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2024-04-19 28:00

国も仕事も文化でつなぐ 後編 | Satieさん(MBA) with Shin

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第十一回目のゲストはMBAを取得するためにスペインのマドリッドに留学中のSatieさん。日本の大手メーカーの工場勤務から、IT系のコンサルタントを経て、海外MBAに挑戦することになったSatieさんの働く話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうを考えます。

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サマリー

SatienさんはITのソフトウェアのコンサルタントとして活動しており、2つの会社での経験について語っています。外資のIT企業で働くことを選んだ彼女は、お客様と協力して課題解決に取り組むことが楽しいと述べています。日本と欧州に拠点を置き、文化を愛する人々と関わりたいという思いから、MBA留学を決めたSatireさんは、学びを通じて未来への選択肢を拡げられることに気づき、日本に帰国する予定ですが、欧州にも拠点を持つことを考えています。後編では、日本の聴衆の質が高く、芸術を深く愛している人々がたくさんいることが明らかにされています。日本のマーケットは他のアジアのマーケットに比べて特別であり、自分がそのマーケットにいることで何かを成し遂げることができるという状況が生まれると述べられています。国も仕事も文化でつながれる可能性があると感じています。

外資IT企業でのコンサルタント経験
じゃあ、後半も引き続きお話を聞いていきたいなと思うんですが、
Satieさん、前半は1社目、経営メーカーで2年半、工場勤務、関西で仕事をした後に転職をして、
ある種晴れて東京に着いたということなのかなと思っているんですが、
この外資のITの会社では、これをそのITのソフトウェアのコンサルタントをやろうと思って、その職種で入社をしてっていう感じだな。
厳密には、ゲストものとも言えるというのが正直ありますね。
まず、家として背景にあったのは、YESという部分については、まさにそうです。違う仕事をしたかった。
それがより個人的な裁量によって、業績が変動するというのはおこがましいですけども、
もっと、例えば上司の決断を取らないとこれはできないとか、そういったピラミッド式の働き方じゃなくて、
どんどんどんどん上に上進して、仕事の中でも自由な動き方、あるいは働き方ができる場所に行ってみたかったというのがYESである理由です。
NOとも言える、そこの背景については、簡単に言うと、工場の営業みたいな仕事と違う仕事がしたかったというのが先に来ていたので、厳密には選んでなかったんですよね。
なので、とにかく関東で違う職種でというところの思いが先に来ていて、それでいて何かしらのプロフェッショナルに今からスタートとして慣れるものというふうになったときに、
消去法的にその仕事に行き着いたというのも背景としてあります。なので、今のご質問に対しては、YESとNOの両方が答えとして言えるかなというふうに思いますね。
実際にそのソフトウェアのコンサルタントっていうのは、あんまりまだイメージが湧いてないんですけど、もうちょっと詳しく聞くと、どういう仕事内容なのか。
そうですね、そのソフトウェアを例えばですけれども、いろんな会社さんがあるじゃないですか、外資系のソフトウェアを作っている会社さん。
そこのコンサルタントになるということは、そういった会社がライセンスを出していますと、ライセンスっていうのは例えばサーティフィケートというか、
この分野のこのソフトのこの分野についてはこの人は専門家ですよというふうな証明書をテストを受ける必要があるんですけれども、獲得できますと。
そのテストを受けたときに、自分自身としてはそのソフトウェアの中でも2種類のプロフェッショナルとしての認証を受けたので、
