1. 鴨川でゆっくりしたい。「かもラジオ」
  2. #13 テーマは意識低い系まちづ..
2024-07-06 34:58

#13 テーマは意識低い系まちづくり。京都で商店街活性や集落再生に取り組む(藤田始史さん)

今回のゲストは、都市コンサルタントで働く傍ら、個人として商店街活性、集落再生、コミュニティ再生などに取り組む藤田始史さんです。行政目線から現場目線まで、様々な角度から”まち”と”そこに住む人々”に向き合ってきた藤田さんのまちづくりに対する思いについてお伺いしました。


▼今回のトーク内容

自己紹介/阪神淡路大震災を経験/京都の大学へ/設計事務所に就職/出町と出町柳/笠置町生活/堀川団地/都市コンサルタント/地域との関わりしろの見つけ方/地域の中での価値基準/意識低い系まちづくり/楽しく生きてること自体がまちづくり/京都の楽しみ方/住んでいる”まち”からアクションを


▼出演

ゲスト

藤田始史:

都市コンサルタントで働く傍ら、個人として地域まちづくりを行う。出町桝形商店街(京都市上京区)の活性化を目指す任意団体「出町クラバー」の立ち上げや、セブン商店会(長岡京市)・新大宮商店街(京都市北区)の専門家派遣、笠置町地域おこし協力隊など、さまざまな地域の活性化に関わる。一級建築士。


メインパーソナリティ

坂井晃人(ちい):⁠⁠⁠https://twitter.com/tiis_kitchen⁠⁠⁠

1992年生まれ、東京育ち。高校の修学旅行で初めて訪れた京都に心惹かれ、京都大学に進学。大学院を中退したのち、東京でまちづくり会社に就職。誰もが挑戦できる社会づくりをテーマに、全国で住民対話の場づくりや官民連携などに取り組む。 妻の妊娠を機に、2021年に心のふるさと京都へ移住。翌年、ツナグムに参画し、京都を帰って来れるまちにしたいと京都移住計画に関わる。住民対話ワークショップファシリテーター養成や、一児のワーパパとして夫婦向け育児コミュニティの運営なども行う。


▼番組概要

京都の様々なプレイヤーが集まり活動している様子や「居・職・住」について、鴨川でゆっくりしながら雑談する番組。記事に載せきれなかったことや、日々の生活のことなど、音声コンテンツならではの情報もお届けします。ホストは「京都移住計画」のメンバーが務めます。


