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福永ひとしの繊維の泉
リスナーのみなさん、こんにちは。ラメ糸王子の石川です。
福永ひとしの繊維の泉、今週も始まります。
福永社長、よろしくお願いします。
社長、今週はゲスト企画の第21弾ということで、
先週に引き続きまして、はじめ商事のはじめ社長にお越しいただいております。
はじめ社長、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで早速なんですけれども、前回話の後半に大島紬のお話だったり、泥詰めという言葉が出てきたんですけれども、
ちょっと僕自身があんまりというか、全然よくわかっていないところがあって、
大島紬の話と泥詰めの話をちょっとお聞かせ、ご説明いただければなと思いまして、よろしくお願いします。
大島紬というのは奄美大島で生まれた歴史が1300年あるというふうに言われています。
京都並みですよね。
そうですね。小僧院の漁物の中に、牛本町というか、そこに南方から褐色の織物が届いたという記載があるので、
その起源として1300年としているので、割と年数をこぼけていて1300年の歴史って多いんですよね。
そこまでの期待がないから、本当はもっと昔からあるだろうけど、確実なことを言えるのはそこからだみたいな。
なるほど、なるほど。
織物はもともとシルクロードを通って、奄美は下から来ているので、アジアを通って、
その時にも洋産とかもっと前から始まってますし、義師和人伝とかにも洋産をやっていたって記載はあるので、
織物はもともと存在していたと思うんですけど、大島の時期には1300年の歴史があって、
絹織物になります。大島紡衣の前は糸が絹を使ってまして、
紡いだ糸を使ってというところで、結城紡衣だったりとか宿日紡衣だったり、
いろんな産地、絹の産地に紡衣というのがあるんですけども、
大島もそういう絹の産地で、その絹の糸を使って織物を作っていたという歴史があって、
織物を作っていくところで、草木染めというのをずっとやってたんですけども、
泥染めというものがある時代から生まれるんですが、ここまではっきりした事実はなくて、
多分江戸時代ぐらいからだと思います。江戸のどこかまでは分からないんですが、
泥染めというのが始まったとされていて、泥染めというのは実際に田んぼの泥の中に染めるものなんですけども、
江戸時代、薩摩藩に治められていた頃に、
山見大島の方は、紡衣着用禁止令と言って、冬眠は紡衣を着てはいけないって法律を作られたんです。
紡衣は全部薩摩藩が年貢として取るから、お前たちは紡衣を着ちゃいけないと。
そうやって圧制を強いられたというか、なったんですけども。
なんか圧力がかかったんですよね。
薩摩藩が抑えてましたからね。
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内地で売れるものというか、薩摩藩が公益の材料というか、お金を稼ぐために。
佐藤と大島紡衣はもう冬眠はダメだって言って。
瀬戸殿がダメって言ったわけですね。
瀬戸殿はね、あんまり言わない人だったんですけど。
瀬戸殿の下で働いてるようなやつが。
瀬戸殿はね、山見の時はね、相当下の位だったんです。
その上のお役人さんたちの、薩摩藩の人たちがということで。
すごくよく売れるものだったし、お金に代わるものだった。
薩摩藩の財政は黒砂糖と大島紡衣の織物ですね。
それで財政がうるおって明治維新が起きたっていうふうに。
なるほど。すごいですね。日本を変えた織物ですよね。
そうですね。主に黒砂糖だと思うんですけど。
大島紡衣の織物。
そこはもう大礼を振って言われて。
それで大島紡衣、どろどろの話なんですけども。
紡衣着用禁止令があったので、着てはいけない。持ってていけなかったものなんですよ。
手玉様、働いてた人ですかね。
田物持って歩いてたところ、前から役人さんが来て、
これやばい、持ってるの見つかったら大変だ、捕まっちゃう。
で、看板の中に隠したんです。
隠して中に沈めといて、役人さん過ぎるの待って、
後にまだ取りに行って、看板から上げたら、
あれ、色が黒くなってるって。なんでだろうみたいなのが、
どろぞめの発祥というふうに。
書籍があるんですが、生まれておりまして、
そのぐらいからどろぞめというのが始まったと思われるというか。
じゃあ、禁止令が出たからってことなんですね。
そうですね。そういうこともいいことに繋がったというか。
どろぞめは1300年前からあるわけではなく、
あくまでも織物としての歴史はあるんですが、
どろぞめの歴史としては、もうちょっと新しい。
1300年くらいのことかもしれないというか。
どろぞめって聞くと、泥で染めてるように思われるんですけど、
泥は焙煎という形なので、あくまでも草木染めですね。
天身だとシャリンバイという木で染めて、
木のニジルで染めて、それを田んぼの泥の中に入れると、
天身の泥の中にですね、すごく鉄分がたくさん含まれておりますので、
