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はい、始まりました。すこしふしぎナイトでございます。
ゆうすけです。こんにちは。
ポッドです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということでね、今回からね、第1回っていうことなんですけども、
僕、収録慣れしてないので、すごい緊張はしてますけども、
一人でしゃべるっていうわけじゃないので、聞き手がいるっていうことで、
気持ちを大きく持っていこうかなっていうふうに思ってますんでね。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
番組の内容というか、テーマ的なことはね、第0回でちょろっとお話はしてるんですけども、
藤子F・不二雄先生っていうマンガ家の方が僕すごい好きなんで、
その人の話とか、こういうエピソードがあるよとか、
みなさん知ってるようでこんな話があるんだよみたいなことをね、
僕が好き勝手しゃべっていけたらいいかなと思ってるんでね、
そういう話好きだよっていう方は、ぜひぜひ応援していただいたらなっていうふうに思ってるので、
これから始めていきますんで、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すこしふしぎナイト、この番組では藤子F・不二雄先生のすこし不思議な物語について
楽しくおしゃべりします。
はい、というわけでですね、第1回何の話をしていこうかっていうことなんですけども、
やっぱり1回目はこれでしょうということで、
藤子F・不二雄先生、この方の話から始めていこうと思ってます。
イェーイ。
ちなみにね、さっぱさん、この藤子F・不二雄先生って聞いて、
はい。
パッて顔とかって出てきます?
顔?
顔とか、例えば、よく漫画とかに自分のキャラっていうか、
自画像的に登場したりするパターンあるじゃないですか、漫画が自分で描いてる人が。
全然出てこない。
自画像みたいなのは多分見たことあるんですけど、今パッと出てこないですね。
あと写真とかは全然、顔らしきものはあんまりわかんないですね。
そうなんですね。
あとね、漫画とか読んでれば作者の人がタイトルじゃないわ、
表紙のとこめくったら内側にね、言葉寄せてたりとかするので、
そのあたりに登場とかするんですけども、
この人ね、トレードマークがベレー帽をかぶってて、
口にパイプを加えてるんですよ。
その2つのアイテムがトレードマークみたいな感じ。
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よく自分で自分の顔のイラスト描くときとかも、
それで出てくることが多いんですけど、
ってことはあれですよね、
だいたいどのぐらいの時代に活躍した方っていうのも全然わかんないですよね。
わかんないですね、そうですね。
この人、生まれがね、昭和8年。
めっちゃ昔に聞こえるでしょ、昭和8年って言ったら。
昭和8年は?
1933年だそうです。僕も調べました。
富山県の出身の方で、
藤子藤夫っていうのはペンネームなんですよ。
本当の名前というか本名は藤本博さんって言うんです。
そう、藤本博さん。
昭和8年っていうことなんで、
少年時代に太平洋戦争とか経験してるんですよ。
そっか、そうですよね。
結構お前の人でしょ、そういうふうに思うと。
なんで、作品の中にも戦争を取り扱ったものとかも結構登場する。
それは実体験ですね。
この藤本博さんっていう人が、
今でいう小学校の時に転校生がいるんですね。
転校生が来てて、それが安彦本夫さんっていう人がいて、
藤本さんと安彦さんね。
その二人が仲良くなって一緒にやろうってなったのが、
後の藤子藤夫っていうペンネーム。
なので二人組なんです、藤子藤夫っていうのは。
二人組屋っていうことは知ってました?
