高校生活と放送部の活動
美味しいココアの作り方。この番組は、元農業高校生の2人がいろいろと、時にはふざけながら、時には真面目に話すポッドキャストです。
はい、よろしくお願いします。
前回から引き続き、長崎での収録になるんですけども、この前は先生に8年ぶりに再会を果たすという。
感動極まるね。長いオープニングでしたね。
再会して、みんなが号泣し、鼻水をすすみながら、刺身もぶっちゃぶちゃになって、みんなで泣きあいながら。
汚いな。
冗談なんですけど。
先生との再会があって、正直私は、ゆうと先生が、私の卒業後の話なんで、1年後輩なんでね。
Nコンで優勝したっていうのは、結果としては聞いてたけど、そんなにすごいことだったりは知らないわけです。
一般人というか。
意外と知らない人多いよね。
ゆかりないから。
野球とかも知らなかったら、甲子園のNコンって何?ってなっちゃうから、驚きもありつつ。
私も含め、ゆうもいい刺激を受けたんで、今日ちょっとそのことについて少し詳しく話を聞きたいなと思いますので。
意外と飲み会の場でも、結構ちえちゃんが、え?みたいな反応が多くて、あ、そうかって俺も気づきになった。
そういえば知らんなっていう。
だからちょっと自己紹介も兼ねつつ、ちえちゃん向きの情報共有みたいな感じで。
ちえちゃんご存知の通り、1年目、2年目の時、高校の時は体育祭であったりとか、式典の司会をやらせてもらってやってました。
なんでそういうのをやってたかっていうと、もともと中学で弁論大会に出てて、元から人前で話すのが好きで。
放送部が強いところに行きたいっていうので、日本大学とかの高校。
県内の放送が強い学校に進学したかったんですよ。
で、ちょっとレベルが足りずに入ってみたら、案の定、母祖部がないと。
あった!って思ったけど、部員がいないと。
もう幽霊部月なんだよね。
そうなんだよ。
で、顧問の先生に直談判して、大会出させてくださいとか言っても、自分一人で練習するんでいいです。
言っても、ちょっとやる気がない方というか、ちょっとめんどくさいからっていうので。
ちょっとおざなりにされちゃってたんですね。
なので、じゃあだったらいいよ。
ほぼ帰宅部状態なんだけど、家でYouTubeに自分で朗読を撮って編集してあげたりしたり。
そういう風に一人で活動して。
で、学校のイベントとかでも司会を引き受けてやってました。
それである時、発散してた状態。
で、高2の夏の体育祭で、前回から出ている恩師と初めて会って。
そこで初めて指導を受けます。
そしたらちょっと目にかけてくれて、あんたなんか結構すぐ入るねみたいな。
そこから徐々に、後から先生も実際にNHKの大会で全国4位だったとかいう話を噂で聞いたりして。
あの人に教えてもらいたいな、大会出たいな、あの人に顧問になってほしいって思って。
いろいろやり取りする中でですね、高3の台から、私が高3。
最初で最後の台で放送部の顧問になってくださった。
そんなタイミング?
