雑談による交流
こんにちは、ハタラクボクラです。
この番組は毎回違う働く人をゲストにお迎えして、
働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、
働くって何だろうを考える番組です。
今日は編集後期ということで、東中野の雑談さんにまた遊びに来て、
mogさんと、そして、前回ですね、大変大人気の会議にしついて、
Aoiさんにお越しいただいて、3人でダラダラと喋っていければなと思います。
ということで、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今、生Aoiさんがいるんでね。
いや、こちらこそです。
生mogさんだと思って。
俺だけが別に何の新鮮感もなく、2人から見られてるっていう状況ですね。
そうね、シンクネーションがあって、
何の新鮮感もなく、2人から見られてるっていう状況です。
そうね、シンクネーションの元々のAoiさんは知り合いというか、お友達だし、
僕とシンクネーションはいつもこうやってるもんね。
そうだね。
ある種、媒介というか、媒介ですね。
そうだね、私が言うな。
今日はもう完全にシンクネーションにハンドリングをお任せしてですね。
お願いします。
いやいや、僕から緊張しますもんね。
緊張しますよね。
お会いしてたってまだ30分経ったかなぐらい。
確かに、経ってるぐらい。
まだAoiさんのビールの減り具合で言ったら本当に4センチぐらい減ってない。
ビールが4センチしか減らない時間ですからね。
そうですね。
なかなかまだまだですね。
まだまだです。
前回雑談会、さっき聞いてたのは、
前回雑談会の時にグミの話をしてたけど、緊張しすぎてグミは全然食べれてなかったっていう。
まさしくね。
まさしく。
ビールぐらいはぜひ飲んでいただいて。
本の価値とその影響
そうですね。美味しいうちに、冷たいうちに。
確かにね、暑いんでね。
確かに。
そうですね。
完全な無策でこの場が始まってるもんな。
そうなんだよ。
なかなかこの番組無策で始めることあんまりないから、
何話していいか分かんなくなっちゃうよね。
そうだね。
今日ちょっとだけこういうこと話してもいいかなって思って結局何の準備もせずに来たのは、
前回ほら雑談会の時にさ、江戸商売杖の話を2人でしたじゃないですか。
そうで、あおいさんの回とかの時に、
なにその言語聴覚詞を志す一番きっかけになった本が、
村上隆さんの13歳のハローワークだったっていう話があったんで、
ちょっと13歳のハローワークを持ってこようかなって思ったんだけど、
意外と分厚くて高かったから。
いい値段するんですよね。
全部カラーなので。
あれがでもあれですよ、誕生日の時にもらって。
そうですそうです。
なんで本と思いました。
確かに。
もともとすごい本が好きなので、ちょこちょこ買ってもらう機会は多かったんですよ。
なんでそんなわざわざここに来て本と思って。
スペシャルカラー。
そうなんだみたいな感じでしたね。
誕生日に本もらったことはある?
そういう意味だと成人した時に、
おばあちゃんが明治天皇っていう本、
ドナルドキンさんが書いた、めちゃめちゃいい本なんだけど、面白いのよ。
結局読んで面白かったんだけど、
渡された時にすごい分厚い、ハリーポッター3冊分ぐらいが2冊になってる単行本なんですけど、
あまりにも厚いし、しかも明治天皇だし。
確かに。
大学生なりたてみたいな、
頭ふわふわした状態の僕に、明治天皇渡されてもらった。
それが一番印象的な本の贈り物ですね。
それ、20歳ってこととは関係があるギフトだったの?
いや、わからない。
なぜおばあちゃんがこれをくれたのかわかんないけど、
すごいにっこり、はいって渡してくれて、
あ、みたいな。
まあまあな値段する。
名著だと思うんですけど、やっぱ3年ぐらいは開かなかったですよね。
で、大学卒業してから、どうやら親父が勝手に読んでたらしくて、父親が。
で、お前これ面白いぞって言うから、読んでみたら、あ、確かにって。
書いてるのドナルド・キーンさんなんだって、その時に気づいて。
確かに。
で、めちゃめちゃ読みましたけど、
本って若干特別感がないというか、
それは別に悪い意味じゃなくて、日常的に隣にあるものじゃないですか。
身近なものだからこそ。
で、それを特別な時にもらうと、これはどう受け取っていいんだろうってなりますよね。
なります、なります。
しかもそれが13歳の時ですもんね、たぶん。
そうです、そうです。
だと、より何でってなるんですかね。
まあなんか確かにその年齢にはなったけども、みたいな感じでいて、
両親としてはもう絶対13歳の誕生日にあげようと思ってたんだよねってすごいホクホクされて、
ちょっとテンションに差があるなみたいな。
あり、ありがとうみたいな感じでしたね。
でも親としてはその気持ちすごいわかるんですよ。
確かに僕も自分の子供が13歳になったらあげたいと思います。
ぜひ。
嬉しく、僕は嬉しいんですけど、たぶん子供は嬉しくないんだろうなって、
この温度差がすごいあるプレゼントだなって思います。
確かに。でも人生決めるかもしれないんで、それで。
職業との出会いってなかなかないですからね。
本を読む楽しさ
そうですね。
だから僕もほんとMOG君のお子さんの何でもないけど、
やっぱこう節目節目に本をあげて、なんか俺という存在をすり込みたいなって気持ちがどっかに。
本おじさんとして。
本おじさんとして。
カラスのパン屋さんあげて、パン屋さんを志してくれてもいいし。
そうね、確かに。
ちょいちょいくれるからね。
マドレーヌちゃん。
マドレーヌちゃんね。
全然早い。
1歳とかでマドレーヌちゃんあげても読めるわけがないんですけど。
でもね、だんだん読めるというか見れるようになってきてね。
読んでますよ。
ありがとうございます。拝見していただいて。
しばらくお会いできてないんで。
そうね、ぜひ来ていただいて。
何の話なんだろうねって。
本を送るっていう。
本を送るって。
確かにそういう意味だったら本を送るって面白いよね。
僕も昨日ちょうど青山ブックセンターに行って、
別に全然本買いに行くんじゃない、別の目的で行ってたんですけど、
そこでやっぱ青山ブックセンターにいるから、
じゃあ子供に本買っていくかって言って、
吉竹駿介さんのリンゴかもしれない、
めちゃくちゃいい絵本を持って行って、
