1. 石田衣良の大人の放課後ラジオ
  2. 【著者の声 #17】『白鶴亮翅』..
2024-01-01 33:13

【著者の声 #17】『白鶴亮翅』 │多和田葉子さん(小説家/詩人)(大人の放課後ラジオ)

▼映像版はこちら
https://youtu.be/Ul50uw6os3g

【著者の声シリーズ】
人生を豊かにする一冊を書いた著者のお話を届けることで、
ひとりでも多くの人にほんと著者の方の魅力を知ってもらいたい。
そして本の世界を元気にしたい......

石田衣良と編集部の思いから立ち上がったプロジェクトです。

【多和田葉子】たわだ・ようこ/ベルリン在住
小説家、詩人。1960年3月23日東京都中野区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学大学院修士課程修了。文学博士(チューリッヒ大学)。
82年よりドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。91年『かかとを失くして』で群像新人文学賞、93年『犬婿入り』で芥川賞を受賞。00年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞、02年『球形時間』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、03年『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、05年にゲーテ・メダル、09年に早稲田大学坪内逍遙大賞、11年『尼僧とキューピッドの弓』で紫式部文学賞、『雪の練習生』で野間文芸賞、13年『雲をつかむ話』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。16年にドイツのクライスト賞を日本人で初めて受賞。18年『献灯使』で全米図書賞翻訳文学部門受賞。
著書に『ゴットハルト鉄道』『飛魂』『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』『旅をする裸の眼』『ボルドーの義兄』『百年の散歩』『地球にちりばめられて』などがある。
ヨーロッパ、アメリカ、アジアでこれまで700回以上の朗読会を開いている。アメリカではスタンフォード大学、コーネル大学、マサチューセッツ工科大学など99年以降多数の大学に招かれ、数日から数ヶ月滞在。著作は日本語でもドイツ語でも20冊以上出版されており、フランス語訳、英訳の他にも、イタリア語、中国語、ポーランド語、韓国語、ロシア語、オランダ語、スウェーデン語、ノルウェー語などの翻訳が出ている。
『白鶴亮翅』(朝日新聞出版) https://amzn.to/48bpbX0

【谷本真由美さんへのインタビュー(全編)】
再生リスト | https://www.youtube.com/playlist?list=PLh7eiOWS7pyhNL8DjwiPwznEgwLOrfdFw

【聞き手/早川洋平】
はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。
公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。
https://linktr.ee/yoh.haya

【石田衣良 大人の放課後ラジオ】
小説家石田衣良が、若い仲間たちと大人の放課後をテーマにお届けする、自由気ままな番組です。映画・マンガ・本、音楽など最新カルチャーから、恋愛&人生相談、ほんのり下ネタまで、日常のひとときを、まったりにぎやかにするエイジレスでジェンダーフリーなプログラムです。

▶番組の全編視聴方法
①YouTubeメンバーシップ
http://bit.ly/youtuotorazi
→Webブラウザからの登録がお得です!
②Apple サブスク
https://bit.ly/Apple_otoraji
③ニコニコ動画
http://bit.ly/nicootorazi
④オーディオブック
→vol.1(1〜100回)
https://audiobook.jp/audiobook/260800
→vol.2(101回〜)
https://audiobook.jp/audiobook/262371
→vol.3(201回〜)
https://audiobook.jp/audiobook/266961

▶︎石田衣良の書籍情報
新刊『ペットショップ無惨 池袋ウエストゲートパークⅩⅧ』(文藝春秋) https://amzn.to/3Da04Yc
文庫『清く貧しく美しく』(新潮社) https://amzn.to/3tiBi1V
文庫『獣たちのコロシアム 池袋ウエストゲートパークⅩⅥ』(文藝春秋) https://amzn.to/3eBdWAB

▶︎『著者の声』配信開始!
https://bit.ly/3quYEj5

▶︎石田衣良オススメ本を紹介しています
https://bit.ly/3wQNJTF

▶︎お問い合わせ
https://forms.gle/rw7AwUAFXU4BXGZR6

▼関連キーワード
#白鶴亮翅
#多和田葉子


サマリー

田和田陽子さんは小説家で詩人です。彼女はドイツのベルリンを舞台にした小説を連載しています。その小説では、長年大極拳を続けてきた人々や移民の人々が描かれています。今回のエピソードでは、ベッカーさんという職業やベルリンの街について話があります。ベルリンは創作する人にとってクリエイティブなインスピレーションを与える一方で、地道な努力が必要な場所でもあります。ベルリンの文化援助はチャンスを提供します。また、ベルリンはヨーロッパの様々な国とも結びついています。ロンドンとは多様性が異なります。さらに、インターネットが人間の欠陥を映し出すこともあります。そして、映像を見る欲望やドイツ語と日本語での執筆の相互作用も存在します。この小説は社会人の経験を通じて、社会の構造や人間関係を描いています。田和田陽子さんの面白い話をお聞きしました。

