サマリー
親子遠足で影川花鳥園を訪れ、フクロウや鳥と触れ合う中で、スイレンの美しさに感銘を受けたことが語られています。特に、心の中での覚悟を決めるきっかけとなった蓮の花の存在が強調され、自己の生き方にも影響を与えた様子が伝えられています。このエピソードでは、蓮の花の成長を通じて自己成長や葛藤について考察されています。特に、学校に行けない子供たちの心情や、その背景にあるさまざまな思いが紹介されており、我慢と甘えの境界についても触れられています。
親子遠足の体験
こんにちは。助産師として、母として、私として、生きる道を模索する、4人のかーちゃん助産師のみほです。
昨日、娘の親子遠足に行ってきました。
娘が通っている保育園、子ども園は、年に1回親子での遠足があって、
県内の動物園とか牧場とかに行っていたんですけれども、
今年はちょっと例年と変わって、静岡県の影川にある影川花鳥園に行ってきました。
影川花鳥園はですね、花と鳥で花鳥園って書く。
その名の通り、花と鳥がいっぱい見られる施設なんですけれども、
入るといきなりフクロウが何種類もいて、
フクロウって昼間見ると、たぶんあの子たちは夜行性の動物なので、
昼間見るとみんな眠そうで、火に染まってビーッとしているんですよ。
中には目を閉じて、ほんとに眠っているような子もいれば、
遠足でたくさんのインジェクトの保護者がブワーって来た様子を、
すごいまんまりお目目でびっくりした様子を見ている子たちもいて、
フクロウ、かわいいなぁってところから遠足を始めます。
ちょっと進むと、鳥が話しがいになっている層内に入れるんですよ。
黄色と黄緑の色をした鳥たちが、何匹ぐらいなんだろう。
30匹ぐらいかな。話しがいになっていて。
おさやり体験とかできるので、鳥たちも人間に懐きまくっていて、
その空間に入ると、みんなの頭とか肩に、
餌を持っていなくても自然と寄ってくる。
私も頭に留まったり、娘も頭とかに留まったりしてたんだけど、
もう全然人間に怖がっていないし、
餌くれ!餌くれ!みたいな感じで、めっちゃ寄ってくる。
私は鳥も嫌いではないので、
かわいいねって娘と見てたんですけど、
中には鳥苦手だよっていう子供とかいて、
そういう子はもう、うわー!みたいな感じになっていました。
娘もかわいいってなってたから、
鳥が娘に留まっているのをめちゃめちゃ写真撮って、
もう帰って変わらない写真がフォルダーの中にあふれちゃいそうで、
そこの施設は花もたくさんあって、
鳥が話しがいされているスペースの中央部分が池になってるんですよね。
そこの池にスイレンがいろんな種類がいっぱい植えてあって、
花が咲いてたんですよ。
スイレンっていろんな色。
紫とか白とか、ちょっと赤っぽいのとかもあって、
スイレンの美しさ
どれもすごく綺麗で、レンって強い意志を感じるんですよ、私は。
すぐ伸びて、すごい綺麗になってて、
一輪で勝負してるっていうか、
自分を見せてくる感じがかっこいいなっていうのがあって、
スイレンもめちゃめちゃ写真撮りました。
私普段あんまり物だけの写真って撮らないんですよ。
人物を撮るのが結構好きなので、
何かいい風景があっても、
ここに子供たちを入れて、
子供たちと気になるものを全部セットで撮るんですけど、
このスイレンの花たちは、花だけで撮りました。
私花ってあんまり好んでなくて、
私も花よりダントな女なんですけれども、
なんで花があんまり好きじゃないかっていうと、
花って枯れてしまうものなので、
もらっても枯れてたら悲しくなってしまうことしか考えられなくて、
あんまり今咲いている花の美しさよりも、
枯れていくことへのこの人が大きくなってしまって、
あんまり花って好まないんです。
私はそれよりも目が出てくる様子に、
すごい力強いことを感じて、
未来があるかって、これから花を咲かせてやるぜみたいな、
花なり、実なり、植物の一番最初の種から目が出てくるっていうところに力強さを感じて、
私は花よりも発芽のところが好き。
目のところが好きなんです。
なので、花はあんまりいいなって思うことはないんですけど、
昨日見たスイレンたちは、さっきも言ったように、
すごい力強くて、スイレンって枯れるのかな?
またしぼんでいくイメージがある。
時間によって花咲いたりしぼんだりするイメージがあるんですけど、
枯れるのかな?
