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白米FM (仮)じゃあ、今日の分始めようと思うんですけど、
白米FM (仮)なんですが、この(仮)はいつまでつくんでしょうね。
これはどうなんだろう。
永遠にベータ版であり続けるっていうのを。
永遠にベータ版だから、
永遠に仮に。
体現したのかな。
一応、そういう意味を込めてるんだけど、これ、とれる日が来るのかなと思って。
とるならとってもいいけどね。
この番組が終わる時にとりますか。
そういうこと?
そういうとり方もある。
この番組が最終回の時に白米FM (終)
完成したと。
完成した。
もう進化はないと。
次、シン・白米FMで第2弾が始まるので。
10年後くらいにリバイバルで、シンがついて始まるかもしれない。
あるね、最近。
じゃあ、今日のテーマなんですけど、
今日僕が持ってきたトピックなんですけど、
持ってきたテーマはですね、
なぜ正解を求めてしまうのか。
我々がっていう感じかな。
我々、人間がってことかな。
正解を求める傾向
なぜ正解を求めてしまうのか。
っていうテーマでお話をしたいなと思っていて、
ちょっと僕が今感じてることを話すんだけど、
どうやら多くの人、僕が観察していると、
無意識に正解になるものがある。
というふうに思って、
行動しているように見える。
もしくは、分かってはいるんだけど、
正解を求めてしまう傾向がある。
みたいなふうに見えるんだよね。
それって多分学びと教育の回で、
結構その教育?
日本の教育的なのが結構そういう大きい影響を
与えてるんじゃないかなと思うんだけど、
それってあんまり良くないなと僕は感じていて、
どうすればその呪縛から逃れられるのかな、
みたいな話を今日できたらいいかなと思ってて。
正解を求めるって言っても、
いろんな意味合いがあると思うんだよね。
例えば僕が思ったのは、
自分に対して何らかしらの正解みたいなのがあって、
その正解に自分が縛られて、
その正解を実現できてない自分に失望するみたいな。
どっちかというと、
べきとかで表せるってこと?
自分はあるべきっていうのが正解としていて、
それに縛られてるって感じ?
例えばいい学校に行っていい会社に入るべき、
みたいなのが正解だというふうに自分が思い込んで、
それに縛られて、
例えばそれが実現できなくて、
自分ががっかりするとか、
失望するとかしちゃうとかね。
あとは同じく自分が何らかしらの正解に縛られて、
行動ができなくなるとか。
僕が思いついたのは、
行動の妨げ
よく大学の講義とか、
セミナーとかを受けて、
質問ありませんか?っていうふうに
聞かれるじゃない?最後とか。
そういうときに、
質問できないとか。
いい質問とか、
バカにされない質問とか。
そういうのを気にしちゃって、
質問ができなくなるとか。
結構そういうのもあるのかなと思う。
もう一個別のがあるなと思ってて、
自分以外の誰かが、
何らかしらの正解みたいなのに縛られて、
その正解を自分に押し付けてくるっていうのもあると思うんだよね。
他人からの正解の押し付け
例えば自分の親が、
いい学校に入って、
いい会社に入らなきゃいけないみたいなのに縛られて、
それを自分に押し付けてくるとか、
そういうのもあるかなとか。
あと最近、はてな匿名ダイアリーで、「子供産まなくてよかったです、マジで」っていう投稿があって、
それがバズってたんだよね。
そうなんだ。
ちょうど我々が前回、メタ認知の功罪の回で、
子供産んでよかったみたいな話をした、
次の日に、
それが上がってて、
子供産まなくてよかったですっていうのが。
それはどういう話かっていうと、
多分中年ぐらいの女性が、
子供産まなかったです、私は。
私はとても充実していて、
社会的には、
女は子供産まないとダメだみたいな、
そういう呪いがあるんだけど、
そういうのに縛られる必要ないよ、
みたいな主張している文章なんだよね。
それに対するコメントが結構、
辛辣というか、
叩くみたいな。
なんかね、
酸っぱいブドウだろみたいなこととか、
女の人が子供産まなかったら、お前が歳を取った時に、
誰が支えるんだとか、
結構辛辣なコメントが多くて、
女性にとって子供を産むことが、
社会にとっても、
