誤読の概念
皆さんこんにちは。この番組を配信しております北海道在住の米之岡にして、高校のポッドキャスターのジョンと申します。よろしくお願いします。
今回は、誤読を恐れないでいこうねって話をしていこうと思います。誤読、誤って読むと書いて誤読でございますけども、皆さん誤読してますでしょうか。
何を誤読するかといえばですね、例えば映画批評ポッドキャストで映画の書かれている内容を誤読するですとか
考察系って呼ばれてるやつあるじゃないですか。あれ大半が誤読でございますからね。って言うと喧嘩を売ることになるのかな。
なんかね、最近はゲームとかその辺のやつとか設定資料とか開発インタビューとかそういう風なのがいっぱい調べられるようになって
そこの方から考えを巡らせていくっていう風なことをやられてたりするんですけどね。
この辺の誤読の痛み並みっていう風なのは歴史が昔からすごく古くてですね、全然違った読み方ですとか全然違った発想による考察ですとか
そういう風なものっていう風なのがインターネットもある前からずっと広く連綿とされてきたものかなと思っております。
ただ私はポッドキャストにおいては誤読はしていっていいものだなっていう風に思っておりますのでね。
どんどん誤読をしていきましょうという風に思っております。
ただね、例えば人に悪影響を与えるような誤読、反悪人とか、実は南海トラフ大地震は気象兵器とか、あとは人工地震によるものだとかね。
そういう風に気をつけないといけないような誤読みたいなものっていうのは存在してたりはするんですけどね。
だから健康に収まる範囲においてはどんどんしていった方がいいんじゃねえかなと思ってたりするんですけどね。
ただ同時に誤読は恐れないといけないよねっていう風な部分だったりするのでね。
そこを注意しつつどんどんやっていった方がいいのかなとは思っております。
ちなみに私が誤読していった方がいいなという風に考えている一番の理由っていう風なのがですね、正解って一つなんですよ。
一つっていうか、真実はいつも一つではないですけれども、だいたい話すことが同じになっちゃうことってあるよねって思うんですよ。
そして正解とか見方とかそういう風なものが定まってしまったものに関して、例えばちゃんとした事実だろうなとかね、そういう風なものに関して、
1たす1は2でございますから、それに対してそのことを言うのはそうなんですけれども、こと、ポッドキャストで何かの話をしますっていう風な感じになった際にですね、
その答えが一応なのを20人30人と話を聞くのはどうなんだっていう風な部分もあるんですよね。
一応、仮定がそれぞれ違うでしょっていう風なこともあると思うんですけれどもね。
そしてその仮定こそがお話をする上で面白かったりしなかったりするのに一番重要な部分なんで、そこさえ違ってればとは思うんですけどね。
でもそこのね、読み方すらも同一になってしまう場合っていう風なのが結構散見されるかなーってここ最近は思っております。
特にね、映画批評関係のポッドキャストを聞いていてよく思うことなんですけどね。
フィルマークスと、あとはヤフー映画とか映画ドットコムの感想のパッチワークだよねっていう風なポッドキャストでとか、
あとはライムスター宇多丸さんが言ってたねーとかね、町山智博さんがそうやって喋ってたねーとかね、
橋本慎彦が言ってたねーっていう風なことのパッチワークだったりするような映画批評みたいなのっていうのはね、結構ポッドキャストを聞いていると当たることが多いなーって思っております。
で、そこに自分の経験やら何やら乗っけて話すっていう風なのが大事なんだなーと思うんですけどね。
それってあの、ほら、ライムスター宇多丸さんのパッチワークだったら、ライムスター宇多丸さんが喋ってるやつが一番面白いんじゃないですかって思っちゃうし、
町山智博さんだっていっぱい映画のポッドキャストやってるから、町山智博さん聞きゃいいじゃないですかってなるからね。
それをパッチワークしてお前が喋っても意味なくねっていう風なことをね、やっぱり聞きながらとか思っちゃうことが多いかなーと思ってるのでね。
それで、あのなんていうの、普段から映画のことばっかり考えていたり、映画の制作側に近いような場所にインタビューに行けないような我々パンピーが何をすべきかと言えばですね、
あの、誤読をしていくほうがないかなとは思うんですよね。
それからの自分の人生とかそういう風なものに紐付けた誤読をしていくと、誤読であってもそれなりの説得力とかを持たせて、
その人にとっての独自性のある話になるのかもなーって最近は思っちゃいるんですよね。
で、それであの、まあ私はずっと農業病者探偵なんてことをやってたりはするわけなんですけれどもね。
ただの、そう、怯えなければならない、恐れなければならないという風なのはですね、