やっぱ子供に渡すと嬉しそうに読んでるから、
本をあげて読んでる姿ってすごい嬉しいなとは思うんですよね。
一旦青井さんが13歳のハローワークを送られて、
それを読んでる姿とかが見えているところでもし
読んでいたんだとしたら、すごい嬉しかったんじゃないかと。
愛おしいんですよね、本を読んでる子供が。
自分の子供が本を、小さいっていうのもあるんですけど、
2歳なんで、膝の上に乗っけて読んでるっていうのが愛おしいんですよね。
それが大きくなっても同じなのかなと思って。
しかもそれが今の仕事に繋がっているのであれば、
しめしめって思いますね。
ようこそみたいな。
13歳のハローワークは、
作家が書いた本だから、
作家のページの説明というか紹介がすごい好きで、
作家というのは本当に一番最後に選ぶ職業で、
何からでも作家になれると。
別に犯罪者でも、別に俳優でも何でも、
何からでも作家になれる。
逆に言うと、作家から何かになるってことはあまりなくて、
政治家になったのがちょっといるぐらいだみたいな。
その、ある種、自分の職業を覚めて捉えている。
村上隆さんの書き口みたいなのがすごい好きで、
それはすごく印象に残っているところではあるな。
それでいくと、作家になりたいとか思わなかった?
ないですね。
書きたい話で言うと、新聞記者はありました。
編集者になりたいときはあって、
それが、本読むのがすごい好きだったので、
世に出てない好きな人の物語を一番最初に読める
っていうことにすごいロマンを感じて、
編集者になりたいと思ってた時期は、
言語聴覚師以外だと多分、
ちゃんと持った数少ない職業ですね。
そうか、確かにその切り口。
確かにそうだね。
一番最初に読める人、
あとは作家の配偶者ぐらいだもんね。
パートナーとかだったら、
たぶん近しいけれど。
そうですね。
編集者と、あとは翻訳家?
もうたぶん同じ流れで、
一番最初に読めるっていうところ。
一番最初じゃないんですけど、
たぶん翻訳家っていうのはありますね。
自分ががっつり創作のど真ん中に
作り出すっていうよりは、
そこのちょっと終焉というか、
届けるとか触れるみたいなところの方が
強かった?
そうですね。
書ける人になるとは思ってないし、
思ってなかったので、
あくまで読む側、作る側ですね。
そうね、確かに。
読んでいればいるほど自分に
書けるわけがないなっていう気持ちにも
ちょっと同時になるというか。
確かに。
でもこの一番になりたいっていうのが
面白いなと思って、
一番初めに読みたいっていうところがある。
これはどういう感覚なんですか?
そうですね、確かに。
今のこの年になって整理すると、
他の人の感想っていうフィルターを書けずに、
まっさらな状態で受け取りたい
っていうのはあるかもしれないです。
面白かったも面白くなかったも
聞いちゃうと多分、
そういう目で入ってしまうので、
そうじゃなくて、
まっさらなところで自分が受け取って
どうなのかっていうところが
知りたかったのかなって
今となっては思いますね。
なるほど。
めちゃくちゃ面白い。
確かに。
それだとオビとかも読みたくないっていう。
このオビの推薦文とかも
なんとなく読んで判断してるじゃないですか。
読むときに、
まっさらな本当に前情報なく
1ページ目をめくってどう思うかっていう。
とかだったかもしれないですね。
それすごい素敵。
それが一番最高純度な感じは。
確かに。
ベストセラーってだけでも
とりあえず色々買ったんだなとか、
賞取ったってだけでも
その部分が評価されたんだなって
前提があるから。
確かに。
そういう意味だと、
自分とか本を買うときとか、
もう今は前提情報で買ってるところがあって、
例えば今イスラエル人の作家、
イスラエルじゃないか。
パレステナ人の作家の方で
ちょっと名前はもう忘れてしまったんですけど
本は最近買って
もう殺されてしまった人なんですけど
ハイファに戻ってたっけ持ってたっけ
っていうタイトルの小説を買って
でもそれももう前提で買ってるんですよね。
つまり今この時代の背景の中で
パレステナの方が書いた本は
読んでみたいなという
真っさらな文学の受け取り方ではない。
確かに。
それを淡井さんでもの話を聞いて
淡井ちょっと自分はだいぶ
世の中にすれてしまった。
世の中的な何かを覆うとして
意味を求めて読んでるところがあるなと思って
純粋に本を読むっていう時間が
昔って、子供の頃とか図書館に行って
背拍子だけで読むみたいなところがあるじゃないですか
やっぱつまんない面白いあるんだけど
無限の時間があるから
未知との出会いの喜び
面白いものに出会えた時の喜びとかってあったじゃないですか
あとは純粋に楽しいとか
それをずっと味わいたいってことなのかなとも思ったんですけど
感覚としては近いですかね
そうですね。だと思います。
今ももちろんやっぱり
おっしゃってた通りやっぱ情報は得ちゃうし
面白いって言われたら読みたいはもちろんあるんですけど
おっしゃってた通り図書館で借りるってなると
とりあえず背拍子だけ見て
撮ってみてみたいなのはまだあるかもしれないですね
そうですよね。あと想定が綺麗とか
ぐらいしかない中で開いて
未知のものに出会った時の感動とか
それって純粋に受け取っているノイズがない状態ですかね
確かに
そうだね。もう結構前提情報とか
この作家はこういう本を書いてて
こういう風に評価をされててみたいなのがある程度
いろいろ読んでたり書店とかに書いてると
なんとなく少しずつ情報として入ってきちゃって
やっぱりハズレを引きたくないみたいな気持ちが
ちょっとずつ高まっているような気は確かにしますね
確かに
いやハズレを引きたくないめちゃめちゃあるんだよね
ありますよね
時間がなくて忙しいからこの一冊っていう時に
でもハズレを引きたくないから調べてる時間が結構長い
何してるんだろう自分っていうのは
そうなんだよな。家電を買うのとはわけが違うはずなのにね
そうなんだよね
ちょっとね調べちゃってるのはある
とりあえず読んでみればいいのにねっていう
まあいい大人なんだから別に1000円前後の文庫なんて
特に何のためらいもなく買えるはず
だからまあ面白そうだったら手に取ればいいんだけど
なかなかできないっていうのが
なんかタイムパフォーマンスみたいなね
対話なのかなって思っちゃいますよね
悔しいね
最近そういう意味でいくと純粋に買って読めた本とかってある?