▼京都移住計画

WEBサイト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kyoto-iju.com/⁠

00:35
鴨川でゆっくりしたいラジオ、鴨ラジオの時間がやってきました。本日のパーソナリティーは知井こと坂井が務めます。よろしくお願いします。
今日もゲスト会ということで、京都移住計画で普段お世話になっているパートナーや企業の皆さんをゲストにお呼びしまして、京都の暮らしについていろいろと伺っていきたいと思います。
まずはですね、元笠木町の地域お越し協力隊で一級建築士、都市コンサルタント、まちづくりクリエイターなど、様々な顔をお持ちの藤田もとしさんをゲストにお迎えしてお届けしたいと思います。藤田さんどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんかすごいいろんな顔がある。
緊張しますね。緊張しますよね。
なんか喋り慣れてる印象が。
大丈夫です。頑張ります。
なんかこういろんな軸の話聞けたらなぁと思ってますけど、藤田さんかなりその京都の中でも様々な地域これまで関わってきていらっしゃる印象あるので、なんかそこの入り口どんなだったのかなとか、いろいろこれから伺っていきたいと思うんですけど、ちょっと最初に簡単になんか自己紹介お願いしてもいいですか。
なんか肩書とかはあんまり気にしてなくて、来た玉を打ち返すっていうことを十何年間、2011年から僕はまちづくり始めたんですけど、それまで設計事務所とかデザイン事務所とか勤務してて、自信があったときに、違うこんなことをやるために僕は建築とかやってんじゃないわって言って、2011年からまちづくりのことをやろうと思って、何をやっていいかわからなかったんで、
とりあえず地域の活動団体に参加して、そこで言われることをやっていったら、いつの間にか商店街活性だと言われたりとか地域まちづくりだと言われたりするようになって、その後はちょっともう少し真面目にやろうと思って都市コンサルタントに入ったんですよね。
で、都市コンサルタントで体系的に勉強しつつ地域のまちづくりをするっていうのをずっと続けてきたっていうのが経歴で今に至るって感じです。13年間も微妙に生きてこれたって。
そうか、じゃあ入り口はなんか地域でこれがやりたいというよりも地域飛び込みたいみたいな。
これがやりたい。もともと阪神淡路大震災食らってるんですよ。中学校時代に。都市バレるんですけど、阪神淡路の時に、街って壊れるんだって本当に思って。
で、それが復興していく様を見ていたんですね。高校時代がずっとその状態を見てて、それが分かりやすい学科で言うと建築学科だったから建築学科に進んだんですけど、建築学科は僕にとってツールでしかなくて、
03:10
地域の中で何かをしないといけないって思いが多分中学校時代からあったんですよ。なんで、やりたいことっていうよりは地域をどうやって作っていくかっていうことに興味があったっていうことですね。
藤田さんルーツ的には関西。その出身はどちらなんですか?
藤田 出身が神戸っ子って言ってるんですけど、生まれ若山のみかん農家の孫で、小学校時代に天ヶ崎市に引っ越して、中高神戸の学校に通ってたっていうことで神戸っ子って言ってます。で、震災が神戸だった。で、中学校が潰れてしまったんですよ。
崖崩れにあって、半年間授業なくなって。
リアルに被災を体験されて。
藤田 被災、僕ん家は全然大丈夫だったんですけど、友達ん家潰れたりとかしてたし、結構被災は目の当たりにはしてます。
そこから建築を志して。
藤田 建築を志して、設計事務所、大学で京都に来たんですね。京都で院まで行ったから6年間行って、そのままふわふわしてたんですけど、設計事務所入って、で、月400時間ぐらい働くって。
鬼ブラックな。
藤田 鬼ブラックですよ。今の今日日のブラック企業とか全然違いますよ。400万で月10万しかもらってなかったから、生きていくのをやっとこさで、シェアハウスとかを探して、それが出町に住んで、出町に1個建てを借りて3人で暮らしてたんで、家賃が1人1万5000とか。で、住んでて、なんとか設計事務所通えてたって感じですかね。
掃除住んでたのが出町っていう、出町柳っていうところ。
藤田 これがね、出町柳と出町を間違えると地域の人にめっちゃ怒られるっていう話は京都の方なら全員知ってると。楽中楽外の違いがあるんで。出町は川よりも御所川というか西川が出町というところで、出町柳っていう地名本当はなくて、これは受け売りですよ。地域のおっちゃんに言われたことですけど。
出町柳っていうのは、田中下柳町っていう村なんですよ。ただ、出町のブランドをつけたかったから、田中下柳町と出町をくっつけて出町柳になった。
