人生を更新するインタビューマガジンLIFE UPDATE
内海ナオさんインタビュー後編となる今回は、彼が手掛ける最新のドキュメンタリー作品に込められたテーマ──
そして南伊豆も拠点に加えた創作活動の背景を深掘りします。 ジュエリーデザイナーとして培った繊細な美意識と映像作家としての大胆なビジョン、
その2つが交わり新たな形で世界に広がるプロセスとは。 多拠点生活の実態と創造的な自由を求める挑戦がどのように次の波を生み出しているのか。
未来を映す創造の哲学に迫ります。 キーワードは波紋。
面白いですね、やっぱそのノート開くと僕もやっぱり本当にもうこの4,5年なんとかやってこれたのって、その書くことがね、ある種のメディテーションだったりその中に
ちょっと抽象的すぎる気がありますけど、そのノートを開いた中にちょっとなんていうんだろうな、クリエイティブな空間があるというか
だからなんかやっぱりナオさんの話聞いていると非常にその辺やっぱり共感、僭越ながらさせていただきますし
やっぱちょっと紙でいろいろ書きたくなるなって多分見ている方も思ったのかなと思うんですが、そこでまた戻りますが
ドキュメンタリー作家、ちょっとかなり近づいてきたと思いますけど、ジューリーデザイナーとドキュメンタリー作家っていうふうに名乗ってますから、今この
アーランドの話もありましたけど、その辺とどう絡み、そして制作中のドキュメンタリー、TID、タイド、この辺との絡みとか来年開催、公開予定かということで、この辺もちょっと伺いたいんですけど
そうですね、それも最初からそうしようっていうことではなく、段階を追ってそこに行き着くっていう形で、今でもその現在進行中であるんですが
やっぱりこの今のノートの話じゃないですけど、先に例えば、もし仮にですけども、そうやって幸運にも平均寿命まで生きることができたり、間違ってもう少し生きてることができたりとなった中で、いろんな変化っていうのは絶対に起こるわけなので
今、遡って考えるとやっぱり最低限やっときたいのは、やはり最低2つの仕事と最低2つ以上の暮らす場所っていうのが絶対スタンダードっていう、僕の子供たちにはそういうふうに言ってるんですけれども、1か0かじゃなくて2つやるっていう
どちらが、そうですね、やはり1つのことに全てをかけるっていうのも1つの生き方としてありだと思うんですけれども、今後次にその仕事が存続するかっていうのもまた別の話になってくるので、やはり2つの国、2つの仕事っていうのはやはりスタンダードになる。
それを今やるのは今、本当に今だと思うので、それを進めるっていうのが根底にあったわけですね。
先ほどの話になっちゃうんですけど、オーランダでそういうきっかけがあって、会社を立ち上げることになって、自分に何ができるのかって言ったときに、何か分からないけどカメラだけは常に僕の手にあるっていう状況。
そういったきっかけを与えてくれたもの、人とかがやっぱりいるわけで、何が自分を含め人を動かすのかってやっぱりインスピレーションだと思うんですね。
こういうことをやってる人がいるとか、こういうことから会った、じゃあ僕もできるかもっていう人の動かし方って結構強いと思うんですよ。
で、その流浪の中でやっぱり沈まずにやってこれたのは、やはりその僕の古い友人の近藤直さんとアムステルダムで再会できたっていうことが結構大きくて。
で、彼のその生き方っていうのが、パー拠点、タンザニア、ジョージア、ペルー、日本に拠点を持ってる。
で、結構すごいなと思ったのは、コロナ禍でもう飛行機とか全然飛ばなかったわけじゃないですか。
で、そんな中彼は世界一周できてたんですよね。
っていうのが、その時は旅行としての旅はできなかったんですけど、家に帰るっていう飛行機の飛び方はできてたんですよ。
2020年の7月とかその辺なんですけど、彼は東京、日本の家からジョージアの家に帰る。
で、ジョージアの家からオランダの家に帰る。
で、ジョージアの家からペルーの家に帰るとか、ペルーの家から日本の家に帰るみたいな感じで、その全部が家に帰るっていう飛び方だったんですよね。
なるほど。
コロナでもう誰も旅行できない中、彼はそういう多拠点っていう、また全部に居住権を持ってた。