自分が陰謀論者のような不可思議な誤読をしている恐れがあるっていう風なことだけ念頭に降りて誤読みたいなものをやっていかないと危険だったりするんですよね。
ここ最近私、農業病者探偵という、映画の中とかに出てくる農業病者からその世界の作品、世界の食料事情とかを分析していくという風なコーナーをやっているんですけども、
誤読と独自性
それをあんまりやるのが嫌だなーって最近ちょっと思ってたりしております。
自分のポッドキャスト番組の方ではそちらの方はなかなか話せないでいるんですけれどね。
なんか難しいのがですね、結局のところ、私ここ最近いろいろやってきて思うんですけれども、
クリエイターの皆さん、農業病者に対してあんまり興味がない。だから適当にその辺を埋めるためにその辺のことを置いてんだなっていう風な感じなんですよね。
あくまでかき割りなんで、かき割りについて何かを細かく話したところで、それは本質的な部分に繋がっていかねえよねっていう風なことがね、結構あるんですよね。
それもあってあんまり喋るのでも面白かねえなーっていう風な気がするし、
あとね、映画とかその辺のそういう風な誤読のひどい考察系と言われているコンテンツの踏ん張るもののやつとかって結構あるじゃないですか。
パッと例を出せと言われていると困るけど、あれかな。
あのー、なんだっけ、タイトルが忘れた。
えーとね、狼子供と子供の雨と雪だったかな。
これに対して監督のレイプ願望の現れであるみたいなことをね、書いていた映画批評というのが昔あったんですけどね。
それもまあひどいなあと思うんですよ。
で、そんなような謝った見方というか、変だったり嫌な気分にさせるような見方だったり、
あと明らかに間違ってるよねっていう風に言えてしまうような、そういう風なことを入れていくことの気持ち悪さとかつまんなさっていう風なのってあるよなっていう風に思うんですよ。
で、自分がそれをやっているかもしれないなっていうか、そういう風に取られても仕方ないようなことをやってるかもしれないなっていう風なことっていう風なのはあると思うんですよね。
だからその辺の可能性だけ念頭に置きつつ、健全に誤読をするためにはどうすればいいかっていうとですね、
あの、面白くするしかないよねって思うんですよね。
面白くしたら許されるのかよっていう風なのもね、ちょっと違うなと思うんですけどね。
でもなんかある程度、冗談で済むように面白いからいいか、こういう風な見方もあるよねっていう風に済ませられるものと聞いて怒ってしまう人の差があるのって、
たぶんその辺の部分だったりするのかなとは思うんですよね。
だからその辺も踏まえた上で誤読をしていくと独自性のあるものがあって、たぶん聞くに耐える、インターネットに放流し得る可能性が意味があるんじゃないかなとは思うんですね。
正直なところ今現在はAIでコピーのコピーのコピーみたいな文章がいっぱい出回るような時代になっちゃってますけれどもね。
その中に耐久をし得るっていう風なのは我々人間が得意とする誤読なんじゃねーのかなって、最近はね、配信をしながら思ってたりするところなんです。
でも同時にね、危険性もあるからその辺の部分を倫理的に判断しつつやっていかないとねーなんですけどね。
まあなかなかね、難しいものはあらーなーってやりながら思ってたりしておりますね。
ここ最近そのね、サブカルについての農業業者分析がなかなかうまくいかなくてっていう風なのがあって。
なんかね、言えそうなこともあるんですけども、掘ったとこで意味ねーよなっていう風な部分だったりするんですよ。
この間もこれはノートの記事で見たんだったかな。
ダンジョン飯という、今現在アニメ化されていてもともと漫画のダンジョンRPGを模したような世界でモンスターの肉を食べながら地下深くに潜っていくという風な漫画とアニメがありますけれども、
これの中に出てきたゴーレムを使って農業をしているという風なシーンがあるんですね。
それに有機栽培家の方がですね、どういう風な農業をしていてとかっていう風なことを書いてたりするんですけどもね。
俺それ昔やったわーっていう風な程度の内容でそんなに面白いところは何もないなっていう。
作品世界に対して何か意味付けが変わるような何かとかそういう風なものっていう風なのが入ってなくて、
ただトリビアを解陣してるだけだよねっていう風なものになっちゃってるのが結構探検されてて。
誤読の影響
私の方もここ最近何かやろうと思うとですね、ただトリビアの解陣だよねっていう風な感じになっちゃって、それがやっててつまんなかったりするんですよね。
せっかくだったら聞いてる人とか見てる人にとってのイメージとか印象が変えられるような何かの提示をして初めて意味があるんだろうなっていう。
ただトリビアをしてよくできてるんですねっていう風に説明するだけって意味なくないですかってやっぱりどうしても思ってしまう部分があらーなーってなんか思っちゃうんですよね。