鉄と反応して、草木染めの鉄焙煎みたいな形で、
色が黒くなっていく。
触媒なんですね。
触媒ですね、はい。
なるほど。
焙煎させますけども、アルミだったりとか明板とかね、
そういうのありますけど、
それの甘みは泥で焙煎してるっていうことですね。
それをどろぞめって言ってね、そっちの方が名前が通ってしまってるので、
なんとなくイメージで泥の色がついてると思われる方いるんですけども、
そうではなく焙煎剤としての泥ということですね。
なるほど。泥の中の鉄分が触媒になって色が付く。
そうですね。草木染めの色を止める、色を変化させるってことになります。
石川君も泥色や思ってたやん。
泥はね、グレーっぽい色ですね、本当に。
田んぼの泥みたいな感じ、想像してもらう。
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山身の泥は粒子が細かくてですね、角が丸い泥してますから、
糸を染めたりしても傷が付けづらいというか。
なので泥の中で染めれるんですけど、内中の泥とかでやると、
ちょっと粒子が粗くて、ギザギザしてると糸切れちゃうんですよね。
染めには向いてないんですけども、鉄分が多くなければ反応も起きませんので、
汚れるだけになってしまうからですね。
泥染め自体もですね、天海だけじゃなくて八丈島と舟島でもやってましてですね、
天海のような規模ではないですけども、どちらも伝統的な織物で、
気圧城だったり舟島合水だったりとかでは、舟島紡ぎを使われている織物ではあります。
そうですか、泥染めっていうともう僕は天海だけなんかなと思ってたんですけど。
実は日本のあと2つ産地に泥染めというのは存在してます。
なるほど。
ちょっとやり方が違ったりしますけどね。
こんなところでわかりましたでしょうか、八丈島紡ぎ。
もっと細かくいっぱいあるんですけど。
本来は絹糸を使って泥染めをするっていうのが本来の八丈島紡ぎ?
そうです。八丈島紡ぎは伝統工芸品ですから定義がありますので、
素材は絹しか認められておりませんし、染めは別に何でもいいので、
泥染めっていうのは別にしてもしなくても構わない。
八丈島紡ぎで泥染めをすると泥大島と言われるだけで、
泥を染めないものを化学繊維を使って染めて、白い糸で構成されているものは白大島と呼ばれたり。
白い糸で作るものは愛用島と呼ばれたり。
そういうふうにいろんな染めの種類は構わないってことで定義にも入ってないので。
なるほど。
はい。
ちなみにそのはじめしゃちょーは他の絹以外の糸もいっぱい使われるじゃないですか。
はい。
綿が多いんですか、やっぱり。
いや、使うのが多いのは、その中では綿がっていうぐらいですけど、
別にそればっかりじゃなくて朝も同じぐらい使うし、
かしみやの糸も結構使うので、そのあたりが。
もちろん絹も使ってってことですか。
縦糸が絹がほとんどですね。
なるほど。
ほぼ絹なので。
縦が絹で、横は適当に好き勝手やるよっていう。
そうですね、そういうふうな形が多いですね、一番。
はじめしょうじさんではね。
そうですね。
なるほど。
それはでもはじめさんだけですよね。
そうですね、多分これだけしっかりやってるのはうちだけかなと。
スポットで多分、自分たちのちょっと変わったものとかやってる方いらっしゃるけど、
商売としてまでは成り立ってないという。
なるほど、なるほど。
わかりました。
ご説明ありがとうございました。
よくわかりました。
ありがとうございます。
では、ちょうどいいお時間にコンペをやってきました。
はじめちゃん、すいません。
前回と同じ内容で結構なので、またPRか何かいただけたらと思います。
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はい。
前回もお話しさせてもらったんですけども、
来年年明けですね、1月の2日から5日までですね、
東京の池袋にある東武百貨店さんのほうでですね、
全国の職人展というところで、私ブース出して出展しておりますので、
うちの島紬だったり小物だったり販売しておりますから、
もしお近くにおられる方が来ていただければ、
私、島の姿で立っておりますので、よろしくお願いします。
ありがとうございます。
あと、平田泉工業からのお知らせです。
各種SNS、Twitter、Instagram、Facebook、
あとラジオ番組、こちらのラジオ番組とYouTubeでも配信やっておりますので、
よかったらどちらもご覧ください。
はい。
ということで、はじめちゃんまた次回にもよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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泉工業株式会社 福永ひとしの繊維の泉
この番組は提供
後染ラメイトメーカー 泉工業株式会社
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