新しい体験の追求
情報を入れずにってことですか?
今こうやって
最近読んでないけど
いやこれ前提はあるな
いや陰影雷さんがある
谷崎の陰影雷さんの写真集みたいな
写真家の方が写真とともに陰影雷さんを
持ってる持ってる
あれさ何の前提もなかったんだけど
見た瞬間なんていい本なんだと思って買っちゃったよね
あれいいよね
あれ持ってる?やっぱ持ってるかなと思ったんだよ
持ってるもうほんと
7年くらい前に買って
全職ベトナム持ってってた
そうなんだ
じゃあ何僕が泊まったあの部屋にあったの
ありました
すごい凄い出会い方だね
たまたま神楽坂にカモメブックスっていう
ご存知ですかあそこめちゃめちゃいいですよね
すごい好きでたまに行くんですけど
あのそこでたまたま見つけて
うわなんていい本なんだと思って
やっぱりその場でジャケ買い
そうだね俺は最近だと
この1年くらいだけど
でも坂本隆一の
坂本図書っていう本があって
坂本さんが雑誌の連載か何かで
作家のこととかを連載して書いてた本
もちろんそのさすがに
存在を知ったのはインターネットでなんだけど
そこに先に坂本図書の本より先に
坂本図書っていう施設を知ったんだよね
これなんかあれかな都内某所に
坂本隆一の所蔵してた本を読める
施設図書館みたいなのが図書室みたいなのがあって
予約してちょっと有料なんだけど行って
普通に本人が持ってた書き込みとかがあるような本とかも読める
それ行って
こんな色んな本読んでた人だったんだなってなって
本人の本をまず買うっていう
割とまだ純度の高い出会いができた
確かに確かに
本屋さんで背拍子だけときめいてみたのは
トントナイですね
図書館の方がまだあるかも
外れても返せばいいみたいな
帯付いてるし
ベストセラーとか本屋大賞とかやっぱ
出てるし売るためだから
確かに図書館の方が結構フラットに置いてある
そういう意味では
ちなみに葵さんは
何ですかね
エッセイで
明日のお名前なんて読めなかったかな
時々意味もなくズンズン歩くっていう
タイトルのエッセイを最近読んだんですけど
とりあえずカヌしてみるとか
とりあえずジェットコースターに乗りに行ってみるみたいな
とりあえずなんかしてみるみたいな
思いつきで色んなことをしてる人のエッセイを読んだ時に
自分はそんなにこう
そういうチャレンジングなタイプじゃないので
そういう生き方もあるのかと思って
面白かったですね
全部いいタイトルだね 宮田さんの本
晴れた日は巨大物を見にとか
それはもう普通に本屋さんでタイトル見つけてっていう感じ
それは図書館で
割と背拍子だけ見て撮って
なんか表紙も良さそうエッセイか
よし借りてみようみたいな感じが多いですね
割と背拍子見て想定見て裏のやつ見て
までで借りることが多いです
それで開いてみて
サスペンスだったかとかなるとやっぱりちょっと頑張れない時があるので
ジャンルは知っときたいなとか
未完だったとかもやっぱりあるので
最低限の
こういう感じで仲良くなれそうかだけ見て
やっぱ当てだ
行こうみたいな感じはあります
でもこの時々意味もなく全然歩くっていうのが
我々には今必要な話をしていますよね
本をとりあえず取ってみる
買ってみるっていう経験がない
意味を求めすぎずにとりあえずやってみる
未知の体験をするっていう
ことがあんまりないなっていう
分かっていることを分かっている再現で
分かっている範囲での快楽を求めに行くみたいなところが
ありますよね
分かんないとハズレを引く可能性があるんだけど
大当たりもあるみたいな
それはありますよね
カヌーに乗ったらもしかしたら大当たりかもしれない
すごい才能あるかもしれない
あれっつってこんな楽しいの?みたいな
それは
自分でやったことない体験をするきっかけが結局
本だったらもしかしたら取れるけど
いろんなアクティビティとかあった中で
カヌーっていうのを取るっていうのが遠すぎて
それでなかなか広げられないみたいなところはあるよね
それはめっちゃある
なかなか新しいことって来てこないというか
普通のっていう言い方もあれだけど
普通のちゃんとした組織だと
なかなかないんですよね
あんまり変なことが起こらないというか
たまにオクトバーは今フリーランスで
スタートアップとかで働くこともあるので
すると全然わけわかんない仕事が出てきて
昔ちょっと輸入とかをやってたんですけど
全然本当に何も知らないところから
イギリスからコンテナを1個引っ張ってくるみたいな
リスト作成の意味
手配自体は業者に頼むんですけどそれのやり取りとか
やった時にやっぱり世界が広がった感じはして
すごい面白いなとは思いながら
でもこれなかなかこんな風に飛び込むことってないから
この偶然性というか
確かに
自分は僕も転職が多いタイプ
私フラフラしているので
そういう偶然性に出会うことは結構あって
それは割と自分の人生を愛しているところではあるな
っていうのは多いですよね
でも娯楽にはそんなに攻められないというか
だからひたすら
ネットフリックス何見ようかなみたいなことを
自面誌面白そうだけど
でもなぁ45分かとか
それを聞いていると
13歳のハローワークっていうのはよくできた
ある種の職業カタログ
別にネットフリックスみたいに何かサジェストされるわけでもなく
全ての職業が分類はされているけど並列に並んでいて
ある種それをフラットに見て
言語直角質と出会ったりするみたいなのはすごくいいよね
カタログの良さみたいなのがあるよな
全然話すれちゃうんですけど