まあそれもあってね何か正しく言うのも難しいし、あとは自分が派手に間違ってないかっていう風なことも心配しないといけないしで、
なかなか誤読簡単にするっていう風なのもなかなかねあの難しいんだよっていう風な部分なんですけどね。
まあでもそれもね何とか乗り越えてやっていかなくちゃいけないなーっていう風に思ってたりするんですね。
ちなみにこうやってね話をグダグダ引き延ばしているのはですね、本当はもっと話したいことがあったはずなのに何を話したのと思ってたのかを今思い出しながら喋ってるからですね。
そして今思い出したんでちょっと話をしていくんですけども、ここ最近ちょっとね誤読をしすぎていて困ってるなっていうのがですね、
Aノートポッドキャストというあのポッドキャストをたくさん聞いてそれについて話をしていくという風なコーナーをやっております。
でなるべくどのポッドキャストもたくさん聞いて、そしてあの話をする言及することになったポッドキャストに関しては2回から3回聞き直して、
それでメモを取ったりなんだりするっていう風なことをやってるんですけども、けれどもやっぱり私そこでも誤読をしてるなーっていう風な実感があります。
なんか誰も指摘をしてくれない、そう私のようなあのこっぱな弱小ポッドキャスト番組っていう風なのですね。
お前のところで紹介されたところで嬉しかねえよっていう風に思われるポッドキャスターの皆さんの方が多いんだろうなという風に思いましてですね。
あのエノートポッドキャストコーナーの方では昔はですね、その言及しましたよという風なことをXとかインスタグラムとかであのハッシュタグをつけて、
それであのその話し手の方に伝わるように配信をしてたつもりですけれどね。
まあ誰からも好意的な反応も得られず、あの唯一いただけたのはあれですね。
あのノギツアールという老舗のポッドキャスト番組の方が楽しく反応を受けてくれてそれは嬉しかったんですけれども。
基本それ以外のポッドキャスターの皆さんっていうのは縁もゆかりもなくて、
あの農業に関する話のポッドキャストでなんで私の番組に言及がっていう風なのでね。
困惑を生んだだけだったんだなっていう風な感じがしてたので。
それであの、もう最近はね、言及とかしないようにしてるんですけれども。
やっぱりしなくなっているその一番の原因という風なのが、その人の話をしている内容を誤読しているっていうか、
まあ自分で話をする都合上意図して誤読をしているという。
そしてそれについて話した結果、相手に対しても誤読させるような話し方をするというね。
もうゲシタルト崩壊を起こしそうな。耳でもゲシタルト崩壊ってあるのかな。
まあそのぐらい、誤読に誤読を重ねるような話し方を追いしてしまってるなって。
自分の配信を聞きながら配信しながらでも思ってたりする部分なんですね。
でもそれもあってね、聞かれるとなんかめんどくさいことになんじゃねえかなって思いもしてね。
あの言及したことを気づかれないでいてもらいたいなーってちょっと思っちゃいるんですよね。
あと、あのあれですね、ポッドキャスターとしてのその振る舞いとか配信の仕方とかその辺の部分で、
やっぱりあの反感を買う部分とかっていう風なのをポッドキャストについて言及すると、おわかれすくなかれあらーなーって思っちゃいます。
まあね、このぽつぽつというこちらの番組においても人をくさすような話をしておりまして、
それで何か言われているのは全くもってしょうがないことだなとは思っているんですけども、
少なくともAノートサブカルの方でやっておりますAノートポッドキャスト会は、原因を持って話をしているつもりなんですけどね。
つもりなんですけど、やっぱりあの何かしらあのなんていうかね、誤読させるような話をさせてたり、
私の方で誤読をしてたりとか、その辺の部分で多分あの話した結果、
嫌な気分にさせてんじゃねーかなっていう風なことがね、まあ結構あったりするんですよね。
それもあって、なかなかの扱いとかその辺の部分っていう風なのは難しいなって、あの思った次第でございます。
なんかね、あのこんだけまとまって思い出したものを話した結果、本当にあの分かりづらい話になって恐縮なんですけどね。
まあまとめると、あのまあ我々がAIとかそういう風なものに対抗しつつ、
なおかつインターネット上で、ただの個人が立ち打ちできるようになれる一番強い武器として誤読は存在しているけれども、
誤読を振るうには、あのそれなりの危険性と、あとはトラブルの元になったりするというリスクがね、あるっていう風なのだけ使って、
まあ気をつけてやってた方がいいよねって、最近考えてるよっていう風なお話でございました。
リスナーとの関係
というわけで、役体もないお話にお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。では次回もお楽しみに。