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2024-07-19 20:10

自分の人生を切り拓こうとしている人に送る言葉

お盆休みとタワマン文学のあいだに - 佐々木俊尚
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こんにちは、いわみです。7月19日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。
最近毎日言ってますけど、明日から夏休みなんですよね。
自分がこの子供の夏休みにこれだけ左右される状況になるとは、あんまり想像しなかったんで。
去年どうしてたかな。去年はなんとなくやり過ごしてたような気がしますけど、なんか今年の方はね、2回目だからなのか、始まる前の気は重いですよね。
まあそうは言っても、来てしまうものは来てしまうので、これを機会にね、自分の働き方とか子供との過ごし方を見直す機会になればなって。
結構無理くりね、ポジティブに捉えた言い方をしましたけど、普通にやっていこうと思います。
話してみたい話題というか、考えてみたい話題。
ここの音声配信はもうすでにテーマで喋りきるっていうよりも、もっとそのテーマの前の材料みたいのをポーンって持ち出してみて、それについて喋りながら考えるみたいなね。
一人ブレストみたいなことになっていますが、もうちょっと慣れてきたりとか、もしくはこの時間に制限が出てきたりしたらですね、時間と10分とかでワンテーマを喋りきるみたいなね。
テーマで喋ってみてもいいかなと思っていますが、今日は引き続き一人ブレストでやってみます。
取っ掛かりでもやっぱりテーマだけは最初に言っていこうかなと、今思い直して話してみると、自分にストレスをかけるっていうことについて、いろいろね、いろんな視点から考えてみたいんですね。
話を始めるポイントまで全然違うところから始めたいんですが、ボイシーで佐々木敏直さんっていうね、元ジャーナリストのパーソナリティの方がいてよく聞いてるんですが、
今日の配信かな、ちょっと面白い話をしていたんで、どういう話かというと、タイトルは面白くて、お盆休みとタワマン文学の間っていう配信をしてたんですよ。
これはどういう話かというと、ほんとにざっくりと言うと、お盆休みっていうのは、都会から田舎に寄生する自分の田舎だったり、結婚した人はその相手パートナーの実家に寄生してね、田舎の閉塞感みたいに嫌気がさす。
夫の実家には寄生しないっていう決めてる人とかいるみたいですよね。その気持ちはなんとなくわかりますが、それでそれがお盆休みだとすると、その対局にあるのがタワマン文学だって言うんですね。
この対局は面白いと思うんですけど、タワマン文学とは何かっていうと、一番わかりやすいのは、アザブ競馬場さんってね、最近話題になっている作家というか、
この間、NHKのニュースというか記事になってたんですけど、この人はサラリーマンをやりながら作家をやっていて、ツイッターとかSNSでバズって知られて、それで本も売れて、最新作が直木賞の候補になったっていうニュースが最近出てましたけど、
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タワマン文学とは何かっていうと、簡単に言うとですね、簡単に言えないな、自分の言葉で言ってみると、東京をはじめする、東京で限定していいと思うんですが、東京のタワマンとか港区とかに象徴されるような異常な上昇思考に疲れた人たちの物語みたいなことだと思うんですね。
基本的に短編をいっぱい書く人なんですけど、タワマンの上の方がランクが高いとか、回数で競い合うみたいな、言ってみればしょうもないで、大昔で言うところの幕府の役人の帽子に線が何本入っているかで命をかけたみたいな話をね、古典ラジオとかで聞いたことがありますけど、
そういうちょっとした階級を自分が一個でも上に上がるために、本当にそこに命をかけて、それによって心を病んでしまったりとか、結局幸せじゃなくなっている人たちの物語みたいなことですよね。
僕が読んだのは一冊で一番初めに出た、この部屋から東京タワーは永遠に見えないだったかな、ちょっと正確には違うかもしれませんけど、そういうタイトルの本を読んだんですよ。
これ面白かったんで、興味ある人は図書館とかでもあるんで、借りてみるといいと思うんですが、それでお盆休みとタワーマンの間っていうのはどういうことかっていうと、これはさっき言ったように、田舎の閉塞感と都会の異常な上昇志向の間にいるといいんじゃないかっていうことですよね。
