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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、期待値と怒りという話をしたいと思っています。 昨日、怒りについてですね、もうスタバでおじさんがキレてたよみたいな話をしたと思うんですけども、
僕自身がね、全然怒らないので、 なんで怒ってんだろうなーっていうようなお話をしました。
で、クラブハウスでですね、僕は今週1回サイコパスの部屋というのをまた再開して、 まあそこでですね、この怒りについて対話しました。
その中でですね、人はなんで怒るのかとか、どういうこうメカニズムでというかね、 怒っていくのかみたいな話がね、できたので、結構僕の中ではスッキリしたので、今日ね、シェアしたいなというふうに思っています。
で、9人ぐらいかな、出たり入ったりもあったんで10人ぐらい、 約10名でその怒りについてお話をしたんですけども、大きく2つですね、1つは各人のですね、
どんな時に怒るか、自分の怒ったエピソードみたいな話を聞いて、そういったそのたくさんの事例をもとに、じゃあ怒りの発生メカニズムって何なんだろうねみたいな話を最終的にしていくというような展開で1時間お話しさせていただきました。
で、怒るエピソード、皆さんがどんなことで怒っているのかみたいなことを聞いていくと、いくつかのパターンがありまして、
結構近い人ですね、家族とか恋人とかですね、自分のことを分かっていて叱るべきというかですね、結構近い距離にもかかわらず自分のことをこれぐらいも理解してくれないのかということで、自分のことを分かってもらえない時に怒りっていうのが湧いてくるんだっていう人もいれば、
列ね、レジとか例えば電車とか並んでいるその列に割り込まれたとか、いわゆる社会規範から外れた行為をされた時に怒ってしまうとかですね、そういうパターンは結構多かったかな。
ちょっと面白い例ではですね、結構歴史の事象そのものにその理不尽な事象にすごく怒っているとかいう方もいらっしゃいましたね。
いろんなパターンあったんですけども、大きくですね、自分のことを理解してもらえないことが怒りに繋がるパターンと、社会がこうあるべき、社会の行いとしてこうあるべき、振る舞いとしてこうあるべきってことが叶わないということで怒ってしまうっていう、大体この2パターンに分かれているなというふうに思いました。
で、とはいえですね、それはそういう場面だと怒るよっていう場面設定だけであって、それイコール怒るではないと思うんですよね。例えば僕が列に割り込まれても怒らないんですよね。
怒らない。ちょっとイラッとするかもしれないけども、その不点を超えてなんか怒ってしまうっていうところまでは行かないというかね、一瞬イラッとして、なんかルールを知らない人なのかな、それとも知っていてそうやってるのかなっていうことを考えてしまうと、結果軽蔑はしても怒りはしないというような感じになってしまうんですよね。
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なので、その事象そのものが怒りと直結しているかというと、トリガーにはなり得てもそれ自体が怒りと直結しているわけではないというふうに僕は思うんですね。で、じゃあ怒りはどうして起こるのかっていうことをそこでみんなで話していったんですが、そこでたどり着いたのはですね、期待値の設定と現実の返りですね。期待値を下回ったときにその怒りのボルテージが上がるんだろうということです。
だからさっきの列に割り込まれたっていう例も、列に割り込まれて怒るっていう方はですね、社会規範として列を並ぶっていうのは当たり前だよねと。だから期待値としてこれぐらいを設定しているという、その期待値を大きく下回る行いがあったということで怒りが発生していると。
僕の場合は、まあ確かに社会規範として、日本の社会において列に並ぶっていうのは、まあべきだろうと。並ぶべきだろうと思っていますと。だから僕自身は並ぶしするんだけども、でもみんながそうするというふうな期待値として設定していない、しないやつもいるだろうと思っているから、みんなした方が安全だよねって思っているだけであって、しない人もいるんだろうなと思っているから、そもそも期待値として設定していないので、その期待値を下回るということはないですね。
みんな期待値を設定していないから、値がないから、その値の高いとか低いとかいうことが存在しないということで、だから僕は怒らないんだなということがそこでわかったわけです。