そう。漫画を描くのが好きでとかいう共通点から知り合いになったっていうところはあるんですけども、
その二人が好きだった漫画家っていうのが手塚治。
もう漫画の神様って言われてる人なんですけどもね。
その二人が共に手塚治先生のファンで、
よくいろんなところに登場するんだけど、有名な作品があって、
手塚治の新宝島っていう漫画が。
名前を聞いたことあります。
名前結構聞いたことある。
僕も実際この作品自体を読んだことはないんだけど、それはすごかったみたいで。
当時の知ってる人たちとかの残してる言葉によると、
これは神に描かれた映画だと。
コマ割りも素晴らしいし、躍動感があって、
まるで見てると動いてるように見えるし、
音が聞こえてくるみたいなすごい衝撃作だったみたいで。
それにすごく二人も衝撃を覚えて、
自分たちも漫画家を目指すっていうことになったようです。
この時に残ってる面白いエピソードであるのが、
自分たちで雑誌を作っちゃったんですって。
丸ごと一冊、わらわしを二つに折ったみたいな感じの、
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本当に簡単な作りやねんけど、中には表紙もあるし、
あと小説が載ってたり、漫画が載ってたりとか、
全部自分たちが自作自演で書いたやつを作って、
読者投稿欄とかも自分たちで書いてるんですよ。
感想のお手紙とかみたいなものを書いて、
それは面白いですね。
面白いでしょ。
面白いですね、それ。
それを回覧して友達に回したりとか、
そんなことを一緒にやってたっていう話が残ってて、
僕実際ね、藤子藤男展っていうのが大阪であったのに何年か前に行って、
その時に書いたやつ見たんですよ。
本当に雑誌というかを模したみたいなものを自分たちで作って、
そんな子供の遊びやねんけど、すごい微笑ましいなみたいなところを実際に見てきました。
そんな感じでごっこ遊びでもありながら、
自分たちの好きなことをいつか実現するぞみたいなところで、
一緒にやってた仲間っていうのがこの二人っていうところですね。
藤本さんと阿部子さんっていう。
その頃から自分たちで作った漫画とかをいろんなところに投稿して、
投稿コーナーみたいなところに投稿してたみたいなんですけども、
その時に17歳の時にね、
何かの新聞に連載されてる漫画っていうので採用されて、
初めて自分たちの書いた漫画っていうのが締めに乗ったと。
17歳でデビューしたってことになってるんですよ、この二人。
なるほど。
それ以来いろんなところで自分たちの書いた漫画っていうのを送っては、
没になったり採用されたりだのっていうことを繰り返していって、
いずれ手塚治先生、自分たちの憧れのっていうところにも目に留まるようになっていって、
目をかけてもらえるような存在になったというふうな経歴で少年時代を過ごされてるようです。
状況をその後するんですけども、
その時にすごく有名なというか、同時代の漫画家の人たちが手塚治も含めて、
みんなで集団生活をしてた場所っていうのがあるんですよ。
ときわ祖っていう建物。
アパートがあって、これ東京にあるんですけども、
すごくその時代に活躍した駆け出しというか、同時期に頑張ってた人たちっていうのが一緒に暮らしてて、
この藤子藤代、二人まとめて藤子藤代由美は、手塚治が退去した後にその部屋に移り住むんですね。
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退去したときの手塚治が使ってた机、そのまま置いていってくれあったから、そこで漫画を描いたりとかしててね。
めちゃ憧れの人と。
なんかワクワクするでしょ、そんなん聞いてたら。自分がそうやったら嬉しいみたいな。
そうですね。
すごく夢を追いかけつつ、四畳半のボロアパートみたいなとこなんですけどもね。
同期というか一緒にいたのが、名前ぐらいは多分聞いたことあると思います。赤塚藤代さん。
天才バカボンとかね。
あと石上翔太郎さん。知ってる?