要するにこの対比だと両者はすごい対極にいるわけですよ。それでこの話のポイントがどこにあるのかというと、僕が思うに多くの人は東京にいる人でもそんなに競争志向を持ってないんじゃないかっていうところだと思うんですよね。
確かに東京は人も多くて、都会と言ってもいいですけど、世界中の都会全般と言ってもいいですけど、東京とか都会は人が多くて競争をせざるを得ない立場にある。だからこそ文化とかも発展したりとか、他の人に負けないように頑張ったり、仕事を頑張ったりすることもあると思うんですけど、
でもその頑張ることにも限度があって、なんで人が頑張るのかっていうと、単純に言うと多分自分が幸せになるためですよね。自分とか家族が幸せになるために頑張るわけですけど、でもそれがあんまりその上昇志向が強すぎると、頑張る目的みたいのが単なるゲーム的になるというか、
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求めているものがその幸福感とか満足度じゃなくて、その順位を上げることみたいなね。年収とかでもいいですけど、数字を上げることが目的になっている人が多い。多分本当にタワマンのあれですよね。上の方が階級が高いみたいなんてまさにそれですよね。別に10階に住んでいようが20階に住んでいようが。
そもそも言うとタワマンなんて言って住んでいる人に申し訳ないんですけど、住みやすい環境ではないって僕は絶対一軒家の方がいいと思っていますけど、それは人それぞれなんで。何を言いたいのかというと、口やかましい少数派の人たちの意見に結構みんな引っ張られている結果なんじゃないかっていうね。
この子はここから僕の意見ですけど、ノイジーマイノリティって言い方をしますけど、SNSとかでも問題とか事故が起こった時に、炎上とかした時に、はためには多くの人がめっちゃ怒っているように見えるんだけど、でも実際に調べてみると本当にそれを書き込んだりとか怒っている人は本当に数人しかいなくて、その数があまりにも多いからみんなが怒っているように見えるけど、実際は本当に1%もいないっていう。
ヤフーのコメントとかもそういう話が聞いたことがありますけど、それと同じように、ノイジーマイノリティ、つまり声の大きい少数派の人に他の8割とか9割の人が流されて、東京の異常な上昇志向みたいなのも本気でそれをやりたい人っていうのは本当に1%とかそれ以下のもので、多くの人はしょうがないからそれに乗っかっているみたいだね。
そういう構造があるんじゃないかっていう。
この話がストレスをかけることとどんな関係があるのかというと、まず前提条件として人が成長したりとか幸せに暮らしていくためにある程度のストレスっていうのは必要だと僕は思っているんですよ。
例えば仕事を頑張ったりとかスポーツでも音楽でも上手くなったりスキルを上げるには練習が必要ですよね。
練習っていうのはある意味ストレスをかけることで、それによって筋肉でも指の動きでも考え方、思考能力でも成長することができるわけですけど、
それはやっぱり継続的にストレスをかけると動物というか人間もそうですけど、何でも上達するわけじゃないですか。
同じことを繰り返すことによって。
その同じことを繰り返すっていうのは基本的にはあまり人はやりたくないというか、生物的には反した行為なんですよ。
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生物の快楽的には反した行為な気がしていて、毎日仕事に行ったりとか毎日走ったりとか筋トレやったりとか、
あとは何でしょうね、楽器の練習でもスポーツでも楽しいこともあるけど、始める前にまた今日も同じことの繰り返しかって思うと割と気が乗らないことって何でもありますよね。
それを乗り越えるときにどの手段で乗り越えるかっていうので、僕はその方法が大きく分けて2つあると思っていて、
1つが逃れられない状況に身を置くっていうことで、もう1つはストレスをストレスと感じないような体質に変えてしまうっていうことだと思ってるんですよ。
1つ目のどっちみちストレスがかかる状態に身を置くっていうのは、1つの例を挙げてみると、会社員って毎日仕事に行かなきゃいけないじゃないですか。
仕事が行きたくないときとか遊んでいたいときとか、今日はAmazonプライムで見たい映画がある日でも朝が来て時間が来たら着替えて出勤しないとダメじゃないですか。
出勤しない人もいるかもしれないけど、とにかく仕事のモードにならなきゃいけないわけで。
