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2023-09-19 26:57

吉野源三郎「君たちはどう生きるか」 #2

映画ではなく、戦前に書かれた原作のお話しです。こちらは文句なくすばらしです。


#↓サマリは生成AIくんががんばってくれています。

  • おじさんとの対話で、英雄的精神と人類の進歩について考える。

  • 英雄的精神だけではなく、それが人類の進歩に結びつくかどうかが重要。

  • 世の中が英雄的精神や人類の進歩に対して必ずしも理解があるわけではない。

  • 戦争の時代背景において、英雄的精神と人類の進歩について書くことの勇気。

  • 浦川くんというキャラクターが、消費するだけでなく生産する人間であるという評価。

  • 現代社会では消費が重視されがちだが、生産と労働も大事。

  • アメリカと世界についての認識が変わった経験。

  • 就職活動を通じて、社会と繋がるリアリティに気づく。

  • 病院での体験を通じて、人それぞれが抱える問題や病気に気づく。

  • 高校野球の開会式で、全員が3年間練習してきたと感じる瞬間が印象的。

  • 空港は自分が誰でもなくなれる場所として存在しているという社会学的観点。

  • 電車や就活中に、他の人々もそれぞれの生活や仕事があると気づく。

  • いろんなものが多くの人の手によって作られているという認識。

  • 鉛筆ができるまでにも多くの人々が関わっているという話が印象的。

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全然そこ覚えてなくて、なんなら私、おじさんとコペルくんがずっと文通してる話っていうふうに覚えてましたからね、なぜか。
ただ手紙がずっとやり取りされてるっていう記憶で残ってましたからね。文通なんてしてなかったっていう。
これ、君たちはどう生きるかっていうものは、一応、なんて言うんですかね、三人称視点。
主人公コペルくんなんですけど、コペルくんはこう思ったとかっていうのを、ただこう、三人称視点で書いていて、
で、間にちょくちょく、おじさん一人称のノートみたいなのが入っているっていう構成。
おじさん、すげーいいこと言いますよね。年齢的におじさんこれだって20…
もうちょっと上か。でも結構若いですよね、おじさんね。
でも、おじさんって、コペルくんのお母さんの弟じゃないですか。
お母さんの弟。
で、たぶん、お母さんが小学校、高学年か中学生ぐらいの時に、小学校、低学年だったみたいな記述があるから、お母さんの5歳下ぐらいだと思うんですよね。
なるほど。だとしたらそこそこなのか。
だから、コペルくんが中2とかで14歳ぐらいだとして、
そうじゃ若いから、20前半年だとして、お母さん30代半ばぐらい。だから30歳ぐらいじゃないですか、おじさん。
なんかね、大学出たての法学部出たてみたいな感じの人ですもんね。
もしかしたら、若くして産んでるのかな。わかんないけどね。
年下よ、あのノート書いてる人。
え、たしかに。
どうする?
年下か。
一番最初のノートはあれですよ。
老いに対して物の見方についてって書いてるんですよ。
君の物の見方いいねっていうのを、
中学ぐらいのやつに文章で書く30歳どうすか?
でもなんか私そこに対して素直にいいおじさんだなとか思わなくて、
やっぱり大人になったから、
コペルくんの老威力の高さみたいな、老いの力ね。
ネビューとしての力の高さにちょっと注目してしまって、
これはすげー気持ちよく物を言えるだろうなみたいなことはちょっと思っちゃいましたね。
その老威名っていう時の老威力ってこと?
ネビューの力ってこと。
先輩後輩でいう後輩力みたいなところをすごく感じたってこと?
だからそういう先輩風みたいな、おじさん風みたいなの吹かせやすいだろうなって思っちゃいました。
おじさんにノートなんなら書かせてやるぐらいの受け入れ力がコペルくんあると。
