鹿野さんの自己紹介
日本最大級のエンジニアコミュニティ Qiita プロダクトマネージャーの
清野 敏文です。この番組では、日本で活躍するエンジニアをゲストに迎え、キャリアやモチベーションの話を深掘りしながら、エンジニアのみなさんに役立つ話題を発信していきます。
今回からのゲストは、Ubie株式会社プロダクトエンジニアの鹿野 壮さんです。よろしくお願いします。
鹿野 よろしくお願いします。
では、自己紹介お願いします。
鹿野 鹿野たけしです。私は1年前にUbieにジョインしました。もともとフロントエンドエンジニアとしてジョインしていたんですけれども、最近だとバックエンドをやったりとか、さらに最近の主な仕事はモバイルアプリの開発をずっとやっている形です。
子供が1歳になり、元気よく過ごしております。よろしくお願いします。
鹿野 よろしくお願いします。早速、いろいろ今されていることとかご家族のこととかありがとうございます。
今回、鹿野さんが何者なのかというところをいろいろお聞きしたいなと思ってまして、いわゆるキャリアの話とか、今されていることとかをざっくばらんにいろいろ話して、鹿野さんが何者なのかをリスナーの皆さんにお届けできたらなと思っております。
鹿野さんとお送りする1回目のテーマは、鹿野さんのファーストキャリアはエンジニアじゃなかったです。
早速お話、いろいろお伺いしていきたいなと思うんですが、ちょっと今、自己紹介のところでも軽く触れてはいただいたと思うんですけど、今の仕事について改めてもうちょっと詳しくお伺いすることできますか。
今の仕事はですね、UBIで主にプロダクトを作っており、今今の仕事でいうとモバイルアプリの開発をやっているっていうところですね。
UBIってそのウェブ版とモバイル版っていうふうにあるんですけれども、その中でもモバイルの画面開発をやっていきますと。
画面表示に必要なバックエンドのAPIの実装をやったりとか、もちろん画面を構築したりとか、テストを書いたりとか、ドキュメントを書いたりとか、そういったところをやっているって形ですね。
ありがとうございます。本当に今はバックエンド、フロントエンド、プラスネイティブアプリのところの開発も全部やってらっしゃるっていう感じなんですかね。
そうですね。いつの間にか全部やるようになってきましたね。
そうなんですね。ありがとうございます。本当に今はそんな感じでいろんなことをされていると思うんですけど、そこまでに至る今までの歴史というかキャリーについていろいろお伺いをしていきたいなと思います。
まず最初にお伺いしたいのが、学生時代って何されてたんですか。
はい。学生時代は私は九州大学芸術工学部音響設計学科っていうところに通っていたんですね。
そこっていうのは芸術工学部っていうふうに、芸術プラス工学を一緒くたにしたような学部だったんですね。
その中で私は一応音響を専攻してたんですが、音響と言っても名ばかりで、実際は私はずっとコンピューターグラフィックス、メディアアートとかそういった分野をずっとやっていたって形ですね。
そうなんですね。ありがとうございます。なんか最初からすごい、いわゆるコンピューターサイエンスとかそういうのをゴリゴリ勉強しているような感じではなかったって感じですかね。
全然ですね。
そうなんですね。
学生の時は正直あまり仕事がしたくなくて、働きたくないと思いながらずっと生きてて、でも社会人になるからには仕方ないからお金稼ぐかっていうふうに思ってて、
どうせお金稼ぐんだったら少しでも好きなものとか興味があるものをやってみようと思ってて、中学生の時とかに初めてコンピューターを使ってウェブサイトを作ったりとか、
HTMLとCSSを用いてウェブサイトとかを作ってたんで、そういうコンピューターが使えるような仕事ができたらいいなとか。
あとは音楽が好きなんで、音楽に携われる仕事がいいなとか思いながら、そういう芸工の音響設計っていうふうなところに入ったってところですね。
そうなんですね。じゃあ本当にプログラミングみたいなところは大学ですごいゴリゴリやってたっていうよりも、いわゆるエンジン圧しキャリーを始めてから本格的にいろいろ勉強してたみたいな感じですかね。
そうですね、そうなりますね。一応大学でもプログラムみたいなもの、プログラムではないんですけど、なんて言ったらいいかな。
