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2021-03-19 07:54

#309 不器用とこだわり

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、こだわりと不器用という話をしたいと思っています。
昨日、器用と不器用というお話をしたと思うんですけども、
後半にですね、僕がちょっと不器用の部分と器用の部分があってみたいな、
不器用の部分はそのまま突っ走ってみたいな話をちょっとしてたと思うんですけども、
それをですね、このポートキャスト投稿するために編集しながら聞いていたら、
どうも自分自身で違和感があって、あんましその不器用の要素って強くないなって思ったんですよね。
なんでそもそも自分はその不器用だって思ったかっていうところから話すと、
バンド活動とかこうやってポートキャストもそうだし、エッセイもそうだし、
いわゆる自分の創作活動とか表現活動みたいなところで、
もっとこうした方がお客さんが付くよとか、こうした方がもっと見られるよ聞かれるよみたいな、
なんていうのかな、テクニカルなことを言われたときに、
別に遊びでやってるから楽しくなくなるような感じのテクニックだったら嫌だなとか思ってるんですよね。
例えば、こういうところにアップすると聞かれやすくなるよとかはいいんだけども、
コンテンツの中身ですね、こういうことを喋った方がもっと受けがいいよとか言われないとか、
こういう喋り方した方がいいよとかって言われると、一気にテンションが下がってしまうっていうか、
言われないんですけどね、音楽のときとかは結構めっちゃ言われてて、
もっとわかりやすい曲作らないととか、ステージングはもっとこういう風に見せないと、
みたいなことを言ってくる先輩方っていうのはいたんですけども、
もちろんね、善意で言ってくださってると思いますし、
良くなるっていうのはお客さんから見てね、商品価値として高まるよねっていう意味で言ってくれてると思うんですけども、
僕自身はそこまでして別にやりたいことじゃないしねっていう意味でのやりたくないっていうのがあったんですよね。
つまり、絶対このやり方で通して突破してやるんだみたいな、そういうこだわりっぽいやつじゃなくて、
別にそこまでしてやりたくないんで、このやり方が楽しいからこのやり方でやりますみたいな、
ちょっと脱力系というかですね、こだわりというにはちょっと心を持たない感じというかですね、
そういうのが僕にはあると。だからそこまでしてやらないといけないかなっていう気持ちが湧いてくるゾーンのことがあって、
でもそれは楽しいからとか非合理なんだけども、自分がやりたいから楽しいからやっているみたいなことに合理的なアドバイスを受けると
テンションが下がってしまうから、そんなアドバイスは無視しますよっていう意味での不器用さだと自分は解釈しているんですけども、
それは不器用じゃなくて結構器用ですよね。自分の中でこれは合理的にやるべきことではないということを合理的に判断して、
要は非合理であることを合理的に判断して、非合理をそこに残しているってことだと思うので、それは結構器用だなと思ったりしたんですね。
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不器用な人っていうのは、それを取り入れるとか取り入れないとかそんな次元じゃなくて、自分の世界観でそれをやっちゃうみたいなところがあるのかなと思うと、
こだわりっていうのは不器用な人こそ持っているものなのかなと思ったりしますね。
器用な人が言うこだわりっていうのは、いろんなシチュエーションを提示したときに、そこまでしてこだわりませんみたいな、ある上限に行ったときにそこまでしてこだわりませんよとか言い出すんですよ。
ブランドとか朝のルーティンとかこだわってますとか言いつつね、そこまでしてありませんってあるラインで言うと思うんですけど、
不器用な人ってそのあるライン、その行き地みたいなのがものすごく高くて、なかなかそれを譲れないみたいなところがあるんじゃないかなというふうに思いますね。
なのでこだわりも別に度合いがあって、どこからこだわり、どこまでがこだわりかみたいなのは明確に線が引けるわけではないですけども、
僕が思うこだわりっていうのは結構強烈なものをこだわりっていう言語が適してるんじゃないかなというふうに思いますし、
そのこだわりっていうのと不器用っていうのはかなり連動するなと思っています。
器用な人のこだわりっていうのはやっぱりシチュエーションとか前提条件がかかれば、いやいやその場面だとこだわりませんよとかっていうことが結構柔軟にできてしまうと思うので、
それってこだわってるようでこだわってない気もするな、こだわりと言っていいのかみたいな気がしますね。
だからまた昨日の話にひも付けていくと、不器用な人のこだわりっていうのは0点、いわゆるわがままだっていうゾーンに陥ってしまったり、
一方で120点、そのこだわりがやっぱりものすごい成果を出したねっていうふうになることもあるし、
器用な人のこだわりっていうのはやっぱり80点から100点のライン、なんかそこそこのとこに落ち着けるこだわりなんだろうなっていうことを思ってしまいました。
だからなんかね、器用な人はどこまで言っても非合理なものでさえも合理的に解釈してしまうところが癖としてあると思うので、
なかなかね、肩破りの120点みたいなところを目指すのが難しいんじゃないかなというふうに改めて思います。
僕はたぶんね、80点取るの得意なんですよ。80点こうしたら取れるじゃんって簡単にわかるし、そのために100点は取れないにしても80点取る方法っていうのは簡単にわかるんですよね。
やりたいかやりたくないかとかもちろんありますけども、取る方法は簡単にわかると。で、80点取ってなんなんっていうね、そういう感覚によく陥るので、
あんまし、かなり虚無的ですね。なんか全てのことに絶対的な意味があるとは到底思えないので、自分にとってこういう前提でこうでこうでこうであればこれぐらいの意味がある。
だから80点にはこういう意味があるみたいな、かなり論理的にその80点を意味付けしてしまうので、
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なんかもう強い衝動に駆られて120点を目指すみたいな感覚が僕にはないので、以前もお話ししましたけども、人を救いたいとか社会を変えたいとかっていうのも、
いわゆる80点でも100点でもできないゾーンというか、やっぱり120点目指すエネルギーだと思うんですよね。
その不器用と器用という文脈で語ると、今まで話してきたことがいろいろつながってくるんですけども、やっぱりリーダーにならないって言ってるのも、
80点から100点しか出せない人間はリーダーをしてはいけないって僕は思って、してはいけないことはないね。
してはいけないことはないけども、既存のものを最適化したようなものしか作り出せないだろうなと思うので、
そんなものをこんだけ合理化された社会の中でさらに作っていく必要はないと思うので、自分はリーダーをやらないと。
だからなんか非合理なというか、不器用でこだわりの強い、そんな120点目指している人を120点により近づけていくためにサポートするみたいな、
そういった役回りっていうのが自分は向いているんだろうなということを改めて思いました。
だから器用路線の人は120点に憧れるとすれば、120点のポテンシャルがある方のサポートをするっていうのがいいんじゃないかなというふうに思いました。
で、不器用な方はこだわりをしっかり磨いて、ぜひ120点目指していくと社会がもっと面白くなるんじゃないかなというふうに思いますので、
不器用な方と器用な方がお互いをリスペクトし合えるような、そんな関係になるととても美しいなというふうに思うこの頃でございます。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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