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どうも、純朴生活です。
2024年7月30日、火曜日ですね。
はい、今、夜に収録して、そのまま、そのすぐ後ね、公開する予定で撮っています。
はい、火曜日の夜ですね。
ちょっと、えー、曜日感覚はね、ちょっとないというか、
普段の月曜日はこれして、火曜日はこれしてからね、外れた行動をしているので、
ちょっとね、曜日感覚がフワーッとしていますね。
今日は何度も、今日火曜日だよなっていうのを確認しながら過ごしていました。
火曜日ですね、7月30日、明日で7月終わりか、バタバタとしていました。
今、僕は松本市の自宅の付近ですね。
ちょっとお散歩しながら、近所をね、お散歩しながらというか、近所をちょっと歩きながら撮っているところですね。
6月とかだとね、この辺田んぼばっかりなんで、
カエルの鳴き声が、こうやって録音すると必ず入るという感じでしたけども、
7月末だとカエルって鳴かないんだっけ?
もしかしたら音が入っているかもしれませんが、
カエルじゃなくてね、秋の虫というか、スズムシとか、リンリンみたいな、
そういう音が聞こえますね、ちょっと小さくね。
犬も鳴いた。
秋の虫が大合唱というよりは、早いやつはもう少しずつ鳴き始めてるみたいな感じ?
多分これ録音できてる気がするな。秋みたいな音しますよね。聞こえてるかな。
そんな感じです。
今日の朝は札幌市内のホテルで目が覚めたんですけども、
今日の昼間の飛行機で岡玉空港から新潮松本空港に帰ってきて、
昼過ぎに自宅に着いて、午後はもうゆっくり休もうと思って、
特に何をするというよりは、日常に戻るためにゆっくり過ごしたって感じでしたね。
前回のエピソードが日曜日の夜に撮ったんだっけ?そうだねそうだね。
日曜日の夜に撮って、タイトルにつけた通り、
父親が入院して手術したっていう連絡を日曜日のお昼前ぐらいにね、
父親の弟から電話がかかってきて知らされて、そのまま午後の便をすぐ取って札幌に帰った。
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それが日曜日でしたね。
月曜日、昨日は面会に行ってきて、いろいろ状況を確認した結果、
今僕が札幌に滞在してもそんなにできることなさそうだねということで、
一旦札幌帰ってきて、荷物とかも最低限で行ったんであんまり長期滞在するような準備もせずに、
ある程度気の見きのままにリュックぐらいの感じで行ったので、
一旦帰ってくることにしたっていうのが今日ですね。
この後、病院とか入院とか手術とか、HCUみたいな話がたくさん出てきます。
出てきますというか、僕がそういう話をこの後するんで、
ちょっとそういうの聞きたいわけじゃないな、聞きたい気分じゃないなって人は、
このあたりで止めてもらうのがいいんじゃないかなと思いますんで、
各自の判断でお願いします。
じゃあ続きを話していきますね。
これは本当にセラピーというかね、毎日日記を書く生活が今4年11ヶ月ぐらい続いてて、
もうすぐ丸ごねになるところなんですよね。
2019年の8月23日にちょっと日記書いてるかと思って書き始めて、
それが途切れず続いてるんですよ。
なんで日記を毎日書いたり、あとはこうやって個人の日々の記録みたいな音声コンテンツとかもやってみて、
強く実感してるのは、これは本当に自分の精神衛生のためにやってる、
セルフケアの一環だなという感覚ですね、僕はね。
あんまり人に聞いてもらえてるっていうのは結構副次的な効果で、
一義的な自分自身と向き合う時間になってますね。
なんで今回もそういう目的で起きたばかりのことを自分の言葉で話してみながら、
自分そんな風に感じてるんだなっていうのに気づいたりするためのものです。
日曜日、改めて何があったかというと、今実家にはですね、
日曜日の時点で僕の父親と母親とあとは弟が二人いるんですけど、
上の方の弟ですね。だから僕、うちの四人兄弟の次男、僕が長男で、
次男さんなんているんですけど、父母、次男が札幌の自宅で暮らしていて、
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日曜日の朝、母親が二階の自分の部屋で寝ていて、
母親が朝起きて一階に降りていったら、血を流している父を発見して、
それで次男が救急車呼んでくれて、そのまま病院に行って、
すぐ手術って、緊急手術になってっていう感じだったんですよね。
ちょっとね、何があったかは、正確な詳細まではわかんないんだけれども、
母と次男の話を聞いている感じだと、多分父親が明け方とか朝なのかな。
夜寝てから翌朝起きる、起床するまでの間に必ず一度はトイレに行くらしいんですよ。
一緒に住んでいる人というのと。