仮面ライダーとかの原作者ですね。
あとは角田二郎さんってわかる?これはちょっと古いかもわかんない。
恐怖新聞とか、そういう作品が有名なんですけども。
同時期に、その後に活躍する人たちと貧乏暮らしを、そして共同生活をしながら、夢を追いかけながら、漫画を描いたっていうのがこの時和倉っていう場所です。
その時和倉はすごく伝説の場所になってて、もう取り壊されてなくなってるんだけど、その頃のエピソードとかを、その後漫画にしてる作家さんとかもやって、
その辺りも、僕まだちょっと読めてないんだけど、すごい伝説の場所、下積み時代っていう風な感じのね、残り方はしてるので、その辺りもいずれ読んで面白ければ紹介したいなっていう風には思ってるんですよ。
すごい楽しかったみたいで、8ミリフィルム自分たちで映画作って上映し合ったりとか、青春って感じでしょ、なんか。
いいですね。
で、ちょっとずつそれぞれが力つけるというか、いろんなところで伝説始まったりとかしていく中で、アニメーションか、漫画家を目指してあったんやけど、
アニメーションっていうところにも興味を持ってあって、そこに入居して一緒に頑張ってたみんなで、アニメーションの制作スタジオを作るんですよ。
スタジオゼロっていうのがあって、そこがその後の主な活動地点っていう感じになるんですけども。
そこでいろいろと動かす絵ですよね、アニメとか研究室作ったりとか、雑誌に載せる漫画も引き続き書いたりとかしてて、その時に生まれた作品っていうのが、第0回でもちょこっと喋ってました。
おばけの九太郎なんですよ。これがスマッシュヒットというか、当時藤子不二雄の名をとどろかせたという。すごい大ヒットしてね。
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そこらへんからは本当に誰もが知る漫画家っていう感じにすごくなっていったようです。
今ね、藤子不二雄っていうのが二人組やって言ったじゃないですか。漫画家の藤本博史さんと安彦本夫さんって言って。
この二人で一人っていうふうにはしてるんやけども、実は一緒に描いてる作品ってほとんどないんですよ。
そうなんですか。
二人組と言いながらね。
それぞれにそれぞれでフォローし合ったりとかをしてたんやけども、発表してる作品っていうのは別々で。
ちょっと紹介すると、藤子不二雄、後の藤本さんのほうはパーマンとか21エモン。
あとは梅干し殿下とか、そしてドラエモン、ポコニャン、エスパーマミーみたいな感じのそこらへんのラインナップで。
もう一人の安彦本さんね、藤子不二雄Aってなる人ですけど、その人は忍者ハットリ君知ってます?
知ってます。
忍者ハットリ君、あと怪物君、あとはプロゴルファーサルって知らないかな。
ゴルフの漫画やねんけど。
あとね、笑うセールスマンっていうちょっとブラックな作品とかを描いてて、そういう感じでレパートリーは別々やったんですよね。
そんな感じでコンビとは言いつつも、それぞれにそれぞれの作風で展開していって、それぞれのヒット作を出してたと。
人気の浮き沈みとかは実際あったみたいなんですけども、その後誰もが知るドラエモンっていうのが発表されたときに、また瞬く間に時の人になって、
過去に連載してた漫画とかがどんどんアニメ化されて、藤子不二雄フィーバーみたいなことが起こったんですよね。
なのでアニメで見たことあるとかっていうふうな記憶を持ってる人っていうのは、本当にこの時期に次々アニメ化されたような作品を見て親しんでるっていうふうなことに多分なると思います。
どれぐらいフィーバーやったかっていうと、藤子不二雄の雑誌みたいなのが、藤子不二雄の漫画を読もうみたいな感じで出来上がって召喚されたのがホロポロコミック。
そうなんですか。
そうですそうです。ドラエモンがちょうどドラエモンとか。
で、先ほども言ったみたいに過去に計画されてた漫画っていうのが、どんどんどんどん古いものも含めてアニメ化されていく。
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あとはテレビの枠で、これさすがにオンタイムじゃないんで僕も見た記憶はないんだけども、藤子不二雄中心の藤子不二雄ランドとか藤子不二雄タイムみたいな枠があったらしいんですよ。
それぐらいのフィーバータイムがあったと。この時期にね。
日本だけじゃなく海外とかアジアとかすごく人気らしいんですけどね。藤子不二雄先生だみたいなところで、国民的漫画家っていうことになっていたっていう話なんですね。
2人組って言ってたのはね、さっきキラッと触れたように藤子F不二雄とか藤子不二雄Aみたいな感じで僕E変えてたのはね、この2人コンビを解散するんですよこの後。
2人で1つの藤子不二雄っていうペンネームでやってたんですけども、さっき言ったみたいに実際に一緒にやってる作品っていうのが、ほとんど初期の本当に一緒にやろうぜって言ってたときぐらいのもの、一部を除いて全部別なんですよ。
