1. ごりの堂々巡り
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2023-08-16 22:41

#154 【雑談】終戦の日に従軍経験のある男性利用者との記憶

従軍経験者のリアル

思い 想い

感謝 ありがとうございます

そんなことなかったと言う人もいて面白い

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毎度、ごりです。
僕が中学生の頃、ろくに勉強もせず、ゲームやパソコンにのめり込みながらも聞いていたのはラジオでした。
地方のラジオ局のパーソナリティの四十を超えたおじさんが、楽しそうに話したりぼやいたりしているのをなぜかワクワクしながら聞いたものです。
今日も五十に近いごりが、ちょっとしゃべります。
ごりの堂々巡り、よろしくお願いします。
さて、今日はですね、2023年8月の15日ということで、
よく言う終戦記念日、
ということですよね。
厳密には終戦の日、っていうらしいんですけどもね。
海外では対日戦章記念日、日本に勝った日、みたいな感じで、国によってその日付も違ったりするらしいんですけども、
ちょっと政治的っていうところでもなく、感覚が違う人がいるかもしれないので、
先に謝っておきますが、
なんかすいません。
えっとね、何が、全然まだ話もしないで何を謝っているのかわからないと思うんですけども、
あのね、こういう仕事をね、こういう仕事って介護の仕事をしていて、
いろんな話をね、いろいろといっぱい聞いてきています。
この大東亜戦争、太平洋戦争と呼ばれる戦争を生き抜いてきた人、そういう人もいます。
そういう人の話を聞くこともあります。
もちろんね、そういう人、当時軍人として、大日本帝国軍の軍人として働いて、
軍人って仕事ですからね、仕事をしていた人の、もうそういう人が減ってきていることも確かですよね。
本当に少ないですね。
ところがね、いないことはないわけですよ。
で、まあ僕はね、この自分の年長者というか、
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まあいわゆる高齢者、利用者という言い方もしますけども、
まあね、そういう人たちの話を聞く立場、
そういった人たちの話を聞く立場、
そういった人たちの話を聞く立場、
そういった人たちの話を聞く立場、
まあね、そういう人たちの話を聞く立場にあるわけですけども、
まあね、割とね、年齢的に見て、明らかにこの人絶対従軍経験あるな、みたいな人もいるわけですけども、
うーん、全然、いや、もう俺はね、
増兵交渉、砲兵交渉とかね、増兵局にいて、
うちの祖父は増兵局ですね。
母方の祖父は愛知の増兵局にいて、戦地に行ったことはないっていうことなんですけども、
父方の祖父はもうとっくに死んでましたんで、
とっくにっていうか、父が生まれたのが昭和15年。
15年で、もうそのとき結構いい年で、
大東亜戦争に従軍することはなかったんですけども、
うーん、まあこの利用者さんでね、
従軍経験がある人、まあいろんな人がいるわけですけども、
以前ね、話したことがあるかもしれませんけども、
従軍していて、そのまま捕虜になって、シベリアに抑留されて、
その後、日本に戻ってきたっていう方の話だったりとかね、
南方戦線ですよね、行って大変な苦労をして、
逃げ返ってきたような状態の人だったりとか、
中国満州ですね、旧満州にいて、
そこから台湾経由で帰ってきた人とか、いろいろいるんですよね。
まあ本当にありとあらゆるところから、
まあいろんな状況があると思うんですけども、
まあ帰ってきた、そういう従軍経験のある方々っていうのが結構いたわけですよね。
で、みんなね、この8月15日、終戦の日っていう時に、
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まあ存命だった場合、やっぱりどうしてもね、ニュースやテレビつけてれば、
だいたいもうその日は1日中ずっとそんな感じなので、
まあ目にしたり耳に入ったりするわけですよね。
で、そんな時にね、ちょっと若めの方々、いわゆる従軍経験のない人たち、
特に女性たちの中では、
まあ戦争なんか嫌だよね、もう絶対戦争なんかしちゃダメだよね、なんていう意見をね、
すごいこう怖高に言う方々もいっぱいいらっしゃって、
まあもちろんね、まあね、戦争は嫌だよねっていう話をするわけですけれども、