マックスJSPジッターみたいな技術があって、それって面白くて、この四角形の図形をポンポンポンポンくっつけていって、
例えばボタンを押したら音が鳴るとか、音が鳴ったらこの画像が出るみたいなのを、ボックスをつなげてプログラムしていくみたいな技術が当時あって、その教授がそういうのを作ってたんですけれども、
そういうのを一応プログラムというかプログラマじゃないというか、そういうことをやっていたっていう形ですね。本当にガリガリ行動を書き始めたのは社会人になってからって形ですね。
エンジニアキャリアの始まり
そうなんですね。先ほど、仕事を始めるならものづくりにかかるようなところがいいなってお話あったと思うんですけど、大学の中ではすごいプログラミングとかソフトウェア開発を本格的にやってたわけではないわけじゃないですか。
そこであえてインジニアとしての道を選んだのは何でなんですか。
そうですね。一番大きかったのは中村優吾さんが当時イケイケだった頃だったんですね。
フラッシュとかが流行っていた時代で、NHKの中村優吾の仕事の流儀みたいなのを見て、フラッシュを使って面白いコンテンツいっぱい作って、それで仕事していくみたいなことを見てて、
すごい私もああいうのやりたいなって、すごい子供の考え方だと思うんですけど、かっこいいなと思って、僕もああいうの作りたいなっていうふうに思って、ああいう仕事してみたいみたいに思って、当時はフラッシュクリエイターとかそういう分野があったので、そういう道に進みたいなと思って。
大学の4年ぐらいから自前でフラッシュのソフトを買って、本をコピペしながら、アクションスクリプト3という、今誰も使ってないと思うんですけど、そういうのを書いていったって形ですね。
大学が額割でめちゃくちゃアドビのソフトを安く買えて、4分の1とかそのレベルで買えたので、これで買ってやってた。
なるほど。じゃあ本格的に勉強始めたのは、その4年の頃のフラッシュのところからやり始めてってことなんですね。
そうですね。
なるほど。実際、新卒1年目の時は、いわゆるエンジニアとして採用されていたって感じなんですかね。
いろいろありまして、先輩のつてで入ったみたいな形なんですね、私。いわゆる就活みたいなのやってなくて、知り合いの先輩の仕事に入りましたと。
最初何やったかっていうと、私営業やってたんですね。
営業からキャリア始めてたんですね。
インターネット光回線を訪問して売るみたいな仕事をやってて、もう度胸がついたって形ですね。
そうなんですね。じゃあ本当に最初の頃、そもそもエンジニアでさえなかったところから。
エンジニアでさえなくて、まあでもなんかエンジニアできるよみたいな、あなたそのフラッシュとかやりたいんだよねみたいな、この会社入ったらできるよみたいに言われたんですけど、
よくわからないうちになんかインターネットの訪問販売させられて、もう本当につらかったですね。
そうなんですね。
そうなんですよ。あんまり言ったことないんですけど。
あのカノさんが営業をやっていたっていう驚愕の事実を今知りました。
そうなんですね。
じゃあそこからいわゆる営業っぽいことをやってらっしゃって、そっから転職だったりをしたって感じなんですかね。
なんかその会社でずっと営業をやってて、ある日なんか偉い人が入ってきて、君はなんかその学歴でその学部を卒業していてなんで営業をやってるんだって言われて、プログラムを書きなさいっていう風に言われて、そこでプログラムを書き始めて、
当時やってたのはPHPとHTMLとCSSを使って画面を作るみたいなことをやっていましたね。
じゃあそこがいわゆるエンジニアとしてのキャリアのスタートみたいな感じですかね。
そうですね。
そうなんですね。そこまでいわゆる未経験で知識もあんまりない状態だったってことですよね。
そうですね。中学生の頃に趣味でHTMLとCSSを書いてたりはしたんですけれども、未経験ではありましたね。
実際そこで開発に入りなさいって言われて、そっちにすぐシフトはできたもんなんですか。開発職として。
私も変なプライドがあって、中学生の頃に自分でホームページを立ち上げてやってたから、ある程度できますと。
大学4年の時にはFlashもやってたんで、ある程度できますみたいに思ってたんですけど、そういう気持ちで行ったんですけれども、遅いと。
