ここで一つ、ベルリンのいいところを言わせていただくと、ヨーロッパのいろんな国々とね、結びついてるんですよね。特に東ヨーロッパとの結びつきは強くて、ドイツ語さえできれば、北欧の文学でも、今度ノーベル賞を取った作家の作品であっても、ハンガリーとかね、チェコとか、そういう国々の人たちもたくさん来ていて、フランスとは本当に仲のいいお隣さんで、スペイン、イタリアももちろんですし、非常にその交流が密でですね、ここにいるだけで、
これだけ多様な文化を接し続けることができるということがね、すごいと思うんですよね。
さあ、今日はですね、小説家で詩人の田和田陽子さんにインタビューをさせていただきます。田和田さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
日本とドイツ、オンラインで結ばせていただいてるんですけども、差し支えなければ、田和田さんというと、なんか旅をしているイメージが結構強いんですけども、今日はドイツ、ベルリンですか?
はい、そうですね。
今日はですね、直近でですね、朝日新聞。
朝日新聞で連載されていた、この八角漁師について、主に中心にですね、ちょっといろいろとお話を伺っていきたいんですけども、その前にというかですね、せっかくなんで、ベルリンから今お届けしているということですけど、ベルリン、これ収録しているのは11月ちょっと前ぐらいなんですけど、今のベルリンっていうのは、こうとかってどんな感じですか?
そうですね、今、いかにも11月の天気みたいなので、
それは曇ってて、ちょっと寒くて、雨がちらついたりして、めったに日が出ないみたいな、そんな天気ですかね。
あ、そうなんですね。それこそ、この八角漁師の中ではね、当然そのベルリンが舞台であり、田和田さんが長年やってらっしゃる大極拳、そしてそれを取り巻く、まあね、いろんな人たちが描かれててですね、ベルリンの青く晴れた空のイメージみたいなものを勝手に想像してたんです。
いや、でもね、それはね。
みんなは明るいんですよ。だから集まってね、いろんな人がこんな趣味の大極拳やってみたり、冬になって暗くなると特にコンサートもすごい数行われてるし、いろんなイベントがあって人が集まってワイワイ騒いで、仕事終わってからもね、みんないろんな店に行って集まって喋ったり笑ったりで、人間はね、明るいんですけど、意外とね、天気の暗さに対抗してですね、どうにか明るく冬を越そうみたいな頑張りがありましてですね。
あ、そうなんですね。
この冬というのが、前ハンブルクに住んでたんですけど、ベルリンに来るとまた一歩ロシアに近づいたなという感じがして、大陸性の冬ですね。
なんか一度この重たい暗い冬というのが空にかぶさってしまうと、もう何週間もそれが動かなくて、重たい感じなんですよね。
日本の感覚で冬と言っていい季節が5、6ヶ月あって、それが終わると突然ですね、爆発して今までこう抑圧されていた。
あの植物がこう爆発してバーッと、花粉を撒き散らして、私は花粉症でとても苦しくて、なんか春の時差なんて全然なくてですね、もう急にすごく暑くなって、昨日まで雪が降ってたのに、あ、暑い暑いみたいになって、あらあらっていううちに、もう夏が来て、最近は地球の温暖化がありますから、もう暑い、こんなに暑い、こんなに暑いんだと思っていると、あれ、秋だみたいな感じで、また冬が始まってるんですよね、いつの間にか。
それでなんか、こう春夏秋冬というふうに、ゆっくり季節が巡っていくというよりは、冬を中心にして戦ってるみたいなね、そういう感じなんですよね。
あ、わかりました。ありがとうございます。まあそんなですね、今ベルリーのちょっとお話も伺いましたが、やはり最初に今日伺いたいのはですね、あのやっぱり田和田さんといえば、すみません、私が勝手にですけど、あの今までのこのね、地球に散りばめられての三部作だったり、エクソフォニーとかも読ませていただきますけど、
旅をね、相当されていたりとか、作品の中にも旅っていうものがかなりエッセンシャルな感じかなとします。勝手にそういう印象を強く抱いてるんですけど、やっぱり今回そういう意味では旅というよりも、このね、発覚漁師は先ほども話したように、ベルリンと大極拳というところで、いわゆるなぜ長年住み続けられているベルリンを舞台に長年やり続けてきた大極拳を取り巻く人たちを描いたのかっていう、そこを伺いたいんですけど。
いやー、これはね、もしかしたらやっぱりコロナがね、きっかけだったかもしれないんですよね。確かに移動が多くて、いろんなところに行って、その印象が強くて、いろんな文化のね、そのことを描いたりしてたんですけれども、コロナになって急に旅ができなくなって、旅と旅の合間にちゃんと大極拳もやってたんですよ、ベルリンに。
でもあんまり自宅にいるときがないというか、その連続性があるはずの自分の定住している場所について描いたことがなかったんですよ。