高校の時とかに買いもしないのに
日鮮の通販のカタログを見るのがすごいですよね
いい趣味だね
楽しい
毎回寮生活だったんで
実家帰って近くのスーパーかどうか置いてあったカタログをもらってきて
わざと寮に持って帰ってこうやって見てみたいな
世の中にはマオカラースーツのあるスーツがあるんだ
というのを発見するっていう
確かに
色んなものが並列にまとまって
その1つさえ手に取れば一気に広がるみたいなのは
13歳のハローワークしかり日鮮のカタログしかないけど
いいよね
そういう形でアクティビティとかが
やったことないものを広げられたらいいのかもね
確かにね
カタログとしてアクティビティがバーって並んでて
それこそサワニバルゲームとかカヌーとか
それが並列に並んでてそこから選び取るみたいな
しかもやったことないことみたいなのは
いいよね
確かに
去年くらいから会社の同僚と
やったことなくて今年やりたいことリストみたいなのを
作ってたんだけど
めちゃくちゃいいじゃないですか
全然やれずに去年終わって
大幅に同じ内容が移植されたカタログが
今年もある
毎年そうです
毎年作ってますか
3、4年くらいずっと作ってて
でも毎年消えないのとかありますね
ちょっとなみたいな
それこそきっかけがなくて3年くらい残ってるとか
ありますね
ちなみに何が残ってるんですか
残ってるのは本当にしょうもないんですけど
インドカレーを食べながらインド映画を見る
それは
絶妙に達成できそうだけど絶妙に手間がかかる
ちょっと後回しになっちゃうので
意外とどこどこに行くとかの方が
ずっと達成しやすくて
3、4年残ってます
生のパンダを見るとか
ずっと残ってますね
確かに
10何個とかで毎年作るんですけど
ずっとあります
それってやったことないことを並べる
そうです
やってるのは確かに
誰かがSNSでやってるのを見て
やったことないなとか
パンって焼いたことないなとか
話題になってるここのお店気になってるけど
近いのに行けてないなとかがあったときに
入れてみる
偶然の出会いがあったときに
やってないなって入れている
年末にある程度
振り返りじゃないですけど見て来年に持ち越したりとか
途中でおっしゃってた通り
足してみたりとか
毎年してますね
面白いですよ
家族だとなおさらきっと
いろんなイベント広がると思うので
子供がいると強制的に体験しないことを
体験するんですよ
子供の友達のお父さんに呼ばれて
ホームパーティーに行くとか
こういう世界もあるんだとか
確かに
でもそれリストでやってみて
自分絶対やらないけどやってみてよかった
みたいなことってあるんですか
そうですね
一人でホールケーキを食べる
確かにやらなさそう
いがねば頑張れなくなってくるので
今のうちにやっといてよかったなと
思うことだったりとか
あと何あったかな
毎年作っちゃいるんですけど
今年でまだ消えてないのだと
国会議事堂を見るがあります
あと箱根駅伝の像が
読売本社前にあるのご存知ですか
あれを箱根駅伝が好きで
毎年テレビでは見てるんですけど
近くにあるのに見たことないなと思って
心の栄養と潤い
そういうのを見に行く
とかを入れてます
見に行く系はでも
アクティビティとして楽しいし
ホールケーキ1個買ってみると結構勇気が要りますよね
これを今から自分が食べるんだ
勇気というか背徳感というか
食べられるかしらみたいな
クリームがあんまり重たいと全然無理だなとか
フルーツケーキならいけるかしら
概念としてやりたいだけで
その後の状況は全然望んでない
胸焼けしてもそれも経験かなと思って
ちなみに何ケーキを買ったんですか
普通のオーソドックスな白い
ショートケーキの大きいやつみたいな
あれを買ったんですけど
それこそきっかけがなくて
いつ食べようと思って
友達の誕生日に友達を祝うわけじゃないのに買いました
ネームプレートも載せてもらって
本人に写真だけ送りました
食べたよって言って
食べたよって言ってやりましたね
めっちゃ面白いな
ぜひお勧めです
送られてきてほしい
自分がやれるかもう30超えていいに自信がなくなってきましたけど
美味しいとこだけやってくれたっていうだけ
俺は食べなくても
完結する
本当だ
さすがに現実的なサイズのホールにしたの
2,3人用って書いてました
20合とか18合とか
ちっちゃめのケーキ屋さんに売ってるサイズのやつ
フォークでそのまま行く
ホールケーキに
フォークを突き立てるっていう経験ないですよね
外側から食べれるしね
やっぱりやってみたいかもしれない
お勧めです
最近うちの近くにシャトレーズができたんです
今月
行くしかないやるしかない
やってみたい
タガノフルーツパーラーのケーキがすごい好き
あれのホールケーキってめちゃめちゃ高いんですよ
あれに自分で
フォークを突き立てるっていう想像したら
すごい幸せな気持ちになります
そうなんですよね
だいたい兄弟いるとできないですよね
弟と妹がいるんでケーキとか取り合えたし
ホールケーキって多分夢だったはずなんで
大人になってできるようになってもやらない
確かにありますよね
そういう経験必要だな
心の栄養的な
そうですね
ご家庭持たれるとどうしてもお子さんファースト
になっちゃうのかなって勝手に思ってたりするんですけど
そうですね
自分のためだけにケーキを選んで買うっていうのは
幸せかもしれない
ちょっと違う幸せがあるのかなって
なかなか忙しいと余裕がないじゃないですか
失敗したくないですよね
