1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
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2025-01-24 50:41

【#261】繊細な目と大胆な視点──ジュエリーから映像へ広がる創造の旅|内海ナオさん(ジュエリーデザイナー/ドキュメンタリー作家)

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【期間限定】会う力体験講座・限定公開 → https://pro.form-mailer.jp/fms/3debbd92325823 実績ゼロ、知名度ゼロの状態から各界のトップランナーやその道のプロフェッショナル、市井の人々にいたるまで、2000人以上にインタビューしてきた、プロインタビュアー早川洋平がその全てを伝える「会う力」養成講座。「会う力」養成講座の一端を感じられる「体験講座」の一部を、下記からご登録の方だけに期間限定で公開します。会う力を構成する8つの力のうち、最も大切と言っても過言ではない「リサーチ」の手法を公開しています。 (登録は無料です) --------- 『LIFE UPDATE CREW』始動中! https://yohei-hayakawa.com/luc.html 『LIFE UPDATE』プロジェクトを共に進める仲間を募集中です。 Crewメンバーは、早川洋平オススメの秘蔵リスト公開、メールコンサルティング、CREW限定食事会ご招待などの特典があります。 ------ 人生を更新するインタビューマガジン「LIFE UPDATE」。内海ナオさんインタビュー後編となる今回は、彼が手がける最新のドキュメンタリー『TIDE』に込められたテーマ、そして南伊豆も拠点に加えた創作活動の背景を深掘りします。ジュエリーデザイナーとして培った繊細な美意識と、映像作家としての大胆なビジョン。その2つが交わり、新たな形で世界に広がるプロセスとは?多拠点生活の実践と創造的な自由を求める挑戦が、どのように「次の波」を生み出しているのか。未来を映す創造の哲学に迫ります。キーワードは「波紋」。 ▼目次  オープニング  公開予定のドキュメンタリーについて  ドキュメントを撮る理由  年齢とパーセンテージの話  宮城と南伊豆  これからの人生のキーワード  内海ナオにアクセスする方法 【内海ナオ】うつみ・なお/ジュエリーデザイナー&ドキュメンタリー作家 1980年生まれ、宮城県出身。98年、国立高専を18歳で中退し渡英。独学でジュエリーを製作し、2002年にロンドンでRUSTを設立。イギリス在住26年。 ロンドンと東京でRUSTを経営する傍ら、22年にアムステルダムでドキュメンタリーの制作会社AALANDを設立。現在は工房のあるロンドン、子供のいるワイト島、映像制作のアムステルダムに加え、タンザニア、東京、宮城、南伊豆に拠点を持ち、移動しながらジュエリーブランドの運営とドキュメンタリーの撮影・編集を手がける。製作中のドキュメンタリー”TIDE”は、25年春にロンドンと東京、横浜で公開予定。 20年来の友人である近藤ナオと内海ナオは、タンザニアの僻地に土地を購入。水や電気、食物を自給し、お金を必要としない生き方のさらなる可能性を探るプロジェクトが始まる。 が、そこで生まれた”潮”の流れは、タンザニアを越えて、近藤ナオと内海ナオの2人のナオを、次の世界へと導いてゆく。 【早川洋平】はやかわ・ようへい/1980年、横浜生まれ。中国新聞記者等を経て2008年起業。羽生結弦、よしもとばばな、髙田賢三、ケヴィン・ケリーら各界のトップランナーから市井の人々まで国内外分野を超えてインタビューを続ける。13年からは戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』等メディアプロデュースも多数。インタビューメディア『LIFE UPDATE』配信中。 https://yohei-hayakawa.com/ ------ ▼ケヴィン・ケリーさん×早川洋平対談原稿を無料プレゼント! 早川洋平の最新インタビュー情報やエッセイ等をお届けする無料ニューズレター『LIFE UPDATE LETTER』に登録頂いた方には、WIREDの創刊編集長で世界的な思想家としても名高いケヴィン・ケリーさんと早川洋平の対談原稿全文テキストをプレゼントさせて頂きます。 『LIFE UPDATE LETTER』 登録無料 https://yoheihayakawa.substack.com/ ▼時代や環境に左右されない力を。 『会う力』養成講座 https://www.auchikara.com/ ▼本やセミナーでは見つからない あなたの可能性や悩みの解決の糸口を プロインタビュアー早川洋平が引き出す 『LIFEUPDATE SESSION』 https://yohei-hayakawa.com/session.html ▼僕のメンター北川先生の教えの核心を 音声プログラムとしてまとめました 『才能がもたらす平和感』 https://pro.form-mailer.jp/lp/e8613bc9321246 ------

サマリー

内海ナオさんは、ジュエリーデザイナーとしての美意識とドキュメンタリー作家としての視点を交差させ、創作活動や新しい作品のテーマについて探求しています。彼は、多拠点での生活から得たインスピレーションや影響についても触れています。ジュエリーから映像へと広がる創造の旅を語り、タンザニアでのプロジェクトに参加した経験から実体験を通じて得た気づきや社会の消費文化との格闘について深く考察しています。特に、自給自足の生活を通じて感じた真の幸せについて話しています。 さらに、内海ナオさんは、自身の視点の変化やコミュニティの重要性を振り返りながら、ジュエリーデザインからドキュメンタリー制作への旅を振り返っています。ロンドンでの生活やアフリカでの経験を通じて、本物の世界とは何かを探求し、実家の大切さに気づく過程を共有しています。彼は、自身の人生における変化やドキュメンタリー制作の過程を通じて、創造的なインスピレーションを探求しています。南水のエコビレッジやジュエリー制作での経験が、彼の独自の視点に影響を与えています。 内海ナオさんが、ジュエリーに込められた新しい意味やドキュメンタリー制作におけるインスピレーションについて語ります。

