大会の準備と現状
スピーカー 2
では、大会プロデューサーの石川弘樹さんに来ていただきました。
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石川です。よろしくお願いします。
スピーカー 2
ちょうど今、100マイルのサウナさんがスタートしたところですけども、まずはどうですか?今のお気持ちは。
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そうですね、ほぼほぼ1年かけてレース準備しているので、本当に終わった後からまた片付きもしながら翌年に向けて準備をしているので、
まずはスタートができたというところでホッとはしています。
スピーカー 2
天気も良くて。
スピーカー 1
今日は暑いぐらいでしたね。
スピーカー 2
花火がきちっと上がって、最高の雰囲気で皆さんスタートしていかれました。
スピーカー 1
良かったです。
スピーカー 2
1年間ずっと準備してこられて、ついにという気持ちなんですね。
スピーカー 1
新越は今年でも14回目ですよね。
スピーカー 2
2009年からだと思うんですが、今回の大会について何か、今回違うこととか?
スピーカー 1
実は新越五学というレースは、毎回マイル4マイルさんは気候変動のせいじゃないんですけども、いろんなコースが崩れたりとか、どことこがいろんな理由で通れなくなったりとかして、
110キロやってた頃は例年同じようなコースでやってたんですけど、やっぱり100マイルをやるようになって、毎年いろんなコースを変更しなきゃいけなくなってしまって、
今年も数箇所変更があって、道を作ったり、木開いたりとかしながらね。
スピーカー 2
整備の様子がね、Facebookとかに上がってましたけど、あれは崩れたから。
スピーカー 1
今回はね、違う理由でコース変更をして、
なので、昔使われてた道を掘り起こしたりとかしながら、また新たな魅力なコースができたと思ってます。
スピーカー 2
なるほど。変更の内容としてどういうふうに変わったんですか?
スピーカー 1
まずですね、大きな変更としては、地震打橋という110キロで言えば非常に厚い石川沿いを走り抜けた先、100マイルであれば80キロ先、先超えたところですね、90キロ近いところで、
今まで使ってた自然歩道を使うんじゃなくて、昔使われてた子どもたちが山に遊びに行ったりとか、スキー場に抜けてたっていうような道があって、またちょっと新たな魅力なコースができたんですけど。
なるほど。じゃあ、より魅力的なトレイルがあったんで、そちらに付け替えたみたいな感じですか?
アメリカでの影響と今後の展望
スピーカー 2
なるほどね。大会もだいぶ年を重ねて、14回目ですし、始まってからもう15年。
スピーカー 1
そうですね。コロナがあって少し休みましたけど。
スピーカー 2
どうです?石川さんとしては、お気持ちとしては今どういう存在になっているんですか?
スピーカー 1
そうですね。次のステップをどうするかっていうこともなんとなく考えてはいますけど、自分の中では僕自身がというよりも、僕の立場としてやらなければいけないことがたくさんあって、それがちゃんとできていない部分もあったりして、
それを自分の中で全うするために、今年もあれができなかった、これができなかったなっていうこともあったりするので、翌年にそこをやり遂げられるようにはしてはいるんですけど、
あと大会運営としてもっとスムーズになったり、あとはみんながもう少し楽になれるようなとか、やっぱりこの大会かなり少ない運営本部ではやっているので、そういったところのスタッフがもう少し楽に当てたりスムーズに、スムーズにはやれるよう努力はしているんですけど、やっぱり大変な部分が非常に多いので、
他の大会も100マイルとか長い距離になると運営スタッフが寝れないとか、そういうのもあったりして大変ではあるので、そこはもうどうしようもない部分もあるのかもしれないですけど、やっぱり運営していく上では毎年後半生程を生かして、次に良くしていく、場合によっては楽になっていくっていうようなことが大切だと思いますので、そういったところは考えていかなきゃいけないなというふうに思います。
スピーカー 2
なるほど、できるだけスタッフの方が負担が減るように。
スピーカー 1
そうですね、それは毎年の課題です。
日本の中の100マイルレースの特徴としては、ペーサーがついたりだとか、最初からサポートがあったりだとか、あとはちょっと走りやすいコースっていうところが特徴としてはあったと思うんですけど、そういうコンセプトってこれからもずっと続いていくっていう。
でも浸透しましたよね。だからペーサーとかトレラーニングレースでペーサーがついたり、アシスタントがついたり、エイドステーションですごいいろんなボリュームのあるエイドステーションが出てくるって、やっぱり新越が作り上げたものだと僕は思う。そこで僕が表現したところだと思いますので、それが日本のトレラーシーに広がっていったと思いますので、そこはこれまでやってきて良かったなというところではあるので。
スピーカー 2
なるほど。最初は110キロから始まって100マイルにっていうことで、だんだんコースを整備されていって、100マイルが生まれてっていうところで今こう来てると思うんですけど、今後って何か更に考えられてることとかはあったりするんですか?