でも青井さんもめちゃくちゃ忙しいじゃないですか
そんなことは
絶対医療系は忙しいと思うんですけど
その中でも心のうるおいを失わない秘訣というか
なぜ
そこに好奇心を持てるのか
だんだん自分が忙しいと見てるコンテンツとかも
チーカーみたいなものになってるわけですよ
誰も傷つかない幸せなやつみたいな
で脳死で見れるっていう
なんだけどその状況に対して
うるおいを求めて
飛び込めるっていうのがすごいなと思うんですけど
それってどうですか
なんでですかね
多分
仕事が好きなんですよ
なので難しいことも
うまくいかないこともたくさんあるんですけど
そういうものなので
逆にうまくいったときのことの楽しさのために働いてる分
別にオフの時間に
失敗してもいつも通り
みたいな感じなのかもしれないですね
もうやっぱり患者さんが難しいことを
一緒にやるのが仕事なので
できなくて当然というか
できないからご入院してくださってるわけですし
できることであれば私はもう
用済みになってしまう前提なので
そういう意味で言うとできるようになったところに喜びがある分
仕事でそういうできないことが
ストレスになるのはあんまりないのかもしれないです
じゃあもうそもそもできなくてもいいっていう
前提で働いているし
その延長上で自分のフリーな時間もあるから
特にそこにストレスがないというか
そうですそうです
あとお二人はどっちかというと
勝手に器用な方だと私勝手に思ってるんですけど
聞いていただけると嬉しい
どっちかというと本当にドン臭いタイプというか
1学んで5とか10できる方もいらっしゃれば
1やって0点何本しかできないタイプがいると思うんですけど
私は圧倒的にそっちなので
できないことに慣れているというか
うまくいかなくてもそりゃそうやわなっていう感じなのは
あるかもしれないですね自分に対して
なるほど
仕事から得る喜び
じゃあできようっていうそれを求めにいかないというか
まあそのなんだろう
確かにある種そういう意味で言うと確かに自分なんかは
容量はいいタイプだと思うんですよ
1で5くらいできるなみたいな目算で生きているので
それができないときすごいストレスなんですよね
あれなんでこんなにできないんだろう
今僕デザインの学校に
先ほど青山ブックセンターに行ってたっていうのは
デザインの学校に通ってそこに行ってるんですけど
デザインってそうなんですよ容量の良さとかじゃなくて
全然1いっても0.5くらいなんですよ
結構初めての体験というか
分からないものが来ちゃったっていう
それがすごいストレスで行くの嫌になってるんですけど
いやしかしこれはやるんだっていう意志でやってて
でも多分そういうものが青山さんにとっては苦痛じゃないんだろうな
というか1やって0.5なんだけど
それを積み重ねて1を超えていくというか
0.5を積み重ねれば別に2も3にも4にもなるわけじゃないですか
そうですね
全然苦痛じゃないってことなんですかね
やっぱりやるんだと思ってるので
人が1回でできることが5回やらないとできないのは分かってますし
1時間でできないのであれば
もう3時間かけるしかないと仕事に対しても
結構プライベートに対してもというか
もともとすごい容量悪い自覚というか自信があるので
もうそういうもんっていうところなのかもしれないですね
それめっちゃ
やや自分の知識に引きつけて話すと
研究とかができるできないっていうのの考え方の中に
学習率っていう考え方があって
それは何かっていうと結局人が1やって
どれくらい学ぶかって人によって違う
なんだけど5のことを学ばせたいときに
人によってかかる時間が違うんだけど
その人ごとに必要な時間を満たせば
その学習率は達成できるっていう考え方
つまり容量が悪いからできないんじゃなくて
積み重ねが足りない積み重ねがその人には足りない
っていうような考え方があるんですよね
それは海外とかの考え学習の科学とか
教育系の研究の中での考え方で
向こうだと流年とかが結構当たり前にある
のはその学習率を満たしていないから
満たすまでもう一度時間をかけようみたいな考え方
みたいでその話とすごい近いなと思っていて
自分の中ではこの学習率を満たすには
それだけしなきゃいけないという感覚値みたいなものが
それを実践されているのかなという感覚なのかな
というのを聞いていて思いましたね
そうですね
自分の学習率のかかる時間の基準みたいなものが
自分の中である程度確立されていれば確かに
他の人に比べてみたいなことに
あんまり思いやまなくても自分はこれぐらいのペースで
できるようになるんだな
っていうのと結構それは楽になれるもの
ショックはショックですよ
1でできたらいいのにと思って
なんでみたいなときはあるんですけど
しょうがないなっていうのはありますし
その分
人の言葉を褒めていただいた言葉を借りると
それは丁寧だからだし
まっすぐ向き合っているゆえのところもあるんじゃない
って言ってもらうことにすごく救われているな
とは思いますね
努力と成長のプロセス
そうかもしれないです
でもすっごいハーッと思います
自分に対して
そういう意味だと
前回のあおいさんの話を聞いてて思ったのは
より悪いとかは別に直接知らないのでわからなかったんですけど
ある種時間をかける覚悟があるんだな
っていうのがすごい思って
何かの一つの物事をやる
ここに自分がたどり着きたいっていうものがあったときに
無限というか途方もない時間をかける
途方もないっていうのもなんとも言えないところなんですけど