それがコロナが始まってですね、急に旅ができなくなって、で、そのことは私は別に苦しみはしなかったんですけども、なんかあ、面白いなと、なんか自分が住んでるとこにずっといるんだと思って、それで、あの、連載、新聞の連載というのもね、初めてで、これがまた、昔、日本に住んでて、特に子供だった頃に毎朝新聞が来て、で、いつも同じ家にいて、その新聞を毎朝取って読むみたいな、もちろん夏休みに出かけて、
出かけたりもするけど、せいぜい数日ですよね。それ以外はもうずーっと家にいて、毎日新聞が来るみたいな、こういう定住生活はいいなと思って、それで、なんか自分の定住生活をこう、書いてみたんですけれども、で、書いてみたいなと思って、割とね、例外的な作品なんですよね、私の中でおっしゃった通りだから。
それで自分がいつも休んでるところとか、いつもやってる対極圏の話、書きたいなと思ったんですけど、でもね、実はベルリンという街は、
はい。
定住している、するような街じゃなくて、もっとドイツの中でもニーダーザク選手とかね、ずっともう何世代にも渡って同じ人が、同じ家族がこう、同じ家に、また同じ場所に住んでいるみたいなね、そういうときはあるんですけど、ベルリンはもう人が人の移動が歴史の上でものすごく多い街で、めったにベルリンで、おじいさんもベルリンに生まれたとかいう人と会わないんですよね。
ほとんどがもうどっかから来て、自分がどっかから来たか、親がどっかから来たか、親が来たって珍しいかもしれないぐらい。
はい。
はい。
はい。
そういう街なんですよね。で、この小説を読んでいただいても分かるように、やっぱりかつて今のポーランド寮に住んでいた、戦後戻ってきたドイツ人とか、それから今自分が移民で来てるフィリピンの人とかね、いろんな人出てくるんですけども、やっぱり移動の街に定住するみたいな小説なんですよね。
やはりそうなんですね。すみません、後出しみたいで恐縮なんですけど、やっぱり海賊しててその空気感とかも、本当に。
すみません、私の解釈ですけど、いわゆるさっきの教室のとこに集まった、いろんなベルリンに住んでる人たちが、やっぱりいろんなバックグラウンドがあって、いわゆる場面の展開という意味では、今までのそれこそ地球に散りばめられてとかに比べたら、はるかにダイナミックさっていう意味では少ないと思うんですけど、ただなんかちょっと不思議なのが、ですけどいわゆるなんて言うんでしょうね、コロナで自分自身が部屋にこもってて出られなかった息苦しさは全然ない。
全然感じず、誤解するんですけど、やっぱり旅をしてるような感じは結局受けたので、それは今言ったものとちょっと関係あるんですかね。
あると思いますね。だから自分の住んでる街の地区だけに留まっていても、閉じ込められているっていう感じしない。
というのはやっぱり人と人とのつながりみたいのがあって、しかもその人たちがいろんな背景を持った、いろんな文化的背景を持った人たちであれば、
留まっていても、常に旅をしているような感じがやっぱりあると思うんですよね。
この対極圏学校っていうのも、仕事場とかね、学校という場所と違っていろんな人が集まってきて、仕事も違うし、年齢も違う人たちが集まってくるということで、
多様性がなんか強いような場だと思ったんですね。この趣味で集まる場所っていうのはね。
当然、もちろん小説なんでフィクションですけど、やっぱりある意味ちょっと読んでても、
なんか田畑さんの日常が垣間見えるようなと、ついついすいません、ステレオタイプですが思ってしまうんですけど、
そういう部分もなきにしもあらずなんですかね。
そうですね。雰囲気とか対極圏のね、習った方とか全部私の日常から出てるんですけど、
でもここに出てくる人たちっていうのはね、フィクションなんですよ。
自分でも不思議なくらい、いろんな人実際にもいるんですけど、対極圏が。
でもここに出てくる人たちっていうのは、私の読書体験の中から出てきた、
架空の人物みたいのが多くて、例えばロシア人のね、アリオナさんっていう人が出てくるんですけど、
この人のモデルというのはなんと、ドステオスキーの罪と罰ってあるじゃないですか。
この小説の中で、ラスコーリニコフという学生が、金貸しのバーさんって書いてあるんですけど、
老女とかね、老婆とか書いてあるんですけど、その絵が、なんでこんな年寄りが金を持っていて、
自分のように未来のある青年が貧乏しなければいけないんだという理論から、
この老婆を殺してしまって、金を取ってしまう。そういう小説でしたね。
それすごい好きだったんですけど、高校生の頃からこの小説が。
でも読み返してみたら、この金貸し老婆というのが、なんか60歳前後って書いてあるんですよね。
それで、えーと思って、あ、そうか、私は老婆なんだと思って、すごいショックを受けてですね。
いやいや、でも対極圏学校に通ってきてる人も、もちろん60代、70代の人も、