スピーカー 1
なかなかね、今日本人の選手の方の参加で店員がフルにすぐ埋まってしまう、ありがたいことに埋まってしまう部分があるので、もう少し今外国人30人くらい来てもらってるんですけど、それは全然海外にPRとかそういうのしない中で口コミとかそんなところで海外の選手が来てくださってるので、
もう少しこう外国の選手たちにも来てもらって、こういった場所があるんだよ、こういったトレールがあるんだよ、こんなレースがあるんだよっていうのを知ってもらうための、そんな部分、海外に向けた発信っていうのもやるべきなのかなっていうふうに今思っています。
ただでも課題としては、今日本の選手の皆さんが出たくても出れない大会になっているので、そこで外国人の方を増やせば日本人を減らさなきゃいけない部分もあったりするので、そこはもう考えなきゃいけないところではあるので。
スピーカー 2
店員を増やすとかそういうところはあんまり。
スピーカー 1
逆に僕は規模としては、自分がアメリカのレースを走ってきて、小規模で内容の濃い大会っていうのがやっぱりやりたいレースでもあるので、増やしたいっていうことは考えてはいないですね。
スピーカー 2
もともとアメリカでたくさんの100枚レースを走られてきたっていうのは、
スピーカー 1
いろいろ経験させてもらいました。
この大会の背景にあったと思うんですけど、石川さんご自身としては、アメリカでたくさん大会に出られたものというか、あの体験っていうのはどういうところが大きかったんですか?
まずはトレランニングっていう山を走るアクティビティが、本当に庶民化、一つのアウトドアスポーツとして市民権を得てるなっていうのが印象としてありましたし、
レースなんかも山のレースだからっていう垣根がなくて、誰でもランニングの延長で走れる、楽しんでるっていうシーンがあって、
フィールドの環境っていうか、北米はヨーロッパと違ってトレッキングとかハイキングっていう日本でいう登山、ヨーロッパで言ってピークへ上がってくるところがトレイル入る魅力じゃない部分があると思うんですね。
言ってる意味わかりますかね。
要はアメリカだと何々トレイル、ロング何々ロングトレイルとか、トレイルの名前がついてて、トレイルを歩くことが一つの魅力なんですよ。
日本だと登山だから何々山の山頂に登りました、何々大気に行きましたっていうのが一つの山の楽しみのメインじゃないですか。
でも、この人たちはここからここまで移動することが楽しいんだよっていうことなので、そうなってくるとトレイルの作り方が起伏のあるところは逆にかわして、歩きやすい道を作るわけですよね。
だから、要は歩きやすいイコール、トレイルなんらかしたら走りやすいなので、走っていて、日本の九州の山が嫌いってわけじゃないですけど、やっぱりきついところは走れる人にとってもきついじゃないですか。
だけど向こうの場合は緩やかな走れるところだから、ゆっくり走れば本当にファンランになるし、速く走れば逆にきつい。レースであればきついことになるし、その選択肢がすごい多様化してて。
僕がアメリカに前半、2001年とか2002年にアメリカに行き出して走り出した頃っていうのは、本当もう日本でかなり走り込んでいたつもりなのに、足をつりまくったりとか。
だからもう、起伏のあるところを走るんじゃなくて、もっと緩やかなところを走り回らないとアメリカのレースは勝てないなみたいなところもあったりして、ただでも見方を変えれば、本当に肩の力抜いても楽しめるコースがあって。
ある意味、そこを僕は見てきて楽しんできたの。楽しんでというか、影響を受けてきたので。だから日本でも、例えばこの新越5枠に関しては、100マイルっていう距離走ってもピークっていくつあるか知ってます?
