2024-08-19 24:16

#17-1 武原さん(前編)「誰かの役に立つために公務員になった」」

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今週のゲストは子ども応援ディレクターの武原さん(たけD)に来ていただきました。


子ども応援ディレクターの仕事とは? / 子ども応援ディレクターになった経緯 / 子ども食堂とゲンキーとの事業 / 鹿児島の離島での子供たちとのかかわり


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誰かのためになるっていうことがしたくて、その方法を見つけるために公務員になった。
私がこの世に生まれてきた以上、誰かの役に立って死にたいみたいな。 やっぱり子どもとの関わりと、地域との結びつきの必要性とかを自分が実感してるから、それを何か福井県でも取り組みたいなって。
エキセントリックラジオ
始まりました。エキセントリックラジオ略してエキラジ。この番組は、福井県の地域おこし協力隊として若者のチャレンジを応援するつかちゃんが、県内のエキセントリックな人を毎週ゲストにお呼びして、その人の活動内容やエキセントリックポイントを深掘っていこうという番組になっています。
今日は月の3週目ということで、地方公務員とか地域おこし協力隊とか福井で活動している公務員枠みたいなところでゲストをお招きしておりまして、今日来ていただいているのは、子ども応援ディレクターの竹井Dに来ていただいております。よろしくお願いします。
そもそも竹井Dで良かったんだけど。 竹井Dで大丈夫です。
じゃあちょっと一回自己紹介していただいてもいいですか。 竹井 福井県庁子ども応援ディレクターの竹原ともみです。よろしくお願いします。
竹井Dって言いすぎて竹田さんかと思った。 竹井 何でもあり。
流れで言うと、今年子ども応援ディレクターに就任されて、僕と一緒に活動しているICODから、こんな子ども応援ディレクターがいるから若者チャレンジに近いからぜひ会った方がいいよみたいな感じで竹井Dを紹介してもらって、今年の4月ですもんね。
竹井Dがそもそも子ども応援ディレクターって何なのとか、子ども応援ディレクターになるまで、県庁でどんなことをしてきたのかみたいな話を前編でできたらいいなというふうに思っております。
竹井Dがそもそも子ども応援ディレクターって何なのとか、子ども応援ディレクターになるまで、県庁でどんなことをしてきたのかみたいな話を前編でできたらいいなというふうに思っております。
竹井Dがそもそも子ども応援ディレクターって何なのとか、子ども応援ディレクターになるまで、県庁でどんなことをしてきたのかみたいな話を前編でできたらいいなというふうに思っております。
そしたら早速なんですけど、子ども応援ディレクター。
子ども応援ディレクターとは何ぞやですよね。これなんかこう、型にはまりたくないっていう自分自身の思いもあって、この子ども応援ディレクターってだけ見ると、子どもを応援してるみたいな。
寺井 寺井CODとかも若者の応援のディレクターじゃないですか。チャレンジを応援するとか。でも私自身は子どもの別にチャレンジだけを応援してるわけでもないし、子どもだけを応援してるわけでもなくて、やっぱり子どもに関わる、携わる全ての大人も子どももってなると、もう社会全体なんですよね。
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自分自身の思いとしては、本当に社会、まちづくりとかそういったところを応援したいっていう気持ちがあって、だけどそれだとちょっともうあまりにも大きすぎるから、子どもの目線でとか、子ども子育てのこととかっていうところを一応キーワードというかにしてやっていきたいと思っていて、だから全然高齢者とか、子どもを持つ持たないとかそういうことじゃなく、
社会で子育てとか子どもたちのことを、これから未来を作っていく。私たちも関わっている未来を作ってくれる子どもたちとかそういったところを、ぜひ一緒に応援というか、一緒に生きていく中で何かお手伝いができたらみたいなところで取り組んでます。
面白い。子ども応援ディレクターって言ったら、確かに子どもってなってるイメージが名前からするから、子どもに関わる人なんだなぁみたいなざっくりなイメージが。
寺井さんがすごく爆発的に頑張ってくださってるので、道筋を作ってくださった大先輩なので、寺井さんのような形できっと子どもを応援する人なんだろうなっていうイメージが割と最初お会いする皆さんはそんな風にあるのかなと思っていて、
でも自分自身は寺井さんは寺井さんの素晴らしいところがあって、私には寺井さんのようにはできるとは思ってなくって、そこを目指してるわけでもなくって、やっぱり寺井さんは上からみんなを引っ張る人っていうイメージで、でも私は下から皆さんを支える人みたいな気持ち、私の中の思いとしてはそういう気持ちで頑張ってます。
僕も結構近いかもしれないですね。先陣切って背中見せるというよりは一緒にやろうよみたいな。
そうそうそう。ありのままで、私も別に背伸びせず、私一人って本当に限界あるなって今までも感じてたけど、いろんな方と出会う中でやっぱりそこを痛感することが多くて、私一人でできることには限界が本当にあるなって。
でも、つかちゃんとかいろんな人が関わってくれることで、どんどん無限大になるというか、自分にはここまでしかできないけど、でもみんなでならできるみたいなことがすごく多いなって痛感してます。だからご縁とか、そういう人のつながりを本当に大切にしていきたいなって思ってます。
めっちゃいいですね。
いいこと言った?