創作の背景とテーマ
人生を更新するインタビューマガジンLIFE UPDATE
内海ナオさんインタビュー後編となる今回は、彼が手掛ける最新のドキュメンタリー作品に込められたテーマ──
そして南伊豆も拠点に加えた創作活動の背景を深掘りします。 ジュエリーデザイナーとして培った繊細な美意識と映像作家としての大胆なビジョン、
その2つが交わり新たな形で世界に広がるプロセスとは。 多拠点生活の実態と創造的な自由を求める挑戦がどのように次の波を生み出しているのか。
未来を映す創造の哲学に迫ります。 キーワードは波紋。
面白いですね、やっぱそのノート開くと僕もやっぱり本当にもうこの4,5年なんとかやってこれたのって、その書くことがね、ある種のメディテーションだったりその中に
ちょっと抽象的すぎる気がありますけど、そのノートを開いた中にちょっとなんていうんだろうな、クリエイティブな空間があるというか
だからなんかやっぱりナオさんの話聞いていると非常にその辺やっぱり共感、僭越ながらさせていただきますし
やっぱちょっと紙でいろいろ書きたくなるなって多分見ている方も思ったのかなと思うんですが、そこでまた戻りますが
ドキュメンタリー作家、ちょっとかなり近づいてきたと思いますけど、ジューリーデザイナーとドキュメンタリー作家っていうふうに名乗ってますから、今この
アーランドの話もありましたけど、その辺とどう絡み、そして制作中のドキュメンタリー、TID、タイド、この辺との絡みとか来年開催、公開予定かということで、この辺もちょっと伺いたいんですけど
そうですね、それも最初からそうしようっていうことではなく、段階を追ってそこに行き着くっていう形で、今でもその現在進行中であるんですが
やっぱりこの今のノートの話じゃないですけど、先に例えば、もし仮にですけども、そうやって幸運にも平均寿命まで生きることができたり、間違ってもう少し生きてることができたりとなった中で、いろんな変化っていうのは絶対に起こるわけなので
今、遡って考えるとやっぱり最低限やっときたいのは、やはり最低2つの仕事と最低2つ以上の暮らす場所っていうのが絶対スタンダードっていう、僕の子供たちにはそういうふうに言ってるんですけれども、1か0かじゃなくて2つやるっていう
どちらが、そうですね、やはり1つのことに全てをかけるっていうのも1つの生き方としてありだと思うんですけれども、今後次にその仕事が存続するかっていうのもまた別の話になってくるので、やはり2つの国、2つの仕事っていうのはやはりスタンダードになる。
それを今やるのは今、本当に今だと思うので、それを進めるっていうのが根底にあったわけですね。
先ほどの話になっちゃうんですけど、オーランダでそういうきっかけがあって、会社を立ち上げることになって、自分に何ができるのかって言ったときに、何か分からないけどカメラだけは常に僕の手にあるっていう状況。
そういったきっかけを与えてくれたもの、人とかがやっぱりいるわけで、何が自分を含め人を動かすのかってやっぱりインスピレーションだと思うんですね。
こういうことをやってる人がいるとか、こういうことから会った、じゃあ僕もできるかもっていう人の動かし方って結構強いと思うんですよ。
で、その流浪の中でやっぱり沈まずにやってこれたのは、やはりその僕の古い友人の近藤直さんとアムステルダムで再会できたっていうことが結構大きくて。
で、彼のその生き方っていうのが、パー拠点、タンザニア、ジョージア、ペルー、日本に拠点を持ってる。
で、結構すごいなと思ったのは、コロナ禍でもう飛行機とか全然飛ばなかったわけじゃないですか。
で、そんな中彼は世界一周できてたんですよね。
っていうのが、その時は旅行としての旅はできなかったんですけど、家に帰るっていう飛行機の飛び方はできてたんですよ。
2020年の7月とかその辺なんですけど、彼は東京、日本の家からジョージアの家に帰る。
で、ジョージアの家からオランダの家に帰る。
で、ジョージアの家からペルーの家に帰るとか、ペルーの家から日本の家に帰るみたいな感じで、その全部が家に帰るっていう飛び方だったんですよね。
なるほど。
コロナでもう誰も旅行できない中、彼はそういう多拠点っていう、また全部に居住権を持ってた。
普通に帰ってるだけだよみたいなね。
そうなんですよ。タンザニア、しかもタンザニアコロナで封鎖された時に彼はタンザニアにいたんですけども、日本政府ですらその帰還する飛行機を手配できなかったのに、オランダはできたんですよ。
オランダ政府がオランダの居住権のある人たちをオランダに帰還させるための飛行機をチャーターできたんですよね。日本はできなかった。
で、彼は日本のパスポートとオランダの居住権があったんで、日本の飛行機は来なかったけど、オランダの飛行機は来たんだよねとか言って、オランダの家にタンザニアから帰ったりとかする人なんですよね。
で、それがすごい大きな僕にとってショックで、インスピレーションで、なんかこんな生き方ってあるんだなって思って、それで僕に勇気を与えてくれたというか、やっぱりそのインスピレーションに勝る人を動かす力って本当にない。それ以上のものってあんまりないなって。
第二の才能の探求
なんかいろいろあるじゃないですか。恐怖とかお金とかいろんなモチベーションってあると思うんですけど、やっぱりそのインスピレーションを身近な人が感じて、それで自分の世界が変わるっていう、なんかそういう変化をまざまざと自分を通して経験したので、そこをですね、それとそのカメラっていうのが結びついて、自分でさえこういうふうにインスピレーションを受けて変われる。
インスピレーションを人に伝えたらどうなるんだろうみたいなところですね。それが今の段階。
なんかあの、事前に送っていただいた写真共有してもいいですかね。もちろんどうぞ。ちょっともうあの話の中出てきたものも出てきてないものもありますけど、まさにそのね、やっぱりカメラを持ち歩いてっておっしゃってたんで今ちょっと共有しますけど、めちゃくちゃおいしそう。これはこれはどこで撮った写真ですか食事の。
それは船の夏ですけど、外で子供たちとか友達呼んでっていうシーンですね。
これは?