たぶん日曜日の朝も父親が早々とか、まだこのあと寝るんだけど、
一回目覚めちゃったってタイミングで、二階の寝室から一階に降りていってトイレに行こうとしたんじゃないかと。
その時に転んで、どっか頭ぶつけたのか何なのか、
左耳の後ろみたいなところが最終的には病院の人とかに見てもらった結果、
左耳の後ろみたいなところの頭蓋骨が骨折していて、
そこから血を流していたみたいで、だから母親がすごいかわいそうなんだけどさ、
一回降りていったら血が溜まっているところはあるが、
父親がなんでそんなところにいるのって感じだったらしいから、
それで救急車を呼んでね、運ばれて手術して、手術終わった時点で命に別状はないっていうね、
担当のお医者さんは言ってくれて、ただ一回頭開けて溜まった血とかを抜いて、
また閉じるっていう手術を、ざっくりそういう手術をしてくれたみたいなんだけど、
いかんせんね、脳まわりのことなので、後遺症とか残る可能性は大いにあるみたいなことを聞いてますね。
なんで最悪本当にもう亡くなっちゃうかなと思ってたのでね、最初の法を受けた時点では、
命が助かったのは本当によかったしね、お医者さんに感謝しているところです。
という状況で日曜日終わって、月曜日、きのう面会が一度に2名までで、
1週間に一枠しか予約できないみたいなことを、母と次男はそういう説明を病院から受けたみたいで、
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きのう面会できるように早速予約してくれていてですね、
14時半から15分間2人だけHCUっていうところに入れて、面会できるっていうことだったんですよね。
それでそこの2名の枠に、僕とうちの妻のマミがせっかく松本から来てくれてるから、
会ってあげてということをね、日曜日の時点でみんなが言ってくれていて、
最初マミもね、いや私たちじゃなくて、マミは、じゅんさんはそれは長男だし息子だしあったり、
もう一人はお母さんの方がいいんじゃないみたいなこと言ってくれてたんだけど、
母と次男は札幌市内にいて、来週とかも来れるし、最初に発見してね、病院までの救急車も付き添ってくれてて、
様子結構見れてたから、じゅんとマミに面会に行ってほしいという、
昨日、日月と集まってた人たちの総意として、じゅんマミで会ってきてくれってことだったんで、
日曜日の時点でね、そういうことであれば、会ってくるねという感じで、
昨日のね、月曜日の14時半からね、会ってきましたよ、面会。
HCUって僕、全然知らなかったがいいね。
よく聞くってほどじゃないけど、聞いたことあるのはICUってやつですよね。
集中治療室ってやつですか。
ICUの一段階、状態が軽い人向けのがHCU、高度治療室。
だからICUっていう一番もう本当に大変な状態の人が入る部屋と、その下にHCUっていう、それよりはもうちょっと安定してる人と、
通常の病室みたいな、3段階くらいあるみたいですね。
そのうちのHCU、ICUほどじゃないけど、通常の病室にはまだ入れないみたいな人がいるとこに、
うちの父親は今ね、お世話になっていて、
そこに僕が人生で初めてHCUっていうエリアに詰まって一緒に入ってきましたよ。
で、父親いて、人工呼吸器つながれていて、ベッドの上に横になってる感じですね。
で、見るとね、体は元気そうというか、外症も全然ね、ぱっと見分かんないくらい。
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手術してるんで、手術の切った跡とかはありますけれども、五体満足に見えた、五体満足か。
で、ただ目はね、両目はほとんど閉じていて、左目がね、ちょっとわずかに開いて、
なんかこっちを見てるような気がするって感じ。
うっすら開いてて、こっちを見ようとしてくれてるような印象は受けましたね。
でも顔色も良かったし、あとは胸が上下してたから、
体がね、一生懸命呼吸をしてるように見えて、それを見てね、なんかすごい安心しましたね。
僕はなんか、あ、体元気そうじゃんっていうのが結構強く印象に残っていて、
ちょっとどんな姿なのかね、聞いてる話から想像はしていたけど、
実際目で見て、体を触らせてもらって話しかけたりすることで、
なんか僕は安心しましたね。
父親の鼓動が元気に感じられたので、呼吸と鼓動が、
ちょっと変な話だけど、元気そうで良かったっていうのが結構強く印象として残ってますね。
15分間の枠をもらっていたんで、とにかくね、いっぱい話しかけようと思って、
そういう気持ちでHCUに入ってたんで、
今日はジュンとマミが会いに来たよっていう話をして、
で、HCUの外には誰がいるよとか、
あと今日札幌には来れてないけど、みんな連絡取り合って、みんな心配してるよとか、
こちらの状況っていうかね、こちらの状況というか、みんなの状況を伝えたりしましたね。
