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2024-07-23 13:23

#38 餃子の王将・大阪王将の系譜

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「餃子の王将」「大阪王将」の違いやこれまでの歴史をお話ししています。


あなたはどこの餃子が好きですか?ぜひ教えてくださいね。

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サマリー

餃子の王将と大阪王将は名前が似ていますが、全く異なる餃子チェーン店であり、3つの違いがあります。餃子の王将は冷凍餃子のみで、ニラが入っていますが、セントラルキッチンで包まれています。一方、大阪王将は冷凍餃子もあり、ニラは使用されず、店頭で包まれています。 大阪王将は2001年に冷凍餃子を販売し始め、2003年に関東地域に進出しています。また、餃子の王将は餃子に対する不信感が高まった毒餃子事件後、国産の餃子を使用して安心安全をアピールし、成長を続けています。

餃子の王将と大阪王将の違い
餃子の王将と大阪王将の違いはご存知でしょうか。今回は、名前は似てるけど全く別の餃子チェーン店、餃子の王将と大阪王将の違いをご紹介したいと思います。
この番組は、餃子ジョッキーの小野寺力がお送りしております。聴く餃子です。行動成長期に生まれまして、競い合いながら成長してきた餃子の王将と大阪王将。
小野寺には繋がりがあるものの、今や全く別会社となっています。一般的に知られていないことばかりだとは思いますが、餃子愛好家を名乗るなら教科書に出るぐらいの飴知識でございます。ぜひ最後までお聞きください。
まず一般的な餃子の王将と大阪王将の違いというところから3つございます。まず一般的にあまり知られていない餃子の王将と大阪王将の違い。餃子の違いからご紹介していきます。
まず一つ目、餃子の王将は冷凍餃子、販売していない生餃子のみです。大阪王将は冷凍餃子があります。大阪王将の方はスーパーとかでも売られてますけど、餃子の王将の餃子はスーパーで売られてないんですね。
二つ目、餃子の王将はニラが入っているけど、大阪王将の店舗の方の餃子はニラが使われていない。大阪王将でもスーパーの方で売られている冷凍餃子はニラが使われているんですけど、店頭の方の餃子にはニラが使われていないんですね。
三つ目、餃子の王将の餃子はセントラルキッチンで全部餃子を包んで、店頭では焼くだけとなっているんですけど、大阪王将はその前の段階までセントラルキッチンなんですけど、包むところは店頭でやっているという違いがあります。
このような餃子の違いも含めまして、餃子の王将と大阪王将の違いがどのようにして生まれてきて、どういうふうに分かれてきたのかということですね。次系列でご紹介したいと思います。
まず餃子の王将の方が先に誕生しています。こちらは1967年、昭和42年に加藤阿佐夫さんが京都市城大宮に一号店を開いていたしました。
こちらは今でもあります。京都市城大宮店で一号店がございます。看板もありますので、ぜひ京都に行かれた方は一度は行ってみてください。
加藤阿佐夫さんは1924年に福岡県で生まれていまして、当時43歳ぐらいかなと思います。一方で大阪王将の方も久美信造さんという方が加藤阿佐夫さんのいとこの旦那さんだったんですね。
その久美信造さんが大体42歳ぐらいの時だと思います。親戚に餃子屋さんを始めて景気のいいおっちゃんがいるんだよ、これが加藤阿佐夫さんのことなんですけど。
加藤阿佐夫さんがオープンした餃子の王将で修行をしました。半年ぐらい修行して5年分けさせてもらって、1969年に大阪の京橋に餃子専門店として、半年しか修行してないんで、餃子ぐらいしか作れなかったらしいんで、餃子とビールみたいなお店だったらそうですけど。
その時に餃子の王将と大阪王将の2店舗が並んだという状況になっております。餃子の王将と大阪王将の墨分けっていうのはその時に競技がありまして、大体餃子の王将は京都の方で、大阪王将は大阪の方でって言われますんで。なので餃子の王将は今でも京都王将、大阪王将は大阪王将なんて名前で呼ばれたりもしますけども、そのように墨分けがされておりました。
1970年に大阪万博が開催されまして、お互いですね、大変景気の良い状況になっていきます。ただ、オイルショックが1973年に起こりまして、大阪王将の創業者の墨野新蔵さんは繊維トンヤーの方で働いたそうなんですけど、一緒に働いた人たちが大阪王将のフランチャイズやりたいんだよっていうので、どんどんどんどんとですね、店舗が増えていったっていう風な状況があるそうなんですけども。
