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さっき仕事が終わりまして、今日は九州大学イットキャンパスというところで、
僕の母校にギリなるのかな、大学院は九州大学なんですけども、
大橋キャンパスという違うキャンパスに通っていたので、初めて行ったんですよ、九州大学イットキャンパス。
そこで地域制作デザインスクールというプロジェクトの一環として講義をさせてもらいました。
やっとデカいのが終わったので、あとは今日は僕はいい金パレットでハロウィンパーティーに参加するだけなので、酒飲みたいですね。
今日2本目のポッドキャスターなんですけども、朝にも撮ったんですよ。
そういえば1個前、つまり朝ですよね。
さらにもう1個前、だから2個前のポッドキャストで最後に僕予告編みたいなこと言ってたのをすっかり忘れてて何のことだったのか、
それを思い出したのでその続きを喋ろうと思うんですけども、
前々回のやつって僕がめちゃくちゃいろんなプロジェクトをやってるっていうことですよね。
しかもまあまあ辛い状態でやってるっていう。
で、それを何でやってるのか次お話ししますって言ってるところで止まってたので、今回はその続きの話をしたいと思うんですけども、
まあ結論から言うとわかんないですね。
もう結論から言うと僕なんでこんないろいろ辛い思い、辛いじゃないですね。
大変な、これちょっと後でちゃんと説明しますけども、辛くないけど大変なんです。
大変な思いしながら日々ちょっと体小箱かけながらやってるかっていうのは結果わからないんですよ。
わからないですね。
タイムマネジメントが下手っていう能力的な理由もあるんですけども、
じゃあ多分タイムマネジメント上手かったとしたらもうちょっと詰め込んでるだけで多分スタンスというか、
なんて言うんですかね、キャパに対するギリギリ度みたいなものは変わらないような気がしてます。
はい。
で、これもちろんですね、東京で働いてた頃からずっと自営業なので自分の仕事量って自分でコントロールできるんですよ。
普通会社員って自分の仕事量って完全には自分でコントロールできないじゃないですか。
あんまり働かなさすぎたらもっと働けって言われるし、働きすぎたらお前残業代とかのことになるからお前働くなって言われるしみたいな感じである程度コンプレッサーがかかると思うんですけども、
僕の場合って本当に上にも下にも青天井で1年間働かないって決めたらそれでいいですし、
もう寝ずに毎年働いてるんですよ。
で、そういう生活をずっとしてた時にやっぱりこの働き方だとちょっと体がおかしくなるなっていうのはずっと思ってたんですね。
でもずっと止められなくて、家族ができた時にやっぱりこの生活はやめよう家族の生活をやめようっていう感じで、
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やっぱり家族の生活はやめようっていう感じで、
ちょっと体おかしくなるなっていうのは ずーっと思ってたんですね
でもずーっとやめられなくて
で家族ができた時に
やっぱりこの生活はやめよう
家族の時間を作ろうってなったんですけども
そこの空いた時間全部家族が埋まって
まず家族の時間を週1週2とかで取って
で埋まってないその空いた時間全部なんかしてるんですよ
でしかもそれがじゃあしないといけないことかつうと
今必ずしもしなくてはいけないことだけではなくて
今やらなくてもいいけどいつかやりたいこと
で今空いてるからやっちゃうみたいなこともめちゃくちゃあって
それこそポッドキャストとかそうですよね
コテンラジオとかまさにそのいい例で
絶対その時やらなくてよかったことなんですよ
でももう絶対今やりたくてやっちゃうみたいなところがあって
結局詰め込んで詰め込んでやるっていうのが
もう僕の多分なんか
今のスタンスになってしまってる部分はあるんですね
まずねでちょっと話長くなりましたけども
この働き方ってやっぱ頭ではずっと良くないと思ってますと
やっぱり良くないですよもうちょっと余裕を持って
やった方がいいですし
そっちの成果ももしかしたら出るかもしれないんですね
なんですけど多分これ簡単には変えられないっていうことを
最近ちょっとこう半分諦めんも含めてを持ってきたっていうのはありますと
でこれいろいろあると思うんですけど
一個大きな理由として僕が思うのは
もう三つ子の魂100までっていう言葉に
もう本当になんか何ですか
一存されるじゃなくて集約されるか
集約されるんじゃないかって思ってますね