普通に帰ってるだけだよみたいなね。
そうなんですよ。タンザニア、しかもタンザニアコロナで封鎖された時に彼はタンザニアにいたんですけども、日本政府ですらその帰還する飛行機を手配できなかったのに、オランダはできたんですよ。
オランダ政府がオランダの居住権のある人たちをオランダに帰還させるための飛行機をチャーターできたんですよね。日本はできなかった。
で、彼は日本のパスポートとオランダの居住権があったんで、日本の飛行機は来なかったけど、オランダの飛行機は来たんだよねとか言って、オランダの家にタンザニアから帰ったりとかする人なんですよね。
で、それがすごい大きな僕にとってショックで、インスピレーションで、なんかこんな生き方ってあるんだなって思って、それで僕に勇気を与えてくれたというか、やっぱりそのインスピレーションに勝る人を動かす力って本当にない。それ以上のものってあんまりないなって。
なんかいろいろあるじゃないですか。恐怖とかお金とかいろんなモチベーションってあると思うんですけど、やっぱりそのインスピレーションを身近な人が感じて、それで自分の世界が変わるっていう、なんかそういう変化をまざまざと自分を通して経験したので、そこをですね、それとそのカメラっていうのが結びついて、自分でさえこういうふうにインスピレーションを受けて変われる。
インスピレーションを人に伝えたらどうなるんだろうみたいなところですね。それが今の段階。
なんかあの、事前に送っていただいた写真共有してもいいですかね。もちろんどうぞ。ちょっともうあの話の中出てきたものも出てきてないものもありますけど、まさにそのね、やっぱりカメラを持ち歩いてっておっしゃってたんで今ちょっと共有しますけど、めちゃくちゃおいしそう。これはこれはどこで撮った写真ですか食事の。
それは船の夏ですけど、外で子供たちとか友達呼んでっていうシーンですね。
これは?
それは多分もうちょっと後の話になると思うんですけど、僕が宮城の実家を改装してますんで、そのアフターですね。
なるほどなるほど。この辺のあたりも出てくると思いますけど、写真をね、直さんがどんな写真を撮るかっていうね、感じを見てる方は少し見ていただければという風に。
いやいや機材のテクノロジーどうこうっておっしゃってましたけど、腕もさすがピカイチだと思いますけど。
あのー、その中でね、やっぱり今スチール、あのー普通の静止画像というかね、カメラ持っててその写真というのもあると思いますけど、そこからやっぱりそれにとどまらずどちらかというと作品、映像、ドキュメンタリーって。
また直さんのことが一気に、いきなりいきなりっていうわけじゃないでしょうけどすごいなと思って、その辺はこう映像を撮る、ドキュメンタリーを撮るっていうのはなんでなんでしょうね。
小説よりも気になりじゃないですけど、やっぱり現実に起こったことっていうのは本当に面白いなっていう、そういう作った映画の脚本とかじゃなくて、やはり実際にナーミンの人間が自分の人生を使ってやってきてるっていうところが一番のポイントかなと思いますね。
それはやっぱり撮りたいもの、撮りたいドキュメントがあるからやっぱりそこから始まったってことなんですかね。
最初は本当に使い道とかも考えずに、目の前で起こっているこの素晴らしい変化というんですか、インスピレーションをとにかく撮りたいっていうだけで、特に思わけというかこうしたいっていうのはなかったんです。
で、僕が思うのはやっぱり今までその2つの仕事ってのがあったとして、1個目の仕事、僕にとってはジューリーを作るっていうのが第一の才能として、そういったビジネスとしても27年やらしてもらってるんですけど、2つ目の仕事っていうのにあたってやはりその第二の才能っていうのを見つけて、それを最大限使えるっていうのがポイントだと思うんですね。
で、1個目の才能っていうのはもう自分のことでいいと思うんですよ。もう僕はこれができる、私はこれが得意みたいな形で、なんかそれをもうひたすら見せびらかすまでレベルまで持ってって、僕のクリエイションはこれだっていうのでいいと思うんですね。
で、2つ目の仕事っていうのはやっぱりその年齢とともに僕たち今44じゃないですか、それから50、60になるにあたって、その年齢のパーセンテージだけその2つ目の仕事に使えるようになっていったらいいなと思うんですね。