出町柳、京阪の。
藤田 京阪の駅に出てきた時に出町柳って駅名をつけたんですよ。出町のブランドが欲しくてって言ってます。僕じゃないですよ。なので、出町柳と出町を間違えると楽中のおっちゃんたちはよく怒るし、出町、お前はどこに住んどんねんってよく言われます。出町です。
大きな違いなんですね。
藤田 大きな違いですね。川を渡る、渡るか渡らないかでだいぶ作業と紙業の違いがありますから。
なるほど。出町のあたり、鴨川デルタとかで馴染みのある方多いかなと思いますが、あのあたりのエリアですね。
藤田 そうですね。結構、デルタとか、まあそうですね。結構鴨川が近いエリアなんで、鴨川との関係とかよく言われますけど、デルタも作業なんでね。微妙にね。
ちょっと意識が違うんですね。
藤田 ちょっと意識がね、地域の人と話してるとね、デルタはならとかちょっと言われたり、種原産あたりまでが出町です。
06:05
じゃあ外から見える景色とだいぶ違いますね。
藤田 だいぶ違いますね。びっくりしました。地域に入ってちょっとびっくりしたことです。
そうかそうか。あのあたりじゃあしばらくお住まい。で、今でもその出町柳は結構関わりが。
藤田 出町柳じゃなくて出町ですけどね。
ごめんなさい。出町ですね。
藤田 出町は2011年、僕2005年から出町に住んでるんかな。2005年から出町に住んでて、それまでは地域活動とか全くしてなかったんですけど、
2011年に地域活動するぞと決めて、地域の集まりに参加することになってからもうずっと関わってるのは13年間、出町の地域には。
今引っ越してちょっと違うとこ行ったりとか、途中笠口行ったりとかしてたんですけど、その間も月1回行ったりとかしてて、繋がりは今もあります。今も活動してます。
そうなんですね。なんか出町っていうと結構その商店街のイメージも強かったり、なんか割とアニメの聖地に出たりとか。
藤田 ちょうどその頃、余剰阪神はたいけいさん、みんなマニアックすぎますからね、玉子マーケットとか、京谷さんの聖地みたいな感じの商店街があって、
その商店街で僕の行きつけの店が潰れたことがきっかけで、なんとか銭湯っていうので、商店街の人とも関わり始めて、それが今商店街の活性化とかの仕事に繋がってるんですけど、
まさか十何年間の下積みを踏まえて、今の仕事に繋がるとはっていう感じですけどね。
そうか、住んでるところから仕事としても関わりが生まれてきて。
藤田 生まれてきてって感じですね。
そうかそうか。なんか出町行って、その後また京都のだいぶ南の方の笠木町の地域おこし協力隊っていうのが、
3年間地域に住みながら、そこでいろいろな事業を起こしたりしていくような活動っていうのが、総務省かな、の制度であるんですけど、そこで笠木町で。
藤田 それが2017年から笠木町、京都の南の端、奈良都の県境ぐらいのところに行くようになったんですけど、
2017年っていうと、僕は2011年に街づくりのことをやり始めますと決めて、いろんな先生とかについて仕事をちょっとずつもらったりとかしていて、
このままだったらダメだなって都市コンサルタントに入ったんですね。
都市コンサルタントで4,5年活動してた頃に、ちょっとコンサルタントでは地域起きないかもしれない、それ誤解があるかもしれないですけど、
コンサルタントでやってると、僕のやりたかった地域づくりとか地域街づくりと呼ばれるジャンルには到達しないかもなっていう危機感とか焦りとかなんか不安感があって、
一回地域に住みながら街を作るってことはどういうことだろうっていうのをやりたかったっていう時期と、ちょうど笠木町で何人か知り合いがいたんですけど、
地域おこし協力隊を募集してが来てほしいっていう声もあって、いろんな要因が重なって行ってみるかということで行きましたね。
09:00
笠木町ではどんなことされてたんですか。
笠木町の紹介を軽くすると、人口が僕がいたとき1,300人しかいないんですよ。
全国の中でも相当。
全国で2番目に小さい町って呼ばれてて、2番目ですね関西で一番小さい町で、1,300人しかいなくて産業がほぼほぼない感じなんですよね。
横の和塚町とか南山城村、僧楽三町村、僧楽東部って呼ばれてるところは茶畑であったりとか宇治茶の産地だったりとかするんですけど、笠木町だけ山が旧旬な中産館地っていうところであんまり産業がなくて、
キャンプ場はあるんですけど、当時キャンプまだ流行ってなかったし、そこでまず移住、人が足りないからプレイヤーがいないっていうので人を呼び込むっていうことと、
なんか産業を作らないといけないっていうのが大きな役割だったのかなと思います。
募集要項ではそんなこと書いてなかったですね。