いっぱい、全然老婆という感じではない。
もちろんもっと若い人もいるけど、でも違和感ないというかね。
70代でも全然普通に対極圏やってるので、特にこのスポーツのいいところでもありますけどね。
そこから、結構他の作品もそういうもんなんですか、それも作品によって全然違うんですかね。
いわゆるこれを書きたいみたいなものがかなりカッチリあって書く作品もあれば、今おっしゃったように、
何気ないこういう人との会話の中から何かちょっとフローしてて、それがあるときこういうタイミングが来たときに、
作品になるみたいな。
どういう場合が多いかちょっと、統計的には言えないっていうか分かんないんですけど、
でもね、感覚的にはそうですね、なんか一つ面白いシーンとかがあって、情景とかね、
それを書き描いていくうちに、自分がいつも関心を持っているテーマがどんどん出てくるっていうような、
そういうことの方が多いんじゃないかなと思うんですよね。
なんか全体が見えるっていうよりは糸口みたいなのがね、一つ見つかったときに、
とにかく書き始めてみると、どんどん。
出てくるみたいなね、そういう書き方の方が多いと思います。
今回ちょっと個人的な意外だったのが、新聞連載、さっき私の聞き間違いでなければ初めてっておっしゃいましたよね、田原さん。
はい、そうです。
そういう意味では何て言うんでしょう、新聞連載っていうのは、ちょっと普通のものとは特殊なイメージがあって、
僕も新聞連載した作家の方、いろいろ聞くと、例えばもうまとめて全部書いたり、本当にギリギリで締め切りで書くとか、
なんかその辺の部分も、田原さんどうやって書かれたのかとかっていうのも気になりますし、
新聞連載だからこそ、なんかちょっと今までと違ったものが生まれたみたいな、何かそういう、ちょっと抽象的な話で恐縮ですけど、
なんかそういうものってありますかね。
そうですね。新聞連載で次の回が書けなくて、すごい夜なべしてというか、で、いかいようになってみたいな、
そういうイメージあったので、それは恐ろしくてとても無理なので、やっぱりね、ちゃんと余裕を持ってね、まとめて書くようにしてて、
この連載に追われてるみたいなのはありませんでした。そこまで勇気はないですね。
そうですね。でも新聞連載ってことは、新聞記事と同じ紙面に載るわけじゃないですか。
ページは違っていてもね、社会の記事とかなんかね。
で、それを多分意識して、夏目漱石とかもね、何ですか、主人公に自分が考えているようなことは世の中で起こっている非常に重要な事件とは比べると些細なことであるとか、
わざと書いたりしてて、これ意識してるのかな、他の同じ紙面に載ってるいろんな記事と比べてと。
とか思ったりして、私もなんか、それほど意識してないんですけれども、やっぱり新聞記事にはどっかで戦争が起こったとかね、そういうことが載ってるわけじゃないですか。
で、そういうものに囲まれていて、でもそれとは直接今、接することなく、幸いね、日常的な日常を暮らしてるっていう、で、新聞をゆっくり読んでるっていうのが、多分現状だなと思ったんですよね。
でもやっぱり繋がってるわけですよね。そのいろんな世界で起こっている事件とね。
そうですね。
だからそれがそういう形で、なんか小説の中に入ってきたかもしれませんね。
じゃあなんか具体的にその連載期間中に直接、これが入ったなみたいなものは意識的にはそんなにないですか。
この小説の場合はどうでしたかね、ないと思いますね。地球に散布作はあったんですけど、いろいろね。
でもこの場合はとにかくコロナだけど、コロナも出てきませんし。
そうですよね。
そう、全然出てきません。
直接だから、こういうことが起こったから。
足の筋にそれが影響を与えたみたいなね。そういうのはないんじゃないかなと思います。
その中でこうね、ベルリンに長年住まわれ続けてて、やっぱりいろいろ変化あるにしてもベルリンの良さっていうもので変わらないものはやっぱあるのかなと思うんですけど、
個人的には1回しか行ったことはありませんし、最近で言えばやっぱりそのクリエイティブ、音楽とかも含めて、
とにかくクリエイティブ、クリエイターにとってすごくインスパイアされる街なのかなっていうのは、外からは思うんですけど、
そういう意味ではもう本当に長年ベルリンに住まわれて、そしてもう本当創作をし続けている。
さんからすると、ベルリンっていうところは創作する人にとってどんな今街なんですかね。
創作する人間にとって確かにいい街だと思いますけど、でもね、結構地道に努力しなきゃいけない派手なとこの少ない街でもあると思うんですよね。
なるほど。
つまり、例えばニューヨーク、マンハッタンとか歩いてると、なんか自分が何も作ってなくてもピリピリピリピリっとインスピレーションとかにね、なんかすごいのが伝わってくるんですよね。
それで自分がもうそれだけでアーティストになってしまったような。