藤子不二雄F、僕の好きなFさんのほうは、少年向けの日常のギャグ漫画みたいな感じの、児童漫画の道をずっと突き進み続けて。
かたやAのほうですよね、アビコモトさんっていうほうは、結構大人向けの作品とかがだいぶ増えてきてるんですよ。
ブラックユーモアとか、ちょっと話を聞いたらドッとするような、でも考えさせられるよねみたいな作風とか、だんだん違いが出てきて、それぞれの作風の違いをもっと出していくっていうことで、コンビを解消。
ということで、はじめは藤子不二雄って名乗ってたのが、F不二雄。
で、藤子不二雄Aって言って、そっくりなんですけどもこれ別の人なんです。
ということで、それぞれ一人だけっていう形で別れたっていうのが、現代というか一番、今藤子不二雄Aのほうは生きてあるんですけど、
藤子不二雄F、藤本さんはもう亡くなってるんですけどもね。
なので僕が、日頃ドラえもんが好きだの、この番組がいいなのとかって言ってるのに、お話してるのはFの話が多いです。
なのでコンビ解散してから、この方62歳で腎不全で亡くなってるんですけども、それまで作品を発表し続けるっていうことになってますね。
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これまでこんな感じで経緯というかね、ずらずらずらってちょっと説明してたんですけども、
これだけで面白くないなというか、なんか面白い話聞いてたじゃないですか。
聞きたいです。
秘密道具とかたくさん出てくるでしょ。夢のある話とか。
1,600を確か超える秘密道具っていうのがまとめた人がいてね、すごい数が残ってるんですけど、それもドラえもんだけの話で、
もっともっと連載期間の長いものから短いものまで、児童向け漫画をたくさん書いてるんだけど、
その人のアイディアってどっから出てくるのかなっていうのが、よくインタビューとかが残ってるんですよ。
答えてあるのが、基本的には僕が欲しいなと思ったものとか、あったらいいな、実現したらいいなと思ったものを書いてますって言って。
なるほど。
なので、空を自由に飛びたいなとか、世界旅行に行きたいなとかって言って、どこで戻ろうとか出てくるじゃないですか。
っていうのは、自分の中にあるこういうふうなものが叶えばいいなっていうところをイメージして、
それを書いていってるから飽きないですねって言って、いつまででも書いていくことできますねみたいな話が残ってて、なるほどなっていうふうに思いましたね。
いいですね。
あとは、すごいイタズラ好きみたいで、共同生活してた時和村のメンバーとかにイタズラを仕掛けては仕返しに会ってたりとか。
お茶目。
そうそうそう。自分の書いた作品、全然違う話を書いてんのに、背景とかに別の漫画のキャラクターを混ぜ込んでみたりとか。
で、これ間違ってるよとかみたいな指摘をね、アシスタントから受けて、誰かの中にいたんって言ったら、静かに手を挙げるみたいなね、自分が。
先生みたいな。結構なんかそういうお茶目なところがあったみたいで。
で、結構ね、いろんなことに興味があったっていうか好きなものがあったみたいで、
カメラが好きだったりとか、あとは恐竜が好きとか、
あとはもうアラビアンナイトからグリム童話から西遊記から、本当にいろんなところからヒントというか。
それも作品を書くために調べるとかいうよりかは、本当にもともと好きなものが多かったみたいで。
ありとあらゆるものが作品作りの下敷きになってるようなところがあるみたいですね。
ドラえもんとかでも短い話とかたくさんあるじゃないですか。
あとは、僕の好きな大長編シリーズっていって、映画の原作になってる一冊丸々使った長い話なんですけども、
それもこの作者、藤子 F.藤雄さんが残してるものは17作あるんですけど、
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それだけでも例えば舞台が宇宙だったりとか恐竜の時代だったりとか、
現代だけどまだ発見されてないこんな世界があるんじゃないかとかいうのがあって、
すごく飽きさせないのは、もともとはやっぱりいろんなことに興味のある人だったんやなっていうような作者の、
この人の好きなものが反映されてるっていうふうなインタビューが残ってて、
それがすごく楽しく見れる秘訣というか秘密なんかなというふうに僕は思いましたね。
児童向けの漫画を書いていくっていうことがやっぱりこの人のライフワークだったみたいで、
たくさん残ってるんですけども、やっぱり子供向けの作品っていうのが多いんですよ。
で、それはどうしてなんですかっていう話を聞かれたときに答えてはったのが、
この子供が持ってる例えば夢とか願望みたいなものっていうのは、
すごく基本的なもんだと思うんですって答えはって。
だから大人になってもそういう部分っていうのは必ず残ってるし、
どんな人が読んでも身近に楽しめるっていうのは、