160キロも走るのにピークがいくつあるかはご存知ですか?
マダロー山ですよね。マダロー山、ケナシ山、墓間岳、その後はもうしばらくずっとなくて、壺岳っていうところがあって、その後はもうずっとしばらくなくて、最後はメロー山。
5つしかないんですよ、ピークが。100マイルも走るのに。そうなんですよ。
なので、それ以外は良さそうなの。緩やかなところをちょっと走り続ける。緩やかって言うと、参加してる選手に、緩やかじゃねえんじゃないかって怒られるかもしれないですけど。
適度なアップダウンはありがながら、アメリカ走ってた時のような、フレッシュであればどこでも走れるようなコースを選んでレイアウトをしてるつもりではあるんですよね。
スピーカー 2
それ、その選手として出られていた時も、やっぱりそういうところに惹かれてアメリカのレースに行かれてたんですか?
スピーカー 1
そうですね。なんかこう、ファンランで走ればとにかく気持ちよくずっと楽に走り続けられるし、レースであれば走り続けられる中でのバチバチした戦いみたいな。
なるほど。
そんなところが僕は楽しかったですね。
アドベンチャーレースからトレラーニングへ
スピーカー 2
そもそも2000年代にあれだけアメリカのレースに出られていた日本人っていうのはほぼいないと思うんですけど。
スピーカー 1
海外レースに行ってた。トレーラーなんかもそもそもその当時いなかったので。
スピーカー 2
そうですね。ちなみにそれはなぜそんなことになったんですか?
いろんな方が聞かれてると思うんですけど、あの当時に。
スピーカー 1
僕がトレーラーを始めたかとかって。
スピーカー 2
あれだけ、あの時期にたくさんアメリカのレースに出られていた。
スピーカー 1
もともと僕はアドベンチャーレースをしたくて、学生時代の。
こんな世界があるんだって言うんで、そのアウトドアのシーンにこう足を踏み入れたんですよね。
2000年、僕は24歳、5歳の頃に始めたアドベンチャーレース。
いわゆるEast Windっていう田中雅人さんのチームのものを叩いてですね。
そこでしばらくはアドベンチャーレーサーとしていろんな海外に転選していて、
ただそのチームに入るのにやっぱり自分の肩書きじゃないですけど、
何か人に負けないものを作りたいなっていう思いもあって、
当時の山岳レースにいろいろ出て。
それが僕的だったんですか?
自動産競争とかも出てましたし、ただ走り始めた期間はまた別にあるんですけど、
そういう話は多分もっと話の時間が長くなっちゃうんですけど。
ただアドベンチャーレースから今度やっぱり自分の一番得意とした山を走る、
トレラーニングにフォーカスして、戦いに行きたいっていう、
当然自分が世界でどれくらい戦えるか、アメリカっていう当時、
やっぱり情報量としてアメリカが僕はヨーロッパよりも多かったので、
行ってどこまで自分が戦えるかっていうのと、
やっぱりそのトレラーニングっていう山を走ることの経験をして、
いろんな極めたいなっていうか、
トレラーニングっていうことをいろんなところ走ったり、いろんな人と走ったり、
いろんな走り方をしてみたりして、山を走るっていうことを極めたいなと思って、
まずいろんなところへいろんなレース行ったり、いろんな人と走ったりしてきたんですよね。
それが2001年とか2002年で、
まずはその情報量としてまだ足を踏み入れた、情報量としてはいろんなレースがあって、
いろんな人がいるけれどまだ走ったことない、そういったところへ行って、
身を投じていろんなものを見ていきたいっていうので、
行き始めたのがそのぐらいの年なんですよね。
スピーカー 2
あの時期にね、それってそれだけのたくさんのレースでやってた方もいなかったと思いますし、
その知見を生かしてこの新越っていうレースを作られて、
これまでずっとやってこられたっていうので、
スピーカー 1
日本のトレラーニングの文化ができてきたとは思うんですけど、
スピーカー 2
どうですか?進捗としては?
