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皆さん、ご無沙汰しております。この番組を配信しております北海道在住30代米農家をしておりますジョンと申します。よろしくお願いします。
本日は2022年5月2日、月曜日となっております。今回はですね、先日最終回を迎えたばかりとなっております
野田悟さんの漫画ゴールデンカムイを扱っていこうと考えております。特にこのゴールデンカムイの中に出てきた
アイヌ民族がどういった農業をしていた民族なのか、そしてアイヌ民族と農業のあまり喜ばしくない関わりについて
それをですね、前後編形式でお話をしていこうと考えております。このお話の種本にしている大部分はですね
私のおじいさんが書いた本、保別町のアイヌ民族文化史という風な本を準拠にしてお話をしております。
私のおじいさんはおまけ配信の方でもちょろっとお話をしましたけれども、もともと和人とアイヌの婚欠児として生まれて
12歳までアイヌのコタンで、アイヌのおばあさんに育てられた、そんなような戦いを持っている祖父となっております。
その後祖父は農家として、そしてあと日本人の名前をしっかりつけてもらって、その名前でずっと農業をしてきておりまして
あるとき晩年になって、このアイヌ民族とかそういう風な記録を残さないとならないと思い立って
それで農業をしつつ、アイヌ民族の地元にある伝承を集めたりですとか、あとはどういった食べ物を食べていたのかとか
そういう風なことを調べるという風なことをやっておりました。その成果がこの数百本しか刷られていないであろうこの民族史という風な形となっております。
一応、どこかの大学図書館には一冊だけ所蔵されているらしかったりするわけなんですけども、今回は私のおじいさんが調べた、そういう風な結果をもとに色々と話をしていこうと思っております。
当然のことながら、研究者でもない一回の農家のおじさんが頑張って調べて、それを編纂してまとめた文化史となっておりますので
今現在のアイヌ研究ですとか、歴史とかそういう風な部分と比べると、ちょっとずれていたり見解が異なるような、そういう風なものとかも存在しております。
ただ、これはですね、私は今回の話に関しては、祖父が調べてきたことを尊重してそのままお話をしようと思っております。
なので、そういう風な部分で色々諸説ある部分の一つだよという風なところを念頭において、今回お付き合いいただけるとありがたいかなと思っております。
今回お話をする上で、あと注意点というか、私がこれから何かトラブル起きそうで嫌だなというふうに思ってたりする部分はですね、
この本、当然のことながら、アイヌルーツを持つ祖父が書いておりますから、
和人、特にすごく日本人であることにこだわりがあっている、股間も思想も右に寄っている皆さんっていらっしゃるじゃないですか。
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そういうふうな人にとってはですね、あまり耳障りが良くないようなお話をせざるを得ないような状況になってたりするかなと思っています。
なんですけれども、それで噛みつかれてもですね、知らんわって思ってたりはしますので、
その辺の部分はそういう風になりますよという風なところだけご了承いただいた上で、今回のお話もお付き合いいただけると幸いです。
というわけで今回も参りましょう。
Aノートサブカル
この番組は北海道の中心部札幌市のちょっと東側にあるエベチ在住のジョンさんが日々のAノート、日々摂取しているサブカルについてお話をしていくオーディオ製番組
Aノートサブカルの特殊プログラム。サブカル作品の中に現れるほんの少しの農業描写からその世界のあり方をディテクティブしていく。
作品の見え方がちょっと変えられたらいいな、な農業描写考察プログラム農業描写探偵のお時間となっております。
今回扱いますのはヤングジャンプルで先日4月28日まで連載されておりました野田悟さんの漫画ゴールデンカムイを扱っていこうと考えております。
こちらの漫画は明治末期の北海道を舞台にしてアイヌが隠した巨額の近海を巡るサバイバル、グルメ、コメディーごったぎりの闇だべウエスタン漫画となっております。
あらすじとしては日露戦争帰りで不死身の杉本という意味を持つ杉本祭地という男と巨額の埋蔵金を埋めたアイヌと関わり合いがあるアイヌの少女アシリパが近海を巡って鶴見中尉率いる第七師団や
函館戦争で実は死んでなかったヒジカタ都市像などと近海争奪戦を繰り広げていくというそんなような漫画となっております。
作品の特徴はといえば明治期の特に北海道に住み始めた開拓民ですとかアイヌの人々ですとかその人々が使っていた生活の道具とかそういうふうなものをですね
がっつりと作品のエピソードの中に落とし込んでいるそんなような漫画となっております。
だからある種博物誌的に見えなくもないようなそんなような素晴らしい漫画にはなってたりはするわけなんですけどね。
この辺はですねいろいろと諸説あるみたいなので注意してみてもらえるといいかなと思います。
この野田悟さん自体はですねちゃんとアイヌ文化に対する関心も受けておりますし
あとカンマツリはですね毎回毎回参考文献のリストみたいなものがずらーっと流れてくらいにですね
かなり下調べをして書かれているようなそんなような漫画となっております。
この作品特に特徴的なのがこういうふうな近海争奪戦をしてバトルとかミステリーとかそういうふうなのがいっぱいありそうなイメージあると思うんですけども
内容的にはですねグルメ漫画だったりあとはコメディパートみたいなものがですね頻繁に入る漫画となっているんですよね。
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だから主人公たち一行はですねあちこちに行ってはそれなりに美味しそうなものを食べ
いろんな動物を捕まえて殺してはそれをさばいて肉を食べっていうふうなことを
そんなようなことをやってたりするわけなんですよね。
こういうふうなグルメ描写なんか人によったらいらねえんじゃねえのとかっていうふうに言われてる方もいらっしゃるんですけどね。
これが非常にこの一行というかキャラクター付けに重要になってくる部分だったりするんですね。
例えば故郷の食べ物を恋しがるような描写でそのグルメ描写をしっかり描くですとかそういうふうなこともやる一方で
あとは捕まえる獲物とかそういうふうなものの食べ方とかそういうふうなものでお話を作っていったりするとかっていう
そういうふうなエピソードもあったりするんですよね。
こういうふうないろんなところを冒険してなんだりしてっていうふうなところで私はすごく重要視してたりするのがですね
こういうふうな今現在とは隔てられた世界で特に省略しないで描いてほしいのはこの異色獣の部分だったりするんですよね。
この異色獣がはっきりと分かれば分かるほどこの世界に住んでいる人々がどういうような生き方をしているのか
どういうふうな考えを持っている人々なのかっていうふうなのが読み取りやすくなるんですよね。
この明治期の北海道が舞台となっているんですけどももう100年以上昔のお話になっておりますから
なかなかこちらの我々から共感しづらい部分とかもあったりするんですけども
それでもその辺の部分から見てもですねこの昔の人々はこういうふうに生活をしてたんだなっていうふうなところが
異色獣を通してはっきり分かるというふうなところでその辺ですごく面白くなっていたのかなって私自身は考えております。
こういうふうな感じですごく写実的に当時使われていたであろう道具とかエピソードとかそういうふうなものを差し込まれているので