ベルリンの多様な人々
ここで一つ、ベルリンのいいところを言わせていただくと、ヨーロッパのいろんな国々とね、結びついてるんですよね。特に東ヨーロッパとの結びつきは強くて、ドイツ語さえできれば、北欧の文学でも、今度ノーベル賞を取った作家の作品であっても、ハンガリーとかね、チェコとか、そういう国々の人たちもたくさん来ていて、フランスとは本当に仲のいいお隣さんで、スペイン、イタリアももちろんですし、非常にその交流が密でですね、ここにいるだけで、
これだけ多様な文化を接し続けることができるということがね、すごいと思うんですよね。
さあ、今日はですね、小説家で詩人の田和田陽子さんにインタビューをさせていただきます。田和田さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
日本とドイツ、オンラインで結ばせていただいてるんですけども、差し支えなければ、田和田さんというと、なんか旅をしているイメージが結構強いんですけども、今日はドイツ、ベルリンですか?
はい、そうですね。
今日はですね、直近でですね、朝日新聞。
朝日新聞で連載されていた、この八角漁師について、主に中心にですね、ちょっといろいろとお話を伺っていきたいんですけども、その前にというかですね、せっかくなんで、ベルリンから今お届けしているということですけど、ベルリン、これ収録しているのは11月ちょっと前ぐらいなんですけど、今のベルリンっていうのは、こうとかってどんな感じですか?
そうですね、今、いかにも11月の天気みたいなので、
それは曇ってて、ちょっと寒くて、雨がちらついたりして、めったに日が出ないみたいな、そんな天気ですかね。
あ、そうなんですね。それこそ、この八角漁師の中ではね、当然そのベルリンが舞台であり、田和田さんが長年やってらっしゃる大極拳、そしてそれを取り巻く、まあね、いろんな人たちが描かれててですね、ベルリンの青く晴れた空のイメージみたいなものを勝手に想像してたんです。
いや、でもね、それはね。
みんなは明るいんですよ。だから集まってね、いろんな人がこんな趣味の大極拳やってみたり、冬になって暗くなると特にコンサートもすごい数行われてるし、いろんなイベントがあって人が集まってワイワイ騒いで、仕事終わってからもね、みんないろんな店に行って集まって喋ったり笑ったりで、人間はね、明るいんですけど、意外とね、天気の暗さに対抗してですね、どうにか明るく冬を越そうみたいな頑張りがありましてですね。
あ、そうなんですね。
この冬というのが、前ハンブルクに住んでたんですけど、ベルリンに来るとまた一歩ロシアに近づいたなという感じがして、大陸性の冬ですね。
なんか一度この重たい暗い冬というのが空にかぶさってしまうと、もう何週間もそれが動かなくて、重たい感じなんですよね。
日本の感覚で冬と言っていい季節が5、6ヶ月あって、それが終わると突然ですね、爆発して今までこう抑圧されていた。
あの植物がこう爆発してバーッと、花粉を撒き散らして、私は花粉症でとても苦しくて、なんか春の時差なんて全然なくてですね、もう急にすごく暑くなって、昨日まで雪が降ってたのに、あ、暑い暑いみたいになって、あらあらっていううちに、もう夏が来て、最近は地球の温暖化がありますから、もう暑い、こんなに暑い、こんなに暑いんだと思っていると、あれ、秋だみたいな感じで、また冬が始まってるんですよね、いつの間にか。
それでなんか、こう春夏秋冬というふうに、ゆっくり季節が巡っていくというよりは、冬を中心にして戦ってるみたいなね、そういう感じなんですよね。
あ、わかりました。ありがとうございます。まあそんなですね、今ベルリーのちょっとお話も伺いましたが、やはり最初に今日伺いたいのはですね、あのやっぱり田和田さんといえば、すみません、私が勝手にですけど、あの今までのこのね、地球に散りばめられての三部作だったり、エクソフォニーとかも読ませていただきますけど、
旅をね、相当されていたりとか、作品の中にも旅っていうものがかなりエッセンシャルな感じかなとします。勝手にそういう印象を強く抱いてるんですけど、やっぱり今回そういう意味では旅というよりも、このね、発覚漁師は先ほども話したように、ベルリンと大極拳というところで、いわゆるなぜ長年住み続けられているベルリンを舞台に長年やり続けてきた大極拳を取り巻く人たちを描いたのかっていう、そこを伺いたいんですけど。
いやー、これはね、もしかしたらやっぱりコロナがね、きっかけだったかもしれないんですよね。確かに移動が多くて、いろんなところに行って、その印象が強くて、いろんな文化のね、そのことを描いたりしてたんですけれども、コロナになって急に旅ができなくなって、旅と旅の合間にちゃんと大極拳もやってたんですよ、ベルリンに。
