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2022-11-21 16:46

【第49回】癇癪がつらいのは、どこに地雷があるか分からないことだよね

癇癪持ちの子供を持つ親(わたし)

何がつらいって?

どこに地雷があるか分からないので回避できないこと

回避できないなら、いっそ受け入れるしかない

とはいえ毎日笑顔で全力で認めて受け入れられれば苦労しないわーい🥹

4歳(もうすぐ5歳)になったら、少しは落ち着くよ
#クリスマス #ワーママ #
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おはようございます。このチャンネルでは、つぼらミニマリストの私がご機嫌に暮らすための、ちょっとした知恵をゆるくお届けするチャンネルです。
どうぞよろしくお願いしまーす。 冒頭は、あの子供の可愛かった仕草シリーズで、
最近、息子が飛行機のモノマネを、飛行機に前回乗ったんですね。
その時に、すごい楽しかったらしくて、飛行機のモノマネをするんです、最近。
腕を後ろにピーンと伸ばして、さらに手首をスナップを効かせたみたいにピーンとして、チョコチョコチョコチョコって走って、
到着って言うして、私のところにハグしに来るのが、最近の癒しで大好きな、一生やっててくれって思いながら、
中学生になったら絶対こんなことしてくれないんだろうなぁと思って、今のママ大好きな期間を楽しんでおります。
今日は子育てのお話をしようと思います。 よかったら聞いていってください。
今、4歳の娘と2歳の息子を育てているんですけど、4歳の娘が、まあちょっと技術的なのもあるし、
私の第一志っていうこともあって、子育てについてはもういつも悩んでるんですね。
で、彼女は小さい頃から、もう自覚も結構強いし、こだわりも強いし、本当によく泣く子で、泣き声も強いし、って言うので、
感触、何よりも悩ませたのが感触なんですね。 今、感触で悩んでいるお母さんとかもいると思うんですけど、
4歳になったら、感触の頻度は本当に減りました。 2歳の時は、本当にもう冗談抜きで、2時間に1回は感触を起こしてたんですね。
その度に、もう30分は手がつけられない状態。 で、もう触ったりとか、そういう刺激を与えると、やっぱりこう、すごく嫌がって、
で、結構パパも引っ掛かれたりとかで、結構出血したり、叩かれたりっていうのはもう常にそうなんですけど、もうちょっと
さくらん状態になるような感じで、ちょっと発達的にちょっと問題があるのかなーっていうのも一時悩んだんですけど、
まあちょっとそういう相談に行った時にも、まあちょっと敏感なところがある子なんでしょうっていうことで、
特に発達面は問題がないということだったんですけど、2歳の時とかまあそんな感じだったのが、4歳の今では
感触の頻度が本当に減って、もうそれだけで私、あの、とっても娘と生活して何が辛かったって、もうその感触を起こした時に、
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もうやっぱり自分としては、もうそれも受け入れなきゃいけないというのが分かっているんですけど、それでもそんだけ怒り狂ってさくらん状態の子供を
常に常に受け止めていくっていうのが本当に辛かったんですね。その頻度が減った、最近減って本当に助かってるなぁと思ったお姉ちゃんになったんだなぁと思ったんですけど、
毎年結構娘って、年末にかけて少し精神的に不安定になることが多くって、年末って何かと大人もバタバタするじゃないですか。
で、自分の誕生日も、本人の誕生日も12月にあるし、でクリスマスもあるしっていうので、多分いろんな楽しいことっていうのは
楽しいだけじゃなくって、それが一つの楽しすぎるとストレスになるっていうのは大人でもそうだと思うんですけど、それでちょっと最近感触の頻度が前に比べたら上がってきたんですね。
で、なんか久しぶりにこの感触を起こした娘を見て、なんか2年前とか3歳の時もだいぶ荒れたったんですけど、
何が辛かったかっていうのをよくよく思い出したんですね。もう過ぎ去ってしまうと、その感触を起こして辛かった時の、本人も辛いんだろうと思うんですよね。
私の自分の辛かった時のことを思い出してて、これが辛かったんだっていうことが一つちょっと思い出して見えてきたので、それをお話ししようと思います。