行ってみて、そんなのあるんや。
行ってみて、これまずいわと思って、なんかやらなきゃってなった感じです。
そこで3年間ですかね。
そこで3年間半分、半分とか住みながら活動して、地域の人とのイベントだったりとかしながら。
結構なんかその、神戸も経験されて、京都市内も経験されて、笠木もっていう、何と都市も田舎もなんか行き来されてたと思うんですけど、笠木住んでみてのなんかこう感覚とか生活感とかは全然また違ったものでしたか。
多分、地域コミュニティに関する関わり方がやっぱ都心部と農村部では全然違うっていうのは肌で感じていて。
学生の時とか自治会とかに入らないじゃないですか。
ほぼほぼ自治会入らないし、消防団にも入らないし、地域はお金、税金さえ払われておいたら住めるっていう感覚なんですけど、農村部はそんなことじゃなくて。
生きるためには地域と一緒に生きないといけないっていう、もう自治会基本入らない時には消防団入らなかったら白い目で見られたりとかするとか、自分たちの街を自分たちで作ってるっていう感覚の意識の高さは全然違うなと思っていて。
みんなで一緒に作っていく。
だからそれが保守的って言われるんだと思うんですけど、変なことをしてたら押されるし、京都市内に住んでるときみたいに騒音出して怒られるとかそんなこと、
騒音出し自由やん俺らっていう感覚では全然ない。それがどっちが悪いかどっちがいいかっていうのはこれから10年後20年後に判断されることだと思うんですけど、
その自治意識の高さっていうのはやっぱり勉強になるというか必要なことだと思うっていう感じ。核が身についたっていう感じですね。
なるほど。じゃあ本当に皆さんと地域の皆さんと一緒にその地域を作っていくような。
だから貴族意識が高いとか、俺が街っていう言い方でいいのかどうかわかんないですけど、自分の街は自分たちで守らなきゃっていう意識の高さがやっぱり考える合意形成の仕方とかにはやっぱり変わってきて、
彼が言ってるからまあそれは悪い面ももちろんあるんですけどいい面もあるなっていうところですね。
12:07
なんか全然その暮らしの面白さの軸もまた違うと思うんですけど、なんかそのかさぎならではの楽しさみたいなってどんなとこに感じてたんですか?
どうなんでしょう。これは京都移住計画がやってるって感じですね。
時間の使い方が全然違う感じがしてて、ゆっくりやっぱ時間が流れるのがあって、なんか5時ぐらいになったらもう仕事終わりだみたいになって、
6時ぐらいからみんなで飲んで、明日何しようかとか話して、8時ぐらいになったら解散して、9時ぐらいから一人でゆっくりしてっていうような時間の過ごし方が笠木町ではできるし、
やっぱちっちゃい町なんで、歩いて5分圏内、まあ歩いてってか、まあ車で1.5分とかのところにだいたい友達が住んでて、すぐに会えるし、なんか連絡網とかもいらんくらいにいいですよね。
携帯とかいらんし、町歩いてたら、あ、会うわみたいな。
行ったらええやん。
町歩いてたら会うし、もうそこで用事が済むから電話も使わないし、あの人に言っといてよって言ったら伝わってるとか、そういうのがあっていいですよね。
へえ。
なんか予定組んだことない。
ああ、もうなんかその日暮らしな感じ。
そうですね、予定組んだことないですね。ああ、今からあいつの家でなんかあるから行くって言われたよ、行く行くっていう感じで集まるとか。
ああ、なるほど、なんか全然違った感覚で。
感覚になります。
で、笠木で3年、その協力隊されて。
3年いましたね。
またこっち京都市内戻って来られて。
そうです、1回3年住んで、まだ荷物置く部屋、てか荷物置いてるんですけど、笠木に。
大工道具とか全部置いてるんですけど。
なので、笠木町にも1ヶ月に1回ぐらいは今でも行ってるんですけど、帰ってきて出町の家を3人暮らしてたのをその当時解散して、僕は笠木町行ったっていうのもあって、解散して家探して堀川団地に住み始めて、今は堀川に住んでるって感じですけど、西陣ですね。
堀川は西陣のどんな感じのエリアなんですかね。
堀川団地っていうのが結構有名な団地らしくて、気合を入れてアーティストインレジデンスにするっていう団地で、ちょっと安く借りれるんですけど、
アーティストと地域住民で混ぜることによって地域活性化しようと、京都府の住宅公社さんがやってる企画に応募したらたまたま通って、
で、僕はなんかコミュニティビルダーっていう、コミュニティビルダーなんか、なんかわかんないですけど、なんかの肩書きをもらって、あそこに住んでるので、なんか地域のことをなんかやらないといけないらしいです。
頑張ってやってます。
堀川を住民としても盛り上げながら。
住民として盛り上げていくっていうことをやっている。