終わりはあると思うんですけど、
その終わりを感じさせない。
花って儚いイメージが多分ある。
花をあまり感じさせない、凛とした感じが、
すごいシャパって、めちゃめちゃとりました。
綺麗だった。
スイレンの話、まだ続くんですけど、もう少し。
続きます。
スイレンの話だと、
娘がお腹の中にいるときに、
すごいせっかちで、
もう37週になったら、10ヶ月入ったら、
もう産みたくなっちゃうんですよ。
予定日まであと3週間もあるんですけど、
もう産める気になったら早く産んで、
早く子供に会いたい。
どんな子なんだろう?
早く出てきて、って感じになってしまって、
次男が37週で生まれてるので、
その後の3番目の子供である娘のときも、
37週代か38週では生まれてくるでしょ?
みたいな感じで思ってたんですよ。
生まれてくるつもりで準備してて、
そしたら生まれてこなくて、
全然生まれてこなくてもいい週数なんですけどね。
40週0日が予定日なので、
全然予定日前だし、
まだ全然お腹にいてくれていい時期なのに、
ただの私のせっかちで、
まだ生まれてこない、まだ生まれてこない、
この子はもう生まれてこないんじゃないか、
まだ生まれてこないことまで思っていて、
それを焦る気持ちを、
3頭目と3歳に言っていたら、
とりあえず、ちゃんと生まれてきてくれるように、
2人で安産祈願に行こうって言ってくれて、
市内にある安産で有名な場所に行ったんですよ。
そこでね、
プリレンなのかあれは、
蓮の花がすごい綺麗に咲いていて、
そこの場所の住職さんなのかな、
その場所の方がたまたまいらっしゃって、
この蓮は、
もうちょっと時期が過ぎている、
時期がちょっとずれていて、
もう見れるの本当に、
今日が最後ぐらいでしたよ、
みたいな感じで言ってくれたんですよ。
もうすっごい綺麗で、
それも、
あの花にも、
なんか、
待っていけないというか、
こんな早く生まれてこいとか、
自然の成り行きに身を任せるしかないようなことに対して、
せっかちに思ったりとか、
自分の力でどうにかしようってする私って、
それだけだったなーって、
なんかすごい思わせてくれたんですよね。
あの蓮の花が、
すごい凛として、
その蓮の花は茎が長くて、
花が薄紫な、
綺麗な花だったんですけど、
茎をすごい伸ばして、
蓮の花をあんまり派手じゃなく、
でも、ちゃんと存在感がある感じで咲かせてる、
あの花が、
うわーってきたんですよ。
とっぽけだったな。
もう、
任せようって思えて、
翌日、
次か次の日に、
娘が生まれてきたんです。
私の覚悟が決まったというか、
待とうって思えたら、
生まれてきてくれて、
そのきっかけをくれたのは、
あの蓮の花だった気がするんです。
振り返る思い出
今振り返っても、
あの綺麗さがすごい蘇るんですけど、
昨日の親子遠足は、
娘との親子遠足で、
蓮がすごい綺麗に咲いてる場所にいてて、
なんかすごい感傷だったっていうか、
娘も大きくなったなーって、
生まれるときに覚悟決めたなーみたいなふうに思い出して、
今話しててすごい、
あのときの気持ちとかを、
自分でも気づきました。
そこまでちゃんと思ってなかったんですけど、
あの花にそうやって元気もらったっていうか、
覚悟決めさせてもらったっていうか、
その花は私の中で、
結構特別な花の一つかなと思います。
ちょっと今日はもう一つ話をしたくて、
親子遠足の話、
前置きみたいな感じで考えてたんですけど、
ちょっと長くなってしまって、
ここからがちょっと私の話したかった話なんですけど、
その親子遠足が、
うちの子供園の場合、
入園のところまで、
その花長園の入園口までみんなで行って、
で、まあチケット配られて、
じゃああと園内は自由に散策行ってください、
みたいな感じになるんですよ。
毎回そうで、
動物園とか行っても、
そんな感じ。
だから園内は、
私と娘の二人で、
回らなければいけないんですけど、
回るのは全然、
娘とか全く困る子じゃないから、
全然いいんですけど、
私、その、
ママ友がいなくて、
いないし、
別にそこで仲良くなろうとかも、
思ってなくて、
仲良くなれる人がいるのであれば、
別に阻止することはないんですけど、
自分から頑張って、
仲良くなりに行こうという気持ちは全くなくて、
だから、
一緒に回ろうみたいな人も、
もちろんいないし、
で、
なんなら娘の友達、
顔と名前一致してる子、
ほんと数人一切ないから、
子供と親が一致するなんて、
一切ないし、
だから、
こんにちはとか言われても、
誰?みたいな感じになるんですよ。
だから、