次にですね、じゃあ今のは単発の出来事じゃないですか、ある種社会規範という期待値として設定しやすいものを下回ったかどうかって話なので、その単発の出来事で不点を超えるか超えないかみたいな話だと思うんですけども、
なんか私のことを理解してないっていうのは、じゃあいきなりその道端で会った人に私のことを理解してないねって怒ったりしないわけじゃないですか。
これね難しいなと思ったのは、私のことって積み重ねて理解していくわけだと思うので、やっぱ怒りっていうのはある方が言ってたのは、歴史があってこそ怒るんだと。
あとは積み重ねがあってこそ怒るんだと。いきなり出会っていきなり怒るっていうことはない。文脈があっての怒りなんだっていうことをおっしゃっていて、本当にその通りだなというふうに思いました。
だからこの私のことを理解してほしいという怒りについては、不点が低いとか期待値が高すぎるとかっていう話だけではなくて、ましてやその2つ全然不点は低すぎもしないし期待値もそんなに設定してないにもかかわらず、
身近な人には、特に身近な人には怒ることがある。そのメカニズムは何なのかっていうと、怒りのポイントカードがあるんだと。大した期待値じゃないけどもその期待値を下回るようなことがあって、怒りポイントが溜まっていく。それが例えば10ポイント溜まったら爆発して怒りになるみたいなことがあるみたいですね。
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これは一概には言えないんですけども、その10名の中で男女だいたい半々とか6,4ぐらいのバランスの人数だったんですけども、女性のほうがポイントカード性を取り入れている方が多かったですね。
男性でその怒りのポイントを蓄積しているという方はあんまりいなかったんですけども、女性はみんなすごい共感しちゃってましたね。そのポイントが溜まってある日爆発するんだみたいなことですね。
それを言われてみるとですね、怒りっていうのはその単発の出来事で不点を超えるか超えないかって話だけではなくて、蓄積していく、時間を経て蓄積していくという側面もあるんだなということが分かりました。面白かったですね。
なので僕はですね、これ話し合う前、そして昨日のポッドキャストで話していた段階では、この世に怒るだけの価値があるものってそんなにあるっけっていうことを問うていたというか、
思ってたんですけども、その怒るだけの価値っていうのはある種期待値という形で置き換えることもできるのかなというふうに思っていて、
自分の場合は期待値としてほとんど設定することがないに等しいので、怒るだけの価値があるものがない、ほとんどないというふうに思ってしまうんだけれども、
期待値を設定したとたん、それを上回るか下回るかっていうことが起こってしまうので、期待値を下回ると、
まあ起こってしまう、爆発するかわかんないけども、その怒りポイントが溜まっていくメカニズムだということですね。
で、まあそうですね。なのでまとめると怒りとは何なのかっていうと、怒りとは期待値の掛け違いであり、また怒りにはポイントカードの側面もあるということですね。
これが今回1時間、いろんな人とお対話して得た学びでした。やっぱりね、このポッドキャストでも言いましたけれども、他者と共に動的に考える上で対話っていうのはとても重要で、
僕が一人で考えても怒るだけの価値があるものって、そのあるっけっていうところでどうしても止まってしまう。自分の見ている世界、自分が感じている世界で止まってしまうんだけれども、
いろんな人の感覚、いろんな人の言葉に触れることで、また自分の認識も拡張できるというような体験をさせていただきました。
対話ってやっぱり素晴らしいなと思った次第でございます。毎週1時間、サイコパスの部屋、クラブハウスで開催していきたいと思ってますので、クラブハウスのアカウントを持っていらっしゃる方、
ぜひまたね、ご参加、またというか、初めて参加される方もぜひって感じで参加していただけると嬉しいなというふうに思います。
で、全然常連の方もいるし、新しい方もいるしって感じで、全然新しい方もですね、ぜひ話してくださいというような部屋になってますので、積極的に手を挙げてですね、参加していただけると、
嬉しいなあというふうに思います。で、サイコパスの部屋というクラブもね、立ち上げましたので、そちらのフォローの方もですね、
ぜひお願いできればと思います。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。