クオリティーも低いと怒られて、すごい自信はなくしましたね。私ってできないんだっていうふうに思って、でも頑張るしかないかと思いながら耐えてたって感じですね。
もっと制作を専門にしているところに入ろうと思って、転職してみようっていうふうに思って、転職活動をして、最初は広告代理店の制作下請けみたいなところに入りましたね。
それこそ、中国にある築地の近くにあるところで仕事をしたって形ですね。
キャリアの始まり
なるほど。じゃあそこからそういうちょっとクリエイティブっぽいところのお仕事を始めたんですかね。
そうですね。
そこら辺からいわゆるフロント周りの開発だったりが増えてきたみたいな感じなんですかね。
そうですね。そこからですね。
そこから今に至っていくっていうような感じなんです。
今のお話だと最初プログラマー、いわゆるエンジニアとしてはPHPとかバックエンド周りからやってらっしゃって、僕の印象で言うとKANOさんですごいフロントエンドの人の良い印象があるんですけど、フロントエンドの人になっていくまでの流れで言うとどんな感じだったんですか、そこから。
やっぱりフラッシュをずっとやりたいっていうのがあって、その入った製作会社も結構フラッシュが強い人が結構いる会社だったんですね。
だったんだけど、当時ってもうフラッシュが終わり始めてて、スマートフォンも出てきて、フラッシュみたいなゴリゴリのリッチな演出をウェブトップでやるみたいなことはなくなって、それを逆にHTML、CSS、JQueryを使ってやるみたいな案件が多かったですと。
で、私はそういうフラッシュでこういう動きをしていたものをHTML、CSS、JQueryを使って書き換えてくれみたいな案件をよく担当させてもらったので、そこでいろいろやっていくうちに経験が積まれてきて、当時そんなに会社にも知見がなかったし業界にもそんなに知見がなかったというか、それ結構おこがましい言い方ですね。
そういう中でいろいろ調べていって、で、徐々にできるようになっていって、自分はフロントエンドちょっとできるみたいに思い始めたというふうなところですね。
実際そこら辺から周りの人からも、けっこうカノさんフロントエンドがすごいみたいな、そんな感じの印象だったりしたんですか?
その会社の後期の方はそうでしたけど、やっぱ最初の方とか中期ぐらいはあんまりだった感じですね。
そうなんですね。
けっこう、フラッシュ何件とかも実際任されたんですけど、納期に間に合わずに先輩にめちゃくちゃ怒られてたりとか失敗も多くありながらってやっていった形ですけど、
そうですね。終わりの方にはいろいろ任されたりとか、社内で私が持っているいろんな知見をデザイナーとか他のコーダーとかに展開してくれみたいな形で勉強会とかもするようになっていきましたね。
なるほど。今のお話は社内の中ではだんだんフロントエンドとしてのプレゼンスが上がっていくみたいな話だったと思うんですけど、
発信とプレゼンス
そこから今ってSNSとか印象としてかなさんフロントエンドすごいみたいな印象ってすごいあると思っていて、そういうところの印象に至るまでの流れってどういう感じだったんですか?
そうですね。それをやっぱりさらに次の会社にジョインしたときに会社がけっこうSNSとかでどんどん前に出ていけみたいな会社だったんですね。
そのブログとかもいっぱい書いていっぱい露出しなさいみたいな形で言われてて、最初は嫌だったんですね。どうせ私が書いてあげたって面白くないし、
みんな知っていることしか私なんてアウトプットできないよみたいに思ってたんですけど、
アウトプットしていくと自分の知見にどんどんなっていくし、アウトプットを見てくれた人からわかりやすかったですみたいな話があったりして、
時にお叱りを受けるようなこともありつつ、そういうのが積み重なっていって発信とかそういったところをするようになったかなって形ですね。
じゃあそういう発信が始まって、その発信を続けていく中で、KANOさんイコールフロントがすごい人みたいな印象ができていったみたいな感じなんですかね。
そうですね。周りからどう思われているかわからないけど、そういうふうに言われているのかもしれないですね。
なるほど。そこから最終的にYubiさんで働いていらっしゃると思うんですけど、どういう流れでYubiさんにジョインするところまでいくんですか?
