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こんにちは、亀山です。
えっとですね、昨日アップした梅干しのラジオが聞き直したら、思ってた以上に愚痴がひどくて、ちょっと消そうかなって思ってて、
梅干し作りがとても嫌だっていう話をしてたんですけど、本当にそればっかり話してて、ちょっと情けなくなっちゃって、
嫌は嫌でも、やるとね、割と没頭して、一つずつ作業して、達成感を味わいながらの梅干しを完成させるので、
でも嫌は嫌、また言ってるな、嫌は嫌なんですけど、あまりにもめっちゃ愚痴愚痴しかったから、ちょっとどうしようって思ってるのと、
あまりにもそのめっちゃ愚痴を言いすぎた自分にちょっと嫌気がさせて、ちょっと愚痴じゃない話をしようと思って、ちょうどラジオにしたいなということもあったので、今からそれについて今日は話します。
先日のムヌフェスで、トークセッションで聞いた言葉でね、すごく印象的な言葉があって、前々回のムヌフェスの回でもちらっと話したんですけど、
熊谷慎一郎先生の言葉で、自立は依存先を増やすこと、希望は絶望を分かち合うこと、っていう言葉を熊谷慎一郎さんがおっしゃってましたっていう話を聞いて、それがすごく印象的あって、熊谷慎一郎さんってどんな人なんやろうと思って、ネットでちょっと調べてみて、
ちょっとネットに上がってた記事とかも読んで、さらにその言葉を具体的に理解して、素晴らしいなって思ったので、
でまぁ、ちょっとそれについてまずね、シェアしたいなと思うんですけど、熊谷慎一郎さんっていうのは、生後間もなく脳性麻痺になって、手足が不自由なんですね。
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で、脳性麻痺っていう障害を持ちながら、小児科医としても活躍されて、現在は東京大学先端科学技術研究センターで、障害と社会の関係について研究されてるんですけど、そのネットの記事に載ってたんですけど、熊谷さんの言葉で、
それまで私が依存できる先は親だけでした。だから、親を失えば生きていけないのではという不安が拭えなかった。
でも、一人暮らしをしたことで、友達や社会など依存できる先を増やしていけば、自分は生きていける、自立できるんだということがわかった。
自立とは依存しなくなることだと思われがちです。でもそうではありません。依存先を増やしていくことこそが自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと私は思います。
とおっしゃってて、本当にそうだなって思いました。
そう、熊谷先生にたくさん本出されてるので、また買って読みたいなって思ってるんですけどね。
で、この言葉を話してくださったのが、トークセッションで来られてた文筆家のドモンさんなんですけど、
そのドモンさんがおっしゃってたのが、その人やその人が今目の前にいなくなったとしても、その人によるケアっていうのは自分の中で起こり続けるんですよっていうことをおっしゃってて、
それっていうのが、例えばそのライフステージの、ライフステージってその変化の連続じゃないですか、会わなくなる人ってたくさんいるから、学生時代の友達だったり先生だったり、仕事関係で出会った人もね、
辞められたりとか転職されたりとかで、会ってた人と会わなくなるって、たくさん起こることだと思うんですよね。
で、人だけでなくって大切にしてたおもちゃだったり、本とか、子供時代の遊びの記憶とか、そういう全ての過去の思い出とか、かけられた言葉とか喜びっていうのは、
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その人やそのものがなくなったとしても、その人によるケアが自分の中で起こり続けるって、ほんまやなってすごく思って。
で、なんかすごくそのドモンさんの言葉がしっくりした理由の一つに、えっとね、2年前に退職、定年退職された職場の、今保育士を私してるんですけど、職場の先生にいただいた手紙があってね。
その短いお手紙ではあったんですが、すごく私のことを褒めてくださってて、嬉しい言葉が書かれてて、あの、私ね、食器棚の裏にめっちゃ手紙貼ってるんです。
です。もらった手紙、子供にもらった手紙とか、そんな風に大人の方にもらった手紙とかも嬉しかったの。すごい食器棚の裏に貼ってるんですよ。だから表からは見えないけど、食器って毎日出すから、開いたらその目に入っ、読もうと思ったらね、目に入ってくるんですよ。一番目につくから。
そこにね、嬉しい手紙っての貼ってるんですけど、そこを見るたびに、毎日読むわけじゃないけど、たまにふと読んでみようかなって、読んだらすごくその先生の言葉がジーンときて、この感覚って何やろうってずっと思ってたんですけど、今まで言葉にできなかったけど、きっとケアされてたんやなって思って。
それで、その先生には今はね、もう2年ほど退職されたくてから2年間会ってないけど、その先生によるケアっていうのが、私の中でも起こり続けてたんやなって思って、そこですごいしっくりきたというか、感じたんですよね。
だからその、今私がよく会う人たちからもらってるたくさんのことも、たくさんそれケアになってるんやろうなと思って、きっと10年後、20年後もその自分をケアしてくれるんやろうなって、すごく尊いなと思いました。
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そうですね。
あとね、その、いただいたね、手紙の話にちょっと戻りますけど、その褒めてくださった言葉っていうのも、褒めるイコールケアでもあるんかっていうのも、ちょっと新たな発見としてあって、自分の中に。
で、まあ親目線で言うとね、その子供を褒めるのって、一歩間違えると狂気にもなるなと考えてて、その褒めるという行為を、私はかなり慎重に捉えてて、もう子供が生まれてからずっと考えてたんですけど、
いろいろ考えて考えて、私の行き着いたそのベストな褒め方っていうのは、事実承認だなって思ってたんです。
事実そのものを承認するイコール褒める。
で、まあそこに新たに一つケアが加わったなって感じてて、事実承認イコール褒めるイコールケアするっていう方式というか。
私が与える言葉が将来その子の中でケアを起こすかもしれへんと思うと、さらに言葉を選んで伝えていけそうやなと思いました。
あと最初の熊谷先生の自立の話にちょっと戻るんですけど、自立のためにケアって必要不可欠なのではないかなと思って。
その熊谷さんのおっしゃってる自立っていうのは、物理的なね、現実的な依存先っていう意味での自立。
で、その自立に、自立するためにケアっていうのはもう心の中、心の内からの支えとか、自分を癒すもの。
で、自立に不可欠というかね、そのケアがなければかなりぐらつくんじゃないかなっていうか、すごく大切なんじゃないかなって思って。
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で、ドモンさんの言葉と熊谷先生の言葉を、もっとじっくり私的に言語化してまとめていきたいなぁと今すごく思ってます。
って感じですね。
なんか真面目な話したから、昨日の梅干しの愚痴はちょっとプラマイゼロになったかな。
どうでしょう。
でももう一回聞いて、やっぱりもうぐちぐちしかったら、やっぱり梅干しの話は消すかもしれない。
なんか恥ずかしくなってきて本当に。
嫌だ嫌だって言ってて、やりたくないってめっちゃ言ってたから。
まだちゃんとまとまってないけど、自立とケアってすごく、なんかもっともっとちゃんと私の言葉にしたいなって思いました。
はい、では今日はここまでです。ありがとうございます。