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この家族の中での諸々みたいな話もあるじゃないですか、お父さん、お母さん、秀丸の関係性みたいな。
ここで言うと、Mikiさん、見てて怖いなーみたいなこと思ったことあるんですか?家族みたいなテーマで。
なんかこの小説って、例えばお父さんお母さん全く出てこなくても、なんか私なんとかなり得るのかなと思ったんですよ。
秀丸っていう人がいて、留学に行って帰ってきて、なんか黙々書斎で書いていたら、突然綾子内さんが来て話しましたみたいな。
同じように語れるところってあるじゃないですか。お父さんとお母さんが出てきた意味って何なんだろうなーみたいなことを読んでるときに考えていて、
もしなんかMikiさんが思ったことがあるなら聞きたいな。
お父さんとお母さん出てくる意味はめちゃくちゃあると思ってて、
お母さん目線で見た秀丸の描き方とかはすごい客観的だし、多分本当の他人からこう見えてるんだろうなと思ってて。
例えば帰国、ドイツに行く前は、なんかちょっと青白くて健康的じゃなくて心配だなって思ってて、
ドイツに行って帰ってきたら男らしくなってくるのか、帰ってくるのでは?って思ってたら、
結局、なんかそう何かものを案じていって、なんかいい加減に人に横対している感じがするみたいなことをお母さんは書いてるし、
1年経ったら、心からではなく人に目つぶしに何か投げつけるように小背を浴びせるみたいな書いてる。
本当にずっと人とちゃんと向き合ってコミュニケーションを取れないってお母さんの目から見えてたりとか、
結局この全然自分の中に閉じこもってて、家族と全然心通ってないなっていうのは思いましたね。
なんかそれ何も言えなく言えない。
それと僕こそ綾子さんとの、なんか差分中と言い方があれですけど、
やっぱり友人なわけですよね、この人ね。
はい。
なんかその人とはすっごい楽しそうに話してますよね、ひでまのね。
そう、なんか本当に先民思想が自然にあるみたいな感じ。
すごいたぶん行けつかない奴なんだろうなって私はひでまのことを思ってて。
はい。
絶対なんかこいつは話し通じる話し通じないとか勝手にカテゴライズして、
話し通じると思った奴にだけ早口でわーって喋って、
それ以外の人にはニコニコしてドイツはこうでしたよみたいなことしか言わないっていう、
超やばい奴だと思ってるんですよ。
綾子さんなんか明らかに頭の中に描いてるモデルいないですか?大丈夫ですか?
っていう行けつかなさとかを出すためにお父さんとかお母さんが登場してるんだなって。
なるほど、まともなお母さん、まともなお父さん、
両親と行けつかねえ息子と仲良くなっちゃった友人みたいな。
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カノヨウニのラストとかにも繋がるんですけど、
この人って自分の中で考えるだけで全然先に進まないじゃないですか、ひでまろって。
進まなさを出すためにいるのかな?
進まなさを頭の中でぐるぐるしている感じ。
親とかが出てこなくて友人と対話してるだけだと、
その人がすごい正しいように見えてしまうけど、
社会と接続している以上は人とコミュニケーションを取ったり、
自分がどう考えているかを開示していくってことがめちゃくちゃ一気に上で大事なことだと思ってて、
その要素が超取れちゃいますよね。
ひでまろ、確かに本読んで書いてみたいなことをずっとやって、
夜めっちゃ夜更かししてますみたいな生活スタイルですね。
しかも親の関連でぬくぬくといい、
最新の暖炉とかある部屋でぬくぬくと暮らしながら、
すごい恵まれたことをしているのに、
全然自分を他人に影響させようという気持ちがすごいない人じゃないですか。
その視点が欠けちゃうから絶対父と母は必要だったと思います。
なるほどな。
全然すれ違ってますよね。
お坊ちゃまだから誰もそんなこと言わないし。
お父さんお母さんは、
お父さんは何だか思いとしては、
さっきみきさんが最初に言ってくれたみたいに、
とりあえず将来家ついてもらうし、
一般教育があればいいから海外行ってきなよみたいな、
行かせて、
そんなに深く物事を考えなくてもいいじゃんと思ってるわけですよね。
ドイツにいる間に息子が宗教についての長い手紙送ってきたけど、
これあんまり考えてほしくないから話題にしないでおこうみたいな人ですよね。
あんまりいろいろ返信書かないでおこうみたいなやつありますよね。
お母さんは大丈夫?体調は大丈夫?ご飯食べてる?みたいな。
人当たりのいい家人になって帰ってくるかと思ったら、
いつまで経っても表層的な取り繕ったようなコミュニケーションしか取れなくて、
大丈夫かなって思ってる。
自分この家の秀丸だったら結構同じスタイルで落ちてしまう可能性あるだろうね。
秀丸だったらこの家にいるの超辛いだろうなと思ったんですよ。
主尺の家にいるとか、それで恵まれてるとかっていうのは、
家のようにの極地みたいな状態なわけじゃないですか。
貴族というか分からない、人間平等であるはずであるが、
とりあえず優れた家柄であるみたいな前提の中にいて、
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お父さん的にはその主尺でそのまま続いていくから安心してよ、
みたいなことを思っているんだろうなっていうラディと、
家族っていう、家のようにの極地みたいな集合の定義があるわけですよ。
何をもって家族とするかって結構難しかったりもするじゃないですか。
のぞみさん的にはあんまり家族っぽくない家族だなって思ってる?