今言ってた発信をたくさんする会社から、その次に入ったのがマネーフォワードだったんですね。マネーフォワードにジョインして、そこで結構マネージメントをたくさんやったんですね。
最終的には開発部副部長みたいな、副部長兼グループリーダーみたいな形をやってて、自分も年齢的にマネージメントをやるかと思いながらやってたんですけど、
なかなか自分の中でしっくりこなくて、マネージメントをやるより開発の現場でどんどん行動を書いていく方が幸せだなというふうに思ったんですね。
キャリアの最初の方にも思ったんですけど、楽しいことをやって仕事していきたいっていうのがずっとあって、そんなに人生も長くないので、楽しいことを開発が好きなんで楽しい開発をやって生きていこうみたいに思ってて、
UBにジョインするときも、マネフォーから次の会社探すときも、そうやって開発に集中できるところとか、自分の強みを思いっきり活かせるところみたいな軸で話していったときに、そこがやっぱりUBが一番合ってるみたいな状況になったので、UBにジョインしたっていうふうなところですね。
UBに入ったのは結構いくつも理由があって、テクノロジーで人々を健康にするみたいなミッションがあるんですけど、自分もずっと病院にお世話になってたし、自分の家族とかもお世話になってるんで、自分の好きな技術を仕事に活かしてテクノロジーに活かして、それを通して人を救えるってめちゃくちゃすごくねっていうふうに思っちゃって、
Ubieでの挑戦
それでUBに入ったっていうのが大きいですね。
そうなんです。で、今は実際もう手を動かしてガリガリ開発をしてらっしゃるってことですか。
ガリガリ開発してますね。
ちなみに今、マネジメント向いてないなってお話あったじゃないですか。向いてないなというか、やっぱ開発するほうが好きだなってお話あったじゃないですか。
なんか実際そのマネジメントやっていく中で、なんかここら辺はやっぱ自分はそんなにこう、なんかこう合ってないなーみたいな思ったところとかってありました。
会議が一つ多いっていうのはすごくありますね。
なんだろう、チームの方向性を決めますとか、人の評価を決める会議とかが一番合ってないなと思いましたね。
年収を決める仕事とかもやってたんですけども、いやー本当に辛くて、みんなたくさん給料あげればいいじゃんって思ってるんですけども。
やっぱりその会社全体の予算とかもありますし、そんなみんな無人像にあげるわけにもいかないし。
で、この人にはこういう評価して、この人にはこういう評価して、でそれを相対的に並べたときに、
いやこの人とこの人が同じ評価なのはちょっと適してないね、だからこの人をちょっと下げなきゃいけないですとか。
じゃあその下げるときに、これこれこういう理由であなたの評価は低めになったんだよみたいなことを伝えたりするみたいなことをやってたんですけど。
それも重要なんですけど、私はそういうところに時間を使うよりは、プロダクトをどんどん成長させていくのが、それが正義だろうというふうに思ってたんですね。
それは別にその人事評価とかマネジメントを軽視しているわけでは全くなくて、私全体で見たときに私という人材をチームにどこに配置するかって考えたら、
マネジメントじゃなくてやっぱり現場に配置した方が、私は私の力を発揮できるし、チーム全体も全体の出力は上がるだろうっていうふうな判断から、そっちの方がいいんじゃないかっていうふうに思ったって感じですね。
なるほど。自分自身の特性みたいなのを考えると、やっぱりプレイヤーの方が合ってるんじゃないかっていうところを考えてたってことですね。
そうですね。
なるほど。だからマネジメントをやることによって、またそのプレイヤーに戻っているって話だと思うんですけど、プレイングのところ自体のレベルがアップしたみたいなのもありますか?