トレランニングの広がりと課題
スピーカー 1
でもね、今すごいですよね。
スピーカー 2
すごいですか?
スピーカー 1
本当その人口の増加率、トレラーニングの人口の増加率というよりも、
本当にこうある意味でも目指してたところ、
トレラーニングっていうスポーツが日本の中でも市民意見を得る、
きつい競技じゃなくて、
一つのアウトドアのレジャースポーツとして、
若い人も女性も走れる、山を走って遊ぶっていうものになってきたと思うんですよ。
それはすごいなと思ってて、
ただレースがここまで、今400ぐらいレースあると思うんですよ。
ここまで増えるとは思わなかったですよね。
スピーカー 2
じゃあそこはもう想像以上にレースが日本でたくさん生まれて、
人口も思ったより増えているような印象ですか?
スピーカー 1
いろんなところの調べで言うと、少し前の話で、
しかもやっぱり20万人、30万人いるんじゃないかっていう情報もありますし、
それってすごいことだと思うんですよ。
スピーカー 2
そうですよね。
じゃあそこは想像以上の広がりを見せているという印象なんですね。
スピーカー 1
だからある意味でもレースが増えすぎてるっていう言い方をしたら、
また語弊があるかもしれないですけど、
その分増えてくれば、いろいろレースの選択肢も増えるから、
出る出ないがあると思うので、
いろんな運営者としては、いろんな難しい部分が出てきたりするのもあって。
スピーカー 2
ランナーの取り合いみたいなことですか?
スピーカー 1
選手も選択肢がたくさんありすぎて、
なかなかいいレースにたどり着けない人もいるんじゃないかなと思ったりして。
スピーカー 2
じゃあその辺が課題というか。
スピーカー 1
課題というには思ってないですけど、
よりもっと組織だった日本のトレランニング界になっていくんだろうなって、
いろいろ今、僕はそこには動けてないんですけど、
働きかけてる人たちもいるので、
たぶんちょっと情報でいくと2032年、
トレランニングっていうか山走り競技がオリンピック種目になるんじゃないかっていう話も出たりはしたりしてるので、
そこに正式に決まるのはきっとね、
またいろんなジャンルの人たちがまた山を走り出すようになるでしょうし、
またそこに対してはいろんな組織作りもしていかなきゃいけないでしょうし、
そうなってくると本当にオリンピック種目になっているのは、
いろんな大変さとか難しさも出てくるし、
でも意味ではそのスポーツがよりもっと広まることもできるでしょうし、
スポーツする人、若い人もね、
サッカーとか野球が小さいから行われてるようにトレランニングもね、
今だいぶキッズたちのレースも増えてきたりして、
小さい地から子供たちが走るって環境もできてきましたけど、
そういう他のメジャースポーツに近い環境とか雰囲気っていうのが出てくるんじゃないかなって思いますね。
ただそれともなって、当然難しいことがたくさん出てくると思うんですけど。
大会運営と選手の様子
スピーカー 2
石川さんはトレランニング協会も関わられている?