まあそんな時にね、その従軍経験のある人たちもいるんだっていうことを、
まあ僕はこうちょっと理解しながら、あまりこうね、
女性人の意見に訳は言うことなく、
まあそうだね、戦争自体はね、誰もが嫌な思いをしたものだと思いますよっていうぐらいの意見で終わるんですけども、
まあ何と言ってもね、僕はこのリハビリ担当、マッサージとかね、リハビリを担当するっていうところで、
個別にね、部屋で1対1でお話をする機会っていうのが得られる、そういう触手なわけですよね。
で、そこでね、お話をして、まあ例えばこうね、その年齢が高い高齢、超高齢者の場合、
若い頃何してたんですかーって言った時にね、お仕事何してたんですか、あれ年齢的にこれだと大難死団ですぐらいな、
僕いきなりね、その大難死団でした?とかって普通に聞くんですよ。
戦争行ってました?って聞くとね、みんな構えるんですけども、大難死団です?って普通に聞くと、
ああ、あのー、っていう感じで答えてくれたりするんですよね。
ね、その大難死団とか、大難二連隊でしたか?とかっていうね、で感じていくと、静岡の場合ね、
まあ歩兵の場合は34連隊だったかな?が、確か静岡市を中心として作られた連隊だったと思うんですけども、
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この連隊、34連隊、まあ大難死団、大難連隊みたいな話でいくと、意外とこう年配の方がね、スムーズにお話をしてくれて、
何年に行って何年に帰ってきたんですか?みたいな話をすることもあるんですよね。
でまあ、いろんなね、黒話がいっぱい出てくるわけですよ。
まあ本当にね、あのー、十分してウキウキしながら帰ってきた人は一人もいないとは限らないんですけども、
話を聞くにおいてね、あまりこう、にこやかに、あ、すごいですね、よかったですね、何とか帰ってきてあっていうふうに言えないわけで、
本当に大変なね、お仕事でしたねっていう感じで言うんですけどもね。
僕はこう、十分経験っていうのを率直にこうお仕事として捉える、捉えてるんですけれども、
で、ただね、この十分した方に対して、僕は常にお話を聞いた後、最後ですね、
本当にありがとうございましたと。
本当に何々さん、個人名ですね、何々さんたちの苦労や働きですよね。
まあそういう結果、今こうやって僕たちは日本人として、日本という国名を名乗って日本人として生活できているっていうことは、
もう本当に当時十分してくださった皆さんのおかげですと。
本当にそれに対してね、感謝しかないですと。
もし当時皆さんのね、その十分した方たちの頑張りがなかったら、今僕たちは日本人って名乗れなかったかもしれない。
今こうやって日本人としての名前も名乗れなかったかもしれない。
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今こうやって笑って、十分経験のある何々さんとね、おじさんとおじいさんとお話できるのも全て、
あなたたちね、皆さんが頑張ってきたその結果、日本という国を保つことができたその証ですよね。
本当にありがとうございますと。
僕は何々さん、おじいさんたちが守りたいとね、守ってきた日本人、日本という国をね、
それに対してね、守り通してきたその思いをすごい感じていますよと。
上手に言えない部分もあるんですけども、本当にその思いを持って戦地に赴いていったその人たちへの感謝の言葉をね、
感謝の言葉をね、僕はこういうタイミング、その終戦の日なんかね、そういうタイミングで十分経験者の方にお礼を述べさせてもらったりするんですけれども、
そこでね、言われる言葉として、まあ戦争から帰ってきてそんな風に言われたのは初めてだよっていうお言葉をね、受けたりするわけですよ。
戦争が終わって何年ですか?78年?ずっとあなたたちのおかげで、今私たちが日本人であることができているんです。ありがとうございましたって言われたことがないってどういうこと?
命がけでこの国を守ってきて、それを言われたことがないってなんで?って単純に思うわけですよ。
感謝の言葉を述べてもいいんじゃないでしょうかね。何かはばかられるでしょうか。その、十分した方々に対してお礼を言うことっていうのはね、何か悪いことなんでしょうかね。
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僕は本当に純粋にありがとうございました、ご苦労様でしたと。