例えば僕が60になったら60パーセントの時間はその第二の才能に使うっていう感じ、考え方なんですけど、その第二の才能っていうのはそれまでの自分が私がっていう不正的な訴求じゃなくて暴政的な、なんかこれをすることによってそれを見た人がどう感じるだろう、それがその人の世界にどういった影響を及ぼしてどういった行動に移させてくれるのかなみたいな。
なんかそこに僕が一番惹かれてるのがあって、その映像っていうのはその目の前で起こってる友達、友人、知人のそのこんなことやってるっていう人を撮って、それを見てもらって、僕でさえ元々はそういう画が強いっていう意味でそういうクリエイティブななんとかっていう部分で、なんか僕自分でさえインスピレーションを受けてこう報道に打ちそうって思えるんで、
そうですね、きっかけっていうのを本当にいろんな人に見てもらったら、なんかいろんなこう世界が変わるんじゃないかなっていう、なんか淡い期待というか、別に怒らなくてもいいですし、怒ってくれたら嬉しいですし、なんかそこにワンチャンなんかこうフォーカスしてみたい、なんかかけてみたいっていう部分はすごくあって、今でもそうなんですけれど、
そうですね、2つ目の才能を見つけて、それを使って、母性的にそれを見てくれた人に対してどういった影響が及ぶのかなっていうのが僕にとってすごく興味のあるところですね。
なるほど、今の話自体がすごく興味深いんですけど、個人的にやっぱりちょっと面白いなと思ったのが、その僕ら今44歳でこれからね、僕もね、今日は僕の話に対して聞かれますけど、僕もまあやっぱりね、こうやってリンクするとかすごい多くてね、今2つ目3つ目の新たな仕事というか、本来の魂の道みたいなところによりフォーカスしようとしている最中なんで、すごく他人ごとには聞こえないんですけど、
その中でずっとそっちに進みたいなーって思ってたものがやっぱり10年前ぐらいからあって、でその時のパーセンテージっていう話がすごく面白いなと思ってて、まさに35の時は35%ぐらいしかできてなくて、今44でようやくもうちょっとで半分いや逆転できるかもみたいなところが直感的に感じてたんだ。
今の直さんの話聞いてて個人的にはすごく驚いたんですけど、その年齢とパーセンテージの話っていうのは、なんか直さんが体感的に感じたものなんかどっからその話が出てきたんでしょう?非常にピンときましたね。
これもどこまで深掘りするかによるんですけど、それを多分前は外に求めてた、今でもそういうところあるんですけれども、外だけに求めてたっていう部分もあって、で、なんか目に入らなかったものっていうのは結構多かったんですよね。
ちょっと具体的に言うと、タンザニアでのプロジェクト、それはちょっと近藤直さんがそこでさっきの話でアムステルダムに会社を作って居住権を持ってってとこまで行ったと思うんですけど、じゃあ次どうするってなった時に、近藤直さんがタンザニアの敷地に土地を見つけて、そこに自給自足で暮らせる村を作ろうっていうプロジェクトをやることになったんですね。
僕はもう全く意図してなかったことなんですけども、その土地を買うって話に乗っちゃったんですよ。
それで土地の10%を買わせてもらって、部外社じゃなくて中からそういうドキュメンタリーを撮っていきたいなって思ったので、実際に自分も資本的に参加して、土地をみんなで共同購入して、
そこで現地の人とか日本からエコビレッジを作るプロの集団がいるんですけども、ゼロから建物を作れるみたいな感じで、ローカルで調達した、地元で調達した木材とかを使って、釘もないから紐で縛ってとかなんですけど、
それもさっき写真送らせてもらったと思うんですけども、あそこでは本当に構成的にインターネットないですし、携帯も使おうと思えば使えるんですけど、そういうロードマンドとかはない。
ソーシャルメディアもない、ネットフリックスもない、もちろんテレビもないし、電気も水道もガスもない、カフェインもない、砂糖もない、アルコールもないっていうもうないない尽くしの場所があったんですね。
で、そこに行くまでに僕はもうお酒も飲むのやめてて、砂糖も食べなかったし。