すごく現実に即しているような作品にも見えかねないんですけれども
ただこちらの作品はですねどうしようもなくフィクションである部分というのが存在してたりするんですよね。
当然のことながらエンタメ作品でございますから歴史上の嘘みたいなもの特に歴史上の登場人物とかっていうふうなのは作中にいっぱい出てくるんですけども
それもまあそういうふうなことはしてないよねとかねあのひじ方としても多分函館戦争で死んでるよねっていうふうな形がなってんだけども
でも活躍してた方が面白いよねっていうふうなところで大きな嘘としていくつかあの疲れているものというふうなのが出てきてたりしております。
例えばこの作品の大きな嘘の一つにですね登場人物のほとんどが標準語を喋っているというふうなのが大きな嘘として挙げられております。
当時の北海道の状況を考えるとですね例えばいろんな地域から入職してきた人々がいるわけなので
その人々が標準語を喋っているかといえば入職する前に喋っていた方言とかそういうふうなものが当然のことながら入っていて叱るべきだよねっていうふうなことが考えられるんですけれども
どうも作劇中特にいろんな方言が飛び交うような状況になってしまうと話がわけわかんなくなっちゃいますので
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作中の中では基本的に主要な登場人物は標準語を喋るというふうな形で設定されているようなものとなっておりました。
その他ね例えば秋田弁とかそういうふうなところで作劇の中に方言が落とし込まれるなんていうふうなこともあるんですけれども
基本的にはこれの辺が大きな嘘の一つとして挙げられております。
そしてこれは嘘というよりは描かなかったというふうな部分が正しいんですけれども
この作品においては作中に主人公のアシリパさんを含めてアイヌに関する出来事とか人々とかそういうふうなものというふうなのがかなり出てきてくるんですよね。
この当時明治期の北海道においては例えば旧都人保護法ですとか開拓行政による強制移住ですとかそういうふうなもので
アイヌ差別とか和人による略奪の歴史というふうなのが当然のことながら起こってて叱るべきような状況にはなってたんですけども
これらに関する言及というふうなのがかなり抑えられた作りとなっております。
これは今までの例えばアイヌを描いた作品とかというと手塚治虫のシュマリというふうな漫画とかがあったりするぐらいなんですけれども
それ以外にはなかなかやられてこなかったような部分で画期的な部分がこれだったりするんですよね。
というのもこの旧都人保護法とか開拓行政による強制移住とかについては後編の方で詳しく触れるつもりではいるんですけれども
こういうふうな形で描かなかった理由というふうなのにははっきりしております。
こちらの朝日新聞デジタル2018年7月13日の記事ゴールデンカムイを描くかわいそうじゃないアイヌ民族というふうな記事が上がっております。
この際に野田悟さんはこの漫画を描き始める前にアイヌ民族の人々にインタビューをしていたそうなんですよね。
その際に言われたことがもうかわいそうなアイヌを見たくないというふうなことを言われたことをきっかけに
アイヌを伝えるとどうしても入り込んでしまう同化政策とか差別の歴史とかというふうなのを
意図してほとんど作品の中には入れ込んでこなかったというふうな経緯があります。
今現在最終回を迎えた後でこのゴールデンカムイに関して
アイヌ民族云々の描写が足りないのではないかとか
そういうふうなところで一丁噛みしてくる人々ですとか
怒っている人々というふうなのが出てくるのはですね
どうしたってこの辺の部分だったと思うんですよね。
私自身はこれをやったことは大英団だったかなというふうに考えております。
というのもこの辺の部分を入れ込んでしまうとですね
アイヌ民族の例えば
股間を切ったり同行する下ネタばっかりの民話集とかの面白さですとか
あとその人々がどういうふうな暮らしをしていたのかというふうなところに思いが及ぶ前に
かわいそうというふうなフィルターが一個かかっちゃって
話としては読みづらくなってしまうのかなと思ってはいたんですよね。
でそれをやらないでそしてなおかつ匂わせ程度に含ませていたというふうなところだけで
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もうあのこういうふうな描き方をしてて私は大正解だったんじゃないかなと思います。
ただ今後このゴールデンカムイを語る上ではですね
この辺の部分を説明していったり批評していったりするというふうな部分は
あの大人の役割としてやっていったことではないのかなと思いまして
それで今回はちょっとあのそういうような話を前後編でしていこうと思っております。
一応当番組私がノークアをしておりまして
作品の農業描写を見ていくというふうなことをやっている都合上ですね
まあアイヌが農業をしていたのか
そしてアイヌに与えられた農地がどうなっていったのかというふうな話を
今回はしていこうと思っております。
で一応前後編で内容を考えておりまして
まず前編
狩猟採集民族というふうなイメージが強いことでおなじみのアイヌ民族なんですけれども
この狩猟採集民族イメージというふうなのが今のところは違うんじゃないかというふうに
言われております。で具体的にあのアイヌ民族農業はしていたんだけれども
なんでしてないように思われていたのかというふうなのを踏まえてですね
前編の方ではアイヌが農業をしていたのかどうかというふうなのを詳しく話をしていきます
でその後こっちの方は後編の方では
ゴールデンカムリの時代明治期の北海道においてアイヌ民族がどのような形で
和人と一緒に農業をしていったのかというふうなお話をしていきます
でこの結果ですねアイヌがどうやって農地を失っていったのかみたいな話もしていくことには
なるんですけどねその辺の部分をいろいろと踏まえていろいろとお話をしていきますので
よろしかったらお付き合いのほどよろしくお願いします
であとお話をする都合上というかあの私が今回あの祖父の書いた共同詩をもとに
話をしておりますのででアイヌ民族の人々アイヌの人々とあとは我々日本人
日本人のことを和人というふうな形で
まあ表現するような形をとっていきます
じゃないとねちょっとややこしくなっちゃいますので
まあちょっとそういうふうな言葉遣いするというふうなのだけご了承いただけるとありがたいですね
であとはねえっとある程度諸説ありますというふうなのを踏まえた上で聞いてもらえるとありがたいです
では前編の方入っていきます
前編アイヌは農業をしていたのか
前編ではアイヌ民族がどのような農業をしていたのかそして今現在ついている狩猟採集イメージは
どのような形でつくことになってしまったのかというふうなお話をさせていただこうと思っております
で最初に結論から私の見解というか私はこう考えているよという話をさせていただきますけれども
アイヌ民族は狩猟も漁業も採集もやる
複合的雑穀農耕民であったと今現在は考えられると思っております
これについての研究結果とかその辺の部分は後で出てくるのでとりあえずこれだけ覚えておいてください
でどんなような作物を育てていてどういうふうな農業をしていたのかというと
こちらの私の祖父の資料によればなんですけれどねここからちょっと引用します
アイヌは相当古い時代から穀物を栽培してきたと考えられる
アイヌ文化の前の文化である北海道にいた札紋文化遺跡や縄文文化
オホーツク文化の遺跡からは狩猟が出土しているためだ