気持ちの盛り上がり感じるし、パリなんかもね、もうショーウィンドウに飾ってあるものだけでも非常に独創的だったりなんかして、歩いてるだけでなんか、ああ、クリエイティブな気分になるんですけど、
でも実際にね、パリとかニューヨークで活動してる人の話を聞くと、やっぱり物価も高いし、国家の文化援助みたいのは少ないので、非常にきついところがあるんですね。
若い人がそこで始めようとすると。
どうしても商業主義に走るしかなくなってしまうみたいな。
面もあって、アメリカだったら売れなかったらやっぱダメなんじゃないかっていうふうになってしまう。
東京だってそうですよ。東京だって外から行く人にとってはすごいオシャレな街というか、パリと同じぐらいにね、ああ、行きたいって若い人に言うし、もうなんか子供たちの憧れの的なんですけれども、
でもそこで果たしてね、じゃあ自分が演劇をやっていくとかね、美術とかもっとあれなのは、現代音楽の作品家になりたいなんて言ったら、もうこれはね、東京で暮らしていくのすごい大変。
だと思うんですよね。
そうですね。
でもベルリンという街は、もう天気も悪いし、なんか鬱陶しいようなね、暗い歴史的な建物が建てて、オシャレじゃないし、買って可愛いものもないし、道歩いてるだけじゃ全然クリエイティブな気分になれないんですよ。
でも自分でいざ何かを作り出そうと思った時には、結構それを実現できるね、空間も与えられたり、
うん。
私の知ってるアーティストとかも、
そうですけど、いろんな国からとかね、いろんなアテリエもらったりとかね、作家でもこういう小説書きたいって言って申請するとお金をくれたりするんですよね。
ライターインレジデンスとかそういうのもやっぱあるんですよね。
そうですね、ライターインレジデンスもあるし、それで若い時はそういうのにいろいろ助けられてですね、経済的にだけではなくて、心の問題ですけど、自分は何か社会の役に立つことをしてるんだというような気持ちで、
うん。
安定した気持ちで生きていくことができると思うんですよね。演劇とかやっていても、なんか社会の、何ですか、日本だったら昼間普通に働いてとか、普通以上に大変なところで働いて、お金稼いで、夜練習して、
はい。
自分のやってる演劇っていうのは、社会的、経済的な意味での社会の中では何の意味も持たないもんだんだと言われながら、活動しなきゃなんないみたいに非常に強いところがあると思うんですよね、クリエイティブなことに。
でもそうじゃないというところが、やっぱりね、そういう意味で、でもすごい大変ですよ。最初、何ていうのかな、最初お金もらえても、やっぱりそこで自分でかなり頑張らないと。
はい。
あと文学作品朗読のラジオ番組なんか本当にね、長い作品ですよね。
失われた時を求めてとか、1年間毎日を1時間朗読とか。
かかるでしょうね。
すごい世界だったんだ。
あとそれだけじゃなくて、例えば美術展の紹介なんかもラジオで、だから映像なんですよ。
映像を映さないでこういう絵だったっていうことを一生懸命言ってて、これはやっぱり言葉の芸術というか、言葉がどこまでできるかっていうことを非常に、特に話し言葉がですよね。
追求しているという面ですごいなと思ってて。
インターネットができて、映像も簡単に見られるようになって、YouTubeとかね、一時この耳で聞くだけ。
っていうのがちょっと伝えてきたかと思ったら、コロナの時にまた復活して。
そうなんですよ。
すごいんですよね。耳だけで聞く。私もね、比べてみて、例えば実際の犯罪を扱ったシリーズみたいなのあるじゃないですか。
それで映像付きと映像なしを聞いてみると、映像なしの方がずっと面白いですよね。
映像付きの方はね、なんかね、すごいなんか適当なちょっと気味の悪い映像とか見せたり、いろんな建物とかね、その事件の起こった、それらしく見せてるけど、
全然面白くなくて気が散るだけで、言葉で言ってることが中途半端なんですよね。
でもラジオ風に作った番組っていうのは、ポッドカースとかで聞いてるけど、これはもう言葉だけで言うしかないので、もう素晴らしい、なんていうんですか、
その言葉を聞いてるだけで、映像が頭の中に完璧に思い浮かんできて、こういうふうに私も小説を書きたいというふうに思っちゃうんですよね。
だから私もラジオを聞くようになって、インターネット確かに映像を簡単に見れるようになった。
人間の中に映像を見たい。
人間の中に映像を見たいという欲望があったから、そういうものができたんだけれども、それを簡単に受け入れてしまうのではなくて、
本当に映像をついてた方が面白いのかということをもう一度振り返って、そうじゃない、ラジオ文化すごかったんだということに戻るみたいなね、
こういう自覚的に、なんていうのかな、この技術の発達と付き合っていくのがいいんじゃないかなと思うんですよね。
この作品についてもう一つ伺いたいんですけど、この作品で初めてチャレンジしたことって何かありますか?