あるから、船も走ったでしょうよみたいなことをちょっと思っちゃいましたね。
なるほどね。
ちょっといろんな確かに、コペルくんヒントっていうかね、きっかけ挙げてますもんね。
デパートの上から東京見て、いろんな人がいるなーみたいな話したりとか。
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こうなんか、わかる?このスイッチ入っちゃう感じ。
ちょっと一言言うたろかーのね。
だからこれが、吉野源澤はすごいですよ。
何も具体的なターゲットもないまま本を書こうって思うから、
吉野源澤はすごいけど、コペルくんのおじさんは、まあまあコペルくんいたよね、みたいな。
おじさん風吹かせたいよね、みたいな思ってます。
なるほど、なるほど。
どっちかって言うと、コペルくんの引き出し力がノートにつながってるんじゃないかってこと?
つながってるんじゃないかと思いました。
全然私も、おじさんの言ってることあんまり頭に残ってなかったもんなー。
うーん、やっぱ人によって印象に残ってるところ全然違うんですね。
だから私タイトルで、君たちはどう生きるかっていうものとセットで考えた時に、
もう完全にガッチンスタンスですからね。
誰が何と言ってもこうだって思えるものを見つけなきゃいけないなーっていう記憶の仕方。
一応そのタイトルに応えるっていうスタンスで言ってますから。
それで言うとやっぱりガッチンスタイル。
へー、面白い。
読んで誰が何と言ってもだなと思った結果、
周りの人たちからいろんな進路のこととか言われるわけですけど、
もう完全に無視して自分がやりたいように大学院に行き、
自分がやりたいように就職活動しましたもんね。
ガッチンスタイル。
いいですね。
お互い多分いろんなメモがありますけど、どの辺から話してきます?
みきさんからでしょう。おすすめみきさんから。
この本を全体を通した感想としては、
子供の時は多分素直にコペル君側の目線っていうか、
おじさんの言ってることとかがそういう風に生きていかなきゃいけないなとか、
人と人が関係するってこういうことなんだなとか、
目の開くような気づきをこれから獲得しながら生きていきたいなみたいなことを多分思ってたと思うんですけど、
今回お互いと改めて読んだ時に思ったのは、
やっぱりこのおじさん風ふかしてんなーって言ったコペル君は大威力が高いなーっていう、
ちょっとおじさん寄りの目線になってたっていうのが面白かったですね。
言ってる内容どうこうじゃなくて、
こういうことが言って言われる関係の方に目が向いたのが、
今回この2023年のこの瞬間におけるみきさんのこの本読書の第1巻だとね。
それが何でそこに向くかって言うと、
やっぱりもう言ってることが先ほどののぞみさんもこういう本好きなんですね。意外ですって言ったように。
もうちょっと素直に受け取れないんですよね。
おじさんって多分友達とか親友にこういう話ってしなくないって思うんですよ。
人間と人間がぶつかるときに嘘はついちゃいけないよなみたいな話で、
多分酒の時とかでは絶対しないでしょって。
これは老いの関係だから、まだこの瞳のくすんでないこの子に言おうって思ってるわけじゃないですか。
やっぱりそういう関係性じゃないと言えないことが詰まっているなっていうふうに感じましたね。
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確かに親父からはこれ言われたらうざいっすもんね、ちょっとね。
ちょっと濃いよね、なんかね。
友達に言われてもちょっとどうしじゃないですか。
確かにね。確かに。
今回そのコペル君はお父さんが亡くなっていて、
お母さんとお手伝いさん何人かで住んでいるってところにおじさんがいて、
ちょこちょこ遊びに来たり遊びに行ったりするっていう中で、
おじさんがいろんなこと言ってくれるっていう関係ですもんね。
俺おじさんからなんか言われたことってねえなあ。
いやほんとに。
あと私の周りには独身のおじさんがいなかったですね。
そう。
独身のおじさんじゃなかったらそのおじさんたちも誰かのお父さんだから
ちょっと自分の子育てに手一杯じゃないですか。
私お父さんになっちゃうじゃないですか。
確かに。
だからその独身のおじさんとして、だから言えることだよねっていうふうに思います。
確かに思うと私おじさんじゃないんですけど、
その父親が高校だった時の先生っていう人がいて、
で言ったら親父が18だった時に先生だったわけですから、そこそこの年齢の人がいて、
中学ぐらいの時になんか親父とその人が毎晩なんか電話してるんですよ。
楽しそうに酒飲みながら。
で、親父も教員になって、その人も教員なので、
すっごい2人で楽しそうに話をしてる。
その電話の終盤になんか突然変われって言われて、
週に3回ぐらいその親父の先生って人と話し、
のぞみくん、大学はね京都大学に行くべきだよって延々と言われる。
その人ね、たぶんここで言うこの本のおじさん感はありましたね。
そう、なんかその人本当は芸大に入りたかったらしくて、
芸大か油絵なんかやりたかったんですけど、
三郎ぐらいしてあかんくて、
で、そのまま諦めて社会科科なんかの先生になって、
長野県で先生やってましたっていう人で。
三郎って諦めづらいね。芸大で三郎になってて普通だもんね、確かに。
そうよ。でもさ、その人長野出身なんだけど、
長野のさ、金がない人にとってはそんなんも大変じゃない?
そうだよね、体力の問題だよね。
そうそうそうそう。で、周りで一緒にやれる人もさ、長野だとそんなにいないでしょ。
で、先生になって、結局校長科なんかまでやって、
終わった後に京大の芸術系の大学院かなんかに入り直して。
うん、京大にそんなのあるんだ。
そう、あるらしいのよ。
行って2年ぐらい勉強して、
その後1年に1回ニュージーランドかなんかに行って絵描いて帰ってくるっていう、すっげー楽しそうな生活しててさ。
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で、その人から電話がかかってくるっていうのを言ったんだけど、
確かにその人はここで言うおじさんっぽい感じがするね。
学問はいいぞ、みたいな。勉強がいいよ、みたいな。
話をめちゃくちゃされた思い出が今よみがえってきたね。
おじさんはいなかったけど、あの人はここで言うそういう立場だったのかもしれないね。
なんか間違っちゃいないけど綺麗すぎるみたいなことみたいなふうに思っちゃいました。
このおじさんがここで言うことを今となっては。
だからそれをちょっと嫌な言い方すると、おじさん風邪吹かしてますねみたいな感じ。
確かにね。
うん。
でも私も吹かせたかった。
私も言いたいなって思った。
今、私妹とか子供2人いて、メイト多いいるんですよ。
だからもう中学生ぐらいだったら、その時までちゃんと太ってない、いい感じのおばさん像を保って、なんかかっこいいこと言いたいって思いました。
うざいと思われない感じでこれ書くのなかなか難しいですよ。
だから先にまずお財布とかを買ってあげてから言うみたいな。
え、なにその、イルカに芸を教えるときみたいなこと?
餌をあげて一緒に、なるほどね。
物で釣っていくって形ね。
さぞかし気持ちいいだろうなみたいな。
言いたいっていうか、もしそういうことを堂々言えたら気持ちいいだろうなみたいな、やっぱりそういうちょっとひねった目線になっちゃいましたね。
なかなか世の中そういう風になってないじゃんみたいなこととかの方が感じてるから日々。
まあそうだね。
そうそうそう、だからこんなまっすぐに言えないよみたいな風に思っちゃうから、それ確かに名に向けて言うからっていうことだったら言えるよみたいな。
いやなんか逆に私は読んでて日常生活がそうなってないから、なってないじゃない、なってないから、逆に真剣にこういうことをやりたいなーみたいなことを思ってた。
うんうん。
なんか序盤の方にあった、立派そうに見える人はたくさんいるけど実際に立派な人って多くないよねっていうのとか、いやほんとそうだなーとか。
あとはその水谷くんか何かのお姉ちゃん、勝子さんっていう人が出てきて、多分当時としてはもう何て言うんですか、画期的な女性ですよね、家庭に入ることなんて考えておりませんみたいな。
ズボンを履いてるみたいな驚くシーンありましたからね。
ゴリゴリ男の人の輪に入ってきて言いたいこと言うみたいな。
で、その人が英雄的精神を持たなきゃダメだみたいな話を、ナポレオンの話を引いてするシーンがあって、まあそれもすごくいい話なんだけど。
お姉ちゃんはナポレオンの彼が達成したこととは何かみたいな話をするシーンの中で、戦争に勝ったとかそういうことじゃなくて、人類の進歩に結びついたからナポレオンは素晴らしいみたいな話をするんですけど。
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お姉ちゃんが言ってた、とりあえず英雄的精神でいけみたいな話と、おじさんの人類の進歩だよねって話と、掛け合わせて人類の進歩に結びつかない英雄的精神は虚しいと。
一方で英雄的な気迫を書いた善良さ、これもまた虚しいよねって話をした時に、あ、超わかるみたいなことを思ったりするのは。
でも、人類の進歩に結びつく英雄的精神なんてことを発揮できる社会の環境なんてほとんど現実世界でないわけじゃないですか。
ないんだけど、そうだよなっていうのを心にしっぽり感じる、そういうナイーブな心を私はまだ持ってるので。
かっこいいな、いいなみたいな。やっぱダメだよな、どっちも持ってないとみたいなことを思いながら。
確かに比較的真っ直ぐに読んでしまったですね。
確かに何かを成し遂げる時に、それは成果そのものがすごいっていうよりかは、大きな時代の流れとかに乗っかってるからすごいんだ、尊敬に対するんだみたいなことを言ってましたね。
それはそうだなって思いましたけど。
あとがきまで読んで素晴らしいなと思っていたのは、もともとこの山本雄三っていう人がこの高橋玄三郎さんに書きませんかっていうわけですけど、戦争ど真ん中なわけじゃないですか。
私も読みました、こういう時代に書きましたっていうの。戦前だったんですね、出撃したの。
でもこういう時の空気感なんてもう、戦争で勝つでイエーイなわけじゃないですか。
多分ハイパー検閲もあっただろうし、そういう中で何を書いて何を書かないかみたいなことってすげー難しいと思うんですけど。
なんて言ったらいいんだろう。
人類の進歩と結びつかない英雄的精神が虚しいって。
私が戦争の時の軍事系の人だったら、速攻検閲対象だと思うんですよ。
英雄的精神は善であると。英霊として国民はみんな戦っていくのであるみたいな風になりがちじゃないですか。
だからその、人類の進歩ですよって言い切るのって、今この瞬間はちょっと寒いなぐらいで済むと思うんですけど、
タイミングを考えるとすごい勇気のある記載だなと思って、なかなか気持ち込めて書いてあったんだなっていう。
勝ってる時期だから検閲引っかからなかったけど、下り坂の時だったら速攻発見だったでしょうね。
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確かにね。確かにね。
そして37年かなんかですもんね。だからもうちょっといって、41年、42年とか、
難しい、ど真ん中の戦争になると難しいでしょうね。
もう多分、今日本がやってる戦争を否定みたいな、なんで禁止ですかなってかもしれないですよね。
そうだよね。
文章の中に非国民っていう言葉が出てくるっていうのもすごく勇気のある、
時代の思想の潮流に抗おうとした著者の勇気がありますっていうのも、
あとこの後書きで書かれていて確かに本当にそうですね。
確かに。
時代背景まで考えると、味わいが何重にもなる本だなぁという感じですね。
うん。なんかもうすぐ100年経つってことに結構びっくりしてますけどね。
1937年とかだか、あと10年、80何年くらい経ってますよね、それ、バクトンから。
すごいね。
そう思いました。
すごいな。
これ最初の方に海人さんも言ってた粉ミルクの話だったよね。
あとはその浦川くんの話の時におじさんがノートの中で書いてる、
君は消費ばっかりする人間だけど、浦川くんは消費する人であり、あるいは学ぶ人でありながら、
実際に実家の豆腐屋を手伝いながら産薬を切って作ってるわけだから、生産的な人間であるんだと。
それをどうこういうタイミングじゃないけど、浦川くんって立派な人だよって話すシーンがあると思うんですけど、
経済学をやっていた人間からすると、このタイミングってやっぱりすごい生産っていうものに重きが置かれた時代なんですよ。
学問として。
ものづくりっていうことをしてる人っていうのがすごく偉いし大事だし、あるいは生産っていうことに係る労働者っていう観点が、
社会の役割として、それってすごく尊くて大事なことだよねっていうことが言われていた時代。
今ってどっちかっていうとこの需要側、いかに人が物を欲するかとか、経済の中でもどうやって需要を喚起するかっていうことの方が主眼があるわけですけど、
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この時って生産とか労働とか、そういうことを中心にいろんな物事が考えられていたんだよなっていうのも、
この中に語られる網目の関係っていうところにすごく思うところのある本でしたね。
なんかこういうこのココナミルクがこんなにいろんな関係者がいて巡り巡ってきてるんだとか、東京ってそんなに人がいるねみたいなこととか、
そういう体験って私も子供の時あったなって思って、
世界ってアメリカしかないと思ってたけど、アメリカ以外にもめちゃくちゃ国があるってことに気づいた時に、
アメリカだけじゃなかったんだ!国って!みたいな。
え?どういう流れ?
まずアメリカがあるってことに気づいたわけだ?
そうそう、結構テレビとかアメリカアメリカみたいに言うからさ。
ここは日本でアメリカがあるってことだけ知ってて、世界っていうのはアメリカのことだと思ってて、
そうしたらアメリカ以外にもめっちゃ国があるって気づいた時に、あ!世界!みたいな。
結構パッて広がる感じがあって、それ結構本当に小学生か幼稚園かくらいだけど、かなり幼い時にパッとしたっていう気持ちがあって、
そこからあと先、もうだいぶ後なんですけど、就職活動をしている時に、
メニュー説とか会社のメニュー説とか受けて、電車に乗った時に、
え?もしかしてこの電車に乗っているサラニー・ワンフォースたち、全員ずっと働き続けてるってこと?みたいな。
初めて気づいた。
どこかで会社として働いて、労働をして生み出してるってこと?みたいな。
ずっとそれより続けてきてるってこと?みたいなことで気づいた時に、
パッて社会と繋がるっていうことについてのリアリティみたいなものが落ちてきたことがあって、
野澤さんもそういう体験ってあります?
ええ、そうね。なんかやっぱりいろんな、すごくまずあると思っていて、
ポジティブなことっていうよりかは、例えば、初めて大きい病院に行った時に、
すごいたくさん人がいるじゃないですか。
ここにいる人の数だけ病気があるんだって思って、すごい恐れおののいた経験があって。
大した病気なく起きてる人もいるけどね。
すごいじゃないですか。
確かに。
大した病気じゃない人もいるかもな、みたいなことは全く思えず、
全員ががんか脳卒中かみたいな、大変な人たちがいるな、みたいなことだったり。
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あとは、高校野球の開会式?
あの甲子園の予選ちょうど8月とかに、甲子園の全国大会、8月にやってましたけど、
県の予選とかでも開会式の時、全チームが並ぶみたいなイベントあるんですよね。
そこに参加して並ぶわけですけど、
全員死ぬほど3年間練習してきたんだな、みたいなことを思った時に、
喚起はまるっていうシーンがすごいありましたね。
確かに確かに。
あと、ちょっとこれも違うかもしれないですけど、私空港とか駅とかすごい好きなんですよ。
みんなが違うところから来て、みんな違うところに行くじゃないですか。
それすっごい好きなんですよ、私。
網目を感じるんですよ。
いろんな人がダイバーシティだなんだって言いますけど、
私、空港とか駅ぐらい、ダイバーシティを感じるところはなくてですね。
みんなが違うモチベーションで、当然違う人で、
違うところから来て、違う場所に行くわけじゃないですか。
最高、最高ですよね。
みんながもしかしたら空港がなんとなく好きっていう理由に移ったら、
今のお店が言ったようなことを感じてるからっていうのがあるかもしれないです。
あー、そうね。
先月か先々月ぐらいに読んだ記事で、
なんで人はみんな空港だと朝から酒を飲んでしまうのかっていうタイトルの記事があって。
確かにちょっと分かるなと思ったんですけど、
社会学者かなんかが空港っていう場所は非場所であると。
そうそうそうそう。
いろんなところに行くと、職場とか自宅とか、
そこには私自身っていうものとすごく紐づいた何かがあるけど、
空港に行くと自分が誰でもなくなれる場所として空港が存在しているっていう。
だからこのコペル君でいうところの網目の中のただの一つのポイントとして自分が存在されるから、
そういうものを体験できる場所として空港っていうのがありますみたいなことが書かれてて、
めっちゃいいなあ、その通りだなって思ったんですけど。
空港はミキさんが言うところの、
就活中の電車の中とか、
そういうことを感じ、ちょっと違うかもしれないけど似たようなことを感じる場所かもしれないですね。
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確かに、場所が定義されているってことはその場所にいる人の役割も定義されるっていうことと、
確かに繋がってますもんね。
空港は場所じゃない、非場所だからそこにいる人も非存在というか、
その役割が定義されないっていうのはあるかもですね。
確かに確かに。
ミキさんも中高の時、学校に行く時に電車に乗ってたわけじゃないですか。
乗ってました。
その時にはそんなに思ってなかったわけですよね。
この人たちは働くんだなあみたいなことは。
全く思わせなかったんですよ。
ただのミキさんの人生のモブキャラだったわけですね。
いるなあ、今日もいっぱいいるなあっていう。
しかしリクルートスーツに身を包んで。
スーツで就活とか始めて、
この電車だってどこかの企業が作ってるんじゃんみたいな。
ここに乗ってる人たちも絶対どこかの会社に行ってるんじゃんみたいな。
当時は絶対通勤だったから、毎日行って帰ってるってことじゃんみたいな。
この服もこのペンもこの紙もどこかの企業が作ってるってことじゃんみたいなことに
ハッてこうなる瞬間がありましたね。
コペル君は粉ミルク以外のものもあらゆるもので
そう考えてみるっていうシーンがこの本の中にもありますもんね。
これもそうじゃん、あれもそうじゃんっていうのを考えたら
ちょっと授業中ぼーっとして先生に怒られる。
怒られちゃうっていう。
いいシーンですよね。
うん。
確かになあ、そういうシーンがあるんだなあ。
だから粉ミルク的世界観をコペル君はもう中2とかで獲得してるけど
私はその第4まで気づけなかったっていうね。
うーん。
そう考えると本当に仕事ってたくさんありますよね。
いろんなものっていうのがいろんな人の手によって作られてるんだもんなあ。
本当に。
小学校の時に読んだ国語の教科書で
みきちゃんのとこにもありました?
鉛筆ができるまでっていう。
あったかもあったかも。
半分に割ってシーン入れてピッてやるやつ。
あったかもあったかもあったかも。
多分日本国民に一番有名なスリランカ人が
ポディマハッタヤさんだった時代があると思うんですよ。
あれの黒鉛彫ってるおっさん。
あれ読んでた時と同じ。
そうだよなあって繋がって
木の部分をアメリカのトレーラーを輸送する人がいてみたいな。
感じる鉛筆なんて一本の小っちゃいものができるまでにも
いろんな大人が必死に働いてやっているっていうのは
そうだよなあ。素晴らしいなあと思う何かですね。
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