堀川のその商店街と隣接というかなんかこう。
15:02
商店街の上に団地がある、で、関東下鷹木アパートと呼ばれる形で、1950年代に、多分日本で初めて作られた団地なんです。
一番初期ですね。
建築的に言うと1950年代、50C型っていう住宅の型が開発されて、それが全国展開していくんですけど、団地っていうのが。
お風呂ついててキッチン、いわゆるダイニングキッチンみたいな形が広がっていくんですけど、
それの時代の狭間に一棟ずつ建っているんで、ちょっとずつ形が変わっていくとか、歴史的にも結構価値がある団地ですね。
なるほど。
結構今でもその地域づくりとか、商店街も基軸にしながら、いろんな住民の方がこの地域盛り上げようみたいなのはあるんですか?
で、団地のメンバーで結構変な人が多かったり、アーティストだったりとか、NPOやってる人とか多かったんで、
その人たちと一緒に企画したりとかはプライベートで、趣味でやってます。
趣味で。
住民としてやってます。
そうなんですよ。仕事軸の部分と個人事業主的にされてることと、両方今地域に関わる中でもいろんな関わり方あると思うんですけど、
もう仕事の方ではどんなことされてますか?
それは都市コンサルタントの方ですか?
そうですね。
初めに自己紹介するときに忘れましたけど、今コンサルタントと個人事業主の両方で走ってるんですけど、
コンサルタントの方では、いわゆる行政計画の策定支援っていう形で、主に都市計画なんですけど、都市計画を作ったり、街の大きな骨格を作る計画ですね。
あまり普段普通の人は見ることはないんですけど、ここに道路を通そうとか、ここに店とかを集めていこうとか、そういう大きな旗振り役の計画を作ったりとかしてる感じです。
じゃあ本当にそれをベースにして街が…
動いていくんですけど、それはやっぱり行政計画っていうのはどうしても地域の方からは身近ではないですよね。
ここを店を集めますって言われたところで、勝手に集まるのかとかそういう話もあったりとかするので、それを補完するために地域、街作りを自分で個人事業主で動いてるような感覚でやってます。
じゃあお互いこう補い合いながら…
補い合い。足りないところを自分でやってるみたいな。自分でやってるか、自分の中で負に落ちてないっていう感じですよね。
都市計画やってても、10年後先の計画なんで、あまり身体感覚ではないんで、もう少し身体感覚のこともやろうと。
それが個人事業主でやってて、でも個人事業主でやってる身体感覚、どうしても行政がもっとしっかりしないと思うところは都市コンサルタントの方でやっていくみたいな感じで動いてる。
じゃあそれぞれで感じた課題感とかは…
反映しながらブラッシュアップ、自分の中でブラッシュアップして、多分行政はこういうこと考えてるはずだから地域、街作りの方で個人の時もこういうことをやっていった方がいいんじゃないかみたいなことをやってる感じですね。
18:09
なんかその個人の方では活動のフィールドとして住んでたからとか、そういう理由でいろんな地域に関わってると思うんですけど、どうやってそういう関わりしろ見つけてたんですか?
なんかいつの間にか仕事来たなって感覚があって、初め2011年の時に本当に街作りのこと知らないか、地域のことを助けてたっていうところからスタートしてるんですよ。
そしたらそれがどうやら街作りらしいってことになって、それが一定評価をされたのかどうかわかんないですけど、商店街の活性化とか個人的にプライベートで遊びでやってたんですけど、
それを見た人が商店街の活性化一緒にやりましょうという話になって、大学の先生だったりするんですけど、それを横展開していくというか、僕はこういうことやってましたよみたいなことを初期2、3年目ぐらいの時は言っていた。
それがちょっとずつ数が集まってくると共同夫婦さんと一緒にやるようになったりとかするので、まさかここまで来ると思うんですよね。
かなり地道なところから。
全然計算されてないっていう。
自分が楽しくてやってたことがいつの間にか評価されてるっていうのはすごくいいことですけど。
その中で結構いろんな方々との出会いとか、今でも地域と関わる中で多いんじゃないかなと思うんですけど、どういうコミュニティというかつながりとか。
いろんな人にはいますよ。
いろんな人に嫌われたりももちろんするし、いろんな人に好かれたりもするし。
でもまあ、僕が自分のために、誰かを助けるためにやってるっていうところが多いから、あんまりブレない。
僕自身がブレてないとは思いますけど。
自分でやりたいことと誰かのためにやってることを合わせていってるんで、なんかね、悪口言われても全然平気。
やりたいことやってるだけやし。
