1. ギャップトマッチ
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2024-10-02 29:09

#31 「『ど祭り』に心のど真ん中を射抜かれた」

9月27日(金)、28日(土)に糸島市で開催されたどえらい祭り『ど祭り』。いしだまは「本来祭りは私たちのものだったんだと再定義される体験だった」と語る。


ど祭り

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サマリー

このエピソードでは、福岡市の土祭りについて、特にピエロックや切腹ピストルズといった出演者の印象やメッセージを深く掘り下げています。石玉と和音は、祭りの背後にある感情や生き方の価値について考察しています。「ど祭り」に関するこのエピソードでは、心を揺さぶる体験や感情の抑圧、さらに言葉の力について語られています。また、南武式の音楽にも触れ、祭りが人々にとってどれほど大切な存在であるかを再確認しています。土祭りが持つ音楽やメッセージが人々の心に響く体験として語られ、さらに祭りが幸福度に与える影響についても考察されています。

土祭りの魅力
ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉と和音の2人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
ではでは、今日話したいことがあるということで。
いやー、もうね、素晴らしい週末の時間を過ごしたんですよ。
9月?
9月28日。
土曜日ですね。
9月といえば、もう本当に福岡市はとんでもなくイベントだらけの1ヶ月なんですけど。
お祭りだらけですね。
そう、もう本当にあちこちでね、フェスだの、なんかフェスティバルだの、いろいろあってるんですけど。
昨日おととい、そうそう週末ですよね、28日。
ミュージックシティ天神っていうすっごいでかい音楽のイベントがあるのを、すべてブーンってぶん投げて私は糸島に行ったんですよ。
はい。
土祭りっていう、もうすっごいこれは絶対ヤバい面白そうやって思う音楽とか、食べ物だのなんだのとかが寄り集まっている素敵な催しがあるというのを聞いたときから、これはちょっとヤベェ匂いしかしないと思って。
その出演者?言えてない。見て、これはヤベェなと。
切腹ピストルズさんが来るっていうのももちろんね、すごい素晴らしいなと思っていたし、ピエロックさんっていう全国を本当にテントでテント持ってテント芝居しながらっていうのをしている人魚劇のチームが熊本あるんですけど、
彼らのライブもあるとか、私それまだピエロックは散々名前は聞いてるし、ずっと気になってんだけど見に行くタイミングが合わないみたいな感じだったので。
初めて見たんですね。
そう。で、あともう一つ南部式っていうめっちゃかっこいい音楽の集団がおって、それも聞くは聞き続けとったけど、実物見たことないみたいな感じで。
じゃあ結構名前は知ってるけど聞いたことない方がいっぱい出てたんですね。
そうなの。今回の土祭りっていうお祭りのコンセプトがまず自分に刺さって、お祭りを土偉いとか、土すごいとかって使うその土の土祭りなんですけど、要するに土偉いお祭りっていうことなんだと思うんですけどね。
大人が本気で、みんなでもうただただ祭り上がるためにそういうイベントをやるんだって言って、とりあえず入場は無料で場を作って、素晴らしい演者たちとかを呼んでっていう、もうすごいなと。
これ本気でやっとる大人がおるなと思って、しかも第一回目っていうことだったので今回は、これはちょっと見に行きたいなと思って。
28日、歌のお仕事が入りそうだったにも関わらず、この日はもうちょっとって言って、28日はもう土祭りに全振りするみたいな。そんな感じだったんですよ。
ピエロックのパフォーマンス
ピエロックはどうでしたか?
もう一個一個喋っていい?
はい。なんか適当に今一個目ピエロック選んじゃったけど。
順番的にもピエロック南部式切腹ピストルズっていう感じだったからもう本当にもうそのものズバリなんだけど、
ピエロックさんも人形劇なんだけどさ、ちょっと沈頓した感じとか音的には結構こう面白い感じ、とぼけた感じだったりとかするところたくさん演出場あるんだけど、
もうさ、マジでバリバリのロックでさ、メッセージ性がバリバリ、下にしっかり敷かれてて、
なんかもう私、見てる間、涙の幕がもう目をずっと覆っていて。
言いますよね。大人もなんか響くとか涙出るってね。
ちなみに一回見てる。
一回かな?
本当?
見てる?
はい、見てます。
いやー、なんかさ、めっちゃ良くなかった?って聞いちゃうのもあれだけど、
私多分何回か前の収録のやつで、多分私ずっと青臭い、青いみたいな感じなんだと思うみたいなことを言ったことがあると思うんだけど、
なんかその死ぬまですごい大木も新しい緑の芽を出し続けるみたいな感じで自分も年を重ねていけたらいいなってずっと思ってるんだけど、
大木?