スピーカー 1
トレランナーズ協会っていう主催者だったり、
ランナーで作るトレランニングの会の環境を守るっていうかね、
そんなところの協会で僅かに活動させていただいてるんですけど。
スピーカー 2
その辺のトレランニングっていうもの、スポーツそのものがオリンピックももしかしたらってところで、
さらに広がるかもってところですけど、石川さんご自身としてはこういうことをやっていきたいとか、
スピーカー 1
僕自身は今は昔も変わらないんですけど、やっぱりこのトレランニングってスポーツを健全に普及させたいっていうところが自分の思いなので、
一つの楽しめるアクティビティとしていろんな楽しみ方を伝えていく。
それが自分の役目だと思っていて。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
選手としてはもう今は?
スピーカー 2
フェアリートレイに出られてました。
身体はもうかなり走れるように。
スピーカー 1
そうですね。治ったっていうわけじゃないので、人工骨折っていう新たな、ある意味骨折の新品が入ったようなものなんで。
昔ほどのアスリートの走りはできないですけど、気持ちを走れるような体にはなったので、
トレランニングの楽しみ方っていうのを、昔は戦いながらもっていうところだったのが、今は楽しく走ることというか、
意思があるようなトレランニングの楽しみ方っていうのを伝えることができたらいいなっていうふうに思っています。
スピーカー 2
すごい大きな話になっちゃいましたけど、今回のレースで何か注目されている選手とか、期待していることとかっていうのは?
スピーカー 1
トップ選手は何も言わずしっかり戦ってくれる。
それを抜かれつつっていうのが、運営の本部としては、誰が行った、抜かれた、自衛隊に変わるのは、それは当然楽しみなんですけど、
まずは選手が安全に走ってきてもらうということばっかりが運営者としては。
ただトップ選手が本当にもうあのタイムであそこまで行ったんだとか、あそこでこの陣が変わったっていうのは、本当に興奮することではあるんですよ。
スピーカー 2
あそこもレースとしては見てるけど、やっぱり安全とかが気になるっていう。
スピーカー 1
そうですね。そこでまたどこどこで橋が出ましたとか、転倒した人がいましたとかっていう、当然無線が入ってきたりすると、そこでまた本部は緊張状態に入るので、夜も寝れないわけですよね。
僕はいろんなところを回りながら選手の様子を見たりして、いろんな報告をしながら僕はレースを追っかけていく感じではあるんですけど、本部にはいないでね。
スピーカー 2
先ほど各スタッフの班長さん、リーダーの方のビブス授業式みたいな。
スピーカー 1
キャプテンビブ。
スピーカー 2
キャプテンビブの授業式っていうんですけど、入らせていただいて様子を拝見したんですけど、まず驚いたのが結構リーダーの方だけでも30人ぐらいはいらっしゃって、全体でいうとどれぐらいの組織になってるんですか?
スピーカー 1
全体、ボランティアさんとかそういうのをやるともう400、500になると。
そしてリーダーの方もね、結構慣れてらっしゃる方っていうか、ずっとやってるっていう方が多いんですよね。
そうですね、でも100マイルになってからキャプテンのシステムを導入したので、だから5年ぐらいですかね。
スピーカー 2
その際に僕も一人一人声を掛けて、やらないか、やってくれませんかって言って。
でもすごい皆さんのまとまりの良さというか。
スピーカー 1
そうですか、それを感じていただけたら嬉しいですね。
すごいしっかりした体制を感じたので、だからこそのこの満足度の高い大会をやってるかなって思いました。
1位打ったら10位やってくれるの親父ばっかりだって。助かってます。
ボランティアと大会の魅力
スピーカー 2
なんかボランティアするのもなかなか競争っていうか。
スピーカー 1
一般のボランティアさんはそうですね、今出力権があるから。
スピーカー 2
割と大人気っていうことですけども。
どうしたらそんな風になるんですか?