じゃあこの資格を持っているコンサルタントとしてこのチームに入りましょうみたいな形に、まずコンサルタントになる前に研修を受けて、
自学自習をして、その資格試験のテストを受けて認証を受けたらば、じゃあ今度はチームのメンバーとしてそのソフトを実際にとあるお客様ですね、
会社に導入する際にコンサルティングチームの一員としてそこのメンバーとして働くと。
実際にやるのはそのソフトを例えば導入した際のテストをやってみましょうというものがあれば、コンサルタントということは要件定義とかそういったことがいっぱい出てくるんですけど、
その会社様が求めるニーズが何かというものをまとめてみましょうとか、それを今度は上の方に伝えた上で上の方々の意思決定を待つ、
その判断を待った上でまたじゃあ今度お客様が伝えるとか、そういったどちらかというと一生懸命で生きたような円滑な会議運営とかのために自分ができることが何かというのを探してやってたというのが今思えば当時の仕事ぶりでしたね。
どっちかというとチームで多分結構聞いてると大きい会社とか、あるいはすごい会社の範囲の広いソフトウェアなのかなっていう想像はしてるんだけど、
チームでもうそれはあれなんですか、契約が決まったところに対してというよりもその入れるかどうかっていう部分も含めてコンサルティングセールスみたいなことになるんですか。
いわゆるそれは営業を先にする部隊の方々がいらっしゃって、締結をしたものを自分たちのコンサルティングチームに降りてくるんです。
締結されたものということは営業の方々がこういったものを提供できますよというふうにもちろんお伝えをして契約書を持ってきて、
そこにサインをしてお伝えいただいたとおりのものをうちの会社に納めてくださいということで我々が入れていくこととしてそこに入っていったと。
なのでいわゆる最初の通信の作業っていうのは営業の方々がやっていただいて、今度は実際に現場でそのソフトを導入したいとおっしゃっている部門の方々と協業して、
課題はこうですね。今こういったものがあるんですね。こういった課題とこういった理想の状態があるんですね。それを形にしていくために我々はお手伝いさせていただきますよという形です。
なのであくまで契約を結んだ後の話になる。
はいはい。
それは何だろう、実際にその業務をやってみてというか、どういうところが面白いなと。おそらく何か結構やりたいなってイメージしてたことと近そうな仕事になっていったのかなと聞いてて思ってるんですけど、
何かどういうところが面白いなとかって思いながら働いてたとかありますか。
2Cのお客様との接触
ありがとうございます。まずちゃんとした部分から言うと、2つあるんですけどね。ちゃんとした部分から言うと、2Cのお客様と接触できるというのはすごく楽しかったです。
それまでだってやっぱり社内の調整ですとか、2Cのメーカー、2Bのメーカー、メーカーの場合は基本的にどういったビジネスをするのかというラインがしっかり決まってしまっているので、
そこの部分に立てる人っていうのはもうあくまで一部に過ぎないんですよね。他の人間は基本的に原材料の、例えば輸入からそこにかかるコストがどれぐらいなのかとか、
例えば当時あったのは関税戦争があったんですけれども、じゃあそこにも影響がどれぐらいあるのかというふうな、どちらかというとその社内の数字とか、
どういった影響が国際情勢から社内に来るのかといったような内部の仕事が多かった一方で、基本的にとことんお客様と向き合うことができた仕事というのは、それまでの自分が経験し得なかったことでもあったんですよね。
そこは仕事をしていて楽しかった部分でもありましたし、やっぱりお客様の中にも、もちろん常に敵対関係にあるというふうなことはまずないんですよ、ビジネス会社は。
関係であることから自明の通りなんですけれども、まず基本的にはお互いに協調していきましょうというふうなやりとりから始まるわけなので、まず有効関係のことに仕事ができるというのはすごく楽しかったです。
どうしても一社目にあったような、そういう関税の影響を受けて、あるいは収めるお客様の納期をどう守るのかというふうな、ちょっとピリピリしたような仕事とはちょっと違ってですね、