でもあんまり自宅にいるときがないというか、その連続性があるはずの自分の定住している場所について描いたことがなかったんですよ。
それがコロナが始まってですね、急に旅ができなくなって、で、そのことは私は別に苦しみはしなかったんですけども、なんかあ、面白いなと、なんか自分が住んでるとこにずっといるんだと思って、それで、あの、連載、新聞の連載というのもね、初めてで、これがまた、昔、日本に住んでて、特に子供だった頃に毎朝新聞が来て、で、いつも同じ家にいて、その新聞を毎朝取って読むみたいな、もちろん夏休みに出かけて、
出かけたりもするけど、せいぜい数日ですよね。それ以外はもうずーっと家にいて、毎日新聞が来るみたいな、こういう定住生活はいいなと思って、それで、なんか自分の定住生活をこう、書いてみたんですけれども、で、書いてみたいなと思って、割とね、例外的な作品なんですよね、私の中でおっしゃった通りだから。
それで自分がいつも休んでるところとか、いつもやってる対極圏の話、書きたいなと思ったんですけど、でもね、実はベルリンという街は、
はい。
定住している、するような街じゃなくて、もっとドイツの中でもニーダーザク選手とかね、ずっともう何世代にも渡って同じ人が、同じ家族がこう、同じ家に、また同じ場所に住んでいるみたいなね、そういうときはあるんですけど、ベルリンはもう人が人の移動が歴史の上でものすごく多い街で、めったにベルリンで、おじいさんもベルリンに生まれたとかいう人と会わないんですよね。
ほとんどがもうどっかから来て、自分がどっかから来たか、親がどっかから来たか、親が来たって珍しいかもしれないぐらい。
はい。
はい。
はい。
そういう街なんですよね。で、この小説を読んでいただいても分かるように、やっぱりかつて今のポーランド寮に住んでいた、戦後戻ってきたドイツ人とか、それから今自分が移民で来てるフィリピンの人とかね、いろんな人出てくるんですけども、やっぱり移動の街に定住するみたいな小説なんですよね。
やはりそうなんですね。すみません、後出しみたいで恐縮なんですけど、やっぱり海賊しててその空気感とかも、本当に。
すみません、私の解釈ですけど、いわゆるさっきの教室のとこに集まった、いろんなベルリンに住んでる人たちが、やっぱりいろんなバックグラウンドがあって、いわゆる場面の展開という意味では、今までのそれこそ地球に散りばめられてとかに比べたら、はるかにダイナミックさっていう意味では少ないと思うんですけど、ただなんかちょっと不思議なのが、ですけどいわゆるなんて言うんでしょうね、コロナで自分自身が部屋にこもってて出られなかった息苦しさは全然ない。
全然感じず、誤解するんですけど、やっぱり旅をしてるような感じは結局受けたので、それは今言ったものとちょっと関係あるんですかね。
定住する旅
あると思いますね。だから自分の住んでる街の地区だけに留まっていても、閉じ込められているっていう感じしない。
というのはやっぱり人と人とのつながりみたいのがあって、しかもその人たちがいろんな背景を持った、いろんな文化的背景を持った人たちであれば、
留まっていても、常に旅をしているような感じがやっぱりあると思うんですよね。
この対極圏学校っていうのも、仕事場とかね、学校という場所と違っていろんな人が集まってきて、仕事も違うし、年齢も違う人たちが集まってくるということで、
多様性がなんか強いような場だと思ったんですね。この趣味で集まる場所っていうのはね。
当然、もちろん小説なんでフィクションですけど、やっぱりある意味ちょっと読んでても、
なんか田畑さんの日常が垣間見えるようなと、ついついすいません、ステレオタイプですが思ってしまうんですけど、
そういう部分もなきにしもあらずなんですかね。
そうですね。雰囲気とか対極圏のね、習った方とか全部私の日常から出てるんですけど、
でもここに出てくる人たちっていうのはね、フィクションなんですよ。
自分でも不思議なくらい、いろんな人実際にもいるんですけど、対極圏が。
でもここに出てくる人たちっていうのは、私の読書体験の中から出てきた、
架空の人物みたいのが多くて、例えばロシア人のね、アリオナさんっていう人が出てくるんですけど、
この人のモデルというのはなんと、ドステオスキーの罪と罰ってあるじゃないですか。
この小説の中で、ラスコーリニコフという学生が、金貸しのバーさんって書いてあるんですけど、
老女とかね、老婆とか書いてあるんですけど、その絵が、なんでこんな年寄りが金を持っていて、
自分のように未来のある青年が貧乏しなければいけないんだという理論から、
この老婆を殺してしまって、金を取ってしまう。そういう小説でしたね。
それすごい好きだったんですけど、高校生の頃からこの小説が。
でも読み返してみたら、この金貸し老婆というのが、なんか60歳前後って書いてあるんですよね。