それは多分もうちょっと後の話になると思うんですけど、僕が宮城の実家を改装してますんで、そのアフターですね。
なるほどなるほど。この辺のあたりも出てくると思いますけど、写真をね、直さんがどんな写真を撮るかっていうね、感じを見てる方は少し見ていただければという風に。
いやいや機材のテクノロジーどうこうっておっしゃってましたけど、腕もさすがピカイチだと思いますけど。
あのー、その中でね、やっぱり今スチール、あのー普通の静止画像というかね、カメラ持っててその写真というのもあると思いますけど、そこからやっぱりそれにとどまらずどちらかというと作品、映像、ドキュメンタリーって。
また直さんのことが一気に、いきなりいきなりっていうわけじゃないでしょうけどすごいなと思って、その辺はこう映像を撮る、ドキュメンタリーを撮るっていうのはなんでなんでしょうね。
小説よりも気になりじゃないですけど、やっぱり現実に起こったことっていうのは本当に面白いなっていう、そういう作った映画の脚本とかじゃなくて、やはり実際にナーミンの人間が自分の人生を使ってやってきてるっていうところが一番のポイントかなと思いますね。
それはやっぱり撮りたいもの、撮りたいドキュメントがあるからやっぱりそこから始まったってことなんですかね。
最初は本当に使い道とかも考えずに、目の前で起こっているこの素晴らしい変化というんですか、インスピレーションをとにかく撮りたいっていうだけで、特に思わけというかこうしたいっていうのはなかったんです。
で、僕が思うのはやっぱり今までその2つの仕事ってのがあったとして、1個目の仕事、僕にとってはジューリーを作るっていうのが第一の才能として、そういったビジネスとしても27年やらしてもらってるんですけど、2つ目の仕事っていうのにあたってやはりその第二の才能っていうのを見つけて、それを最大限使えるっていうのがポイントだと思うんですね。
で、1個目の才能っていうのはもう自分のことでいいと思うんですよ。もう僕はこれができる、私はこれが得意みたいな形で、なんかそれをもうひたすら見せびらかすまでレベルまで持ってって、僕のクリエイションはこれだっていうのでいいと思うんですね。
で、2つ目の仕事っていうのはやっぱりその年齢とともに僕たち今44じゃないですか、それから50、60になるにあたって、その年齢のパーセンテージだけその2つ目の仕事に使えるようになっていったらいいなと思うんですね。
例えば僕が60になったら60パーセントの時間はその第二の才能に使うっていう感じ、考え方なんですけど、その第二の才能っていうのはそれまでの自分が私がっていう不正的な訴求じゃなくて暴政的な、なんかこれをすることによってそれを見た人がどう感じるだろう、それがその人の世界にどういった影響を及ぼしてどういった行動に移させてくれるのかなみたいな。
なんかそこに僕が一番惹かれてるのがあって、その映像っていうのはその目の前で起こってる友達、友人、知人のそのこんなことやってるっていう人を撮って、それを見てもらって、僕でさえ元々はそういう画が強いっていう意味でそういうクリエイティブななんとかっていう部分で、なんか僕自分でさえインスピレーションを受けてこう報道に打ちそうって思えるんで、
そうですね、きっかけっていうのを本当にいろんな人に見てもらったら、なんかいろんなこう世界が変わるんじゃないかなっていう、なんか淡い期待というか、別に怒らなくてもいいですし、怒ってくれたら嬉しいですし、なんかそこにワンチャンなんかこうフォーカスしてみたい、なんかかけてみたいっていう部分はすごくあって、今でもそうなんですけれど、
そうですね、2つ目の才能を見つけて、それを使って、母性的にそれを見てくれた人に対してどういった影響が及ぶのかなっていうのが僕にとってすごく興味のあるところですね。
なるほど、今の話自体がすごく興味深いんですけど、個人的にやっぱりちょっと面白いなと思ったのが、その僕ら今44歳でこれからね、僕もね、今日は僕の話に対して聞かれますけど、僕もまあやっぱりね、こうやってリンクするとかすごい多くてね、今2つ目3つ目の新たな仕事というか、本来の魂の道みたいなところによりフォーカスしようとしている最中なんで、すごく他人ごとには聞こえないんですけど、
その中でずっとそっちに進みたいなーって思ってたものがやっぱり10年前ぐらいからあって、でその時のパーセンテージっていう話がすごく面白いなと思ってて、まさに35の時は35%ぐらいしかできてなくて、今44でようやくもうちょっとで半分いや逆転できるかもみたいなところが直感的に感じてたんだ。
タンザニアプロジェクトの概要
今の直さんの話聞いてて個人的にはすごく驚いたんですけど、その年齢とパーセンテージの話っていうのは、なんか直さんが体感的に感じたものなんかどっからその話が出てきたんでしょう?非常にピンときましたね。
これもどこまで深掘りするかによるんですけど、それを多分前は外に求めてた、今でもそういうところあるんですけれども、外だけに求めてたっていう部分もあって、で、なんか目に入らなかったものっていうのは結構多かったんですよね。
ちょっと具体的に言うと、タンザニアでのプロジェクト、それはちょっと近藤直さんがそこでさっきの話でアムステルダムに会社を作って居住権を持ってってとこまで行ったと思うんですけど、じゃあ次どうするってなった時に、近藤直さんがタンザニアの敷地に土地を見つけて、そこに自給自足で暮らせる村を作ろうっていうプロジェクトをやることになったんですね。
僕はもう全く意図してなかったことなんですけども、その土地を買うって話に乗っちゃったんですよ。
それで土地の10%を買わせてもらって、部外社じゃなくて中からそういうドキュメンタリーを撮っていきたいなって思ったので、実際に自分も資本的に参加して、土地をみんなで共同購入して、