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アイヌの人々はヒエアワキビといった雑穀をアイヌアマム
私たちの穀物として栽培していた特に重要なのはヒエとアワで
これらはカムイから与えられた穀物と言われ尊重されていた
中でもヒエは女性の穀物で古来から最も大事な作物の一つであった
ヒエ以外の植物は後年になってから伝来したものと考えられる
というふうな感じでですねかなり古くからヒエは栽培されていたのであろうなというふうに考えられております
ちなみにこの前の文化
アイヌ民族のルーツ自体とかっていうふうな話もかなり諸説がありましてね
諸説ありますというふうに言わざるを得ないのがですね
このアイヌ民族というふうな文化自体はですね
古くからいろんな民族と講座に講座を重ねるというふうな民族なんですよね
なので北海道にもともとあった縄文文化もありますし
その縄文文化の後の北海道の札文文化というふうなのがあるんですよね
でこれらの特徴も踏まえているしあとはおほうつく文化というまたこれまた別の文化圏もあったんですけども
これもどうも吸収しているとかっていうふうな形で
とにかく遭遇した人と講座することを嫌がらず
どんどんどんどん講座していくというふうな民族的な特徴がどうもあったそうなんですよね
でこれらのほうでまあもともとそういうふうな
意向のほうからこうやって
穀類の種とかそういうふうなものが出土しているというふうなことは
当然のことながらアイヌも農業をしてたんじゃないのっていうふうな形で
今現在も言われているようなものとなっておりますよ
ゴールデンカムインの作中にもですね
こういうふうなヒエを収穫している描写というふうなのが出てきてたりするんですよね
こちらはコミックス13巻125話実りの季節にて
これはオタルのアシリパのおばあちゃんフチがですね
貝を使ってヒエの実の部分を収穫しているシーンというふうなのが出てきます
このヒエは北海道固有の巨大に育つヒエとなっておりまして
そういうふうに描写もされているんですね
実際にアシリパのフチのおばあちゃんの頭よりちょっと高い位の位置に穂がついているような
そんなようなサイズのヒエがなっているようなものとなってますね
だから高さで言えばいいとこ1.5メートルとかそのぐらいまで高くなるんでしょうかね
このヒエというふうな植物はですね
皆さんも稲荷雑草特に農家をされてたらね
稲荷雑草に苦しめられていることでおなじみの植物の一つだったりしておりますし
多分その辺でぼーっと見つけられる
なんかの米っぽい感じで実がついてんなこの植物っていうふうなのがだいたいヒエでございますね
でこちらはですね1年生の稲荷植物で
今現在は水田の南胞状雑草の一つとして知られてたりしております
あと当番組ではですね以前シュナの旅の回で
チベットをはじめとした中央アジアに広がっている商用樹林農耕文化圏の話でもしておったようにですね
米とか麦とかの代わりに
こういうヒエとかアワとかキビといった雑穀を育てて食べる文化圏というふうなのが存在しておりまして
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まあそれのメインどころの食べ物の一つになっているよというふうなのがこのヒエというふうな植物でございますね
でまた祖父の資料の方に戻りますけれども
保別地方では昭和30年代まで水田で栽培されているなど
かなり近年になるまで食料生産にとって重要な作物であった
愛嬌の人々は畑に種をまいていたが収穫量が少なかったため
高年になってからは水棟と同じく水田に植えるようになったと言われております
やっぱりね田舎雑草なので半分
腰に水を扱っているような栽培状況の方が
うまく使われるようになってたんだろうねというふうなところの描写でございますね
で続いて読んでいきますね
この頃に栽培されていたヒエは現在とは違って穂に毛が多く
穂の大きさも在来種の2倍もある大ヒエで和人からはエゾヒエと称されていた
この種のヒエは土地の超えている痩せているに関わらず
よく成熟し天候による豊作凶作もない野生的な作物であった
というふうな感じでですね
保別町というか保別においてはこのような形で長らく
栽培がされていたようなものとなっております
でこれは祖父以外の研究結果をちょっと持ってきますけれども
アイヌのヒエザケに関する考古民族植物学研究というふうな研究がありましてね
こちらの中でヒエのDNA鑑定というふうなのを前導的に行っていたりするんですよね
でその前導的に行われていた結果の方からちょっと引用させていただきますけれども
こうやってアイヌ民族にこういうヒエとして栽培されていた品種なんですけども
北海道に主に育てられていた栽培種のDNAはですね
どうも日本国内にある栽培種として使われていたヒエとは遺伝的に結構
遠縁となっておりまして近いものを探していくとですね
中国雲南省の在来種である霊光ヒエに類似しているというふうな結果が出ておりますね
なのでそんな感じのヒエがなぜ北海道にあるのかなというふうな部分もあるんですけども
かなり昔からですね北海道ではこうやっていろんな地域と
広域やら何やらをしてなんでそんなものがそんなところにあるのというふうな
大パーツ的なものが結構北海道の中にはあったりしてたそうですね
この他もですね例えば1600年代にはですね
それこそ長崎に伝来したばっかりの煙草がなぜか北海道にあって
アイヌから煙草を差し出されたというふうな記録をですね
オーストラリア人の航海誌が残しているなんていうふうなものもありまして
結構アイヌ民族というか北海道にはいろんな人がやってきていて
そしていろんなものを残してたおかげで不可思議な
なんか植物が根付いていたり文化が根付いていたりというふうなものがあったそうですね
で祖父の資料によりますとアイヌの人々は
生徒を呼ばれる貝殻を使って頬をちぎり取るというふうな収穫方法をしておりました
でゴールデンカムイの作中でもですね
アシリパのフチが似たような道具を使って頬をちぎって集める描写があります
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でこんな感じでですねあの頬をちぎってやるというふうな収穫方法なんですけども
だいたい水棟の収穫方法と比べると何となく効率が悪いそうな感じがするのはですね
これが水棟とかそういうふうなものだったら一斉に窯で刈り取って
はさがけして干すとかそういうふうなことをやるんですけどね
ただこれは当時の栽培方法としては非常に合理的なやり方だったと考えられております
というふうなのも当時この
比叡の栽培方法というのは素方栽培といって
適当に種を蒔いてそこから生えているものから
頬をちぎるというふうな収穫方法をしてたんですね
こんなやり方をしてるから収穫時期が揃わないというふうなものがあったんですよね
で窯で収穫するとなると収穫時期が揃ってないと都合が悪かったりするんですけれども
これだったら出来上がったものから頬をちぎってやるというふうなことをやれば
まあそれなりに作業の分担とかそういうふうなこともできるしというふうなところで
当時としては非常に合理的だったそうですね
ちなみにあのあれです
種名の旅会の方でも扱いましたけれども
中尾さすけの本の中にはこうやってあの
収穫期がずれている頬だけをちぎって今日食べる分を用意するというふうな農民の話とかも出てくるんですよね
まあ山菜の摂り方と非常に似ていたような
そんなような農業をしていたんだなって皆さん思ってもらえるといいかなと思います
でこのヒエあとどういうふうな食べ方をするかというと