ここですかね、これ近藤直さん。
そうです。で、そこではソーラーでパネルで電気は作れるので、水も井戸を掘って、これも漁をしに行くシーンなんですけど、網で引いて魚を取ってとか、あとは食べれる植物を採集してとか、なんかそういう本当にもうゼロに近いところから異色獣を調達するっていう話だったんですね。
本当にもう強制的にない状態なんで、資本主義社会、特に先進国にいると、朝起きて、コーヒー飲んでクロワッサン食べて、SNSチェックして、会社のインターネットつなげて、ケーキ食べて、お昼休み行って、またコーヒー飲んで、おやつ食べて、夕ご飯食べて、お酒飲んで、
ネットフリックス見ながら、ソーシャルメディアチェックして、みたいな感じで、それをまたリピートするわけじゃないですか、次の日も。常にそういう何らかのアディクションっていうんですか、中毒の中に行っちゃうんですよね。
で、そのタンザニアではそれがもう強制的にない状態で、僕はアルコールとか砂糖とかはもう全部食べなくても大丈夫だったんですけど、小麦とか乳製品とかそういうのも全部立てていったんですけど、コーヒーだけは多分やられないだろうなって思ったんですよね。しかもタンザニアじゃないですか。
一番で。
けど、コーヒー朝起きに飲むのに、まず井戸から水を汲んで、その井戸っていうのが結構海に近いからちょっとエブを含んでるんですよね。それを浄化して、小枝を集めてきて、火を起こして浄化した水を鍋に入れて、沸騰させてコーヒーが飲めるわけなんですね。
もうちょっと正直それがあまりにもめんどくさいくて、コーヒーのない生活っていうのを送れたんですよね。
僕が思ったのは、そういう暮らしをずっとしようっていうんじゃなくて、一旦そういう中で生きることができたら、また先進国東京なりロンドンなりに戻ったとしても、すごく大きな自信になると思うんですよ。
確かに。ないものを知ってるわけですからね。経験してるわけだから。
やろうと思えばできるっていう自信っていうのがすごく大事だと思うんですね。やろうと思えばソーシャルメディアもお酒もなんでも立つことができる。
ほんとそうですね。
そうなった時、その自信っていうのが結構日常生活に与える影響っていうのは少なくないっていうんですかね。
そんな中で一個ボーナスだったのは、そうやってノイズっていうんですかね、中毒ってやっぱりノイズだと思うんですよね。
砂糖、甘いものとか、やはり食べると血糖値がスパイクしたりとかして、どうしても体が正常に保てないっていうんですか。
もうそういうない生活に慣れてしまうと、そういうノイズが入った時の体の反応っていうのが本当に面白いほどよくわかるんで。
で、そうやって今まではセイクの幸せっていうんですかね。
なんかこう明かりを灯そうと思った時に、高校とそういう人工光が灯ってる中で、なんか自分の世界っていうのがあった。
今でも普通、それが普通だと思うんですけど、今の時代だとね。
それらを一個一個消していくイメージですね。
一個一個その人工の光を消していって、一旦もう真っ暗になった時に、光ってるものって何なんだろう。
自分の中でそういう灯るものがあるのかなっていうのが、その時に経験できたプロセスだったんですよね。
なんかある種の断食、ファスティングみたいなもんだったかもしれないですね。
あれこれ意外と食べなくてもなくてもっていうね、物がいっぱい。
物理的に本当に食べ物だけじゃなくて、メタファーとしてもね、あったんじゃないかなっていう。
本当にその通り。物理的にもそうですし、精神的にもそういう。
考えてみれば、そういうフェイクの幸せって本当に安いもんなんですよね。
なんか砂糖にしても、お酒にしても、なんかせいぜい1万あれば相当高級なものが手に入る。
けど自分の幸せって、1万円っていうのがちょっと切ないですよねっていう感じで。
そういうフェイクの幸せじゃなくて、本当の自分にとっての幸せっていうのは一旦性能を全部消してみないと、なんかわからなかったなっていう部分。
なんかそうしたら、今までのそのワイト島でも暮らし、なんかそういう成功っていう中では、
そういうさっきも言ったように、ターマンガとかフェラーリとかそういう明るさマンガとは違うとはいえ、
一つの成功像みたいな、そういうカントリーライフとか家があって、アンティークがあって、