やりたいことやってるだけやし、それが地域のためになってるし、なんで文句言われないといけないんですかみたいなスタンスで13年やってきた。
でもその中、メンタルの持ち方大事なのかもしれないですね。
なんかたまによく、これただの悪口ですけど。
まちづくりやってるとエゴの人が多い、僕はこれが正しいと思うっていう意見を押し通す人がやっぱりコミュニティの中に絶対いるんですけど、
それはやっぱ間違ってると思っていて、個人的に今までの13年間の経験で。
自分が正しいかどうかっていうのは価値基準でもなくて、ただの思いでしかなくて、誰かが正しいと言ってくれない限りそれは正しくないんですよ。
価値基準が自分にある人は、僕はできるだけ離れていく、まあそれはそれで正しいかもしれないですけど、できるだけ離れていくようにはしていて、
なんか価値基準をどこに置いてるかっていうのはよく見てるような気がする。
周りにいる人の中で何を考えてるのかっていうのはよく見てるようにしてる。
21:01
そうか、他の方もなんかこう一緒に感じてくれるような価値を作るみたいな感じですか?
なんだろうな、みんな何かアクションを起こしてる人っていうのは、たぶん正しいと思ってるんですよ。
自分の活動、考えが正しいと思ってるんですよ。それが良くも悪くもなんですよ。
でも自分が正しいっていう思いは自分の世界の中で決まったことだから、
それが幅を広げて地域っていう目線で見たときに正しいかどうかなんて判断できないんですよ、自分は。
僕が正しいと思ってても地域の人が正しくないって言ったら正しくないじゃないですか。
聞いてみな分からん。
聞いてみな分かんないじゃないですか。それをちゃんと自分の中でブラッシュアップできる人じゃないと、
まちづくりやっちゃいけないなと思っていて、僕も謙虚に生きないといけないと思ってるところは、
まあ笠口に住んでたからよく思うんですけど、なんか正しいと思ってるからって言って正しいとは限らないよっていうか、
少なくとも正しいと思ってる時点で間違ってるような気がするなと思って。
これでいいんだろうかっていう謙虚な不安さっていうのがすごい重要な気がしてて、
なんか、最近だったらジャンボタニシを田んぼに撒いた事件があったじゃないですか。
これ、ここら辺多分カットされるんでいいですよ。
あれも自分は正しいと思って自分は勇気でやろうと思ってるのは、思うのは正しいけど、
周りの人から見たら、それは今まで過去を紐解いたら間違ってるやんっていうことが、
ある程度合意形成されてる中でやるっていうのは正しくないでしょう。
あなたが正しいと思ってるだけでしょうっていうのが端的な例ですよね。
羽のちっちゃいバージョンがいっぱいあるっていう。
なんかまちづくりとかその地域に関わる身としては、なんかまあそういうのってちょっと失敗して経験してようやく分かるとかの領域なのかもしれないですけど。
僕も何回か干されてるんだね。何回かそれを経験しないと。
じゃあたくましく。
だいたいどこら辺行くと、これでここら辺で怒られるわっていうのをギリギリをついていくっていうのがすごい重要なポイントやな。
なるほど。やりたいことは自分の中でも煮詰めながら、地域とのそのなんかこう。
そうなんですよ。都市コンサルタントで働いてるから、そこら辺は多分明確に僕の中で普通の人よりも分かりやすいのかもしれない。
いろんなところで問題が起きてるのを知ってるから、事例を知ってるから、ここまで行くと怒られると。
なるほど。
こうしたら逃げれるとか。
ねまちとか堀川とかなんか、活動してる中ではそのギリギリ攻めてきた。
ねまちでは、つなぐむさんはキラキラ系まちづくりの代表だと思うんですけど。
僕たちはアンチキラキラ系っていうことをテーゼにあげて、意識低い系まちづくりっていうので活動をして団体を作って、
なんかまちづくりをしようっていうテーゼをあげた瞬間に、まちづくりじゃないんじゃないかって途中で気づいたんですよね。
まちづくりをしようって思ってる時点で、なんかそれはその目的に共感できる人しか入ってこないじゃん。
じゃないよって普段生きてること自体が楽しく生きてること自体がまちづくりなはずだっていう仮説というか、
24:05
思いがあって、ただ飲んでるだけでもまちづくりになるんじゃないかとか、そういうことをやっていってたんですね。
でもそれだけじゃ人は集まんないから、できるだけ合法ギリギリをやろうと思って、
何をやったらギリギリいけるのかとか、そういうことをすごい考えていて、
鴨川に床を浮かべたりとか、それも加選法とかいろんな法律の中で、こう解釈したら許されるはずとか、
自然公開の会長さえオッケー出してたら許されるはずとか、そういうのでやってみたとかはありますけどね。