で、そこで本ちゃんでですね、やっていこうというので始まりました。
なのでちょうど境目の高2の3月ぐらいに、ちっちゃい地区大会に出て。
それはNコントは関係ない。
ちょっと練習がてら離れしようというので一回出て。
3年生の4月の大会でもNコンの本ちゃんの本選が始まるという感じで。
で、地区大会、県大会、全国大会という風に行くという感じでした。
まあ楽しかったねー。
本当に何か苦しんでなかった。お互い。
いやいやじゃないからね。
それに普通校じゃないから、農業高校だから、言い方悪いけど、あんまりガリガリって勉強するわけじゃないじゃん。
しません。
学科によっては教科がなかったやつじゃん。英語がないとか。
それぐらいだから、本当学校生活も楽しいし、なんだろう、一部おろそかにしてもまあいいみたいな。
だからずっと頭の中でこの原稿のことを考えてて。
ずっと練習してたの。風呂入るときもトイレも。
だからこそそこにずっと意識向けられてたからこそ、なんだろう、灰になってたんだと思う。
あの期間は。半年間。
半年間。
ちょっと補足すると、長崎県って放送が強いのね。めちゃくちゃ。
Nコンに優勝し全国大会へ
知らなかった。
方言、鉛とか強いじゃん。
でも意外とそういう放送面はめちゃくちゃ強くて。
そのね、指導人が、やっぱベテランみたいな。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
優勝後の経験と進路の悩み
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
そういう人たちが。
俺が優勝取った時も、長崎県勢で結構上あがってた。
例年それが当たり前で。
だから、全国行くぞって言われ、全国で何人が決勝上がるかってレベルが違うの。
その10人に選ばれる。
そこを目指してるから、元からレベル高いんだって。
先生からも言われたのが、長崎県の代表に選ばれた時点で、あなたはもう全国大会の準決勝に行くって決まってますって言われた。
もうそれぐらいレベル高いよって、自信持てよって。
看板じゃないけど、そんなレベルの高い集団の中にいるんだってプレッシャーはありつつ、全国大会に行きました。
それが初めての東京だったね、当時。
この大会で。
まさかね、その時、高額なところに住まえんやろって。
絶対高額なところって思ってたらね、2年後には東京に就職するっていう。
そしてもはや6年になるっていう。
まさかやけど。
それで、準決勝、準決勝、決勝を3日間やって、優勝しました。
そしたら、毎日新聞社からスカウトが、オファーが来て。
で、毎日新聞社が主催してんのかな、春の選抜。
なるほど。
だから主催者側から優勝者に対して司会とかやってくださいっていうのが来る。
で、やった。
その甲子園が春の選抜が、だから優が卒業して、高校卒業してから。
春休みね。
兵庫に行ってきたんですね。
そしたら、高校生活の最後の春の舞台は甲子園ってこと?
ほんとそう。最後の最後。
高校生活では優秀の美を飾って。
高校生活のアナウンスの活動というか。
発表の場ではもちろん一番ね。甲子園でっていうのが。
7月に大会が終わって優勝して、そこからいろいろ取材なりなりとか受けて、進路を決めなくちゃいけないと。
そっか。
そのタイミングで結構自分の中で悩んで。
農業高校だから大抵就職するじゃん、高卒で。
求人票見て、手取りいくらなのこれ?
めっちゃ給料低かったから。
これはちょっと高卒じゃずっと実家暮らしだな、やべえなと思って。
とりあえず進学したい。
でも普通教科の範囲が足りなすぎて大学行けない。
じゃあどうしよう。
ずっと帰宅部状態で家でやってたパソコンあるじゃん。
プログラミング好きだ。
自分で好きでサイトを作ったりしてたから。
農業官邸教員っていう。
農家ね。
農家。農業高校生だけが参加できる。
お勉強の大会みたいな。
この苗は何の苗ですか?みたいな。
シャーレに粉が入ってて、小麦粉はどれ?とか選ばずに。
小麦粉って言っても薄力粉はどれ?みたいな。
あと機具が、写真があって、これは何か、エンジン分離器とかね。
声の仕事への挑戦
そういうのを40問ぐらい解いたりする。
あれの全国大会も行ってて、沖縄に。
実は優秀人が取ってるんですよ、あれも。
すごくない?
すごくない?