なんかそういうのですら結構自分たちの中ではフェイクの、フェイクとは言いたくないですけど、
なんか一つの変える幸せだったんだなみたいなところですね。
なのでそこからの脱却ですかね、既存の幸せからを、それはそれでいいんです。
それで幸せであれば、特に何をする必要はないと思うんですよ。
それで一生そこで終わってもいいと思うし、たぶん僕もそういう離婚とかがなかったら、
そういう既存の幸せの中でワイト島の小さなエリア、
村長になるか市長になるかわかんないけど、せいぜいその程度っていう話で、
その島に来る人だけハッピーだったらいいねみたいな感じだったと思うんですよね。
ただそういうのはなんかうまくいかないから結構やっぱり人生は面白いなって思えて、
そういうのを一旦リセットして、次の本当になんか次の幸せ、既存の幸せと、
次の幸せっていうので、その次の幸せは何だろうって思った時に、
一旦そうやって全部こう消灯、電気を消して、
残ったものっていうのがそのインスピレーションを人に伝えて、
そこで起きる次の世界っていうのを見るのが、
僕にとって今これ以上なく振り立たせてくれるっていうか、
興味深い分野ですね。
そこで繋がりました。そこで、
本当に一つ一つだけで一晩ぐらい話を伺いたいんですけど、
今まだ宮城っていうところと南伊豆っていうキーワードをもうちょっとだけ、
少しだけですけど伺いたいなと思うんですけど、
南朝鮮上から行くと南伊豆が先なんですかね、どうなんだろう。
そうですね。タンザニアでのプロジェクトも一段落して、
次はどうするってなった時に、南伊豆で家を買って、
そこで自給自足できるコミュニティがあったらいいよねっていう話で、
ヨヘイさんもいらっしゃって。
実は伺いました。
そこで新たなエコビデジのプロジェクトが始まるということで、
僕はやはりドキュメンタリーを作るにあたって、
beforeとafterっていうのは必要なんで、
そのbeforeを取りに行ったんですね。
そこの家っていうのが、大体大正時代から明治後期から大正にできた家で、
結構大きな大黒柱とかあって、開口を買ってた屋根裏とかもすごくいい状態に残ってて、
ただその前に住んでた家族っていうのが、
普通に考えればあるあるなんですけど、
若い世代は田舎を出たら戻らないって空き家になるっていう典型的なパターンで、
そのbeforeの状態に行った時に、本当に切なくなるほどの状態だったんですよね。
裏山から水が常に流れてくるリッチだったので、
もう下から湿気で腐ってるものがあって、
床板が去って、その上に乗ったタンスが自重で沈んじゃってるような状態だったんですね。
住んでた家族も本当に昨日まで暮らしてて、
消えてその状態が十何年残ってたみたいな感じで、
下駄箱の中には靴が全部並んであって、
全部カビで覆われてるんですけど、
子供の目覚まし時計とか、
おばあちゃんが見てたビデオテープ、
紅白歌合戦とかレーベルに貼ったビデオテープとかがあって、
洗濯場は外から植物のツタが屋根の隙間から入ってきて、
洗濯機がツタで覆われてて、
台所には使い古しの醤油のボトルに賞味期限は2007年とか書いてて、
醤油で2007年賞味期限ってことは、
その段階、その方たちがその家を離れた時は、
多分2002年とかだと思うんですけど、
20年近く、本当に昨日まで暮らしてたっていうような状態で、
誰も片付けに来ようとさえしないみたいな感じで、
すごい物悲しい状態ですね。
ポテンシャルはあったんですけど、
そういう作りとかはね。
ただ、残された状態、
本当に昭和って常に物質を旅行に行ったらお土産を買ってきて、
それを茶の間の裏に飾ってとかそういう感じじゃないですか。
ビデオテープ、そういうビデオカメラがあって、
そういう一般の家にそういう機器が普及して、
それを持つことが良しとされた時代で、
それらが全てそのままの状態で捨てられた形で残ってて、
それを見た時に、これは多分また早送りする癖が出てきて、
これは僕の実家の将来だなって思ったんですよね。
それを見た時に、もうこれは嫌だなって思えて、
僕は宮城で生まれて、
高校は国立高校で市の関というところに行って、
15の時に家を出てるんですよ。