園内どうぞ自由にってなっちゃうと、
娘と二人で回るのはいいんですけど、
そこに娘の友達であろう子と、
親がいっぱいいて、
連れて行くときに、
ちょっとした世間話とか、
あ、向こうに何々いましたよ、
可愛かったですよとか、
エサやりできましたよとかっていう、
一言を言わなきゃいけないんじゃないかっていう、
よくわからない謎の緊張感みたいなのが
生まれるんですよ、私の中に。
でもそれがうまく言えないから、
うわーってなるみたいなのを
毎年繰り返してて、
だから今年は、
ちょっと自分の母親を
一緒に連れて行ったんですよ。
私と、
私の母親と娘の
三人で、
遠足に参加してきました。
遠足自体は、やっぱ母親がいるので、
私にも話せなくて、
娘も、
そんな、私と私の母親を
一人でにすることってないから、
すごい楽しそうで、
よかったんです。
それは本当にありがとうございましたっていう、
本当に心からありがとうございました、
助かりましたって感じなんですけど、
まあ、母親が来て、
遠足から帰ってきて、
ちょっと、
外出したんですよね。
近くのスーパーみたいなところに
行く車の中で、
上二人の話になったんですよ。
どんな話し方だったかは、
わかんないんですけど。
で、
その前後も、
あんまりよく覚えてないんですけど、
学校に行けてないみたいな話に
なったときに、
母親が、
まあ、境に出たらね、
自分に合う人もいれば、
合わない人もいて、
我慢をしなければいけないっていう場面は、
必ず出てくる。
で、学校っていうところは、
その我慢の練習をするところでもあるから、
どうなんだろうね、みたいな。
って言ったんです。
で、その後に、
まあ、
親はあなたたちだから、
私がどやかく言うことじゃないんだけどね、
心の葛藤と自己成長
って言ってて。
でも、そのね、
その言葉が私にすごい
棘として刺さって、
今この話をするまでずっともやもや。
結構もやもやすることがあると、
私のすごい悪いことなんですけど、
その原因とは関係ないことに対しても
イライラしてしまったりとか、
彼に対しても気力になったりとか、
まあ、今日は遠足で疲れてたってこともあると思うんですけど、
他のことに対しても、
ささくれだってしまうんです。
でも、一回、
一回言っとかないと、
このぐるぐる、
どんどん大きく成長してきてしまうな、
っていう感じがしたので、
話しとこうと思って、今。
まあ、何がそんな刺さったのかっていうとですね、
まあ、そもそもその、
境に出てて、
あんまり、
あんまり、
あんまり、
あんまり、
そもそもその境に出て、
会う人と会わない人がいるっていうのはわかる。
私もそう思う。
で、そこで、
我慢しなければいけない状況になる、
っていうのもまあ、
まあ半分ぐらいわかる。
我慢すればいいってもんじゃないんじゃないかな、
っていうところがその半分のほう。
なんですけど、まあ、
我慢しなければいけない状況があるっていうのはわかる。
で、その練習を学校でしてるから、
学校に行ったほうがいいんじゃないか、
ってところなんですけど、
まあ、それも言わんとすることはわかる。
まあ、学校なんて、
社会に出た後以上に価値観が合わない人とか、
自分がやりたくもない環境とか、
本当に鍛えられる場面は多いなって思うので、
まあ、行くことで学べることが多いっていうのはわかるし、
鍛えられることが多いっていうのはすごいわかるんですよ。
そうだよねって思う。
でも、それをやってない、
学校に行けてないうちの2人なり、
他の行けてない子たちを見て、
我慢できない子に育ってると思われないっていうか、
やっぱ、その、
学校に行けてないってことが、
本当に心からね、
いやー、学校めんどくさいから行くのやめた。
行くのしんどーみたいな感じで行ってないんだったら、
そう言われてもしょうがない。
サボりみたいな。
本当に自分も自覚してのサボりだったら、
いやいやいやってなるんですけど、
学校に行けてない子たちって、
そういう子もいるとは思うんですけど、
大部分は行きたいけど行けない。
行きたい気持ちはあるけど、
あの環境に身を置くと、
自分が守れなくなりそう。
自分を守るためとかでもあると思うんですけど、
行きたいけど行けないみたいな子が多いんじゃないかなと思うんです。
行きたいけど行けない子たちって、
親の私でも分からない葛藤とかあると思うんですよね。
不安とか。
そういう思いをしてる子が、
我慢できてないのかって思ったんです。
うまく言えないけど。
学校への期待と現実
我慢って言い方だとちょっと違うのかな。