そう。
自分のイメージは大木?
年を重ねていくことがね、そういう風になっていくこととすごい近いと思ってるんだけど、
本当に神社の御神木みたいなでっかい太い木も毎年新しい美しい芽を出すじゃん、緑の。
なんかそんな感じで自分も死ぬまでいたいなって思ってるんだけど、
ピエロックさんはさ、まさに全力でずっと青い芽を出し続けてるっていう感じで、もうなんか私、
さようございますねと、このようなことを言い続けてくれて、しかもそれを生活としてずっとやり続けてくれている大人がここに実際におるんかと。
これ、今もう十分大人になった石玉ちゃんが見てもうわーってなるし、
もうそれこそ小学校、高学年くらいからの石玉ちゃんがピエロックとかを見てたら、どれだけ心を救い上げてもらえただろうって思うくらい。
子供の時に見たかった。
子供の時にも見ていたかった。
どんなメッセージを受け取ったんですか?石玉さんは。
やっぱり生きていくことの中には本当にいろんな山も谷もあったりとか、
あと私たちが動物として生まれて生きていって死ぬまでっていう部分とは別のとこで、
社会的生き物として私たちが関わっている、自分をすごいたくさん使ってる部分がいっぱいあるじゃない。
そういうところについての、ある意味のオピニオンというか意見。
普段あんまり日本人はあんまり政治の話をするのが得意じゃないとかいう話があるけど、
思ってはいたりするじゃない。
そういうこととかを口に出してる大人もいる。
そしてそういうことを聞いて、そうだよなって言って、
そういうことを話したいと思ってる大人もいるみたいなのとかが、
ピエロックを見てると信じられるというか。
感動の共有
大人と子供は対立軸とかじゃないよ。
つながった延長線上にいる。
この時あの時みたいな、その時の地点の違いでしかないよ。
ずっとそういうことを思ってる子は思ったり考えたりしてるよみたいな。
年老いていって命が終わる時までこの地球の上にいるっていうことは変わらなくてみたいな。
どういうふうに関わっていったり、
どういうふうにみんなが幸せになれる方法があるかとかを考えようぜみたいなところが、
すごく作品の中にあったと思ってて。
なんかね、
勇気づけられるよね。
私だけではありませんねと。
なるほどね。こう感じてるのは私だけじゃないんだっていう、
勇気づけられ方なんだ。
やっぱり孤独っていうものは非常に、
その命を削ぐと思っていて私はね。
そういうものがあるんだけど、それを表に出すことができないと、あるのかないのかもわかんないみたいな曖昧なものにもなるし、
仮にそれを出した時にそれが拒否、拒絶されるような、
あってはいけないもののようにされるものだったりすると、
すごくなんかね、しょんぼりしちゃうじゃん。
なるほどね、私言っちゃったけどリスナーの皆さん、なるほどって今なったかな。
あれですよね。
例えば大人になったら甘えちゃいけないとか、迷惑しちゃいけないとか、
別に子供も言われてたりするかもしれないですけど、
こんな感じは大人になってあってはいけないとか、こんな行動してはいけないとか、
それに対していやいやあるよねみたいな。
例えばこういうシーンでは、なんとなくみんなで合意を得るっていうことが求められてるんだろうから、
いやなんか今言ってること違う気がするんだけどなって思ってる気持ちは飲み込んで、
なんとなく笑って場が閉会するのを待つとか、そういうのとかも一つの例だと思うんだけど。
私結構ピエロックに関してコンプレックスがあって。
どういうこと?