なかなか企画して、そっからほんまに後で怒られないようなLINEを、
LINEをちゃんとやっとかないと地域の人に迷惑かけちゃうから、
あいつらがいてよかったって思われない限り、やっぱ町づくりとしては失敗でしょ。
なんか勝手にね、ユートピアを作ってることが町づくりではないので、
っていうのは、たぶんそれも2011年、15年ぐらいに出町クラバーを立ち上げたときにそんなことを考えたような気がします。
4年間ぐらいかかったね。
出町クラバーっていうのはどういう?
さっきの、出町でただ単に飲むだけの団体。
みんな飲もうぜ。
みんな飲もうぜって、コロナが影響して、コロナで大ダメ、あんまり活動しなくなっちゃったんですけど、
そんなことを2015年ぐらいやってましたよね。
それこそ京都って、京都市内、特に学生多い町だったりすると思うんですけど、
年齢層的にはどんな方々が関わってこられてるんですか?
結構重要なのが、価値観を縦断するような出会いを、
多世代交流とか簡単な言葉で言うことが、行政とかよく使うんですけど、
価値観を壊すような繋がりを作らないと、多分人は変わらないと思ってるんです。
これは結構真面目な話です。
それをどうデザインするかっていう場を作りたいなと思っていて、
出町クラバーは一応学生が地域の人から干されないように守るっていう背後の趣旨があるんですけど、
どうしても学生が地域に来たときに、地域のおじさんとか方とかと衝突が起きるなっていうのは、
目の当たりにしていて、2011年から2012年、13年とか、
出町には同社の学生さんが結構来てくれるんですけど、
なんか地域に定着せんだと。
なぜだろうかって考えたら、価値観が違いすぎるんだっていう。
地域の方と。
地域の方と価値観が違いすぎる。
地域の人はやってほしい、やらせたいっていうか、ただ働きさせたいみたいな考え方で来るし、
学生さんは、そんな責任をおいたくない。ただの活動だからっていう。
その考えから両方を巻き合ってはないけど、両方の思いがすれ違ってる間に、
クッション材みたいなコーディネーター役は必要だろうなっていうのを思って、
27:00
2015年に友達と一緒に出町クラバーを立ち上げて、
その時に挙げたのが、さっきもお伝えした意識低い系。
そんな町作りっていうのを大きなテーゼに立てることではない。
この町に人が集まること自体が町作りなはずだっていうのでやったんです。
なんかある意味、誰でも関わりやすいような入り口が。
誰でも関わりやすいようにしないとダメだなと。
こう言うと結構考えてるようでしょ。
考えてないでしょ。
ほんまに意識低いんかなぐらいの。
ほんまに意識低いかなぐらいの方がいいです。
店やり始めて1ヶ月で潰したりしてるし、僕らの団体で。
なるほど。
困難もありな。
困難もありな。
いろんな経験あるからこそ、
藤田さん、かなり地域に対しての視点と地域にかかる人に対しての視点が、
独特といえば独特だなと思っていて。
そうなんですか。
僕は感覚すごいわかるんですけど、
地域とこれからかかりたいみたいな方々は、
すごいいろいろ学びもあるような話だったなと。
なんかちょっとまた話変わっちゃうんですけど、
いろいろ京都で暮らしてて、
京都のどんなこと好きなんみたいな話とか、
京都の好きな場所ですか。
楽しみ方とか、
そういうのもちょっとお伺いしてみたいなと。
大学で初めて京都に来た時ってテンション高いですよね。
テンション高いですね。
近隔事項とか近隔事項とか、
なんか気温事項とか、
自転車で駆け巡ってたような気がするんですけど、
それはそれで楽しいんですけど、
最終的に出町に住んで、
今日朝起きて、
今日休みやってなって、
商店街でコロッケ買ってビール買って、
かもがえ飲んでるとか、
そういう時間ってすごいいいですよ。
予定を積み込めすぎたら、
京都って多分、あまり面白くなくて、
ただの観光になっちゃうから、
予定を積み込まずに、
街をふらって歩いてると、
こんなところにこんなものがあったりとかするんだとか、
やっぱり歴史がね、千何年もある街だから、
深掘りすれば深掘りするほど、
気づくことがあって、
いいんじゃないかなと思います。
結構じゃあ、ぶらり街歩きでも全然楽しめちゃう。
よく出町で遺書の人が言ってるんですけど、
京都は一つの学区で、
一冊ぐらい歴史書があるぐらい歴史が詰まってるって言うんですよ。
この前も先週、出町の街歩き手伝ったんですけど、
今、NHKがやってるじゃないですか、
真っ暗の創始。
え、誰だ、全然知らん。
僕もタイガー・トランは見てないんで。
紫資金部をやってるじゃないですか。
紫資金部がちょうど出町なんですよ。
30:00
京国学区の話で、
その街歩きだけ2時間行くんですよ。
紫資金部をテーマにするだけで2時間行けるんですよ。
4つ、5つ回らされたのかな。
藤原、何ちゃん、テイカの家、
サダイエの家とか、サダイエの跡があったりとか、
何寺だったっけ、もう完全に忘れてるんですけど。
スポットがいろいろ。
スポットがあって、
で、それも何年経ったかとかいう話も聞いたりとかしたし、
その中でも、同じ建物でも時代によって色合いが違ったりとか、
やってることが変わったりとか、
天台宗から浄土宗になってとか、
いう話を詳しい人に聞くと、
ああ、なるほどと思ったりとかするような感じなんで、
多分、紫資金部すごいでしょ。
山のようにありそうですね。
山のようにありそうでしょ。
そういうところっていうのは、やっぱ京都が魅力的な場所の1つで
あり続ける理由なんだろうなと思ってて、
わかりやすくパッケージ化された観光に来るのは入り口としてはいいと思うんですけど、
そういうのだったら、そうじゃない、
自分の好みの町歩きみたいなのを探したらいいんじゃないかなと。
いいですよね。
自分の好みの町歩きって、なかなかいいキーワードですね。
そっかそっか。
藤田さんのおすすめは、
出町です。
出町です。
愛がすごいですね。
出町の神業と砂橋の戦いみたいなところが隠れ。
隠れポイント。
この橋を渡るだけで、こんなに町が、
こんなにアーティスティックな町が砂橋に広がっていて、
こんなに上品な町が神業に広がってんだみたいな。
僕、砂橋側のためなので。
一回ね、出町のデルタで綱引きやりたいんですよね。
砂橋対神業っていう。
めっちゃ盛り上がりそうですね。
アミフト部連れてくるじゃないですか。
ヤングスターズを連れてきて、
同社のアミフト部連れてきて、
砂引きしてデルタを取り合うっていうのをやってみたい。
それは永遠の夢です。
人取り合わせを。
今年のデルタは神業ですとか、
デルタだけはちょっと欲しいんですよね、神業に。
結局。
神業に欲しいんですよね。
重要地ですね、戦略上。
戦略上ね。
ちょっとそこはなんか、仁義なき戦い。
仁義なき戦いを。
パッチリの撮影現場でしょ。
なんかあれをたまたま見てて、
帰宅中に撮影してると思って、
ああいうのやりたいなって。
カバーを向かって対面で並んで、
わーって戦うやつ。
今始めたら何か数十年後の
祭りになってるかもしれないですね。
祭りになってるかもしれないですよね。
町祭り。
そう。
そういう楽しみ方、いろいろぜひ京都来た方は、
住んでる方も含めてね、
ぜひ巡ってみていただければと思います。
あと最後にですね、なんかこうせっかくなので、
33:00
藤田さんのかかっておられる各商店街であるとか、
地域であるとか、
なんかそういうことのリスナーの皆さんが
関われるような入り口とかがあれば、
ぜひちょっとご案内いただけたらなと思うんですけど、
なんかありますか?
どこもかしこも、
いろんな地域で、
町づくり人材を不足してるというか、
いろんな人、プレイヤーがやっぱ少ないというか、
地域によって課題が違うんで、
その住んでる地域、
まず僕は住んでる地域の関わりをしない人は、
町づくり語るなよって思うスタンスなんですね。
なんで自分の町やってないのに、
他の町で何かやってんだと思うんで、
自分の住んでる町を何かアクション起こした方が、
僕は楽しいと思う。
住んでるっていうことのプライオリティというか、
住んでることによって得られることっていうのは、
すごい重要で、
笠口を住んでないと笠口の町づくりなんかできないし、
本気で思ってもらおうと思ったら住んでるところに、
何かアクション起こした方がいいと思うのと、
出町に来てくれたらそれはそれで嬉しい。
出町は第3金曜日に八王門に来てくれたら、
僕がいます。
八王門っていうお店。
お店に来ていただいたら、
ただの飲み会がやってます。
毎月恒例の。
毎月第3金曜日の夜7時ぐらいから飲み会があって、
そこに来ていただくと、
誰やお前っていうところからスタートするんですけど、
丁寧にかどうかわかんないですけど、
迎えてくれると思います。
温かい場所。
温かい場所です。
ありがとうございます。
色々と今日藤田さんのバックグラウンド、
僕も結構お付き合い長いんですけど、
初めて聞いたお話とかもたくさんあって、
とても楽しかったですが、
鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称鴨ラジオの時間でした。
次回の配信もお楽しみに。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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