個人の幸福にとっても正しいんだ、
みたいな。
結構そういう考えに縛られている人が、
割と多くて、
それで叩くみたいな、
いうのが直近あったので、
だからそういうのに、
日本人独特なのかちょっと分かんないんだけど、
なんかそういうのがあって、
なんかあんまり健全じゃないような気がするんだよね。
だからそういうのから、
そういう呪縛から解放された方が、
世の中がもっと良くなるんじゃないかなと、
個人的に思ってるんだけど。
だからちょっとこの話をしてみたいなと、
思いました。
はい、背景分かった。
だし結構そういうのって、
僕も見てきた気がするね。
なんかやっぱ自分が育っていく上で、
日本にいる間に、
これが正解ですっていうか、
こうした方がいいぐらい。
本当は言葉としては、
なんかベターっていう意味ぐらいなんだけど、
人によってはやっぱり捉え方が、
もう100%それじゃなきゃダメだ、
みたいなぐらいに、
いつの間にかなってるとかね。
最初はその、
本当はそんなつもりじゃなかったかもしれないけど、
それから外れると、
死ぬというか、
とても苦しいことになるっていう、
呪縛がどんどん強くなってて、
実は苦しめてるとか、
っていうのはありそうだね。
いっぱいシェアしてくれたから、
どっから手をつけたらいいんだろうなっていうのは、
一つ思ってるんだけど。
しおくんがパッとこの言葉を聞いてさ、
思うこととか、
例えば自分の直近感じてる経験とか、
とりあえず一番話しやすそうなところから、
シェアしてもらえると。
なんかでも、
もともと今言おうとしてたのは、
そんなつもりじゃなかったっていうのが、
本人も周りも実はあるんじゃないかなとか、
思ってて、
でも言葉にしたり、
そういう行動を取ってるがゆえに、
その行動を裏付けるために、
また最初のふわっとした思いみたいなのが、
だんだん強くなるっていうのが、
ぐるぐる回っちゃうっていうサイクルが、
構造的にあんのかなとか思ったりはした。
すごい抽象的だけど。
おもしろいねそれ。
だから自分がこういう風にした方がいいっていう風に言って、
それを正当化というか、
強化するサイクルが回っちゃうっていうことね。
そうそうそう。
なんか最近読んだのが、
人間って行動して、
それに自分で正当化するっていう性質があるみたいな。
だから、何の本だっけな。
例を選ばないとなと思ったんだけど、
心理学的な話か何かで、
ある人に、
自分の意見とか思想とは反することを、
例えばノートに書いてもらったりとか、
始末書じゃないけどさ、
自分は本当はそう思ってないんだけど、
例えば私はこういうことを失敗して、
反省してますと。
でも心の中で全然本当は思ってないと。
意に反してたりすると。
なんだけども、その後に、
お菓子とか、
おまけとかタバコとか、
本当になんか些細な、
100円とか500円ぐらいのものをもらうと、
人間って2つの事実があって、
自分は自分の思想とか意に反することをしたと。
始末書を書いたという事実と、
タバコとか、
些細なものをもらったという事実があって、
どっちを買おうかってなった時に、
始末書に自分がそういうことを書いたという事実は、
変えられないんだけど、
認知として自分が、
そういうのに対して反発してたって事実は、
後から変えられると。
だからその、
大したものをもらったわけじゃないんだけど、
自分はなぜその始末書に書いたのかっていうと、
いや、そもそもこういうことには反対してなかったっていう風に、
自分の認知を歪めるみたいな事があるらしいのね、
人間って。
だからそれに似たような構造で、
自分が、
違うかな、ちょっとずれてきてるな、でも。
何かでも言ったから、
もしくは自分がそれに基づいて行動して、
成功体験があったから、
それは正しいっていうのは、
どんどん強めるっていうのは、
ある程度傾向として何かあるのかなっていうのは。
でもそれはあるような気がするね。
それあれじゃない、認知的不協和、
だよね。
自分の認知と行動がギャップがある時に、
行動に合わせて認知が変わっていくみたいな。
そうだよね。
その不協和を解消するために、
自分の認知を書き換えていくってこと。
うんうん。
それあれじゃなかったやつ。
何じゃなかったっけ〇〇〇〇〇がやってたやつだっけ?
そうそう、それを言わなかったね、あえて。
あ、そうなのか。
なんか、ちょっとまずいかなと思った。
まあでも、よく知られてることなんじゃないかな。
あ、そうなの。
そうそうそう。
ちょっとここはカットするかもしれんけど。
うんうんうん。
そうそうそう。
で、あともう一個
あの、それを聞いて思ったのがさ、
うん。
本来はその、会社とかでよくさ、
ベストプラクティスとか言ってさ、
うん。
なんかあるプロジェクトが上手くいったりしたら、
こうした方がいいとかさ、
こういうプロセスを
あの、やるとうまくいくみたいなのを
集めて、もしくはなんだろうな、
レッスンズラーンとか。
で、それに基づいて、
まあ参考にして、
次他のプロジェクトもやってみようよって言った時にはさ、
別に、
そこまでなんかこう、
外れたから失敗するとかさ、
思わないなーっていう気がしたんだけど、
うん。
あの、そのね、いい大学いって、えー、いい会社いって、みたいなのも本当はさ、
そのベストプラクティスぐらいの
感じだったんじゃないかなと思うんだよね。
あー、はいはいはい。
なんだけど、それが
規模の問題なのかな、もうみんな、
周りが99%の人が
そう信じてると、
その、そこから
外れる時の
影響みたいなのが、
正解をなぞる人生に生きる意味
すごく大きく感じられちゃう。
で、
まあそれを、
うん、なんとなく頭の中で思い浮かべてて、
うん。
まあ、僕もそのあとは、
データ分析をしてたりすると、
データポイントがさ、
なんかすごくこう、
中心に集まっている時に、
1個だけこうって外れるとさ、
偏差値ってすごく高くなるのね。
はいはいはい。
だってみんなが
90点ぐらい取ってる時に、1人だけ
5点とか50点とか取るとさ、
偏差値40とか、
偏差値30とか下手したら
20とか出ちゃうわけよ。
なんだけど、その点数の散らばりが、
まあみんな50点ぐらいなんだけど、
3割ぐらいが50点で、
前後、40点60点にこうまた
2割って、こうなだらかな
分布だったりすると、そこで
30点とか取っても、たぶん偏差値
まあ45とか
40とかに収まると。
だから偏差値30。
とんでもなく偏差値が
大きくなるってことはないんだけど、
そのなんか、
純度の問題っていうのかな、
みんながみんな信じてるとか、
っていうのが、
そこから外れることに対する
なんかコストとか、
異常度みたいなのが、
やたら目立つように
感じるのかなっていうのが、
僕はデータ分析してるから、
勝手になんかそういう、
数式をこう、
当てはめ始めちゃってたんだよね。
なんかその、
日本の社会がその、
同質性が高くってあんまり差が、
ないみたいなところが、
今の話には関わってくるのかな。
そうそうそう。
そういう感じはするかな。
みんな50点ぐらいのところに
集中してるのに、
なんか少数が外れ値みたいなところに出ると、
目立っちゃうというか、
異常値みたいな。
そうそうそう。
異常値ってさ、
点数がさ、
高い方も低い方もさ、
分布を取ると異常値っていうわけよ。
真ん中から外れてるから。
なんかでも、
それ自体を、
イコール悪いっていう風に
捉えちゃって、
それがなんか、
外れることの影響と異常値
窮屈にしたりとか、
するのかなっていうのと、
そもそも、
今の自分で話してて思ったんだけど、
今その、正解みたいなのに囚われていて、囚われることによって、
やっぱ悪いことが何か起きてるのかなっていうのは
ちょっと思った。
外れてること自体本当は悪くないはずじゃん。
うん。
で、
それによってなんかこう、
実際に悪いこと起こるんだっけみたいなところが、
見えてないのかな。
どういうことだ?
悪いことが起きるって。
ちょっと待って。
ここはうまく、
自分の中でも言語化できてないけど、
うん。
じゃあその、
みんなが正解だと思ってるものから外れると
本当に悪いことって起こるんだっけみたいな。
なんかそこをあんまり、
実際想像できてなかったりとか、
ああ、それはあれか。
自分が、
自分がその、
自分の話?
うん、だし、
あとは自分自身にその、
正解みたいなのを押し付けてる場合もさ、
とらわれてるんだけど、
多分外れても本当は何も起こんないとか、
実は、好転するかもしれないんだけど、なんか悪いと思い込んでるみたいな。
その外れること自体が。
うん、そうだね。
外れること自体に、
なんか悪いというかネガティブに感じてるような、
傾向を感じてるんだよね、僕は。
そうだよね。
多くの人が。
うん、だからそれが、
正解みたいなのを作ってるからなのか、
正解みたいなのがあったとしても、
で、
それが外れてるっていうところまで
認識したとしても、
それを悪いと認識しないという
方法もあるのかなとか思ったんだよね。
うーん、そうだね。
測り方が悪いっていう、
まあいくつかなんか、
なんか捉え方があるような気がして、
そもそも、
まあそういう正解みたいなのを
想定するのって、
ナンセンスというか、
考えないようにしようみたいな、
ジャッジングしないようにしようっていうのもあるかもしれないし、
うん。
あとはそもそも軸の取り方が
おかしいから、
それだけで測るのも変だよねっていうのも、
ちょっとメタ認知的な感じだと思うんだけど、
軸を変えてみたら、
そんなにこう、
外れてないじゃんとか、
っていう言い方もあるし、
でもその軸もいいとして、
偏ってるのもいいとすると、
で、外れてるのも
認めるんだけど、
それをいいと捉えるか悪いと捉えるかも、
なんだろう。
なんだろうね。
あ、いい。
でもそれって軸の取り方を変えるってことか。
僕個人的には、
うん。
まあ世の中のことで、
正解なんかないだろっていう風に
思ってるんだけど、
うんうん。
うーん。
なんで正解を
想定して
正解を想定することの背景
しまうのかがちょっと
よく分かってなくて。
なんで正解を想定してしまうのか。
僕は多分、正解を想定して
しまう人の心境は
分かる気がするんだよね。
受験の勉強とかを
ひたすらしてるとさ、
やっぱり答えがある
問題を解くっていうのに
慣れてきてて、
ひたすらそれを
トレーニングしてきたから、
エスカレーターとかに乗ってさ、
パッて降りたら体が勝手に動く
現象あるじゃん。
あれで一緒なんじゃないかなと思うんだよね。
ひたすら、慣性の法則みたいな。
そうそう慣性の法則みたいなのがあって、ひたすら目の前に
なんか来たら、その問題の
答えを求めよう。
解いた。問題が与えられて、
答えを求めようってやられてきたから、
やっぱりその動きにはなじみがあるんだけど、
動きっていうと、
体じゃないから、
頭の動きがそれに慣れてるというか、
そういう風にしてる方が
心地がいいのか、
そういう筋肉が鍛えられてるのか
わかんないけど、そういう慣性の法則が自然と働くっていうのが
あるのかなって思ったけどね。
そうか。
無意識に
そのなんか問題
みたいのが与えられると、
正解を
探してしまう。
うん。
だし、あとは
さっきの例で言うと別に
問題も与えられてないんだけど、
なんだろうね、
普通を探しちゃう?
なんか、
これもさ、またデータ分析の話っぽくなっちゃうんだけど、
点をさ、
トントントンって打ってると、
なんか真ん中の
平均っていくらぐらいだろうっていうのを
人間ってそのうち勝手に考えるんじゃないかな
って思ってて、
例えばさ、僕がさ、
問題をこう出しますと、
今から数字を言うから
全部覚えてみたいな。
じゃあ、
11、
13、
11、9、
12、
18、
トントントンってこうさ、
これ多分20個ぐらい続けていったら、
どっかの時点で諦めるじゃん。
覚えるの。
で、だいたい10ぐらいが
プラスマイナス
3ぐらいとか、
で、それで20個みたいな感じで
まとめようとすると思うんだよね。
で、それを
人間ってやっぱ勝手に
認知的なパワーがさ、
限られてるから、
勝手にこう、
楽しようとしちゃうんじゃないかなと思ってて。
じゃあ、要は何なの?みたいなのを
すると。
だから普通とか真ん中ってここら辺だよね
みたいなのをやっぱ人間って
しちゃうんじゃないかなって思ってて、
それを
で、それをそのステップが
1個あって、それをやると
真ん中の平均が
正解みたいな、普通みたいな
ラベルを張ると。
まあこんくらいかなみたいな。
そうそうそう。っていうのを
やり始めると。
で、やっぱね、すべての
個別な事象を1個1個判断してると
頭が疲れちゃうから、
そういうことをして、普通だよね
みたいな、って考えておくのが楽だから
っていうのを、
ずっとこうやってきてるから、
とか
それをやってるのが普通な
コミュニティなのかな。
どっちかというと日本の
特に
高度経済成長みたいな
ある程度一定の
具合で
経済が成長してて
何を作ればいいか分かってて
あとは効率を追求すると
与えられた問題を
解決してれば
みんな成長できるみたいな
世の中では、割とそれが通じた
っていう背景も
なんかあったりするのかな
って考えてた。
このね
このさ
ラジオを始めたときにさ
どういう
問いを扱おうかみたいな
話になってさ
しおくんがその
良い問いとは何かみたいな
のを考えて
それで問いのデザインを読んでたじゃない
うん、読んだね
で、俺あの時思ったのはね
あ、なんか正解求めてんのかな
って思ったんだよね
その時ね
それはさ、それはどうなの
自分のその心境的に
どういう
心理が働いてさ
問いのデザインから
引き出そうとしたの
あれは
解釈の問題だと思うんだけど
そういう風に解釈もできるかな
と思うんだよね、自分が
そういうのに慣れてきてるから
っていうのもあるかもしれないけど
だからその
答えを求めてるようにも
解釈できるんだけど
単純に今より
少しベターな
ものを探すって意味の良い
って意味で
僕は言ったつもりだったと思うんだけど
ここよりちょっと上とか
ベターも
日本語だと良いになるじゃん
でもベストにも聞こえるんだよね
あー、そっかそっかそっか
わかるわかる
良い問いとは何だろうか
ちょっとさ
良いっていう
性質として決まった正解が
ピンポイントの
これっていうのが
あるっていうのが
その正解だよね
さっきのは
今より良くなるためには
迷いながらの進路選択
どういう方法論というか
どうしたらいいのかっていう風に考える
のが2つあるってことだよね
うん、だし
今より良いってどういうことかなとかね
その差分で良いと思う
方向性って軸って
何だろうみたいなのにも捉えられるかな
と思ったんだよねどうやって測るかもさとよだくんとは話してなかったから
2人にとっての良い
ってその方向性ってどっちなんだろう
とかさ
こっちの方向に行くのが良いと思っているのか
左側に行くのが
良いと思っているのかもすらも
分かってなかったし
それを左に動かした方が良いって分かってるんだけどさ
動かすにはどうしたらいいんだろうかすらも
分かってないよねとか
そういう意味での
良い問いとは
とも言えると
自分の
何だろう弁護するとそんな感じになる
でも今聞いて
分かったのが
僕がイメージしてた正解は
2つあるんだな
っていうことが分かって
そのベター
ベターを目指そうとする
動きは
悪くないような気がしたんだよね
ベターを
目指そうっていう風なので
正解というか
正しさというか
良い方法はないかなって
そっちの方向に向かっていくのは
良いような気がしていて
僕が良くないなと思ってたのは
ピンポイントっていうか
これが正解だよねみたいな
固定的なものが決まっていて
もうそれを
そこから
抜け出せないというか
変えられないというか
それ以外も思いつけない
それが
ダメだなって思ったんだよね
だから2つあるな後者の方が僕が問題しているのはそっちの方だな
っていうのが今ちょっと分かった
さっきの例の中で
大学行って良い会社に行く
っていうのが
あって
それに
近づくために
よりベターに
それに近づくには
自己の正解と他者の押しつけ
どうしたらいいんだろうかとか勉強をよりしなきゃとか
っていうのは
それでも縛られているような気もするんだけどね
ベターにも聞こえるけど
どうだろう
ピンポイントなのかな
それがなんか
自分が本当に勉強がしたくて
この大学に行きたいんだみたいな
今の自分を
より良くしたいんだっていう思いで
良い大学を
目指すとかっていうのは
良いような気がするんだけど
別にそういう思いは何もないんだが
世間が
良い大学に行くことが良いだろうみたいな
そういう
与えられた正解みたいな
それに動かされて
自分を動かす
のが
なんか違うかな
って感じがしたかな
自主性?主体性?