つまり子供の頃の時間の感覚とかやり方みたいな
達成する
ちょっと待ってね
今ETC撮りました
あのその時の感覚っていうものを
多分大人になってもずっと引き継いでるだけなんじゃないかなって思うんです
でねそれで言うと僕の幼少時代の時って
もうすでになんかそこからちょっと忙しかったようなイメージがあって
僕物心ついた時からそのピアノを習わされてたんですよ
一番覚えてる古い記憶っていうのが保育園で
僕幼稚園と保育園に行ってるんですけども
保育園だから多分3歳とか4歳とかと思うんですけども
その時にみんなが昼寝してる時に僕だけ先生に起こされて
その保育園の敷地内にあるピアノレッスンするための小屋に行かされて
そこでピアノを練習してた記憶があるんですよ
だからなんかつまりこう寝てる
みんなが寝てる間に僕だけなんか活動するっていうのって
多分幼少時代からやってきてるような気がするんですよ
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で小学校に入ってもそうで
僕習い事をもうほぼ毎日やらされてたというか
やらされてたですねあれはやりたくなかったんで
僕毎日本当はファミコンばっかりしたいような子供だったんですけども
月曜9問火曜はソロ版水曜水曜木曜9問で金曜ソフトボール行って土曜にピアノみたいな
で空いてる日曜は課外活動みたいな感じで
家族でどっかに行って劇を見たりとか
何かこうスキーとかスノボーやったりとか
買い物行ったりとかそういう不定期の文化活動させられてたというか
まあある種これもはっきりとあれですね
英才教育だと思いますね
あれはもうはっきりとそういうのをずっと受けてきてて
暇欲しいな休みたいなと思いながらずっと活動してると
でもちろんですけど
いろいろ活動してたら成果は出るんですよね
やっぱ雲習ってたら成績良くなるし
みたいな水泳習ってたらどんどん級は上がっていくし
みたいなところで時間がないのか
いやいや活動してたら成果出るっていうところって
たぶん小学校時代中学校時代にもうできてしまってたんですよ
中学校入ったら部活で野球部に入るんですけども
もうああ野球部ってまあ相当大変な部活で
中学の中ではもうすごかったんですよ
だからなんか辛いを辛いじゃないな
大変な思いして何かを頑張って成果を出すっていうのは
多分もうフォームとして染み付いてしまっちゃってるっていう
なんかそれでしかないんじゃないかなっていうのが
結構僕の結論なんですけども
なんかですねそれ他のことにも言えると思うんですよ
例えば褒め幼少時代に
なんか僕結構最近いろんな人と話すんですね
やっぱ田川でいい金パレットを始めて
僕とに相談しに来てくれる人っていうのが結構増えてて
そういう人たちの悩み相談とかを聞いてると
結構やっぱりその何ですかね
いい子にしないといけないみたいな
いい子であるべきとか
あとやっぱ頑張って成果を出すべきみたいな
まるまるするべきみたいなことに
結構悩まされてる子って結構いるんですよ
でもなんかその人たちの話を聞いてると
結局は親の育てられ方というか
幼少時代のその自分が生きてきたフォームっていうのを
ただ大人になって
今の社会でやってるだけな気がしてて
だからこれってなんかもう
もしかしたら一生変わることがないかもしれないんじゃないかなと
それは思ってます
つまり三つ子の魂100までっていうのはこういうことで
だからなんですかね
もうそういう生き方をせざるを得ないんじゃないかなって
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もう僕は結構諦めの境地に入りつつもそう思ってますね
じゃあどうするかっていうと
もう楽しいこととか
効果的なこととかで埋めるしかないんですよ
あとはその好きな人と一緒にやることで埋めるとかですね
だから埋まっちゃうことはもうフォームとしてしょうがないんですけど
別に嫌いな人とやらなくてもいいし
嫌いなことをやらなくてもいいです
だから僕の場合で言うと
嫌い好きな人と好きなことをやるっていう時間で埋め尽くしてしまうしか
もう幸せの道はないんですね
これは別に埋め尽くす系の性質がない人だったら
別にまた違う対処の方法があるというか
だから僕が毎回どんな時でも常に言ってると思うんですけども
結局自分を知るっていうことをしないと対処の方法って人それぞれ違うっていうことですよね
だから自分とはこういうものだっていうことを半分諦める
いい言い方をすると理解するかもしれないんですけど
なんかねそんな気がします