そこで現地の人とか日本からエコビレッジを作るプロの集団がいるんですけども、ゼロから建物を作れるみたいな感じで、ローカルで調達した、地元で調達した木材とかを使って、釘もないから紐で縛ってとかなんですけど、
それもさっき写真送らせてもらったと思うんですけども、あそこでは本当に構成的にインターネットないですし、携帯も使おうと思えば使えるんですけど、そういうロードマンドとかはない。
ソーシャルメディアもない、ネットフリックスもない、もちろんテレビもないし、電気も水道もガスもない、カフェインもない、砂糖もない、アルコールもないっていうもうないない尽くしの場所があったんですね。
で、そこに行くまでに僕はもうお酒も飲むのやめてて、砂糖も食べなかったし。
ここですかね、これ近藤直さん。
そうです。で、そこではソーラーでパネルで電気は作れるので、水も井戸を掘って、これも漁をしに行くシーンなんですけど、網で引いて魚を取ってとか、あとは食べれる植物を採集してとか、なんかそういう本当にもうゼロに近いところから異色獣を調達するっていう話だったんですね。
本当にもう強制的にない状態なんで、資本主義社会、特に先進国にいると、朝起きて、コーヒー飲んでクロワッサン食べて、SNSチェックして、会社のインターネットつなげて、ケーキ食べて、お昼休み行って、またコーヒー飲んで、おやつ食べて、夕ご飯食べて、お酒飲んで、
ネットフリックス見ながら、ソーシャルメディアチェックして、みたいな感じで、それをまたリピートするわけじゃないですか、次の日も。常にそういう何らかのアディクションっていうんですか、中毒の中に行っちゃうんですよね。
で、そのタンザニアではそれがもう強制的にない状態で、僕はアルコールとか砂糖とかはもう全部食べなくても大丈夫だったんですけど、小麦とか乳製品とかそういうのも全部立てていったんですけど、コーヒーだけは多分やられないだろうなって思ったんですよね。しかもタンザニアじゃないですか。
一番で。
けど、コーヒー朝起きに飲むのに、まず井戸から水を汲んで、その井戸っていうのが結構海に近いからちょっとエブを含んでるんですよね。それを浄化して、小枝を集めてきて、火を起こして浄化した水を鍋に入れて、沸騰させてコーヒーが飲めるわけなんですね。
もうちょっと正直それがあまりにもめんどくさいくて、コーヒーのない生活っていうのを送れたんですよね。
僕が思ったのは、そういう暮らしをずっとしようっていうんじゃなくて、一旦そういう中で生きることができたら、また先進国東京なりロンドンなりに戻ったとしても、すごく大きな自信になると思うんですよ。
確かに。ないものを知ってるわけですからね。経験してるわけだから。
やろうと思えばできるっていう自信っていうのがすごく大事だと思うんですね。やろうと思えばソーシャルメディアもお酒もなんでも立つことができる。
ほんとそうですね。
そうなった時、その自信っていうのが結構日常生活に与える影響っていうのは少なくないっていうんですかね。
そんな中で一個ボーナスだったのは、そうやってノイズっていうんですかね、中毒ってやっぱりノイズだと思うんですよね。
砂糖、甘いものとか、やはり食べると血糖値がスパイクしたりとかして、どうしても体が正常に保てないっていうんですか。
もうそういうない生活に慣れてしまうと、そういうノイズが入った時の体の反応っていうのが本当に面白いほどよくわかるんで。
で、そうやって今まではセイクの幸せっていうんですかね。
なんかこう明かりを灯そうと思った時に、高校とそういう人工光が灯ってる中で、なんか自分の世界っていうのがあった。
今でも普通、それが普通だと思うんですけど、今の時代だとね。
それらを一個一個消していくイメージですね。
一個一個その人工の光を消していって、一旦もう真っ暗になった時に、光ってるものって何なんだろう。
自分の中でそういう灯るものがあるのかなっていうのが、その時に経験できたプロセスだったんですよね。
なんかある種の断食、ファスティングみたいなもんだったかもしれないですね。
あれこれ意外と食べなくてもなくてもっていうね、物がいっぱい。
物理的に本当に食べ物だけじゃなくて、メタファーとしてもね、あったんじゃないかなっていう。
本当にその通り。物理的にもそうですし、精神的にもそういう。
考えてみれば、そういうフェイクの幸せって本当に安いもんなんですよね。
なんか砂糖にしても、お酒にしても、なんかせいぜい1万あれば相当高級なものが手に入る。
けど自分の幸せって、1万円っていうのがちょっと切ないですよねっていう感じで。
そういうフェイクの幸せじゃなくて、本当の自分にとっての幸せっていうのは一旦性能を全部消してみないと、なんかわからなかったなっていう部分。
なんかそうしたら、今までのそのワイト島でも暮らし、なんかそういう成功っていう中では、
そういうさっきも言ったように、ターマンガとかフェラーリとかそういう明るさマンガとは違うとはいえ、
一つの成功像みたいな、そういうカントリーライフとか家があって、アンティークがあって、
なんかそういうのですら結構自分たちの中ではフェイクの、フェイクとは言いたくないですけど、
なんか一つの変える幸せだったんだなみたいなところですね。
南伊豆での新たな挑戦
なのでそこからの脱却ですかね、既存の幸せからを、それはそれでいいんです。
それで幸せであれば、特に何をする必要はないと思うんですよ。
それで一生そこで終わってもいいと思うし、たぶん僕もそういう離婚とかがなかったら、
そういう既存の幸せの中でワイト島の小さなエリア、
村長になるか市長になるかわかんないけど、せいぜいその程度っていう話で、
その島に来る人だけハッピーだったらいいねみたいな感じだったと思うんですよね。
ただそういうのはなんかうまくいかないから結構やっぱり人生は面白いなって思えて、