これだけの期間にこれだけのことをしてくださいねというふうな前提で、相手の会社の中にある課題を絞って、それを解決していくプロセスだったので、基本的にこの仕事をするということが、
何か誰か敵を生むような仕事ではなくて、その会社の中の課題を解決していくということだったので、いわゆる最初にお伝えしたような2Cの仕事ができていたことと、
あとは達成を何かしらしていけば、それが自動的に相手の中にある課題を解決していくことにつながっていったので、より自分の想像していた仕事に近いものだったんですよね。
そこにはもちろん、いわゆるしがらみですとか、あるいは内部調整が必要だとかというふうなことはあまりなくて、なのでそういった心理的な負担も少なく、
もっというとコロナの時期でもあったので、自分は客先になるべく出向きたかった人間だったんですけれども、まさかそれが一応やる人によってはすべてがオンラインで解決するような仕事もできた。
同僚を見ててですけど、すごく不思議な時代だったなと思いますし、すごく自分にとっては新鮮な仕事ができたなというふうに思います。そんなところですね。
しがらみとか内部調整みたいなものから、そこから自由になるというか、それがやっぱり、今その2社目を経てみると、そういう業務っていうのは結構あんまり自分の中では好きじゃないなというか、できればそんなに咲きたいとは思わないなって実感を受けたって感じ。
もちろん1社目の方々、皆様がそういったことに関わっていたかというと全くそういうわけではない。自分としては当時若かったので、1年目とか2年目とかそういった時期だった。
やっぱりいろんな部門の中にもある、いろんな構造があると思うんですけど、そこをやっぱり自由に行き来できるのは新卒ならではのある種フットワークの軽さには恵まれていたと。
一方で疲弊していた自分もいたなというのは、2社目に来てみて思いましたね。内部調整が意思決定に大きな影響を及ぼすような組織があるのかわかりませんけれども、もしそれがあったとして、そこに今からのキャリアを一定の割合で割いていかなきゃいけないと言われたときには、ちょっと顔をおしかめてしまうかなと。
もちろん、人間関係を公式するという意味では、いろんな方とお仕事をするためにもちろん飲みの場ですとか、あるいは関係性をより円滑にするためにも、ぜひ一緒に食事にとか思いますけども、これが毎日ですとか、あるいは毎週この日はちょっと会食しましょうという風になってくると、またちょっと別の振動さみたいなのが出てくるのかなという意味では、今おっしゃったとおり、なるべく避けられればありがたいなというのは本音ではありますね。
ありがとうございます。
いえいえ。
そういう意味では、ちゃんと解決すべき課題みたいなものがあって、それを特定してある解像度みたいなものを上げて、それをちゃんと取り組めば、それがそのまま解決されるっていう、結構シンプルな構造みたいなのがショーに合ってたなっていう。
そうですね。
もちろん、一個一個の課題がそんなシンプルに解決できてたら、コンサルターとかいらないという。
構造としてはその通りです。
課題解決と責任の軽減
時間は要するんだけれども、それを解決していくにあたって、お客様ですとか、あるいは社内の方々と一緒になって頑張って働ける、かつそれはまだ若かったので、責任を負う立場ではなかったわけですよね。
もちろんコンサルターとしては責任を負いますけれども、それが例えばマネージャークラスですとか、いわゆるこの契約はあなたの助人権というんですかね、任命するメンバーによって仕事の出来不出来が関わってくるんですよっていうふうな立場ではなかったことは心理的にはすごく楽でした。
なので、ビジネスの構造としてはすごく好きなんですけれども、立場が変わるとじゃあどうかなっていうのはまた別の考え方を考えるべきかなと思います。
全然本数に関係ないけど助人権が懐かしすぎてちょっと手返しを思い出します。
正しい言葉は何て言うんでしょう。
任命権。間違ってもないと思う。
ごめんなさい。
この大使のITの会社には結局何年ぐらい勤めてたんでしょう?