それで、えーと思って、あ、そうか、私は老婆なんだと思って、すごいショックを受けてですね。
いやいや、でも対極圏学校に通ってきてる人も、もちろん60代、70代の人も、
いっぱい、全然老婆という感じではない。
もちろんもっと若い人もいるけど、でも違和感ないというかね。
70代でも全然普通に対極圏やってるので、特にこのスポーツのいいところでもありますけどね。
小説のキャラクター
だから、あ、そうか、じゃあもうこれ、老婆とか言わせない。
なんか、すごい突っ張ったロシア人の女性を出そうと思ってね、作った人物なんですよね。
そうなんですね。まあその彼女もそうですけど、僕個人的にはベッカーさんがね、結構好きで、
クレアにクッキー進めるシーンとかもすごく好きだったんですけど、
ベッカーさんもね、重要なの。ベッカーさんはね、どっから出てきたかというと、
グリムドーアのヘンゼルとグレーテルってあるじゃないですか。
やっぱりそうなんですね。
そうなんですよ。そこでなんか子供がね、家に住んで森の中に、で、魔女が家にたどり着くわけですよね。
で、その女はなんていうか、お菓子の家を建てて、お菓子でできた家を建ててて、
子供を誘惑して閉じ込めて食べようとするような悪い魔女なんですけども、
でも、グリムドーアの研究の中で、
昔ね、そのように街を外れて、森の中で暮らしていた女性が実際いたみたいな研究があって、
その人は街の中で差別されてですね、そこに森の中でお菓子を作るしかなくなってしまって、
普通の人たちからは敬遠されてたんですけれども、でも実際悪い人ではなくて、
子供のことも非常に子供が好きで、子供にお菓子をあげたりもしてたっていうような、
そういう人がなんか魔女としてね、
うん。
あの、メルヘンの中に取り組まれていったんだという説があってですね、
それを見て、ああ、面白いなと思って、
ああ、そういうふうな見方をすると森の中でお菓子屋さんやってるの、女性というのも面白いなって。
それでね、ベッカーさんっていうの、ベッカーっていうのはね、
ベッカーさんの職業
パン屋さんとかね、お菓子も売ってる、焼いたものを売る人っていう職業の名前でもあるんですけど、
よくドイツにある感じで、そうなんです。そこからベッカーさん出てくる。
そうなんです。
まあ、そういう意味では、
なんでしょう、今そのベッカーさんとその前のね、あの、ドストフスキーのじゃないですけど、
なんか言い方がいいかわからなくて、いわゆるね、今までのそういう作品では魔女扱いされて、
ある意味、虐げられた人たちをこの八角漁師の中ではちょっと、なんか癒してる感じがしますよね。
そうですね。女性がこう、歳をとっていくときに、非常になんていうか、社会からこう、はみ出してしまうというか、
まあ、はみ出しはしないで、ギリギリとどまっていても、社会の片隅にこう、押しやられてしまって、
いや、あなたはもう重要性ないんだと。
面白くないんだと、なんかこう言われて、やっぱり生きていくわけですよね。
その女性たちに、ちょっと舞台に上がってもらってですね、いろいろ面白いこの舞台を展開してもらおうかという考えもあったんですね。
今、まさにその、展開していこうかっていうふうにおっしゃってましたけど、作品によってひょっとしたら違うかもしれないんですけど、
今回のこの八角漁師っていうのは、例えばもう、それこそタイトルがまず出てきたのか、一人誰か出てきたのか、一文が出てきたのか、
どっから始まったんですかね、この作品、田原さんの中で。
最初ね、最初はね、なんかものすごい年の人ばっかりが通っている、本当にこの小説みたいじゃなくて、
よろよろのおばあさんたちが通っている大極拳学校がある日、ギャングというかマフィアの団体と接触があって、
それをやっつけてしまうみたいな映画があったら面白いなとか言って、友達とね、なんか冗談で話していたことあるんですけど、
それが最初のアイディアだったかもしれませんね。
じゃあそれは新聞連載。
うんうんの前に普通にそういう話を。
いやもうずっと前に、はい冗談で、もうその大極拳始めてすぐの頃に、なんかそんな話をしてたのを覚えてて、
それがまあ着想の一番最初だったかもしれませんね。
作品の着想
そこから、結構他の作品もそういうもんなんですか、それも作品によって全然違うんですかね。
いわゆるこれを書きたいみたいなものがかなりカッチリあって書く作品もあれば、今おっしゃったように、
何気ないこういう人との会話の中から何かちょっとフローしてて、それがあるときこういうタイミングが来たときに、
作品になるみたいな。
どういう場合が多いかちょっと、統計的には言えないっていうか分かんないんですけど、
でもね、感覚的にはそうですね、なんか一つ面白いシーンとかがあって、情景とかね、