いいこと言った。さすがタケディ。そもそもなんですけど、子ども応援ディレクターって知事から任命されたものですか?
任命、そうですね。拝命していただいたんですけれども。でも、なんていうのかな、例えば知事がこういうポジションを作った方がいいから、そこに誰かを宛てがおうっていうような感じではなくて、
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テライさんもテライさん自身がいろいろされてきたことが認められてそのポジションになったとは思うんですけど、私自身は経緯としては、県庁入って2年目の時にチャレンジ政策提案の制度があって、福井県の職員が知事に対してこういった政策提案、こんなことをしてみたらどうですかっていうようなことを直接プレゼンする機会が福井県庁にはあって、そこに手を挙げさせていただいて、
そこでも私一人で提案したわけじゃなくて、有志を募って、その時は4人のメンバーでいろいろ考えたんですけど、でもやっぱり部局的にとか思い入れのある職員が、やっぱりコアとして1人1本、意思があって、そこに賛同する人を集めていって、もっとブラッシュアップしたり、
いろんな可能性広げていくみたいな感じで政策の提案を作っていくので、その中で私自身がやっぱり子どものことをもっと子ども目線で考える政策だったり、そういったところで、今すでにもうディレクター職あるんですけど、そういった教育委員会とか、
自動家庭化という福祉的な要素とか、子ども未来化とか、少子化対策とか、そういったいろんな縦割りの行政をディレクターが部局横断的に飛び回ってつなぐ役割が必要じゃないか、みたいなところでグループとして提案させていただいて、そしたらその日も、政策提案の日に知事にプレゼンしている中でもすぐ知事が、いいね、すぐ作ろうよって言ってくださって、
そうそうそう、そこで決まっても、なんか君がディレクターねとか言われるわけじゃないので、それは去年その話があって、冬頃に人事課の方から、こういう子ども応援ディレクター募集しますっていうふうに、県庁全体に投げかけられて、そこでディレクターやりたいっていう人が応募して、
その中の私は一人として応募させていただいて、もう人事課の面談を受け、知事のヒアリングというか、思いを聞くぞの会議を設定していただいて、知事も直接自分の思いを投げかけ、その上で、はい、私を選んでいただいたという形です。
そうなんですね、確かに前回、前回というか、公務員枠で言うと日田さんか、ベルビーングやってる幸福実感ディレクターの日田さんを、なんかこう、応募があって、そこになんか自分で応募をかけて、ヒアリングとかを受けた上で選ばれましたみたいな話があって、なんかディレクターで言うと、結構そういうなんか、この枠ありますみたいな感じができるんですね。
そう、この枠ありますだし、なんか本当福井県庁すごいなと思うのは、なんかこの枠あります以外にも、こんな枠作ってください、そこに自分が立候補したいですもん受け付けてくれるんですよ。
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そうか、政策提案とかそうでしょうね。
そうそう、なので、それを上の方々、決定権のある方々が認めるかどうかっていうところでの協議とか、そこは必要ですけど、やりたいことが叶う場所だなとは思ってます。
すごい。そうですよね、入庁3年目ですよね、今。
今がね。
だから2年目の時にも政策提案をして。
本当は1年目からもいっぱい課題は見つけてて、なんかこんなことできたらいいのにとか、なんでこうなんだとか、めっちゃ思う部分あったんですけど、
やっぱり1年目は私はなんか自分の中のポリシーで、1年目は何事にもチャレンジの年というよりは基盤を作る年というか、情報を集めたり、つながりを作ったり、みたいな年にしたいって思うタイプなので、
1年目で思ったことを2年目で必ず活かしたいって思ってて、だから2年目には私はなんかめちゃくちゃ1年目の助走を経て、2年目にすごいステップを踏んで、
その政策提案でのチャレンジも自分の中では日々の忙しい業務以外でやってることなので、結構ボリュームがあったりとか、
なんか考えることあったんですけど、それもちょっと頑張ってチャレンジしようっていうふうに思ったり、あとはその自分の業務の範疇を超えた部分で、
もともと子ども食堂に関わりがあったっていうのもあって、子ども食堂さんとのその持続的な支援とか、そういったところをなかなか行政が手を付けられるところじゃ今の状態ではあまりなくて、
全国的にもだんだんちょっとずつ理解されてきてるんですけど、やっぱり大変な中でボランティアとか寄付とかっていうのをメインで子ども食堂を運営している方がたくさんいるので、
それをどうにかしたいって思いでいろんな企業さんを回ったりとかして、例えば本屋さんから寄付をいただいたりとか、他のパン屋さんから寄付をいただいたりとか、
その中でもっと持続的に何かできないかっていうところで、食品ロスの関係と一緒に兼ね合わせて、元気居さん、元気居さんってもう福井ではめちゃくちゃいっぱい店舗ありますよね、めちゃくちゃいっぱい店舗ある。
元気居さんの方が、いろんな全県の店舗の元気居の残りこんだけの、例えば1週間、賞味期限もうちょっとで賞味期限あるよっていうのは全部ロスに回るんですね。
なのでそういったところのロスのものが丸岡の物流センターにすべて集約されるっていうのを情報仕入れて、そこで丸岡物流センターの方の
従業員の方に直接自分の課長さんを引き連れてお願いしに行ったり、でもそのご縁も自分の当時の課長だったり、課長のつながりの議員さんだったり、いろんな方のそういったご縁がつながって元気居さんとつながることができたんですけど、
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そこでこういうことがあって、子ども食堂さんにいろいろご支援をしてくださるところを探しててっていうところの流れで、元気居さんが今毎週水曜日に無償で希望してくださる子ども食堂さんに提供してくださるようなつながり、マッチングができて、
今もう10団体以上の団体さんが毎週水曜日、一応グループを分けたりとかして、みんなが10団体そこの日に行くと大変なので、ある程度役割を決めて、子ども食堂さんがそこで引き取って、それをまた自分たちの子ども食堂の方で使用していただいてっていうところでの循環を作ったっていうので、その2年目に職員表彰の知事賞をいただいて、
そうなんですね。
そうなんです。
もうそこでも私はなんかすっごい感動し、ちょっと喋りすぎ?大丈夫?
いや大丈夫大丈夫、全然喋ってください。
すごい言いたいことがいっぱいあって、なんか私が、なんでも私がなんかすごい頑張ったみたいに思われるとすごく嫌で、どんなこともそうなんですけど、チャレンジスタック提案もそうですよ。
グループのみんながいて、グループのみんながこれどうかなとか、みんなで話したからこれね、提案が出来上がって。
元木さんも本当に先ほど言ったみたいにご縁で繋がって、それも私別に公表する必要もないって思ってて、私はもう自分が、自分の思いが叶えばそれでいいっていう風に思うタイプなので、
それはそれでよかったって自分の中だけで落とし込んでた部分で、すごい満足してたんですけど、上席の方、彼女の上司が、当時の2年目の上司がこっそり職員表彰の枠に、私に内緒で応募してくれてて。
頑張って頑張って、上司としたらね。
そう、それがもうびっくりしちゃって、発表があるんですよ。職員のこんな、自分で言うのもあれなんですけど、優秀職員情報みたいなのが流れてきて、そこに職員がみんな投票したりとか、知事とか副知事もそれを見て投票したりとかするんですけど、その中に竹原さん載ってるよって言われて、は?何で?何のことで?みたいな。
私を応募してないって。
そう、私全然応募してない。自選他選ありなんで、自分で応募する人もいるんですよね。私、何にも知らないって言ってみたら、県警さんのこととか、他の取組とかのことで、資料も作らないといけないから、その資料上司が作ってくださって。
すごい。
そうですよ。感動じゃないですか。誰でも忙しいのに、そんな手間を抱えて、私を推薦してくださって、かつそれを県のみんなの職員の方が見ていただいて、投票してくださって、それを経て知事賞をいただいてっていうところで、なんかもう私感動しすぎて。
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これは私の賞ではないんだけど、本当にありがとうございます。
でもちょっとわかる気がしますけどね。僕も4ヶ月ぐらいしか、まだ4ヶ月というぐらいだけど、竹原さんにお願いしたらなんかやってくれるしねみたいな。お願いしなくても勝手にやってくれるみたいなところがすごくあるんで。
ここ困ってるんですよねみたいな。全部出てくるみたいな。
結構あって、普段の元気の取り組みとかもそういうところがあったんだろうなと思って。チームで動きつつも、人を巻き込む力というか、人に支え支えられるみたいな。
うれしい。なんかそれ理想なんですよ。私すごい、やっぱ誰かのためになるっていうことがしたくて、その方法を見つけるために公務員になったみたいなところもあるので。
私がこの世に生まれてきた以上、誰かの役に立って死にたいみたいな。そういう思いがあって。だからそれを成し遂げられる一つの手段として公務員を選んだっていう部分が大きかったので、本当に支えたいし支えられたら嬉しいしみたいな。
面白い。すごいですね。入庁1年目はまず飛行機でいう滑走路を走ってるじゃないか。2年目に飛び出したら元気の取り組みが始まる。3年目は子ども応援ディレクターになって、すごい高いところに飛び始めてるみたいな。
本当にありがたいです。自分でもびっくりしてます。
すごいですね。でも子どもっていうところには自分なりの思いとかキーワードがあるんですか。
全職も鹿児島で公務員してたんですけど、その時に5年以上子どもに関わる支援をする課に従事していて、その時に得たスキルとか、いろんなことをやらせていただいたので、福祉的なところも少子化的なところもやらせていただいて、そこですごく思い入れがあったりとか、私自身も4人の子どもがいて、
そうなんです。だからもう人事じゃない。
人事じゃないんですか。
そう、人事じゃないんです。
すごいな。
そうなんです。そういったところもあって、結構自分の人生観と重なる部分がすごくあったので、リアルに感じて、リアルな声を吸収して、もっとより良い社会を作りたいなっていうところで。
なるほどな。だからその鹿児島から福井に来たんですか。
そうそうそう。
福井に来た経緯とかは。
福井に来た経緯は、次男の高校受験のタイミングもあったんですけど、鹿児島の中でも私は離島に住んでいて、離島だとやっぱりみんな子どもたちがどんどん出ていく一方なので、いずれ帰ってきたとしても、島から出て行ってしまうっていうところもあったり、やっぱり福井が好きだったっていうのもあるし、福井に実家の父と母がいて、ゆくゆくはそばで支えたいなっていう部分もあって、
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途中で職員をしながら、公務員をしながら公務員試験を受けて、福井県庁の公務員試験を、次男が受験している受験の時に私も受験して、一緒に受験勉強して、一緒に喜びを分かち合って、
めっちゃすごいな。
でも鹿児島にいる時から、離島で働いている時から、例えば子どもに関することは結構子どもになっちゃって、地域を横断するとか、部署を横断するとか、なんかちょっと足りてないな、みたいな気持ちはあったんですか。
ありました。子育て支援に関わる間にいたからとかではなくて、たまたま自分の子どもの育児休業中、育休を取っている期間に、日々仕事に追われている中で育休を取るって、
もちろん赤ちゃんのいろいろお世話とかはもちろん大変だし、だからこその育休ではあるんですけど、やっぱりそれ以外の兄弟の子との関わりだったりとか、普段なかなか家で子どもたちが帰ってくる時にお帰りって言ってあげられない状況だったのが、お帰りって言ってあげられたり、地域の子どもたちがやっぱり、
大人がいないお家にはお友達入れちゃダメだよっていうような地域だったので、私はずっと家にいるわけじゃないですか。だから家がもうめっちゃ溜まり場になってて、みんな来るんですよね。夕方とかも土日とかも。
私はそれがすっごい嬉しくて、お腹空いてる子いたら何でもあげたいみたいな、何食べるみたいなおにぎりかって、本当にお世話焼きおばちゃんしてて、それが幸せで仕方なくって、これいいなって思っている時にやっぱり子どもたちの固食とかに気づいたりするんですよね。
ご飯食べてきてないとか、例えば土曜日とかだったら10時ぐらいに、そんな7時とかから来られても困るんで、いつも10時ぐらいになったらいいよって言って、午前中のうちは勉強しようねって。勉強宿題持っておいでとか言ってたんですよ。
家が学習支援とか子ども食堂みたいな感じだったんですけど、そういうのをしてて、お腹空いたとか何か食べるかって、家で食べてきたけどお腹空いたっていう子もいるし、でも本当にずっと食べてなくてお腹空いたっていう子もいるしとかっていうのに、ちょっとずつ気づき始めた時に、
なんかこう、食べてないことが悪いとかそういうことじゃなくて、その過程をどうこう言いたいわけじゃなくて、なんか地域でできることとか、私でできることなら何かしてあげたい。だってみんな忙しいし、私も忙しかったし、分かる気持ちが。
今は家にいれるからそれをしてあげれるけど、そうじゃないかっていっぱいあるし、それは金銭的な問題だけじゃないっていうのにもすごく気づいてたから、何かしてあげられないかなって。でもうちでするとみんな気使うわけね。いつもごめんねっていつも家行って。
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だからこれはちょっと個人がやるっていうよりは、何か団体としてやるっていう方が、みんな気使わないで子どもだけで生かせれるかなっていうのもあって、公務員しながら子ども食堂と学習支援の代表で立ち上げて、毎週土曜日に公民館を借りてみんなを集めるっていうのをしだして、集めだしたらもうやりたいことが止まらなくて。
ただ食事を提供するとか、ただ宿題を教えるだけじゃ物足りなくて、毎週毎週地域のおばちゃん呼んで、地元の焼き菓子をちょっと今週はこのおばちゃんの日ねってみんなボランティアで巻き込んで、今週はスポーツの走り方、速くなる走り方のトレーニングねとか、毎週毎週いろんな催し物をして過ごしたりとかして、それが本当に楽しくて。
めちゃくちゃいいっすね。
そういうような実体験もあったからこそ、やっぱり子どもとの関わりと地域との結びつきの必要性というか、つながりの必要性とかを自分が実感してる、実体験してるから、それを何か福井県でも取り組みたいなって。
すご。それ育休中にずっとやってたんですか?
そうそうそう。育休明けてもやってた。だから仕事復帰しても普通にずっと続けてたんで。
へぇー。じゃあきっかけとしては育休中に子どもたちがいっぱい来ることがきっかけで、自分の場所だとなかなか来づらい人がいるから公務員から介護をして、やりたいことやりまくってたら、これもっと違う場所でもできそうだなみたいな。
そうそうそう。めっちゃ必要だなと思って。
めちゃくちゃいいですね。
そうでしかもその時は、子ども食堂っていうワードも全然広がってなくて、先駆けじゃないけど、いろいろあったとは思うけど、あんまり認知されてなくて、だからすごく取り上げていただいて、島でも一つしかなかったし、
ジャルの系列の天見を飛ぶ機内紙、普通に飛行機乗ったら座席ポケットにいろいろあるでしょ。あれに取り上げてもらって掲載していただいたり、広報誌に一面いろんな記事出していただいたり、ラジオを読んでいただいたりとか、
その時にすごくいろんなことのご縁で、活動を周知して認知していただけた時だったなって思ってます。
めっちゃ楽しかったんです、本当に。
ちょっとめちゃくちゃもっといろいろ聞きたいんですけど、ちょっと今時間が来ているので、一回前編切らせてもらって、後編でまたちょっと、今子どもディレクターとして、
今3年目がスタート、ディレクター1年目がスタートしたと思うので、この1年目どんなことをしていきたいであるとか、もうちょっと今の過去の話というか、過去の話を聞いてみたいなと思っているので、後編でまたお話ししてもらえると嬉しいです。
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それでは一旦ありがとうございます。
この番組はFWI 福井県若者情報発信局の提供でお送りしました。皆さんアプリを登録してくださいね。
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