そういうのを一旦リセットして、次の本当になんか次の幸せ、既存の幸せと、
次の幸せっていうので、その次の幸せは何だろうって思った時に、
一旦そうやって全部こう消灯、電気を消して、
残ったものっていうのがそのインスピレーションを人に伝えて、
そこで起きる次の世界っていうのを見るのが、
僕にとって今これ以上なく振り立たせてくれるっていうか、
興味深い分野ですね。
そこで繋がりました。そこで、
本当に一つ一つだけで一晩ぐらい話を伺いたいんですけど、
今まだ宮城っていうところと南伊豆っていうキーワードをもうちょっとだけ、
少しだけですけど伺いたいなと思うんですけど、
南朝鮮上から行くと南伊豆が先なんですかね、どうなんだろう。
そうですね。タンザニアでのプロジェクトも一段落して、
次はどうするってなった時に、南伊豆で家を買って、
そこで自給自足できるコミュニティがあったらいいよねっていう話で、
ヨヘイさんもいらっしゃって。
実は伺いました。
そこで新たなエコビデジのプロジェクトが始まるということで、
僕はやはりドキュメンタリーを作るにあたって、
beforeとafterっていうのは必要なんで、
そのbeforeを取りに行ったんですね。
そこの家っていうのが、大体大正時代から明治後期から大正にできた家で、
結構大きな大黒柱とかあって、開口を買ってた屋根裏とかもすごくいい状態に残ってて、
ただその前に住んでた家族っていうのが、
普通に考えればあるあるなんですけど、
若い世代は田舎を出たら戻らないって空き家になるっていう典型的なパターンで、
そのbeforeの状態に行った時に、本当に切なくなるほどの状態だったんですよね。
裏山から水が常に流れてくるリッチだったので、
もう下から湿気で腐ってるものがあって、
床板が去って、その上に乗ったタンスが自重で沈んじゃってるような状態だったんですね。
住んでた家族も本当に昨日まで暮らしてて、
消えてその状態が十何年残ってたみたいな感じで、
下駄箱の中には靴が全部並んであって、
全部カビで覆われてるんですけど、
子供の目覚まし時計とか、
おばあちゃんが見てたビデオテープ、
紅白歌合戦とかレーベルに貼ったビデオテープとかがあって、
洗濯場は外から植物のツタが屋根の隙間から入ってきて、
洗濯機がツタで覆われてて、
台所には使い古しの醤油のボトルに賞味期限は2007年とか書いてて、
醤油で2007年賞味期限ってことは、
その段階、その方たちがその家を離れた時は、
多分2002年とかだと思うんですけど、
20年近く、本当に昨日まで暮らしてたっていうような状態で、
誰も片付けに来ようとさえしないみたいな感じで、
すごい物悲しい状態ですね。
ポテンシャルはあったんですけど、
そういう作りとかはね。
ただ、残された状態、
本当に昭和って常に物質を旅行に行ったらお土産を買ってきて、
それを茶の間の裏に飾ってとかそういう感じじゃないですか。
ビデオテープ、そういうビデオカメラがあって、
そういう一般の家にそういう機器が普及して、
それを持つことが良しとされた時代で、
それらが全てそのままの状態で捨てられた形で残ってて、
それを見た時に、これは多分また早送りする癖が出てきて、
これは僕の実家の将来だなって思ったんですよね。
それを見た時に、もうこれは嫌だなって思えて、
僕は宮城で生まれて、
ジュエリーデザインからの旅
高校は国立高校で市の関というところに行って、
15の時に家を出てるんですよ。
15の時から寮生活して、
18の時からロンドンでイギリスで暮らしてるっていう感じなんですけど、
子供の頃って学校と家っていうのが2つの大きな世界で、
自分たちの世界っていうのも家と学校しかないって言ってもいいくらいじゃないですか。
仮に学校で人間環境とか成績学院までうまくいかない、
家で誰かとうまくいかないってなると、
もうそれで世界の終わりに見えてしまうことってあると思うんですね。
本当そうでしたね。
で、例に漏れず僕もそうで、
やっぱり学校でもうまくいえず、
家にもなかなかちょっと自分の居場所を見つけ切らずで、
そういうこれが本当の世界なのか、
それとも世界っていうのはこれはただ僕が見ているだけであって、
世界っていうのはその裏にもっと広がっているんじゃないかっていうのが、
その時に12、3ぐらいの時だったんですけど、
11かな、その時にその質問がずっと僕の中にあったんですね。
果たしてこれは今見えている世界が本当の世界なのか。
なのでそれを本当の世界っていうのを確かめたくて、
次に進みたかったっていう欲望が、願望がすごくあったなと思うんですね。
で、そのためにはやはりそういう育ったコミュニティじゃなくて、
誰もが寮生活なんでみんないろんなところから来るんで、
なんかそこで世界を見たかったっていうのがあったと思うんですね。
で、その国立高生っていうのが大体高校3年と大学4年を走って2ではっていうのが学校なんですね。
で、15で僕は早生まれて3月生まれなんで、入った時はまだ15なんですけど、
大体みんな16で20歳で卒業するんですけど、
僕たち就職氷河期の終わりなんですか、わかんないですけど、
結構就職が大変な時代だったと思います。
で、国立高生を卒業すると基本的に大卒程度のことはできるんですけど、
給料は半大卒で済めるじゃない。
なので企業にとってはもう本当に取りたくて取りたくてっていう条件が揃ってるので、
1人に対して多分5社とか求人が5社を下回ることはなかったと思うんですよ。
で、それで落題さえしなければ絶対に就職できる。
例えばNECとかF2とかそういう大きな会社に絶対就職できるっていう感じだったんで、
しかも15から3位制なんですよね。
で、必修とか必修じゃないとかっていうのがあって、
大体みんな落題しなければいいっていう考えだから、
その必修の科目だけ授業出て、