時間をかけてもいい
でもここにたどり着くんだっていう意思のことを
かけられる人なんだなってすごい思って
それってなかなかできないというか
続けることって難しいなと思っていて
続けさえすれば学習率の考え方でみんなできるんだけど
それがなかなか無理なんだけど
あおいさんってできる人だなと思って
それはすごいなってシンプルに思ったんですよね
すごい
救われますその言葉に
もう何回も反省します
しんどいとき
この子ねできないよね
僕デザインやめたくなってるしね
分からんすぎると思ってやめたいなと思うんですけど
でもやっぱりなんか続ければ何とかなるかもしれない
っていうのは少し思っているので
何とか
何とか続けようってこの何とか感というか
あおいさんの場合は多分それが当たり前だから
普通にやれてしまう
それだとしんくんが好きな漫画で
まかないさん
キヨちゃん
主人公キヨちゃんとあともう一人まいこさん
まいこさんを目指していて
なんだけど要領が悪くて
家に戻される女の子
なんだけど家に戻されるタイミングで
まいこさん達にご飯を作ってあげる
キヨちゃんっていう主人公の漫画
ちょっとこれは説明的ですけれども
ポトキャストなんでね説明させていただいて
この漫画があってこのキヨちゃんって
すごいコツコツできるタイプというか
雪かきの描写覚えてますか
覚えてる あれを思い出して
雪かきってすごい短時間でいっぱい描ける子もいれば
コツコツやれる子もいて
キヨちゃんは圧倒的に後者
なんだけどすごい短時間で雪かきをするお友達2人は
すぐにバテちゃって先に進めない
キヨちゃんはすごい時間をかけてコツコツコツコツ
ずっとやり続けて最終的に一番雪を描いている
みたいな描写があって
なんかそれすごい印象的だったんですよね
やっぱり1で10飛べてしまう人って
その快感を持ってるんで
でも1で10飛ぶっていうのを続けられるっていうのが
結構難しいというか
結局何か新しいことを例えば学んだ時に
0から1って早いだけど
1から10、10から100ってなるにつれて
やっぱり難しくなっていくじゃないですか
だから学習の後方になればなるほど
やっぱりキツくなる山がキツくなる
1、10の人って多分そのキツい山は登りきれない
ってことが多いんだなと思っていて
ただもう自分がコツコツやるんだって決めている人の方が
1、10は遅い、0、1は遅いんだけど
1、10、10、100は乗り越えられちゃうみたいなものは
あるのかなとはちょっと思うんですよね
そうだね、なんかずっとそのあおいさんの仕事の話とかを聞いていると
なんだろうな
朝ドラの主人公みたいな
これは月句でもないし
時間と経験の重要性
日曜劇場でもないんですよ、朝ドラなんだよね
朝ドラって結構長い
その主人公の子っていうのは結構その子のペースで
ずっと生きてて、それが活写されてる、描写されてる
っていう感じをすごく感じるっていう
それが今のすごくゆきかきの話と繋がった
だから朝ドラなんだっていう
めっちゃわかるよね
今まで会った人の中でもやっぱ断トツで朝ドラなんだ
すごくいい意味で
すごい美化されている
朝ドラ的にっていうのはすごいしっくりきますね
なんだろう、日常に起こることとか
仕事で出会う感じとか
起こることとかとの向き合い方みたいなものが
なんかそうなんだよね
そうですね、やっぱとっぴなことがいっぱい起きる仕事なので
そうですね
ハプニングが向こうからやってきてくださる
ので確かに朝ドラ的ことが起きたって
しんさんに確かに
ちょこちょこ話したりとかもありますね
スーパーボールを心のお守りに
看護師になったチュラさんか
13歳のハローワンクをお守りに
言語聴覚になったアオイさんかぐらいの
確かに
友に助けられみたいな
確かにそうですね
そうかもしれないです
自分の時間軸みたいなものを
持てたらいいなって思うのと
特に我々の業種とかだと
ITとかに寄ったりすると
都画スピードみたいなものが
求められる前提にあったりすると
なかなかそれを自分の中で打ち立てていく
のはより難しいのかもなとかも思ったり
もちろん色紹介はゆったりやってるってことでは
ないんだけど
長い時間に向き合う覚悟みたいなのを
どこで持てるかの世界なのかなとは
思ったんですよね最近
働く僕らも起業したくてその延長で
やっているものではあるんですよ
企業とかってなると速さみたいな
なんだけど
早く成功したければそうなんだが
最終的にうまくいけばいいやっていう覚悟の決め方
10年かかってもいいやみたいな
そういう覚悟の決め方でやってる人って
あまりいないんじゃないかと思う
別に言い悪い話だと思うんですけど
早く快楽にたどり着きたい成功のみたいな
追い求めていたときが結構しんどくて
今僕は色々失敗もあってやってるのは
積み重ねなんですよね
何年かかってもいいやっていう
積んでいくというか
平べったい石を積んでいるイメージで
アオイさんほどやれてないと思うんですけど
そういうイメージなんですよね
今までの自分と違うマインドになってきていて
これだなって思ったというか
でもそれは絶対的な正しさとかではなく
相対的なものであって
人によってそれぞれでいいと思うんですけど
こういう積み上げ方というか
どれだけ積めるか
どんなに辛くてもその薄い石をその1日積めるかっていう
でも時にはすごい厚い石を積めるかもしれない
というのが重要なんだろうなって
そういうふうに思いますね
どれだけ積むかっていう覚悟を決めて
その途方もなさに
