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はい、どうも亀山です。 42の文次郎です。よろしくお願いします。
はいはい、前回文次郎を追いに語るというので、 その説は、聞かせてもらいましたけども。
ありがとうございます。 俺も高校時代にね、結局禅寺に一回修行に行ったことがあって、
もうね、3日ぐらい泊まり込みで、友達3人で行ったのかな。
昼はお掃除、夜は朝と夜に禅を組んで、 また寝て、また掃除とかサムっていうのをやってたんだけど、
なんで行ったかって言うと、なんかほら、 悟りとか禅とかなんかよくわかんなかったけど、
なんかかっこよさそうじゃない? なんかそこ悟り開いたら立派な人になれそうだったからさ。
もうちょっとね、高見栄みたいなね。 高見に登れそうみたいな。
で、その時に、禅にもいろいろあるらしいんだけど、 自問自答する禅もあれば、
無を目指す、無になるっていうね。 そこで、まあ無になれって言われたわけよ。
で、何をする?何も考えないで、もう目の前の何センチかをずっと見て、 無になりなさいとか言われるんだけど、
まあこれやってみると難しくってね。 とにかくひたすらそこ見てても、もう頭の中で雑念だらけよ。
雑念だらけっていうか、むしろ日頃よりも考えちゃう。 だから、無っていうのは多分何も考えないってことなんだろうなとか思ってたわけよ。
でも、そんなとこ見てて何もしないと、 とにかく頭の中に過去のものとか、
なんかいろんなことも含めて、いろんなことがむしろ考え出してくるし、 考えちゃダメだとか思ってももう頭の中巡りまくるのよ。
はいはい、もう止められないですよね。
これはちょっと俺、無に向いてないなとか思ったわけよ。 無に向いてない、うん。
どうすりゃいいの、無って。
で、こないだの話なんだけど、俺ほら、運元湖行ったじゃない? はい。
運元湖に行った時に、まあそこにまでは結構ジープで、 その途中で雇ったドライバーと一緒にずっと山道を1日か2日かけて行って、そこに飛ぼうと思うんだけどね。
いやもうほんと素晴らしい世界で、 ずっと湖が鏡みたいに広がってるわけよ。
水たまりみたいな感じかな。
で、そこに波がないから、結局は空と海とがね、 もう全く同じ景色なわけ。
空の青空が下にも映ってるのよ。
その真ん中にいると、もう空と下がもう全部繋がって、 一つの空間の中に立ってるような感じ。
下も青空、上も青空みたいな感じかな。
で、そこはまあジープでゆっくり進んだりするんだけどね。
うんうん。
その時にこう、風がゆっくり流れて、 空と海が溶けるような感じの中を行った時に、
なんかふーっとなったら、なんかいろんなことがさ、 世の中の俺もいろんな欲とか過去とか悩みとかも含めてさ、
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わーっとなんか消えた感じで、何も考えないで、 そこの時だけこうなんか穏やかにじっと味わってたのよ。
その時ふとね、「あ、もしかしてこれ無かも?」 みたいな、って思ったことがあるから。
あー、ふとした時のね、思い出。
うん。でもなんかね、その時にすごくなんか、 何からも囚われてないような気がしたね、自分。
その空の中に漂ってるって感じだった。
うん。なんでね、ゼンデラ行くよりもウィニエンコ行った方が いいよって話でした。
あははははは。
ゼンデラ関係者すいません。
まあ入門編ってことですね、うん。 まあやりやすいよーってことですね。
結局どこに行ってもそういう世界になろうとは なれるんだろうけど、
でもそういう多分きっかけはゼンデラの中にも あるんだと思うんだよね。
そこでたどり着けるほど達人になれなかったんだよ。
いいんですよ。だからちょっと無の、 無が苦手だなと思った人はね、
そういうウィニエンコに行きましょう。
意外とね、どこでも本当に、多分ふと感じることが あるんだと思うんだね、こういうのは。
なんとなくなんか理解したような気がしたってこと。
なんか綺麗な話でした。
綺麗かもしれないんだけど。
まあまた違ったら、また悟りに行きましょう。
悟ることがいいかもうわかんないんだけどね。
まあでもそんな時間を過ごしてみるのは ありだなと思うけどね。
雑談だらけだからね、世の中。
ちょっとこの話が始まってからね、 自分も思うところはあったので。
雑念いっぱい。
ということで、じゃあ次回に続くということで。
はい。
ありがとうございます。