大使も3年3ヶ月ぐらいですかね。
割と仕事としてはある種充実していて、ただ今それから退職して今多分留学していると思うんですけど、
それは何を考えてというか、どんなことを思って今マドリードに飛び込んでみようと思ったのかをここから後半の後半では聞いていきたいなと思っています。
ありがとうございます。今いただいたご質問に回答するとすれば、ちょうど2社目にいた時期というのがコロナだったんですよ。
まさに研修を終えてじゃあ飛び込むぞっていう時になった途端にコロナになって、そこから事実上2年ぐらいはある種不自由な時間が続きましたよね。
2年半ぐらいか。第5類に移行してようやく元の世に戻ったと言うけども、そこまで本当に3年近く時間を要したのが日本の状況だったと。
何が言いたいかというと、当時とある方のブログを読んでたんですよ。
それは他のMBAの方が発信してらっしゃったブログというかノートですね。
ノートを読んで、それが割と毎週レベルで更新されていってすごく明瞭に言語化されていて、
MBAとは何なのか、MBAに留学することのメリットは何なのか、あるいはかえってデメリット弊害は何かとか、
行くことによってどういったその後の未来が描けるのかというふうなものを見ているうちに、
当時時代というか世相もあってすごく閉塞感に満ちてた時代ではあったので、
転職してもないこともあったので、何かちゃんと仕事をしてから辞められればなというふうに思っていた一方で、
海外にそれまで毎年行ける時期を見つけて行ってたんですよ。
ところが行けない時代が2年というか、2年以上か3年ぐらい続いて、
いやーちょっと海外行きたいなあ、でも今もうこの年で海外に行ってしまうと、
ある種その後のキャリアを描きたいというふうになった時に、
あなた何してたの?というふうになって、いや自分世界一周してたんですとか、
まあこういった理由で趣旨を取りに行ったんです。
と言えるのはまだいいと思うんですけれども、
その後の未来を描かずしてその次のステップを踏むというのは、
自分はすごく怖かったんですよね。
なのであくまで行ってみてどうなるかわからないけれども、
次の未来に何か繋がる場所に行くことを前提に、
それでも海外でっていうふうになると、
とりあえずMBAが残ったんですよね。
やっぱりこう簡単な話じゃないんですけれども、
学費がすごく高いと。
ただ他のじゃあ学費がもっと安い修修業は選択肢なかったのかというふうな質問を
必ず受けるんですけれども、
海外は日本と少し違うところが、
まずその後の未来を描いた上でその学部あるいは学科に行くことを前提として
カリキュラムが組み立てられていることが多いですと。
そうすると例えばジャーナリズムの修修業を取ったら、
基本的にジャーナリズム関連のメディアですとか会社に、
その後の進路を描いているよねというふうな前提で
就活のインタビューとかがされるんですよね。
そう考えると、その先何がしたいのかわからない人間が
とりあえず合格したから、じゃあジャーナリズムの修修業を取りに行こうというふうに
仮になってしまったとすれば、
自分の未来っていうのは、
何をしたいかわからない時の自分が
とりあえず受けてしまった大学院によって規定されてしまうと。
これは結構な恐怖心だった。
だったか、今すぐ行かず、
ちょっとちゃんと勉強して、ちゃんと情報収集をした上で
学校を決めようと。
それでまずMBAに行こうというふうになったんですけれども、
これは正解でした。
いただいた質問に対する回答としては、まずそこですかね。
まずは、要はその後の未来がわからなかったが故に、
その未来の選択肢を残した状態で一旦海外に行くと。
そのためにMBAに行ったっていうのが正しいです。
MBAであれば、ある意味で職種を限定しないし、
幅も広げられるし、
っていうところなのか。
おっしゃる通りです。
人によってはそれがトリプルチェンジという言い方をする方もいらっしゃるんですけど、
何かというと、働く会社を変えるのはもちろん当然なんですけれども、
いわゆる業界を変えるとか、職種も変えてしまう。
なので、例えば日系のメーカーで営業をしてましたという人が、
いわゆる話は日本ですよね。
これがヨーロッパかフランスで、金融機関でアナリストとしてみたいに、
そういったトリプルチェンジができる人っていうのはごくごく少数であるんですけれども、
それがいきなり転職をしますって言ったら、まずその道はないんですよ。
それがMBAを挟むことによって、
インターンシップを一旦挟む必要があるんですけれども、
そういったトリプルチェンジを成し遂げた方々っていうのはいらっしゃいますと。
その話を伺ってみると、
何がしたいかわからない人が行くのに最適な場所はどこかと言われたときに、
MBAですねっていうふうに側頭されてしまうのは、それが理由だと思うんですね。
もちろん、当時のポテンシャルと、
あとは持っている実力、あとは学力も含めてですけれども、
その本人の実力が全てではある一方で、
その切符をまず持たせてもらえる土壌に飛び込むことができるのは、
MBAだけなんだなっていうのが当時の学びとしてあったと。
文化に関わりたい意欲とスペインの状況
故にこの学問を選んだ。
あれ、今は実際に学び始めてどれぐらいになるんですか?
そうですね、私自身は23年の1月の入学でこちらに来ているので、
もう1年?