この農家のすごさは、農校生で言わないとわからないと思う。
それを言ってて、それ関連で、後輩がもっと勉強しやすい状態にしたいなって。
情報が3万年過ぎてたから。
1個にまとめたいっていうので、きっかけがこのウェブサイトを作る。
そこから、楽しい。
プログラミング、当時プログラミングってやってたから。
そのまま、ITの専門学校に進学するという感じでした。
正直、やっぱり優勝もしてるし、周りからも言われるし。
結構悩んだよ、そういう声の仕事をするか。
そうだよね。
って思ったけど、やっぱり半年間でそんなトントンで進んでしまったっていう。
レッテルって言い方もおかしいけど、昭和家じゃん。
優勝してるのにこの程度?っていうのに怯えがあって、恐れがあって。
だからある種、逃げの選択をして。
やりたかったんだけど、でも俺はITも好きだから。っていうのもあるし。
あと逆張りで、人前で喋るのが得意なエンジニアって絶対重宝されるな。
あえてITに進んだっていうのもある。
なるほど、なるほど。
っていう感じです。
6年目になって、やっとリーダー職というか、マネジメントするようになって、
後輩たちの面倒見るようになって、やっと自分の好きな仕事が本当にできるようになってきたな、
っていうのが今っていう感じですね。
ただ、こっからが一昨日の話に繋がるんですけど、
やっぱりどうしても自分の中で、周囲からも、
普段の仕事をしてても、
ゆうさんの声、声のことを褒められたりとか、
話し方が伝わりやすい、プレゼンの仕方だとか、
結構言われることがあって、
これ本当に今の会社の中で留めといていいのかなって徐々に思うようになって。
で、声の仕事もちょっとずつやってみたいなっていう思いから、
とある養成所の資料を請求して、
やってみようかなと思って。
人の死と生きることの大切さ
ただ、それもそれでまだウジウジしてて。
なかなか踏み出せなかったところで、
ちょうどいいタイミングで恩師と会って、
いいじゃん、やれば、っていう。
そうだよね、本当にそういう口調というか。
いいじゃん、っていう。
もうあの一言が結構、
たった一言でこんな力あんだなっては思いましたね。
その半年間、高校生活の先生の姿勢であったり、
生徒と先生の関係性というかさ、
気迫だったら正直さ、今響いてないと思うよ。
ない、絶対ない。
でしょ?
そこでいろいろ先生の考え方であったり、
教育の姿勢を見てるからこそ尊敬のできるところがあるから、
響いて。
ずっと尊敬してるから。
大会中、ずっと練習詰めたからさ、みんな必死で。
で、準々決勝やったら発表しました。
で、準決勝に進出しましたという発表は、
翌日の朝なのよ。
ってことは、その翌日の朝まで練習しないといけないのよ。
自分が進んでるかもしれないから。
そうか。
分かんないから。
で、進みましたってなったら、
グーンって一気にプレッシャーくんのよ。
もうちゃんと練習しなきゃっていう。
分かんない状態だからさ、
その日一日ずっと準々決勝不安な状態。
で、準決勝行きました。
準決勝の発表終わりました。
そしたらまた翌日、3日目の朝に発表されるのは決勝進出じゃん。
その間もずっときついのね。
プレッシャーが。
進んでたら、どうせ自分なんかだったらもうそれまでだけど、
自分進んでるかもしれないから練習しなきゃっていう。
ずっと張り詰めた状態で。
確かね、準決勝終わった後に、
もうちょっとほんとね、いっぱいいっぱいになって、
練習できなくなったのね。
きつくて。
その時先生がちょっと距離を置いてくれて、
その県大会から距離をとって、
ちょっと外の空気吸いに行こうかって言って、
ちょっと外公園歩いたりとか。
ああやってね、こういう全国大会で時間もない状況の中で落ち着いて、
あの判断ができたのって、今考えるとほんとすごいなって思うのね。
ここまで来たからには取ろうぜっていう思いもあったはずだと思う。
でもそれもなく、ただただ俺の様子を見て、
俺のことを考えてくださって休ませてくれた。
なんとかそこで回復できたからよかったけど、
本当にあのまま練習し続けたらマジで無理だと思う。
その指導する子供に対しての接し方を見て、
俺もなんか後輩、会社の後輩とかに対しての接し方も、
やっぱりそこがね結構軸というか、
起点としてすごい大きくあるね。
今に繋がっている。
なるほどね。
っていうのを改めて思いました。
さっき、とある養成所の資料を請求した?