今日は日曜日、多分だけど、階段を踏み外したのかなのか、
それでね、骨折するほどの衝撃があって、血を流してね、ちょっと倒れてたわけだから、
苦しくなかったかいとか、今痛くないとかね、そういうことを聞いたり、
とにかく刺激を与えるといいのかなと思ったので、たくさん声をかけたりね、ちょっと手を握ったり、肩をさすったりしましたね。
でももしかしたらね、ちょっと触られて痛いかもしれないから、恐る恐るになりましたけどね、やってきました。
そんな中でね、僕よりもマミがすごく一生懸命話しかけてくれて、いっぱい声吹かけて、
それはすごいありがたかったですね。
僕一人だと、もうちょっと淡々としちゃってたんじゃないかなと思うのでね、
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マミがすごく一生懸命、大丈夫だよってね、みんないるからねっていう声かけをずっと絶えずしてくれててね、
よかったですね。
そうこうして、たくさん話しかけてるうちにね、右目は閉じて見える、左目はうっすら開いていて、こっちを見てるように感じる。
途中なんか左目も閉じて、両目を閉じてる感じになった時もあったので、15分話してる間にね、
もしかしたらすごい眠いみたいな、そういう状況だったりするんですかね。
でも頑張って起きようとしてたら左目がちょっと開くとか、そういう感じなのかな。
いかんせん知識がないんでわかんないけども、そういう印象を受けたので、
もしかしたら僕とマミが会いに行った時に一生懸命起きてみようとしてくれたのか、何なのか。
とにかくいっぱい話しかけました。
途中なんか一回腹筋のところと口を動かしてくれた時があって、
なんかもしかしたら聞こえていて見えていて、何か伝えたいことがあるのか、
何かシグナルをこちらに送ろうとしてるのかなって見えたね。
体がグッと動いた時があったんですよね。
いやどうなんだろうな、ちょっとわかんないですよね。
想像しかできないから本当に今父親が、そもそも意識があるのかないのか。
あるけど体が動かないんだとしたらだいぶしんどいですよね。
金縛りの超つらい版みたいな中にいるんだとしたらちょっとかわいそうすぎるから、
眠くてずっと寝てるとかそういうぽんぽーんと心地よい中とかにいてほしいですよね。
痛かったり苦しかったりもどかしかったり寂しかったりしないといいなって思いましたね。
左目開いてて、途中左目の周りに溜まってる水がちょっと増えたように見えた時もあったんで、
何か涙を流す機能は機能してるのかどうなのかちょっとわからないことだらけだけど、
幸い僕とマミは実際会う時間をもらえて父親の体の動きとか目の動きとか、
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もしかしたら今涙出たのかなとかそういうのを見ることができたんで、
ずいぶん安心しましたよ僕は。
命がまだまだ元気だなという印象を受けたのでね。
だから不思議なもんで、寝たきりで会話もできない状態の人を見て元気そうという印象になって帰ってきたのも、
自分として結構びっくりしたし、自分でも変な話だなと思ったりするし、
なるべく短い時間の中でこちらから元気を少しでも分け与えて、
その回復の足しにしてもらいたいなとそういう気持ちで行ったんだけど、
行って帰ってきたら僕の方が元気をもらったというか、
安心させてもらったなというそういう感覚で、
HCUは後にしたんで、不思議な感じがするな。
もうちょい時間15分だったんで、
15分ぐらい経ったところで係の人がそーっと近づいてきて、
そろそろっていう感じでこっちを見てたんですけど、
それに対して妻が嫌だって言って、まだいるとか言ってね。
そのままいっぱい話しかけ続けてくれてね。
頼もしいことですね、本当にね。
よかった、そういう人が一緒に過ごしてくれて、僕はめっちゃ助かりましたね。
こんな感じでHCUは後にして、
僕妻入れて7人で日月と一緒に行動してたんですよ。
別々に行動しない方がいいし、一緒にいて声かけた方がいいよねってことで、
ほとんどの時間をね、日の夕方から月の夕方まで7人で過ごしてて、
僕らがHCUから出てきたときに待ってる5人がね、
待合室みたいなベンチのところにいたんで、
こんな感じだったよっていうのを共有して、
その後解散しましたね。
いや、面会他の人もね、順番に行くけど、
僕らは先に機会をもらえて、ありがとうございました。
しかも僕はすごく気持ちに一区切りついた感じがして、
父さんに元気をもらったなという感じがあります。
いやーでもね、どういう状況なんだろうね。
苦しかったり寂しかったりしないといいなと思いますよ。
1週間初通が次にね、面会予約取れるのが来週だって言うんだけどね。