なんか私すごい大人が見ても感動するとか泣くとか言うじゃないですか、
私結構そんなに涙出なくて、ちょうど先週放送した回がどうして涙が出るんだろうだったじゃないですか、
なんか私と多分ちょっと種類が違うのか、私あんまり涙出そうな感覚はなくて、
だけど周りで響いたっていう大人が多いから、こういうことに大人は苦しんでるんだなって思ってみてて、
だからすごいやっぱり抑圧して生きてるんだなって大人として思ってみてて、
もしかしたら私が本当は純粋に涙が出たり心に響くことができるのに、
私がそれに抵抗してて涙が出ないのかもしれないんですけど。
でもさ、あれじゃない?人が何に心が揺れるかって、前、和音と喋ったことあるのかな。
ほら、同じ音を出すものは離れたとこに置いといても、
和音さね。
片っぽの音差を鳴らすと、別のとこに置いてるもう一個の音差も同じ波を出すやつだから影響されて、
全然離れたとこにある音差も音が鳴ったりするみたいな話したじゃん。
だから多分その感動って私それとすごく似てると思ってて、
だからなんかこう、やっぱり周波数がさ、
みんなそれぞれ持ってるものが違う素材をいっぱい心に持ってるんだと思うんだよね。
で私ピエロックがコーンって鳴らした周波数帯がヒャヒャヒャヒャヒャって来るような部分が自分の中に一部あるんだと思う。
シアター 周波数があってたってことなんですね。
そう近い周波数のものを私がたまたま持ってるんじゃないかなっていうふうには思う。
心の震えとコンプレックス
あとなんか私勝手に今抑圧って表現しちゃいましたけど、なんか抑圧してるものの種類がちょっと違うのかなみたいな感じがしてて。
でなんかコンプレックスというか、なんかあんまり涙が出なかったり、心が震えない自分に対してなんかコンプレックスがある。
ピエロックを見ても心が震えない自分にコンプレックスがあるんですけど、
さっき言ったみたいに何かこう震えないように自分が抵抗してるか、そもそも抑圧してるものが違うとか、
響くその周波数が違うからなのかって、なんかこうコンプレックスがあるんですよね。
面白いそうか抑圧ね。コンプレックス抑圧。やっぱ光の当て方が自分と違くて面白い話してると。
なんかちなみにその私土祭り行けてないんで、ピエロックの話で終わっちゃうんだけど危ない。
別のキャリアワークショップみたいなのに参加してて、結構ヘトヘトだったんですよね私。
今週先週ぐらいすごいイベントが多くて私も。
ファシリテーターの仕事とかよくしてて、土日は私ワークショップだったんで土日両方行けるかなとか思ってる時に、
午前中に内田彩子さんっていうキキキリンさんと内田優弥さんの娘さんが突然2人の両親を続いて亡くして、
心にぽっかり穴が開いたと。ぽっかり穴が開いた時にいろんな人に会いに行きたくなったっていう話で、
ブランクページっていう本があるんですね。このブランクページっていう本がオーディブルで聞けたので、
知り合いが紹介してくれて、それ聞いてたんですよ。
名だたる人が養老武さん、坂本隆一さん、横尾忠則さん、小泉恭子さんみたいなすごい人たちが並んでるんですけど、
その言葉聞いてて、その日の土曜日の午前中か、めっちゃ心震えて、めっちゃ感動して充電される感じがあって、
なんか私って言葉で震えるタイプなんだなみたいな。特に八矢子さんの言葉に震えたり、八矢子さんが会いに行った人の言葉に震えてたんですけど、
なんかそこら辺に私の周波数があるんだなって、同じ日に思って。ちょっとなんか安心しました。
震えないわけではないと。
内田八矢子さんいいよね。
そう。
何だろう、あの人の文章とか、読んでると、ああすごい、こんなにやっぱりすごい、ある種激流のようにたくさんの文章を読んでると、
文章とか読んでると、ああすごい、こんなにやっぱりすごい、ある種激流のように強いものがすぐ近くにあるっていう人生を、
激流ね。
生きていくっていうことが、この人に宿したものだって思うようなものが、文章の中にやっぱり見え隠れする日が、時があってね。
えらい人だなって、内田八矢子の文章読んでると思う時がある。
パッと見やさ、そんなすごい強い言葉とか、センセーショナルなフレーズとかを使う人ではないじゃない。
けどさ、文章自体がはらんでいる、内包してるものの分量の多さとか、それでもこの人はここにいるんだな、それだけいろいろな強い流れとか大きなものとかを見てきて、なおこの人はここにこの人としてあるんだみたいな感じが、
すごいすんだよね。私、八矢子さん読むとそこら辺でたぶん自分がすっごい震えてる気がする。
なんかそれこそ土祭りの日ってこう、フェイスブックとか知り合いのSNSにすごい土祭りがすごかったみたいな流れてきて、
で私は行ってなくて、絵を比べちゃうわけですよ。私はそういう祭りに行って心が震えた方がいいんじゃないかとか。
でもこれってたぶんコンプレックスで、どうしても自分にとって当たり前のことを下に見ちゃうっていうか、
体を使ったり、もっと感性的なもの、音楽だったりアートだったりに、あまり心が震えない自分、一方で言葉には心が震える自分を比べて、
勝手に祭りとかそっちで心が震えてる人の方が上に見ちゃうっていう、なぜかそういうバイアスが自分の中にあるんですけど、
なんか最近それやめようと思って、もう自分は自分なんだと、そこは比べなくていいなと思って。
南武式の音楽体験
そっか、確かに、あのさ、たぶん私にも似たようなとこがきっとあって、自分にとって当たり前のことってさ、本当に当たり前すぎてさ、そこに、なんだろう、
すごい努力してできるようになったとかさ、なんかそういう感じでもないから、プラスアルファの価値みたいなのを自分の中で明確に見つけることが難しいよね。
ちょまど 全然感じれない、ほんと。
だって人から言ってもらえないとむしろさ、え、これ何?私そんな言ってもらえるほどできてんの?っていうか何ができてんの?わかんないんだけどみたいなこととかすらあるじゃん。
やっぱりその、ね、やれてることって自分にとって当たり前だからさ、自分でそれを評価するのってすごく難しいよね。
ちょまど 通じたらド祭りの話が、ちょっとピエロックで終わっちゃってますけど。
まあそれはそれで。
ちょまど いいんですか?
すごく南武式さんとかも、
ちょまど あ、ピエロックの話じゃない、ド祭りの話って私言いました。
うんうん。
ちょまど もはや。
ちょまど 何の話してるんだか。
南武式さんとかもすごく、なんだろうな、本人の伝えたいこととかがあって、で、それが結果的に音楽に乗ってるみたいな感じでね。
で、すごくこう、面白かったです。スタイルとしては和のスタイルを結構多めに音楽性に混ぜ込んでたりとかしてて、音もかっこよかったし。
まあやっぱでも、メッセージの漏らせ方?ちゃんと面白い章としてメッセージを言うみたいな部分をやれてるのが、なんか昔の漫談とか。
そもそもお笑いとか、そういうのが持ってた強さとか、庶民の知恵の部分っていうのがすごい感じられるような気も自分がしてね。
そういった部分でもすごく良かった。素敵だった。
南武式って何なんですか?
南武式っていうバンド名なんだけど。
バンド名なんですね。
そうなの、そうなの。南に部活の部に、式は何ですか。
計算式の式。
そうそう。みたいなね。
そもそも音楽とかお祭りとかっていうのは、我々庶民のもんだったなって改めて思えたし。
で、笑いとかってやっぱり生きていく力だったり、直接ぶつかるっていうぶつかり方とかを上手い具合に調整してくれるものだったりとかもするじゃない。
そういった意味合いでも、ああそうだよね。笑いも今テレビで流れてるようなお笑いとかだけじゃない。
そもそももっと私たちが呼吸してご飯食べて寝てみたいなのにすごい近いところに、そもそもすごい個人的にみんなが持ってるもんだったよねっていうのとかをね、すごい思うような素敵なお祭りだった。
祭りの本質と商業化
それどういう感覚ですか?
もともと祭りって自分たちのものだったよねってどんな感じなんですか?
なるほど。別の言い方をすると、これはもうすごい個人的な感覚よ私の。
そういうイベントとか、人が営みをしていく中で起こすいろいろなことっていうのが、私は全部買うものとか商業とかに結構絡め取られてしまってるなって思うときがあって。
でもそれもともと、いやいやいや、我々が生きていくためにそもそも持ってたもんだよねみたいな。
商業的なものじゃなくても暮らしの中にあるものだったよねみたいな。
そうそう。商業的になっても別にそれは結果的にそうなんだったら全然それはそれでいいんだけどね。
全然考えたことなかった。そういう祭りって何なんだっけとか、商業的になりすぎじゃないかとか考えたことなかった。
いやーなんかね。
どういう顔ですかそれは。
こんなこと喋っちゃって大丈夫かなって顔。
大丈夫ですよ。大丈夫。
なんかね。
いや、なるほどってすごい思いました。なんか当たり前に受け入れちゃってるから、なんか疑問すら持たなかったなって。
あーそっか。
他にもあるんでしょうね。なんか商業的になっちゃってるけど、それってなんかもともと違ったんじゃないかっていうものね。
うん。ね、なんか。ちょっと前にそのGNPの話とかってしたっけ。
何でしたっけGNP。
なんかそのGNPってほら国民がさ、稼ぎ出してるというか経済回してる金額の指標だったりとかする。
GDPじゃなくて。
GDPかな。
わかんない。GNPもあるかも。
多分両方似たような意味合いだから。
国内総生産。
ふわっとしとこう。
で、それって例えばあの平和で治安が良いエリアだとゼロのものは不安定で治安が悪いエリアだとその警備保障会社とかが必要になるから
そういう金額的な指標はプラスになったりするみたいな話があってね。
で、私はそれがなんか違うよなっていつも思ってて。だから数字が上がって金額が増えればそれが私たちが幸せかっていうと話違うよねと。
それだけ警備が必要になったのでお金がかかってるだけですよ。なのに数字だけ見てお金が動いてるから幸せになりましたよね。
もともとそういう基準を当てはめたいんだとしたら、そういう風になってない部分の隠れてる私たちのすごく良い部分も資産に入れるべきで、