それを書き描いていくうちに、自分がいつも関心を持っているテーマがどんどん出てくるっていうような、
そういうことの方が多いんじゃないかなと思うんですよね。
なんか全体が見えるっていうよりは糸口みたいなのがね、一つ見つかったときに、
とにかく書き始めてみると、どんどん。
出てくるみたいなね、そういう書き方の方が多いと思います。
今回ちょっと個人的な意外だったのが、新聞連載、さっき私の聞き間違いでなければ初めてっておっしゃいましたよね、田原さん。
はい、そうです。
そういう意味では何て言うんでしょう、新聞連載っていうのは、ちょっと普通のものとは特殊なイメージがあって、
僕も新聞連載した作家の方、いろいろ聞くと、例えばもうまとめて全部書いたり、本当にギリギリで締め切りで書くとか、
なんかその辺の部分も、田原さんどうやって書かれたのかとかっていうのも気になりますし、
新聞連載だからこそ、なんかちょっと今までと違ったものが生まれたみたいな、何かそういう、ちょっと抽象的な話で恐縮ですけど、
なんかそういうものってありますかね。
そうですね。新聞連載で次の回が書けなくて、すごい夜なべしてというか、で、いかいようになってみたいな、
そういうイメージあったので、それは恐ろしくてとても無理なので、やっぱりね、ちゃんと余裕を持ってね、まとめて書くようにしてて、
この連載に追われてるみたいなのはありませんでした。そこまで勇気はないですね。
そうですね。でも新聞連載ってことは、新聞記事と同じ紙面に載るわけじゃないですか。
ページは違っていてもね、社会の記事とかなんかね。
で、それを多分意識して、夏目漱石とかもね、何ですか、主人公に自分が考えているようなことは世の中で起こっている非常に重要な事件とは比べると些細なことであるとか、
わざと書いたりしてて、これ意識してるのかな、他の同じ紙面に載ってるいろんな記事と比べてと。
とか思ったりして、私もなんか、それほど意識してないんですけれども、やっぱり新聞記事にはどっかで戦争が起こったとかね、そういうことが載ってるわけじゃないですか。
で、そういうものに囲まれていて、でもそれとは直接今、接することなく、幸いね、日常的な日常を暮らしてるっていう、で、新聞をゆっくり読んでるっていうのが、多分現状だなと思ったんですよね。
でもやっぱり繋がってるわけですよね。そのいろんな世界で起こっている事件とね。
そうですね。
だからそれがそういう形で、なんか小説の中に入ってきたかもしれませんね。
じゃあなんか具体的にその連載期間中に直接、これが入ったなみたいなものは意識的にはそんなにないですか。
この小説の場合はどうでしたかね、ないと思いますね。地球に散布作はあったんですけど、いろいろね。
でもこの場合はとにかくコロナだけど、コロナも出てきませんし。
そうですよね。
そう、全然出てきません。
直接だから、こういうことが起こったから。
足の筋にそれが影響を与えたみたいなね。そういうのはないんじゃないかなと思います。
その中でこうね、ベルリンに長年住まわれ続けてて、やっぱりいろいろ変化あるにしてもベルリンの良さっていうもので変わらないものはやっぱあるのかなと思うんですけど、
個人的には1回しか行ったことはありませんし、最近で言えばやっぱりそのクリエイティブ、音楽とかも含めて、
とにかくクリエイティブ、クリエイターにとってすごくインスパイアされる街なのかなっていうのは、外からは思うんですけど、
そういう意味ではもう本当に長年ベルリンに住まわれて、そしてもう本当創作をし続けている。
さんからすると、ベルリンっていうところは創作する人にとってどんな今街なんですかね。
創作する人間にとって確かにいい街だと思いますけど、でもね、結構地道に努力しなきゃいけない派手なとこの少ない街でもあると思うんですよね。
なるほど。
つまり、例えばニューヨーク、マンハッタンとか歩いてると、なんか自分が何も作ってなくてもピリピリピリピリっとインスピレーションとかにね、なんかすごいのが伝わってくるんですよね。
それで自分がもうそれだけでアーティストになってしまったような。
気持ちの盛り上がり感じるし、パリなんかもね、もうショーウィンドウに飾ってあるものだけでも非常に独創的だったりなんかして、歩いてるだけでなんか、ああ、クリエイティブな気分になるんですけど、
でも実際にね、パリとかニューヨークで活動してる人の話を聞くと、やっぱり物価も高いし、国家の文化援助みたいのは少ないので、非常にきついところがあるんですね。
若い人がそこで始めようとすると。
どうしても商業主義に走るしかなくなってしまうみたいな。
面もあって、アメリカだったら売れなかったらやっぱダメなんじゃないかっていうふうになってしまう。