15の時から寮生活して、
18の時からロンドンでイギリスで暮らしてるっていう感じなんですけど、
子供の頃って学校と家っていうのが2つの大きな世界で、
自分たちの世界っていうのも家と学校しかないって言ってもいいくらいじゃないですか。
仮に学校で人間環境とか成績学院までうまくいかない、
家で誰かとうまくいかないってなると、
もうそれで世界の終わりに見えてしまうことってあると思うんですね。
本当そうでしたね。
で、例に漏れず僕もそうで、
やっぱり学校でもうまくいえず、
家にもなかなかちょっと自分の居場所を見つけ切らずで、
そういうこれが本当の世界なのか、
それとも世界っていうのはこれはただ僕が見ているだけであって、
世界っていうのはその裏にもっと広がっているんじゃないかっていうのが、
その時に12、3ぐらいの時だったんですけど、
11かな、その時にその質問がずっと僕の中にあったんですね。
果たしてこれは今見えている世界が本当の世界なのか。
なのでそれを本当の世界っていうのを確かめたくて、
次に進みたかったっていう欲望が、願望がすごくあったなと思うんですね。
で、そのためにはやはりそういう育ったコミュニティじゃなくて、
誰もが寮生活なんでみんないろんなところから来るんで、
なんかそこで世界を見たかったっていうのがあったと思うんですね。
で、その国立高生っていうのが大体高校3年と大学4年を走って2ではっていうのが学校なんですね。
で、15で僕は早生まれて3月生まれなんで、入った時はまだ15なんですけど、
大体みんな16で20歳で卒業するんですけど、
僕たち就職氷河期の終わりなんですか、わかんないですけど、
結構就職が大変な時代だったと思います。
で、国立高生を卒業すると基本的に大卒程度のことはできるんですけど、
給料は半大卒で済めるじゃない。
なので企業にとってはもう本当に取りたくて取りたくてっていう条件が揃ってるので、
1人に対して多分5社とか求人が5社を下回ることはなかったと思うんですよ。
で、それで落題さえしなければ絶対に就職できる。
例えばNECとかF2とかそういう大きな会社に絶対就職できるっていう感じだったんで、
しかも15から3位制なんですよね。
で、必修とか必修じゃないとかっていうのがあって、
大体みんな落題しなければいいっていう考えだから、
その必修の科目だけ授業出て、
残りはアルバイトしたりパチンコ行ったりとか競馬行ったりとかっていうそんな世界なんですよね。
ほんと15、6の時からそんな感じで。
で、体育の授業とかにゴルフとかがあるんですよ。
で、やっぱり就職したら上司にゴルフ連れてかれてっていう世界だからゴルフをできなくちゃいけないとか、
もう本当にサラリーマン養成学校みたいなところだったんですね。
で、そこでまたやっぱり質問が始まるわけなんです。
これが僕の求めてた、なんていうんですか、思ってた世界なのかなみたいなところで、
なんとなくちょっと先が見えてしまったというか。
人生がたぶん2回だったら1回ぐらいはそういう就職して、
どこまで昇進できるかやってみるのも試してみるのも面白いかなと思うんですけど、
残念ながらやっぱり人生は1回しかないんで、やっぱりそこを先が見えた時点で、
やはり次の、なんかやっぱりそこに昇進っていうのが出てきちゃったと思います。
本当に世界とはこれなのかみたいな感じで。
で、18の時に区切りが高卒っていう感じなんですかね、のもあって、
で、イギリスに留学、語学留学ですけどね、
ロンドンに1年、休学っていう形で親には休学っていう風に言って、
1年経ったら帰ってくるっていうことで、
で、ロンドンに1年間行くっていう建前で行ってたんですけど、
僕は出た時はもう絶対もう帰る気とか一切なかったので、
そこから26年経つんですけど、
ロンドンにはなんかその自分に思ってた、なんか世界っていうのは本当にこういう世界なんじゃないか、
こういうものなんじゃないかっていうのがやっぱあったんですよね。
なんかそういうロンドンという街にいろんな国の人が集まるわけじゃないですか。
その前は国立高生の寮にいろんな地域の人たちが集まってきた。
で、その次はそのロンドンにいろんな国から人が集まってきた。
なんかそこにはなんか僕は世界を感じたんですよ。