これは他のイネ科の植物と同じように
皮を製薄してそれを煮たり焼いたりして食べるというふうなそんなやり方をします
でアイヌは米や泡に一緒にいて他の湯のようにして食べるというのが一般的となっておりましたので
まあこれをこうやっていろいろと使ってたりしてたそうですね
ゴールデンカムインの中でもあの米のなんかの
かさましとかそういうふうなのに
ヒエを使われてたよとかというふうな描写が結構あったりしておりましたね
でこの他ヒエはですねアイヌにとって重要な儀式とかに使われるお酒を使われるのにも
使われてたりしておりますし
そういうふうな感じでかなり多岐に渡って使われてた非常に重要な雑穀となっております
で本当だったらこの調子ですね
アワデスとかイナキビ
ちなみに祖父の資料の中ではイナキミと書かれておりましたけど
こういうふうな雑穀についてもこんなペースでいっぱいあるんですけどね
とりあえず今回はこういうふうな部分を話し始めるとキリがなくなっちゃうので
まあ一旦ちょっとこの辺で雑穀を栽培してたというふうなのを切り上げさせていただきます
こんな感じでアイヌの人々というふうなのはちゃんと農業をしておりました
そして祖父の資料によればですけれども
明治25年から保別町への開拓入植が始まったが裸増前で入植してきた和人は
アイヌの人々からヒエ・アワ・イナキビの栽培や生博を教わっていた
入植当初は和人がアイヌの人々から教えられることが多かったと書かれておられております
こんな感じで当初こうやって入植はしてきたはいいんだけれども
北海道でどうやって暮らしていいかどうやって農業をしていたかわからないような
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開拓の意味の人々がいたんですけども
そこをアイヌの人々が協力してあげたよというふうなものが
この辺の描写から読み取れるかなと思っておりますね
このほか保別のアイヌたちは雑穀以外にも例えば豆ですとか
アタネと呼ばれる株ですとか
そしてエモと呼ばれているバレーシオを栽培してたというふうな記録があるんですよね
あのあれですよ異世界転生で大活躍する芋がですね
異世界転生大無双の前にアイヌ民族の手によって育てられてたというふうなのが
この辺の描写であったりしておりますね
この芋に関してはゴールデンカムイの中では特に雑穀は扱われてはいなかったんですけども
保別の方では結構昔から育てられてたようですね
ただこれがいつ入ってきたものなのかっていうのは全然わかっていないそうですね
で祖父の資料によりますと明治25年に保別に和人が入植してきた頃には
すでに芋が育てられてたそうなんですよね
あとそのまま続けて読んでいきますけれども
1800年に江戸幕府府神役で探検家の最上徳内が
江戸地に来た際に種芋を持参していたというふうな記述があるそうなので
おそらくはこの種芋から栽培が始まったのではないかと考えられるんだけれども
ちょっとどうなのかというのが今のところわかっていないものとなっております
でこのアイヌの人々の芋の食べ方なんですけども結構変わった食べ方をしております
茹でてそのまま食べるというふうなのではなくてですね
芋から一旦澱粉を取って
芋本体はその絞りカスを団子にして食べてるというふうな食べ方をしてたんですよね
これはゴールデンカムイの作中にも出てきた
ウバユリの食べ方と同じような形となっておりますね
だからちょっとウバユリの変種みたいな形で
思っていろいろと料理してたりなんだしてたんだろうなというふうのが
この辺の方から読み取れるかと思います
こんな感じで保別書ではかなり昔から芋を使ってたというふうなところがありますので
明治30年頃にはなんかそのまま芋がたくさん取れるようになって
食糧難をいくつも芋で乗り越えてきたというふうなところを書かれたりしておりますね
その他戦後の食糧苦難の時には
鉄道で澱粉カスが食糧として送り込まれてきたが
この食べ方を知っていたおかげで団子としておいしく食べられていた
なんていうふうな記述もあります
そんな感じでこうやっていろいろと工夫をして
北海道で農業をしつつ
そしていろんなものを採集したりなんだりしながら
アイヌの人々というふうなのは暮らしてきてたわけなんですけれども
こんな感じで農業をしてたんだけども
なんで和人はアイヌが農業をしていないと考えていたのか
そして近年になるまで
狩猟採集民族のイメージがついちゃったのはなんでかというふうなのを
ちょっとこれから話をしていきます
理由は2つあります
一つは和人が長い間アイヌが農業をすることを禁じていたから
そしてもう一つは1970年代で
そうやって禁じられていた歴史というふうなのを無視して
読み違いが起こってしまったからというふうなのが理由となっておりますね
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1個ずつ話をしていきますと
まず誰がアイヌに農業を禁じていたのかというと
これは先に答えを言ってしまうと松前藩がそういうふうなことをやっていたというふうな
記録というふうなのがいくつか残ってたりしております
松前藩というふうなのは徳川幕府から
江戸地の独占公益を認可されている藩となっておりまして
それでゴールデンカムイの作中では
肘方俊三から松前藩が産んだ良いものって
長倉新八と松前漬だけだよねというふうな感じで
ディスられていたというふうなのでおなじみの藩となっております
こんなような形で松前藩というふうなのは農業を禁じていたんですけど
どういうふうな形で禁じていたのかというふうなのを話す前に
ちょっと話が前後するんですけども
この松前藩が農業を禁じていたぐらいに
アイヌは農業をしていたんじゃないかってことを考えると
アイヌは農耕民族だよねっていうふうなことを言う研究というのが
平成28年に行われております
こちらのタイトルは
禁農 禁じるに農業の農と書いて禁農モデルを検証し
アイヌ農耕文化の実態を解明するという
東北大学の深澤由里子教授の研究結果から
ちょっと抜き書きをしてここから説明していきますね
この研究はアイヌの以降から雑穀の種子とか農具が見つかったり
農耕の根性的には見つかっていたので
アイヌは狩猟も採集も漁業もする雑穀農耕民だったのでは
っていうふうなことを明らかにする研究となっております
でここで出てくる禁農モデルというふうな言葉なんですけども
これは松前藩がアイヌに出してた
農業をするんじゃないぞお前らとか
あとは農業を邪魔するように支持していた記録というふうなのが
残ってたりするんですよね
そういうふうな形で松前藩がたくさん農業を禁止していたというふうなことを考えると
アイヌ自身は農業をしていたよねっていうふうなことになるでしょう
っていうふうなのがこの提唱者
こういうふうな形で提唱されている禁農モデルというふうなものとなっております
でこのモデルの前に支配的だったのが
1970年代に渡辺一史でいいのかなというふうな方によって提唱されておりました
アイヌエコシステムというふうなものなんですけども
こちらは19世紀の複雑な状況を無視して
アイヌ社会に訪れた変化を狩猟採集から農耕に切り替わっていった社会構造の変化と捉え
親戚自体の説明モデルを利用してモデル化されたものというふうになっておりました
ざっくり言うと農耕社会に移っていった19世紀から
旧土神保護法とかそういうふうなもので農耕社会に移っていったから
じゃあ元を考えると元々は狩猟採植民族なんじゃねーのっていうふうに
勘違いされたっていうふうなのがこういうふうなモデルとなっております