請求じゃない。取り寄せた?
っていう風に話してたけど、
その先生の、やればいいじゃんの他に心動かされる話というかさ、
言うの本当に濃密な時間だったから、
抜粋するのは大変だけど、なんかある?具体的に。
そうだな。
それこそ、ここで話すのもいいのかあれだけど、
先生が直近で見てらしたクラスの生徒さんが、
がんで、東京生活送られてて、
ちょうどその飲み会の前日に亡くなられた。
それもきっかけもあって、
先生もですね、退職して、
新たな仕事のために大学院受験しよう、勉強を始めようっていう。
先生自身もステップアップしていってんだけど、
なんかその話を聞いて、
俺の中でその、
なんか人の死を知るというか、
体感して身近に起きることによって、
自分のやりたいことに向かって進む
なんかその死が、
そのまま死んじゃったんだ、かわいそうだったねとかじゃなく、
死によってさらに今生きている人たちに影響を与えて、
次に突き起こす力に変わることってあるんだなっていうのを、
なんかすごい感じた。
先生が大学院に行こうってなった。
その話の中にも、
その生徒が亡くなって、
明日必死に生きようと、
どんなに明日生きたいと願っても、
来ないかもしれない。
でも自分は今生きていて、
だったら1日1日ちゃんと大事にしなきゃだし、
別に死ぬことないんだから失敗してもいいじゃん、
あの精神がすごいなと思って。
で多分その生徒の死もあって、
東京生活とかもあって、だと思うんだよね。
実際に自分、
俺個人的な体験として、
会社の中ですごい浸ってた大好きな先輩がいて、
その先輩も退職されて、
カナダに留学に行ったのね、突然急に。
で理由としては、
その大好きな先輩の、
すごい仲良かった親友の方が、
30歳くらいかな、若くして亡くなられたと。
その経験があって、
意外と人生って短いんだな、
だったらやりたいことちゃんとやらなきゃなって思ったらしい。
それで以前から興味があった海外移住。
外国で住みたい。
外国の言語を学びたいっていう思いが強かったから、
もう留学に行ったっていう話を。
昨年そういった経験もあって、
正直自分の話じゃないからさ、
民の話だからあんま実感はなかったけど、
やっぱその昨日おとといの先生の話聞いて、
ちょっと来たね。
やっぱ人の死って何か動かす力があるんだろうなっていうのは、
感じましたね。
そうか。でも確かにその話も、
当たり前に来る、
明日が当たり前に来るわけじゃないんだよっていう、
目開けて、
目閉じて寝て、
目開けたら、
当たり前に明日は来ないんだよっていう話も、
本当にそれを当たり前と思いすぎてるというか、
毎日仕事だったり、
いろいろ忙しく生きてて、
私もその話聞いて、
怖がってる場合じゃないなというか、
そんなブジブジしてる時間あったら、
もうしたいことは、心にあるのはもう明確であって、
何をブジブジしてんだみたいな、
決してその自分をこう、無理に動かすわけじゃなくて、
ただ自分はしたいことも分かってるじゃんって、
なんかそれを分かってるのに分かってない振りをしてるというか、
それだったらしないよみたいなさ。
そうね。
それも、何だろう、
動かされたいっていう思いがあると思うよ。
一歩踏み出せないな、俺は特に。
対面の力とプー太郎の道
そこで、あの場があったから良かった。
やっぱね、対面の力はすごいね。
そうだよね。
あれリモートで、リモートでやりましょうよってなったら絶対ない、あれは。
対面だと思う、本当に。
改めて思うのは、めちゃくちゃいい時間だった。
本当に充実してて、
で、それこそ先生で退職されて、
プー太郎になるけどって言って、
今年の秋に受験っていうことだから、
それまではプー太郎だけど、
で、その、受かってからもまた資格が取れるわけではなく、
でしょ?