残りはアルバイトしたりパチンコ行ったりとか競馬行ったりとかっていうそんな世界なんですよね。
ほんと15、6の時からそんな感じで。
で、体育の授業とかにゴルフとかがあるんですよ。
で、やっぱり就職したら上司にゴルフ連れてかれてっていう世界だからゴルフをできなくちゃいけないとか、
もう本当にサラリーマン養成学校みたいなところだったんですね。
で、そこでまたやっぱり質問が始まるわけなんです。
これが僕の求めてた、なんていうんですか、思ってた世界なのかなみたいなところで、
なんとなくちょっと先が見えてしまったというか。
人生がたぶん2回だったら1回ぐらいはそういう就職して、
どこまで昇進できるかやってみるのも試してみるのも面白いかなと思うんですけど、
残念ながらやっぱり人生は1回しかないんで、やっぱりそこを先が見えた時点で、
やはり次の、なんかやっぱりそこに昇進っていうのが出てきちゃったと思います。
本当に世界とはこれなのかみたいな感じで。
で、18の時に区切りが高卒っていう感じなんですかね、のもあって、
で、イギリスに留学、語学留学ですけどね、
ロンドンに1年、休学っていう形で親には休学っていう風に言って、
1年経ったら帰ってくるっていうことで、
で、ロンドンに1年間行くっていう建前で行ってたんですけど、
僕は出た時はもう絶対もう帰る気とか一切なかったので、
そこから26年経つんですけど、
ロンドンにはなんかその自分に思ってた、なんか世界っていうのは本当にこういう世界なんじゃないか、
こういうものなんじゃないかっていうのがやっぱあったんですよね。
なんかそういうロンドンという街にいろんな国の人が集まるわけじゃないですか。
その前は国立高生の寮にいろんな地域の人たちが集まってきた。
で、その次はそのロンドンにいろんな国から人が集まってきた。
なんかそこにはなんか僕は世界を感じたんですよ。
本当ですね。
なんか答えが見つかったような気がしてたんですよね。
今また話をすごく進めると、
今の段階っていうのはロンドンの中で見た世界っていうのは、
また本当に現実に実在する世界ではないっていうことに、
まあ当たり前ですけど、
例えばロンドンのコリアンタウンがあって、
そこで韓国料理を食べたからといって韓国を知ったわけではないじゃないですか。
確かに。
ここに例えばエストニア料理店があって、
そこにエストニア料理、
ロンドンにいろんなそういう人種とか料理があるんですけども、
そこで見た世界っていうのは、
ロンドンにある世界の中での世界であって、
実際のそういう世界ではないっていうところですよね。
ロンドンとアフリカでの経験
で、そこにまた自分の探求心っていうのが生まれて、
カンザニア、アフリカとか僕行ったことなかったんで、
アフリカに行ったときに、
本当にロンドンの中で見た世界とかそういうっぽけな世界に思えてきて、
また本当の世界っていうのが、
今、見つかりつつあるっていうんですかね。
で、そうなると今度は逆回し。
なるほど。
振り子だと思うんですよね。
本当に一つの極限まで行くと、
今度は逆に振れるんだなっていうのが本当に今の段階で、
南水の家を見たときに、
自分の実家っていうのが、
これはうちの実家の将来だな、
僕がもう多分戻ることもないって親も思ってるだろうし、
親がいなくなったら実家もこうなるんだろうなって思ったときに、
なんかこれはちょっと阻止したいなっていうのは、
ちょっとそこで生まれて気持ちが。
振り子、カンザニアで南水で、
いかに食料、電気圧とか耳とかを確保するのが、
いかに大変だったのかっていうのが分かってたんですよね。
さっきありましたね。
で、それを見たら、僕の実家、
僕の父は船乗りで電気工事してあって、
で、あとは畑を耕して、今、引退して畑を植物作ってるんですけど、
うちの両親、ごめんなさい、祖父と祖母も畑を耕してて、
で、母は障害施設の園長だけ、教育者なんですけど、
その中で、なんかその視点、世界を見てから自分の家を見たら、
なんか結構それが宝の山に見えて、
もう小さい頃から採れすぎたカボチャとかゴボウとかをおしそ分けすると、
米とか魚になって、お返しが帰ってくるんですよね。
その日のうちに母親が料理したものが食卓に並ぶっていう、
で、全部オーガニックじゃないですか、今で言う。
そうですね。
自分の家で育てた野菜なんで、
で、僕はそれがもう当たり前、なんか生まれた時からそうだったんですよね。
素晴らしい。
って思うでしょ、今は。
けど当時は、なんかそういうのが本当に煩わしくって、
もうスーパーでキュウリとか買えばいいじゃんっていう頭しかなかったので、
実はすごく贅沢だったっていうふうには思わなかったですね。
そう、全く思わなくって、その時は。
で、本当にスーパー行って買った方が早いじゃんみたいな感じで、
で、そういう人付き合いっていうんですか、
僕も結構、なんかコミュ障とまでは言わないですけど、
そこまで好んで、こう笑い合う人とこう話しするタイプではないから、
なんかそういうあげた、もらった、貸した、借りたみたいなのが、
あんまり好きじゃなかったとこがあったので、
ただそのアンザニアくんだりまで行って、
南水行って、すごい物件状態のものを見て、
そういういろんな世界回ってみて、
そこでまた見えた世界っていうのが結構違ってて、
あれから考えたら、うちの実家とかもう本当宝の山、
なんか野菜が育つし、水はあるし、ソーラーパネルで電気は自粛できるし、
って思ったら、なんかこれは本当にすごい宝だなって思えて、
ようやく気づけたというところですね。
実家の再発見
一応時間がですね、もう8時半になってしまったんですが、
せっかくなんでね、もうちょっとだけ今のこの話、
やっぱり最後に詳しく伺いたいので、写真も先ほど送っていただいたもの、
これは伊豆の方、これはご実家じゃなくて伊豆の方?