土祭りの魅力
それは内部に国が日本が持ってる幸せな良いとこだよねみたいなのも組み合わせて出せばいいのにっていつも思ってるんだけど。
そうですね。だから定量的に測れないからそうなっちゃうんでしょうね。この幸せって。アンケートじゃないですか。幸せですかみたいな。
そうなんだよね。
測りづらいですよね。
これ最初の話に戻るけどさ、初めから持ってるものは評価しにくいのよ。
しにくい。
だからそんなことをすごい普段からよくほにゃほにゃほにゃほにゃほにゃボーっとしとる時に頭の中で。
考えてるんでしょうね。そこらへんのね石玉さん。
ボーっとしてるんだよ。ボーっとしてる時にこういうことがフワンフワン頭に浮かんでる感じなんだけど、
だからそういうところが自分にあるから土祭りが持ってるすごい、めっちゃ音楽かっこいいプラスそもそもその土祭りが持ってたそういうある種のメッセージみたいなものが
ストンッと心にサクッとダーツで真ん中にストーンみたいな感じで。
ダーツ。
射抜かれました。いいイベントでした。
祭りと幸福度
なんか私先週かな、別のイベントでどうやってこのエリアを盛り上げていくかみたいなイベントのトークセッションでファシリテーターしてたんですけど、
やっぱそこでも祭りの話してたんですよね。
どんなに商業施設が建ったりとかユニクロとか大型店舗がどんどん伊都島半島にできてきてますけど、
ハードじゃなくて祭りみたいなものが本当は人の幸せにすごく影響してるって言ってて。
もう本当もうそれ。
私その時に頭では祭りっていう言葉が入ってるんですけど、いやーわかりますってならなかったんですよ。
その時も。私あんまわかってないんだなと思って。
子供の時確かに花火大会とか地元のお祭りあったけど、なんだろうな。
なんか多分そこでの体験が弱いのか、もしくは商業的になってしまった祭りを体験してたからなのか、
なんかあんまり多分ないんだなって私の中に材料が。
祭りによってなんか人の幸福度が上がるみたいな感覚が、私にとって結構未知の感覚なのかもしれないです。
そうか。面白いね。なんかその話一緒に考えてみたいね。
というわけで、祭りの話まだ話しきれてないんですけど、せっぷくピストルズ?
大丈夫。せっぷくさんはもう多分結構みんな音楽も知ってるし聴いてる人がいる。
大丈夫。検索すればYouTubeでかっこいいのがビローンっていっぱい出てくるから、ズタタタタバラタタタといっぱい。
そんな有名なんですね。
多分知ってる人は知ってるって感じ。
検索してください。
かっこいいです。
というわけで、皆さんももしかしたら祭りに行きましたっていう方もいらっしゃるかもしれないので、ギャップとマッチではお便りを募集しています。
Spotifyで聞いてくださっている皆さんはSpotifyのQ&A、このエピソードについてどう思いますか。
もしくはこの番組を運営しているスタジオヒッチョのウェブサイト、番組へのお便りはこちらからへ、番組のコメントやお手紙、ご相談などお気軽にお寄せください。
本当に今日は結構お祭りと言いつつ、こういうことを考えていてみたいな話をすごいしちゃったんですけど、
どっちかというと私子供の時は、ただお祭りのあのムードがむちゃくちゃ好きで、何を買うとか、親が買ってくれるから嬉しいとかっていうよりは、
あの感覚を味わいたくて、祭りのエリアをぶらついたりするような子供でした。
そんな話とかも聞きたい。
確かに。子供の頃の祭りの思い出とか、ぜひお寄せください。
ギャップとマッチ。お届けしたのは石玉とカズネでした。
聞くほどに心がほぐれ、何かとの境界線が解けて、ちょっと豊かな気持ちになりますように。
29:09

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