それはいい質問ですね。
ありがとうございます。
大極拳というね、一つの出来上がった伝統を習っていくという過程をね、少しずつ書いていくっていうのかな。
それから中にこの主人公がクライストというドイツの作家の作品を翻訳しているんですけども、
この翻訳を少しずつ毎日していくっていうのもここに散りばめられていて、
翻訳とね、誰かの本の翻訳と自分の作品を混ぜたら面白いだろうなと、
ああいうことは前も考えたこと。
そういうのがあったんですけど、コラージュでね。
でもなかなかそれちょっとやりにくい話なのでやったことなかったんですけど、
今回は自然にそれができて、というのもその主人公が訳している作品というのが、
やっぱり年取った女性の話なんですよね。
ロカルノの古事記を得る女性が大変な目に合う話なんですけど、
そういう意味で重なるのでぴったりだなと思って、それで入れてみた。
これも前にはやったことないですね。
本当、なぜ日本と世界、両方の言葉でそれぞれ作品も出されていて、
パウル・ゼランと中国の天使なんて、逆にタラさんがドイツ語で書かれたものが日本語で出されたりとか、
本当にね、いわゆるなぜ日本と世界の両方の舞台で長きにわたり、
本当に小説家としてやってこられたと思いますか。
小説家になるだけでも普通に考えたら大変で、継続も大変。
ましてやそれを日本と世界両方でっていうところで、
もちろん才能だというところは大きいと思いますけど、それ以外で言うとすると。
いや、なんか私の場合は、ドイツ語で例えばね、一生懸命小説書いてると、
あー日本語がすごい書きたくなるんですよね。
だから次には日本語で書くわけで、でも日本語でこう書いてると、
なんかやっぱりここいつもドイツ語喋って、いろいろドイツ語で考えてたり、
人と喋ってるのに書けないことがいろいろ出てきて、
で、この欲求不満になって、あーもうドイツ語は書きたいと思って書き終わって、
すぐにまたドイツ語で。
これでこの交互作用というか、これはね、不満解消のために次を書くしかないみたいな感じで書くんですよね。
一つの小説を書くということは、その小説にいろんな要素が入ってたとしても、
その小説には似合わないというか、その中には書かない方がいいってことがね、
たくさん思い浮かんでくるんですよね。
だからそれがすごい不満で、あー今このことがむしろ書きたいのに、
でも別の小説を書き上げなければいけないというこの不満ですよね。
で、いろいろメモしてですね、次の小説にこそこれを書こうと思ってて、やっぱ次の小説を書くんですよね。
次の小説って話出ましたけど、本当に最後にね、先ほど次回作とかのことを語るのはあんまり楽しくないとまでおっしゃってなかったですけどね、
もう出したものに比べたらって話ありますけど、やっぱりね、読者としてはね、今後楽しみにしているんですけども、
具体的なことは言えないにしても、なんか取り組んでるよぐらいでもいいですし、何かヒントをもしいただけたら嬉しいなと思うんですけど。
今ね、書いてるのはすごい長い小説で、結構本当に長い小説。
11月の25日から今度読売新聞の連載の小説なんですけど、これはもう秘密じゃないので言っちゃっていいですよね。
もちろん途中まで書いていて、書き進めるうちに変わるかもしれないけど、でも連載なんでもう出しちゃった部分は変えられないですよね。
だから非常にスリルはあるんですけど。