そんな感じで1970年代では禁じられていた部分とかそういうふうなものを見過ごされて
こうやって狩猟採集民族イメージがついてしまいました
なんで松前藩が農耕アイヌに禁じていたのかというと
松前藩は当時漁業従事者を大量に必要としておりました
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これは何でかというと北海道で獲れる鮭とかそういうふうなお魚を
全部港とかそういうふうなところに持って行って売りさばいてその利財を得るというふうなことを
藩のを挙げてやってたからなんですね
そして藩の利益を得るためにこうやってアイヌを使いたいというふうな形になるんですけども
どうしたって北海道の農業のオンシーズンと
あとは漁業のオンシーズンというふうながだらかまりになってしまってたので
アイヌになるべく農耕をさせないようにしてデルタ稼ぎをさせたかったからというふうなところで
記録もそういうふうな感じでいくつか残ってたりするんですよね
例えばさっきもちょろっと名前の出てきたモガミ徳内というふうな方がですね
エゾ草子にこんなことを書いております
蚊の国宝にてエゾ地への物の種を渡すことを停止なり
それゆえ遺憾というふうなことを知らずこれはですね
物の種だから
栽培する植物の種とかそういうふうなものを持ち込まないようにした方がいいよねというふうなこと
そしてもう一つ密かに安ずるにエゾ人農業に力尽くしては
日魚漁業の産物も相減じ
受け負い人の工益も不足し
運譲金も草原前のゆえなるべしというふうなことが書かれてたりするんですよね
だからエゾ人アイヌ人たちが農業に力を尽くしちゃっていると
漁業の漁獲高が減って売り上げが減っちゃうから
そういうふうなことをやらせないようにした方がいいんじゃねえのというふうな提言という
ふうなのもこちらになっております
その他制限されていたよというふうな記録としてはですね
江戸末期の探検家であります松浦武次郎の石刈日記というふうなのにこんな記述があります
家のそばには狸まね、インゲンまね、アワ、モチアワ、ヒエなどを作っているが
こういう農作業は女と仕事とされている
彼らはまだクワを持っていないので
マサカリの側面に木の柄を取り付けてクワの代わりに使っているが
これは松前派の方針である
彼らに農業を教えることを禁じているので
雲上屋もアイヌにはクワを渡さないためであるというふうなことが書かれております
そんな感じでですね松前派自身もアイヌになるべく農業をさせたくない
できるんだったら自分たちだけに依存してほしいような
そんなような形を取りまして農業を教えなかったり
あとは農業をさせないように言っていたりしておりました
この他ですね流言秘語の中には畑を作るとカムイが起こるぞとかというふうな
脅しをかけたりするとかというふうなものも見つかっていたりしておりますね
そんな感じでですね
松前派自販の利益のためにアイヌの人々は農業をしないように仕向けるというふうなことを
長らくやっていったようですね
このなんか漁業に従事するというふうなところがいかに大変だったのかというふうなところもですね
私の祖父の資料の方にも残っております
祖父の資料によればなんですけれども
松前派はですねどうも
19世紀だから1800年代に入ってから
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3度ほどアイヌの人口調査というのをやっております
これなんでやってたかというと管理する側になったおかげで
ちょっとその人数とかそういうふうなものを把握しなければならなくなっていたそうなんですね
で
それで1822年に調査された際にはですね北海道のアイヌ
21,000人ほどいたんですけどもそれが30年後1854年に調査された際にはですね
16,100人ほどに減少しているというふうなことが言われております
でかなりの人数が30年間で減っているわけなんですけども
これ何が原因かというと一つは伝染病というふうに言われております
でこれはゴールデンカムインの中にも出てきておりますし
あとはアイヌの民話の中にもですね
よく出てきた包装というふうな伝染病となっておりますね
これにかかっちゃうと家族や個単が全滅してしまって
一人だけ生き残ってしまうなんていうふうなお話もあったりしておりました
ゴールデンカムインの作中にもチカバシという男の子が出てくるんですけども
彼のいた個単もですねもともとはこうやって包装で全滅してしまって一人だけ生き残っちゃったという
そんな追い立ちがあったりしております
そしてこういうふうに
労働人口というかあの人口が減った原因の一つがですね
和人が経営する漁場にアイヌの人々が挑発されて過酷な労働を強要されていたこと
で漁業のシーズンが終わっても個単に返してもらえることもできず
家族との絆が絶たれたもの大黒柱を
なくして路頭に迷ってしまう家族がいたっていうふうな記述が祖父の資料の方には載っておりました
ちなみにあのほべつの個単の方ではですね同じく松浦武次郎がほべつの人口調査をなぜかやっておりまして
安政4年1857年に調べた記録によりますとほべつの個単の総人口440人いるうち
15歳以上の41%が出稼ぎに行ってたそうなんですね
で残ってたのは老人と女性と子供と病人だけというふうな状況になってたそうなんですね
で大変だよというふうなエピソードの一つにですね
義理の両親と自分の子供と目掛けと目掛けの子供の一人をですね
奥さん一人で面倒を見ているご家庭もあって大変そうだったよというふうな
ものも描かれておりましたねまあこれはきっつーってなりますね目掛け働けよって思うんですけど
そんな感じでですねちょっとそういうふうなものもあって大変そうだったよというふうなのが
いろいろと書かれておりましたねでこんな感じでですね
ほべつにおいても漁場に労働者を借り立てられちゃいしまったおかげで
旗咲くに植えられたヒエとかアワとかの手入れができず厳修となってしまって
当期間の食料が不足してさらに貧困の度合いが深まったり生存率が下がってしまったりというふうなことが
どうも起こっていたようですねでこの後
まあいろいろと
日本国内の状況とかが変わりましてほべつ町はですね明治2年に
高知藩が開拓氏の認可を受けて分量支配することになります
でその際に高知藩の藩士岸本延蔵がですね
アイヌの余りの球場を見て江戸地を真に開拓するには第一にアイヌの愛育が必要であり
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アイヌと一体になって開拓を行わなければならないというふうなことが書いているぐらいですね
まあ疲弊されて大変だったよというふうなことが描かれておりました
そりゃあねゴールデンカムイの作中で
肘方俊三が松前藩が生んだ良いものは長倉新髪と松前漬けだけだというふうに言いたくなりますのは
こういうふうなアイヌの扱いというふうなのも肘方俊三自体がなんとなく知ってたからなんじゃないかなって
私自身はちょっと読んでて思ってたりしておりましたね
でこうやって和人との関係の中で苦難を受けてきたアイヌは
明治政府からも同様に受難を受けていくことになります
この受難はゴールデンカムイで足利羽と杉本が出会ったあたりでは本当はもっとたくさんあったはずなんだけれども
あんまり描かれていない部分なので
まあ後編はその辺の分にフォーカスを上げててお話をしていきます
なんでもうちょっとお付き合いください
後編ゴールデンカムイで描かれていないアイヌの能知問題について
後編の方ではアイヌと能知についてのお話をいろいろと話をしていこうと思います
でゴールデンカムイの作中の中でも