東京だってそうですよ。東京だって外から行く人にとってはすごいオシャレな街というか、パリと同じぐらいにね、ああ、行きたいって若い人に言うし、もうなんか子供たちの憧れの的なんですけれども、
でもそこで果たしてね、じゃあ自分が演劇をやっていくとかね、美術とかもっとあれなのは、現代音楽の作品家になりたいなんて言ったら、もうこれはね、東京で暮らしていくのすごい大変。
だと思うんですよね。
そうですね。
でもベルリンという街は、もう天気も悪いし、なんか鬱陶しいようなね、暗い歴史的な建物が建てて、オシャレじゃないし、買って可愛いものもないし、道歩いてるだけじゃ全然クリエイティブな気分になれないんですよ。
でも自分でいざ何かを作り出そうと思った時には、結構それを実現できるね、空間も与えられたり、
うん。
私の知ってるアーティストとかも、
そうですけど、いろんな国からとかね、いろんなアテリエもらったりとかね、作家でもこういう小説書きたいって言って申請するとお金をくれたりするんですよね。
ライターインレジデンスとかそういうのもやっぱあるんですよね。
そうですね、ライターインレジデンスもあるし、それで若い時はそういうのにいろいろ助けられてですね、経済的にだけではなくて、心の問題ですけど、自分は何か社会の役に立つことをしてるんだというような気持ちで、
うん。
安定した気持ちで生きていくことができると思うんですよね。演劇とかやっていても、なんか社会の、何ですか、日本だったら昼間普通に働いてとか、普通以上に大変なところで働いて、お金稼いで、夜練習して、
はい。
自分のやってる演劇っていうのは、社会的、経済的な意味での社会の中では何の意味も持たないもんだんだと言われながら、活動しなきゃなんないみたいに非常に強いところがあると思うんですよね、クリエイティブなことに。
でもそうじゃないというところが、やっぱりね、そういう意味で、でもすごい大変ですよ。最初、何ていうのかな、最初お金もらえても、やっぱりそこで自分でかなり頑張らないと。
はい。
ベルリンの文化援助とヨーロッパの結びつき
面白いのは、ベルリンのこの文化援助っていうのは、まだ知られてない人ほどチャンスが大きいんですよね。だから知られてない人にチャンスを与えるために、日本はなんか有名な人に何かを言う。
そうですね。
そうじゃなくて、まだ誰も見たことがないようなものとか、誰も知らない人とか。
そういうのが評価すべて、誰も知らないのにこの人は、なんか演劇やってるとか、音楽作曲してるとか、小説書いてるとか、誰も理解できないようなことをやっていて、これはなんかすごいんですかということで、チャンスが与えられるわけですよ。
でもそこでね、何年も地道にひるまずですね、ずっと努力していけばいいんだけど、そうでないと、ベルリンにさえ住んでれば、この、延びられるっていうことはないんですよね。
ここで一つ、ベルリン。
ベルリンのいいところを言わせていただくと、ベルリンはなんといってもヨーロッパの街で、ヨーロッパのいろんな街と国々とね、結びついてるんですよね。
特に東ヨーロッパとの結びつきは強くて、ドイツ語さえできれば、北欧の文学でも、今度ノーベル賞を取った作家の作品であっても、ハンガリーとかね、チェコとか、ロシアもちろんですけれども、そういう国々の文化とも、人たちもたくさん来ていて、ドイツ語で活動したり、ドイツで作品発表したりしているし、
フランスとは本当に仲のいい。
お隣さんで、スペイン、イタリアももちろんですし、非常にその交流が密でですね、ここにいるだけで、これだけ多様な文化を接し続けることができるということがね、すごいと思うんですよね。
それに比べると、ロンドンの方が多様性が少ないって言っちゃおかしいですけど、ロンドンの多様性はまたドイツの方と違うんですよね。
英語を通しての多様性と、あともっと植民地との関係みたいな、そこでできる多様性ですよね。
ベルリンの多様性はヨーロッパの多様性なんで、ちょっと性質が違うと思うんですね。
なるほど。
インターネットが映し出す人間の故障
八角漁師の中で、やっぱり印象的だったのがですね、196ページでですね、この一部抜粋させていただきますけど、
インターネットができたせいで人間がおかしくなったと主張する人がいるが、実はそれは逆で、人間の文明には最初から故障した部分があり、インターネットはそれを映し出す鏡に過ぎないっていうちょっと一説があってですね。
そのあたりって、さっきの冒頭のところだとね。
僕らの話だと、どちらかというと、やっぱりネットテキストのコミュニケーション、コロナ、リモートワーク、いろいろあって、なんか僕らちょっと故障してるんじゃないかみたいな風に、僕はやっぱりね、もうすると取っちゃいそうなんですけど、この一部を読んだ時にね、あれ、じゃあ田畑さんご自身はこれどう捉えてらっしゃるのかなっていうことをちょっと伺いたかったんですけど、この一説は。