プレイングのところのレベルがアップした?
とか、なかった観点でいろいろ考えられるようになったとか。
それは結構あるかもしれないですね。例えば、やっぱりいろんな人のコードをレビューしなきゃいけなかったんですけど、レビューしやすいコード、読みやすいコード、読みづらいコードみたいなのがやっぱりいろいろ出てくるんですね。
なので、自分がプールリクエストを作るときは、ちゃんと読みやすいコードにしましょうとか、プールリクエストは大きくなりすぎないようにしましょうとか、そういうテストもちゃんと書いて出しましょうとか、自分のコードっていろんなレベルの人から読まれるんだなみたいな観点とか、
あんまり一人の天才がものすごい天才的なロジックで、なんかよくわかんないけど動いているコードみたいなのを生み出したところで、それってメンテナンス性が悪くて、結局開発性、持続性を下げるなみたいな、そういったことを考えるようになって、より読みやすいコード、測りやすいコードみたいなことを考えるようになったって形ですかね。
見る側をやっていたからこそ、見られる側の視点でもそういうところを考慮しながらコードを書いたりとか、発信みたいなところができるようになったみたいな、そういうイメージですかね。
そうですね。
なるほど。ありがとうございます。
鹿野壮のキャリアの振り返り
ここまで本当にスタート営業からバックエンドやりつつ、フロントエンドもやりつつ、次はマネジメントもやりつつ、今はなんやかんやでプレイヤーもやってらっしゃるって感じで、結構本当にいろんなキャリアを歩んできてるかなと思うんですけど、
振り返った時に、もうちょっとこうしとけばよかったなとか、いや自分のキャリアはこれで100点だったなみたいなのに点数つけるとしたらどんな感じですか。
私はいつも自分の人生を振り返って100点だと思いながら生きているので、何だろう、本当にいろんな営業もやったし、マネジメントもやったし、先輩から怒られたコードもいっぱい書いてきたんですけど、やはり全てが自分の糧になってたなっていうふうには思っているので、
なんだ、どれが欠けたとしても今の自分はなかったなと思っているので、正直100点かなと思ってますね。
そうなんですね。
そう、私やっぱり特にジュニア時代に全然わかりませんみたいなところから進んでいって、その時にいろんな先輩が本当に丁寧に教えてくれたりとか、いろんな人が本とか登壇とかで発信してくれたのを見たりして、それを勉強していったりとかしたので、
なんだろう、そういうできない時代のこともすごく覚えているので、自分で言うのもなんですけど、結構できない人の気持ちが私はわかると思っているし、私もできない側の人間なので、そういうできない時代、怒られたこととかがあったからこそ今の自分があるのかなっていうのは思いますね。
ありがとうございます。
はい。
それこそ営業だった時代とかもやっぱり大事だったと思います。
そうですね。人に否定され続ける。だから今でも本当に会社の営業舞台とか見てるとマジですげえなと思いますね。いろんなところに電話かけて、よく街中で営業してる人とか見てもお疲れ様ですって気持ちになりますね。尊敬してますね。
ありがとうございます。
KANOさん、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
エンジニアとしての経験
まだまだお話ししたりないので、次回もKANOさんとお送りします。
はい。
ということで、今回はKANOさんとKANOさんの今までのキャリアについていろいろお伺いをしてきました。キャリアのスタートがエンジニアではなくて営業だったっていうのはすごい衝撃的だったんですが、その経験を踏まえて今までのキャリア100点ってお話を今聞いて、本当にやっぱりエンジニアとしてのキャリアってところを今始めた方もいれば、ある程度経ってきて振り返って、
なんかこうすればよかったなみたいに思ってる方とかもいろいろいらっしゃるとは思うんですけど、やっぱり本当にエンジニアをやってなかった時間とか、それ以外のことに費やした時間も全然無駄ではないんだろうなっていうのは、今のKANOさんの言葉を聞いて、僕もすごい自信が湧いてきたので、これからもやれることをその瞬間にやりきっていきたいなというふうに思いました。ありがとうございました。
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