本当ですね。
なんか答えが見つかったような気がしてたんですよね。
今また話をすごく進めると、
今の段階っていうのはロンドンの中で見た世界っていうのは、
また本当に現実に実在する世界ではないっていうことに、
まあ当たり前ですけど、
例えばロンドンのコリアンタウンがあって、
そこで韓国料理を食べたからといって韓国を知ったわけではないじゃないですか。
確かに。
ここに例えばエストニア料理店があって、
そこにエストニア料理、
ロンドンにいろんなそういう人種とか料理があるんですけども、
そこで見た世界っていうのは、
ロンドンにある世界の中での世界であって、
実際のそういう世界ではないっていうところですよね。
ありがとうございます。すごい。全部繋がった感じでまだまだお話ずっと聞いていたいんですけど、
そのドキュメンタリーが来年の春公開を目指して今。
いいなと思います。ただ一個ちょっと大変なのは、全ての料品にしても機材にしても全部ジュエリーから持ってきてるものなので。
そうですよね。
そうそう。ドキュメンタリーでお金を得ようとするとまた作りが変わってくると思うんですね。
エンターペイメントにしなくちゃいけないとか。
いろんな利害関係者も見たりとかね。
なのでそういうのを一切排除したかったので、全てそういうジュエリーで金銭面は全部バカになってるんで結構大変ですよ。
ただ思えば一生の中でこれだけ条件が整った中でそういう活動できることって多分滅多にないと思うんですよね。
幸いにも両親も元気だし、子供も8歳、9歳、12歳で大きいし、おむつ変えたりとかする必要もないし、
福岡、福岡、自分の一人の時間も結構多いので、これだけ材料も揃って集中できる環境が一生の中で訪れることって本当そうそうないなっていうのが正直な感想なので、
そこですね。めっちゃ結構大変なところはありますけど、すごく大きなチャンスかなという形で。
楽しみですね。
ありがとうございます。来年の春を目指してということで、東京オカマで公開予定のプロフィールにはありましたが。
そうですね。まさか40歳過ぎてここまでまた自分のやることにこんなにエキサイティング。
だって年表2100年まであるからまだまだあと3つぐらいあるから。
でも今その話出てきましたけど、そういう意味では今まさに2つ目というかね、そこを生きてる本当に楽しい時だと思いますけど、3つ4つとか、なおさらことが実は2100年までの中で何か他にも職業っていう形か分かんないですけど、
何か他にも道、もう少しキーワードであんのかななんて勝手に想像しちゃったんですけど、もしあってかつ差し支えなければ何か教えてもらうことできますか?抽象的でもいいんですけど。
そうですね、2つあって、1個は結構若い時に誰から聞いたか本で読んだか分かんないんですけど、何か人は2回死ぬって言われたんですよ。
1回目は本当に自分が死ぬ時で、2回目に死ぬ時っていうのはもう人々が自分のことを語らなくなった時に2回目死ぬって言われて、何かその通りだなって思ってたんですけど、
今そうやって思い返すと、日本での自分っていうのは何かどっかのタイミングで一旦こうリセット、死ということを使うのはちょっと大げさかもしれないですけども、
もう一旦リセットしてもう未練はないっていう形でロンドンには来たわけなんですね。で、ロンドンで思い描いてたそういう幸せっていうのも一旦そこで終わったんですよね、今回その2020年に。
で、今は何か第3回目の人生を生かさせてもらってるっていう感じなので、そのリセットっていうのがいくつあるかによって何回人生生きていけるのかっていうのが結構ポイントなのかなっていうところですよね。
で、もう1個っていうのは、僕まだあの遺伝子検査とかはまだやってないんですけど、SNPSってやつですよね、たぶん余計算されてますよね。
そうですね、はいはい、SNIPS。
あれまだやってなくて興味あるんですけど、そういう物質的な体のDNAとしての傾向も一つなんですけども、マインドとしてどっかで頼まれてもないのに世界のことを考えたりとか人のことを考えたりとかする人っているじゃないですか。
いい意味でですけどね。