そうです。あと半年で終わります。
半年。あっという間だな、確かに。そっか。
早いですね。びっくりです。
すぐに30代の終わりを迎えて40代に突入するんですよ。
どうなんですか?1年やってみて、
より未来を描かずにステップを踏むのが怖いっていうのがあって、
今実際にいろんな選択肢を担保できているような状態で学びを続けてみて、
この先のステップみたいなものっていうのはちょっと見えてきてたりするものなんですか?
それともそれはまだもうちょっと違って勉強に集中しているっていう感覚なんですか?
これがですね、すごく素晴らしい質問だと思います。ありがとうございます。
回答がいっぱいあるんです。
ありがとうございます。
自分自身としては、1年のプログラムだったら多分もやもやして終わってたのかなっていう気がするんです。
やっぱり人間、長いスパンで物事を考えるには、
2年ぐらい時間をかけた方がいいなっていうふうに最近の悟りというか、学びとしては思うと。
じゃあどういう未来が見えてるんですかっていうふうな最初の質問だったんですけれども、
一応ですね、おそらく日本に帰国をするだろうというふうに思ってはいます。
ただ、こちらに拠点が欲しくないのかと言われたら欲しいことも事実です。
なので、自分自身の場合は日本と欧州に拠点を置いて、ご存じだと思うんですけど、私すごく文化が好きなんですね。
ビジネスプロフェッショナルは文化にもすごく分かってる人がどれぐらいいるかというと、
やっぱり資本家サイドまで資座を上げてみると、
割とコンサートホールにいらっしゃる方々、あるいは美術館で見かける方々のうち、
スポンサーになっている方々はそういったレベル感の方が多いと。
幸いにもよくコンサートホールに通っているので、
そういった方々とアクセスする経験というか機会はもらえたんですね。
現に5月に演奏会を企画しているという話はこの後しようと思っているんですけれども、
その観点で言うと、日本にまず戻って、おそらくまたコンサルティングなのか、
あるいは事業会社に入るのか、これはもう正直いただいた内定次第で行き先を変えるとして、
今ここに行きますというふうには正直明言はできないのは残念ながらありますと。
一方でこっちに拠点が欲しいというふうにお伝えした理由としては、
せっかくここまで構築することができたコネクションは、
日本に帰ってからも、例えば彼らのうちの誰かがこのオーケストラを来日させたいんだと、
日本の演奏会場に行きたいなというふうにおっしゃっていたとして、
そこに何か助言ができるか、
自分が人と人の間をつなぐ職場のような存在になって、
彼につなぐことによって彼らのオーケストラの来日声が実現したというふうな形になれば、
それは本望なんですよね。
他の国では多分できると思うんですけど、
自分がいる国、もちろんここでは伝わっていると思うのでお伝えすると、
スペインには芸術を使うようなエージェントというのは、
残念ながら自分が探したところはいませんでした。
いらっしゃるのであればこれは撤回はしたいと思うんですけれども、
自分の観測する範囲の中ではドイツにはいてもフランスにはいても、
イギリスにはいてもオーストリアにもちろんいます。
ところがスペインにはそれを専門とするプロフェッショナルの方はいらっしゃらないんですよね。
なのでここには自分はひょっとしたらアントレプレナーシップというか、
企業化精神を発揮してそこに食い込んで、
最初はもちろんお金にならないですよ。
お金になることを目指してそういうことをやるわけではないので、
その足掛かりとして5月に予測が企画していくのが一つ大きなところでありますね。
ちょっとすみません話が長くなっちゃったんですけども。
なので日に拠点を将来的には持てたら嬉しいなというのが本音です。
キャリアみたいなものも追いつつ、
コンサートはクラシックがすごく好きだっていうのは僕は前提としては知ってるんですけど、
欧州に拠点を置きたいっていうのはやっぱりそこに例えば今企画してるような、
プロモーターとしてであったり、
そこに同時に携わっていたいっていうのがやっぱり強い。
そうですね。
将来の展望と文化へのアクセス
やっぱり文化を愛し、文化に愛されてるかわからないですけど。
それはサンシャインにできない。
文化を愛する人間としては、ちょっとエゴイスティックでしたね。