だってこの高さに積むのにこの薄さかよみたいな
しかも1日1枚しか積めないのかみたいな
そうですね
でも積み始めて
時間が味方してくれると思うんですよね
最終的に
積めなければいけない
じゃあやっぱりできる限り早く積み始めたほうが良くて
最終的に積んだものが多分
人になっているというか
その人の何かになっているんだろうなってすごい思うというか
なので積み上げるっていいなって思うというか
時間が味方してくれる最終的に積んだものの
だってもうそれは自分が積んできたもので
いきなりそこにたどり着けないじゃないですか
いきなり始めても
なんでそれがいいなって思って
そんな考え方ですね最近
最終的に積み上がって何ができ上がるかも
100想像できるわけでもないという趣味もあるし
面白いですよね
変わったきっかけはあるんですか
それはもう全然うまくいかなくて
企業が全然ダメって言って
一瞬やめようかなって思ったんですけど
でも自分の人生的にこれは
自分でやりたいなと思った時に
成功への覚悟
覚悟の決め方が変わったというか
フラッと会社員に戻れるとかやめようかなと思って
戻っているかもしれないのでなんとも言えないんですけど
もうちょっと覚悟を決めようかなって
その生き方の
その時に別にこう生きるって決めたんだったら
短期間でうんちゃらって話じゃないやと
生き方の話だから
こう生きるんだから別に期間はないよねと
じゃあもう積めばいいやっていう
あとはやっぱり短期間で何かを
組み立てようとした時の
残らなさというか
失敗した時何にも残らない
積み上げようって薄い石って
高いんだけど
倒れやすいというか
薄いんだけど広いというか
土台がしっかりしているというか
そういうものなんだなってなんとなく実感したので
薄くて広い石をとにかく積もう
多分これをやり続けるっていう覚悟の下
やり続けたら勝てるんじゃないかというか
勝てるっていう言い方もあれなんですけど
自信みたいなものがあり
いろいろ失敗し全然ダメだって
今年の1月とかになってたんですけど
それから変わりましたねだいぶ
あとは自分のキャリアとかを振り返った時に
何だろう
積んできたものってある絵でもあるじゃないですか
それがある種
何だろうユニークだなって思ったというか
みんなそうじゃないですか
経験しないと分からないですよね
社会人1,2年目じゃ分からなかったけど
5,6年積んだら分かるものって多分あると思っていて
っていう感じですかね
いろいろあって積むことにしましたね
なので積み上げる先輩として
青石さんにお会いできることもすごい
いいなと思いましたね
続かないことは続かないので
それはありますよね
青石じゃなかったかみたいな
確かに積めるものを積んでいく
すごい大事だなって思うんですよね
相手にいるとどうしても速さみたいな
早く成功しないとみたいなのが多くて
それが虚しいように見えてしまうこともある
でも成功したい
早く成功したい
そうなんだけどっていう
でも2,3年の最大値で生きてるわけじゃない
人生って長い30年とか
30年幸せに生きるってどういうことだろうとか
その長い時間軸に対して
自分が何を思うかっていうことなのかなとは思っていて
青石さんとかもそういう想像があるような
聞こえ方なんですよね
具体的ではないんだけどこういう人になりたいとか
こういう患者さんとの関わり方をしたいっていう
明確な想像があるような気がしていて
それを人生をかけてやるみたいな聞こえ方が
ちょっと大げさかもしれないんですけど
ある種ここは積むみたいな
印象はありましたね
そうですね
具体的なキャリアプランはそんなにないんですけど
思ってることが2つあって
1個は全部やって諦めること
やっぱり自分のやり方じゃうまくいかないことも
どれだけ私がすごく頑張っても
やっぱり患者さんが全員等しくお元気になるわけではないので
うまくいかなかったこととか
それこそ成せなかったこととか
いっぱいあるので
でも後悔しないように全部やってから
患者さんとご家族と一緒にみんなで諦めよう
っていうところが1個あるのと
あとはすごく尊敬している恩師と呼んでいる
自習時代の先生がいらっしゃるんですけど
その人に言われた
私自身が患者さん担当している方のことを
一番知ってなきゃいけないっていう風に
言われたことがあって
それはご病気のこともそうですけど
その方が今までの50年60年70年
どういう風にお過ごしだったか
何が好きでどんな生活をしていて
どんな風に人生を生きてきたのかっていうことを
ちゃんと知った上で考えなきゃだよっていう風に
言われた時に
知識量も技術も多分足りないことはずっとあるけど
それならできるかもなと思って
なるべく知りたいなっていうのはありますね
いやー
もういい話すぎて
なんかすごい想像できるというか
なんかその人の人生と多分向き合う仕事なんだろうなって
すごく思うですよね話を聞いて
ちょっと聞いただけなんで全然知ってる口を聞いてしまって恐縮なんですけれども
でも最後その人が何を食べるかとかを
決める瞬間もある中で
それって多分人生が凝縮されているというか
その瞬間に立ち会うもしくは一緒に決めていく
なんでこう
そういう仕事って結局早く成功するとか
そういう軸じゃないじゃないですか多分
だからなんだろうな
その土台そしてその覚悟の決め方というか
そうしたいっていう思いが多分こう
長い時間軸に対する
こうなんだろうな覚悟というまでは言わないかもしれないんですけど
