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ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉と和音の2人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
ではでは、もうすっかり6月も終わっている頃かと思いますが。
あっという間ですよね、日々が経つのは。
なんですが、きっと6月もいろんな出来事があると思うんですけど、5月の話、もうちょっとしていいですか。
むしろ私がしゃべりたいことがある。
しゃべっておきましょう。
5月はお茶摘みもあったし、私的にはライブとか、コンテンポラリーダンスのイベントでの作品を作って、皆さんとその作品を分かち合うみたいな機会もいただけたんですよ、5月は。
その中でものすごく、そうか、こういうことが何かを作品を作るってことなんだなっていうのを思うことがあったので、そのことを和音にしゃべりたいなと。
ちなみに今更なんですけど、呼び方が変わりましたっていう話。
今更ですけど本当に、私、相手をどう呼ぶかって、すごい自分の中で、自分が相手をどういうふうに自分の中に置いてるかとかなり結びつきがあるみたいで、
だからなんかしばらく、あーなんかもう栗原さんって呼び方だと足りないなみたいな状況の時期があって、で、いろいろあーじゃこうじゃ、ちょっとあれやってみたりこれやってみたりとかをトライエラーしてるみたいな時期があっての、和音で今のところは来てると。
私は早々に思ってましたけどね、栗原さん遠いなーって。和音ちゃんってちょっと甘いんですよね、私にとって。ちゃんか、可愛がってもらってる感はあるんですけど、ちょっと甘すぎるなーって。
面白いよね、こういう自分をどのように呼ばれるかとかって結構、なんだろうね、すごく本人にとってはすごいやっぱりその細かい温度差の違いとかめっちゃ感じるよね。だってめっちゃずっと日常で自分の名前とかって呼ばれるからさ、繰り返しの中でその辺はよくあるわ。
和音ちゃんって呼んでくれてる人も結構同世代だと多いんですけど、石玉さんはなんかちゃんなくていいなって感じだった。感覚的に。
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最初からちゃんはもうなかった。和音ちゃんはなかったな。
和音ちゃんの作るコンテンポラリーのダンスの作品、コンテンポラリーって何なのっていう話だと思うんですけど、バレエとかジャズダンスとか社交ダンスみたいに決まったジャンルで決まった動きがあるっていうのとは異なる、その人の身体から出てくる動きだったりとか、
そういうことをダンスの表現としてやりますよみたいなことを結構現代的なダンスっていうふうに捉えられていて、それがだからコンテンポラリーっていう。
コンテンポラリーって直訳すると現代的かな。
私今ちょっと自分の脳のシワに自信がないときは必ずGoogle先生に聞いてからみんなに言うようにしているんですけど。
調べましょう。本当形がないっていうイメージ。型がないというか。
実際に本当にそうだと思います。やっぱり現代的なとか時代のとかっていう意味合いですね。コンテンポラリーっていうのは。
本来の意味は現代的なとか、今のみたいな感じなんですね。
そうそう。だから多分、やっぱりそういうモダンなスタイルが決まっていて、その中での表現をっていうのとは違う表現になるダンスのことだと思うんですけど。
そういう作品を今回はコンテンポラリーダンサーの方が作品を作りたいって言って、今まではそのユニットでは即興でその場でみんなでやって遊ぶみたいなこととか、
美術作品が展示されている空間の中で響き合って何かが生まれるのを見て楽しむみたいなことをやってたんですけど、
今回は初の作品作りっていうのをみんなでやって、コンテンポラリーダンサーのメンバーと音を鳴らしてくれるメンバーとっていうのでやったんですよね。
3人で私が言葉と声と役割で。今回は山に登るっていう作品を作ったんですけど、
山に登るっていうことにどんなことがこもってるかみたいなところからみんなで耕してやっていくんですよ。