家族っぽくない家族、超家族っぽい家族だと思うんですよ。
お父さんお母さん。
逆にはまってる家族ですよね。
お孫ごとみたいな家族ですよね。
ある種息子っぽい役割を演じなきゃいけないわけ。
演じることを期待されている秀丸じゃないですか。
それ大変だろうなと思って。
それっぽい役割を演じているほうがいいわけですよね。
主尺としていいやり方をしておくとか、
この家の息子っぽいやり方をやっておくとか、
お父さんお母さんに望まれるやり方を、
笑顔が張り付いてくるみたいな表現もあるじゃないですか。
それとか完全にやってますよね。
お母さんモードでやってますよね。
お母さんモードでやってるわけですよ。
辛そうだなみたいな。
大変なんだろうなみたいなことを思っていて。
いくつかの、
なんて言ったらいいのかな。
私が読んでいて思ったのは、
家族っていうものが出てくるのは、
家のようにっていう考え方がいかに日常の普通のところには
ポンポン盛り混ぜられてるのか。
家族ってこうだよねとか、
お父さんお母さんってこうだよねとか、
他人の期待ってこうだよねとか。
実世界に投射する上で家族ってすごくいいテーマっていうか、
みたいなことを読んでてめっちゃ思ってましたね。
親は親ですっごいナチュラルに子供に期待投影しますからね。
ね。本当にね。
親って子供に期待していいものみたいなルールがあるかのようにね。
高校ぐらいのタイミングで、
私、両親からの期待がゼロになったんですけど。
そうなんですか。
いやー楽になりましたもんね。
明確に大丈夫、もう期待してないかなって言うと、
よかったみたいな。
いいですね。いいご両親ですね。
いいのかな。
わかんないですけど。
結婚して結婚するんですっていう、
相手をパートナー連れて実家に帰るじゃないですか。
両親からその妻への感謝がすごいんですよ。
もらってくれてありがとうみたいな。
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ありがとう。
よかったね。素晴らしいと思うよ。
いいご両親ですね。
ウチの両親は全然まだまだ超期待されてますね。
対未期期待はどこに出るんですか。
彼氏つくり結婚しろ安定した仕事につけたい。
3本マシナー。
全部ないから、仕事すぐ辞めちゃうし。
多分今私がよくわかんない仕事をしてることもあるし、
安定した彼氏になさそうなのもあるし、
結婚全然考えてなさそうなのもなんだろうって思ってると思います。
そういう時にウチさんは両親とどう振る舞うんですか。
ひでまろのごとく笑顔を顔に貼り付ける。
私もそういう時にお母さんモードを作って、
お母さんモードで対応してるんで、ひでまろとりすぎないって思いました。
意外と自分の振る舞いを見ると。
本当に笑顔貼り付けて本当そうだよねみたいな。
私も本当に結婚とかしたいと思ってるんだけどさみたいな。
思ってないけど。
結婚したいかのように振る舞う。
結婚をすることをした方が人生が幸せであるかのようにコミュニケーションする。
そういう仮面便利ですよね。
かのように仮面。
そういうふうにみんなが今はこのかのようにを使ってて、
いわなくて各々が各々のかのようにで本当に生きてる。
だから日本の政治とかそういうのが極地だなって思いました。
各々の政治家が自分のスタンダードをかのようにに振る舞った結果、
今があれでしょって思っちゃいます。
そうね。かのように便利だからな。
演劇の中でこのかのようにと通廷しているテーマを扱った時に、
例えば参加している人が、
もし具体的にこういう感想があったんですとかがあれば言いたいなと思うんですけど。
自分がちょっと取り出される感じがして面白かったですとか普通に言われます。
取り出される感じ。はいはい。
演劇と展示の融合体みたいな感じで、
演劇を見たり展示を見たりした後に、
自分について問われて、
例えばあなたは自分の言葉をどれくらい好きですかとか、
あなたの遺伝子の中で一番役に立つものは何だと思いますか?