やっぱり子供の視点で楽しい話を描くっていうのが、
それが僕が一番楽しくて読んでもらいやすいというふうに思ってますっていうようなことを言ってたんです。
それはすごい確かになと思って。
僕自身も子供の頃からずっと好きかって言ったら、別にアニメやってるなとかいうふうな程度だったんですよ。
大学生ぐらいだったかな。
それぐらいのときに改めて作品として、この先生の残してる漫画を読んでみたときに、
なんかすごく面白いなっていうか、子供騙しじゃないなみたいな。
大人でも楽しめるなみたいなところの魅力に気づいたところから、
すごく作家さんとして大好きになったっていうところがあるんですけど。
この人の作品って、ジャンルで言ったらFFなんですよね。空想科学。
なんですけども、この人の有名なセリフというかあって、
このFFっていうのは一般的にはサイエンスフィクションの略なんですよ。
これが、僕の作品っていうのはサイエンスフィクションではなく、
少し不思議という言葉の頭文字で政府だと思ってますっていうふうに言ってあって、
この少し不思議っていうのがどういうことかっていうと、
日常の中で僕らが日頃見てるものとか、当たり前に起こってることとか。
これが日常ですよね。
その中にちょっと異分子というか、非日常が紛れ込んだことで騒動が起こったりとか、
お笑いが起こったりとか、感動することが起こったりとか、
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考えさせられることが起こったりとかっていうふうなものが、作品の中身というか特徴として現れてるんです。
だからSF、僕の書く作品っていうのは少し不思議でSFだと。
なので多くの作品が、たとえば普通に見かけるみたいな、
基地があったりとか学校があったりとか、パパやママがいたりとかっていうふうなものを二敷きにしてて、
すごくすんなり見れるようになってるっていうのは、こういう考え方があるからやなっていうふうに言われてるんですよ。
なので今回ポッドキャストやりますって言ったときに、どんなタイトルがいいかなって思ったときに、
この藤子F藤代先生のセリフというか、提唱したジャンルのところが拝借するような形で、
番組タイトル少し不思議ないとっていうふうにつけたっていうのが実はここにあります。
なのでこれからいろんなドラえもんに限らず、皆さんがよく知ってるような作品も含めて、
あとはこんな話とかも書いてるんですよみたいなことも話をしていきたいんですけども、
その中にはこの少し不思議っていうスピリットが必ず紛れ込んでると。
っていうところが藤子F藤代先生の作品全体のテーマでもあるし、
僕がこれからやっていきたいなと思ってるこの番組のテーマでもあるっていうことで、
これからいろんな話をしていこうと思うんですけども、
聞いていただいて楽しんでいただけるような内容になればいいかなっていうふうに今回は思ってます。
そんなところですかね。
頑張って喋り切りましたけど、じゃあこんな感じでとりあえず1回目の本編を終わらせていただきます。
はい、というわけでどうでしたかね札幌さん今日の話。
2人組やって知ってたんですよ。
けどそれが分かれたっていうことはあんまり分かってなくて、
藤子F藤代さんと藤子Aさんが同じ人のような感じがしてました。
そうなんですよ。実は作品とかも違ったんですよ2人組やってて書いてる内容とかが。
たぶんね、世代によっては知ってるよってなるエピソードだったと思うんですよ今回の話って。
ただやっぱりアニメとかでは見てるけど、そんなに作者の話なんて知らないよっていう人も多いと思うので、
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そこら辺でああなるほどって思ってくれたったら、今回よかったかなっていうふうには思いますね。
それでは最後にお知らせのほうがあります。
この番組では皆様からの感想をお待ちしております。
それから今日いろいろお話しさせてもらったんですけども、
もっともっと詳しい人とか、こんなことを知ってるよみたいな方が補足とかしてくれたりすると、
もっと盛り上がったりとかもするかもしれませんので、
同じファンだという方、我こそだという方なんかから聞いただいたりとかしても楽しいかなと思いますので、
後先の方、札幌さんよろしくお願いします。
はい、まずメールアドレスはfushigi7110 at gmail.com
不思議ナイト at gmail.com です。
そしてツイッターのアカウント名は少し不思議ナイトで、
ハッシュタグ不思議がひらがな、なはカタカナで検索してみてください。
ありがとうございます。
ハッシュタグありますので、簡単に気軽に意見とかいただけたらと思ってますので、よろしくお願いします。
お願いします。
それでは次の回でお会いしましょう。
またねー。
さよならー。