大学院行って、大学院卒業してからまた、
大学院卒業して、やっと臨床心理師の受験資格が得られるから。
だよね、まだ受かるとかそういうことじゃないもんね。
やっと取れる資格が得られるから。
そうでしょ。
長い道のりだけど、プー太郎になるけど、
で、その、お年っていうのもあれだけどさ、
私たちももちろん大先輩、先輩なわけで、
人生の先輩が新しいことを挑んでて、
で、まだっていうか、私たちはまだ30人もなってないわけであって、
20代で。
体力だってあるわけで。
で、まあ、何とでも今は現代だと調べることだってできるし。
そうね。
ね。
いや、マジで今のうちだなって思う。
人との縁と命の尊さ
ほんとに?
いやー、なんかほんと、ほんとにね、
あー、ほんと、俺幸せ者だなって思うわ。
そういう人に恵まれて。
そうだよね、それが高校。
だから、その、私たちの母校の農業高校に進学しなかったら、
私と優も会ってないし、
で、その先生も途中でね、途中でというか、
優が2年生の時?
そう。
にこられたから、
2年してなかったら、
だからもうその人とのさ、
もうこれ言い出したらキリないけど、
人との縁ってすごくない?
すごい、ほんとにすごい。
世界中こんだけ人いて、その中の日本という国に生まれ、
で、長崎に生まれ、
ただそれが同じ時代でまた会って、
で、その農業高校に集まり、
だって3年かぶってなかったら、
3年間じゃん、優って。
4年、年齢違ったら、
そう、もうね。
合わないじゃん。
そう、かぶんないから。
当たり前にあることって本当に当たり前じゃないなって思う。
うーん。
で、俺LINEのコメント?
ステータスメッセージにも、
あの、猛鬼不墨って書いてて、
盲目の盲に亀。
亀さんの亀に浮かぶって書いて、
木材の木、猛鬼不墨。
うーん。
理由、仏教の言葉なんだけど、
例え話で、
100年に一度しかそこから浮かび上がらない亀がいます。
で、その亀は目が見えません。
で、空気を吸いに100年に一度上がってくる猛鬼、目が見えない亀さん。
で、不墨、浮いてる木っていうのは、
亀さんが100年に一度上がってきます。
で、その海に浮かんでいる流木に穴が開いてると。
で、その穴に亀さんが顔を覗かせるっていうことは、
どれぐらいの可能性だと思いますか?
うーん。
もう不可能に近いじゃん。
うーん。
そういう例え話で、
仏陀かな、釈迦は言ってて、
いやそれはもう不可能に近いです、
馬蹄子さんが答えて。
そうでしょ。
それぐらい人の命ってかけがえのないものなんですよ、
っていう例え話の四字熟語、
そして猛鬼不墨があって。
それをね、以前から知ってる言葉ではあるんだけど、
なんか改めて感じさせられたというか、
巡り合わせも、自分が今言うことも、
先生もちえちゃんも生きてるっていうことが、
なんかね、すごいよなと思う。
日常では忘れがちだからね。
そうそうそう。
大切なことなんだけど。
よかった。
そうか。
特に東京離れ、地方でリラックスした状態で、
だからこそ、やっぱ忙しいとね、
入ってくるものも来ないわけですよ。
だから帰ってきて、そういう先生と、
あと私と会って、
栄気を養い、
十分にこう、元気をチャージできたというわけですね。
まずはそういうわけで、
あと優の観光したところもちょっと聞きたいんで、
ぜひ。
また次回の回になるかな。
ということで、今回の回は、
本当に真剣な話で、
優の物の見方が変わったという話を、
話してくれてありがとう。
ありがとうございました。
ではまた次回の回でお会いしましょう。
またねー。
またでーす。