それは何でそうするかっていうと、それをやらざるを得ない状況があるからですよね。
本当にストレスがかかりすぎたら仕事に行けない状態になるかもしれないけど、そこに行くまではどっちかを天秤にかけて、
行きたくないのと行かなきゃいけないという状況を天秤にかけて多くの人は仕事に行くっていう決断をしているわけですよね。
決断とは思っていないかもしれないけど、言ってみればこれは決断ですよね。選択をしているわけで。
この方はどっちかというと、外部要因によって他者というか外の要因によってストレスをかかる状態に自分を放り込んでいるということだと思うんですよ。
2つ目のストレスをストレスと感じない状態にするっていうのは、仕事をストレスと感じる人がいるとすると、
自己洗脳か何でもいいですけど、してしまうことによってそれが楽しいことなんだと思うようになると、別にそれを苦に感じないじゃないですか。
これはマゾヒスティックというのとはまたちょっと違って、僕は2つ目のストレスをストレスと感じない状態に自分を変えてしまうというのは注目しているというか、
結局一人で仕事をするにはこれしかないんじゃないかなって思っているんですよ。
フリーランスで仕事をしていても締め切りみたいなのはだいたいある仕事が多いので、この締め切りというのもある意味では外部要因によるストレスですよね。
だから本当にここまでに終えないとお金がもらえないとか信用が下がってしまうみたいな状況があるから、そのために頑張るわけですけど、
僕はこういうのもなんですけど、あまりこの締め切りのある仕事っていうのがそんなに好きじゃないっていうか、やってて楽しくないなって思ってしまうんですよ。
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今のところはそういう仕方がないからやっているって言ったらこれもちょっとあれですけど、そういう仕事を多くしていますけど、
目標としては、理想としてはこの締め切りを作らない仕事を、もしくは締め切りを自分で決める仕事をしたいなと思っているんですよ。
これは以前にも何回も話したことがある、自分の人生を自分でコントロールしたいっていうことと同じ意味なんですけど、
最初に話したタワワン文学とお盆休みの間っていうね、この2つの対比だと田舎の閉塞感と東京の過剰な上昇志向、
イコールこれは他人にストレスをかけられることによって自分に無知を打つっていう方法と僕は捉えたんですけど、
この2つだけじゃなくてもう1個のやり方として、ストレスを自分でかけるというか、なんて言うんですか、ストレスじゃないですね。
ストレスをストレスと感じないことの対筆になるためと、締め切りを他人に決められるんじゃなくて、締め切りを自分で決めることで自分のために働くという状態ですね。
こういう状態になれれば強いなと、強いなというかもう上がりだなと僕は最近では思っているんですよ。
自己洗脳というとなんとなくネガティブというか怪しい響きがありますけど、でも多くの人がやっているのはそういうことだと思うんですよね。
自分はこれをすごく楽しんでやっているんだというね、本当に楽しんでいるんでしょうけど、最初から素朴な状態でストレスというか同じことをずっと頑張ることを楽しいと感じている人はそんなに多くない気がしていて、
なんというかそれはトレーニングの結果なんじゃないかって思っているんですよ。
最近僕はトレーニングというのを意識して、なんとなくそれが出来かけているようなイメージが持てる時があって、
例えば何かしらライティングとか文章を書く仕事をしていると、やっぱりその内容とか依頼によってはあんまり気が進まないなとか思うこともあるんだけど、
最近はあまりそれを感じなくなってきて、どう感じているかというと、自分の手と頭を使ってものを書いているという行為自体が楽しいというか気持ちよくなってきたんですよね。
バカみたいな言い方かもしれませんけど、一人でパソコンに向かって頭を使って言い回しとか考えたりとか文字を打っているのは、すごく自分にとってこれが自分がやるべきことなんだという確信みたいなのが持てるようになってきたんですよね。
これが自己洗脳なのかどうかわからないけど、でもやっている本人としては別に変わってきたなという体質が変わってきたなという感触はあるけど、別に自分で自分を洗脳しているという感覚はないんで、だからちょっと違うのかもしれないですね、その言い方は。