アイヌの生活圏が和人によって切り崩されているというふうな描写というふうなのは
読んでいけば様々なところで目につくかなとは思うんですけれども
ただ具体的にエピソードになったりするようなこともなくて
扱いが地味な感じになってたりはするんですよね
私自身はこの匂わせが限界だったんだろうなーって思ってて
でそれまでずっとそういうふうなものとして受け止めてはきたんですけれども
作中後半にですね
エゾ共和国で調印されたアイヌ民族が買った北海道の土地の権利書というとんでもないアイテムが出てくるんですよね
でこれ自体はものすごく
攻めたアイテムを出してきたもんだなぁとは思ってますけれども
最終回で明かされたその使い道っていうのがですね
ちょっとちょっとなというふうなものになってしまって
ただそれ以外の落としどころがどこにあったかって言われるとちょっとなぁと思ってしまうような
まあそんなようなものとなっておりました
特にいろんなところで批判に上がったり意見に出てきたりするのは
この土地の権利書云々の話なのかなと思っております
でこの辺の話をするついでにですね
アイヌと土地の問題特にアイヌはですね
その後開拓行政とかそういうふうな明治政府の手によって
開拓農民として使われていくことになります
その対面に北海道の農地を切り崩して給与されるというふうなことがあったんですけれども
その土地も奪われていくというふうなことがあった民族なんですよね
その歴史をですねちょっとさっくりと
保別町のアイヌ民族史を中心にお話をしていこうと思っております
まず最初この保別町のアイヌにおいてはですね
明治19年からこの強制移住というふうなのが始まっていたりしております
明治19年1886年に北海道庁は開拓行政による損落統合というふうなのを行っております
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この際に保別に住んでいたアイヌはアイヌ民族に農業を指導するためというふうな名目のもと
もともと住んでいた場所から強制移住をさせられていたというふうな記録が残っているんですね
北海道内ではですねこのような形で例えば和人の御寮農地を作るために
アイヌの個担を動かされたというふうな人々もおりますし
あと有名どころで言えば
カラフターアイヌの強制移住なんていうふうなのもありましたね
このカラフターアイヌの強制移住に関してはゴールデンカムイの中でも
アシニパのお父さんのウイルクというふうな人がカラフターアイヌだったというふうなところから
そんなのを説明するエピソードなんていうふうなのも中に入ってたりしておりました
こっちの強制移住の方は
大国の都合で住む場所を追われていたというふうなところがあったりはしていたので
ちょっと事情は違うんですけれども
特に北海道内で行われていた開拓行政による強制移住というふうなのは
完璧に和人がやった悪いことの一つだったりしてたそうですね
でこのアイヌの人々が保別町から移ってしまった場所に誰が住むようになったかというと
その後和人が35個176人移住してきたそうです
でそういうふうな形で住んでたところを奪われて
そこに和人が住むようになったというふうなことを考えるとですね
農業を教えるというふうな名目ではあったんだけども
実際には開拓者を住ませるための
都合の良い場所が欲しくてそういうふうに移動させられたというふうな
そういうふうな記録となってたりしておりますね
でこの移住した際にアイヌはですね
何の保証も得られず親戚のアイヌを頼って転々とするか
新しい環境で安定した生活基盤が築けず
食生活も不安定になり貧困につながっていったというふうなことを祖父は書いております
でまたこの開拓行政が行われていた時代にですね
アイヌの生活の必需品を採取することも
アイヌが伝統的に行ってきた狩猟や漁業を禁じられていたそうなんですね
本来ならというか作中でも
本当は鹿狩りダメなんですよねみたいなのが
作中のセリフとして出てきたりするというふうにはなってたんですけども
まあアシリパーさんがやっている狩猟とかというふうなのも本来は禁じられていたはずだというふうに言われております
ただ当時の北海道はそんなに人が住んでいないし広々としてた場所だったのでね
咎められずに勝手にやっている人というふうなのは
存在してたんじゃないのかなと思っておりますね
こんな感じで開拓行政で
まず住んでいるところを追われていろんなものを禁じられていったよというふうなところがあります
その次に受けることがですね
1899年明治32年となっております
こちらはですね杉本とアシリパーが出会う10年前に成立されている法律があるんですけども
旧都人保護法というふうな法律がございます
この法律どういうふうな法律なのかというと
アイヌ民族を日本人に同化させた上に日本人社会から排除するという
差別的な同化政策と言われております
42:00
1997年になってようやく廃止されるまでずっと続いてきたようなそんなような法律なんですね
でこの法律何をしようとしてた法律なのかというと
アイヌに土地を与えて農耕を奨励し
諸島教育を普及させるというふうなことが目的の法律なんですね
一見するとなんか良さげな感じしますでしょ
ただ実際はですね
開拓者が良いところを取った余った農地を農地として与えて
アイヌの生存権は縮小しアイヌの文化や言葉でなく
日本人として日本語教育を受けさせるというふうなものだったんです
でそういうふうなことをやられてた結果ですね
今現在アイヌ語の話者はですねここ最近の統計によりますと残りは残すところ5人しかいないというふうな
そんなような状況にまで追い込まれるぐらい
この教育の力は絶大だったんだなというふうなものとなっておりますね
でゴールデンカムイの中にはこの法律のことはですね一言も出てきておりません
なのであのちょっとおかしいなというかまあ
描かれないようにした部分の一つなのかなと思っております
で本当だったらアシリパさんとかもしくはアシリパさんの子の子たんの子どもたちとかは
和人と一緒に混合教育を受けていてもおかしくないような年代だったんじゃないかなって私は考えております
ちょっとこの辺はの年代がもしかしたら10年前後でずれてて
違うかもしれないけどねというふうに思っておりますね
まあちなみに私の祖父はですね生まれは1920年となっておりますので
えーとだからなんだろうアシリパさんの子供ぐらいの年齢
になってたぐらいだと思うけどでもその頃にはですね
えーと祖父はそうやって和人と一緒に混合教育を受けておりましたので
少なくともその10何年後かにはそういうふうな形になっていたであろうなというふうになっております
でこの政策についての差別とかそういうふうなものについてはですね
特に祖父の書いた本が保別の愛の民族文化という共同資料となっておりますので
差別についての具体的な話というふうなのはほとんど載っておりません
祖父が書きたくなかったのか祖父がそれほど差別を受けずに済んだのかどうかというのは
私自身はよくはわからないんですね
ただ祖父がですねこの共同資料とは別に書いたエッセイみたいのもありましてそっちの方にはですね
例えば混合教育を受けていた学校で
餃子ニンニクを食べていたアイヌの子供だけが
お前ら臭いんだよというふうなところですね
先生から叱られて鉄拳制裁を受けたというふうなエピソードが載ってたりしておりましたね
そんな感じでですね
こうやって差別をされるとかそういうふうなこととかというふうなのは
当時からいろいろあったんだろうなと思うんですけども私はちょっとこの辺の部分は
特に載ってないこともありますし
あとはねちょっと読んじゃうと共感して辛くなっちゃうので