スピーカー 3
そうですよね、他の大会さんとかだとボランティアさんに参加いただくのも結構大変なところも結構多いイメージがあるので。
スピーカー 1
そうですね。
そこはどう、こうだから人が集まるんですよってことは何か言えないですね。
まずは僕自身の中で自分がこの地域で走るんだったらこういうコースを走りたいってところでコースリアートを考えて。
走るんだったらこういうコンディションでこのトレイルを走りたいからこういうふうに整備をして。
大会の雰囲気としてこんな雰囲気の大会を走ってみたいからっていうので大会の雰囲気を作ってっていうところなので。
自分が走りたいっていうか、その思いで。だから自分が走れないのがすごいストレスなんです。
自分が一番走りたい大会を作っている。
そうなんですよ。
スピーカー 2
何かありますか?
スピーカー 3
そうですね。
IBUKI昨年からトラッキングで入れていただいていて、今回が200名の方がお持ちいただくような形になっているんですけど。
石川さん自体、こういう選手の位置情報が分かるとかそういったところってどういうふうにお考えなのかな?
スピーカー 1
それは一番というか、安全面も含めて。
選手がどこを走っているかっていうのは、それがモニターで見えるっていうのは、
そういうレースを追っかけていく上での運営としての魅力、選手の魅力でもありますけど、安全面とかそういったところ。
レースの楽しさと地域の協力
スピーカー 1
僕はそれを見ていて、応援に来ている人とかサポートに来ていたりとか、
あとはその選手を家で応援している人たちがそのモニターで見ながら、現地にはいないけど離れたところからでも姿は見れなくても、
動いてる動いてる、ここ行った、そこ行ったっていうのは、それはすごい魅力だと思います。
スピーカー 3
なるほど。今回も結構お知り合いにURLを送って見てもらっているという方とか、すでに応援のコメントとかも入ってたりとかして。
スピーカー 1
それは魅力だと思います。
嬉しいです。
スピーカー 2
じゃあこのIBUKIステーションは、親営通語学、応援している方とか関係者の方とかもしかしたらスタッフの方とか、
いろんな方が、あとは出場を考えられている、まだ来たことがない方とかも聞かれていると思うんですけど、
よかったら聞いている方にコメントを。
スピーカー 1
改めまして大会の実行委員長、プロデューサーをしています石川と申しますが、
親営通語学というレースは、トレーランニングっていう、山を走る、走って楽しんで戦うレースなんですね。
なので、トレーランニングっていうのは、いろんな楽しみ方っていうか思考があるとは思うんですけども、
走り続ける、走れるレースとして、非常に僕は魅力だと思ってますので、そういったレースをね。
きつい起伏のあるレースも、それは難易度としては高いんですけど、走り続けるレースだからこそまた難易度の高さって僕はあると思うんですね。
そういう魅力のコースの面白さっていうのを、ぜひ一度味わいに来てもらいたいなっていうのと、
あと親営通語学っていうこの5つの山が、連邦、要は3海ではなくて独立の方なんですよ、それぞれ。
その一大きな山々を眺めながら走れる景色、そのときの楽しさっていうのはまた非常にあると思いますので、景色と走る大変さ難しさの中のレース。
そしてまた地域の方々に本当に携わっていただいて、あと遠方ではあるんですけど、新潟、長野、いろんなところのランナーのコミュニティも来てもらって大会を応援してもらっているんですよね。
そういったスタッフの思いっていうか魅力も参加してもらえると伝わるかなと思います。いろんな意味で倒され方としては選手もそうですし、ペーサーとしてもそうですし、アシスタントとしてもそうですし、
あとは応援としてもいろんな形でまずはこちらに足を運んでいただいて、いろんな魅力を見ていただきたいなっていうふうに思います。
来ていただくと、こういう大会、こういう場所だからみんなこんな毎年一緒に来ていただく方がいたり、遠方から今日も沖縄から来ましたなんていう方が声をかけてくださったりとかするので、その魅力を伝えられるんじゃないかなと思いますので、ぜひ遊びにいらしてください。
スピーカー 2
まだ来てこないけど、この雰囲気を味わいに来てほしいですね。
スピーカー 1
本当にレース中の忙しいところ、長い時間ありがとうございました。
ありがとうございました。