なのかな
ってちょっと思った
自分が思っているか
他人から与えられているか
その違いなのかな
ってちょっと思ったかもしれん
なんかでもさ哲学の本を読みすぎているかわからないけどさ
自分
与えられた正解
と思うものと
自分が意思だと思っているものの
違いみたいなのが難しい
って思ったんだけど
自分たちもさ
時系列の問題かなと思うんだけどさ
世の中
9割の人が思っている正解と
自分がこうだと
これがいいと思っているものと
違いってさ
周り9割の人が思っている
っていうことと
自分はマイノリティなんだけど
その思い
思いに至ったのもさ
過去
例えば10年のインプット
から
編み出されているものだけじゃん
で直接的な因果関係は分かっていないけどなんかすごく影響与えられているものが
もしかしたらあったかもしれないじゃん
小さい頃の
原体験とか
ある人が言ったこと
ある恩師が言った言葉が
ずっと頭に残っていてとか
で
違う思想を持っていたりすると
でもそれって世の中が与えられた正解と
何が違うんだろうなとか
思ったんだけど
なんかさ
これも学びと教育だったと思うけど
自分の血肉として作った考えは自分にしっくりなじむけど
他人から
与えられた
ものはなんかちょっと受け入れられない
みたいな話したじゃない臓器移植のだからあれをイメージしたんだよね
自分の中からしっくりどこかから食物かなんかで
インプットはしてるんだと思うけど
それを自分の中で消化して
自分で自分の細胞というかに作り変えてわき上がってきたものはなんか
良い気がする
他人から与えられた
これが正解なんだよ
ってどんって
示されたものはなんかちょっと
違うかな
って感じ
今でも分かりやすいなと思ったんだけど
その拒絶反応が
自分の中で起きてるかどうかは
一つの軸になるような気がした
でも
一方でさ
例えばさ失礼かもしんないけど
親の世代とかさらにその上の世代の
いい大学行って
いい会社行きなさいみたいな
思ってる人たちはさ
本当に彼らの血肉になってるんじゃないかなと思ったんだよね
そうだね血肉になってるんだと思うんだよ心の底からそれがいいと思ってる人が
いたんじゃないかなとか
その当時はね
今は分かんないけど
そうなると
なんかどうなんだろうね
完全に洗脳されてる場合っていうか
それを陶酔してるとかいろいろ言い方あると思うんだけど
してる場合って結構
区別がつきにくいのかなとか思った
だからその
それを人に押しつけるのが
僕は良くないんじゃないかなと思ってて
自分がその血肉になって信じてる何らかの概念があったとして
それはみんな
それぞれあると思うんだよね何らか
自分が良いと思っている
正解これが正解で
あろうと思ってるものはみんなそれぞれ
持ってると思っていて
それを自分に対して
振り向けるのは全然いいんだけど
それを他人に押しつけるというか
それはちょっとやっちゃいけないかな
っていう気がしていて
他人から
押しつけられたその正解を
自分に取り込まなきゃいけない
っていう風に
思って苦しんでる人
も結構いるんじゃないかな
って思った
そうね
そのプレッシャーを感じるんだよね
他人が勝手に
思い込んで押しつけてきてるだけ
だから別にそんなの無視しておけばいいと言えるんだけど
それがなかなか難しいというか
次回へ続く