で、何が辛いかというと予測ができない地雷が、どこにその引き金となる地雷が落ちているかわからないっていうの中で、まず生活するのが辛い。
で、あと一見私が全く理解できないようなところにその地雷が落ちていて、
今の何が不快だったの?何が嫌だったのかもわからないまま、その感触状態、桜の状態に陥ってしまうっていうのが何より辛かったんですね。
で、子供ってもちろんイヤイヤ聞いて言われることが多くて、着替えたくないとか、おむつを買いたくないとか、ご飯食べたくないとか、
そういう理由って本人なりにいくら理不尽なこととはいえ、本人なりに嫌だったことって引き金になることってよくあるじゃないですか。
それはもう私も理解してるんですね。
あ、これが嫌だったんだねって共感するとか、そういうのを教科書に書いてあって、もう私も散々そういう本を読みました。
でも娘に至っては、その感触の引き金となることが全く意味不明なことで、そこまで行ってしまうってことが本当に多いんですよね。
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例えば、お昼寝終わってから友達と公園で遊びに行こうって言った時に、本人に、
じゃあおトイレ行ってから公園に行こうかってその一言、それが引き金となって、わっともうそこから桜の状態になって、引っかいたり詰められたりっていうことに繋がっちゃって、
私も、え、今の言葉は何がいけなかったの?って、もう全く理解ができない。
別に行きなさいって言ってるわけでもなく、行きたくなかったら行かなくてもいいんだよってその後訂正するんですけど、
時すでに遅しで本人も戻れない状況、桜状態まで行ってしまって感触に繋がっちゃうんですね。
で、私子育てしてて、最初は子供を産んだ時はこの子を何とか正しい道に歩ませてあげようみたいなことを思ってたかもしれないんですけど、
ちょっと娘と向き合うにつれて、自分も結構子育てに常に常に悩んでいたので、
もういいやと、娘を丸ごと甘やかしていると言われていようが、私がご機嫌に暮らせるんだったらそれでいいと、
本当に危険なことがないのであればもう許してしまおうと、本人のしたいように言うことを聞いてしまおうっていう時期が結構あって、
それはもう私の実母から見ても甘やかせすぎじゃないって言われたんですよね。
思い通りにさせすぎじゃないって言われてたぐらいだったんです。
それがもう完全に日々の生活、我が家の生活は娘中心でご機嫌取りの状態だったんですよね。
娘の機嫌を損ねさせないようにっていうふうに過ごしてたんです。
今はちょっと変わったんですけど、その時代、そういうふうに娘の機嫌を損ねないように常に危ないこと以外は本人の言う通りにしようっていうふうにして、
それでも結局どこかにその感触の地雷があってそれを踏んでしまう日々だったんですよ。
それが何かトイレ行くっていうふうな一言であったり、でももしかしたら娘の中ではその一言が嫌だったんじゃなくて、
その一つそのアクションの前にすでに何か嫌だったことが少し溜まってたっていう可能性も結構あって、
例えばお菓子をもっと食べたかったのにこれが最後だったとか、お昼寝が終わった直後でなんか寝起きが悪かったとか、
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そういうことで、だからその言葉自体は何の、それだけでは感触につながらなかったとしても、
その前の行動とかで何かしら娘の嫌なことがあったのかもしれない、それは娘にしか分からないんですけど、
それがもう最近は昔に戻ったようにちょっとこう全く理解できないところでも爆発してしまうということがあって、
昨日はパパとひらがなを書こうっていうのをやってて、それは別にひらがなを早く書かせたいとかじゃなくて、
結構時間つぶし的にパパが娘も書くのが最近好きなので一緒にやろうって言って、
娘もその時はもうやる気満々でやろうってなったんですけど、そのひらがなを書く段階で何かちょっと嫌なことがあったんでしょうね、
うまく文字が書けなかったその一瞬でもう嫌になってしまって、それじゃあもう嫌ならやめようかって声をかけた、
それも嫌だったみたいな感じでそこからまた爆発してしまったりで、もうこちらとしてもパパとしても何がいけなかったのか、
どうすればこれを回避できたのかっていうのが全く分からない状態で大爆発してしまって、