例えば今回はエベレストに登るっていうのが山の中でもあったんですよね。エベレストだっていうのは。
だからそのエベレストっていうのはそもそもどこにあるのか。
標高とか気温とか。
そう、とか地域っていうのがどういう場所なのかとか、どういうふうにそこで人々が暮らしているのかとかもだし、
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今回その作品としてエベレストをやりたいって言ったコンテンポラリーダンサーの人の中にそもそもなんでそういうイメージが出たのかとか、
みんなでいろいろな話をしながら耕していったり掘っていったり、どうやらこういうのが見つかったっぽいんだけどっていうのを見つけたのを
みんなの中に置いてみてみんなでこんなふうに見えるね、あんなふうに見えるね、それってでもあれとも似てるかもとか別のものを持ってきたりとか。
そういうのをずっとやっていく中で、山を登るっていうのがコンテンポラリーダンサーの人の中で
人生と感覚的につながっているっていうのが最初からそれはあって、山を登っていてあなたは今山の何号目ですかっていうイメージがもともとあったんでしょうね。
でもそれがみんなで深掘りしていってると本当にこんなところまでいけるんかって思うくらい相当耕していけて、
人生で今まで考えたことなかったなあみたいなところまでちょっと手が伸びることができたんですよね。
そのコンテンポラリーダンサーの方にとってエベレストが何のなぜ浮かんできたのかを話してるんだけど、同時にそれを一緒に話してる石玉さんの中でも耕された感じがあるんですね。
みんなが投げかけてくれることが自分自身も耕してくれるし、そうやって耕された生きることとか死ぬこととか、生きて死ぬってことがすなわちどういうことなのかとかみたいなこととかを結構みんなチャットでラリーをしながら。
なぜかというとメンバーのうちの一人が今離れたところに住んでて、高地にいるんだけど、だから生身でリアルタイムにやりとりっていうのがちょっと難しい状況での作品作りだったんですよ。
チャットが大活躍してくれたんですけど、そういうチャットで例えばチベット仏教とかっていうのはこんな感じのことがあるとか、そこで読まれている仏教の声はこんな感じだとか、
そういうのとか本当にずっとやっていって、それでかずねが見に来てくれたけど最終的には作品になってっていうところまで、現状ではここまで登りましたみたいな感じの作品をみんなで見ていただくような感じだったんですけどね。
本当に私が今回感じてすごい素晴らしいなって思ったのは、やっぱりガチでやりとりをする他者がそこにいて、ガチでやりとりするっていうことについて安心している。
だからこそできるやりとりっていうのが自分たちを連れて行ってくれるところ。こんなところまで連れて行ってもらえると思ってなかったってところまで来れたのはもうそれだなと思うんですよ。本当にガチで安心してやりとりをする。
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かずねと知り合ったばかりの時とかにも多分結構いろんな言い方とかフレーズの中にやっぱり安心してやりとりをするとか、そのことっていうのは私たち両方に思いがあったと思うんだけど、改めてそういう場を持つ。
その場の中でそういうふうに安心してやりとりをするっていうことでしかいけないところっていうのがある。その充実感とかもそうだし、実際に自分がそうなんだなって納得して感じることができることとかも。
なんかすごくそれを今回作品作りを通して実感できて、やっぱりみんなこういうことが分かち合ったりやれるとやっぱいいなーって改めて感じることができました。
小島 そういうときって、自分の中のこの大事な話をしたいって最初に目的があって話してるっていうよりは、まさにたどり着いたっていう感覚で、こんなこと話すことになると思ってなかったみたいな感じじゃないですか。
小島 本当にそうそう。コーチングやってるじゃない、かずねが。その時にも似たようなことがきっと起きるんだと思うんだけど、だからやっぱりその行き来をお互いの間でさせることでしかたどり着かなかったり、見えてこなかったりすることっていうのは本当にあるよね。
自分一人でどれだけ時間とエネルギーを本当にかけて真摯に向き合って考えても、自分一人っていう要素が変わらない限りたどり着かない場所っていうのがある。
小島 ちなみに石玉さんにとって山登りと人生って近い感覚ですか?イメージとして。
小島 えっとね、状況によってはとても近い時があるなって思う。
小島 私、友達が誘ってくれて山に登ることっていうのが一昨年ぐらいから発生していた人生で。
小島 それもすごい今回作品作りに役に立ったからその友達にめっちゃ感謝があるんだけど、一旦山を登り出すともう途中でやーめたっていうのができないとか、
小島 何だろうな、しんどくても登り続けることでしか見えないものとかがあるとかも似てるし、
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小島 なんていうかやっぱ山登りと人生で似てるものっていうのはシーンによっては結構あるなっていうのはすごい思います。
小島 むしろ海だよねみたいに感じることもあるんですよ。本当にどういうことを例えるかによって違うなと思うんですけど、
小島 例えば一人でコツコツ積んでいくこととか、誰とも分かち合えない命題について、
小島 誰とも分かち合えない自分にとってのテーマとか取り組まないといけないことについてやっている時とかっていうのはやっぱり山登りとちょっと似ていることが多いかもしれない。
小島 確かに海ももしかしたら近い目あるかもしれないけど、山に登っててきついなって思った時に、じゃあ降りますか?
小島 いえ、みたいな。その感覚は確かに人生にもあるかもしれない。
小島 引き返しますか?いや、登ります。
小島 すごく面白い。山登りがすげえ素敵だなっていうか、山登りにしかない妙味だなって思うのは、しかないってことはないけど、
小島 出かけて途中まで行っている時って、もう登るにしても戻るにしても、やーめたって言って終わりじゃないんですよ。戻るっていう作業とか、
小島 登るっていう決断の後にどっちを選んだとしても、自分が選んだことに伴ってやらないといけないことが発生するんですよ。
小島 どちらにしても歩きますからね。
小島 そう、そうなの。それってやっぱりすごい人生と似てるなって思うんですよね。
小島 なるほどね。
小島 なんかその、やーめたって言ってからも人生って続くじゃないですか。何でも。
小島 もしかしたらね、ヘリコプターみたいなのがピューってきて乗せてくれるかもしれないけど。
小島 人によってね。
小島 やーめたって言ったら。
小島 あるかもしれないね、そういうのもね。
小島 というわけで、皆さんは山登りと聞いて、どんなイメージをしますかっていうのも聞いてみたいですね。
小島 そうですね。あとなんかその、私は今回作品をたまたま作るっていう感じ、他の人と一緒にだったけど、
小島 例えばなんだろう、別のものをこういうふうに自分は作る機会があってっていうことをされてたりとか、
小島 作る人を身近で見ていて思うことがあるんだよとか、なんかその、いろいろな見えるものっていうのが皆さん終わりだと思うんですよね。
小島 うん。
小島 なんかそういうののお話を聞かせてもらえたらすごい私ちょっと嬉しいかも。
小島 ぜひぜひ。今の今日の話のメインの話でもいいですし、どっかさりげなく出てきたところを拾ってもらってもいいですし、
小島 はい。
小島 ぜひお便りいただける方は、この番組を運営しているスタジオヒッチョのウェブサイトから受け付けていますので、
小島 ぜひ感想、質問、人生相談、あと最近こんなことがあったから聞いてほしいなどなど、何でも受け付けております。
小島 そうですね。やっぱり自分とは違う眼差しがある、そこに。っていう話なら何でも面白いなと思います。
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小島 今日の晩御飯がこんな風に美味しかったの話とかも全部面白い。
小島 そうですね。食べ物の話は大好物なんで、ぜひぜひ気軽にお寄せください。
小島 はい。
小島 というわけで今週もありがとうございました。
小島 ありがとうございました。
ギャップとマッチ。お届けしたのは石玉と和音でした。聞くほどに心がほぐれ、何かとの境界線が解けて、ちょっと豊かな気持ちになりますように。