そんな中でもオイルショックがありながらも、だから伸びていったっていうことですね。餃子の王将の方も1978年には新宿に関東一号店を出したりとかですね。あとご存知でしょうか。鹿児島王将っていうのもあるんですね。鹿児島王将はまた別会社になってまして、鹿児島王将は1978年に設立してるんですけど、その経緯としてはですね。
京都にですね、京セラという会社がございます。京セラの創業者の稲森和夫さんという方がいらっしゃいまして、その奥さんの弟が餃子の王将で働いたそうなんですね。
一方で、稲森和夫さんの弟たちがですね、親の面倒を見るために鹿児島に戻らないといけないということで、じゃあちょっと鹿児島で餃子の王将をやらせてくれないかというので、稲森和夫さんが餃子の王将の創業者加藤さんの方に直談判しまして、いいよということで鹿児島王将が生まれまして、
稲森和夫さんの弟だったりとかその親戚の方とかですね、そういった方々が鹿児島王将を作ったということなんですね。今でも鹿児島王将は鹿児島の市内にございます。ぜひ鹿児島に行かれたときに行ってみてください。こちらの方はですね、いまだにその場で包んだりとかしてますので、ぜひ見てください。
そんな感じでどんどんお互いに拡大していっておりました。拡大していくんですけど、だんだんとですね、その最初に取り決めた京都は京都王将、大阪は大阪王将という取り決めがですね、だんだんと了解侵犯していきます。まずは餃子の王将さんが大阪に出たってところだったらそうなんですけど、問題は大阪王将が京都に出店したってところで問題になりました。
大阪王将の成長
その時に大阪王将も大阪王将と名乗らず餃子の王将と名乗ったらしいんですね。そのせいでどっちの餃子の王将やねんということで、お客さんも混乱する状況になってきたと。餃子の王将、つまり京都王将の方が不正競争防止法上の差し詰め請求をしました。
翌年和解しました。1985年に和解いたしまして、大阪王将の方は店舗名を大阪王将に改めるということで決まりました。同時にですね、大阪王将の社長、文野新蔵さんからその息子、文野直樹さんに社長が交代いたします。この文野直樹さんはその当時25歳。
それまで何やってたかというと、10歳の頃から父さんのお店を手伝って、文野新蔵さんのお手伝いをして、16歳くらいの時は店長もやってて、20歳くらいになりますと自分で東海王将っていうのを作ってですね、自分で経営も始めてかなり好調だったらしいんですけど、そんなこんなんかありましてですね、文野直樹さんが大阪王将の社長に就任いたしました。
最初に何やったかというとですね、大阪王将を伸ばすっていうことじゃなくて、実はモスフードのフランチャイズとしてフランチャイズの仕方っていうのを学ぶ。そこからやったそうなんですね。それが今にも生きているんですけど、フランチャイズとはどうあるべきかっていうシステム、フランチャイズのシステムをしっかりと考え直すっていうタイミングにその時間が当てられたと。
一方で餃子の王将がどういう状況になってたかというとですね、1980年代ちょっと瞑想しました。1987年にですね、餃子の王将、中華料理店っていうことだけじゃなくて和食やりたいっていうので、クルクル寿司っていう餃子王将の中に回転寿司始めたりとかですね、イケスの王将という和食料理店を出したりとかですね、ちょっと瞑想しまして、それが2011年にはもう撤退しているんですけど、瞑想時期になります。
あと1993年にですね、創業者の加藤麻雄さんが亡くなりまして、2代目の社長にはですね、朝日ビールから来ておりました餅月邦彦さんが就任するんですけど、その1年後にはですね、加藤麻雄さんの長男の清志さんが3代目の社長に就任とかです。ちょっとバタバタバタってするんですが、翌年の1995年には大阪証券取引所2部に上場してですね、一応順調に確定している状況になっております。
一方でですね、大阪王将の方が2001年にはですね、冷凍食品の大阪王将餃子というものを販売開始いたしました。このあたりからですね、だんだんと餃子の王将と大阪王将の道筋が分かれ始めてきております。
2002年にですね、大阪王将はeat&という社名を変更いたしまして、目指せ総合フードサービスへということで、もう餃子だけじゃない、最初は大阪王将は餃子だけだったのが、だんだんと餃子の王将のようにですね、中華料理全般できるようになってきて、それだけじゃなくてフランチャイズしましたりとか、それをやっているうちにラーメン屋さんを始めたりとかですね、いろんな分野に拡大していきます。
今となってですね、それがいろいろと分かれておりまして、パンも始めてますし、ラーメンもトマト麺だったりとか、よってこやっていうラーメン屋さんとか、いろんな餃子が作られております。それもフランチャイズの仕組みをうまく活かしながら拡大していっているという状況ですね。