これね、実家なんですよ。
じゃあちょうど良かったです。
ビフォー。
ビフォーですね、この辺ビフォーですかね。
じゃあその辺、いろんな物が溢れてたみたいな。
そうですね、やはり僕の親の世代とか、物を捨てられない世代なので、
僕が子供の時に壊れてたマッサージチェアとかまだあったりとかしたんですよ。
手指とかね。
それらをもうトラックで何十億とかして片付けて、
床板畳み上げて断裂剤貼って床板を入れて家具を並べて、
ペンキ塗ってとか、そういうのはもうイギリスで何十回もやってるんで、
全然得意分野なので。
これはお父様お母様とお子さんもいて。
これですよ、ビフォーアフター。
こっちアフターですよね。
これ皆さん見てください、もうちょっと別の、
ちょっと度肝抜かれたんですけど、
普通に雑誌に出てきそうな空間というか、
これあれですか、日本に帰国の旅に色々やって変えてるにしても、
すごすぎじゃないですか、これ。
そうですね、時間がもうちょっとあればって話ではあるんですけども、
特に都市部、農村部とかだとやはり誰が家を作るかって結構大きなトピックだと思うんですね。
今やそういう長男が継いでくれるとかって結構絶滅危惧種じゃないですか。
空き家が何百万件あるとかいう話で、
僕が提案したいのは、誰か一人が継ぐとかじゃなくて、
兄弟とかその子供たちでシェアできたらいいんじゃないかっていうのが新しいコンセプトなんですね。
南水のエコビレッジの経験
僕たちの子供、僕の弟や妹の子供、彼らは7人合計でいるんですけど、
いとこ同士7人いて、僕の子供と弟の子供、両親とかで、
あと誰でもいいんですけど、親戚が何かあった時に災害とか経済的困難とか、
戻れる場所があって、そこで自給自足できる場所があるっていうのは結構すごいコンセプトなんじゃないかな。
で、そもそもその南水のエコビレッジも同じコンセプトなんですよね。
誰がメンバーっていうんですか、誰が来ても1日2時間とか手伝ってくれれば、
過ごせる、生きていけるっていう場所なんですよね。
ソーラーで電気は自給して、水も確保して、植物も育ててっていう流れで、
彼らもやっぱりそれなりにいろんな仕事を持っている人が拠点居住として、
いろんなところでいろんなことやってる人たちがいるんで、
なのでそこにインスピレーションを得て、それで見たら僕の実家も宝の山に見えて、
僕親戚でいいんで、みんなでシェアするっていうコンセプトを一旦提案してみたいなと思って、
それでもしかすると、これだったらうちでもできるっていう家が1軒でも2軒でも10軒でもあったらいいなっていう。
それを追ってるドキュメンタリーになりますね。
ドキュメンタリー制作のメッセージ
全部つながってるんだ。
それは自分を実験台にした、一軒人を撮ってるドキュメンタリーに見えるんですけど、
一番実験台になってるのは自分自身の気持ちっていうんですかね。
それを今撮ってます。
それがさっきの海道っていうか潮というか。
そうですね。
潮の流れが変わってすべてを持ち去っていく潮の流れ。
とにかく浮かんでさえいればいいっていう。
素晴らしいですね。もうずっと船からね、ルローから全部入ってますよね。
とにかく沈まないこと、浮かんでいること。
それは僕の中ではステイアフロートって呼んでるんですけど、ステイアフロートでステイクレイジー。
クレイジーっていうのは人に何かと言われようと自分で泣き違いって言われるかもしれないんですけども、ステイクレイジーでいることがポイント。
あとはステイプリペードって常に用意、次の日に準備をしているっていう。
その準備っていうのは潮の流れが浮いてさえいれば絶対変わるから、変わった時にまた次の旅路に出れるようにやっぱり準備しておかなくちゃいけないっていうところ。
ステイアフロート浮かんでいてステイクレイジー、他の人に惑わされずに自分がどうしたいのかっていうのを維持して、
あとはステイプリペード、それに対して用意を常に浮いてる間していようって。
その潮が変わった時にまた次の旅に出ようっていう流れなんですね。
それが僕にとってのドキュメンタリーのメッセージで、自分自身を実験台にして取ってきたのが今のお話してる流れになる。
ジュエリーと人生の転機
ありがとうございます。すごい。全部繋がった感じでまだまだお話ずっと聞いていたいんですけど、
そのドキュメンタリーが来年の春公開を目指して今。
いいなと思います。ただ一個ちょっと大変なのは、全ての料品にしても機材にしても全部ジュエリーから持ってきてるものなので。
そうですよね。
そうそう。ドキュメンタリーでお金を得ようとするとまた作りが変わってくると思うんですね。
エンターペイメントにしなくちゃいけないとか。
いろんな利害関係者も見たりとかね。
なのでそういうのを一切排除したかったので、全てそういうジュエリーで金銭面は全部バカになってるんで結構大変ですよ。
ただ思えば一生の中でこれだけ条件が整った中でそういう活動できることって多分滅多にないと思うんですよね。
幸いにも両親も元気だし、子供も8歳、9歳、12歳で大きいし、おむつ変えたりとかする必要もないし、
福岡、福岡、自分の一人の時間も結構多いので、これだけ材料も揃って集中できる環境が一生の中で訪れることって本当そうそうないなっていうのが正直な感想なので、
そこですね。めっちゃ結構大変なところはありますけど、すごく大きなチャンスかなという形で。
楽しみですね。
ありがとうございます。来年の春を目指してということで、東京オカマで公開予定のプロフィールにはありましたが。
そうですね。まさか40歳過ぎてここまでまた自分のやることにこんなにエキサイティング。
だって年表2100年まであるからまだまだあと3つぐらいあるから。
でも今その話出てきましたけど、そういう意味では今まさに2つ目というかね、そこを生きてる本当に楽しい時だと思いますけど、3つ4つとか、なおさらことが実は2100年までの中で何か他にも職業っていう形か分かんないですけど、
何か他にも道、もう少しキーワードであんのかななんて勝手に想像しちゃったんですけど、もしあってかつ差し支えなければ何か教えてもらうことできますか?抽象的でもいいんですけど。
そうですね、2つあって、1個は結構若い時に誰から聞いたか本で読んだか分かんないんですけど、何か人は2回死ぬって言われたんですよ。
1回目は本当に自分が死ぬ時で、2回目に死ぬ時っていうのはもう人々が自分のことを語らなくなった時に2回目死ぬって言われて、何かその通りだなって思ってたんですけど、