遺伝子の中で役に立ちそうなものを?
はいはい。
みたいな質問があって、
しかもそれは自分でフリーワードで書けなくて、
決められた単語群があって、
その中から無理矢理ひねり出してこれかなっていうシールを貼らなきゃいけないみたいな
仕組みの展示だったり。
無理矢理ひねり出すみたいな感じをやっていくうちに、
自分がちょっと取り出されるみたいな感覚が生まれてきて、
面白かったですっていう風に言ってくれた方がいて、
そういうそれ系の質問がたくさん。
あなたは自分のことがどれくらい好きですかとか、
あなたがもし変身できるとしたら何になりたいですかとか、
あなたが今でもわからないものは何ですかとか。
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なんか一個一個の質問で。
ちょっと考えちゃいますね。
ちょっと考えちゃいますね。
一個一個の質問で、
これまた夜前に行くパターンだな、髪持って。
その質問リストいいですね。
そうなんですよ。
すごい考えて、
Yes、Noとかでもなくて、
オープン、次もしなくて、
でも普段考えなくて、
でも絶対自分の中に答えがあってっていうような質問って何だろうっていうのを考えて。
しかもそれをフリーワードで書けないっていう、
よくわかんないタウンウォークの中から右に左に出すっていう、
選べない苦しさとかもある中でやるっていう。
今回のかのようにっていうのって、
つまり何か前提を置いて考えるっていうことだと思うんですよ。
で、私学生の時一緒にリベートをやってたんですね。
リベートをやる時にとにかく強いのって、
アサンプションカットっていう、
相手が考えている前提から切り崩しにいくっていう、
あなたがそれを言うっていうのは、
つまり前提にこういうことを考えてるからで、
その前提は義であるっていうことを言うと、
根本からグーって相手の主張が崩れていくので、
それはめちゃくちゃ有効なんですよ。
だから何かそういう問い、
何を持ったかっていうと、
そういう質問を通じて、
自分ってこういう前提を持って世の中を見つめてたんだなとか、
自分が持っているある種のビリーフ、信念とかって、
正しいかどうかって検証できないしする必要もないんだけど、
それが事実じゃなくて前提だよなっていうふうに、
ちょっと距離を置いてみることがめちゃくちゃ大事だなと確かに思って、
そういう質問をされていくと、
自分にはこういうビリーフがありそうだな、
自分はこういう前提を置いて世の中を見てそうだなとか、
そういうのが出てきそうですよね。
あの人のことを敵だと思ってそうだなとか、
そうなんです、結構違うんですよね。
あなたはこれを許せますか、許せませんかみたいなやつとかも聞くと、
許せる、めちゃくちゃ許せるって人とめちゃくちゃ許せないって人がいたりとかして、
ほんと人の価値観ってさ、まだまだなっていう。
例えばその許せる許せないの幅が広かったものだと、
例えばどんなのかですか。
例えば、歩道を歩いてる時に、
自転車がシャーってすごい近くをシャーって通った時に、
それは快不快なんですけど、それをどれくらい不快ですか、みたいな。
私はどっちでもないっていうのが普通にニュートラルなんですけど、
すごく本当に不快って人もいれば、
元気そうでいいなって思うみたいな快みたいな人とかもいて。
全然わかんない。
意味わかります?質問の意味はわかります?
質問の意味はすげえわかって、
快の人の快の感じ方が全然わかんない。
元気でいいなって何だよ、それみたいな。
元気だなみたいな感じもあるらしいんですよ。
すげえな。
そのくらいバラつきがあって面白かった。
へえ。
自分のことをどれくらい好きですか?
辞書にして、
好き、嫌い、
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愛してる、愛してない、深い、狭い、みたいな。
違う違う。
深い野菜と広い狭いだ。
だから、浅く狭く愛してるとか、
深く広く愛してるとか、
深く浅く愛してるとか、
深く狭く愛してるとか、
浅く広く愛してるとか。
自分を?
うん。
これマジバラバラですからね、みんな。
へえ。
深く狭く愛してるって人もいれば、
浅く広く愛してるって人もいれば。
自分を、
例えば深く広く愛してるってのは、
どういう状態、心持ちなんだろうか。
それはおのおの持ちようでいいですけど。
こっちでは決めないっていうか、
自分はどう思ってるかをただ聞いてるだけ。
へえ。