僕もたぶんそういう方向に入ってると思うんですよ、何かやるにしてもこれが世界にあたる影響はこの動画これを見たらどう、やっぱり世界は変えられないから、それを見て、けどその見た人の中の世界っていうのは変えることができるわけじゃないですか。
それが少しずつ増えるともしかすると現実世界もちょっとだけ変わるかもしれないと思うんで、世界っていう言葉が今日何回口から出てきたかわかんないですけど、その世界っていうのを見るにあたって頼まれてもないのに世界を考えてしまう遺伝子っていうんですかね。
なんかそういうふうに考えて行動できる人と、もう極端な話、ワイトトーで家持ってコミュニティがあってもう私は僕はこれでもう人生オッケーみたいな。
いるわけじゃないですか。それはそれですごくいいと思うんですよね。全然全く問題ないと思うんですけど、残念ながらかこうか不幸か僕はやっぱりそこでは収まりきれなかったので、そういう遺伝子なのか、それって持ってる人と持ってない人がいるのか、それともみんな持ってるけどそれが起きる人と眠ったままの人がいるのか。
っていう部分にはすごく興味があって、そこをスイッチをもしみんなが持っててオンかオフなのであれば、それをオンにする何かのきっかけっていうのが人によって違うと思うんですけど、それが経済破綻とか結婚生活の破綻だったりとか偏差だったりとか、何かわかんないですけどそういうきっかけがあってオンになってまた次の世界が始まるっていうんだとしたら、
なんか今回その僕が第二の才能としてドキュメンタリーを作っていくにあたって興味があるのはそのスイッチを少しでも多くの人がオンにできるものなのかっていうところがすごく興味がある。
おもしろいですね。そんななおさんまた次お話をこうやってパブリックに伺うときにまたどんなアップデート変化があるのか本当に楽しみなんですけど、本当に最後なんですけど、なおさんのこれからのプロジェクトとか普段の動き、さっきSNSとは意外と頻繁にってイメージはないんですけど、
どうやってなおさんをウォッチとか直接のコンタクトも含めてですけど、どんな感じで皆さんこれ見た方、距離なんて言ったらな、アクセスできるんでしょうかうつみなおに。直接でもいいですしもちろんこう何かそういうSNSなんか。
そうですね、まだ受け皿はちょっと用意してないんで、まずはロンドンのラスト。
LUST、LUじゃなくてRUか。間違えました。
RUSTでラストの方でそこがまずどっか買いになってくれたらいいなと思います。
で、一見ジュエリーとそのドキュメンタリーって全く違うんですけど、なんか僕の中では多分どっかでリンクすると思ってるので。
でもやっぱジュエリーも世話で結婚指輪とかこういう祝福するためのジュエリーっていうのが多かったんですね。
で、やっぱり始めた時からジュエリーっていうのは富の象徴にもなりかねないもので、けど古代からあるものじゃないですか。
そうですね。
王公貴族でなくても、例えばそういう普通の人にもなった身につけたらそこには意味があったからつけれたと思うんですね。
例えばそういう狩人最終の時代に捕まえた動物の肉を食べて怪我を起きて残った爪とかを身につけたとか。
で、そこには特にそれで何かできるわけじゃないからきっと精神的な意味がないとつける意味がなかったと思うんですね。
太陽祈願だったりとか家族の健康でも何でもいいんですけど、なんかそういう思い意味があったからジュエリーっていうのは存続できたっていうのが僕の根底にある意味なんですけど。
それが今その結婚指輪とか意味がセレブレーションですか、祝福するためのジュエリーっていうのがやっぱりメインだったんですけれども。
やっぱり20何年やってるといろんなライフスタイルの変化があって両親が残念ながら亡くなられたとか。
最近は生まれたばかりの子供が3日で亡くなってしまったのをそのメモリアルとしての指輪をオーダーしに来たっていうリピーターっていうんですか。
このカップル3年前に会ったなと思ってまた会ったら、今回オーダーする指輪には3日で亡くなった子供の名前が刻まれてるんで常に身につけたらいいかなとかっていう。
なんかそういうセレブレーションっていうか、そういう祝福だけではなく思い出すとか、そういうまた別な意味で身につけるお客様も結構多くて。
そこなんだよなっていうところですね。