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2021-05-14 07:14

#365 相対主義者の血が騒いだ

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結局のところ価値観というのはグラデーションである。人は誰しも、絶対主義と相対主義の中間のどこかに存在する何主義にもなりきれない何かなのだ。…そういう考えもまた、どこか相対主義的ではあるのだが。/シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】の活動はこちら https://bit.ly/2P3pujF /うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、ぜひnoteマガジン【脳内議事録】をご購読いただけると嬉しいです! https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、相対主義者の血が騒いだ、という話をしたいと思っています。
相対主義とは何かというと、すごく簡単に言うと、 世界っていうのは、人間の数とか生物の数だけあって、
真実もまた、その生物の数だけあるよね、と。 だから唯一の答えとかってない。答えは人それぞれだったよね、みたいな。
そういう立場のことを言うんですけれども、 考えれば考えるほど
そこに行き着いてしまう、 っていうね、
のがありますと。 時代的にもですね、ここが尊重されて、っていう感じで、相対主義が進みまくっている
世の中かな、というふうに思っていて、ある意味 何でもありとも言えるというところで、社会がね、こう
ある種まとまっていくみたいな意味合いにおいては、マクロな意味においては、この相対主義っていうのは
よほど自立して、というか、ミルクローとマクローがミルク個人でないと 調和みたいなものは取れていけないだろうなぁと思いつつ
一方で、じゃあその何か答えがあるというところで、 マクロ、これが答えだってことにしてしまった時に、ミクロに幸せが来る、みたいなところがあって
非常に難しいなぁと。 本質はやっぱり、ありとあらゆるミクロな
別々の世界が混じり合って、大きな一つの世界を作っているっていうのはあると思うので、どこまで行っても相対主義、
そしてそれが結果としてマクロ、何かを作り上げている一つの状態であるっていうのは、僕が見ている世界なんですけども
この間ね、対話をしていたら、結構ね、答えだ、みたいな感じで言っている人がいて
その、なんていうのかな、ある意味その絶対主義的な考え方ですよね。みんなに答えがあるではなくて、その人が言った答えが答えなんだって
いうことを言っていて、自分が信じた意見っていうのを決して曲げようとしなかったんですね。
まあそういう人が現れるとですね、ただそういう人ってだけであれば、もう話するしてもしょうがないなっていうところで、いわゆる
答えがあるんだったら、もう話す必要ってないですよね。ただ答えなんだから、話し合って何かこうかもね、ああかもね、とかっていう議論の余地はなくて答えなので
もう以上でいいと思うんですけども、対話の場である以上はですね、いくら答え風にですね、意見をね言っていても
それぞれ答えがあるよねという、なんていうのかな、その絶対的な意見を相対化するということをですね、試みるわけですね、僕はですね
対話の場ですので、やっぱりいろんな意見があるという、そのみんなの答えがあって、その中でこの場の答えを出すのかどうかは別として場で考えようよっていう
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みんな答え持ってるんだけども、みんなでちょっと改めて考えてみようよっていうのが対話かなというふうに思ってますので
絶対的な、絶対主義的な意見っていうのが出てくると、僕は結構ね、相対主義者の血が騒いでですね、なんていうのかな
ちょっと前に言いましたけども、私にとってそれは正しい、でもあなたにとってそれは間違っている、あなたにとってそれは正しい、でも私にとっては間違っている
みたいな、そういう話をしたと思うんですけども、まさにそれが相対主義的な考え方であるというか、これは正しいことだ、だからそうでない人は全員間違っている
みたいなロジックを振りかざす人っていうのは結構いるんですけども、そういうちょっと絶対主義的な意見っていうのは僕は結構ね
バトルはしないけども、なんていうのかな、そこに対して立ち向かっていってしまうところがありますね、対話の場においてはです
日常においてはですね、そういったちょっと絶対主義的なというか、思い込みがちょっと強いみたいな人に関してはスルーしますね、もう議論の余地なしということで
会話をしないという、この人はそう思っているんだなということを受け止めるだけということで、言い返しは何もしないんですけども、対話の場ではですね、やっぱりそこを
ちょっと相対化する方向にですね、働いてしまうと、相対主義者の血が騒いでしまうというところがあるかなと思っています
で、まあ何だろうな、時代的にはですね、やっぱりそういった人にとっての、みんな違ってみんないいよねではないけども、みんなそれぞれ考えがあるよねみたいな
みんな違うものを見てるよねっていう方がスタンダードというか主流かなというふうに思いますので、こういう話をしてもそういうなんか思い込みが激しい人っていうのは
差別主義者で、なんていうのかな、になりがちでとかっていうね、思い込みによって誰かを否定してしまう
例えば何、男はこうだとか言った瞬間ね、その精査を絶対してしまうみたいなことがあったりするわけじゃないですか、そんなよりは
男とか女とかじゃなくて、みんな個人差あるよねみたいな考え方の方が受け入れられやすい時代かなというふうに思っているんですけども
もう一歩掘り下げた時に、僕はかなりその相対主義的なところに善振りしてるっていうぐらい
相対化しすぎて、なんていうのかな、それはそれで課題だなと僕は思っているんですけども、多くの場合ですね、そこまで相対に振り切ってないか
たりするし、ある部分によってはちょっと絶対主義的にというか、ちょっと思い込みというかね、これに関しては絶対こうだとかって思っているところはあるっていう
そういう人によってもですね、グラデーションがあるかなと思うんですよね、何でもかんでも答えがあるって思ってるわけではないけどもこれについてはこうだ
っていう強い譲れないというか、曲げられない意見みたいなのがあったりもするのかなと思ったりするので
絶対主義者か相対主義者かっていうことではなくて、結局どこかそのグラデーションの中で絶対主義的なパラメーターが振ってしまうとき
そして相対主義的に振ってしまうときみたいな感じで場面によってもやっぱり変わってしまうだろうなというふうに思いますね
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なので何でもかんでも相対化すればいいというものでもないし、絶対化するっていうのはあんまりいいことではないかなと思う一方で
何でもかんでも相対化すればいいってものでもないだろうなと思いながら、そのグラデーションの中で
対話を重ねながらバランスを取っていくっていうことが大事だし、何よりそういうことをですね日頃無意識でやってるんだろうなというふうに思いますので
そうやって対話の場で言語化しながら、今ここら辺に自分は置いているなというのを認識するってことがね
とても大事なことなのかな、大事なことというか対話の価値なのかなというふうに思ったりもするので
言語化されることによってですね、見えてくるもの、また言語化されることによって所有とされるもの、いろいろありますけども言語化する面白さ、対話の面白さというのは一つね
そこの自分を客観視できるというか、無意識の自分が顕在化されていくみたいなところはですね、とても面白いなというふうに思ったりしますね
何言ってるかわかりませんけども、相対主義者の血がですね、対話の場ではとてもたぎってくるよっていう
自覚をしたというお話でした。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら
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