あんまり調べてないような部分となっておりますよ
こんな感じで教育とかそういうふうなものをされておりますけど
具体的にどのぐらいの農地が割り当てられる予定になってたのかというふうなのも
祖父の資料から引っ張ってきますとこの法律によってですねアイヌには
給与地と呼ばれる農地が与えられておりました
一応あの国が説明した内容としては
45:01
1個につき5ヘクタールの農地を払い下げることになっていたそうなんですけれども
実際には3分の1程度しか割り当てられなかったよというふうなのが
祖父の記録としては残っております
でそんなような土地だったんですけれども
まああるだけ土地ってマシじゃないですかというふうなところで
今農家している身としては思ったりはするんですけども
そういうような土地もですねアイヌの人々は和人に安値で貸してしまったり
物々交換で譲ってしまったりするというふうなことが行われてたそうなんですよね
これはちょっと祖父の方の資料にはどういうふうな理論なのか載ってなかったので
ちょっと他の説を紹介しますけれども
アイヌの人々が農耕を好んでいなかったとも言われておりますし
あとは土地の価値が分かっていなかったとも言われております
そんな感じでですねなんか色々と事情があって
まあざっくりと手放しちゃったんだよというふうなことはよく言われております
ただ私自身が考えるにはですね
この狭い農地面積
これだけで農家だけで食っていくには大変な土地となっていたので
要は農業をするのにも向いてないような土地でなおかつ狭いから
農業をだけで食っていくというふうなのを選択するのはしづらかったんじゃないかなと私には考えております
でこういうふうな悪い土地だとしてもですね
和人がそれを借りたり使ったりしてたのは
メインで据えるにはきっついけれどもサブで増やすんだったらまあいいかというふうな土地だったと思うんですよね
そんな感じでアイヌの人々というふうなのは
給与された農地を和人に結構な割合で貸してしまってたんですね
でこの貸してしまってたことが災いになってですね
この給与地は第二次世界大戦終戦後
GHQが行った農地改革による農地法のおかげで
アイヌの手には二度と戻ってこないことになってしまったんですね
でこの農地法というふうな法律
皆さん現代の歴史とかその辺の部分を習ってらっしゃったらわかるとは思うんですけれども
全国の地主が持っていた土地を国が一度買い上げてその土地を耕していた農地を
農地を持たない戸作農に売り渡すというふうな法律なんですね
なのでこの法律のおかげで全国的に自作農民が増えて
現代農業政策の基盤を作った法律というふうに
言われているようなものとなっております
なんですけれどもこの買い上げ農地の中にですね
アイヌの人々が貸してしまったり譲ってしまったりしてたような土地も
対象になってしまったおかげでですね
アイヌの人々の土地というふうなのが取り上げられて
そして実際に耕作する人の手に渡ってしまって
アイヌには土地すら残らなかったよというふうなところが
この本の中には書かれておりました
一応これに対する反対運動というふうなのも全道のアイヌは行ってたそうなんですけどね
道庁とか国会とか連合軍司令部に陳情を繰り返してたそうなんですけどね
残念ながら身を結ぶことなく
給与地も買い上げの対象になってしまったというふうに言われております
こういった形でアイヌは土地も生活圏も文化も言葉を奪われていくことになってしまいます
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これが行われているのがおそらくゴールデンカムイが始まっている明治初期から
それで終戦が行われる昭和の前半ぐらいまで
その辺のぐらいで起こっていたもののものとなっております
このゴールデンカムイとかについてはこの辺の部分をかなり漂白した作品にはなってたりするんですけども
アイヌを語るアイヌを知るというふうなことはですね
ひるがえてみれば
和人によって行われてきた酷いことを知ることとどうしてもセットになってしまうんですね
私自身はゴールデンカムイがすごいところはそれを匂わせに留ませて
それを描かずにアイヌのすごいところかっこいいところ強いところを抽出してみせたところだなというふうに思っていたりしております
実際に私自身アイヌの血は引いてはいるんですけれどもね
自分自身がアイデンティティがアイヌ人かって言われると全くそんなことはないなというふうに思っております
なんとなく見た目上の形質的な部分で例えば毛が濃いとか
顔の彫りが深いとかあととっても男前とかね
そういうふうなところとかっていうふうな部分では影響されている部分なのかなと思うんですけれども
でもそういうふうなアイデンティティをあんまり持っておらず
自分から興味を持ってアイヌの文化とかに触れようと思っていなかったんですよね
特にこの祖父がこういうふうな本を書いているっていうふうなのも知ってはいたんですけども
この本を読もうというふうに思うのもですね
本当にゴルデンカムイを読み始めるまでそもそも興味を持たなかったものだったりしてたんです
この本を書き上げた祖父に関してもですね
この本を書き始めてたのはおそらく1990年代あたりだとは思うんですけれども
この本を書くために調べることについて
特にたくさんの人から特にこの話をしてくれたとかお話を集めている
元になったアイヌの人々からもそうなんですけれども
そんなことを知って何になるアイヌの言葉や文化なんか残して何になるっていうふうなものを
当事者から言われながら書いてたっていうふうなところを後書きの方で書いております
祖父自身はですねアイヌの子供として生まれて
あとは当時未愛結婚とかが中心であった農村においてですね
恋愛結婚で祖母と結ばれまして5人の娘を育てて
そのまま戸別でずっと長らく農業をしておりました祖父が
こういう消えていくアイヌの文化の保存を志したっていうふうなのが
まあどこかでそういうアイヌ民族のなんか
自分のアイデンティティとかそういうふうなものを考えるような
ことがあったんだろうなぁとは思います
でちょっとそういうふうなのがどういうふうなきっかけなのかというか
私みたいにですねゴールデン加盟きっかけで読んじゃうような軽いものではなくて
まあ自分の親がそうだったからっていうふうなところから
残そうというふうな努力が始まったんだろうなぁと
私自身は思ってたりしております
でねなんかの後書きとかを読んでたりするとですね
51:00
うちの私の祖母からはですね
そんな趣味はやめてしまえパチンコや釣りの方が
何か得るものがあるだけまだマシだというふうなことを言われてたりしてたんですよね
まあなんですけどもまあ今現在こうやってあの私が読んであとはちょっと
こうやって自分が配信している番組の方で役立てることもできたので
まあ何かしらおじいちゃんも喜んでくれてたらいいなというふうなことを
ちょっと思ってたりしておりますね
でそういうふうな形でですねなんかちょっと話があっちゃこっちゃいって恐縮なんですけれども
あの
私がこの
アイヌの文化に興味を持ってで祖父の著作を読み直そうと思うようなきっかけを作ってくれた漫画という
ふうな意味だけでも私は非常にこの作品すごくあの
まあ思い出に残っているようなそんな作品になっているかなと思います
でこれをきっかけにアイヌの文化に興味を持つ人々も出てくるのもおかしくはないよなという
ふうな作品だったりしております
で今現在ねどうしても最終回のあの結末をもとに
なんかアイヌ民族描写についての批判が集中しがちになっているような作品ではあるんですけども
けれどももしかしたらこういうふうな興味を止めないであげた方が
アイヌ民族のためにはいいんじゃないのかなって私自身は思ってたりしております
ねその後ちょっといろいろと調べてみると例えばアイヌ民族のこういう
女性禁の闇ですとかそういうふうな部分で
あのいろいろと右翼的な人々と話をしている議論のスレットとかそういうふうなものを見つけて
ちょっとげんなりはしてたりするわけなんですけども
でもそういうふうなところに巻き込まれるようなところに誘導するのではなくてですね
まず面白い楽しいとかそういうふうなところで興味を引いて
そしてそこから興味を持っていった人がですね
何かしらの研究者になっていったりアイヌ語を喋れるようになったり
アイヌの文化を伝えるようになれるような人が一人でも増えるんだったら
まあこういうふうな作品が描かれた意義というのは十分果たせたものなんじゃないかなって
私自身は思ってたりしておりますね
この辺の部分が濁しがちになるのはですね
いろんなところから叩かれたら怖いなというふうに思っているからでございますね
まああんな感じで作中の登場人物でアリコイポクテさんという
アイヌなんだけれども第七四弾にいる人がいましたけれども
彼もなんかアイヌ民族って面倒くせえなというふうなことを作中で言ってたりするんですよね
でもそういうふうなことを言いたくなっちゃうぐらい今現在ちょっとこの辺の部分は
現実のある問題としてこじれていたり大変だったりするようなものもあったりはするんですよ
なのでちょっと見かけたら何かしら協力をするとか
まあそういうふうなところで何か
できることをやっていったらいいんじゃないでしょうかってところで
今回のお話は締めさせていただきたいと思います
エンディングではですねゴールデンカムイの実写映画化が発表された時の反応について
ちょろっと話をしたいなと思っておりますのでよかったらもうちょっとだけお付き合いください
ではエンディング入ります
はい今回も長々とお聞きくださいまして誠にありがとうございました
54:01
当番組への感想はツイッターハッシュタグ
a7aにサブからのサブaサブとつけてお寄せくださいますようお願いします
あと番組継続の励みになりますので配信のツイートをリツイートしたり
いいねをしたりしてくださるようお願いいたします
まあこうやってあの拡散とかそういうふうなのに努めていただけるとですね
私の勢力範囲が拡大して私のやる気が増えていくというふうなことになると
番組の配信回数も増えるかもしれないというふうなところだけ
念頭においていただけるとありがたいですね
であとご感想で長文を送りたいというふうな方はですね
番組の概要ページの方にgoogleフォームのurlがございますので
そちらの方からお寄せいただきますようお願いいたします
だいたいあの営農とサブカル界という緩めの会でですね
お二人の紹介の方でそちらの方は紹介させていただきたいと思っております
毎回毎回募集はしているけどねここ最近読んでないのでちょっと溜まってるからなんでね
まあいい加減切り崩したいなというふうに考えておりますので
よかったらそちらの方まで何かありましたらお寄せいただきますようお願いします
であと実写映画会についての話なんですけども
誰が頼んだの実写映画家って思ってるんですけどね
まあでも実写映画家だってうまくいってるようなものだっていくつかあるよ
いくつかあるよっていうふうに具体例がどのぐらいあるのって言われるとちょっと自信ないんですけどね
まあ私あのアイアムアヒーローとかはよくできてたかなとか好きな方だなと思ってたりしておりますね
あとあのそうだな東京リベンジャーズとかもなんか評判良かったなぁとは思っておりますし
あとはですねアジンとかも評判良かったなというふうなのもちょっと見てたりしておりますね
だいたい現代劇ってふうなことを考えるとですね
こういうふうな昔のような場所を描くことになるとまたまあ
京都渦政とかそのあたりで撮ることになるのかな
色性がだいぶ違うからバレるんじゃないのっていうふうな気もするんですけどね
そんなような感じでですね
まあできることなら北海道にお金を落としてもらうような作りになってたら
いいなあっていうふうなことぐらいしか今のところ私としては
言えることがないかなと思っております
でこの会員についていうか実写映画会についてですね
本当はこうしたらいいんじゃないかなというふうに思っていることはいっぱいあるんですけども
何言っても怒られる気がするというふうな気になってしまっててね
喋るのが難しいかなというふうに思っております
どうしてもそういうふうになってしまうのが
このこと差別と金の問題とかっていうふうなものがですね
いろんなところでこじれて議論されてて
その議論に巻き込まれたくないというふうな思いでいっぱいなんですよね
でアイヌ民族とかの話とかになってくるとですねどうしてもこの辺の話って出てきちゃって
そしてゴールデンカムイが好きでアイヌの文化に興味があってというふうな人が見るには
そこの部分というふうなのはまだ触れるのが重い文化だったりするんですよね
だからちょっとこういうふうなゴールデンカムイのファンの皆様はですね
自分の楽しいところだけ一旦見てもらってそしてあと
背景としてそういうふうな歴史があるよというふうなのを理解してもらった方がいいかなとは思います
そしてあとは現代の状況に関してはですね
それについても余力があったら学んでいただいて
どちらの立場について応援したいかどうかというふうなのを判断していただける方がいいかなって
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私自身は思ってたりしておりますね
私自身としてはですね第二の同割権がとかね
日本人以外の人に金をやるなとかというふうな言説にはですね
ちょっとどうかなというふうに思ってたりする口なもんですから
なるべくだったらそういうふうなところにお金が落ちたりするような状況になればいいなというふうに考えております
ただこの手のことについて議論したりなんだいする元気は
元気も余裕も今現在はございませんのでね
まあそういうふうなのをふっかけられても困りますよというふうなところで
今回のエンディングの方のお話は締めさせていただきますね
で次回予告ではございますけれども5月に入りますとですね私クソ忙しいんです
基本的に北海道の農業者はですねこの時期田植えをしたり種まきをしたりで
まあてんやわんやの状況となっておりまして今現在私30連勤中なんですけどね
これが60連勤になることは堅いなというふうに思いながら日々過ごしてたりするわけなんですけどね
そんなようなブラック労働を今現在も課されてたりするわけなんですよ
ねあの私の血が問題じゃなくて農業が嫌いなんだなというふうなところはこういうふうな労働時間
関係になるようなものなんだなって私自身も思ってたりしておりますね
なんか口が回ってねえな今日はねそんな感じで
あのまあだいぶ忙しくなってしまいますので
できることはといったらですね日々触れている
営業とサブカルについてのことしか喋れないかなと思っております
なので5月いっぱいはですねできれば毎週だいたい30分ぐらいの短さでですね
その週にあった営業の状況と
あとはサブカルの状況についてただただ話していくという雑談会的なやつを
ひたすらやっていこうと思っております
なのでお便り読めるタイミングみたいなのはいっぱいあるかなと思いますので
よろしかったらお便りの方をお寄せいただきますようお願いいたします
というわけで今回もお付き合いいただきまして誠にありがとうございました
では次回もお楽しみに