで行くと怒られると。
なるほど。
こうしたら逃げれるとか。
ねまちとか堀川とかなんか、活動してる中ではそのギリギリ攻めてきた。
ねまちでは、つなぐむさんはキラキラ系まちづくりの代表だと思うんですけど。
僕たちはアンチキラキラ系っていうことをテーゼにあげて、意識低い系まちづくりっていうので活動をして団体を作って、
なんかまちづくりをしようっていうテーゼをあげた瞬間に、まちづくりじゃないんじゃないかって途中で気づいたんですよね。
まちづくりをしようって思ってる時点で、なんかそれはその目的に共感できる人しか入ってこないじゃん。
じゃないよって普段生きてること自体が楽しく生きてること自体がまちづくりなはずだっていう仮説というか、
思いがあって、ただ飲んでるだけでもまちづくりになるんじゃないかとか、そういうことをやっていってたんですね。
でもそれだけじゃ人は集まんないから、できるだけ合法ギリギリをやろうと思って、
何をやったらギリギリいけるのかとか、そういうことをすごい考えていて、
鴨川に床を浮かべたりとか、それも加選法とかいろんな法律の中で、こう解釈したら許されるはずとか、
自然公開の会長さえオッケー出してたら許されるはずとか、そういうのでやってみたとかはありますけどね。
なかなか企画して、そっからほんまに後で怒られないようなLINEを、
LINEをちゃんとやっとかないと地域の人に迷惑かけちゃうから、
あいつらがいてよかったって思われない限り、やっぱ町づくりとしては失敗でしょ。
なんか勝手にね、ユートピアを作ってることが町づくりではないので、
っていうのは、たぶんそれも2011年、15年ぐらいに出町クラバーを立ち上げたときにそんなことを考えたような気がします。
4年間ぐらいかかったね。
出町クラバーっていうのはどういう?
さっきの、出町でただ単に飲むだけの団体。
みんな飲もうぜ。
みんな飲もうぜって、コロナが影響して、コロナで大ダメ、あんまり活動しなくなっちゃったんですけど、
そんなことを2015年ぐらいやってましたよね。
それこそ京都って、京都市内、特に学生多い町だったりすると思うんですけど、
年齢層的にはどんな方々が関わってこられてるんですか?
結構重要なのが、価値観を縦断するような出会いを、
多世代交流とか簡単な言葉で言うことが、行政とかよく使うんですけど、
価値観を壊すような繋がりを作らないと、多分人は変わらないと思ってるんです。
これは結構真面目な話です。
それをどうデザインするかっていう場を作りたいなと思っていて、
出町クラバーは一応学生が地域の人から干されないように守るっていう背後の趣旨があるんですけど、
どうしても学生が地域に来たときに、地域のおじさんとか方とかと衝突が起きるなっていうのは、
目の当たりにしていて、2011年から2012年、13年とか、
出町には同社の学生さんが結構来てくれるんですけど、
なんか地域に定着せんだと。
なぜだろうかって考えたら、価値観が違いすぎるんだっていう。
地域の方と。
地域の方と価値観が違いすぎる。
地域の人はやってほしい、やらせたいっていうか、ただ働きさせたいみたいな考え方で来るし、
学生さんは、そんな責任をおいたくない。ただの活動だからっていう。
その考えから両方を巻き合ってはないけど、両方の思いがすれ違ってる間に、
クッション材みたいなコーディネーター役は必要だろうなっていうのを思って、