これがつらかったなあっていうのを思い出したんですね。
教科書とか育児本とか見るとそういう悪い感触を起こすことが悪いっていうのでもないし、
怒ることが悪いのでもないし、泣くことも悪いことではない。
不の感情というのも別に悪いことじゃないじゃないですか、それは私もそう思っています。
泣きたい時は泣けばいいし、怒りたい時は怒ればいいし、
それをその感情を出すなっていうふうに4歳児に、ましてや2歳児とかにその感情をグッと押し殺して感触を起こすなっていうのは絶対無理なんですよ。
その感触を起こしているあなたも丸ごと受け入れるよっていう姿勢、感を見せなきゃいけない。
大丈夫だよ、嫌だったんだねっていうふうに共感して、ただただ感触の状態が収まるのを待ってあげる、
温かい気持ちで待ってあげる、それは教科書的な答えですよね。
でもパパも私も十分そういうふうにしてきてるんですよ。
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だけどやっぱりまたか、またこれ起きちゃったんだっていう気持ちはやっぱり起きるんですよね。
その気持ちはどうしても隠せないというか、人間だからそうじゃないですか。
そういう気持ちも、ただただ娘を受け入れたいっていう気持ちと、またこれか、またここから30分ぐらい機嫌直って感触状態、暴れているっていうのを収まるのを待たなきゃいけないのか、
うんざりだなっていう気持ちもやっぱりどうしても起きちゃうんですよね。
それとの戦いが何よりつらいんですよ。
自分の気持ちの葛藤と、ちょっとイラッとしてしまう気持ちと、でも受け入れなきゃいけない娘を受け入れるっていう、
その大きな気持ちで見守るっていうことの難しさを本当痛感してるんですよね。
なんかもっと大きな気持ちで全部丸ごと受け入れるよって、
生母のような心でずっといられたらいいんですけど、そうもいかなくて、
基本はそういうふうに受け入れているんですけど、どうしてもそういうのが繰り返されるとつい表情に出ちゃうんですよね。
声をかける声も、娘に声をかけるときもちょっと優しい声じゃないっていうのも娘は察知して、
ママのその声が嫌だったっていうふうに言うんですよね。
なんか感情ってやっぱり声に出ちゃうし、表情に出ちゃうし、敏感な娘だからこそなおさらそういうのがわかっちゃうんですよね。
なんかもっと大きな人間になりたいなと思いながらも、でも人間だからさ、しょうがなくないっていう気持ちも、
娘と向き合うこの何年間の中で湧いてきて、しょうがないんじゃないっていうのも、
昔はそういうのもすごく反省して、なんで自分はもっと大きな気持ちで受け入れてずっと向き合ってられないんだろうって思ってたんですけど、
最近はもうそうなったら、ママその声が嫌だったって娘に言われたら素直に謝るようにしてます。
ごめんねって言って、そこで落ち着いたら2人で抱き合って、じゃあご飯食べようかってなるような感じで、
だからもうこっちも人間だし向こうも人間だし、ママにも感情がある。
ママもそういうふうに怖い声で言われたらママも嫌だったよっていうのも最近になって言えるようになってきました。
まだまだ子育て模索中なんですけど、娘とともに私もまだお母さんとして4年、もうちょっとで5年なので、
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まだまだ分からないことだらけだし、まだまだ未熟だけど、娘に会えたことで自分の中の価値観とか、
人の強さとか弱さとか、そういうのが一気に覆されて、あとはこんなに子育てが大変だと思わなかった。
あとは自分と全く違う思考回路とか、自分と全く違う性格の子と一緒にいることで、
本当に世の中にいるいろんな人のことに思いを馳せることができるようになったというか、人間として幅が広くなったんですよね。
たぶん子どもも私と同じような性格だったりとか、育てやすい子どもだったらきっと気づかなかったようなところまで、
気持ちが生き届くようになったような気もして、それは本当に感謝しているし、これからも成長していけたらなと思っています。
ちょっとそんなお話でした。
よかったら参考になるかな、ちょっと元気が、元気というか慰めになればいいなと思っています。
素敵な一日を過ごしください。
カイホでした。
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