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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、無目的な活動という話をしたいと思っています。
2、3回前にですね、小学校の頃の話をしたと思うんですけども、
小学校1年生の時に、喧嘩を仲裁しようとして、自分が殴られたという話をしたんですけども、
そしてね、助けるという目的で自分は飛び出したのに、結局助けられず、しかも自分もドコゴンになるという感じで、
助けるという目的を設定したんだったら、その目的が達成される方法を考えて、達成しないと意味ないよねと思ったみたいな話をしたんですけれども、
それを小学校1年生の時に学んで、確かに僕は目的というのは達成されなければ意味がないと思って、
若い頃生きてきました。
実際ね、小学校、高学年とか中学生になってくると、クラスメイトからですね、合理化の上水とか言ってね、結構茶化されてましたね。
なんか合理的なことをよく言ってたんだと思うんですよね。
結構そんな感じで茶化されるぐらい合理的だったと。
根底にはですね、小学校1年生の時の原体験というか、目的がそれならそれが達成される、
最も合理的な方法をとるべきだ、みたいな考えが染み付いていて、そのように行動するようになっていた。
ある種の完璧主義みたいなところにも繋がっていたような気もします。
そんな感じの性格というか、考え方をしていたので、何事も説明可能なというか、
筋道が通っていないとダメだと。
別にそれが必ずしも褒められることじゃなかったとしても、ちゃんと理屈を通してというかね、
高校こういうロジックでそうしてるんですっていうことが、説明可能な状態に自分を置いていたなというふうに思います。
そのまま、そうですね、高校3年生とかになって、僕は高校時代ずっとあまり学校にも行かずバンド活動をしてたような人間ですので、
本当にギリギリ出席日数が足りてるか足りてないかみたいなところで卒業なんとかできるみたいなレベルを感じたんですけども、
3年生の秋とかになるとみんな受験をしたり就活をしたりとかしてたわけですね。
僕はそこに、なんというか、全く空気も読まずというか、どうしてその大学を受験するの、みたいなことをですね、
みんなに問いかけてもらって、すごく嫌がられたという思いでもありますね。
つまり、みんながすごい何かに取り憑かれたように受験をしようとしている、受験勉強に臨んでいるけども、
そこまでして何か達成したいとか、そこまでして何か、何のためにということですね、何の目的で大学受験をするんですか、何の目的でその大学を受けるんですか、何のためにその進路をとっているんですかということですね。
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受験勉強でいっぱいいっぱいの人たちに問いかけるということで、とても嫌がられていました。
僕はね、卒業後、アルバイトをしてバンド活動すると決めていたので、進路もクソもないというか、
本当にお気楽でですね、同級生の気持ちがわかっていなかったということで、今では反省すべきことだと思うんですけども、そんな調子で生きてきたということですね。
高校卒業してアルバイトしながらバンド活動をしていて、いわゆる社会の、今はどうなんだろうな、今の18歳とか22歳とかでフリーターになるということがどういう位置づけなのかちょっとわかんないですけども、
僕がまだその社会に出るみたいな、18歳になる頃っていうのは、何年だっけな、2000年過ぎぐらいですかね、2000何年かみたいな時っていうのは、
まだね、就職してない人はちょっとヤバいみたいな見られ方を結構されがちだったなと思いますね、福岡県内の話ですけども。
なので僕はもう本当にヤバい人みたいな扱いを常にいろんな人から受けるということで、そこまでしてバンド活動をする理由って何なんだろうな、みたいなことを初めて言いかけたというかね、そんなもう高校のね卒業する前に進路を決めるときに考えるって話なんですけども、
社会に出てからね、アルバイトしながら結構みんなから虐げられる中で、なんでそこまでして社会的なものを犠牲にしてまでバンド活動をしてるんだろうかと思ってたんですよね。
考えても考えてもわからない。そしてその社会のレールから到底外れているバンドシーンの中でも、ある種の社会性みたいなものを問われるわけですね。
そうやってリスクを追ってバンドをやっているということは、あなたはプロになりたいということですよね、という前提を何か与えられて、プロになりたいんだったらもちろん集客が大事だし、集客をするんだったらお客さんを喜ばせなければいけないとか、
