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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、自分を含め世の中の全員をすごいと思うか、それとも全員をすごくないと思うか、というお話を前回に引き続きやっていきたいと思っています。
大枠のですね、もう言いたいことってのも前回言ってしまったので、全く一緒です。それについてはですね。
世の中の多くの人が、人間としての優劣で人間を見ていると、そんなことはないだろうということを前回お話しました。
評価軸を変えればとか、ある条件を変えれば、何が優で何が劣かってことは変わるよねと。
だからそんな、恣意的にとか簡単に変えれるような条件とか評価軸で変わってしまう優劣なんかを絶対のものと信じ込んでいるっていうのはとても馬鹿げているし、危険だよねっていうことを言ったんですけども。
じゃあどうすればその世の中の全員をすごいと思う、もしくは全員をすごくないと思えるかみたいなところで、具体的に方法論を提示しなかったと思うんですよね。
話の流れからいくと、要は評価軸を増やしましょうみたいな話がわかりやすいとか、誰かが優劣つけられているときにどういう条件下にあるのかというその構造を見ましょうみたいな話になるんですけれども。
どういう条件か、どういう箱の中に入れられているのかという構造を見る。そしてその箱の中でその評価軸は何になっているのかっていうポイントを見るみたいな。
極めてロジカルなことなんですよみたいなことを前回言ったんですけども、そんなこと言うとね、わからんわっていう人もいると思うので、
今日はそういう評価軸を増やしましょう、構造をしっかり見ましょうみたいな路線ではない形で世の中の全員をすごく見る方法、または世の中の全員をすごくないと見る方法を紹介というか、僕がお勧めしたい方法というのを例題を出しながらお伝えしていきたいなと思っています。
よく働く人を例に出したいなと思っています。プライベートを多少犠牲にしてでも仕事をバリバリやっている人がいると。
なぜプライベートを犠牲にしバリバリと仕事をしているんですかと問うたときに、いくつものパターンが想定されますよね。
例えば、この社会を1ミリでも良くしたいと思っていてという人がいる。
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例えば、世の中を見返したいんですよね。自分ができるというところを見せたいんですという人がいる。
例えば、自分を育ててくれた両親、そして恩師、いろんな人たちに恩を返したいんですという人がいるかもしれない。
そんな壮大なやつじゃないにしても、楽しいから働いてますという人もいるかもしれないし、家族を養っていくために働いてますという人もいるかもしれない。
または、生存するために働くしかないでしょと思っている人もいるかもしれない。
仮にこの6パターンを例に使っていきたいんですけれども、まずすごいと思う方法としては、
自分がやらないこと、または自分ができないことをやっている人、すごいよねって思えると思うんですよね。
自分と違うところを見出して、自分は決してそれをやれないことをやっている人がいる。すごいじゃない。
そういうことですね。だから、社会を1ミリでも良くしたいと思っている人がいる。
例えば僕は、社会を1ミリでも良くしたいというふうには別に思っていないので、そんなふうに思っていてすごいなというふうに思うことができる。
または、世の中を見返したいんですよねって言っている人がいる。そんなに自分の可能性を感じていてすごいなとかね。
あとは恩師の期待を裏切りたくない。この恩師とか両親の期待に応えたいんだ、その恩に応えたいんだと。
この恩を返したいです。人々の期待に応えるって偉いなと。すごいなと思いますね。
楽しいから働いているんですよねって人がいても、楽しい仕事に就けているってすごいですよって思うし、家族を養っていくためなんだよねって言っていても、家族を養うというそのモチベーションがすごいなと思う。
生きるために働くしかないでしょうって言っている。生きるために働くしかないというモチベーションでそんだけ働けるのすごいっていうね。みんなすごいですよ。
逆にすごくないバージョンっていうのもあるんですよね。この社会を1ミリでも良くしたいという人に対して、ある側面においては1ミリ良くなっているけれども、
それによってある側面において悪くなっているよっていうことなんですよね。全てが良くなるってことはないから。
スマホが普及して便利になった反面、僕たちはスマホによって時間を奪われ姿勢をねじ曲げられ視力を奪われているかもしれないっていうことですよね。
世の中を見返したい。自分ができるんだってことを証明したいんだ。それは自分にとらわれているよねとも言えますよね。
恩師のそして両親の恩を返したい。過去に呪われてますねというふうにも言える。楽しいから働いてます。もっと深く考えようよというふうにも言える。
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家族を養っていくためです。いやあなたの人権はどこに行ったんですか。生存するために働くしかないんです。
いや生存するために働かないといけないかもしれないけど生活コストを落とせばもうちょっと働かなくて済むよねみたいな感じで。
まあおよそ人の理想とか正義とか信念みたいなのは違う側面から見るとね全然すごくないしツッコミどころ満載だし指摘の仕様がいくらでもあるということなんです。
今とてもこのすごくないバージョンを説明しているととても嫌なやつみたいになりましたけども同じ物事をどのように見るかによってすごいことにも見えるしすごくないことにも見えるということなんですね。
何の記事だったか忘れたけども目の前のマグカップを見てマグカップのいいところをひたすら1分間あげて次の1分間で端に構えてそのマグカップがいかにダメかみたいなことをあげるみたいな感じでやってみると案外できるみたいなことをやっている記事があったんですけども。
要はそういうことですね。すごいと思ってみようと思えば全部すごく見えるしすごくないと思ってみようと思えばすごくないと思って見ることができるといかにそういうフィルターで物事を見るかっていうことだと思うので前回お話しした評価軸を増やしてとか構造を理解してとかっていうそういうロジカルな話とはまた別にですね。
もうフィルターをかけてしまって全部すごいと見る全部すごくないと見るっていうフィルターをかけてしまえばそんなロジカルシンキングなんかしなくても僕が言った全部すごいとか全部すごくないというふうに見ることができるよっていう今日はそういうお話でした。
それって思考停止じゃないんですかみたいな感じで言われるかもしれないんですけども悪いけれども人間的に優劣があると見ていることの方もまた思考停止だと思うので同じ思考停止ならもうちょっとハッピーな思考停止の方がいいんじゃないかということで今日言った全員すごいと思うというね。
もしくは全員すごくないと思うみたいなフィルターの書き方もあるよねっていうことを提案させていただきました。
そうですねフィルターを外すみたいなものは結局ロジカルシンキングするしかないというか条件を変えてみたり評価軸を増やしてみることによってフィルターもいろいろあるよねみたいな感じで自由自在にコントロールすればそれが一番僕はいいと思っているんですけども一番いいかな。
まあまあ偏見を持たないためには一番いいのかもしれないけれども今度そういうことをしてしまうと全てが相対化されてしまって虚無に陥ってしまうという課題もあるのでねその辺はまた難しいですね。
ロジカルシンキングすれば全部いいってわけでもないですけれどもそういうのをすると偏見をなるべく薄めることができるよねっていうお話でしたね。
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どうせ偏見を持つんだったらフィルターをかけて全てがすごいと思う全ての人がすごいと思うもしくは全ての人がすごくないと思うっていうような感じで思ってみればちょっとはですね世の中が平和になるんじゃないかなというふうに思いました。
世の中が平和になったところで別にね別の今度不具合が起こるなと思うので平和になるのがいいのかというとそれもまたわからないんですけれども自分を含め世の中の全員はすごいと思うかそれとも全員すごくないと思うかという視点の方がですね全人間的に優劣がありますみたいな考え方よりもですね僕は好きなのでそういうふうにものを見てみませんかという提案を今日は前回はさせていただいた次第でございます。
本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。