今そうやって思い返すと、日本での自分っていうのは何かどっかのタイミングで一旦こうリセット、死ということを使うのはちょっと大げさかもしれないですけども、
もう一旦リセットしてもう未練はないっていう形でロンドンには来たわけなんですね。で、ロンドンで思い描いてたそういう幸せっていうのも一旦そこで終わったんですよね、今回その2020年に。
で、今は何か第3回目の人生を生かさせてもらってるっていう感じなので、そのリセットっていうのがいくつあるかによって何回人生生きていけるのかっていうのが結構ポイントなのかなっていうところですよね。
で、もう1個っていうのは、僕まだあの遺伝子検査とかはまだやってないんですけど、SNPSってやつですよね、たぶん余計算されてますよね。
そうですね、はいはい、SNIPS。
あれまだやってなくて興味あるんですけど、そういう物質的な体のDNAとしての傾向も一つなんですけども、マインドとしてどっかで頼まれてもないのに世界のことを考えたりとか人のことを考えたりとかする人っているじゃないですか。
いい意味でですけどね。
僕もたぶんそういう方向に入ってると思うんですよ、何かやるにしてもこれが世界にあたる影響はこの動画これを見たらどう、やっぱり世界は変えられないから、それを見て、けどその見た人の中の世界っていうのは変えることができるわけじゃないですか。
それが少しずつ増えるともしかすると現実世界もちょっとだけ変わるかもしれないと思うんで、世界っていう言葉が今日何回口から出てきたかわかんないですけど、その世界っていうのを見るにあたって頼まれてもないのに世界を考えてしまう遺伝子っていうんですかね。
なんかそういうふうに考えて行動できる人と、もう極端な話、ワイトトーで家持ってコミュニティがあってもう私は僕はこれでもう人生オッケーみたいな。
いるわけじゃないですか。それはそれですごくいいと思うんですよね。全然全く問題ないと思うんですけど、残念ながらかこうか不幸か僕はやっぱりそこでは収まりきれなかったので、そういう遺伝子なのか、それって持ってる人と持ってない人がいるのか、それともみんな持ってるけどそれが起きる人と眠ったままの人がいるのか。
っていう部分にはすごく興味があって、そこをスイッチをもしみんなが持っててオンかオフなのであれば、それをオンにする何かのきっかけっていうのが人によって違うと思うんですけど、それが経済破綻とか結婚生活の破綻だったりとか偏差だったりとか、何かわかんないですけどそういうきっかけがあってオンになってまた次の世界が始まるっていうんだとしたら、
なんか今回その僕が第二の才能としてドキュメンタリーを作っていくにあたって興味があるのはそのスイッチを少しでも多くの人がオンにできるものなのかっていうところがすごく興味がある。
おもしろいですね。そんななおさんまた次お話をこうやってパブリックに伺うときにまたどんなアップデート変化があるのか本当に楽しみなんですけど、本当に最後なんですけど、なおさんのこれからのプロジェクトとか普段の動き、さっきSNSとは意外と頻繁にってイメージはないんですけど、
どうやってなおさんをウォッチとか直接のコンタクトも含めてですけど、どんな感じで皆さんこれ見た方、距離なんて言ったらな、アクセスできるんでしょうかうつみなおに。直接でもいいですしもちろんこう何かそういうSNSなんか。
そうですね、まだ受け皿はちょっと用意してないんで、まずはロンドンのラスト。
LUST、LUじゃなくてRUか。間違えました。
RUSTでラストの方でそこがまずどっか買いになってくれたらいいなと思います。
で、一見ジュエリーとそのドキュメンタリーって全く違うんですけど、なんか僕の中では多分どっかでリンクすると思ってるので。
でもやっぱジュエリーも世話で結婚指輪とかこういう祝福するためのジュエリーっていうのが多かったんですね。
で、やっぱり始めた時からジュエリーっていうのは富の象徴にもなりかねないもので、けど古代からあるものじゃないですか。
そうですね。
王公貴族でなくても、例えばそういう普通の人にもなった身につけたらそこには意味があったからつけれたと思うんですね。
例えばそういう狩人最終の時代に捕まえた動物の肉を食べて怪我を起きて残った爪とかを身につけたとか。
で、そこには特にそれで何かできるわけじゃないからきっと精神的な意味がないとつける意味がなかったと思うんですね。
太陽祈願だったりとか家族の健康でも何でもいいんですけど、なんかそういう思い意味があったからジュエリーっていうのは存続できたっていうのが僕の根底にある意味なんですけど。
それが今その結婚指輪とか意味がセレブレーションですか、祝福するためのジュエリーっていうのがやっぱりメインだったんですけれども。
やっぱり20何年やってるといろんなライフスタイルの変化があって両親が残念ながら亡くなられたとか。
最近は生まれたばかりの子供が3日で亡くなってしまったのをそのメモリアルとしての指輪をオーダーしに来たっていうリピーターっていうんですか。
このカップル3年前に会ったなと思ってまた会ったら、今回オーダーする指輪には3日で亡くなった子供の名前が刻まれてるんで常に身につけたらいいかなとかっていう。
なんかそういうセレブレーションっていうか、そういう祝福だけではなく思い出すとか、そういうまた別な意味で身につけるお客様も結構多くて。
そこなんだよなっていうところですね。
新しい意味の探求
そうすると今こうやってドキュメンタリーで追ってるインスピレーションとか、そこ意味っていうのがもっと近くなってくるので、
例えば僕も自分でこうやって身につけてる指輪っていうのは自分の意味を込めて、結婚指輪ではなく別な指輪になってそこに新しい意味があるっていうところなんですけれども。
なのでそうですね、今のその動きっていうのは絶対どこかでリンクするので、まずはラストの方で見ていただければと。
ありがとうございます。ということでまだまだお話を伺っていたいんですが、お時間が参りましたので今日はこれまでとさせていただきたいと思います。
今日はですね、ジュエリーデザイナー、そしてドキュメンタリー作家の宇住直さんにお話を伺いました。
直さん本当にありがとうございました。
ありがとうございます。
またぜひよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。
50:41

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