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父さんが毎日意識あって、そのまま時間間隔もわからない中で、
1週間に1回しか人が会いに来ないってちょっと寂しすぎるよね。
いやーちょっと寂しくないといいな。
痛かったり苦しかったり寂しくないといいから、
まずはちょっと大変だったからね。
まずはゆっくり、のんびりゆっくり過ごすとか、
そういうことができるならそうやってほしいなと。
そんなことを願いながら、1週後にしました。
今度あれだ、妹がね、妹が今札幌にいなくて、
日曜日に連絡かもちろんついてたんだけど、
ちょっとすぐに札幌に行けないっていう状態だったので、
ちょっと妹のことを心配して、
昨日の夜は電話してね、一緒に話したりしてましたね。
僕は松本から札幌行ったんで、親兄弟と親戚と7人で結構わいわいね。
うちの家族も親戚も賑やかというかね、
明るい、いつも明るい感じなんで、
7人で集まって過ごしてる間はみんな笑いながら過ごすんですよね。
僕はそこにいれたことですごい救われたし、
実際父親にも会ってこれたんで、
分からなくて不安っていうのはだいぶ軽減されたんだけど、
妹はね、札幌にもまだ行けてないし、
一緒に過ごすっていうのもタイミングが合わせていけなかったんで、
自分がもしそういう状況だったら不安が解消されないままかもなと思ったんで、
昨日夜、妹に電話して、僕とマミと妹と話してて、
途中でお風呂から上がってきた妹の夫さんも会話に入ってくれて、
4人で喋って、結局通話は1時間くらいしてたんですよね。
父さんこんな状況だったよっていうね、
こちらから話せることは全部伝えて、
あと7人でね、札幌で集まってわいわいしてたんで、
その話とか聞いてもらったりして、
しばらくちょっと密に連絡を取ってね、声掛け合いながら過ごしていくことになるかなと思います。
昨日の月曜日の日記にも面会行ってきた話は文字でも書いてあるのでね、
今回のエピソードの概要欄から、昨日の日記へのリンクも貼っておこうかなと思います。
こうして話してみるとね、やっぱり自分の状態が少しずつわかりますね。
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今後どうなるか本当にわかんないんで、ニュートラルな気持ちで構えてるつもりではあります。
あとは妻のマミとも話したんだけど、
この後の展開によっては、僕が次に住む場所が札幌とか札幌周辺とかっていう選択肢になるのも全然あり得るなと思うのでね、
今後の展開次第なんで、まずはしばらく様子見るしかないですね。
そういう意味ではちょっと情報がいろいろ出るまでは判断しにくいのでね、
次の引っ越しのタイミングとかどうしようっていうのは焦らず考えたいし、
何かあった時にパッと決断して動けるように、決断しやすい決断判断、意思決定しやすい状況で、
今年年内とか場合によってはもうちょっと長い単位で色々様子を見たりすることになるかもしれないんで、
もともと言ってた2年ごとに色々とかってあるけど、それはちょっと一旦放流というか、あまり守んなきゃいけない計画でもないので、
楽しく過ごすためにそういう案を作ってただけで、特に取り決めとかはないんでね、
柔軟に意思決定できるように色々見直しながら構えておこうかなと思っています。
松本に戻ってきて、松本すごい気に入ってるからさ、落ち着く気持ちもあるんですよ。
先週松本くんが戻ってきて、車に乗って自宅に近づいていくと、帰ってきたなって感じだし、
あと家の環境はもちろん一番快適なんで、家帰ってきて落ち着くとか、室温の設定とかもろもろ含めて快適なんだけど、
今回のこともね、母親と弟、次男に色々任せる形になったので、色々手続きとかを任せて、僕は松本に戻ってきたんで、
なんで親の近くに自分いないんだっけみたいなことを思わされましたね。
今後どこに住むみたいな話も含めて色々考えていきましょう。
何でも妻と相談してやっていけば、ちゃんといい判断できると思ってるんで、
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あんまり心配もしてないし、これまでの選択肢に後悔してたりは全然ないんですけども、
未来に関してはこれからなんで、いい感じにやっていきたいですね。
そんなわけで、日曜日に札幌行って、月曜日丸一日札幌で過ごして、火曜日札幌から松本に帰ってきました。
今のこの感じは、今しか喋れない、発話できないだろうと思ったので、こうやって声の形でも残してみました。
疲れたからね、今日は早めに寝るんじゃないかなと思います。
2024年7月30日火曜日の純木生活、お相手は松本に戻ってきた純木でした。
また次のエピソードでお会いしましょう。
バイバイ、聞いてくれてありがとうございます。