2001年にそんな感じで冷凍餃子を始めたりとかですね、どんどんどんどん拡大を始めております。2003年には新宿に大阪王将も関東発進出しましたと。
2008年ぐらいにですね、ちょっとこの餃子業界に大きなインパクトのある毒餃子事件という、ここは餃子の王将も大阪王将もまた関係ないところなんですけども、いわゆる餃子に対しての不信感が生まれるような事件がありまして、
そこからですね、すべての餃子屋さんが中国のものは使ってません。国産のもので餃子を作ってますみたいな感じで、安心安全ってものを歌い始めるようになってきました。そこからが結構餃子屋さんのまた第二ステージになってくるんですけど、餃子の王将の方も2006年には大阪証券取引所の一部上場もしまして、もう明日ともにですね、大企業になっていっております。
大阪王将の方は2010年に国産化をしますということで宣言しまして、2011年にジャスダック上場して、2013年には東商一部に上場しましたと、トントントンと成長してきております。2014年に羽月餃子を大阪王将が発売開始します。
餃子の王将の進化
ちなみに羽月餃子っていうのは味のトレーター食品さんの方が先に2012年から羽の素っていうのをつけて販売しておりまして、羽部分がここから始まっているんですね。お互いに成長しているんですけど、餃子の王将の方にですね、ちょっと大きな事件が起こっております。
2000年にですね、挿入者の加藤沢沢恩の妻の弟の大東隆之さんが4代目の社長に就任してたんですけど、この加藤さんがですね、本社前で従役を受けて亡くなってしまいました。それですぐ上部の渡辺直人さんが5代目社長に就任いたしまして、そこからですね、2014年、餃子の国産化をしますだったりとか、あと16年にセントラルキッチンを作って、そこから餃子を作って、餃子のお店の方にですね、済んだ状態で持っていって、
そこですぐ焼くだけにします、みたいな感じにしたりとかですね、いろいろと改善を図ってきています。最近ですね、2018年に王将調理道場というのも開設いたしまして、餃子の王将に勤めている社員さんがですね、そこで修行してですね、餃子を焼くということだけじゃなくて、料理全てに対して技術を磨く。
その前は店によって味のばらつきがあったそうで、その味のばらつきをなくすためにはきちんと研修しなきゃいけないということで、全国からちゃんと人を集めて研修して、また店舗の方に送り返してっていうのを繰り返しているんですね。そこではもう包丁の研ぎ方までも教えてですね、餃子だけじゃなくていろんな料理を作れるように、料理人としての腕を磨くっていう道場を始めております。
飲食店だけじゃなくて、メーカーとして成長してきた大阪王将さんの方も、2017年に創業者ではない中田ひろやさんが社長に、3代目の社長に就任いたしまして、その後ホールディングス化してですね、外食の大阪王将、あと冷凍食品メーカーとしての大阪王将と、それぞれの子会社が分かれまして。
その他にもラーメンとかパンとかですね、いろんなものを作ってますので、そういった事業をそれぞれ分釈化いたしましてホールディングスというひとまとまりにしたということですね。こんな感じで餃子の王将の方は職人の技を極めながらお店によって個性を出していく。
ベースとしておいしい餃子とかおいしい共通メニューは共通したレベルの高さをキープしながらお店ならではのものを作ったりとかですね、進化をしています。大阪王将の方はお店の方はお店の方でいろんな料理を出していくんだけども、メーカーとしても機能していく。もう半々でやっていくっていうところですね。いろいろと進化していっているというところですね。
という感じでざっとですね、餃子の王将さんと大阪王将さんと鹿児島王将さんといろいろご紹介してまいりました。餃子の王将もですね、テントで焼いた餃子と生餃子販売しております。大阪王将もテントで焼いた餃子と生餃子。そしてスーパーに行きますと冷凍餃子がございます。
それぞれですね、いろいろと餃子の好みに合うものがあると思いますので、お好きなものをぜひ教えていただきたいと思います。どちらの餃子がお好きでしょうか?このポッドキャストの概要欄に記載しております。ご意見フォームからぜひ教えてください。
今お聞きいただいておりますキク餃子はスポッティファイアップルポッドキャストユーチューブミュージックアマゾンミュージックリスンで毎週火曜日に夕方5時までに配信しております。いつもご利用のプラットフォームで番組のフォローやお気に入りをしていただけると嬉しいです。
ということで最後の一言。大阪王将さんのyoutubeチャンネルで一番再生数の多い動画は私が出てます。ぜひご覧ください。
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