なるほどね。そこに注目していただいて、なんか嬉しいですね。
例えばね、Eメールというものができたせいで、実際に会わない。
メールだけで用事を済ましてしまうっていうことになってきたという人がいるんですけど、それはそれで正しい面もあるかもしれないんですけど、でもなんか人間の中にね、できれば顔を合わせないで、簡単にメールを書くだけで用事を済ましてしまいたいみたいなね、そういう傾向が特に日本の場合ですけども、なんかあったような気がするんですよね。
それから匿名でいたい、自分の顔を出したくないみたいな。
それからものすごく不満が。
心の中にこう積もっていて、それを吐き出したいとか、誰かを攻撃したいけれども、面と向かって勇気がないとかね。
それもやっぱり人間の特性として、インターネットができる前からあったものだと思うんですよね。
それが出てくるチャンスをインターネットが与えてしまったわけで、それインターネットができたからそういう性格が出てきたんだとは思わないんですよね、私は。
フェイスブックとかだって、フェイスブックというものができて人間が変わったというより、人間は何を求めているかを研究した。
そういった結果、そういうものを作った人がいるわけで、それがぴったりだったから、人間の欲求に合っていたから、それが流行ったみたいなところがあると思うんですよね。
ただそれを私たちは無自覚に受け入れてしまって、その偏った形でそういうものばっかりやっていると、その良くなかった性質がますます強くなっていくだけで、何もいいことはないと。
だからあえて踏みとどまってですね。
前はもっと本というのを買って。
じゃあなんでそういうのはしなくなったんだろうとかね、考えてみるとか。
ドイツだったらね、私がドイツに渡った80年代はすごくラジオの文化が盛んで、みんなラジオを聞いてて、文化的な書評みたいなのもほとんどラジオで取り上げられると思うんだし、
映像を見たい欲望とドイツ語と日本語での執筆の交互作用
あと文学作品朗読のラジオ番組なんか本当にね、長い作品ですよね。
失われた時を求めてとか、1年間毎日を1時間朗読とか。
かかるでしょうね。
すごい世界だったんだ。
あとそれだけじゃなくて、例えば美術展の紹介なんかもラジオで、だから映像なんですよ。
映像を映さないでこういう絵だったっていうことを一生懸命言ってて、これはやっぱり言葉の芸術というか、言葉がどこまでできるかっていうことを非常に、特に話し言葉がですよね。
追求しているという面ですごいなと思ってて。
インターネットができて、映像も簡単に見られるようになって、YouTubeとかね、一時この耳で聞くだけ。
っていうのがちょっと伝えてきたかと思ったら、コロナの時にまた復活して。
そうなんですよ。
すごいんですよね。耳だけで聞く。私もね、比べてみて、例えば実際の犯罪を扱ったシリーズみたいなのあるじゃないですか。
それで映像付きと映像なしを聞いてみると、映像なしの方がずっと面白いですよね。
映像付きの方はね、なんかね、すごいなんか適当なちょっと気味の悪い映像とか見せたり、いろんな建物とかね、その事件の起こった、それらしく見せてるけど、
全然面白くなくて気が散るだけで、言葉で言ってることが中途半端なんですよね。
でもラジオ風に作った番組っていうのは、ポッドカースとかで聞いてるけど、これはもう言葉だけで言うしかないので、もう素晴らしい、なんていうんですか、
その言葉を聞いてるだけで、映像が頭の中に完璧に思い浮かんできて、こういうふうに私も小説を書きたいというふうに思っちゃうんですよね。
だから私もラジオを聞くようになって、インターネット確かに映像を簡単に見れるようになった。
人間の中に映像を見たい。
人間の中に映像を見たいという欲望があったから、そういうものができたんだけれども、それを簡単に受け入れてしまうのではなくて、
本当に映像をついてた方が面白いのかということをもう一度振り返って、そうじゃない、ラジオ文化すごかったんだということに戻るみたいなね、
こういう自覚的に、なんていうのかな、この技術の発達と付き合っていくのがいいんじゃないかなと思うんですよね。
この作品についてもう一つ伺いたいんですけど、この作品で初めてチャレンジしたことって何かありますか?
それはいい質問ですね。
ありがとうございます。
大極拳というね、一つの出来上がった伝統を習っていくという過程をね、少しずつ書いていくっていうのかな。
それから中にこの主人公がクライストというドイツの作家の作品を翻訳しているんですけども、
この翻訳を少しずつ毎日していくっていうのもここに散りばめられていて、
翻訳とね、誰かの本の翻訳と自分の作品を混ぜたら面白いだろうなと、
ああいうことは前も考えたこと。
そういうのがあったんですけど、コラージュでね。