日本人が今もまだ日本人でいられるという、それに対しての、当時の戦地に赴いた方たちの強い思いをね、本当に感謝いたしますと。
これに対して、おじいさんたちが泣くというね、しかも普通の泣き方じゃなくて、大号泣するっていうね、言われたことなかった。
家族にも言ったことなかったし、あんまりね、僕が大何四段ですかみたいな、大何連帯ですかみたいなことをさらっと言うんで、思わず喋らされたっていうところなんでしょうけども。
思わず喋らされた上にね、今まで秘めていた、その当時のいろんな思いを言ってしまって、どうしようと思いながらもずっと喋っていって、最後にありがとうございましたと言われて、顔をぐしゃぐしゃにして泣く。
そういうね、従軍経験のある、そういう方々がいたよと。本当にね、本当に僕は純粋にありがとうございましたと、何度も何度もその同じことばっかり言ってますけども、ありがとうございましたとしか言いようがないなと。
思っております。
今後ね、どんどん従軍経験のある方の人口が減っていくとは思いますし、そういう方々の話を聞く機会も減っていくとは思うんですけれども、今ね、我々がこう、日本人として生きている、生きていくことができる。
ここにはね、日本っていう国を、日本人っていうものを守りたいと思って、戦地に赴いた人たちが、生きたいか生きたくないかは別として、ね、戦争したかったかしたかがなかったかとか、そういうことはどうでもいいんですよ。
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そういうことは抜きにして、いろんな思いを抱えながらも、戦地に赴いて、日本という国を守りたいという思いで、頑張ったっていう人たちがいたことに対しての敬意を表したいなと思うんですけども。話長くなっちゃうんですけども。
最後にね、そういうね、国を守りたいっていう思いをね。
まあ僕はね、本当にその単純に、何谷さんみたいな人がね、十分してくれたから、日本っていうね、ものが守れたし、今ね、僕こうやって日本人っていう風に言えるのでね、本当にありがたい。
本当にご苦労様ですね。本当にお疲れ様でしたとしか言いようがないですよ。ありがとうございますって言ったらね、一人のおじいちゃんがね、俺は当時もそんなこと思ったことねえよって。
だから、いやいや俺は軍人になったんだよって。そんなこと当時は言えたことじゃなかったけども、今となってはね、ようやく言えるんだけど、今そうやって言われちゃってなんか逆に申し訳ないんだけど、俺は飯食うために軍人になったんだっていう人が純粋にいて。
あの兄貴が死んじゃって、で俺がね、行かなきゃいけなくなっちゃってみたいな。なんかね、あの俺も行きたくなかったんだよねーっていうことをね、いうおじいちゃんがいてね、それもそうなんだよなーって、そういう人もいるよなー当たり前だよなーって思いね。
もちろん全員が全員ね、国のためとかね、日本のためなんて思ったわけじゃなくて、あの、飯食えに行こうとまんま田舎にいても、田舎というかね、静岡にいても飯食えねえし、どうしようもね、行くしかねえかーっていう、そういう思いをね、していった人もいたんだ。
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まあそれがその人が一流のシャレなのかもしれませんけどもね、そういうふうに言われるとこっちも、あ、そうでしたかーっていうぐらいしかね、返しようがないっていう、そういうこともありましたけどもね。
終戦記念日に何話してんだかってね、終戦の日に何話してんだかっていう感じにもなりましたけども、まあいろんな思いを持ってね、当時、全員が同じ方向向いてたわけじゃないんだよっていうのもありながらね、ただ、そういう人に対してでもね、僕はね、いやいや、それでもありがとうございましたと。
どんな思いをしながらでもね、軍帽かぶって行った人たちに対しては、本当に感謝の気持ちしかないですっていうことをね、言ったら、そんなに大したことじゃねえよって言われて、本当にね、そういう本当に面白いなーっていう、まあいろんな人がね、全員軍人というね、第2本帝国軍の軍人っていうふうに、
肩書きはね、全員軍人になっても、いろんな人がいたんだなーということもね、感じたことがあるよと、そういう話です。
今日はこれで、おしまいにしましょう。
それではまた、失礼します。
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