失礼しました。撤回します。
文化を愛する人間としてはですね、やっぱり、
それぞれに、
こっちに来てから思ったことなんですけども、
日本のその聴衆とか観衆の質がすごく高いということを理解しました。
もちろん、一言で言えないですよ。
インスタ映えとかいろいろあると思うんですけど、
そういったお客様もたくさんいらっしゃる一方で、
すごくその芸術を本当に深く愛して、
とことん追求した結果、とてもたぐい丸な新美が持たれるお客様もたくさん、
東京とか関西とか日本全土にいらっしゃることを前提としておくと、
彼らを求めて、
こっちから、むしろヨーロッパから日本に演奏する舞台を求めに行きたいという方々もたくさんいらっしゃると、
この事実には気づけたのがすごく大きかったです。
そうすると、マーケットとしての日本の存在感というのはまだまだ衰えてないどころか、
むしろそれは他のアジアのマーケットに比較しても、
日本はやっぱり最初に前半でお伝えしたような特別だという感覚っていうのは、
こちらのアーティストにはより強く持たれてるんですよね。
なので、我らが求めるマーケットに自分がいることによってアクセスしやすくなるという状況を、
自分が少しでもそこに貢献することができるのであれば、それはまた別の意味で本望ですし、
職場に至る人間としてというのは、ビジネスにおいても、こういった文化においても、
日本のマーケットの存在感
自分がいることによって何かが成し遂げられるという状況を作っていくというのは、
自分の次のキャリアプランというか、目標としては起きたいところです。
キャリアとしては。
それを聞くとすごい、一社目の最初の話の海外での知名度のある会社みたいなところから、
やっぱりどこか繋がってるんだなっていうか。
それは海を渡ったりなのか、もちろんもうちょっとビジネスのミクロで見たときの関係性みたいなところもあるのかもしれないけど、
これだけ素敵だなって思うのは、そこのキャリアみたいなものも、
劣悟させずに、文化が好きであるっていうところを、
ちゃんとおろそかにしないで、
そこに同じ熱量があるっていうのがすげえいいなっていう。
そうなんですよ。
今、ヨーロッパだとどれくらいコンサート行ってるの?だいたい頻度としては。
僕、きのう、一昨日、今日行ってのほうで、たぶん通算ですよね。
通算滞在が400、今日で28日目なんですけど、
今日行くまで170なんで、事実上2、3日に一回のベスト行きますね。
ただ、日本でこうはいかないんですよ。
なぜかというと、額割で、ただ同然の値段で聞けるというと、
実質にさえすれば、スペインでの暮らしというのはすごく安く済むので、
円安がひどいというふうな状況といえども、
まだ日本と同じ金銭感覚で超出合成とはいるかなと。
もちろん、投資した金額の額はすさまじい事実なんですけども、
あとは文化生活も含めてですけども、
それこそ美術館も無料の時間があったりですとか、
コンサートも時折招待券をいただけたりとか、
額割で5ユーロで聞けたりとか、
日本だと1万円するものが、それはすなわち800円とか1000円であるということを意味するので、
来れば来るほどある種、原価消却なんですよね、僕からすると。
ゆえにレスで来てます。
最高です。最高だな。
なのでスペインでの生活を楽しんでいます、今は。
なるほど。今後、ダブル未拠点なのか、
どれくらいの比率になるのかわかんないですけど、楽しみです。
お待ちください。本当に楽しみにお待ちしてください。
一旦、今後ね、サティが北指定なのかオーストリーなのか、
どうなるんだろうっていうのも楽しみにしつつ、
働く僕ら後半の収録は一旦この辺で
決めさせていただこうかなと思います。
多分この後アフタートークで雑談会を撮るので、
意外とスペインの暮らしみたいな話とかがそっちでできたりしたらいいかもな。
いいですね。
今日はサティありがとうございました。じいさんもある中。
お聞きいただいた皆さんも本当にありがとうございました。
素晴らしいインタビューなので、ぜひ皆さんもこれからも続けてお気になってください。
ありがとう。宣伝までありがとうございました。
ではまたお会いしましょう。ありがとうございました。
28:00

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