でもすごい何かに与えてると思うんですよね。
言葉が出てこない。
だから我慢が甘えじゃないかみたいな風に言われてるって私は受け取って、
甘えさせてる。
そういうニュアンスでは言われてないんですけど、
私としてはそんな感じに多分受け取ったと思うんです。
学校に行きたくない、行けないっていう子供を
生かせてないのは甘えさせてると捉えた。
多分私はね。
まあでもそれは正直なところ甘えさせてると思うんです。
でも我慢をさせた先に、
私がいいと思う世界はないかなと思うかと。
そこは甘えさせてるって思われたとしても、
私自身は思ったとしても思う。
思うけど、
まあ多分私の母だけでなく、
世間もそう思ってんだろうなっていうのが知ってるんですけど。
知ってるけど、
まあ言われると刺さる。
その間、担任の先生と私が話したときも、
担任の先生すごいいい先生で気にかけてくれてるし、
いろいろリモートをつないでくれたりとか、
毎日返事返ってこないチャットに
すごいうちの子に投げかけてくれたりしてるんですよ。
今日はこういうことやりましたとか。
家では何しましたかとかっていうチャットを毎日やってくれて、
すごいいい先生だなっていうのがあるんですけど、
この間、全然会えてない。
前はその学校に登校できてなくても、
放課後に私と一緒に先生に会いに行ったりとか、
ちょこちょこでいて、1月は。
2学期はそれもできてなくて、
そういうのもないから、実際に学校に。
授業とかじゃなくて、
先生に会いに来るだけでもいてもらえるといいんですけどね。
そうなんです。それもそう。そうです。
もうちょっと難しいのかな。
もうちょっとアプローチしてくれてもいいなって。
結局先生は学校の中にいて、
マッチの姿勢なんですよね。
例えばちょっと電話を1回かけてくれるとか、
なかなか今の子って難しいと思うんですけど、
家に来てくれるとか。
もうちょっと直接的なアプローチをしてくれてもいいのにな。
結局こっちが動かないと動いてくれないんだな。
それはその先生個人でいうか、
その先生も上の先生とかに相談してくれてるので、
先生個人というよりも、
学校の方針なんでしょうけど、
もうちょっと学校としても、
私を含めた会議とかやってくれないのかなと。
蓮の花の象徴
ちょっと思うんですけど。
思ってるなら言えばいいのかな。
言えばいいのかもしれないですけど。
その仕組みすらわからない。
そういうのをやってくれるのかどうかすらわからない。
そういう感じでビビっているところがあって。
結局こっちも待ちなし生と言われたら待ちなし生なんですけど。
むずいな。
母親の一言からすごい悩むようになって、
またちょっと不登校の親モードになって。
結局私の関わりなのかなというところに結局戻る。
いやー、難しい。
もうダメだ。
今これまた撮ってるの。
朝の4時半車の中で撮ってるので、
ちょっともう一粒にハマりそうです。
でも今ね、話しながら思ってたんですよね。
親子遠足の話から今この話をして、
蓮の花って汚い泥の中で育って、
綺麗な花を咲かせるって聞いたことがあって。
私が20代前半の時に出会った友達がこの話をしてくれて、
だから自分が子供が生まれたら蓮って名前にしたいって言ってたんです。
本当にすごいなってその時は思ったんですけど。
今日この話を一連でしてみて、
今子供たちも私も夫も含めて、
結構泥の中でパワーを貯めてるっていうか、
花を咲かせるためにパワーを貯めてる時期です。
泥の中からいつ出るか全然見えないけど、
去年よりは確実に良い方向に行ってるって私は思ってるし、
良い花が咲ける前日は多分遅そう。
でもまだ花を咲かせるにはパワーが足りてなくて、
でもやっぱり花って咲いちゃったら終わりだから、
結構最後だから。
今が大事なんじゃないかなって思いました。
泥の中だな。
別にすごい落ちてるとかじゃないんですけど、
パワーを貯めてるんだな。
この状況の中で自分ができることをやれば、
間違ってるとは思ってないから。
今の自分の高校生なんです。
ただ人から言われるとちょっと揺らぐんですけど、
大丈夫とは思ってる。
ちょっと話して。
500円服の話からこの話をできて、
ちょっと自分の中で繋がったかな。
途中言葉が出てこなくなって、
なんだこれって感じでしたけど、
ちょっとまともった自分の中で話して良かった。
じゃあもうすぐ朝の5時になりそうなので、
一旦寝ようと思います。
もし最後まで聞いてくださった方いたら、
ありがとうございました。
また。
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