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これは何かを継続する時の方法論でもあると思っている。多くの人はというか、僕もそうですけど、何かを続けなきゃいけない時にメソッドというか方法論みたいなのを語られることが多かったし、自分もそういうふうに考えていたんだけど、実はね、結論というか答えはそこじゃなくて、もっと感覚的というか身体的なところにあるんじゃないかなという気がする。
これに関してはあまりうまく説明できないので、もうちょっと考えてから別の回でしゃべってみようかなと思います。
ストレスという話に戻ってみたいんですけど、人によってこのストレスというのを別の意味で捉えている人がいると思っていて、どういうことかというと、簡単にストレスは2種類あると思うんですよ。
やりたくないことをやるという、未知のところに飛び込んでいくみたいな、そういうかったりじゃないな、怖さみたいな、恐れみたいなのを乗り越えるためのストレスと、本当に痛いこととか嫌なことというですね。
もっと言うと、会社で嫌な上司とか嫌な同僚と一緒にいなきゃいけないストレスって、それを我慢するストレスがあると思っていて、この2つは全然違うストレスだと思うんですよ。
僕が言っているのはその1個目のね、自分で自分の人生をコントロールするためのストレスっていうのは、行動するためのね、その未知のところに飛び込んでいく恐れのための、恐れを乗り越えるためのストレス対してですね、2つ目の嫌な人とかね、お盆に帰省してなんかすごい閉塞感のあるところにね、行かなきゃいけないストレスみたいなのは、
それは全く同じストレスっていう名前だけど、全く別物なんじゃないかなと。2つ目のストレスはね、別にそれは我慢する必要はないと思うんですよ。
自分にとって嫌な人とか、なんか高圧的な態度を取ってくる人と一緒にいることを我慢するのは、それはね、別に自分の人生にもプラスにならないし、それはどんどん逃げていって、避けていっていいことだと思うんで。
今日の話は、結論とかテーマとか何も考えずに話しましたけど、話し終えてみてというか、ここまで来て自分が何を言いたかったのかなってことをあえてまとめてみると、最初にね、タワマン文学、お盆とタワマン文学の比較というか、これは佐々木さんの言った話ですけど、
それを前提に始めて、その間っていうことで、お盆とタワマン文学の間っていうタイトルだったんですけど、佐々木さんのボイシーは。その間っていうのはどういうことかなっていうと、それを僕なりに考えてみると、ストレスを与える主体というか、どこから何をモチベーションに働くのかみたいなね、
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ストレスを与えられる主体みたいなのを他人じゃなくて、自分で設定する。ちょっとわかりづらいですね、これね。他人から設定される会社に行かなきゃいけないとか、締め切りを設定されるみたいな、そういうストレスじゃなくて、どっちかというとマイナスを回避するためのモチベーションですけど、
そうじゃなくて、マイナスじゃなくてプラスに行く方の、ゼロからプラスに行くようなモチベーションで仕事をしていきたいな、仕事だけじゃなくて、今後の人生を生きていきたいなって僕は思っているっていう話ですね。
それをやるためには、ある程度のトレーニングというか、始めのうちは多分自己洗脳みたいなことがね、やっぱりどうしても必要なんじゃないかなって思っているっていう、結論はここですね。自分で自分の人生をコントロールするには、締め切りとかの設定を自分でする必要があるという。
それには他人に課せられるほどの強制力はないから、それをちゃんとクリアするには、それなりの自精神とはまた違うと思うんですけど、そういうものがね、自分で自分をコントロールする力が、自立心みたいなのが必要だと思っていて、それをね、やっぱり自分のものにするには、何かしらのね、ちょっとね、ドリッキーなというか、ちょっとしたね、なんか仕掛けみたいなね、思考停止状態みたいなのが、
やっぱり、特に最初のうちは必要なんじゃないかなと思っているという、そんな話でした。あんまりまとまった感じはしないんですけど、とりあえずあの、しゃべりきった感は自分の中であるので、今日はこんなところで終わりにしたいと思います。
明日から夏休みが始まりますが、頑張っていきたいと思います。
それでは、お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。
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