お客さんが何を考えているか知るためにアンケートを取らなければいけない、ライブの後はお客様とコミュニケーションを取って、笑顔にファンサービスをしなければいけないとかね、
グッズを作って、とにかくそういう別にバンド関係ないじゃんみたいなことを、バンド関係なくはないんでしょうけど商売としてのバンド活動みたいなところのアドバイスをたくさん受ける、
または社会の中のピラミッドの中の作法みたいなことを学ぶ、
今日ソニーのスカウトの何々さん来てるから挨拶言った方がいいよとか、紹介するねとか言われたりね、
あとはバンドの応募書というか地元の中でヒエラルキのトップみたいな人が出演されるから挨拶に行こうみたいな、気に入られようみたいな、気になった方がいいよみたいなアドバイスを受けると、
結局それって世の中の表舞台というかレールの上でも行われていることを、なぜこの地下で同じようにやってるんだろうみたいな人たちを見て、
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僕はそういうアドバイスを受けるたびに違うなって思っていたんですよね。
でも違うなって思っているんだけれども、じゃあ自分は何なのっていう、
じゃあ自分は何を目的にしてある種社会的に虐げられながらバンド活動してるんですかみたいなことを、
だから裏から表からどっちからも問われてきたというか、自分に問わざるを得なくなってきたという状況がありました。
で、先ほども話しましたけども、小学校1年生以降は目的は達成されなければ意味がないと言っておきながら、
自分がバンド活動をしている目的がよくわかっていない、何でやってるんだろうか、何でやってるかわかんないんだけども、
続けてしまうというか辞めたくないというか、そういう気持ちがとてもあった。
で、25歳ぐらいまで結局なっちゃったのかな。で、その時に一つ結論が出たのは、大した目的ないなっていうね。
なんか音楽が好きだからみたいな言葉では片付かないというかね。
別に音楽が好きかっていうと別に音楽が好きな人ほど音楽を聴いてないし、
なんか音楽が好きな人ほど練習をしているわけでもないしって思うから、
そういう超絶それが好きだからやってるんです。目的はないけど好きなんでとも言えないというか、
なんかわかんないけど続けてます。なんかわかんないけど続くんですというか、なんかわかんないけど辞められないんです。
ある種の中毒とかある種の依存に近いのかもしれないですけども、依存に目的がありますかっていうと、目的もくそもないよねっていう気もするので、
初めてね、その10代の頃学生生活を終えて社会人になって社会人になったんだけども、
しいたげられながらも、なぜかそのしいたげられないルートに入ろうとしない自分。
なぜなぜなぜと思ってたけども、大した目的はなかったということに気づいた。
その時に、絶望というよりはなんかすっきりしたんですよね。
小一の体験以降、目的を持ち、そして目的が達成されなければいけないっていうある種、とてもストロングスタイルな思考だったのが、
そっか、目的ってなくても人間って何かできるんだなっていうことを身をもって知ったというか。
ましてや、いろんなものを犠牲にしながらやっていると。
ここまでリスクを負ってここまで犠牲にしながら、大した目的もないのをやっているって、
人間って面白いなみたいな感じで、自分の中の二面性みたいなね、その目的に対してすごくストイックだみたいなところと、
無目的であるんだが、めちゃくちゃ続けている状態みたいなものとかね。
そんな、なんか目的を持つことが善ってわけでもないんだなみたいなことを感じたんですよね。
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だから何なんだって話なんですけども、前回ね、前回というかその、
生一の体験の話をした時に、目的が達成されなければ意味がないみたいな言い方をしたので、
今もそういうふうに思っているかというと、そうではないよというお話でした。
無目的でもいいんだ、みたいなことをですね、気づいたエピソードでございます。
次回はですね、その生一の体験からずっと目的にストイックに向き合ってきたっていう、
向き合ってきたというか、目的ファーストみたいな感じで考えてきた自分と、
そして実はいろいろリスクを負って音楽活動をしていたが、
それはかなり無目的だったという、この二つの体験を通じて、
現代のというか、今現在の自分の認識に近づいていくわけですけども、
お話はですね、また次回しようかなというふうに思います。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。