が明確にあるような聞こえ方なんですよね
だからそれこそ企業をしてIPをして成功したいですみたいな
患者との向き合い方
そういうこう5年みたいに
5年とかそういう短いスパンの話ではなくて
その人の人生と向き合える人になるって
そういうものとは少し違うような気がしていて
別々が言い悪いの話では全くなくですね
なんかそれは素敵だなって思ったんですよね
ありがとうございます
一見症状と向き合う職業のようにも見えるけれど
じゃあ症状と向き合うっていうことは
突き詰めるとどういうことなのかっていうところが
青井さんなりに原稿されているというか
自分なりに腹落ちしたり
模索したりしながらやっているのかなっていうのはすごく感じる
ところですね
短期的に治ればいいみたいな話にはあまり聞こえないというか
そんなことがそもそもあるのかもわからないんですけど
症状と向き合うじゃないですよね
お医者さんだと症状と向き合うだと思っていて
そういう短期的なスパンもあるのかなと思うんですけど
青井さんの仕事は症状と向き合う感じは確かにしなかったんですよね
向き合っているんだけど
より背後にあるものと最終的には向き合っているというか
なんかこう
症状として存在する具体的ではないんだけれども
ある確かに存在するもの
人生みたいなものと向き合う
みたいなことなのかなとは思いましたね
そうですね
それは大事にしたいなとは思っているんですけど
ただ純粋に知識が足りなくて早くできないっていうところも
もちろんあるとは思いますし
やっぱりどの方も等しく
一番思っていることは早くよくなりたい
なのでもちろん早く結果を出したい
はあるんですけど
それがやっぱりうまくいかないこともいっぱいある
ってなった時にその人が
なんでそれをしたいのかっていうのは知っておきたいし
お話ができるとなとは思いつつ
話したくない人に踏み込みすぎて
なんでお前にそんなこと言わなきゃいけないんだみたいなことを
言われることはやっぱりあるので
そこの見極めはまだまだちょっと修行不足だなとは
思いますね
すいませんみたいな
ありますね
人と向き合うっていう
心の栄養と自己振り返り
難しさですよね
そうですね
面白い
踏み込まれたくない人にどう踏み込むかって言う
でも話してくれないと困るし
そうですね
全然違う領域ですけど
人と向き合うっていう観点ではきっと同じなのかなと思った時に
その難しさって多分早さとかの世界ではなく
自分の中に溜まっていくものがありますよね
その上手さというか
なんでしょうね
知識みたいなものは別に
早く獲得することもできるんですけど
その手触り感みたいなものというか
デザインの学校の先生が言ってて
手触りというか
手に溜まっていくものだから
AIとかインターネットとかそういう知識では保管できないみたいな話をして
そういう話なのかなと思う
手触りが手に溜まるってすごいいいなと思った
素敵だなと思いました
何の話をしているのか分からないうちに
1時間くらい喋って
時間はここ8時までだから
スタジオが
いい感じに話が詰まったので
この辺りですか
この辺りにしましょうか
最後軽い話で
僕が話すとどうしよう
重たくしがちなんですよね
重たくしがちだなって自覚があって
逆に軽くしがちだなと
バランスがいいんだよね
しんくんに救われているところがある
前に聞いてくれた時に
働く僕らが聞いてもらった時に
それぞれのパーソナリティごとのカラーが
明確に出ている
収束と発散みたいな
本当にその通りだなって
綺麗に上手くまとめることができずに
どちらか知って終わっちゃう
軽くなるっていうのがあるんですよね
しんくんはどちらか知って
でもいい話聞いたなって思う
どっちも良さがあるので
一リスナーとして
言わせた感じ
いろんな話を引き出すのがすごい
しんさんはお上手だし
文部さんの言語化というか
いろんなことを自分の中に落とし込んで
こういうことですよねって広げていくところ
すごいと思って
すごい良いバランスですし
どちらかの解があって
違う方の解があって
毎回新鮮な気持ちで聞けるのが
すごい楽しいと思って
いつもありがたく聞いてます
これ宣伝に使うね
おびにしたいね
推薦文としてね
今我が番組のトップ回
トップ再生数回のゲストさん
いっぱい皆さま聞いていただいているので
ノートの方でもすごい反響をいただいてたので
出させていただいて
ありがたかったです
ありがとうございます
引き続きいつもお越しいただいて
次は年明けくらいにまた来てもらって
やりたかったことがちゃんとできたのか
答え合わせね
ちゃんとそばは売ったか
ボルダリングはしたか
ケーキ食べましたかって
サバイバルゲームで打ちまくりましたか
振り返る回をやりましょう
新しい体験をしましたか
心の栄養
心の栄養も働く人にとって大事ですからね
そういう企画でね
何でもできちゃうね
広げ方すればね
しんさんとあおいさんの対話
あおいさんすごい聞いていただいているのを
感想会とかね
年末とかに
一年の総括
プレッシャー
呼びつけて感想を言わせて宣伝に使う
横島なね
ご飯くらいはご馳走させていただいたので
何人か呼んでいただけると他に
ぜひ感想会
総括編もお待ちしておりますのでね
したためておきます
ありがとうございます
そんなところでおしまいですかね
そうですね
今回は漫画編でしたね
あおいさんにお越しいただいてありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました