2020-01-08 10:00

#13 ドイツ領邦

今回は、ドイツという名称を中世ヨーロッパの時代背景から説明いたします。論述でも良く出るポイントかと思うので、まとめてみました。 
<受験キーワード> 
領邦、神聖ローマ帝国、金印勅書、ウェストファリア条約、アウクスブルクの和議
<制作>
出演:オルタ・百合城 
プロデューサー:富山真明 
制作:株式会社PitPa

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こんにちは、ゆるしろです。
こんにちは、おるたです。
今、私たちがドイツって聞くと、ドイツっていう国を思い浮かべると思うんですけど、
ドイツっていうのは、今はドイツっていう地域が統一されてるんですけど、
昔は、ドイツっていう言葉は、ゲルマン人が住んでた地域を表す言葉で、
フランク王国の時代からあった言葉なんですよ。
ということは、少なくとも1000年以上前からあるんですけど、
今のドイツという地域が、最初に統一されたのっていつか知ってますか?
シンセイローマ帝国。
だと思うじゃないですか。
でも、シンセイローマ帝国って、皇権制で、いろんな諸皇が権限が高くて、
しかも、だんだん分裂していって、統一国家としてのドイツとしては、ちょっとまだ甘かったというか、
全然統一されてなかったんですよ。
一番最初にドイツが完全に統一されるのは、1871年のドイツ帝国の誕生なんですよ。
プロイセンの王が退官して、それでドイツ帝国が生まれるんですけど、
ドイツという言葉は、1000年以上前からあったのに、
なんでずっと統一されなかったかっていうと、
ドイツは昔から両方っていう主体が強くて、あまりにも強すぎて統一できなかったんですよ。
この両方っていうのが何かっていうのと、両方がどれだけ強いかっていうのを表す事件が3つあって、
これはよく二次試験とかの論述でも出るんですけど、
1356年のキンインチョクショ、1555年のアウクスブルグのワギ、
と1648年のウェストファリア条約っていう、
ウェストファリア条約は昔はウェストハーベン条約とかって言ったらしいですよ。
1648年ですよね。
今回は両方とは何かというのと、この3つの出来事を中心に、
両方がどれだけ強かったのかっていうのを解説していきたいと思います。
まず、さっきも出てきたんですけど、この話の舞台になるのが神聖ローマ帝国です。
神聖ローマ帝国は名前の通りローマって入ってるんですけど、実際はローマを持ってなくて、
ローマに憧れてローマって名付けたみたい。
神聖ローマ帝国はローマ教皇に即位を認められた皇帝が統治するっていう国家だったんですけど、
ローマへの憧れが強すぎるあまりに、北イタリアあたりの教会の司教とかを、
本当は教皇が任命するんですけど、イタリアの方に影響力を強めたいから勝手に教会に司教を皇帝が任命したら、
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教皇が怒って、皇帝を破門するんですよね。
アナンネ事件とか。
そうです。カノサの屈辱。
また12世紀から13世紀にあったシュタウフェンケ。
シュタウフェンケっていうのがイタリア政策に傾倒しすぎて、ドイツ本国の政治がおろそかになったり、
しかも最終的には皇帝がイタリアの南の方のシシリア島に行っちゃって、
それで本国が荒れて、しかも皇帝がシシリア島に行っちゃったから後継ぎもいなくて、
それで大空位時代っていう。
400年くらい続いた。
大空位時代って、空位って言っても名目上の皇帝はいるんですけど、
ちゃんと影響力を持った皇帝がいなかったっていう大空位時代っていうのが出来ます。
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それでその頃に生まれたのが一番最初に言った両法っていう単位です。
両法っていうのは皇帝が任命した諸皇とか子教が封建制で土地を持っていて、
独立政権、一種の独立政権みたいになってたんですけど、
それがだんだん分裂して300くらいの両法がドイツの中には生まれます。
だからドイツが、言ってしまえばドイツ連盟みたいなとこの中に300個の国があるみたいな。
この時はまだ完全には独立してないんで、国とは言えないんですけど、
ここでドイツ国内が荒れてて、それを解決するために発布されたのが1356年の禁印直書です。
カール四世が出して、カール四世は米明王も兼任してたんですよ。
この禁印直書の目的はその有力な諸皇、さっき言った諸皇とか子教が両法っていう地域を代表やってたんですけど、
その有力な両方の長者たちに皇帝を決めてもらおうっていう。
七選抵抗でしょ。
その七選抵抗っていう人たちに決めてもらおうっていうのが禁印直書で、
これには3人の大司教、教会の司教がやってる両方の3人の大司教と4人の普通の諸皇が選ばれて、
それらの両方には皇帝を多数決で決める権利と、関税徴収権と、貨幣駐造権、独自にお金を作っていいよっていう権利を与えられて、
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もうこれで実質的な、この七選抵抗たちの両方は実質的な独立国家になってて、
この時点でもう新生ローマ帝国もだいぶ分裂してるんですけど、
さらに16世紀になると宗教革命が起きます。
ルターがカトリックが腐敗してるって唱えて、それでプロテスタントっていう新しい宗派が生まれたんですけど、
その300の両方がプロテスタント派の人たちとカトリック派の人たち、
ルター派の人たちと皇帝派の人たちに分かれて、それで対立するんですよ。
両方がさらに対立してて、これ受験でよく出るんですけど、シュマルカルデン戦争っていう宗教戦争が起きて、新生ローマ帝国がさらに不安定になってきます。
そこで開かれたのが1555年のアウクスブルグの和儀になります。
アウクスブルグの和儀は、プロテスタントという宗教を認めて、各両方は信仰の自由を認めますよっていうものだったんですけど、
だからつまりカトリックが今まで認められてて、それでプロテスタント派も増えていったっていう感じなんですけど、
そこにプロテスタント派は認められてなかったんで、認めてとりあえず戦争は終わらせようっていう、そういうものだったんですけど、
今までの流れを整理すると、両方に認められているのは、関税徴収権と貨幣駐属権と宗教の信仰の自由が認められるようになります。
これで両方はかなり独立してて、新生ローマ帝国っていうのは名目上でほとんど国が分かれているみたいな状態になってて、ほぼ独立国家なんですよ。
300の独立国家が、新生ローマ帝国というものの中にある、みたいな感じになってるんですけど、
さらに新生ローマ帝国が分裂していく事件があるんですけど、これがウェストファリア条約です。
スイスが独立っていうのは、名目上の独立っていうのって。
ウェストファリア条約っていうのは、さっきプロテスタントとカトリックが対立してるって言ったんですけど、
そこにさらにカルバン派というのも加わって、宗教戦争がまた起きていたので、それを解決するためにウェストファリア条約っていうのが出されて、
そこでスイスとかオーストリアが独立して、しかも両方が主権国家であるって、これは新生ローマ帝国だけの条約じゃなくて国際条約なので、
両方が独立国家であるって国際的に認められちゃったんですよ。
なので、新生ローマ帝国っていうのは、外から見ても独立した国家がいっぱいある、国家としての体制は名目上で、中にいっぱい国家があるっていう状態になっていて、
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それがずっと続いて、ドイツっていうのは200年ぐらい独立した両方がいっぱいあって統一できなかったっていうのが、両方っていう単位とドイツが統一できなかったということの関係です。
これはさっきも最初に言ったんですけど、特に二次試験の論述とかでいろんな形を変えて出る問題なので、受験生は覚えておいた方がいいと思います。
以上で話を終わりにします。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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