でもなかなかそれちょっとやりにくい話なのでやったことなかったんですけど、
今回は自然にそれができて、というのもその主人公が訳している作品というのが、
やっぱり年取った女性の話なんですよね。
ロカルノの古事記を得る女性が大変な目に合う話なんですけど、
そういう意味で重なるのでぴったりだなと思って、それで入れてみた。
これも前にはやったことないですね。
本当、なぜ日本と世界、両方の言葉でそれぞれ作品も出されていて、
パウル・ゼランと中国の天使なんて、逆にタラさんがドイツ語で書かれたものが日本語で出されたりとか、
本当にね、いわゆるなぜ日本と世界の両方の舞台で長きにわたり、
本当に小説家としてやってこられたと思いますか。
小説家になるだけでも普通に考えたら大変で、継続も大変。
ましてやそれを日本と世界両方でっていうところで、
もちろん才能だというところは大きいと思いますけど、それ以外で言うとすると。
いや、なんか私の場合は、ドイツ語で例えばね、一生懸命小説書いてると、
あー日本語がすごい書きたくなるんですよね。
だから次には日本語で書くわけで、でも日本語でこう書いてると、
なんかやっぱりここいつもドイツ語喋って、いろいろドイツ語で考えてたり、
人と喋ってるのに書けないことがいろいろ出てきて、
で、この欲求不満になって、あーもうドイツ語は書きたいと思って書き終わって、
すぐにまたドイツ語で。
これでこの交互作用というか、これはね、不満解消のために次を書くしかないみたいな感じで書くんですよね。
一つの小説を書くということは、その小説にいろんな要素が入ってたとしても、
その小説には似合わないというか、その中には書かない方がいいってことがね、
たくさん思い浮かんでくるんですよね。
だからそれがすごい不満で、あー今このことがむしろ書きたいのに、
でも別の小説を書き上げなければいけないというこの不満ですよね。
で、いろいろメモしてですね、次の小説にこそこれを書こうと思ってて、やっぱ次の小説を書くんですよね。
次の小説って話出ましたけど、本当に最後にね、先ほど次回作とかのことを語るのはあんまり楽しくないとまでおっしゃってなかったですけどね、
もう出したものに比べたらって話ありますけど、やっぱりね、読者としてはね、今後楽しみにしているんですけども、
具体的なことは言えないにしても、なんか取り組んでるよぐらいでもいいですし、何かヒントをもしいただけたら嬉しいなと思うんですけど。
今ね、書いてるのはすごい長い小説で、結構本当に長い小説。
11月の25日から今度読売新聞の連載の小説なんですけど、これはもう秘密じゃないので言っちゃっていいですよね。
もちろん途中まで書いていて、書き進めるうちに変わるかもしれないけど、でも連載なんでもう出しちゃった部分は変えられないですよね。
だから非常にスリルはあるんですけど。
社会人の経験
この小説はどちらかというと、社会人になったばっかりの人間なんです。
会社に勤め始めて。
会社という不思議な場所を体験し、また大人の人付き合いの仕方っていうか、それまで学生の人付き合いしか知らなかったんですけども、
全然違うような社会を毎日毎日を、毎日がすごい長いんですよ、小学1年生みたいに。
いろんなことを見て驚いて、でも失敗してみたいなね、少しずつこの社会の構造とかね、なんかが見えてくるみたいな。
そういうことを細かく書きたいなと思って。
12年ぐらいがね、この舞台なんですけど。
そうなんですね。
あとね、そうなんですよ、さっきもちょっと話題になりましたけど、インターネットのなかった時代なんですよね。
だからそれ、私にとってはそんな昔の話じゃないんですけど、でも細かく書いていくと全然違うことがいろいろあるんですよね。
それをなんか忘れてしまっているので、ずるずるずるっと今の時代に来たのでね、それをなんかね、しっかりと書き留めておきたいなというかね。
はい。
すると、なんか発達した今の方が優れてて、昔はダメだったみたいな感じで、昔覚えておくことに意味ないみたいに思っちゃうじゃないですか。
でも、そうではなくて、このネットがなければないで、どうやって地図を使ってある場所を探したとかとか、どうやって手紙を書いたとかとかね、電話ボックスの使い方とか、いろんなね、詳細なところで、そういうことをクリアしていく中で、人と人とのつながりっていうのが形成されていくわけですよね。
はい。
そこに非常になんか面白いものがあるなと思ったんで、ぜひこれを詳しく書いておこうと思ってね、書いてみました。
まだまだね、お話尽きないんですが、今日はですね、ベルリン、そして日本を結んでですね、小説家で詩人の田田横さんにお話を伺いました。田田さん、本当に今日はありがとうございました。
どうもありがとうございました。
33:13

コメント

スクロール